入院といっても、今回は治療らしいことといえば一日一回の肝臓機能回復の為の点滴だけだ。それも今日で終わる。あとは同じく一日一回のバイタルサインのチェックくらい。といえばいかにも暇そうだが、それが案外そうでもない。その時の体調にもよるが、本を読んだり文章を書いたり、絵筆をとったりデッサンをしたり、それからこれはむしろ闘病のマイナスになりそうなストレス源でもあるのだが、目を覆わせしめる貧打で足を引っ張るばかりか、アンビリーバボーなエラーで投手を見殺しにする東北楽天イーグルスの惨めな連日の負け試合中継をスマホで観たりしていると、知らないうちに時間は経っている。

 そんな毎日の中で、備忘録としてでも書いておきたいことができた。今回、ひょんなことから野呂邦暢(くにのぶ)という作家を知り、その作品を小説も随筆もあらかた読んでみたことだ。わざわざここに書いて記憶に留めようと思ったのは、何よりもその研ぎ澄まされたような文章の見事さゆえのこと。その見事な文章を自分の拙い文章能力でうだうだ語るより、実物を読んでもらったほうがよほど気が利いているというものだろう。

 たとえば以下は『日が沈むのを』という野呂35歳の作品のラスト。主人公はバスの車掌を勤める若い女で、仕事を終えて一人暮らしの古アパートに戻り、その最奥に自分の部屋がある二階の廊下に椅子を出して足を投げ出し、寝巻きの襟を開いて湯上りの肌を風に晒しながら西の空を眺めている。もちろん、まだエアコンなどない時代の話だ。

 夕日は山の稜線に触れた。
 わたしは透明な砂金色の夕映えに浸っている。屋根瓦の濃い藍色が夕日を照り返して柔らかな黄金の陰影を帯びる。世界は深くなる。夕日の没する、なんというすみやかさ。わたしは息をのんでただうっとりとみつめる。
 いったん山の端に接するやいなや、夕日はそれ自身の重みに耐えかねたように沈む速度をはやめる。家並に風は絶えて鳥も飛ばず、庭木の繁みはそよとも動かない。
 夕日は沈んだ。
 私が向かい合っている家々と樹木はその色彩を回復した。夕日をみつめつづけたわたしの目はしばらく視力を失って、ぼんやりと青い水の層に似た夕景を眺める。西の空に漂う雲の下縁が仄かに赤い。
 ほどなくめまいは消える。影を喪った屋根が現れる。夕暮れの薄闇がひたひたと庭をみたし始める。肌の火照りが醒め、わたしは身震いする。微風がおこる。


 野呂邦暢は1935年(昭和12年)9月に長崎市で生まれた。長崎に原子爆弾が投下された当時は小学生で、生家は爆心地至近だったが被爆前に母方の実家がある諫早市に疎開していたためこれを免れた。同級生の大半は死亡している。京大を志したが失敗、浪人中に実家が破産したため進学を諦め、上京してガソリンスタンドの店員や喫茶店のボーイ、ラーメン屋の出前持ちなどを転々とし、その後自衛隊に入隊し佐世保で訓練を受けた後北海道千歳に配属され翌年除隊。このときの経験を描いた『草のつるぎ』で第70回芥川賞を受賞している。作家として自立してからも諫早市に住んでその風土に根ざす作品を多く発表、しかし1980年5月、心筋梗塞により自宅で死去。まだ42歳の若さだった。

 野呂が淡々とした筆致で丁寧に描き続けたのは、前に紹介したバス車掌のように名もない庶民の日々だった。どの作品にもいわゆる大物や英雄は出てこない。様々な意味での限界状況が出来したり大事件が生起するわけでもない。ただ市井の普通の人たちの何気ない日々を描いているのだが、ひたすらに丁寧で練り抜かれた日本語が平凡な日々の陰影を鮮やかに浮き彫りにし、柔らかな光をあて、そして静かに輝かせるのだ。自分は日本語の名手としてその筆頭に谷崎潤一郎を推してきたが、野呂はそれに伍すると思う。ただ、描いた世界の差もあってのことだろうが、谷崎の方が湿度が高い気はする。野呂の文体にはやや乾いた清潔さを感じる。

