ブログの更新、また滞っていますが、いまの低脳どもが政治の頂点に立って威張る世界にもう飽き飽きしたというか、もうバカバカしくて付き合いきれないというか、体力が落ちてきたこともあって最近は文句を言うのに疲れちゃったって感じです。まあしかし、まだ頭脳は鮮明ですしキーボードを打つことはできますので、気が向いたときは書いていこうと思います。ということで、以下、社会人山岳会紀峰山の会の機関誌『紀峰の仲間』に30年近く連載してきたコラムの最終回です。



コラム

山と美と登山を考える

 

 長く連載してきたコラムですが、いろいろ事情があり、とりあえずこの辺で一区切りつけることにしました。ということで以下、これまで私が山と登山について考え続けてきたことをまとめてみましたので、少し長くなると思いますが、どうかお付き合いください。

 

   このコラムについて

 

 本誌『紀峰の仲間』を創刊したのは私が事務局長に就任したとき、もう30年ほども昔のことになります。『紀峰の仲間』という題号には、ちょうどその頃に廃刊となった全国労山の月刊機関誌『山と仲間』(ユニ出版)の志を受け継ぐ意図を込めていました。

 

1970年代、街の書店では『山と溪谷』『岳人』と並び『山と仲間』が一般向けに販売されていたものでした。いわゆる「ヤマケイ」は登山初心者やハイキング志向者、「ガクジン」はややベテランの登山者、そして「ナカマ」は社会人山岳会や大学山岳部のリーダー層を読者に想定した編集を行っていて、それなりに棲み分けていたのです。そうそう、先鋭なバリエーション登山志向者に読者を絞った『岩と雪』というたしか隔月刊だった専門誌もありましたっけ。当時、山の主役は情熱と向上心にあふれる若者たちで、情報源としての活字が貪るように求められ、ネットなどという簡便なツールなどまだない時代でした。

 

しかし、発行元である出版社の経営体力の差から、ナカマは次第にヤマケイ他の山岳雑誌に伍することができなくなり1986年だったか、遂に廃刊に至るのです。それからどのくらいの間があって『紀峰の仲間』が誕生したかはよく覚えていませんが、ともあれこれらの経過から、『紀峰の仲間』は今年で発刊から30年くらいということになるはずです。

 

このコラムはその創刊号から、手違いで印刷漏れにしてしまった一回のみを除き、テーマを変えながらも全号の巻末に掲載し続けてきました。

 

文章を書くのを生業にしていた時期もありましたから書くこと自体は全く苦にならないのですが、書く気が湧くようなネタがないときは苦しい。山岳会の機関誌に掲載するコラムですから、ネタも山や登山に関するものでなければなりません。しかし、そう都合よくいつでも活きのいいネタがどこにでも転がっているというものではないのです。山に関係がありそうなニュースを血眼で漁ったり、登山に関するエッセイや小説などの文献を片端から再読したりして脳内のコラムセンサーがピピっと触れる瞬間を求め、触れたら直ちにそれを文章にしてなんとか締め切りに間に合わせたものでした。まあ、これは本業でもそうでしたが、いよいよ締め切りで尻に火がつくと、不思議と天から何かがフワッと下りてくるものなのですね。もちろん、それまで必死でネタを探す努力を重ねた末のことですけど。ともあれ、途絶えずにここまで続けられたのは幸運でした。

 

しかし、そろそろ潮時です。病気で山に行けなくなってからは、テーマを森と植物に移して書き続けてきましたが、書くこと自体が無理になる時期がやがて訪れることを自覚せざるを得なくなりました。ということで、前置きが長くなってしまいましたが、これが私の最後のコラムになるかもです。では、ここで語る最後のテーマを何にしましょう。

 

  人はなぜ山に登るか

 

山と登山を考えるコラムの究極のテーマは、やはりこれしかないでしょう。

 

1923年、「なぜ山に登るのか」というニューヨーク・タイムズ記者の質問に答えて、当時トップクライマーだった英国人のジョージ・マロリーが「そこに山があるから」と答えたという有名なエピソードがあります。ん~、カッコ良すぎる。けど、これは誤訳だそうです。記者の質問は正確には「なぜエベレストに登りたいのか」であり、マロリーが「それがそこにあるから=Because it`s there」と答えたのが事実。つまり、未踏だった世界最高峰の「征服」を国家の威信をかけて争っていた時代、マロリーは「まだ誰も登っていないエベレストがそこにあるから俺が真っ先に登りたいのだ」と、国家などとは距離を置きつつ、ただクライマー個人としての思いを率直に語っただけなのです。かくしてエベレストに不屈の挑戦を続けたマロリーはこのインタビューの翌24年、頂上直下のセカンドステップを登る姿を目撃されたのを最期に消息を絶ちました。そして75年後の99年、8100m地点で遺体が発見され、その状況から下山時に滑落したことが明らかになりましたが、下山前に登頂したかどうかはなお永遠の謎として残されたまま現在に至っているのです。(関心のある方はルポルタージュならマロリーの遺体を発見した捜索隊の『そして謎は残った』、フィクションなら夢枕獏の『神々の山嶺』をぜひお読みください)

 

