ぼんやりしているうちにオリンピックは終わり、夏も過ぎようとしています。というのに、ブログは放ったらかしでまたトップに無断でコマーシャルが掲載されるようになってしまいました。(一カ月更新しないとCMが掲載されるのです)。
 というわけで、とりあえずまたも山の会の機関誌に連載しているコラムを転載。今回はイチョウの話です。


植物百話 8

     イチョウと失われた世界

 3年前に挑んだ森林インストラクター資格試験では、木の葉を見て樹木の名前を言えることが、森の専門家として最も基礎的な素養のひとつとされていました。そこで受験対策として、図鑑片手に近所の森や植物園に出かけては木の葉の特徴を観察し記憶するのに励んだわけですが、こんなことせずとも最初から同定できたのがイチョウでした。まあ自分に限らず、スギとヒノキの区別すらつかない素人でもイチョウの葉を間違う人はないでしょう。こんなになじみ深いイチョウですが、調べてみると色々面白いことがあります。

 まずイチョウは針葉樹の仲間か広葉樹の仲間か。「針葉」から受けるイメージはマツのように細く尖がった葉です。イチョウの葉はそんなイメージとは似ても似つかず、外観は広葉樹っぽいのですが実は針葉樹の仲間なのです。ポイントは葉脈で、広葉樹の葉脈が網状に枝分かれして葉の末端に達しているのに対し、針葉樹では葉脈が平行に並んでまっすぐ葉の末端に至ります。イチョウの葉脈は末広がりになっている点でマツなどとは異なりますが、葉脈が分枝しない点で針葉樹の仲間と同じなのです。

 そんなわけでイチョウは他の針葉樹と同じ裸子植物門に分類され、以下イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属と分類されてゆくのですが、実はこの分類に属するたった一種の樹木なのです。「網」という大きな分類レベルですら一種のみというのは大変なことで、世界広しといえどもイチョウには裸子植物門レベル、つまりマツやスギなんてイチョウとは似ても似つかない植物に至るまで、特徴を共有できるようなお仲間の種がないということなのですね。これに対し例えば「ヒト」は脊索動物門哺乳綱サル目ヒト科ヒト属ということで、ヒト属レベルでチンパンジー、ヒト科レベルではオランウータンなどの仲間に恵まれ、さらにサル目まで広げれば仲間に不自由はしません。こう比較してみると、イチョウという種はまるでこの地球上の生命進化からかけ離れた孤島のようです。

 どうしてイチョウだけがこんな特異な位置にあるのか。それはイチョウがかつて繁栄した種族の唯一の生き残りであり「生ける化石」と呼ぶべき植物だからです。これまでに発掘された多くの化石からイチョウの仲間が繁栄したのは中生代(2億5000万年~6500万年前)から新生代にかけての時代で、その後の氷河期に唯一現存するイチョウを残して他の仲間はすべて絶滅したと考えられています。

 厳しい氷河期が終わったとき、イチョウ一族はそのほとんどすべてが死に絶え、現在私たちが見るイチョウのみが、中国安徽(あんねい)省で細々と生き延びていました。それが日本はじめ世界各地に人為的に広げられて現在に至っているわけですが、日本名の「イチョウ」は中国語でアヒルの足を意味する「イアチァオ」に由来するといいます。これはもちろん、イチョウの葉の形からアヒルの水かきのある足を連想した名前だったのでしょう。またイチョウの実を表す日本語の「ギンナン」は「銀杏」の唐の発音「ギン・アン」が語源、いずれも生き延びた土地の言語と文化をその名前に伝えているのですね。

 さてその銀杏、私たちが食用にするのは正確には銀杏の実ではなく、実の中にある種子の堅い殻を割って得る仁という部分なのですが、あの美しいエメラルドグリーンの実(仁)のモチモチした食感は茶わん蒸しに欠かせませんし、フライパンでさっと炒めて小塩を振れば酒のアテにも絶好ということで、その季節の山行のアプローチで黄葉したイチョウを見つけると、少々到着が遅れるのも承知でメンバー全員、その後のテントでの酒宴の予感に舌なめずりしつつ銀杏拾いに精を出したことが何度もあります。しかしその際、あの強烈な匂いにはいつも閉口させられました。この悪臭は果肉となっている外皮にあり、落果して間もないときは気になりませんが、熟したりつぶれたりすると強烈な悪臭を放ちます。

イチョウは日本の街路樹で断然トップの樹種ですが、日本からこれを輸入し街路樹にしたドイツはこの悪臭に困り果て、実をつける雌株の使用を禁止したほどです。・・といった悪臭のため大概の動物はギンナンを餌には選びません。鳥類がついばみに訪れることもないし、ニホンザルやネズミほかの哺乳類も全く近づきません。最近の研究ではアライグマだけは例外的に食べるようですが、喜んで食べているのかどうか。

 さて、そもそも植物が実をつけるのは、動物にそれを報酬として与える代わりに実の中の種子も飲み込ませ、肥料となる排泄物と一緒に広く散布してもらうためです。さらに言えば、匂いはその動物を実に呼び寄せるための撒き餌だったはずです。なのにその匂いが嫌われ、肝心の実が見向きもされないようなことでは、銀杏を作るのはイチョウにとって資源の浪費というか徒労にしかならないことになってしまう。唯一例外のアライグマは北米原産で日本にも原産地の中国にもいません。では、イチョウはいったい誰を種子散布の担い手と期待して銀杏の実をつけてきたのでしょうか。