 知り合いのテレビマンから野呂の作品を紹介され、たちまち惚れ込んだのが向田邦子だった。向田は野呂の世界に魅せられ、その全作品の映像化権を望むとともに、その代表作である『諫早菖蒲日記』のドラマ化を図ろうとする。しかし、テレビ局側はその提案に難色を示した。『諫早菖蒲日記』は、長崎に黒船が頻繁に訪れる幕末の不穏な空気を背景に、佐賀鍋島藩の従藩である諫早藩で砲術指南を勤める中級武士家庭の日々を、15歳になる長女の瑞々しい視点で描いた長編だ。諫早の山野わけても河口の描写が素晴らしく、少女をはじめとする人々の屈託や喜びが丁寧に描かれている。ちなみに「諫早菖蒲」は菖蒲の原種に近い諫早に自生する品種で、多くの改良品種のように鮮やかで大きな花は付けないものの強壮で、花は小さくとも切花にしてはるかに長持ちするという。恐らく、主人公の少女のイメージを仮託したものであろう。

 ただストーリー自体は、そう地位が高くもない、そして抜きん出て優れてもいない中堅武士の、さして大きな事件も起きない日々を淡々と描くだけだ。時代劇に付き物の合戦シーンや斬り合いどころか刀を抜くシーンすらない。さらに主人公の少女は利発でお転婆で実に愛らしいが、NHKの朝ドラのように大人になって偉い人になったりはしそうにない。現に、野呂が『諫早菖蒲日記』の続編として書いた『花火』でこの少女は、長じて普通に親の決めた相手と結婚し、普通の平凡な口うるさい母親になっている。といった到底見栄えしそうもない内容なのだから、テレビ局が作品化を渋るのも当然だろう。そこで向田は次善の策として、まず野呂の別の作品『落城記』のドラマ化を提案、野呂が承諾しテレビ局もこれを受けたことから、向田はシナリオライターとしてではなく、自ら望みプロデューサーとなって関わる熱の入れようとなった。1980年2月頃の話である。

 しかし、『わが愛の城』となんとも甘ったるいが一般視聴者向けに『落城記』を改題したドラマの制作準備が徐々に進んでいた同年5月、前述のように野呂は急逝してしまう。向田は野呂の霊前に座し、この仕事を立派に成就させるとともに本命の『諫早菖蒲日記』をいつか必ず映像化することを誓ったという。かくして『わが愛の城』が完成し、放映されたのは翌1981年10月1日のことだ。だがあろうことか、向田はその直前の8月22日、台湾に向かう旅客機の墜落事故で不慮の死を遂げており、この映像を見ることはなかった。かくて『諫早菖蒲日記』にかけた夢も台湾の空に消えたのだ。

 自分はそのドラマの1シーンをいまも鮮明に覚えている。篭城側のリーダーの一人である若武者を演じるショーケンこと萩原健一が、敵襲で騒然とする城内で城主だったかその娘(これが主人公でドラマでは岸本加世子が演じていた)だったかに対し、汗と埃にまみれた合戦姿で「○○でごんす」と野太い声できっぱりと言い切るところだ。その全身から土の臭いを発散するような表情が実にいい、地に足のついた生活とそれに支えられた土着の信念を感じさせる太く低い声も素晴らしい。歌手としての萩原など評価するにも及ばないが、この演技を見て、この人は役者してなら立派にやっていけると思ったものだった。

 このドラマが放映された当時、自分はまだ20代で長女が生まれたばかりだった。仕事は早朝から夜半に及び、共稼ぎ生活の維持に慣れない育児も加わって目も回るほど忙しく、のんびりテレビましてドラマなど見る暇はなかったはずだが、このシーンだけは不思議にくっきり鮮明に覚えているのである。それほどまでにショーケンが演じた下級武士が放つ存在感が強烈だったということだろう。その後、この人が薬物に溺れてその抜群の才能を自ら埋もれさせてしまったのは周知のとおりである。

 さて、『落城記』についてだが、これは豊臣秀吉の命によるキリシタン鎮圧に参軍しなかったためその不興を買い、佐賀の龍造寺家の侵略を受けることとなった伊佐早(いまの諫早)の西郷家最後の日々を、城主の妾腹の娘の視点で描いた物語だ。野呂の他の作品とは違い「落城」という大事件はあるのだが、野呂の筆はその落城までの攻防もさりながら、むしろこの男勝りに活発な少女に起伏する感性の動揺と成長にぴったりと寄り添って進んでゆく。少女には淡い思いを寄せる別腹の文人の素養が薫る繊細な兄があり、また逆にその少女を密かに思う無骨な若い下級武士がいる。

