昨日15日午後、八ヶ岳を構成するピークのひとつ阿弥陀岳の頂上に近い南稜で表層雪崩が発生、登山中だった3人パーティが巻き込まれて300mを滑落、女性一人が死亡し男女各一人が重軽傷を負った。同パーティは八ヶ岳を熟知する地元の30代男性山岳ガイドが業務として60代の女性2人を引率していた。報道によれば、八ヶ岳は数日前の陽気でいったん解けた雪がこのところの冷え込みで堅く凍り、その上に新雪が積もって表層雪崩が起きやすい状況にあったらしい。

 原村から取り付く阿弥陀岳南稜にハイキングレベルの道はなく、特に稜線に出てからは夏でも厳しい岩尾根のバリエーションルートになる。まして積雪期、山のプロが初老の域にある女性客を引率して挑むからには、安全に踏破できる確証があってのことだったと思うが、どこで何を読み誤ったのだろうか。和歌山で収集可能なわずかな情報から安易な憶測は慎みたいが、雪崩に対する備えの重要性を改めて知らされる事件ではある。

 私が所属する紀峰山の会も、同じ八ヶ岳で冬の主稜縦走に挑む計画を立てていた。南八ヶ岳主稜は阿弥陀岳南稜に比べ入山者こそ多いが、冬山の経験がそうないメンバーたちにとり難度は同程度だと思う。そこで問題になった課題の一つが雪崩対策だ。自分はこのパーティのメンバーではなかったが、冬の八ヶ岳ならもう10回以上寝泊まりして大概のルートを登っているし、雪崩についての知識も経験もそこそこある。そこで老婆心ながら助言したことを、会誌『紀峰の仲間』に発表したのが以下の文章。ブログの更新がままならず恥ずかしいのだけれど、関心があれば読んでください。



     コラム  雪崩のリスクと対策を考える

 今回は、植物百話をひと休みして雪崩のリスクとその対策について書こうと思う。この間、紀峰塾が企画した南八ヶ岳主稜縦走を巡っていくつか質疑応答があり、特に冬山の大きなリスクのひとつである雪崩への対処法について、会全体で共有しておく必要を感じたからだ。

さて、冬山といえば直ちに雪崩の恐ろしさを連想されることが多いが、実際のところ雪崩による登山者の死亡事故はそれほど多いわけではない。冬山での遭難事故原因についての正確なデータが見つからないので、これまで長年、山岳遭難報道をしつこくチェックしてきた自分の印象から語るしかないのだが、冬山で一番多い死亡原因は滑落で凍死がこれに次ぐのではないかという感じだ。

 入山者の数からみて以下の大半は夏山での事故だろうが、警察庁生活安全局がまとめた『平成25年中における山岳遭難の概要』によれば、遭難(死亡事故に限らない)の原因は道迷いが41.8%でトップ、17.0%の滑落さらに14.5%の転倒がこれに次ぐ。冬は氷雪という環境が滑落や転倒のリスクを高め、夏なら道迷いで済む小さなトラブルが酷寒の冬山では凍死に直結するという差があるだけで、遭難原因自体に夏冬違いがあるわけではないだろう。ちなみに雪崩による遭難者数は全体の0.7%に過ぎない。

 にも拘わらずこの程度のリスクに不釣り合いなほど雪崩に大きな脅威を感じるのは、滑落や道迷いが登山者の注意や努力で相当程度まで回避可能と思われるのに比べ、雪崩はその多くが登山者の失策とは無関係に発生するのに加え、滑落や道迷いに比べ遭遇した際の致死率が格段に高いためだろう。

 たしかに、雪崩の予測は専門家でも難しい。自分はこれまでの長い山行生活を通じ雪崩に3回遭遇しているが、そのうち2回はやはり不意打ちの印象だった。雪崩発生のメカニズムなどひと通りは勉強し、弱層テストもしてそれなりに警戒はしていても、自然はそんな人間の事情など考慮してはくれない。条件さえ整えば斜面にビシッと亀裂が走ってその下の雪が動き始め、速度を増し、やがて斜面全体が崩れ落ちてくる。

 こうしていまコラムを書いているからには生き延びているわけだが、例えば穂高の吊り尾根直下にあるトリコニー(靴裏に打つ鋲の意味)と呼ばれる岩場を登攀している最中、背後の岳沢大滝付近で起きた底雪崩では、轟音の直後に爆風と雪煙が押し寄せ、危うくしがみついていた岩から身体が引きはがされるかと思った。大きな雪崩のパワーは本当に総身の毛がよだつほどにすさまじい。

 とはいえ、いずれの場合もパーティに危険が及ばなかったのは、ヤバそうな斜面は用心して迂回したり疎林帯を直登するとか尾根通しに歩くとか、できるだけ雪崩が起きそうな状況から距離をとるルートを意識していたからだ。雪崩自体は何の予兆もなく突然に起きたが、「危うきに近寄ら」ない君子の警戒は有効だった。ついでながら自分が遭遇した残る1回は立山の雄山直下から黒部湖へ、不安定な斜面にスキーで不用意に踏み込んだ自分が引き起こしたのだから警戒もくそもない自業自得だった。しかしこのときは幸い雪崩の頂点にいたため、波乗りのように雪崩に乗ったまま斜面を下り事なきを得た。

 だがもちろん、不幸にして雪崩に飲まれた場合のことも考慮しておかねばならない。雪崩による死亡原因の半ば以上は窒息だ。雪に埋まってからも生きているケースは多いのだが時間の経過につれ窒息のリスクが増し、生存可能性は加速度的に低下する。つまり、どれだけ早く掘り出し呼吸させるかが生死を決するのだ。もちろん状況にもよるが、おおむね半時間以内に救出できるかどうかで生死の比率は逆転するといわれている。

 だから、冬山登山や山スキー(最近はバックカントリースキーなんて言ったりもする)では、アバランチビーコン(電波信号の受発信機=埋まった人の位置を特定するのに役立つ)、ゾンデ(=プローブ=雪に突き刺して遭難者を探る棒)、そして雪スコップを「雪山の三種の神器」などと称し、持参することが推奨されている。

 だが、「三種の神器」を持ち上げすぎる昨今の風潮も疑問だ。なぜなら、これらを効果的に活用するには事前にかなり練習して使い方に習熟する必要があり、持参するだけでは「神器」も無用の長物に過ぎないこと。さらに、実際にホンモノの雪崩を掘ってみればわかることだが、道具の使い方に習熟し遭難者の埋設地点を特定できたとしても、デブリの堅く締まった雪を掘るのはとんでもない重労働で、二次遭難のリスクがない状態で人海戦術がとれる場合以外、雪崩で深く埋まった人を救うのは実際には非常に困難だということが、きちんと伝えられていないように思うからだ。