 ここからはワタクシの想像たくましく・・といった話になるのですけれど、イチョウが種子を運んでもらおうと頼りにしたのは今は亡き恐竜だったのではないか・・ 先に書いたようにイチョウ一族が繁栄したのは中生代という地質時代ですが、これをさらに詳しく分けると三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と呼ばれる時代区分になり、これはこの地上に恐竜たちが誕生し、繁栄し、そして滅亡していった時期とぴったり一致するのです。

 この想像を裏付ける傍証もあります。動物の嗅覚の良し悪しは脳のうち嗅覚をつかさどる嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の部位が脳全体に占める比率で測れるのですが、最近カナダの科学者たちは、恐竜のそれが現在の鳩程度に優れていることを解明しました。つまり、当時の植物にとり、匂いは種子を運んでもらう相手つまり恐竜を引き付ける有力な道具として使えたということです。

 我々には猛烈な悪臭でも、恐竜たちには得も言われぬ芳香だったのかもしれません。多くの恐竜たちのうちの一群はあの強烈な匂いに引き寄せられて銀杏を食べ、糞と一緒にイチョウ族の種子を散布してその繁栄に貢献したことでしょう。しかし、そんなイチョウの生存戦略上不可欠だったパートナーも今はもういません。ですが今日に至るまで6500万年もの間、イチョウはくる年もくる年もひたすらパートナー好みの匂いの実を作り、ただその再訪を待ち続けてきたのです。これはもう、プッチーニの蝶々夫人もテレサテン(古いか?!)が繰り返し歌った「待つ恋」も真っ青の飛びっ切りの悲恋ではありませんか。

 イチョウは別名「公孫樹」ともいいます。「公」は祖父のこと、おじいさんが植え孫の代でやっと実をつける樹という意味です。そのイチョウの種子も他の樹木同様、親の近くでは育てませんから、遠くへ運んでくれる動物がいない今は人の手で植えてもらう以外に子孫を残す手段がありません。もし山でイチョウを見かけたら、それはどんな山奥であっても間違いなく人が植えたものであり、かつてそこに人の暮らしがあったことを示しています。

 絶滅して久しい恐竜たちの時代、そして過疎からやがて崩壊した山村の暮らし、
イチョウの樹はいずれも失われた世界の記憶を内に秘めつつ、秋ごとに見事な黄金色に染まっては、無心に銀杏の実をつけているのです。



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 ステロイドパルスの第2ラウンドを昨日終了。この治療では要するに暴走する免疫をしっかり叩いているわけなので、感染症への抵抗力が落ちているため不用意には動けず、これが回復するまでは待つしかない。というわけで、今日は連休のせいもあって空きベッドが目立つ静かな病室で、ただひたすら時間が経過するのに身を委ねている。

 こんな時、無聊を慰めるのはやはり書物だ。入院するに際して池井戸潤の本を二冊持参したほかは、全てKindleからダウンロードして読書をしてきた。その一部を以下、備忘録的に。

 まず持参して読了したのは池井戸潤の「下町ロケット」とその続編の「下町ロケット・ガウディ計画」。これが面白かったので、引き続き同じ著者の初期の作品から電子書籍をダウンロードして「空飛ぶタイヤ」上下巻と「鉄骨」、さらにTVドラマにもなった半沢直樹シリーズで知られる「俺たちバブル入行組」とその続編「俺たち花のバブル組」を続けて読んだ。

 自分の評価としては、面白さの順で言えば「空飛ぶタイヤ」が一番、次いで「下町ロケットシリーズ」と「鉄骨」が同程度で、半沢直樹シリーズは期待はずれだった。これらの作品はいずれも圧倒的な力を背景に成立している世の不条理に対する孤独な戦いがテーマだ。長々と評論する気はないが、面白さの差はその不条理を覆していわば正義(とも一概には言えないのだが)が困難な戦いを勝ち抜いて行く物語の説得力にあるように思う。

 下町ロケットシリーズではこの説得力を支える戦いの武器は町工場が持つ世界最高水準のバルブの特許で、これがあることで町工場が国策に君臨するロケットメーカーや医療機器メーカーに伍することができたのだった。また「空飛ぶタイヤ」では、業務上過失致死に問われた小さな運送会社の社長が巨大自動車メーカーの「脆弱なシャフト」という技術欠陥を突いて、そのメーカーを身売りという事実上の経営破綻に追い込むし、「鉄骨」では中堅ゼネコンの画期的なトンネル掘削技術特許が政界も絡む堅固な談合システムを崩壊に追い込む。キーワードはいずれも「技術」なのだ。

 ところが、半沢直樹シリーズにはこの説得力のある小道具が出てこない。金融業では作りようもないのだろうけれど、その代わりに出てくるのは、同じ銀行内の幹部行員たちの不正だ。半沢はそれらの不正のあおりを受けて覚えのない迫害を受けご存知の「倍返し」の復讐劇を展開するのだが、これは通常には考えられないような不正がなければ成立しない物語であって設定自体のリアリティに無理がある。しかも相手は明らかな犯罪に類する所業に手を染めているというのに、半沢の「倍返し」の復習はせいぜい、彼らを出向させたり左遷させたりの程度で済んでしまうのであり、例えば「空飛ぶタイヤ」の蟻のようなちっぽけな主人公が結果として巨像のような自動車メーカーを壊滅させてしまうのに比べ、読者はフラストレーションが募るばかりだ。