 城を巡る戦いは苛烈だが、それ以前に凡庸な城主、次々に寝返る重臣、戦闘を前に逃げ出す足軽ら、平凡な人々の卑俗な生への欲望が城の運命をすでに決定づけているのだ。リアリストである野呂の目には戦場の英雄も輝かしい武勲もなにほどのものでもない。野呂が書きたいのは血が通った普通の人間の本当の物語にすぎない。そしてそれは、一筋縄ではゆかぬドロドロとした人間とそれを取り巻く諸関係の実相を描きながら、であればこそ瞬き輝く少女の純粋で小さな思いと矜持、若武者の真っ直ぐな思いと、それらゆえ避けられぬ悲劇をより一層、印象的に描き上げることに成功している。ドラマ『わが愛の城』でそれがどれほど再現されていたかは、今となっては知る由もない。ただ、以前からずっと何故かこの脳裏にしっかり刻み込まれて忘れることがなかったショーケンのあの見事な1シーンが、今回の入院を機にたまたま原作を読むこととなって意図せず再現された不思議を思うのみである。年を取るといろいろなことがあるものだ。

  さて、不思議といえばもうひとつ。野呂邦暢が傾倒した詩人に伊東静雄という人がいる。野呂とは同郷で、1906年(明治39年)に諫早で生まれ京大に入学するまでそこで育った。卒業後は大阪府立住吉中学校(戦後の学制改革以後は住吉高校)に奉職、その後阿倍野高校に転勤してそのまま詩人と教師の「二足のわらじ」の生活を生涯続けた。現代詩の代表的詩人として知られ、処女詩集『わがひとに与ふる哀歌』(1935)は当時まだ存命の萩原朔太郎から「日本にまだ一人、詩人が残っていた」と激賞されたという。時代の先端をゆく現代詩を多く発表したが1953年肺結核により死去、まだ47歳の若さだった。

 自分も日本現代詩の雄とされた伊東静雄は知らない詩人ではない。といっても、自分が生まれた大阪で起居した文学者というだけのことで、住吉高校と同学区の天王寺高校の生徒であった頃から小野十三郎らと並び関心のある詩人ではあった。だがいかんせん難解で、もちろん日本語として読めはするが、正直言ってたぶん一行も理解はできていなかったと思う。さすがに野呂はそんなことはなく、伊藤は光と輝きを読む詩人だという。そして野呂はその詩世界の根底に諫早の風土があるのではないかと思った。伊藤の葦原の描写などに諫早の本明川河口に広がる広大な干潟の面影があるというのである。だが、二十歳の野呂が伊藤という同郷の詩人を北海道の自衛隊営舎で知った1957年、伊藤は既に鬼籍に入っていたのだから直接それを本人から確認するすべはなかった。

 野呂は自衛隊を除隊後諫早に帰郷、やがて父の病気が癒えて仕事に復帰し次いで大阪に転勤となり、兄と二人が諫早に残って他の家族が父に従い大阪に転居した機会に、野呂はこの疑問を確かめようと伊藤が住んだ大阪府堺市を訪い、大阪湾東岸に広がるこの葦原を見るのだ。真夏のこととあって「堺の暑さは九州の炎暑に慣れていたものにも」辛いほどだったが、「そこに溢れる光は肥前の激烈な夏」に通じると野呂は思う。さらに「ごく近くに広がる海、松の緑に覆われた小丘群、よく耕された肥沃な大地、それに夜の濃い闇と昼のまばゆい陽光」に接し、野呂邦暢は「堺三国丘は諫早と重なり合う多くの類似点を持っているように思われる」(『詩人の故郷』)と述懐するのである。

 この訪問は1961年(昭和36年)、野呂邦暢24歳の時のことである。高度成長が疾走を始めた当時、まだ堺の海岸には葦が生い茂っていたらしいことがわかる。広く埋め立てられて関電の巨大な火力発電所や新日鉄住金の製鉄所をはじめ、多くの化学工場や製造工場が立ち並ぶ不夜城のコンビナートとなっている現状からは想像もできない情景だ。そんな、まだ田園と砂浜ののどかさ残る堺三国丘周辺、より正確に言えば伊東静雄が暮らした堺市三国ヶ丘40番地あたりを24歳の野呂は汗を滴らせながら彷徨したに違いない。そしていま、わたしはその野呂が徘徊した三国ヶ丘の病院に入院してこの事績を知り、いまこの一文を書いているのである。病室の目の前の庭に手ぬぐいで汗を拭う24歳の野呂邦暢元自衛官の姿が見えるようだ。だがそれから56年、海はいまの三国ヶ丘から遥かに遠ざかってしまった。もちろん病室から望めるはずもない。