さて、ちょっと寄り道が過ぎましたが、マロリーにとっては誰よりも早く、人類の最初に世界で最も高いところに立つ、というのがエベレストに登る単純にして完璧な理由でした。しかしこれは特異な例でしょう、登山が人間の可能性を押し広げるパイオニアワークとしての意義を持つ時代は、1953年のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるエベレスト登頂の瞬間に終わりましたし、今日の登山者やハイカーの誰ひとりとしてそんな「ど大層な」ことを考えてはいないでしょう。では、人はなぜ山に惹きつけられるのか。

若い頃、この問題を考えていて、『闘争する山と抱擁する山』という少し長い論考を『紀峰の仲間』に発表したことがあります。山に魔物が住むと考えて征服の対象と考えたヨーロッパ・キリスト教文化と山に神が住むと考えて信仰の対象とし自然との一体化をすら目指した日本の基層的自然信仰というかアニミズム文化を比較した論考でしたが、今思えば通俗的な日本文化特異論にかなり引っ張られた安直な発想だったと思います。キリスト教、特に新約聖書の世界観が支配した中世のキリスト教が山や自然を不当に見下したのは事実ですが、そんな時代にも山を愛したヨーロッパ人はいましたし、日本人が本当に宗教的な敬虔さを持って山や自然を大切に思っていたとしたなら、今日見るような功利的かつ守銭奴的な乱開発、公害、山河や海浜や里山の徹底的な破壊、山村の崩壊など起きなかったはずだからです。さらにいえば資本主義経済成立後の人間というものが、貨幣の魔力にひれふす愚かな存在であったことについては洋の東西を問いません。もちろん個々の人間には賢く気高い一面もあるのですが、ここではただ、人間はかくも愚かな、その本質においてかくも卑小な実在であるという自己認識だけが重要なのだと思います。

 

 人類最初の「登山」

 

狩りや放牧、伐採や燃料収集など生業のためでなく、また日本にみるような信仰の一環としてでも軍事上の必要からでもなく、ただ個人の欲求つまり楽しみのためにのみ登るという、現代に通じる形での登山を行ったのは、文書に残る記録としては恐らく、14世紀イタリアの文人ペトラルカが最初であったと言われています。ペトラルカは「今日私は、ただいちじるしく高い場所を見てみたいという欲望に駆られて、この地域の最も高い山に登りました」と書き残しています。ペトラルカが登ったのは、いま「プロバンスの巨人」と呼ばれ、自転車レース「ツール・ド・フランス」の難所としても知られるフランス南部のヴァントゥ山(1912m)で、疲労困憊しながらやっと山頂にたどり着いたペトラルカは「空気が異常に希薄で清らかなことや、雄大な光景に感動させられて、私はほとんど呆然として立っていました」と報告しています。さらに「振り返って見わたすと、雲が足の下にありました」と頂上からの絶景をひとつひとつ紹介して感嘆し、「魂がいっそう高尚に高まる」と感じていたのです。いま、登山を楽しむ私たちと、なんら変わるところはありません。

 

ペトラルカはこのように書いた直後、こうした欲望や感動はキリスト教からの逸脱だとして厳しく反省しているのですがしかし、この14世紀の人が山に登りたいと思い、それを実践し、そして頂上に立って非常な感動を覚えた事実は消えません。スポーツの語源はラテン語で「(仕事や義務とは関係なく)楽しむ、気晴らしをする」という意味の「デポルターレ」ですが、ペトラルカがただ自らの欲求のみに従ってヴァントゥ山に登った瞬間に、登山はその本来の意味での「スポーツ」となったのであり、山岳自然は木材や燃料の供給源や修業の場や交通の難所であるだけでなく、人が全身で没入して触れあい、またその「美しい」景色を見て楽しむ場として立ち現れたのです。

 

 山岳自然と芸術の美学

 

さて、ここで私はわざと「美しい」という平凡な言葉をカッコづけで書きましたが、「美」とは一体何なのでしょう。これを突き詰めて考えるのが美学という哲学の一領域で、これにいま深く立ち入る余裕はもちろんありませんが、美学には、人間の外に元々「美しい」事物があってそれを見る人間の精神がそれを受けて美しいと思うのか、それとも美しいと感じる精神がまずあってそれが外界の事物を美しく見せているのかという、二つの哲学的見地の対立があります。前者はプラトンとアリストテレスというギリシャ哲学のふたりの巨人を源流としディドロに至る実在論美学であり、後者はデカルトからカントに至る近代観念論美学ということになるのですが、はっきり言って観念論美学はそれこそ常識にあえて反する頭の体操の如き観念の遊びに過ぎません。それを認識する人間がいようがいまいが世界は実在しており、美しいものは人間がいようがいまいがそれ自体で美しいのです。

 

プラトンはその実在する美の源泉は天上のイデアにあり、地上の美はそのうつし絵と考えました。地上の事物はイデアを分有するゆえに美しいというのです。一方アリストテレスは天上のイデアなど認めず、美は地物にもともと付与されていると考えました。私たちの常識は、アリストテレスからディドロに至るこの考え方をこそ最も素直に受け入れることができるでしょう。美しい山河は常に人の周囲に存在したものの、それを「美しい」と人間が認識できるまでには、人間がただ個人的な楽しみのみのために登山ができるほど生活の余裕が生じるまでの時間が必要だったのであり、まさにペトラルカが生きた14世紀ヨーロッパにおいて人間の生存レベルはその段階に達したのでした。これこそがスポーツとしての登山つまりアルピニズムと山岳美、自然美の黎明にほかなりません。

 