 これは、半沢自身が同じ銀行の一員として出世して行くというこの物語の規定の枠組みの限界であろう。つまり、半沢が務める銀行が潰れては物語は続かないのであるから、表に出せば社会の批判を浴び株価の時価総額が値崩れを起こすような決着のつけ方はできないのだ。この二点、説得力のある戦いの武器がリアリティを持たないこと、戦いの結果がなんとも中途半端にとどまらざるをえないこと。これが半沢シリーズを面白くなくしていると思う。テレビドラマはキャストの妙もあって大ヒットしたようだが、これは原作よりシナリオの力に負うところが多いと思った。ついでながら例の決めセリフ「倍返し」は、原作では二箇所程度しか出てこない。

 さて、ストーリーとしては面白くても、このようなストーリーだけを急いでたどる現代の物語も悪くはないのだが、自分としては今では古典となった名作の味わいも捨てがたい。特に、こんなに時間があるときには、じっくりこの国の文学作品が醸し出す豊穣な世界を再訪する好機だ。こんな時、実に便利なのがKindleでも無料で簡単にダウンロードできる青空文庫だ。入院前から多くダウンロードしておいて、まとめて以下のようなものを読んだ。

 夏目漱石  「それから」「行人」「門」
 谷崎潤一郎 「鍵」「恐怖」「三人法師」「盲目物語」「少将滋幹の母」
 中島敦   「山月記」
 中原中也  「夜汽車の食堂」「宮沢賢治の世界」
 今野大力  「宵の星」
 柳田國男  「遠野物語」
 坂口安吾  「インチキ文学ボクメツ雑談」
 太宰治   「女生徒」
 木暮理太郎 「北岳と朝日岳」

 このうち、半分くらいは青年時代に読んでいるし、山月記や遠野物語は参照する必要もあって再三読んでいると思うが、やはり全ていい。中身ももちろん味わい深いのだが、それに加えて何よりも文体が素晴らしい。特に夏目漱石や谷崎潤一郎の文体には、今の日本語が失ってしまった馥郁とした香りが漂い、それに触れるだけで気持ちが良くなる。

 漱石の文体は、いまでは惜しくももう使われることのなくなった漢語をやや多く含んだキリッとした漢字仮名交じり文で、このなんというか、背筋がしゃんと伸びた格調の高い日本語で、四季の情景と仔細な心理が見事に叙述され、深く心地よい読後感を残してくれる。また、谷崎の文体は、しっとりと潤いを含みたゆたいつつも微妙に崩れない慎みを持って、柔らかに読むものの内面に浸りこんでくるのだ。中島敦の徹頭徹尾、とんがり抜いて挑戦的な文体にもまた心から魅せられる。先人は、日本語の世界にこのような芳醇な恵みを残してくれた。無聊の床にあっても、こうした恵みに満たされた至福な時間を持ち得ることに感謝したいと思う。

 

  
 

 
 この病院でこれまでの病名診断が異なる可能性があることが指摘されたことについては昨日のブログで書きました。そうして新しく出会った慢性過敏性肺炎(CHP)とは一体いかなる病気なのか。昨日に続き極めて個人的な持病の話題ですし、もとより医療従事者ではありませんから患者として調べられた範囲に過ぎないのですけれど、職場の仲間や親しい知人にわかりやすく説明するつもりで書いておこうと思います。

 どこから説明するか迷いますが、とりあえずざっくりと一番初歩的なところから肺炎についてです。肺炎は大きく分けて、気管支から肺に至る組織いわば肺の内側が炎症を起こすものと、肺を取り巻く組織=間質つまり肺の外側が炎症を起こして壊れガス交換機能が阻害されるものの大きく二つに分かれます。ご存知のとおり肺炎は死亡原因の上位にランキングされる怖い病気ですが、風邪を拗らせてもなるくらいありふれた疾患という一面もあり、前者の場合は治癒すれば肺機能は回復し損傷を残すこともありません。一方、「間質性肺炎」と呼ばれる後者による肺機能の障害は不可逆的で、一度失われた機能が回復することはありません。

 この間質性肺炎も大きく二つに分けることができ、うちひとつは原因がはっきりしているものでわかりやすく言うとフツーの間質性肺炎、そして今ひとつは原因がわからないものでこれが特発性間質性肺炎と呼ばれます。特発性間質性肺炎はさらに6つばかりのタイプに分類されており、一番多いのが肺線維症(IPF)でこれが7割程度を占め、次いで私が診断された非特異性間質性肺炎(NSIP)が1割程度、残り2割が他のタイプになります。

 一方、原因がわかっているフツーの間質性肺炎の方ですが、こちらは原因となる要因として大きく、薬剤、膠原病、そして環境が挙げられています。薬剤では例えば抗がん剤のイレッサですが、これを投与された患者の多くがその副作用で間質性肺炎となり薬害訴訟が起こされたことは記憶に新しいところです。その他、間質性肺炎を副作用に上げている薬剤は結構あり、漢方の中にも原因となるものがあります。次に膠原病とは関節リウマチや強皮症など全身の結合組織の変性を原因に発症する病気の総称で、この病気の影響で間質性肺炎がこれら膠原病の発症の後または前に発生することがわかっています。そして最後が環境要因によるもの。問題の慢性過敏性肺炎(CHP)は、この環境要因により発症する間質性肺炎なのです。