 余談だが、この一文を書きながら片目で見ていた楽天対オリックスの試合がいま、2-1で楽天の勝利に終わった。エースの則本が好投し、キャプテンの嶋がしぶとく決勝打を放ち、切り札の松井がなんとか抑えて、本拠地でなんと一ヶ月ぶりの勝利である。別に企業としての楽天を応援するつもりなど更なく、その風土に強く惹かれる東北に肩入れしているだけだが、さすがにこれだけ負けが続くと腹が立つ。ホント、たかが野球だ。放っておけば良いものを、下手に関わるからストレスが溜まるのだ。と思いつつ、できない子供ほど可愛いということもあって、やはり見ずにはおられないのである。困ったものだが、まあ、人間とはそういう懲りないものらしいから仕方がない。ところで、先ほど触れた『わが愛の城』放映の頃に生まれた長女だが、長じていま和歌山から大阪や神戸での対オリックス戦はいうに及ばず、わざわざ仙台まで飛行機に乗って東北楽天イーグルスの応援に行くほど熱を上げている。まあ、親に輪をかけてというべきか、親が親だからというべきか。




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 今回の入院から一週間が過ぎました。しかし与えられたベッドは廊下側で外部への視界はなく、また眠ろうとするとちょうど常夜灯が目に入る位置にあって煩わしいことこの上ない。これを遮るカーテンにも不具合があってどうにもならないので、せめてこれだけは改善してくれるよう要望していたところ、昨日、別の部屋に移されました。

 移動については、入院当初から、できれば外界が見えるベッドにして欲しいとの希望を伝えていたので、それも考慮してくれたようです。移されたベッドからは、アルミサッシの窓に仕切られた小さな世界ではありますが、クスノキやカイヅカイブキ、カラスザンショウなど暖地の樹木や下草が元気よく育っているのが見え、なにより明るく澄んだ初秋の青空を望むことができるのでした。夜半には鈴虫が盛んに鳴くのを耳にすることもできました。

 と思っていたら、これまでの免疫抑制剤に代えて来週から服用する予定の繊維化抑制剤について薬剤師から説明があり、副作用の紫外線による皮膚疾患を予防するため、窓のない部屋に移ってもらうとのこと。「ありゃあ、なんちゅうこっちゃ」です。その薬に光過敏の副作用があることは以前から知っていましたが、もう外出することもないし関係ないと思っていたところが、「室内でも日焼け止めを塗ってもらった方が良いくらい」とのことです。特に処方のはじめは過剰に思えるほど警戒すべし。とはいえ、そんな窓もない穴蔵のような部屋には断固戻りたくない・・とはっきり言ったところ薬剤師、ん~としばらく考えたうえ、まあ、相談してみましょうということになりました。きっと、ベタベタ真っ白に日焼け止めを塗ることになるんだろうなあ・・

 さて、今の腹立ちテーマは政治家の不倫騒動。民進党のホープと言われた山尾志桜里議員、幹事長に内定していたのに発表の直前に降ろされるどんでん返しがあり、何があったのかと思ったら週刊誌に「不倫」(本人は否定しているのでカッコつきにする)を暴露されることがわかったからだった。本日8日昼時点、山尾氏は離党の意思を表明しているそうだ。この前には自民党の今井絵理子議員の不倫が賑やかに報じられた。その前には同じく自民党イクメン宣言宮崎謙介議員だのまたもや自民党中川俊直重婚議員だの、まあそのときどきメディアはあげて「男女の一線」をめぐり盛り上がってきたのである。

 で、この際いわせてもらうが、「それがなんやねん?」。 有名なエピソードだが、フランス大統領だったミッテランは隠し子疑惑が発覚した際、記者団の質問に対し「ええ、で、それが何か?」(oui et alors?)と答えたそうだ。また、年老いまもなく永遠の別れが近いことを悟った時、自分の生涯で愛し合ったことのある5人の女性のもとに足を運び、一人一人に深い感謝の念を伝えたという。ん~、まあ、ミッテランが偉いなどと言うつもりは毛頭ないし(多少羨ましい気はしないでもないぞ(^_^;))、自民党のオヤジ代議士のように「下半身に人格はない」などという下卑た知ったかぶりに与することもないが、政治家にとり本業の重大さに比べれば男女の関係など「で、それで?」という程度のものでしかないとは強く思う。