では、私たちはなぜ、頂上からのあの胸のすくような眺望を、またそこに至るまでに見る高山の花や蝶や森林や小川や滝など、総じて山岳自然をなぜ美しいと感じるのでしょう。これについてもここで深く突き詰めて検討する余裕はないのですが、アリストテレスやディドロの考え方を私なりに簡潔にまとめていえば、要するにそこにこそ「世界の本質」があるからということなのです。人は「世界の本質」に触れることで深く心を動かされ、その心を震わせる対象をこそ「美しい」と思うのです。

 

少し寄り道になりますがこの際ですので、人が優れた芸術作品を「美しい」と感じ、心を動かされるのはなぜかについても触れておきましょう。プラトンやアリストテレスはこれについても明快に説明していて、優れた芸術は世界や社会の「ミーメーシス」であるとしています。ギリシャ語の「ミーメーシス」は直訳すれば「模倣」で、現代の語感としてあまり良いイメージはないのですが、ギリシャの哲人たちは「ミーメーシス」にもう少し深い意味を込めていて、「本質の強化的再現」といった感じで使っています。

 

これをわかりやすくするために例を挙げてみましょう。たとえば写実絵画は立体的な世界を平面に再現する芸術ですが、世界の本質と関係の薄い余計な部分は捨て、また一部は補ったり誇張したり画家が作為を施すことで、目の前の現実よりもっと深く世界の本質に肉薄しようとするところに絵画美の粋があるということです。優れた絵画は、平面つまり二次元の表現でありながら立体という三次元の空間と、さらに時間すらも再現つまりミーメーシスすることに成功しています。レオナルド・ダ・ビンチが死ぬまで精魂込め筆を入れ続けた「モナリザ」がなぜ世界最高の絵画と評されるかは、こうした観点から作品に対峙してみることではじめて、その理由に多少とも接近することができるはずです。ここでは絵画を例に挙げましたが、彫刻でも音楽でも演劇でも文学でも、その実体が世界つまり自然や歴史や社会や人生といった現実のミーメーシスであるという点に違いはありません。人々はこれらの芸術表現に自らが生きる世界の本質が再現されていることを五感で受け取り、それへの共感やカタルシス(精神の浄化)を体験するのですが、私たちはこれらを総称して「感動」と呼び、その程度に応じて「美」を評価しているのです。

 

長くなりましたので、ここで一度まとめておきましょう。つまり人は自然であれ芸術作品であれ、「世界の本質」に触れたとき心が震え、それを「美しい」と感じるのですが、登山などにおいては山岳自然に直接五感で触れることによっていわば荒々しいナマの形で「世界の本質」を感じ取るのに対し、芸術は画家や音楽家や役者ら「美の専門技術者」の手によってさらに先鋭に研ぎ澄まされた形、いってみれば美の素人にも感得しやすいよう加工した表現で再現された「世界の本質」に触れ、その美しさに感動しているのです。

 

 世界の本質について

 

さて、ではその「美」の源泉たる「世界の本質」とは一体何なのでしょう。これが究極の問題です。ペトラルカそして私たちが山岳自然を「美しい」と思うのはなぜなのか。その山岳自然という世界にもとより備わっているいったいどんな本質が私たちを感動させ、つらく時には危険すら伴う労苦をもいとわせず、私たちを繰り返し強力に山に誘(いざな)うのでしょうか。回答から言えば、それは「無限性」だと私は考えています。

 

「無限性」についてくどくど書くより、例を挙げたほうがわかりやすいでしょう。話がえらく飛ぶようですが、「ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド」というものをご存じでしょうか。ハッブルは地上600kmの宇宙空間に浮かぶ望遠鏡のことです。地上の望遠鏡はいくら高性能でも曇りガラスのような大気を通してしか宇宙を望めませんが、ハッブル宇宙望遠鏡は大気に邪魔されないため、はるかにクリアに宇宙の姿を望むことができます。宇宙はどれくらい広いのか。それを知るために2004年、地上の望遠鏡ではいくら解像度を上げても暗黒でしかない宇宙のある領域、広さでいえば満月の100分の1ほどの極小の範囲をハッブル宇宙望遠鏡で探査し撮影してみたところ、なんと約1万の銀河が確認できたのでした。いまなら、ネットで簡単にこの美しい画像を見ることができますので、ぜひアクセスしてみてください。

 

銀河には大小ありますが、平均してひとつの銀河に2000億個も太陽のような恒星が含まれるといいます。つまり地上のどの望遠鏡からも何もないようにしか見えないこの暗黒の極小領域に、現在のハッブル宇宙望遠鏡の能力で確認可能なものだけに限っても2京個の恒星があるというのです。では、全宇宙には一体どれほどの恒星が、さらにはその恒星を周回する地球のような惑星や、月のような衛星が総数でどれくらいあるのでしょう。

 アンドロメダ銀河サイズ

(地球から最も近いアンドロメダ銀河は大きい方、1兆個の恒星が含まれる)

 

考えるだけで気が遠くなります。ある程度山に親しんだ皆さんならこれまでの山行で一度は、満天降るような圧倒的な星空に感動したことがあることでしょう。見上げる宇宙にある星の数は正確な意味で「無限」ではないかもしれませんが、有限な人間の認知力をはるかに超えており、そうした点でまさに無限といって良いものです。そして、地上の山岳自然はこうしたまさに無限なる宇宙の構成部分にほかなりません。ただし、無限だからといって不動の安定した存在というのではなく、そこに含まれる岩や川のような無生物も草木や動物などの生命体も、むしろ生成、発展、消滅のダイナミックな運動の渦中にありながら自己を統一的に再生して恒常性を維持する存在として無限なのです。