 ついでながら過敏性肺炎には慢性だけでなく、急性、亜急性のものもあるのですが、これらは気温が上がると活性化する環境中の真菌類を吸い込んで一時的に肺の機能低下を引き起こすもので、もちろん重篤に至るケースもありますが環境を変えれば症状は和らぎ、秋が深まれば概ね沈静化する病態であり、また肺の内部が損傷されるケースが大半であるためここでは説明を省きます。

 ということで、やっと焦点の慢性過敏性肺炎(CHP)です。慢性過敏性肺炎も急性と同じく環境中の同じ因子を原因として発症するのですが、暴露期間がはるかに長いこともあって、発症した時点では環境要因を除去しても必ずしも病気の進行が止まるとは限らず、間質の炎症や線維化といった病態が途切れず進行するケースが多いのです。そしてこうして進んだ病変は不可逆的で、破壊されたガス交換機能が回復することはありません。こうした病態は肺線維症(IPF)や非特異性間質性肺炎(NSIP)と酷似していることから病名の診断は非常に難しく、そのため、この病気についてはまだわからないことがたくさんあるようなのですが、2009年に厚労省の指定を受けて行われた全国調査では確定診断後の5年生存率は47%程度であり、IPSよりはマシだがNSIPよりは悪いというあたりのようです。ま、別の調査結果もありあてにはなりませんが、もちろん特発性間質性肺炎同様の難敵で楽観できるような病気ではありません。

 で、対策。難敵とはいえ、特発性と違って環境に原因があることはわかっているのですから、とにかくその要因を取り除けば進行を遅らせることができる可能性があるかもしれません。ということでその要因の特定をまず急ぎます。これまでのこの病気に関連して得られた知見では、原因となりうる環境中の物質は200種類にも及ぶと推定されていますが、圧倒的に多いのはなんと鳥。2013年に実施されたCHP全国サーベイでは222症例中134人、実に6割で鳥がアレルゲンになっていました。鳥の飼育者に多い肺疾患として「鳥飼病」は以前から知られていたとのことで、これを「鳥過敏性肺炎」という名称で他のCHPから分離して取り扱うという話もあるそうです。

 では、鳥の一体何が問題かというと排泄物。鳥類は飛行用に限界まで体重を減らそうと消化時間を減らして頻繁に排泄します。その排泄物に含まれる一部のたんぱく質が羽毛などに付着するとともに空中にも浮遊しており、これを繰り返し吸引することでアレルギー症状を起こすそうです。アレルギーを惹起するメカニズムは複雑になりすぎるので触れませんが、この鳥の排泄物を発生源とするアレルゲンを吸収しても慢性過敏性肺炎を発症するのは特異な体質の人だけで、多くの人は平気か悪くても一時的な急性過敏性肺炎に罹患するだけです。まあ、なんと不公平なこと。

 次いで、原因と目されるのが、先に急性過敏性肺炎の説明でも取り上げた真菌類を原因とするもの。これは夏型過敏性肺炎と呼ばれるもので前述のような急性もありますが慢性化するものもあります。先の全国サーベイでは33人、約15%がこれに該当しました。真菌類とは要するにカビで、汚れたエアコンや加湿器、湿ったカーペットなどが発生源と考えられています。さらにその次がこれと原因は特定できないものの、住まいの環境に問題があると考えられるもので自宅型過敏性肺炎と呼ばれ先のサーベイでは25人、約11%が該当しました。先のカビ以外の様々なハウスダストが原因物質ではないかと推定されますが、対象物質が特定されているわけでなく詳しいことはわかっていません。それ以外に、藁を扱う農業者に見られる農夫肺などもありますが、詳細にわたりすぎるのでこの辺でおきます。

 さて、では自分が仮にCHPだったとしたら原因は何なのか。やはりまず鳥との関係からう疑うべきでしょう。でもどうやって? 調べてみたところ、鳥過敏性肺炎について臨床経験が豊富な天理よろず相談所病院の論文に掲載された問診表を発見しました。設問は概略以下のような内容です。

 1、鳥を飼っていますか
 2、ご自宅の庭やベランダ、隣家の庭などに鳥が飛んでくることが
   ありますか
 3、鳥の集まるところへ行く機会がありますか 
 4、鶏糞など鳥の糞を扱うことがありますか
 5、ご自宅に鳥の剥製がありますか       
 6、次の羽毛製品の中で使っているものに丸をつけてください。
    羽毛布団、羽毛枕、羽毛の服(ダウンジャケットなど)
    その他

 1〜5の回答も6問と同様に細かく選択肢があるのですが、それはまあいいでしょう。さて、まず1、4、5は該当しません。2、自宅は瀬戸内海国立公園の一角、和歌浦の小高い山の中腹にあり周囲は照葉樹林ですから、もちろん野鳥もそれにカラスもトンビも多くやってきます。鳥の声で目覚めるのがここに住む魅力の一つだったのに、それが問題になるとは思いませんでした。3、鳥の集まるところ、さてどこでしょう。鳥は代表的な森林性生物でありその圧倒的多数の種が森林を生息域としています。そして私の生きがいはまさにその森を含む山岳自然をめぐることだったのです。そして6、羽毛布団も羽毛服もそれに羽毛のシュラフも重宝して使用していました。やはり鳥のリスクは否定できないようです。