 優れた道具は命を救える可能性を高めるが決して万能ではない。自分としては、最悪の事態に備え、使い方に習熟したうえで三種の神器を持参すべきとの意見に大いに同意はするが、山スキーや冬山には、こうした雪崩遭難の過酷な現実を理解し受容したうえで行くべきで、やはり雪崩対策の基本は、あくまで天候と地形と雪質を読み尽くし、慎重にルートを選び、進退を判断し、とにかく遭遇しないことに尽きると思うのだ。

 さて、この項の最後に今回紀峰塾の冬山で話題になった「雪崩ひも」の件。自分がまだ紅顔(厚顔ではない!)の若者・・だった頃、ビーコンがまだなかった当時は、10mほどの赤い荷造りヒモや毛糸を腰に結び、尻尾のように長く延ばして行動するような不格好なことをしていた。万一雪崩に巻き込まれもみくちゃにされても、軽いヒモは風圧で飛ばされて雪面上に出る可能性が高いからだ。

 当時、雪崩ひもは小さく丸めて輪ゴムで止めておき、雪崩が起きたら輪ゴムをほどいて放り投げるのが使用法として伝えられていたが、パニックに陥ること必定の状況下、そんな悠長なことをしている余裕があるのか、またこんな方法でちゃんとヒモが伸び切って雪の上に出てくれるのか、いずれも自分としては確信が持てなかったので、やむを得ず雪崩の発生を否定しきれない斜面付近を通過しなければならないときは、紀峰のパーティ全員事前にひもを伸ばし、赤く長い尻尾を引きずって歩くようにさせていたのだった。

 もちろん万能ではないが一部でも雪面に出ていれば、ビーコンより遥かに早く遭難者にたどり着ける優れた道具だろうと今でも思う。ちなみにかたやビーコンは一台数万円、こなた雪崩ひもは一本せいぜい5円程度、コストパフォーマンスでいえば勝負にならない圧勝だ。紀峰では三種の神器と雪崩ひも両者を併用するとともに、これらを使用しなくて済むよう、雪崩との遭遇を未然に避ける学習と経験の蓄積に努力してほしいと思う。

 繰り返すが、きちんと対処すれば雪崩のリスクは一般に思われるほど大きなものではない。実態以上に恐れず勇んで冬山に出かけようではないか。その素晴らしさ、そこで得られる感動は、雪崩のリスクなど補って余りあることは間違いないのだから。



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 今年のいわゆる「シルバーウィーク」は曜日の組み合わせがよく、その後のウイークデイを2日休めば9連休になる。これを使わない手はないので、北海道の道央道東地域へ7泊8日の山旅を計画した。

 スタートは19日の土曜日、関空午後2時発のフライトで新千歳空港に飛び、車中泊も可能なワゴンタイプのレンタカーに乗り換える。天候は残念ながらしっかり雨だ。当初の予定ではまず十勝岳の登山口である十勝岳温泉に向かうところだったが、明日午前中まで雨が続くという予報なので計画をきれいにひっくり返し、最後に訪ねるはずだった釧路湿原にまずは向かうことにした。湿原を歩くだけなら雨もウエルカムだ。

 道東道は最近、釧路手前の白糠(しらぬか)まで開通しており助かるがそれでも遠い。終点の白糠インターで降りる頃には日もとっぷりと暮れ、いったいどんな所を走っているのやら、家屋など人工の灯りなどまったく見当たらず、先行する車も後続車も絶無で対向車もほとんどないメッチャ淋しい真っ暗な道を、ヘッドライトが照らし出す小さな視界に叩き付ける土砂降りの雨だけを見つめながら走り続けること2時間弱、ようやく見つけたオアシスのようなコンビニでなんとか当面の食料を調達し、ホッと一息ついたのだった。「いやあ飢え死にしなくてよかった、やっぱ北海道は広い!」とつくづく思いつつ、釧路市に近い道の駅「しらぬか恋問(こいとい)」で車中泊とした。

 明けて20日は小雨。まず釧路市立湿原展望台まで走り、7:20から1時間かけて同展望台を起点とする一周2.3kmの遊歩道を歩いた。その一角で釧路湿原を見下ろす大展望が得られるが、道はほとんどが展望の利かない森の中を縫っており期待外れ。計画ではこの周遊路からさらに3km先のビジターセンターまで歩き、路線バスに乗って展望台に戻るつもりだったのだが、「ノロッコ号」に乗車する時間の関係で割愛。その代わり、ビジターセンターに車を乗り付けてそこを起点とする3.2kmの木道を一周した。この木道はまさに湿原の中を巡っており、その広大さを実感できる。途中、タンチョウヅルのカップルを目撃し、メスのエゾシカにも二度出会った。

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湿原展望台歩道からの眺め。広大な釧路湿原を一望できるがあいにくの天気でよく見えない

 釧路駅に直行し、11:06発の釧路湿原観察特別列車ノロッコ号に乗る。同列車は武骨なジーゼル機関車が牽く5両編成。日曜日とあって指定席は満席だが自由席で十分だ。釧路駅から塘路(とうろ)駅まで、往路は立ったが帰路は特等席に座って釧路湿原の風景を楽しんだ。釧路駅に戻り付近のスーパーで食料を調達。斜里岳に登るため知床へと長い道をひた走った。

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  ノロッコ号の機関車

 この日の泊地は清里町の道の駅「パパスランドさっつる」。格安の日帰り温泉も併設の道の駅で、駐車場は車中泊族で満杯だ。晴れていれば斜里岳の端正な姿を望めそうだが、この日は頂上にしっかり雲。もう運転することはないので、地元産のジャガイモ焼酎の無料試飲を楽しんで自炊し車中泊した。

 21日は斜里岳登山。4時に起床して行動開始。道標に導かれて舗装路からダートの林道に入り、夜明け頃に登山口の清岳荘駐車場に到着した。早速身支度を整え5:50から登山開始だ。樹林帯をわずかに歩いて出た林道の先から登行が始まる。と、これがなかなか手ごわい。ルートは前日までの雨で増水した一の沢川に沿っているのだが、この道を登るのになんと13回も石飛びの渡渉を要求される。頼りの飛び石は遠いうえ水面下の石もあり、足の短い者には辛い試練だ。これをなんとかこなして6:55に下二段、8:35に熊見峠と進む。熊見峠からは「ふたこぶラクダ」の背のような斜里岳の全貌を望むことができる。さらにひと頑張りで9:30に上二段、そこからの厳しい急登をこなして10:30にようやく快晴の馬の背に着くことができた。

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 熊見峠から望む斜里岳。左側のピークが頂上で、ふたこぶの右側の鞍部が馬の背。ハイマツ帯をなだらかにたどる登山道がよく見えているが、その先から馬の背までがきつい。