 山尾志桜里は政治家として有能であり将来もあると思うから、このどうでもいいことで足元をすくわれるバカバカしい事態は残念でならない。一方、今井絵理子など政治のなんたるかすら知らないというか、そもそも学ぶべき思春期青年期を芸能界でもみくちゃにされた結果なのかそれとも自業自得か、今にして中学生程度の学力も怪しいほどなので、本業の方で使い物にならないばかりか明らかに有害ですらあるのだから、不倫しようがしまいが関係なく、そもそもいま国会議員などさせてはいけない人間なのだ。イクメン宮崎謙介も重婚中川俊直も似たようなものだと思うが、安倍チルドレンには晋三親分以下同程度の低脳が滅多矢鱈に多いので、いささか身も蓋もない言い方になってしまうが、彼らの無能ぶりがいまの自民党議員のスタンダートということになって目立たないのがこの国の「国権の最高機関」の惨状なのである。メディアは、不倫などで騒いでる場合ではない。




 前回、退院してやっと落ち着いて、久々にブログを更新して「さあまたやるかあ」と思っていたら、その翌日の診察で即入院。前回の入院で調整し万全を期して導入したはずの免疫抑制剤の副作用と疑われる肝機能の異常な上昇(標準値の5倍)が確認されたからで、急遽これに対処し、その免疫抑制剤に代わる手段を検討するのが目的です。というわけで、この文章を書いているのはまたもや病室、こうなってくると、どちらが我が家かわかりません。

 さて、目下の腹立ちのテーマは世にはびこりいまや猖獗を極める歴史修正主義。「歴史修正」がまあ通り名となっているのだけれど、「修正」というより、「歴史捏造」または「歴史偽造」ないしは「歴史忘却」という方が正確であろう。いわく、南京大虐殺はなかった、日本軍が関与する慰安婦もなかった、731部隊もなかった、そして今回小池百合子東京都知事がなかったことにしたのは関東大震災における朝鮮人虐殺だ。周知の通り、小池知事はこれまで歴代知事(石原慎太郎という名うてのアナクロ歴史偽造主義者も含め)が行ってきた虐殺された朝鮮人への慰霊のメッセージを、一般の震災被害者と同じ範疇で弔うという論理で拒んだ。

 前述の南京大虐殺以下一連の事件が、「あったかなかったか」などといった次元の問題に論及する気は毛頭ない。んなもん議論の余地などない、あったに決まっとるのだ。殺された人数、殺された人たちの名前、不明なところは多いが事件があったこと自体に疑う余地はない。歴史偽造主義のノータリンども、「なぜそういえるのか、証拠はあるのか」などとしたり顔で突っ込んだつもりで無知を晒すのもええかげんにせえよ。すこしでも真面目に調べてみれば事件ごとにその不動のエビデンスなど掃いて捨てるほどあるのだ。一方、今なお細部に不明なところが多いのは加害者側が徹底して証拠を隠滅したからに過ぎない。軍隊も政府も本質的には殺人犯や窃盗犯と同じだ、自分に都合の悪い証拠は徹底して隠滅してきた。あえていわせてもらうが、日本の支配層はそれが特に際立っているのではないか。

 この夏は、過去の戦争を記録する番組でのNHKの善戦が目立った。安倍テレビと揶揄される政権べったりのNHKだが、制作スタッフにはジャーナリスト精神を持つ職員も健在なのだろう。ビッグデータを駆使した広島での被爆死の実相、狂気と無謀のインパール作戦、悪魔のような731部隊の人体実験、終戦後の樺太の戦闘、列島を焼き尽くした米軍の絨毯爆撃の経過など、いずれもジャーナリスト精神を感じさせる秀作揃いだった。

 で、思うのだが、こうしたドキュメンタリーを制作するに際し、NHKのスタッフがエビデンスを求めて例外なく訪うのは米国やロシアやイギリスやその他の国々の歴史資料館なのだ。そこでは、なんと見事に記録や公文書が保存されていることだろう。それを丁寧に紐解き読み進める中で徐々に真相が掘り出されてゆく。番組を見ればわかるとおり、その中には自国に都合の悪いことも少なからず含まれているが、少なくとも完全に隠蔽されてはいない。そうなのだ、歴史上に生起した良いことも悪いことも、その記録を失ってしまえば振り返ることができなくなってしまう。詳細な記録が残されていた米国やロシアなどが偉いなどと言うつもりはない。そうではなくて、近代国家であれば最低限これがフツーなのだ。

 記録や公文書は国の「カルテ」のようなものだといった人がいる。カルテを失ってしまえば病状がわからない。病状がわからなければ、治療の仕方がわからない。以前に罹患した同じ病気でもまた同じ失敗を繰り返すだろう。まして、悪性腫瘍を良性と見誤れば国は破滅だ。