 主治医からは私が退院する前にダウン製品をすべて処分すること、以後も鳥類や羽毛製品との接触を出来る限り避けること、止むを得ず森林自然の中に出かけるときは必ずマスクを着用することを求められました。はあ、もしかしたらこれまで足繁く山や森を跋扈渉猟してきたことが、この病気の原因なのかもしれないのですねえ。なんだか、一生をかけて命がけで惚れ抜いた女性に、最後の最後、思い切り振られたような感じですよ。・・・でもまあ、それで生命を落とすならいいじゃん、これこそ本望という気もしないではないんだよねえ。なんというか、不思議に納得です。

 次いで自宅の真菌つまりカビやハウスダスト類の対策。主治医はやはり私が退院する前に、自宅を全面的にハウスクリーニングにかけるよう求められました。なんだか帰宅後は無菌室で生活するような感じです。このように長期に入院させる理由は今回の場合ステロイドパルス治療の必要が第一ですが、場合によってはアレルゲンとなっている可能性がある自宅から隔離するために入院させることもあるようです。これで好転した肺機能が、帰宅してアレルゲンにさらされた場合、急性増悪を起こす可能性があるため、入院中にそれを除去してしまおうというわけです。

 こうした帰宅後の対策を立てながら、今はステロイドパルスの第二ラウンドにチャレンジしているわけです。これで症状の急激な進行をなんとか食い止め、安全な環境に戻って慎重に対策を重ねながら、定期的な検査で病状を評価しつつ大好きな登山とは縁を切った新たな生活を穏やかに模索してゆく。もちろんうまくいく保証はありませんが、ともあれこれが私の病気に対する基本的な方針というわけです。なんかなあ、これまでめっちゃ突っぱりまくって賑やかにやってきた人生だったもんなあ、人が変わったみたいになるんじゃないかなあ・・ ま、それもいいか。 実際、どうなるかわかりませんけどね。


 

 

 実はいま、東京新宿付近のある病院に入院しています。入院したのは7月5日でしたから今日でちょうど10日、主治医によれば退院まで、まだこれから一週間ほどかかるとのことです。

 自分が特発性間質性肺炎(のうちのNSIP=非特異性間質性肺炎)に罹患していることはこのブログのプロフィールにも記していますし、それを発見した経緯や胸腔鏡下肺生検の経過についてはこのブログに書いてもきました。完治が望めない難病で、タイプにもよりますが予後は一般に不良。目覚ましい成果を上げている現代医学をもってしても、肺の線維化を遅らせる薬や免疫抑制剤などの助けを借りてできるだけ延命を図るのが精一杯という、一生付き合い続けるほかない厄介な相手です。

 この病気に罹患していることが判明したのは3年前の8月1日。以来、2年余にわたって特に治療は行わず経過を観察してきましたが、肺の炎症を示す幾つかの血液マーカーはいずれも徐々に高くなり、その一方で肺活量などの肺機能は測定するたびに低下し続けてきました。中学時代から6年間ある程度本格的に金管楽器を吹いていて腹式呼吸に慣れ、長距離走の成績も上位であったことから、自分の心肺機能にはいささか自負するところがあったのですが、この病気に罹患していることが分かった時点での肺活量は、自分と同じ年齢、同じ体格の標準値のすでに7割しかありませんでした。

 ただそれまで、肺機能が落ちていることについての自覚が全くなかったわけではありません。自分の生涯をかけての生き甲斐は登山であり、最も熱中していた時期はすべての休暇という休暇を山に費やし、ヒマラヤやカラコルムまで足を伸ばして年間140日を山で過ごしたほど半ば狂気に近い打ち込みぶりでした。30代半ばで新聞記者稼業を営みながらのこの無茶苦茶。こんな社員をクビにしなかった会社は偉かったのかボンクラだったのか、今更ながらありがたいことではありました。ま、バブル全盛の人手不足、加えてモノを書ける労働者などほとんど皆無の地方都市ならではの蜃気楼だったかもしれません。

 ともあれ、手足が短い分、岩登りでの華麗なムーブでは長身のクライマーに遅れをとるものの、重荷を担いで坂道をかけ上がったり、腰まで埋める雪の中に進路を開くラッセルでは無類の強さを自慢にしていたのですが、それが7〜8年前から徐々に思い通りにいかなくなり始めていたのです。とにかく息が無茶苦茶に苦しくって仕方がない。最初はトシのせいともトレーニング不足のせいとも思い、あらためて毎朝のジョギングなども始めたのですが、状況は一向に改善されない。それどころか、やがては見るからにビギナーの高齢登山者にも次々に追い抜かれるに至り、これはさすがにおかしいと受診した結果が、先の病気でした。

 話は戻りますが、経過を観察している2年の間に、肺活量はさらに落ちて昨年10月の時点では標準値の6割にまで低下しました。一方、ちょうどその頃、肺の線維化を遅らせるオフェブという新薬が承認されたため、これを服用して様子を見ることになりました。要するにやっと経過観察ではなく「治療」が始まったわけです。しかし、肺の炎症を示すマーカーに変化はなく、肺機能の低下にもストップはかかりませんでした。そんな中でこの6月、無謀なことをしてしまいました。