 馬の背は斜里岳(1536m)頂上直下の鞍部で、西にはカムイシュ島を浮かべた摩周湖が、また北西には知床連山の山並みとさらに海を隔ててすぐそこに国後島をくっきりと望むことができる。頂上まではあとわずかだが、ここまで標準タイム3時間10分の登りに4時間40分を要した自分の体力と、帰路に再びあの厄介な13回の石飛び渡渉が待ち構えることを考慮して自重。その場に寝転んでたっぷり高山の空気を吸い、その雰囲気を楽しんでから11:25に下山を開始し、14:25清岳荘に帰り着いた。朝登ったダートの林道を下り、途中通過する「パパスランドさっつる」の温泉で昨日に続き再び汗を流してから、長駆して日暮れ前に津別町の「道の駅あいおい」に到着した。

 22日は3時に起きて、真夜中の道を雌阿寒岳の登山口となる野中温泉へ走る。途中、立派な角を持つオスのエゾシカやキタキツネに出会った。野中温泉着は4時半、準備を整えて5:20に登行を開始。ヒグマ除けの鈴を鳴らしてゆくが、夜明けにその日のトップでヒグマの領域に侵入するのはさすがに気味が悪い。しかし、すぐにキノコ狩りの老夫婦が追い越してくれたので、気が楽になった。

 登り始めはエゾマツとトドマツの針葉樹林だが、6:20に到着した三合目が早くも森林限界で、そこから上はハイマツ帯となり展望も開ける。五合目には7:00に到着。天気は快晴、やがて眼下にオンネトー湖が見え、また人工物一つない広大な樹海が果てしなく広がっていて実に豪快な眺めだ。7:20に七合目。雌阿寒岳(1499m)は活火山で登頂が規制されており、いま登れるのはここまで。ということで、いささか消化不良気味ながらこれで登頂とするほかない。8:00に下山を開始し、9:40に登山口の野中温泉に帰着した。その途中、ハイマツ帯でマツタケを採取している夫婦(朝の夫婦とは別)と遭遇。ちょうど奥さんが密生するハイマツの奥に潜り込んでマツタケを見つけたところで、巨大なマツタケを3本収穫している最中だった。男性の横に座っていた犬はふもとの温泉のムクという飼い犬で、ここまで勝手について登ってきたそうだ。

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噴火警戒のため、雌阿寒岳で登れるのはここまで。登山道がロープで閉鎖されている。

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 ハイマツにもマツタケが生えると初めて知った。なかなか立派なマツタケだが、傘が開ききっていて匂いはイマイチだった

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  登山口の温泉宿から夫婦についてきた「迷犬」ムク。かなりのご高齢だ。

 まだ時間は早いが、尋ねてみると入れそうなので温泉で汗を流すことにする。温泉は野中温泉別館と今は宿泊を受け付けていない元ユースホステル、さらにやや登った景福旅館にもあるが、パッと見た感じ、一番景色のよさそうな元ユースホステルに入れてもらった。ここは格安の200円。脱衣所にも籠しかない素朴な湯だが、白濁した湯が素晴らしく、秘湯の雰囲気もたっぷりで楽しませてもらった。

 そこから次の登山口へ移動する手もあったのだが、オンネトー湖から見上げる雌阿寒岳と阿寒富士の姿があまりに美しくて立ち去りがたく、湖に接するオンネトー国設野営場で幕営することにした。野営場から雌阿寒岳は望めないのだが、快晴の昼下がり、湯上りでサッパリした身体に木漏れ日を浴びながら、早くもビールを流し込んでしばしまどろむ、自称「野宿のプロ」には幸せいっぱいの贅沢な時間だった。

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  オンネトー湖から望む雌阿寒岳(左)と阿寒富士。

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  オンネトー国設野営場に張ったテント。

 23日、3時半に起きてテントを撤収し4時前に野営場を後にする。ナビに入力すると次の目的地層雲峡へは180㎞もある。もっと近いと思っていたのでこれは誤算だった。慌てて未明の国道を疾走する。ところどころ霧が出て視界が遮られるが、幸い先行車は皆無で信号もほとんどなく、ロープウエイの始発時間ちょうどに層雲峡に到着することができた。

 ロープウエイとリフトを乗り継いで7:25、七合目から登行開始。大勢の登山者や観光客に次々に抜かれながら、急登の道を自分のペースでゆっくり登ってゆく。8:10に八合目、そして9:20に大雪山黒岳(1984m)の頂上に達した。この日も快晴、緩やかに大地がうねる広大な御鉢平とそれを取りまく外輪山、そして草紅葉が織りなす大観はまさに絶景というに尽きる。お茶を沸かしこの絶景を豪華な副食にゆっくりフランスパンの朝食をとった。黒岳石室に向かう道を半ばまで歩いて撮影してから折り返し、黒岳頂上に戻って11:00から下山、11:50にリフト終点の七合目に戻った。

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黒岳頂上

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  黒岳山頂からの展望。なだらかに丘陵がうねるような天上の別天地だ。中央の歩道を下るとすぐに黒岳石室の小さな小屋が見えてくる。

 層雲峡温泉の日帰り湯を使ってから再び車に乗って旭岳をめざし、日暮れ直前に旭岳ロープウエイ山麓駅に近い東川町青少年野営場に到着。それまでの道中、アーベンロートに燃える旭岳が美しかった。さて、幕営は可能だが日が暮れた今からテントを張るのは面倒だし、管理人が「たまにクマも出る」ともいうしで車中泊とした。

 24日、4時半に起きてロープウエイ山麓駅に移動。朝食を作って食べながら始発のロープウエイを待って搭乗し、6:45に姿見の駅から歩きだした。紅葉は今が盛りで、正面に北海道最高峰の旭岳(2291m)の重厚な山容を望んでいたく登行意欲をそそられたが、前日黒岳を登った際の体調を考えて自重。姿見の池などを見て回る2㎞足らずの散策路を周遊して満足することにした。というわけで、チョーゆっくり休み休み周遊。途中、お茶を沸かしたり、冬支度に忙しいエゾシマリスを映像に収めたりしながら、実に4時間も旭岳を中心とする風景を見つめて過ごした。この日、旭岳と最も長い時間対峙したのは、間違いなく自分であったと思う。

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  姿見の池と大雪山旭岳、重厚で雄大な山容だ。

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  登山道わきで見かけたチングルマの大群落の紅葉。

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  冬支度に余念のないエゾシマリス。ひっきりなしに餌(恐らくハイマツの種子)を拾って口いっぱいに含んで運んでいた。どこかに貯めて越冬に備えるのだろうと思う。