 この前の戦争の開始時点でも、敗戦必至の戦況でも、さらには全国民の頭上に焼夷弾が降り注ぐ状況になってすらも、自分に都合のよい思考しかできなかったこの国の政府や軍部は、最後の局面では自分の保身を最優先に考え、それに不利となる証拠を隠滅することに全力を注いだ。最近リメイク版も上映されたが、終戦前日を描いた岡本喜八監督の名作『日本のいちばん長い日』では、官僚たちが山のような公文書を焼く映像が繰り返し出てくる。その官僚の指示を受け、地方でも海外の駐屯地(例えばハルビン郊外の731部隊でも)でも同じ情景が見られた。この世界最低最悪の国家指導者たちの敗戦間際の行状に、将来の世代が同じ失敗を繰り返さないよう教訓を残すことを考慮した形跡などまったくない。この国の政府や官僚たちが国民を皆殺しにしても守ろうとしたのは国体つまり自らが保身する国家支配の体制であり、軍が国民を人間の盾にしても守ろうとしたのは軍そのものでしかなかったのだ。

 自衛隊南スーダン派遣部隊の日報の隠蔽、森友学園問題や加計学園問題をめぐる数々の公文書の破棄、国会の答弁で繰り返される大臣と政治家と官僚たちのウソ。彼らに大事なのは保身のみであって、将来のために事実を正確に記録する意思など皆無であることがよくわかる。この国の支配層の吐き気を催すようにグロテスクな隠蔽体質は、戦争当時の政府や翼賛議会や軍部と何ひとつ変わっていない。他所の国の指導者がどの程度なのか論評するだけの知見はないが、この自分のことしか考えない最低のクズどもに国家権力を委ねるリスクは覚悟しておいたほうが良いだろう。この国はマジで危ない。

 そうした近代国家としては恥辱の限りともいうべき公文書や記録の不在に乗じて、自分が気持ち良いように歴史を作り変えるのが歴史偽造主義である。自分たちはそれで気炎を上げてハイな気分で自慰して気持ちがいいかもしれないが、モノゴトには相手というものがある。殺したほうが自作のウソで恍惚としているのを、殺された側が黙って見過ごせるはずはない。侵略戦争が終結して70年も経つというのに、日本がいまだ最も近い東アジアに仲良しの国をひとつも持てない現状は、無様というか惨めというほかない。こうなった主犯は仲良くなろうとする機運が盛り上がるたび、歴史を偽造した発言でちゃぶ台をひっくり返してきた自慰バカどものせいだ。

 まあ以前からわかっていたことだが、小池百合子もそのバカに連なる自慰バカであることを今回の事件は示した。バカには鉄槌を打ち下ろして思い知らせてやらねばと思うのだけれど、まあ、見渡せば大臣も知事も官僚もメディアもバカばっかだもんなあ。鉄槌を打ち下ろす人手が足りない一方、なによりバカどもは権力を持っているのである。ああ、まこと、世も末であるなあ。


 といった次第で、ストレスは溜まるばかりなのだが、そのストレスを相変わらず絵でごまかしている。今回は「南スーダンの難民母子」(ウォーターフォードF8)。モチーフは戦場カメラマン渡部陽一さんの公開作品です。


170630 南スーダンの母子 サイズ




 前回の更新から2ヶ月近くが経過してしまいました。実はその最終更新のあと、全然効かない免疫抑制剤を別のものに変更するためひと月近くまた入院する羽目になり、なんとか8月も半ばを過ぎてようやく退院したものの病勢の進行とそれに伴う体力の低下は覆うべくもなく、このブログもこのまま閉じちゃおうかと思ったのですけれど、やっぱ腹に据え兼ねる事が起きると黙ってはいられず、まあ、こんなブログで怒ったところでなんの影響もないのですけれど、取り急ぎ一言だけ。

 放置していたブログを復活させるほどいったい何に腹が立ったかって、要するに昨日早朝の北朝鮮による弾道ミサイル発射をめぐる大騒ぎだ。昨29日5時57分に北朝鮮は平壌付近から弾道ミサイルを発射、自分はバカバカしいの早くから鳴らないように設定を変更しているが、これを受けてJアラートなる「国民保護」警報が携帯電話やスマホなどから一斉に鳴り響き北海道・東北・北関東など12道県の住民に避難を呼びかけた。肝心のミサイルはその頃には北海道南部の500km上の宇宙空間を通過しており、数分後には襟裳岬のはるか東方1200kmに着水したという。要するに、避難など呼びかけることに「国民保護」の必要上何の意味もなかったわけだ。