 こんな肺の状態で「登山」はもう無理ですが、長年鍛えた足腰は頑強なので肺に負担がかからない「下山」なら大丈夫だろうと、病気が判明して以後も、登りがないか少ない山を歩き続けていました。富士山五合目から精進湖への「下山」や利尻岳始め北海道の山々の踏破記録はこのブログで紹介した通りです。その一環で6月11〜12日、大台ケ原から宮川ダムまで大杉谷を下る山行を計画したのでした。パーティを宮川ダムから登る部隊と大台ケ原から下る部隊の二つに分け、途中一泊する桃ノ木小屋でランデブーして車のキーを交換するいわゆる交差登山、もちろん自分は下山組です。

 このルートは懸崖を際どくへつるようにたどるリスキーなコースで転落死亡事故も度々起きていますが、自分はこれまでに3回トレースしたことがあり、いずれも鼻歌交じりで気楽に歩いた記憶しかありませんでしたので、非常に気楽に考えてました。ところが、これが病人には大違い。大台から桃ノ木小屋まで標高差1200mの基本はもちろん下りなのですが、その中にも登りはそこそこあり、これに肺が耐えられずへとへとに疲れ切り、コースタイムを大幅にオーバーして登山組が待つ桃ノ木小屋に息も絶えだえで倒れるように転がり込む結果になってしまいました。

 さらに翌日、桃ノ木小屋から宮川ダムまでは標高差わずか200m、どうにでもなるだろうと歩きだしてみれば予想に反して厳しいアップダウンの連続です。あとで調べてみれば、800m登って1000m下っての標高差200mというわけで、これも肺が破裂しそうになりながら、仲間に荷物を全て持ってもらい、空荷になってなんとか倒れる寸前で宮川ダムにたどり着いたというところでした。正直、最悪の場合、この途中で終わっちゃう可能性もあったと思います。新聞ダネにならなくてホント良かった。しかし、この厳しい登りが3回のトレースの記憶に一切ないとは・・・ 元気だった当時と今の自分との落差に呆然としたものでした。ともあれ、自分の登山はこれで全て終わりました。

 なんとか生還はしましたが、この登山は肺にかなり大きなダメージを与えました。日常生活での息苦しさが強くなり、咳が切れません。職場の階段を上るのも難渋するに至り、このままでは本格的にヤバい、治すのはどのみち無理にしても、せめてこの咳だけでもなんとか制御しなければ仕事も普通の生活もできない。というわけで、「息苦しさの緩和」をキーワードに、久しぶりにこの病気についてマジに調べ直してみました。そこでヒットしたのが今入院している病院というわけです。その病院はT先生を中心に呼吸器疾患について多くの経験を蓄積しており、「息苦しさの緩和」で一定の成果を上げておられるようでした。現状ではどうしようもありませんから、試しに早速連絡を取ったところ「T先生はもう新患は受けておられない」との説明でしたが、まあこれはダメ元ということで、とりあえずT先生が外来を担当しておられる6月24日に予約を入れて上京したのでした。

 紹介状もないいきなりの外来で、しかもできればT先生にと受付でお願いしたところ、「T先生は新患は受けない」と電話時と同じ説明で「それは約束できない」とのこと、それに加え「待っていただくことになります」とのお返事でした。でも、結果として、待ちはしましたが、病院側のご配慮でT先生にお会いすることができました。診察室に入ると、T先生は自分が持参したデータをご覧になりながら非常に難しい表情です。しばらく問診を行われた上でT先生、難しい表情のまま腕を組んで自分の方に向き直り、「病名からして違っているって言ったら貴方、どうします?」と尋ねられたのでした。

 「え〜!?」だよねぇ。病名を確定するためにあの辛い肺生検も耐えたのに、それが違うってどうよ。何とリアクションしていいかわからない自分に対し、T先生は「オフェブは全然効いてませんね」と断じた上、画像を示してNSIP(非特異性間質性肺炎)ではない可能性についての説明をしてくださいます。しかし、では何という病気なのか。そう尋ねた自分に先生は、手元のメモ用紙を引っ張り出して「慢性過敏性肺炎」と書いてくださいました。これは最初に和歌山市内のCT専門医で「間質性肺炎」と書いたメモを渡された時とそっくり同じシチュエーションで既視感がありました。T先生、そのメモをトントンと指先で叩きながら、「でもね、ま、違うかもしれんけどね」とくすっと笑っておっしゃいました。実際、病名を特定することは非常に難しいそうです。「ま、それはもっと調べたらわかるかもしれませんし、それは別としても、あなたの場合は打つ手があると思います」

 「どうします」って、今のままではオフェブは結局ダメだったし、あとは咳をしながら座して衰弱するのを待つしかない身なのですから、「打つ手がある」なら試してみたいですよね。そう答えると、T先生は対策を行うなら早いほうがいいと翌週の火曜日(6月28日)からの入院を手配されました。しかし、入院中に行う検査で準備できないものがあるとのことで、診察を終えて待っている時に再度診察室に呼ばれ、先生から一週間順延しての入院を指示されました。つまり7月5日です。その日で入院の手続きをして病院を出、折角上京したのだからと新国立近代美術館で開催中のルノワール展に立ち寄って和歌山に帰りました。ルノワール展はとても充実しており満足しましたが、人ごみもあってすっかり疲れました。今の体調では展覧会にすら行けない。そんな印象も受けての帰路でした。