 

一方、これに対峙する私たち人間個人は、生命を限られた非常に非常に小さな存在に過ぎません。種としての人間は本来自然の一部であり、繁殖によって種としての恒常性を維持する点で他の生物種と違いはないのですが、「私」という自我を持った人間は一世代限りで、その経験や意識が個人を超えて維持されたり再生されたりすることはありません。逆に言えば自意識を持つことによって人間は種の集団から個別に自立し、無限なる宇宙や自然の一部でありつつも個である「私」としてそれに対峙する有限な存在となったのです。

 

 無限性と人間

 

「人はなぜ山に登るのか」。この問にようやく私なりの答を提示できるときが来たようです。もし「あなたはなぜ山に登るのか」と問われたら、その答えは登山者ごとに千差万別でしょう。そしてもちろんそれで何の問題もありません。しかし、人々が山に登る行為の根底というか核心部分には共通して「美しい山岳自然に近づきたい」という欲求が間違いなくあります。そしてその山岳自然を「美しい」と思う感覚は実は山岳自然という宇宙の無限性に由来しているのであり、その無限性を観想できるまでの人類の発展段階を前提とするという意味で、登山は人類史の今日的産物でもあるのです。人はいま、それを明確に自覚することはないにせよ、人類史の現段階を担う有限な存在として、宇宙の無限性、自らが望んでも決して得られない無限性に少しでも触れようと山に登り、そして登った山で実際にその大いなる無限性から心震えるような深い感動を得ているのです。

 

さらにいえば、人間はこの無限世界に属する存在であるという点も見ておく必要があります。私たちが対峙する山も川も森林もそして私たちの肉体も、それを作り上げている根源的な素材としての原子は同じであり、生命の輪廻を通しまた日々の新陳代謝を通じ、私たちは常に外界と原子を交換しています。命を失った肉体は最終的に原子にまで分解され、まずは気体や水やミネラルとなったあと、例えば土や岩やさらには草木や動物など新たな生命を担う物体の材料となったりもするでしょう。そうした意味で、個人は無限なる宇宙の一部分であり、目の前に眺める山岳自然は自らの母胎でもあるのです。それと対峙するとき、人々は大いなる無限性への畏敬とともに、懐かしい生まれ故郷に帰ったような安らぎ、または優しい母に抱かれたように満ち足りた心地よさも感じているはずです。

 

登山はこうした意味で世界にとり非常に重要な行為だと思います。なぜなら大いにして母なる無限な存在に対峙し、そしてそれに圧倒されまた安らぎを感じたとき、人は真に等身大の自画像に向き合い、真実に目覚め、そして心から謙虚になれるからです。

 

 地球環境のいまと登山

 

この1113日、184ヵ国15364人の科学者が共同で「世界の科学者による人類への警告」という声明を発表しました。1992年の「憂慮する科学者同盟」声明の更新版で、当時に比べても地球温暖化や人口爆発、生物種の大量絶滅など、「地球が抱える問題の大半がはるかに悪化」したと警告し、対応への時間切れが迫りつつあると訴えています。

 

1972年にローマクラブが発表した「成長の限界」以来、こうした科学者からの警告は幾度もなされているのですが、半生を通じ環境問題に関わってきた私の目には、これら科学者の警告ですら楽観的に思えます。世界の知性はこのように繰り返し世界と人類破滅の危機を訴えてきたものの、目の前の富と武力以外に関心を持たない政治がそれに応えたことはなく、またそんな下劣な政治を支持し続けている平均的な人間の愚かさが簡単に変わるとも思えないからです。愚かな人間が選択した産業革命以来の資本主義という制度が地獄のフタを開くテコでしかなかったことはもはや明らかです。今すぐこれを捨てない限り、宇宙の大いなる無限のシステムから逸脱して暴走を続ける人類は遅かれ早かれ、地球環境を徹底的に破壊し多くの生物種を絶滅に追い込んだ挙句、自らをも滅ぼすでしょう。

 

決してコケ脅しでいうのではありません、地球と人類の行いの現状を客観的科学的に評価する限り破滅は不可避です。危機は深く静かにそして着実に加速度的に進行しています。先進国の人々の暮らしを脅かすまでには至っていないため気づきにくいのですが、気づいたときにはもう手遅れになっているはずです。

 

さて、そろそろ結論です。まず、ここまで長く理屈っぽい文章に付き合ってくださったことに感謝します。最後に私が皆さんに伝えたいのは、山に登り、その美しい景観や自然に対峙し感動することは、個人的な喜びであるだけにとどまらず、地球上で人類が本来あるべき姿に気付くという点で地球環境の維持存続に貢献する意義を秘めているということです。自らがそこから生まれ、また命果てたのちに還りゆく無限の世界への敬虔な畏(おそ)れと母胎に抱かれるような深い帰属意識のみが、現代人類によるその無限世界への傲慢で無謀な破壊行為を止めさせる力となりうるからです。それが差し迫る危機を克服するかすかな可能性につながるかどうかはわかりません。しかし、現代の登山には実は、そうした深い意味もあることを伝えたいと強く思うのです。ということで紙幅も尽きたようですね。

 