 下山して十勝岳へ。まず登山口の少し下のカミホロ荘で入浴してから、登山口の駐車場に車を上げて車中泊とする。単なる駐車場だがトイレも完備していて野宿者には快適な所だ。食事の準備をしていると、ヒゲのオジサンが下山してきたので山の様子を聞いてみた。オジサンによると、十勝岳は火山のため火山礫の斜面ばかりで紅葉する樹木もなく面白くないとのこと。今の時期、紅葉を楽しむなら富良野岳にすべしと強く勧められたので、それに従うことにして寝る。

 25日、4時前に起きて準備を始めるが、やはりヒグマの山をトップで歩くのは気味が悪いのでダラダラ準備を引き延ばし、同じ頃から準備を始めた隣のカップルがスタートするのを待って5:30、こちらも動き始めた。最初は車も通れそうな整備された道を行く。やがて荒涼とした安政火口を左手に見て谷を渡り、ナナカマドの紅葉が美しい灌木帯の道を上がって7:00にカミホロ分岐に達した。十勝岳へはここを左折するが富良野岳へは直進。そこからダラダラとした上り下りを経て8:40に富良野岳分岐へ、さらに急登をこなして9:30、富良野岳(1912m)の頂上に立った。

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  安政火口付近、荒々しい火口壁を背景に紅葉が見事だ。


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  端正な山容の十勝岳

 頂上からは胸のすくような大展望だ。北には旭岳や黒岳、さらにトムラウシまでも見渡せる。反対の南側には幌尻岳以下の日高山脈の山々、さらにその右手に夕張岳や芦別岳までが同定できた。わけても十勝岳の頂を天に突き上げたピラミダルな山容がひときわ目を引く。なるほど、十勝岳に登っていればこの絶景は望めなかったわけで、前日のオジサンの助言に改めて感謝しつつ、絶景を望んでの贅沢な朝食。まさに登山できる喜びをかみしめる瞬間だ。いやあ、登ってよかったあ。

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富良野岳。山頂は雲海の上、結構風があって寒かった。

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  富良野岳山頂からの眺め。まさに絶景。

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  ちょっと引くとこんな感じ、左奥に大雪山系北部、旭岳などの山並みが見えている。

 10:00に下山開始。盛りの紅葉に後ろ髪をひかれ、キタキツネに出会ったり、たびたび立ち止まって風景を記憶に焼き付けたりしながらゆっくり歩いて13:15、登山口に帰着した。すぐに登山口に隣接する十勝岳温泉凌雲閣で汗を流す。料金は800円と高いが、露天風呂からの展望がこれまた紅葉を眼前に臨む超絶景。料金だけのことはあると納得した次第だった。ちょうど恐らく旅番組と思われるテレビの取材が入っていて、風呂場に出入りするスタッフたちが邪魔だったが、テレビで紹介するだけの値打ちのある温泉ではあった。その夜も同じ駐車場で寝る。

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  しばらく私の周辺をウロウロしていたキタキツネ。人を恐れる様子はまったくない。

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  日本離れした素晴らしい山岳景観・・・

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  前の写真と同じ位置から、引いてみるとこんな感じ。 実は露天風呂から撮影していたのでした。

 最後の26日は予備日だが、登頂はできなくても山の予定はすべて滞りなくやり遂げたので、特になすべきことはない。で、何をして遊ぶか考えた結果、近くの旭山動物園に立ち寄ることにし、それを楽しんでから(これはホント、楽しかったです)新千歳空港に戻り18:35のフライトで20:45関空へ。予定通り21:30ごろ、自宅に無事帰還した。

 長丁場の山旅。登山は携帯用の酸素ボンベに頼りながらで、今回対象とした5座のうち2座は登頂すらできなかったが、ともあれ今の自分にできる範囲で登山者としての最善は尽くしたと思う。長期の野宿でさすがに多少疲れはしたが、釧路湿原以外は連日快晴にも恵まれ、充実した8日間だった。




2015.08.26 夏の志賀高原
 もうかなり時間が経ってしまったのですが、私が所属する紀峰山の会の機関誌に載せた山行報告です。


       夏の志賀高原                               

 志賀高原と聞いて直ちに連想するのは冬のスキーだろう。豊富な積雪に恵まれ、広大な高原に80本を超えるリフトを縦横にかける日本最大のウインターリゾートなのだから、それは当然のことだ。しかし、実は夏の志賀も捨てたものではない。森林限界を抜くような高峰こそないが、山地帯から亜高山帯に広がる天然林に多くの池や湿原が点在し、美しい景観と多彩な花が訪れる者を魅了する。登山者がよく使用する昭文社の『山と高原地図』の一巻として「志賀高原」が採用されていることからも、それは理解されよう。

 とはいえ冬に比べればやはり、夏の志賀高原への来訪者は圧倒的に少ない。スキー宿はどことも閑古鳥で、窮余の策として東京の学習塾から小中学生の合宿セミナーを大量に受け入れてしのいでいるのが実情だ。今回の山行ではそんな塾生、「必勝」と大書したハチマキを締めた子どもたちを満載した大型バスが百数十台も連なる異様な光景を目撃して仰天した。東京の教育はこんなことになっているのか。この国はやはり病んでいるのではないのか。

 自分が過去に一度、夏の志賀高原を訪れたのは15歳の時だった。当時、長野市に単身赴任していた父が、たまには父親らしいことを…とでも考えたのか、乏しい貯えから奮発して大阪に住んでいた家族を呼び寄せ、山麓の上林温泉に宿舎をとって案内してくれたのがこの志賀高原「池めぐりコース」の一部だった。それから半世紀近くが経過し、その父は既に亡い。考えてみれば、当時の父は今の自分より20歳も若かった。その父の背を見ながら息を切らせて山道を登り、ようやく池が見えてホッとした記憶が鮮明に残っている。志賀高原を再度訪ねて、よしんばその記憶を確かめるのも今回の山行に期すささやかな思いだった。

 前置きが長くなったが、かくして8月6日、夜に臨時の仕事が入って当初の予定より大幅に遅れたが夜半に和歌山を出発、ちょうど夏山リフトが動き始める翌7日の9時前に高天原ゲレンデに到着した。早速身支度を整え9時10分にリフトに乗車。初日の今日は寺子屋峰から志賀高原の主稜線を縦走して岩菅山に登頂し、大きく周回してスタート地点に戻る計画だ。リフト終点から少し登って東館山の山頂にある高山植物園を経由して登山道に入る。同植物園には多くの高山植物が植栽展示されており、これだけでも結構楽しめる。植物園からしばらく歩くとやがて寺子屋ゲレンデに飛び出し、そこからひと登りで寺子屋峰(2125m)、さらに登って主稜線上の金山沢の頭に達したのが11時だった。2000mの気圧の低さはやはり厳しく、当初想定したより時間がかかっている。その想定もかなり余裕を見たつもりだったのだが…