 北朝鮮がケシカランことは今更言うまでもない。ミサイルが着水した海域には操業中の漁船もあったし空域には飛行中の民間航空機もあった。誤射や空中分解による被害もあり得る。そんなリスクを抱えるミサイルを予告もなしにぶっ放す無法に対しては、厳しく抗議しなければならない。だが、それはそれだ。北朝鮮が日本への攻撃を意図したわけではないし、実際、客観的にみて「北海道・東北・北関東など12道県の住民」に何らかの危険があったとはまったく認められない。北海道南部を通過した地上500kmといえば人工衛星や宇宙ステーションより高い、1200kmというのは「襟裳岬東方」などという表現が適切かどうかってくらい日本の排他的経済水域からも遠く遠く離れた遥かな公海だ。北朝鮮は厄介な隣人ではあるが少なくとも今のところ狂人ではない。北朝鮮のミサイル発射はあくまで米国を交渉のテーブルに引っ張り出すための揺さぶりであって、間違っても交渉相手ですらない日本を攻撃して望まぬ余計な武力紛争を誘発するような愚を犯すはずはないのだ。

 てな程度のことは、我が日本国政府にはもちろんわかっていると思う。というか、わかっていてもらわないとハナシにならないのだが、にも関わらずJアラートを鳴らし、国民に避難を呼びかけるからには、まず薄汚い政権の意図を疑わねばならない。そこには危機感を煽り政権への求心力を回復させようという邪悪な狙いや、戦争ができるよう憲法を変えることへの与論動員に利用したい意図が見え見えだ。だが、朝、テレビをつけてみてびっくりした。全てのチャンネルが通常の放送内容を変更してミサイル一色、民放の一部はコマーシャルをカットし、NHKは売り物の朝ドラを吹っ飛ばした。でもって、当事者たる「北海道・東北・北関東など12道県の住民」が「怖い」「ミサイルが飛んできたらどうするか日頃から考えておかねば」「平和ボケではいられないと思った」などという愚にもつかないコメントを流し、ワタクシから見れば吹き出すしかないほど滑稽な「ミサイル避難訓練」の映像を流すのだ。そう、これらを繰り返し繰り返し延々と流すのだ。

 これは現代に再現された大本営発表にほかならない。前回の戦時に比べメディアは多様化したが、それらはほぼ例外なく一瞬で政府のスピーカーになることがわかった。一方、往時、バケツリレーで焼夷弾空襲に、また竹槍で戦車に対抗しようとした従順で非科学的で権威主義的で付和雷同する皇国臣民も健在で、バカバカしいことこの上ない「ミサイル退避訓練」に可哀想な子供たちを巻き込み大真面目で取り組んでいる。まともな批判精神などどこにもない。安倍晋三とそれを取り巻く極右どもはアホだが、この国に分厚く分布するそれ以上にアホな国民の同調圧力と軽薄なメディアのグロテスクな相聞歌が、きっとこの国を再び滅ぼすことになるだろう。もちろんそれを喜ぶわけではないが・・・





 重要な二つの国際会議があった。まず、歴史的な意義があるものとして核兵器禁止条約を採択した国連の会議、そしてもうひとつは年中行事だけれどG20サミットだ。

 核兵器禁止条約は国連加盟国の約3分の2が賛成して成立、核保有国など非締約国に適用されないとはいえ、核兵器の「開発、実験、生産、製造、取得、所有、貯蔵」「使用、使用の威嚇」を明確に禁じる画期的な国際合意だ。これにより核兵器は無差別殺戮の道具としての倫理上の問題にとどまらず、国際法理の面からも違法な存在となった。核保有国やその核の傘のもとにある国々が参加していないことから実効性に疑問が出るのは当然だが、同様に国連の条約で禁止された地雷だってクラスター爆弾だって参加していない国は少なくないが、これらの国々も使用をためらう状況には追い込んでいる。違法の烙印を押すことはそれ自体で使用に縛りをかける大きな意義があるのだ。

 唯一の核被爆国である日本の政府は残念ながらこの歴史的な合意に背を向けた。北朝鮮の核開発への対策上、賛成できなという言い分は理解できないではないが、唯一の被爆国として出席し被爆者を支持したうえで採択は棄権するという選択肢もあった。そうならないのが対米従属が体質化した政府の限界なのだろう。

 もうひとつのG20サミットについてもひとこと。トランプのバカをどう扱うかが日本を除く「G18」の頭痛の種だ。周知の通りトランプは安倍晋三並みの恐るべきバカなのだが、なかでも国際社会が迷惑しているのは地球温暖化対策パリ協定からの離脱とアメリカファーストの保護貿易政策だ。で、パリ協定の方は米国を除く19カ国で結束してパリ協定に取り組むとの共同声明を採択、保護主義についてはメルケルらがしきりに自由貿易の重要性に言及したものの、トランプに配慮して反保護主義を強く打ち出すことはためらわれ、なんだか奥歯にものが詰まったようなあいまいな言及に留まった。