紀峰山の会の仲間の皆さん、会の未来は皆さんのものです。

もっともっと仲間を増やし、さらなる高みへと登り続けようではありませんか。

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 那須岳での高校生遭難事故について昨日の記事に補足。一日たって、この遭難についての追加情報がいくつか入ってきた。そのなかであらためてここで触れておきたいのは、雪崩が発生した地点、雪崩注意報、そしてビーコンという装備についての話題だ。

 まず雪崩の発生状況については、昨日、自分がまだ乏しかった遭難現場の情報と地理院地図から見立てたとおりであることが明らかになった。ただ、より詳しく報道されたところによれば、遭難現場は昨日自分が考えていた斜面より上で尾根上の平坦地だったようだ。地図を見ればわかるが、その平坦地はゲレンデに2本あるリフトのうち、南側のリフトの終点に接して南西方向(リフトを下部から見上げて左)にあたり、その西側には顕著ではないが1277.5mの小ピークがあって、これと東から走る那須岳(より正確には茶臼岳)からの斜面の鞍部になることから、平坦な地形を形作っている。

 昨日の遭難現場の映像は斜面だったが、リフトの終点から前述の平坦地へ向かうルートには傾斜はほぼないことから、ラッセル訓練はおそらくリフトの途中から南側の斜面にからんで取り付き、事故現場の平坦地まで登っていったものと思われる。

 さて、その平坦地だが、それは昨日指摘した急斜面の直下だ。もちろん正確に測ったわけではないが、地図上から読み取り限りでは昨日も書いたように明らかに40度以上の傾斜がある。そして、雪崩は一般的に傾斜30度から45度の斜面で起きる。30度以下では雪の自重(斜面との間の摩擦力)を上回るほどの滑落の力は通常発生しないため雪崩は起きにくいし、45度を超える斜面では雪は常に滑り落ちているため雪崩になるほど深く積もることができない。これは冬山に登る者にとっては一般教養レベルの常識だ。

 問題の斜面の斜度はまさに雪崩発生の条件を備えており、さらにこれも昨日指摘したことだが大きな樹木が見当たらず空に開けていて、過去に雪崩が発生した斜面であることを示唆もしている。この急傾斜は標高差で120m上まで続いており、そこから標高差100mほどはやや緩くなるがさらにその上には標高差で200mを超えるスケールでさらに急な斜面が続いている。自分がこの斜面にもし成木が生えていないことまで見てとったなら、少なくとも大量の降雪直後に近づくようなことは絶対になかったはずだ。報道によれば降雪が続いていて雪崩の発生地点を示す破断面は確認できなかったとのことだが、この斜面で起きたことはまず間違いないだろう。指導教員たち、わけても全体のリーダーを務めたベテランは、これだけリスクの多い斜面をどうして見逃したのか。厳しいようだが、油断というしかないと思う。

 次いで雪崩注意報の話題。マスコミは「警告が出ていたのにそれを無視して登った」との論調で、無謀な行為であったというストーリーを描こうとする。お上のお触れを絶対視するのはいつものことで、これは我がマスコミの悪弊で習性に近いものだ。しかし、あえて言わせてもらえば、雪崩「注意報」程度でやめていたら雪山に登れる機会など事実上ありはしない。登山者個人としての感覚で言わせてもらうが、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」というか、お上はとにかく警告を出しておけばイザというときに言い訳ができるという感覚で、警報にならない程度のリスクであればと、とりあえず注意報を乱発するのではないか。

 雪崩注意報が出たときの登山者のあるべき行動様式は、さらに一層雪崩に警戒して登るべしに尽きる。これを「登るな」などと受け取るのは事なかれ主義の権威に拝跪し自主性を放棄した堕落であって、限りない自由をこそ求める登山行為への冒涜ではないか。ん~、とはいえ実のところ、最近はそんな素直で良い子の児童生徒のような登山者が増えている気もする。まあ、それはさておき、「注意報が出ていたのに無謀な」というプロトタイプ化したマスコミ報道には、その無知と体制迎合ぶりを嗤ってやればいいだけのことだ。

 最後にビーコンという装備についてだ。正確にはアバランチビーコンというのだが、これを60人を超えるような大パーティーが指導教員も含め一台も持っていなかったことが、けしからんといった調子で報道されている。

 ビーコンは簡単に言えば電波信号の携帯用受発信機だ。通常は発信モードにして雪山登山中は常時身につけている。雪崩が起きて埋まっても電波信号はずっと発信され続けているので、埋まらなかったメンバーは直ちにビーコンを受信モードに切り替え、埋設者のビーコンから発信される信号を頼りに埋設位置を特定し、そこを掘って救助するわけだ。もちろん、全員が埋まればビーコンがあろうがなかろうがお手上げだ。

 雪崩で埋まった遭難者の生死は救出までの時間に大きく依存する。埋設から15分以内に救出したときの生存率は90%を超えるが25分で50%に低下する。とにかく一刻を争って掘り出すほかに埋設者を救出する方法はない。つまり、雪崩遭難の埋設者救出にあっては救助隊など他の支援は当てにできない、現場にいる人間がすぐに掘り出さなければ助からないということだ。とはいっても雪原のどこを掘ればいいのか。やみくもに掘ってもいたずらに時間を浪費するだけだ。ビーコンは遭難者の埋設場所を特定することで、この時間の浪費を防ぐところに最大の使用価値がある。