 主稜線を北東へ岩菅山(2295m)を目指す。稜線上の道は右に豊かな樹林に覆われた魚野川の源流域を広く俯瞰して爽快だ。背後には快晴の空をバックに横手山もくっきりと見える。岩菅山の登路が始まるノッキリの分岐には12時半に到着。そこから岩菅山山頂までそう距離はないが、厳しい急登の道が草原を貫いているのが見えた。時計と体調を見て自重し下山を決定。15時過ぎ、高天原ゲレンデに戻って車を回収、木戸池まで走って自炊し車中泊した。

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 主稜線の道は爽快、正面にめざす岩菅山がくっきりと見えたのだが・・・

 8日は長距離の「池めぐりコース」を木戸池から全て徒歩で周る予定だったが、前日の体調を考慮してリフト利用へ計画を変更。夜明けと同時に起床後、リフトが動き出すまで時間があるので周囲を散策し、木戸池から小さな峠を越えて、田野原湿原が霧に沈む、素晴らしく幻想的な光景に出会うことができた。やはり早起きは三文の得だ。(下の写真でその絶景ぶりが伝わるだろうか)

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 前山リフトに車を回し8時10分の始発に一番で乗車。リフトの終点が前山湿原でこれを通過してひょうたん池をピストンし、さらに渋池、四十八池へと、登山道にしては広すぎる道をゆっくり登りながら、次々に池を巡ってゆく。四十八池は高層湿原で、志賀山を借景に箱庭のような美しさだ。さらに足を伸ばし小さな登りと急峻な下りを経て11時、エメラルドグリーンに輝く大沼池に達した。この池の宝石のような美しさ、特にやや高い位置から見下ろす情景は筆舌に尽くしがたい。

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  箱庭のような四十八池、背後は左が志賀山、右が裏志賀山

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  宝石のように美しい大沼池

 大沼池の周囲を巡るとやがて未舗装の林道となり、さらに塾の生徒を満載したバスが頻繁に行き交う舗装道に出たので、これを歩いて12時40分、蓮池のバス停に達した。そこで40分ほど待ってバスに乗り、前山リフトまで戻って車を回収。道草を食いながら志賀草津道路を快適に走って、万座温泉の豊国館には15時すぎに到着した。豊国館は昔ながらの湯治の宿で素朴かつリーズナブル(一泊二食でも6500円、自炊なら3500円)、しかし白濁したお湯は万座一との評判だ。その世評に間違いはなかった。

 最終日の9日は本白根山に登る予定だったが、同山の周辺には厳重な噴火警戒の入山規制が敷かれていて、山登りどころか駐停車も厳禁。仕方がないので木戸池に戻り、前日、出発を遅らせた関係でカットした「池めぐりコース」の残り「木戸池~蓮池」間を9時半から歩き始めた。そして、歩いてみて確信したのだが、この道こそが約半世紀前の中学三年生の夏、父の背を見ながら歩いた道だった。ガラにもなく少し感傷的な気分になりつつ次々に小さな池をめぐって11時過ぎに蓮池に到着。20分後のバスに乗って木戸池に戻り、和歌山への帰路についた。本白根山の入山規制は事前の調査不足だったが、そのおかげで追憶の道に再会することができたのだから、まあ、良かったとしよう。ともあれ、このように志賀高原は夏に訪れても見所は多い。いちいち書かなかったが出会える高山植物の種類も多彩だ。体力的な負担も小さく、山好きにはもっと歩かれて良い山域だとあらためて思った。

おまけに生物の写真を少しだけ

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  コバギボウシ、今が盛りで、池の周囲など湿っぽいところでは沢山咲いていました。

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  ウスユキソウ、これは少なかったです。ウスユキソウにもいろいろ種類があるのですが、これは接頭語が何もつかない普通のウスユキソウだと思います。

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  蓮池ではその名のとおり、ハスが満開でした。

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  やはり蓮池で咲いていたコウホネ。

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  木戸池で自炊していると小鳥が遊びに来ました。ハクセキレイだと思うのですが、鳥は自信ありません。


 6月18日(木)から23日(火)まで紀峰山の会の仲間たち7人と、5泊6日をかけて利尻島と礼文島をめぐってきました。コジロー実は2年連続なのですが、前回は両島をぐるぐる歩き回っただけ。今回はなんといっても山岳会のツアーですから、もちろん利尻山登頂が最大の目的です。
 
 初日の18日午前5時半、阪和道紀ノ川サービスエリアで集合した一行は、関空から朝一番のフライトで北海道新千歳空港へ。そこでレンタカーに乗り継ぎ、ひたすら北上して稚内港を目指します。ベテラン山屋さん御一行のこととあって5泊はすべて幕営ですので、テントや寝袋、炊飯具、ガス類などの生活用具一式は事前にレンタカー屋に別送。この大きな85リットルのリュック二つにパンパンに詰め込んだ荷物を、8人の定員いっぱいが乗り込んだ車に積み込むのですから、果たしてどうなることかと思いましたが、なんとか整理がついて出発できました。道中、サロベツ湿原に立ち寄ってから稚内市内のスーパーで自炊用の食料を買いだし、稚内駅に隣接する道の駅に到着したのは18時でした。

 翌日は6時20分稚内港発のフェリーでまず礼文島香深(かふか)港へわたり、礼文島北端のスコトン岬に9時に到着しました。そこから江戸屋山道、ゴロタ岬を経由し、澄海(すかい)岬を経てレブンアツモリソウ群生地に至る岬めぐりコースを歩きます。普通に歩けば所要5時間のコースですが、コジローは昨年歩いていますし、病気の関係でみなさんと同じ速度では歩けませんので、車での送迎に徹し、あわせて歩行時間の短縮をはかりました。

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 そして達したのがこの風景、澄海岬です。ここで歩いてきたメンバーをピックアップし、レブンアツモリソウの群生地へ。

 この島の固有種として自然に咲くレブンアツモリソウに出会うのが、利尻山登山と並ぶ今回の山旅の大きな目的の一つでした。昨年は7月に来たため、すでにレブンアツモリソウの花期は過ぎていて群生地も閉鎖されていました。今回も事前に問い合わせたところでは、花期が例年より一週間ほども早まっていて、もう自生する花は終わりつつあるとのこと。気を揉みながら行ってみたところ、たしかに大半の花はすでに終わっていましたが辛うじて三株ばかり、しっかり咲いている花に出会うことができました。

 レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬。確実に見たいのなら、もう少し早い時期に来れば良さそうなものなのですが、礼文島にはもうひとつ、レブンウスユキソウという、これまた絶対に出会いたい固有種の花があって、この花期が6月下旬から7月中順になります。というわけで、一度に両方出会おうと思ったら、もちろん二兎を追って一兎も得ないリスクもあるのですけれど、この時期を選ぶしかないのです。