 和歌山に戻った翌日、改めて紹介状を書いてもらうため主治医を訪ねました。紹介状は今更だったのですが、この間に蓄積した検査データがどうしても欲しかったこと、それに5日はちょうどこの主治医の診察日に当たっているため、それを延期してもらう相談もあってこのとでしたが、事情を説明したところ、「では、こちらでの診療は終わりになります」とあっさり破門(?)されてしまいました。ま、この病院では他にすることはありませんので、これはこれでいいでしょう。円満に協議離婚といったところだと思います。また、まだ使えそうな山の道具はすべて、「紀峰山の会」の中で比較的先鋭な山行を志向する同人グループである「紀峰塾」のメンバーたちで分けてもらうよう手配もしました。これで私の登山は「卒業」です。

 かくして7月5日、夜行バスで前夜に和歌山を発ち、この病院にやってきました。入院の手続きを終えると間もなく主治医となる若いS先生が自己紹介にやってこられ、T先生にもバックアップしていただきながら治療して行く旨、説明がなされました。また日中、幾つかの検査を終えた上で夜、再び訪問されたS先生はミーティングルームで、これまでに得られたデータも参照しながら私の病気そのものについてや今後の方針について、詳しく説明してくださいました。

 6日、7日は追加しての検査、そして8日が最初の山場である気管支鏡検査でした。いわば胃カメラの肺臓版で、鉛筆大の太さの管を気管支から肺組織に差し込む検査、目的は肺細胞を少量採取して診断をつけること、そして生理食塩水で肺の一部を洗浄したうえ細胞成分を回収して治療の方向性を決めること。ただ、自分の場合はすでに2年前の肺生検で細胞の採取を行いその結果NSIPと診断はついているので(それが正しいかどうかは別として)、今回は二つ目の目的がメインとのことです。これにより、どんな薬剤が有効かが推定できるとのことでした。

 小さな異物でも激しい咳で排出しようとする気管支にチューブを入れようというのですから、非常に苦しい検査が想定されましたが、案ずるより産むが易しというか、それほどの苦痛はなく終えることができました。特に気管支鏡から麻酔液を吹き出す際(計8回)、必ず咳き込むのは仕方がないのですが耐えられる程度です。あとで話をしたT先生は、「それがうちのウリですから」と微笑んでおられました。「と言って、特別なことをしているわけではないんですよ、とにかく丁寧に慎重にやっているというだけのことです」

 その8日夕からステロイドパルスが始まりました。ステロイドパルス療法は、ソル・メドロールというステロイド薬剤を連続6回にわたり集中投与するもので、腎臓病の治療で多用されるほか、間質性肺炎では一般に急性増悪とよぶ非常事態への対策として救命治療に用いられていますが、一般的な治療で使用されることはあまりないように思います。しかし、慢性過敏性肺炎が疑われる私の場合は、効果がある可能性があるということで選択されました。静注自体は1時間程度で終わります。これを8日夕から始めて、9日朝夕、10日朝夕、11日朝まで繰り返しました。

 まあ、プラシボ効果ということもあるのかもしれません。静注が終わった後は、なんとなく息がしやすい気がするのですね。それで最初の静注が終わった8日の夜、たまたま病棟にやってこられたT先生に調子を尋ねられたので、「気のせいか、空気を爽やかに感じます」と話しところ、先生にっこり笑って、「そうですか、それは気のせいでしょう」と言われました。はあ、やっぱね。

 こうしてステロイドパルスをワンクール終了、効果を見極めて第二弾に行くかどうか判断するわけですが、プラシーボ効果を除けば自分で呼吸が楽になった感覚はあまりありません。しかし悩んでいた咳はほぼ収まりましたので、これだけでも大助かりです。肺活量も治療前に比べわずかながら改善しました。ただこれは、数値自体誤差の範囲といった程度ですし、咳が少なくなった効果が反映されているだけかもしれず、評価が難しいところです。一方、聴診の結果は改善されているとのこと。全体としては要するに、呼吸機能の急速な低下をかろうじて食い止めることができたかどうかって段階ではないかと思います。

 ということで12日、所定のインターバルを置いてステロイドパルスの第2ラウンドを実施することが決まりました。13日、14日はそのインターバルによる待機。そして今朝、15日朝から第2ラウンドが始まりました。

 以上がこれまでの経過です。あまりに個人的な内容で書くかどうか迷ったのですが、後で振り返る際に役立つこともあろうと考えて、ここに記録しておくことにしました。その後の経過、入院生活に伴うその他のことなど、また機会があれば書いてゆきたいと思います。



 
  
 

 
  
 
 昨日、歴史的な…という割には盛り上がりに欠ける気もするが、参議院選挙がスタートした。焦点はなんといっても自公プラス大阪維新ら補完勢力からなる改憲派が、衆院に続き参院でも3分の2以上を占めることを国民が許すかどうかだ。「息を吐くようにウソをつく」安倍は、例によって争点は経済などととぼけているが、国民が嫌う改憲など一言も言わずに選挙をやり過ごし、それで勝てれば改憲発議に突っ走ることは目に見えている。政治に携わる者としての誠実さなどかけらもない、本当にどこまで腐った奴なんだろう。

 と、選挙の話はもちろん大事なのだが、今回はスポーツの話題。ロシアは陸上競技に続き重量挙げでも国としてリオ五輪に出場できない見通しとなった。周知のとおり陸上と同じくドーピング違反が発覚したからで、重量挙げについてはロシアだけでなくカザフスタン、ベラルーシ、それにブルガリアも同じ理由でリオ五輪から締め出されている。ロシアでは「99%の選手が行っている」との証言もあり、国を挙げてドーピングに手を染めていた疑いが濃厚だ。薬物汚染は広く浸透し闇は深い。