 だが、言うは易くであって、ビーコンは実際にはかなり訓練を積まないと使用できない道具という一面もある。(これについては以前書いた)。また、その機能からいって、パーティーのメンバー全員が持たなければ意味がない。一部のマスコミが「1台も持っていなかった」とさも呆れたように報じていたが、まさに無知をさらけ出しているようなものだ。1台だけあったって何の役にも立たないんだよこの道具は。さらに、ビーコンは捜索範囲を狭めてくれるだけで、最後にピンポイントで埋設位置を決定するにはゾンデ(プロープともいう)棒を雪に突き刺す必要があり、掘り出すにはもちろんスコップが不可欠だ。これも全員が持参しなければならない。

 ビーコン自体が高価だが、さらにゾンデとスコップを加えると安いもので揃えても5万円くらいになる。これらを登山を始めたばかりの高校生全員に、登山靴やザックや雨具といった不可欠の道具に加えて購入させるというのは非常にむつかしい。すでに冬山にガツガツ登っていた社会人登山者であった自分たちでさえ、ビーコンが世の中に出てきた当初は値段の高さ(当時は今よりもっと高かった)に即金では買えず、ビーコン積立基金を作って春から秋までメンバーから月々金を集めて冬山直前にやっと必要台数だけ購入したものだった。そんな道具を、「高校生や教師全員が持っていないのがけしからん」と報じるのは事情を知らぬにも程がある。これについて報じるなら、高体連等がビーコンを購入しそれを高校生たちに貸し出すシステムをこそ提案すべきではないか。

 ところで、ビーコンに頼らなくても完全ではないが代わりになる方法はある。登山スラングで雪崩紐と称するのだが、ビーコンが出回る前はこれが埋設者特定の道具だった。といって特別山道具の店で購入するようなものではない。荷造り用の赤いテープ紐(50m巻で100円もしないだろう)で十分、雪崩のリスクがあるところを通過するときはこの荷造り紐10mばかりを身体に結び、ずるずる引っ張って歩くのだ。まあ、あまり格好の良いものではないが、雪崩に襲われればこの紐が巻き上がり、運がよければその一部が雪の上に出てくれるだろうという期待を込めてそのカッコ悪さを耐えるのである。もしそうなれば、埋設者の探索は一発ドンピシャで、ビーコンに比べてもはるかに早いはずだ。紐も全部埋まる可能性は否定できないが、ビーコンだって埋設位置が深くなればその場所の特定は非常に困難になり万能ではない。

 しかし、今回のパーティーはこの雪崩紐も装備してはいなかった。雪崩紐は古い冬山の知恵である。若い登山者はほとんど知らないだろう。今回の遭難パーティの指導者も知らなかったかもしれない。だからこそ、こうした古い知恵も含めて、生徒たちを率いる教師やリーダーたちに継承する機会を設けるべきなのだと、昨日の結論を再度述べて結びたい。


 山の話題でもう一枚。こちらは秋の甲斐駒ケ岳(コットマンF4)です。


170305 秋の甲斐駒ケ岳 (2)サイズ



 3月27日朝、那須温泉ファミリースキー場のゲレンデ付近の斜面で、栃木県高校体育連盟主催の春山登山講習でラッセル訓練中の高校生や指導教員が雪崩に巻き込まれ、28日午前時点で8人が死亡、40人が重軽傷を負う大遭難事故が発生した。

 山での遭難事件をウオッチングし続けている者として、雪山で公的機関が行う教育訓練で発生した死亡事故というと、指導教員一人が死亡した1983年の北アルプス五竜遠見尾根での雪崩事故、受講していた大学生二人が死亡した2000年の北アルプス大日岳での雪庇崩落事故をすぐに思い出す。いずれも雪の状態を読み誤ったことが遭難につながったが、今回も同じ轍を踏んだ可能性が高い。

 事故現場に近い観測点では27日1時から9時までに33cmの積雪を記録、また生還した高校生はスキー場に設置したベースキャンプで50cmほどの積雪があったと話しており、季節はずれの大雪が降ったことは間違いない。全国的に一週間ほど前から春を思わせる暖かい日が続いていたが、三日前から冬に逆戻りしたような低温となった中での大雪だった。

 こんな気象条件のときに山にいて想像するのは、気温上昇で表面が溶けた雪の斜面が再び凍るいやらしい雪質だ。積雪の深さ、斜面の向きや斜度などで状態は千差万別だが、おおむねカチカチのアイスバーンか表面だけ凍って中はフワフワに柔らかいいわゆる「モナカ雪」となる。いずれも春山の歓喜のイベントである山スキーには嬉しくない雪で警戒心が高まるが、さらにこれに新しい雪が大量に積もるとなると、心中には表層雪崩の怖さがむくむくと頭をもたげてくる。

 弱層テストといって、雪中に表層雪崩が起きる滑り面の有無を確かめる技術があるのだが、今回のような気象条件であれば、斜面に入る前にその弱層テストを欠かすことは絶対にないだろう。また、弱層テストを行うまでもなく、50cmもの大量の降雪があったとなれば、新しい雪が斜面に落ち着くまでは動かないのが冬山の常識だ。今回、このラッセル訓練では8人の教員が指導に当たっており、冬山のベテランも含まれていたという。なのに、こうした冬山の常識がなぜ顧みられなかったのだろう。