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 これがその憧れのレブンアツモリソウです。平家物語の話になりますが、アツモリは横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)のことで、この風船のように膨らんだ花を、敦盛が合戦時に弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)に見立てた名前です。ついでですが、よく形状の似たクマガイソウという花は、合戦の常とは言いながら、自分の息子と同じ年頃であった敦盛の首を刎ねる巡り合わせとなり、募る無常感から出家した源氏の武将熊谷直実(くまがいなおざね)に由来します。なお、熊谷直実はさらにその後、平家の落武者となった平維盛(たいらのこれもり)が高野山から紀伊半島を南下し、那智で入水するに至る逃避行に関わって平家物語に再び登場します。ということで、和歌山と縁がなくもない花なのですね。

 さて、このレブンアツモリソウ、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、写真では見えにくいのですが、袋状の花の上に前後二つの穴があいていていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、穴の中には細かく刺が出ていて、入れるのは前の穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべの柱頭に触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための仕掛けなのです。

 さらに、結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトルを打ち上げる時のブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの胚は、何をエネルギー源にして発芽しているのか。実は、菌根菌という種類の菌類を微妙なバランスで共生させることによって発芽するのです。

 ここで面白いのは、植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという双利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種はハイネズという樹木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。菌根菌はレブンアツモリソウの胚を食べようとして接近し絡みつくのですが、そこでレブンアツモリソウはある種の抗菌成分を分泌し、菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで菌を飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。

 ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒され枯れてしまいます。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちていますね。こうした特殊な発芽様式のため、レブンアツモリソウは花を付けるまで発芽から8年もの時間を要し、また自然状態での世代交代も困難が多く、環境の変化や心無い盗掘もあって、絶滅の危機に瀕しています。

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 さて、話が長くなってしまいましたので先を急ぎます。この写真は赤いレブンアツモリソウ。縦走隊を待っている間に立ち寄った澄海岬の茶店で教えてもらったのですが、車道の脇にこれだけが自生していました。突然変異だそうです。
 
 それから高山植物園を見学してこの日の予定はすべて終了。「うすゆきの湯」という日帰り温泉で汗を流してから、香深井にある緑が丘キャンプ場で幕営しました。快適なキャンプ場でしたが、虫が多いのには閉口しました。

 明けて3日目の20日はまず礼文林道コースへ。香深井側の林道入口で歩くメンバーを下ろし、コジローはその林道を三分の二ほど歩いて達するレブンウスユキソウ群生地に逆方向から先行して(逆方向からであれば車で進入できるのです)、彼等を待ち受けることにしました。ところが、その群生地で目論見通り、レブンウスユキソウが咲き始めているのを確認したうえ、ぼちぼち迎えに行けば出会えるだろうと林道を逆方向に歩いていってみてびっくり。しばらく歩いたところにロープが張られ、そこから先が通行禁止になっているではありませんか。ということは、歩き始めたパーティ側の林道も、どこかで通行止めになっているはずです。で、パーティに連絡しようとしますが携帯は圏外。少々慌てましたが、しばらくして、親切なタクシーに乗せてもらったとかでレブンウスユキソウ群生地にたどり着いた一行と出会うことができ、ひと安心でした。

 合流したあとは、礼文島のハイライト、桃岩展望台コースに向かいます。隊を二手に分け、コジローら鈍足部隊は林道コースに接する桃岩登山口から入り、健脚部隊には、吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」の舞台となった分校を保存する「北のカナリアパーク」があって、このコースの終点ともなっている知床に先回りしてそこから逆に登ってもらい、途中で出会って車のキーを交換する交差縦走方式で歩きます。

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 桃岩展望台コースは見事なお花畑の連続。花は今が盛りのようで、多くの高山植物に出会いました。本州では2500m以上の高山に咲く花が、緯度が高いこの地方ではこのコースのような小高い丘陵地や平地に、まるで雑草のように平然と花をつけているのです。まずこれはレブンキンバイ。シナノキンバイとそっくりの大輪の花です。

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 桃岩展望コースは終始、海を見下ろすなだらかな丘陵にトレースされています。写真ではよくわかりませんが、緑の部分は高山植物のお花畑。下に見える小さな岩は猫岩。しゃがんだ猫が海を見つめているように見えます。

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 レブンシオガマ。本州の高山のヨツバシオガマと同じ仲間ですが、ヨツバ(四葉)ではなく5枚から8枚の葉が輪生していて、ヨツバシオガマよりかなり大きいです。

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 チシマフウロ。ハクサンフウロやグンナイフウロの仲間ですが、やはりかなり大きい。非常に株数が多く、お花畑の主役でした。

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 これがレブンウスユキソウ。有名なヨーロッパアルプスのエーデルワイスの仲間です。まだ時期が早いので、点々と見かける程度でした。

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 ネムロシオガマ。

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 エゾスカシユリ。地面から直接花が真上に立ち上がる感じが独特。後ほど、稚内から留萌に戻るオロロン街道沿いの原野で、エゾカンゾウとともに多く自生しているのを見かけました。

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 ご存知のとおりのスズランです。市販されている園芸品種の多くはドイツスズランでもっと大きいのですが、自生するスズランはこのように葉陰でひそりと花をつけていて、可憐でした。

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 「北のカナリアパーク」から望む利尻山。アイヌの言葉で「シリ」は島のこと、また「リイ」は高いことを指すそうです。つまり利尻=リイシリは高い島の意味なのですね。実は、桃岩展望コースを歩いた時、利尻島は雲に隠れてほとんど見えず、ハイキングを終えてフェリーが出るまでの時間を利用して昨日と同じ「うすゆきの湯」に入っていたら、雲がどんどん晴れて利尻山がくっきり見えてきたので慌てて湯から上がり、北のカナリアパークに全員大急ぎで舞い戻って、この映画のシーンが再現されたしたような場景に接することができたのでした。ラッキー! やはり日頃から善行は積んでおくものです。ヽ(´▽`)/

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 北のカナリアパークから香深港に戻り、フェリーで利尻島の鴛泊(おしどまり)港に移動。すぐに利尻山の麓で日帰り温泉「利尻の湯」の近くにあるキャンプ場に幕営して、翌日の利尻山登山に備えました。和歌山から利尻山など、めったに来られるものではありません。そこで、確実に登るため21日と22日の2日間、登山できる態勢で利尻島にステイし、天候等の条件が良い日を選んで登ることにしていたのですが、この様子なら明日、バッチリ好天に恵まれそうです。

