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 昨日29日午前、録画してあったNHKの『西郷どん』を観ていたら、なんと島津斉彬が藩主である実父の島津斉興にロシアンルーレットで禅譲を迫るというぶったまげ仰天シーンに出くわして目がテンになった。ん~、もうなんというか、いくらフィクションとはいえここまでふざけると、マズイとか呆れるとかの域を遥かに通り越して言葉もない。この視聴者を馬鹿にした度の過ぎる「おちゃらけ」を時代劇としてまともに批評しようとした自分のおめでたさを笑うしかないのだった。

 まさかそのせいでもあるまいが、昼食後、しばらくしてから咳が止まらなくなり、16時まで耐えて頑張ったがもうこれは限界だと思って救急車を呼び、和歌山県立医大附属病院に入院した。もう自宅の駐車場まで歩く力すらなく、救急車以外に移動方法はなかったのだが、それでも意識はきわめて清明、指もなんとか動かせるので、このようにキーボードを叩いて文章を綴ることができるのはありがたい。

 受け入れてくださった医師は自分の状況を観察してこれまでの治療は中止し、緩和ケアで対応すると説明、家族や近しい人には早く連絡して会っておくよう助言してくださった。状況がさらに悪化すれば鎮静剤(モルヒネ)を増量するほかなく、そうすれば意識が薄れてコミュニケーションが困難になる。そのことを見越してのご助言だ。長引けば療養型の病院に移されることもありうるが、恐らくもう再び自宅に帰ることはない。ということで、このブログもこれが最後の記事になるだろう。

 自分の死生観については、先にこのブログの記事『呼吸不全者の咳対処法』に書いたとおりであり、この期に及んでいまさら思い悩んだりするようなことは一切ない。胸に去来するのはただただ感謝の念だけだ。最近、その想いを見事に表現した歌を友人に教えてもらった。竹内まりあ作の『いのちの歌』がそれで、ご存知ない方のため、歌詞は以下のとおり。すべての歌詞が胸にしみるがわけても「いつかは誰でも この星にさよならをする時が来るけれど 命は継がれてゆく 生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう この命にありがとう」と結ぶラストが秀逸。これこそまさに今この瞬間の自分の想いそのものだ。流行歌や芸能などは全く門外漢でなんの知識もなく恥ずかしいのだが、世の中には本当にすごい人がいるものだと感心した。

  生きてゆくことの意味 問いかけるそのたびに
  胸をよぎる 愛しい人々のあたたかさ
  この星の片隅で めぐり会えた奇跡は
  どんな宝石よりも たいせつな宝物
  泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
  そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影
  二人で歌えば 懐かしくよみがえる
  ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

  本当にだいじなものは 隠れて見えない
  ささやかすぎる日々の中に かけがえない喜びがある

  いつかは誰でも この星にさよならを
  する時が来るけれど 命は継がれてゆく
  生まれてきたこと 育ててもらえたこと
  出会ったこと 笑ったこと
  そのすべてにありがとう
  この命にありがとう



 大勢の方がこの歌をカバーしていてユーチューブでいくつかは視聴もできるのだけれど、この中で自分としてはシンプルな合唱がもっとも気に入っている。歌もさりながら、バックに流れる動物の親子たちの写真がまた素晴らしい。無心な動物たちの親子の汚れない無私無条件の情愛に、自分たちが生きる世界の美しさが凝縮されている。そう、世界は本来、かくのごとく美しいのだ。だが愚かな人間のせいで、その美しい世界が危ない。以前にこのブログでも書いたが、人類は近い将来、多くの可哀想な動植物を道連れにして自滅するだろう。

 環境問題を語るときに「Point of no return」という言葉が使用されることがある。日本語に訳せば復帰不能点、元は故障等で不調となった航空機が離陸した空港に戻れる限界点を意味したらしく、これを超えるともう元に戻ることはできない。地球温暖化は目に見えるほど急速には進まないが、悪い要因が積み重なり促進し合って加速し、ある一点を超えるともうどう対策を講じても破局を避けられなくなる。この限界点を「Point of no return」と呼んだのだが、ジェームズ・ラブロックという有名な科学者はすでに20年も前、「そんなものは遥か昔に超えていて人類の破滅は不可避だ」とうれしくない太鼓判を押していた。だが、ラブロックは続けて「といって心配するには及ばない」という。「人類の残した悪行など500万年もあれば浄化され地球は本来の姿に戻る」からだ。

 『いのちの歌』が奇跡が出会うと歌った「この星」=地球はいま38億歳で、その寿命は100億年ほどという。その100億年の寿命における500万年は、人間の寿命80年に換算すれば2週間ほど。人類という新種のウイルスに罹患して悪性の風邪をひき、こじらせて床上げが長引いた程度の感覚だろう。ちなみにこの人類ウイルスが放射能を撒き散らすとか地球を破滅的に温暖化させるとかの悪行が300年続いたとすれば、同じ尺度でこの期間は72秒程度。ほんとうに短い時間なのだ。となると風邪というより低温火傷か捻挫くらいの感じかも知れない。ともあれ、だからラブロックは地球の立場に立って、心配しなくていいというのだ。ま、絶滅する人類にはなんの慰めにもならないが。

 人間は自らの母胎たる自然に対し傲慢になりすぎた。というか人間の中でも愚かな者ばかりがリーダーになり、結果として自滅への道を選んできた。滅びるのは自業自得でやむを得ないだろう。だが幸い、それまでにはまだ時間がある。人類の運命を左右する権力を握るのは愚か者であっても、市井には賢く真面目で人情豊かな人びともまた綺羅星のようにあまたいて、「ささやか過ぎる」かもしれないけれど「かけがえのない喜び」に満たされた日々を美しく暮らしている。

 自分はそんな素敵な人々と、仕事や活動や学びの場で、山や森や川で、どれほど多く出会えたことだろう。やはり飛び切り幸せな人生だったのだとあらためて深く思う。そんな素敵な出会いに、そしてもちろん出会ってくださったすべての人々に、ただ心から、ただ心から感謝あるのみだ。

 そんな素敵な友人の一人、遠くで暮らす高等学校ブラスバンド部の後輩が自分の現状を知って先日、一句詠んでくださったので、それに返して、このブログに書いたようなことを考えながら下手を承知でひねってみた。ま、ひとり残らず誰もがいつかは降り立って息をつく終着駅での感慨だ、「才能なし」も愛嬌のうちである。 とまれ、それを辞世としてこのブログを閉じたい。
 ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


      億年の、永久にもいのち冬銀河




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