 あくまで現時点での私見だが、「ゲレンデに近い」ということが指導者たちの判断を誤らせた原因ではないか。指導者たちは、当日、本来なら予定していた那須岳への登山は賢明にも中止している。2泊3日の訓練の最終日のことだ。それまでの訓練の内容は現時点で知る由もないが、常識的に考えて恐らくアイゼン歩行やピッケルの使用法、滑落停止法の反復練習や、雪中での幕営方法、生活技術などが教示されたことだろう。那須岳への登山はそうした訓練の仕上げとなるメインイベントだったはずだ。

 それがなくなったとき、もちろんすぐに撤収して帰る選択肢もあったわけだが、リーダーは教育者であるがゆえに余った時間を生徒たちの今後のために活かそうと考えたに違いない。深雪の中に進路を拓くラッセルは冬山技術の中でも最も体力を消耗する辛い作業だが、一面、全身雪まみれになって童心に帰るような楽しさもある。せっかくの春山登山講習、メインイベントであった苦しい登高の末の那須岳登頂の喜びに代えて、苦しくも楽しいラッセルを体験させようとした指導者たちの考え方は理解できる。

 また、那須岳登頂が天候等の都合で中止となる可能性は元々かなり高いわけだから、その場合のエスケーププランとしてラッセル訓練が最初から組み込まれていたこともありそうなことだ。というか、登山計画を立てる常識から言えば当初の行動計画が不能となった際の選択肢を予め決めておくことは必須であるから、当然そうなっていなければならない。この春山登山講習は10年以上の実績があるというから、過去にも那須岳登山に代えてラッセル訓練を行ったケースがあったかもしれない。だとすれば、それも今回の遭難事故の伏線になった可能性がある。

 雪崩が起きた斜面の状況はよくわからないが、映像と地理院地図で確認できる範囲ではスキー場はすり鉢状のなだらかな谷にあって、雪崩が起きた現場はゲレンデ下部から見上げて左側(南側)奥の斜面の疎林。映像ではさらに上は木立が薄く開けているように見える。地図ではゲレンデから奥(東)には水平距離100mで標高差100mになる40度超の急峻な斜面が立ち上がっているから、映像で木立が薄く見えていたのがこの急斜面かも知れない。もちろん、この斜度であれば雪崩が起きることに何の不思議もない。ここで発生した雪崩が下部の疎林にいた高校生らを呑み込んだのだろうか。

 いずれにせよ、現場はレジャー施設であるゲレンデに隣接する、どこにでもあるたいして傾斜のない斜面だ。その斜面自体は雪崩が起きるような場所ではないし、その証拠に成木も生えている。そうした訓練場所への安易な認識が、雪崩への警戒心を緩ませてしまったのではなかったか。さらに、過去、同じ場所でラッセル訓練をしていたとすれば、その慣れから雪崩についてのあらためてのリスク評価もなおざりにされたかもしれない。自然の脅威はそうしたベテラン指導者たちの心の隙を突いたのではないか。

 幕営での寝泊りを含む訓練を指導する教員らには頭が下がる。生徒たちをたくましく育てたい熱意なしには成し得ない、単に山が好きなだけでは務まらない仕事だ。それだけに業務上過失致死傷に問われざるを得ない今回のような事故が残念でならない。本来、決してあってはならない事故だった。だがだからといって今回の指導教員らの判断ミスだけに責任を被せるのも違うと思う。少なくとも公的機関が教育として行う山岳訓練の指導者については、その実力を高めるよう援助するとともに客観的にその力量を評価するシステムが必要ではないか。過去に起きた雪山訓練中の事故ともあわせ、そのことがあらためて問われなければならない。山好きな教師の善意だけに任せる現状のままでは、再びこうした事故が起きることを防げない。文科省と高体連は、およそ登山文化とは無縁な「山岳競技」などという愚にもつかないことにいつまでも執着するのではなく、登山指導者の養成システムをこそ整備すべきなのだ。               (合掌)


 山の話題関連ということで、今回の一枚は「秋の八ヶ岳」(コットマンF4)。東方から望んだ姿で中央が赤岳になります。



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 昨日15日午後、八ヶ岳を構成するピークのひとつ阿弥陀岳の頂上に近い南稜で表層雪崩が発生、登山中だった3人パーティが巻き込まれて300mを滑落、女性一人が死亡し男女各一人が重軽傷を負った。同パーティは八ヶ岳を熟知する地元の30代男性山岳ガイドが業務として60代の女性2人を引率していた。報道によれば、八ヶ岳は数日前の陽気でいったん解けた雪がこのところの冷え込みで堅く凍り、その上に新雪が積もって表層雪崩が起きやすい状況にあったらしい。

 原村から取り付く阿弥陀岳南稜にハイキングレベルの道はなく、特に稜線に出てからは夏でも厳しい岩尾根のバリエーションルートになる。まして積雪期、山のプロが初老の域にある女性客を引率して挑むからには、安全に踏破できる確証があってのことだったと思うが、どこで何を読み誤ったのだろうか。和歌山で収集可能なわずかな情報から安易な憶測は慎みたいが、雪崩に対する備えの重要性を改めて知らされる事件ではある。

 私が所属する紀峰山の会も、同じ八ヶ岳で冬の主稜縦走に挑む計画を立てていた。南八ヶ岳主稜は阿弥陀岳南稜に比べ入山者こそ多いが、冬山の経験がそうないメンバーたちにとり難度は同程度だと思う。そこで問題になった課題の一つが雪崩対策だ。自分はこのパーティのメンバーではなかったが、冬の八ヶ岳ならもう10回以上寝泊まりして大概のルートを登っているし、雪崩についての知識も経験もそこそこある。そこで老婆心ながら助言したことを、会誌『紀峰の仲間』に発表したのが以下の文章。ブログの更新がままならず恥ずかしいのだけれど、関心があれば読んでください。