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 4日目の21日は雲ひとつない快晴の大当たり。2時過ぎに起床し車で利尻山北麓野営場まで移動して3時12分、登高を開始しました。利尻山の標高は1721m程度で日本アルプスの高峰に比べれば低いですが、登山口の標高は200mちょっとしかありませんので、標高差は約1500mになります。この標高差は上高地から奥穂高岳直下の穂高小屋までに相当しますから、これを一日で登りさらに下りてくるというのは、相当なアルバイトです。肺の機能が落ちているコジローにはとても全うできる自信がありませんので、確実に登頂できるメンバーたちに先行してもらうことにしましたが、結果としては3人が私と同行してくださり、4人ずつ2パーティに分かれての登山となりました。

 歩き始めは真夜中の3時過ぎ、とはいえ夏至に近い頃とあって、この極北の地は白夜を思わせる明るさです。夜は午後8時半まで明るく、午前3時過ぎの歩行開始時も灯りはまったく不要でした。

 写真は8合目、正面に見えているのが利尻山の頂上で、標高差はあと500m。つまり、ここまでで約1000mの標高差を登ってきたことになります。緑色に見えるのは潅木帯で、主役は矮性のミズナラ、ダケカンバ、そしてハイマツなどです。山麓の方、樹林帯の主役はエゾマツとトドマツでした。

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 オオバナノエンレイソウ。本州の高山で見かけるエンレイソウに比べ、葉が小さい割に、花が非常に大きくよく目立ちます。そうそう、すでに花期は終わっていましたが、利尻島は登山道脇だけでなく平地も含め、ザゼンソウを多く見かけました。

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 頂上に到達です。時間は10時半、7時間あまりの登高でしたがコジローもみなさんの協力のおかげで、また持参したパルスオキシメーターで血中酸素濃度測り、携帯ボンベで酸素を吸入して心肺をなだめつつ、なんとか登頂することができました。特に9合目から上はガレガレの斜面で足を踏み出すたびに崩れて非常に登りにくい上に強風が吹きつけ、なかなか手ごわかったです。

 気候が厳しいこともあり、また低丘陵地に内地の森林限界状のお花畑が広がっていた礼文島の印象から、利尻山でも森林限界はすぐに抜けるものと思い込んでいたのですが、予想に反して頂上直下まで潅木帯は続いており、おかげで強風を避けることができました。これが丸裸の山だったら、登山は随分厳しいものになると思います。

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 下山開始。風が避けられる潅木帯に入ってホッと息をつき、振り返ると、利尻山を超えてゆく雲が滝のように斜面を流れ下っていました。

 登山口に戻り付いたのは15時35分。早朝の出発から12時間あまりのハイキングでした。先行した健脚パーティは我ら鈍足パーティより3時間近く早い13時55分の下山。先にテントに帰って食事の用意をしてくれていました。やれやれ、ともあれ最高の天候にも恵まれ、コジロー含め全員が無事登頂できて予想以上の成果でした。

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 翌日、5日目の22日は利尻山登山の予備日でしたが、前日に登山は済ませましたので、利尻島を一周し、利尻名物の美味に舌鼓を打ちながら観光ポイントを一応もれなくチェックしました。天候はしっかり雨。前日、晴れてくれて本当に良かったです。

 その後、フェリーで稚内港に戻り、日本最北端の宗谷岬に立ち寄ってから居酒屋で打ち上げを盛大に催して幕営。23日、ノシャップ岬からオロロン街道をひたすら南下し、再びサロベツ原野に立ち寄ってから新千歳空港へ。写真はその道中で通過した砂浜から望む利尻です。本当に見れば見るほど美しい。あの頂点にこの身体でも立つことができたのだと繰り返し熱く思いつつ、和歌山への帰路を急いだのでした。素晴らしい山行を共にしてくださった7人の仲間たちに、心から感謝したいと思います。



 3月22日は、紀峰山の会「なでしこ班」の山行で世界遺産でもある高野山町石道(ちょういしみち)を歩いてきました。町石道は、弘法大師空海が開いた真言密教の総本山=高野山の表参道にあたる信仰の道。大師の御母公を祀る和歌山県九度山町の慈尊院を起点として、一町(109m)ごとに石柱を立てていることから、町石道と呼ばれています。ちなみに、町名にもなっている九度山は、母思いの弘法大師が月に9度も、女人禁制の高野山から現在の町石道を下り、母が暮らすふもとの政所(まんどころ=高野山の庶務をつかさどる役所で、場所は現在の慈尊院)を訪ねてきたという故事に由来するとか。

 その町石は慈尊院から高野山の中心である根本大塔まで180基、さらに根本大塔から大師が眠る奥の院まで36基建てられていて、180基を胎蔵界180尊(仏)に、36基を金剛界37尊にあててそれぞれ梵字を彫り、かつてはこの一基一基に拝礼しつつ高野山に参ったもののようです。つまり、慈尊院から根本大塔を経て奥の院まで達すれば、真言密教の世界観を示す胎蔵界、金剛界の両界曼荼羅を身をもって体得することができるというわけなのでしょう。

 というわけで町石道は、ふもとの慈尊院にある180番目の町石からカウントダウンしつつ一町石ごとに高野山に近づき、ついに根本大塔まで登りつめる点にこそ信仰上の価値があるのですが、コジローは厳しい登りはドクターストップですので、今回はゴールの根本大塔から慈尊院に下る計画を立てました。参加してくださったのは4人。南海高野線九度山駅7時7分発の電車に乗車すべく5時40分に和歌山を出発しましたが、想定外に早く着いたので予定より一本早い6時42分の電車に乗ることができました。

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 レトロ感いっぱいの九度山駅。無人ですが券売機があり自動改札になっています。

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 終点極楽橋駅から高野山駅まではケーブルカーに乗り継ぎます。で、このケーブルカーの傾斜がハンパじゃない。最後は30度という壁のような斜面を這い上がるようにして高野山駅に到着です。写真はすれ違った下りの車両。電車もケーブルカーも、お客は我々5人以外は、南海電鉄の職員と思しき女性が二人だけでした。
 
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 快晴に映える根本大塔。高野山駅からはバスに乗り継いで千手院橋バス停で下車、10分ほど歩けば根本大塔です。いよいよ出発。スタート時間は7時50分でした。

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 壇上伽藍を出て大門に向う道すがら、間もなく進行方向右手に最初(本来のコースなら最後)の町石があります。町石はすべてこのような五輪塔で、標準的な高さは3mくらい。五輪が意味するのは上から空、風、火、水、土で、それぞれ人間の身体でいえば頭、顔、胸、腹、下半身にあたるそうです。

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 しばらく車道を歩くと大門です。これは何度見てもすごい。前景の人物からその巨大さが推し量れますね。

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 大門からしばらくは、スギやヒノキの針葉樹林を下ってゆきます。といっても、巨木が多いので飽きません。このスギも相当な迫力でしたが、写真でそれが伝わるでしょうか。