 さて、リオ五輪締め出しというと、少し前の事件だが、メダルが期待された日本のバドミントン選手が賭博関与を理由に処分された件を思い出す。世界ランキング2位まで登りつめていた桃田賢斗選手(21歳)と、その先輩で日本選手権6連覇の実績を持つ田児賢一選手(26歳)の二人は、共に東京・錦糸町の闇カジノに通っていたことが発覚し、バドミントン協会から桃田選手は無期限の競技会出場停止処分、田児選手は無期限の登録抹消つまり事実上の永久追放処分を受けた。この結果、二人ともリオ五輪への出場は不可能になったわけだ。

 まあ、裏社会の勢力が絡む賭場に出入りしていたわけだから、とりあえずのところ、このような処分も致し方ないか、とは思う。しかし、釈然としないのだ。競輪、競馬、競艇にパチンコ、パチスロ、さらに宝くじやロトからサッカーくじに至るまで日本はまさにギャンブル天国であって、2009年に厚労省の助成を受けた研究班が調査したところでは、日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.6%、全体平均で5.6%にギャンブル依存症のリスクがあった。これは同様の調査によるアメリカの0.6%、カナダケベック州の0.25%などと比較し、一桁以上高い水準であり、同年の成人人口(国勢調査推計)から計算すれば、男性は483万人、女性は76万人、合わせて559万人がギャンブル依存症のリスクを持っていることになる。

 正確な統計はおそらくないと思うが、実際に調べてみれば日本が世界一のギャンブル大国にランキングされる可能性は小さくない。そのおかげでパチンコに熱中して車中に放置した幼児が熱中症で死ぬなどこの国では普通のニュースだし、ギャンブルで家計が破たんして家族が路頭に迷ったり自殺に追い込まれたりするなど珍しくもない。(パチンコのような公然博打が隔離されることもなく生活圏で合法的に営業しているなんて日本くらいじゃないだろうか)。そんな目が血走ったギャンブル病人がゾロゾロ横行する国で、さらに公営カジノを設置しようなんて、狂気としか思えない政策が政権与党を中心に堂々とまかり通るのがこの国なのだ。

 そこで考えるのだが、仮に桃田選手らが競馬やパチンコに熱中して大金を蕩尽していたらどうだったろう。ん~、いや、考えるまでもないな、協会の処分もなければ、リオ五輪からの締め出しも絶対になかったはずだ。もちろんマスコミの攻撃もない。では、同じギャンブルに関与したのに、いったい何が違うのか。答えははっきりしている。胴元が違うのだ。競輪、競馬、競艇、それにくじ類の胴元は実質的には国か地方自治体等であり、パチンコ、パチスロは民間だが周知のとおりバックには警察権力がピッタリ張り付いている。つまり、お上が胴元ないし国家権力公認なら博打で破産しようが気が狂おうが死のうが、社会的には何の問題にもなりはしない。

 んな国で、たまたまお上公認でない賭博に手を染めたからと言って、このギャンブル天国のマスコミだの政治家だの協会のオッサンだのが居丈高に二人の若者を叩きまくる図には心底げっそりさせられた。ええ? お前ら、そんなエラソーなことが言えた立場か? これよりしばらく前には、プロ野球での賭け事の横行がやり玉に挙がった。巨人のように試合結果を賭けネタにしていたのは八百長に直結する行為だから、これはもちろん厳重に処罰しなければならない。しかし、その余波で複数球団が、試合前の景気づけに軽いノリでやっていた声出し担当選手への報償金の賭けなど、まあ決して感心はしないし止めたほうが良いとは思うのだけれど、あれほど目くじらを立てて騒ぐようなことか。

 聖書のヨハネによる福音書に「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」というイエスの有名な言葉がある。あるとき、イエスと対立するパリサイ人や律法学者らが不倫を犯した女を引き立て、「(イエスが信奉する)モーセの律法に従ってこの女を石で撃ち殺さねばならない」と言うのに対し、イエスがこの言葉を返したというのだ。そして、誰一人として石を投げることができた者はいなかった。本件のテーマに即していえば、「汝らのうち、競馬もパチンコも賭けマージャンもしたことがなく、宝くじも買ったことがないもの、まず石を投げうて」ということだ。コジローは競輪競馬はもちろんパチンコすらしたことはないが、宝くじは何度か買っているので石を投げる資格はないと思う。

 永久追放された田児選手は、バトミントンが国技であるマレーシアで、これまでの経歴を生かせる新たな生き方を模索しているらしい。一方、桃田選手も国内での練習を再開したそうだ。彼らのこれからの生き方はもちろん自由だが、もしコジローの希望を言わせてもらえば桃田選手も、それまでの手放しの評価から手のひらを返したように無分別なバッシングに殺到するこんな国などさっさと飛び出して、どこか別の国で次の五輪(あえて「東京」とは言わない)なり世界選手権なりを目指してみてはどうだろう。そこで日本代表をコテンパンにやっつければ、自分のことは棚上げして若者たちの小さなミスにひたすら厳しいこの国の厚かましい面々にも、少しは薬になるのではないかと思うのだが。