 ということなのだが、パリ協定はともかく、貿易や世界経済のあり方についてはメルケルら現代世界の正常な脳みそ側が必ずしも正しいとも思えない。彼らが金科玉条に賛美するグローバリゼーションとは要するに多国籍企業に最大利益を保証することを最優先する思想及び政策であって、それは多国籍企業の経済成長のおこぼれよりむしろ世界の労働者の貧困と飢餓を増やし、貧富の格差を劇的に拡大し、世界を一つにするという表向きのスローガンに反して世界を分裂に導くものだからだ。

一方世界では、米国におけるバーニー旋風、英国におけるジェレミー・コービン率いる労働党の躍進など、トランプならざる道理にかなった反グローバリズムの潮流がたしかに成長し始めている。かけがえのない人々の運命を多国籍企業の自由にはさせない。そんなまともな声が広がってゆくことを期待したい。

 さて、またもの朋美ネタだが、この人、台風が来ていたことも知らなかったらしいことが話題になっている。以下はあるサイトからの引用。

 4日は、永田町でも台風の警戒が呼びかけられ、午後4時過ぎには豪雨の注意と窓の施錠を呼びかける放送が議員会館内でも流されました。
 その放送をたまたまエレベーター内で聞いた稲田大臣は、お付きのSPと秘書官に「えーーー? 台風が来てるの? 知らなかったーーっ! ニュースになってなかったよね」と言ったそうです。
 そのエレベーターに乗り合わせていた男性秘書は、空気が凍ったのを感じたといいます。かろうじて、秘書官が「そうですね」とか細い声で答えたそうです


 もう今さらだが、こんな手合いでも務まるのが防衛大臣というものらしい。で、さらにこの人については「天に唾吐く」を絵に描いたような見事な話もありまして・・

 以下は、第179回国会予算委員会の議事録からの引用。引用者は、「当時野党だった自民党の稲田朋美氏が当時の一川防衛大臣を政治とカネの問題で糾弾する際、防衛大臣の資質を強い口調で問い詰めていますが、その内容を読めば読むほど「えっ、自己紹介?」と言いたくなってしまいます。これぞまさにブーメランです」と呆れています。

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 防衛大臣、あなたは自分の役目がわかっているんですか。あなたの役目はこの国を守ることであって、あなたの身の保身を守ることじゃありませんよ。いいかげんにしてくださいよ。
<2>
 大臣、もう一度、これだけ混乱をさせて、官僚の責任じゃないんです、あなたの責任なんです。この混乱を、自分が受けとめて、この場で辞任を表明されるべきだと思いますが、この場で表明をされませんか。
<3>
 あなたは公じゃなくて私を優先しているんです。そして、自分の保身を優先しているんです。そんな人にこの国を守れるわけありませんから。 今の大臣の答弁を聞かれて、総理、それでも総理は防衛大臣を更迭しないで、そして防衛大臣を守るおつもりですか。
<4>
 不用意な発言が多過ぎる。素人だなどと発言をされました。総理、御自分のことを素人だなどと発言している防衛大臣を置いておくこと自体、国益に反しますよ。そんなおめでたい政府は世界じゅうどこにもありませんよ。防衛大臣が、自分は安全保障の素人だなどと言っている、そんな人を防衛大臣に据えている、そんなおめでたい国はどこにもなくて、世界じゅうからの笑い物ですよ。
<5>
 笑わせないでくださいよ。国民目線と言うのであれば、素人を防衛大臣にしないでほしいというのが国民目線ですよ。

 弁護士であるにもかかわらず、都議選で自民党公認候補を応援する際に「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と、憲法・自衛隊法・公職選挙法違反の数え役満をやってのける、まともな答弁もできないなど、法律のエキスパートとしても国務大臣としても資質に疑問符が浮かばざるを得ない稲田朋美氏。ここまで見事に過去の自分に刺される政治家も、珍しいのではないでしょうか。


 輪をかけてズブの素人だってことを暴露しまくってる稲田朋美さん、貴女は「世界中の笑いもの」どころか存在自体が迷惑というか安全保障上の危機という事態に立ち至っているのですよ。もはや自衛官の誰も貴女を信頼してはいないでしょう。当然のことながら「そんな人にこの国を守れるわけありません」よね。貴女はそれでも安倍晋三が更迭しないのを良いことに「保身を優先」しておられるのですぞ。 

 まこと、バカにつける薬はないですなあ。