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 町石は大体こんな感じで立っています。

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 町石のほかにも、慈尊院からの距離を示す里石やこのように古い道標もあります。右慈尊院と彫られているのは読めますが、左はなんと彫られているのでしょう。かろうじて「山楼」と読めるように思いますが、楼は楼門、つまり大門のことでしょうか。

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 これが100町石。ちょうどキリがいいので記念撮影しました。

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 神田(こうだ)地蔵堂。神田はこのあたりの地名ですが、昔からこの場所にはお堂があって、参詣者はここで休憩を取ったそうです。私たちものどかな山里の風景を楽しみつつ、ここで昼食にしました。

 もうひとつ、このお堂には悲恋伝説があります。平安時代、平清盛に仕えた斎藤時頼という武士は、清盛が主宰した宴で建礼門院に仕えていた横笛という美貌の女性の舞を見て一目ぼれし、恋文を送ります。横笛は多くの男たちから交際を求められていましたが、時頼の無骨だけれど真情にあふれた恋文からその人柄を見抜いてこれに応えようとします。しかし、時頼の父は身分違いの恋を許さなかったため、失意の時頼は横笛に告げず出家して仏門修行に入り、修業した寺の名を借りて滝口入道と自称するようになります。

 その後、二人の間でいろいろいきさつはあったのですけれど、最終的に滝口入道=時頼は女人禁制の高野山に入り横笛への思いを断ち切ろうとします。横笛は滝口入道を慕って後を追うのですが女人結界に阻まれ、この地蔵堂でいつか町石道を降りてくるかもしれない滝口入道を、来る日も来る日も待ち続けて人生を終えたのです(入水自殺したという説もあります)。それを知った滝口入道は悲しみを振り捨てるようにますます一心不乱に修業に励み高野聖となって別格本山の住職を務め、後に紀伊勝浦での平維盛(これもり)の入水に立ち会っています。なお、維盛の逃避行の事績については以前、小辺路の山行報告で少し書きましたので、ご参照ください。

 以上が平家物語が伝える一段なのですが、ん~、ま、滝口入道の立場も分からなくはないけれど、これは絶対的に横笛の肩を持ちたくなるよねえ。「身分がなんぼのもんじゃ!」「滝口入道の意気地なし!」・・・と、当時の庶民も思ったようで、この町石道に近い天野の里の一角には、横笛の悲しい生涯を哀れんだ村人たちが建てたという「横笛の墓」があって、いつ訪ねても花が絶えることがありません。ともあれ、この神田地蔵堂で112町石を数えます。

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 さらに120町石付近、全行程の三分の二を歩いたところで二つ鳥居に出会います。この鳥居は先の話でも出てきた天野の里に鎮座する丹生都比売(にゅうつひめ)神社の神域を示すもので、一つは高野明神を、さらに一つは丹生明神を示すといわれています。

 空海は高野山の開創に際し、丹生都比売という女神からその神領であった地を譲り受けたという伝説があり、このとき空海を高野山に案内したのが丹生都比売の息子で、黒と白の犬を伴う狩人に化身した狩場明神(高野明神)でした。ということで神仏習合的ですが、高野山にはまずこの神社に参ってから町石道を登るのが慣習化されていたそうです。なお、丹は朱砂(しゅしゃ)=辰砂(しんしゃ)の鉱石から採取され水銀の原料ともなる朱を意味し、丹生はその鉱脈があったところに残る地名で、全国に数ある丹生神社や丹生都比売を祀る神社の総本山がこの天野の丹生都比売神社なのです。

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 余裕があればその丹生都比売神社に立ち寄りたかったのですが、時間が押していたので先を急ぎ、136町石付近で六本杉峠に到着します。
 
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 160町石を過ぎると柿畑の中の道となり、下界の展望がぐっと開けて蛇行する紀ノ川が目に飛び込んできます。気持ちの良い所ですが、堅い舗装路がすでに18kmを歩いてきた足に結構こたえます。

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 かくして、ようやくゴールの180町石に到着して記念撮影。よく頑張りました。がまだ、朝一番に車を置いた九度山駅付近まで、1.5kmほど舗装路を歩かなくてはなりません。
 
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 180町石から階段を下ると慈尊院です。冒頭にも書きましたように、弘法大師の御母公がお住まいになった所で女人高野とも呼ばれ、女性の両乳房を造形した「乳房型(ちちがた)」が多く奉納されている女性のお寺です。
 
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 まだ花の季節には早く、あまり見るべきものはありませんでした。これは先々週の「春日山」でも見たシキミの花。シキミはミカン科で、葉をちぎるとみかん独特の香りがして、明瞭にそれとわかります。

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 シロバナショウジョウバカマ。 ショウジョウは猩々(しょうじょう)と呼ばれる大酒のみで真っ赤な顔をした猿に似た架空の動物のことで、能では真っ赤な長い頭髪を振り回す姿で演じられています。ショウジョウバカマの花の多くは真っ赤なためこの名がついたのですが、白花では猩々を連想させるのは無理ですね。またハカマは和装の袴のこと。この植物の葉がロゼッタと言って、地面に広がって張り付く様子を袴に例えたのです。このショウジョウバカマについては、その生態に面白いことがいくつかあるのですが、それについてはまた別の機会に。

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 シロバナショウジョウバカマの花のクローズアップ。花は先に雌しべが伸び、そののち時間差をおいて雄しべが伸びてきます。この花は雄しべが十分伸長しているので、成熟した状態であることがわかります。

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 ホトケノザ。 同じシソ科で外来種のヒメオドリコソウと間違えやすいのですが、ホトケノザはこの写真のように葉の上に花がつくのに対し、ヒメオドリコソウは葉と葉の間に花がつきます。なお、春の七草に数えられるホトケノザはコオニタビラコというキク科の植物のこと、ホントややこしいです。
 
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 ホトケノザの花のクローズアップ。「踊り子」の名は譲りますが、ヒメオドリコソウや在来種のオドリコソウ(以前のブログに写真を掲載しています)とそっくりの花の形で、阿波踊りや佐渡おけさを踊る女性のようです。本当に自然の造形というのはつくづく驚異に満ちています。

 さて、慈尊院から車道をテクテク歩き、途中の道の駅で柿の葉寿司を買ったりして駐車場に戻ったのは16時半。根本大塔からの全行程に8時間40分を要したことになります。ガイドでは登りでも標準タイムが7時間ですので、まあ6時間もあればなんとか・・・と思ったのは甘かった。ワタクシの講釈時間が長かったのか、それともゆっくり歩きすぎたのかよくわかりませんが、丸一日たっぷり歩いて活動量計を確認したところ、39185歩で23.9kmの歩行量。まあ、疲れるはずです。ともあれ全員無事ゴールインできてやれやれです。帰りの車では運転手のワタクシ以外、みなさんそろって大爆睡でした。(^_^;)