     コラム  雪崩のリスクと対策を考える

 今回は、植物百話をひと休みして雪崩のリスクとその対策について書こうと思う。この間、紀峰塾が企画した南八ヶ岳主稜縦走を巡っていくつか質疑応答があり、特に冬山の大きなリスクのひとつである雪崩への対処法について、会全体で共有しておく必要を感じたからだ。

さて、冬山といえば直ちに雪崩の恐ろしさを連想されることが多いが、実際のところ雪崩による登山者の死亡事故はそれほど多いわけではない。冬山での遭難事故原因についての正確なデータが見つからないので、これまで長年、山岳遭難報道をしつこくチェックしてきた自分の印象から語るしかないのだが、冬山で一番多い死亡原因は滑落で凍死がこれに次ぐのではないかという感じだ。

 入山者の数からみて以下の大半は夏山での事故だろうが、警察庁生活安全局がまとめた『平成25年中における山岳遭難の概要』によれば、遭難(死亡事故に限らない)の原因は道迷いが41.8%でトップ、17.0%の滑落さらに14.5%の転倒がこれに次ぐ。冬は氷雪という環境が滑落や転倒のリスクを高め、夏なら道迷いで済む小さなトラブルが酷寒の冬山では凍死に直結するという差があるだけで、遭難原因自体に夏冬違いがあるわけではないだろう。ちなみに雪崩による遭難者数は全体の0.7%に過ぎない。

 にも拘わらずこの程度のリスクに不釣り合いなほど雪崩に大きな脅威を感じるのは、滑落や道迷いが登山者の注意や努力で相当程度まで回避可能と思われるのに比べ、雪崩はその多くが登山者の失策とは無関係に発生するのに加え、滑落や道迷いに比べ遭遇した際の致死率が格段に高いためだろう。

 たしかに、雪崩の予測は専門家でも難しい。自分はこれまでの長い山行生活を通じ雪崩に3回遭遇しているが、そのうち2回はやはり不意打ちの印象だった。雪崩発生のメカニズムなどひと通りは勉強し、弱層テストもしてそれなりに警戒はしていても、自然はそんな人間の事情など考慮してはくれない。条件さえ整えば斜面にビシッと亀裂が走ってその下の雪が動き始め、速度を増し、やがて斜面全体が崩れ落ちてくる。

 こうしていまコラムを書いているからには生き延びているわけだが、例えば穂高の吊り尾根直下にあるトリコニー(靴裏に打つ鋲の意味)と呼ばれる岩場を登攀している最中、背後の岳沢大滝付近で起きた底雪崩では、轟音の直後に爆風と雪煙が押し寄せ、危うくしがみついていた岩から身体が引きはがされるかと思った。大きな雪崩のパワーは本当に総身の毛がよだつほどにすさまじい。

 とはいえ、いずれの場合もパーティに危険が及ばなかったのは、ヤバそうな斜面は用心して迂回したり疎林帯を直登するとか尾根通しに歩くとか、できるだけ雪崩が起きそうな状況から距離をとるルートを意識していたからだ。雪崩自体は何の予兆もなく突然に起きたが、「危うきに近寄ら」ない君子の警戒は有効だった。ついでながら自分が遭遇した残る1回は立山の雄山直下から黒部湖へ、不安定な斜面にスキーで不用意に踏み込んだ自分が引き起こしたのだから警戒もくそもない自業自得だった。しかしこのときは幸い雪崩の頂点にいたため、波乗りのように雪崩に乗ったまま斜面を下り事なきを得た。

 だがもちろん、不幸にして雪崩に飲まれた場合のことも考慮しておかねばならない。雪崩による死亡原因の半ば以上は窒息だ。雪に埋まってからも生きているケースは多いのだが時間の経過につれ窒息のリスクが増し、生存可能性は加速度的に低下する。つまり、どれだけ早く掘り出し呼吸させるかが生死を決するのだ。もちろん状況にもよるが、おおむね半時間以内に救出できるかどうかで生死の比率は逆転するといわれている。

 だから、冬山登山や山スキー(最近はバックカントリースキーなんて言ったりもする)では、アバランチビーコン(電波信号の受発信機=埋まった人の位置を特定するのに役立つ)、ゾンデ(=プローブ=雪に突き刺して遭難者を探る棒)、そして雪スコップを「雪山の三種の神器」などと称し、持参することが推奨されている。

 だが、「三種の神器」を持ち上げすぎる昨今の風潮も疑問だ。なぜなら、これらを効果的に活用するには事前にかなり練習して使い方に習熟する必要があり、持参するだけでは「神器」も無用の長物に過ぎないこと。さらに、実際にホンモノの雪崩を掘ってみればわかることだが、道具の使い方に習熟し遭難者の埋設地点を特定できたとしても、デブリの堅く締まった雪を掘るのはとんでもない重労働で、二次遭難のリスクがない状態で人海戦術がとれる場合以外、雪崩で深く埋まった人を救うのは実際には非常に困難だということが、きちんと伝えられていないように思うからだ。

 優れた道具は命を救える可能性を高めるが決して万能ではない。自分としては、最悪の事態に備え、使い方に習熟したうえで三種の神器を持参すべきとの意見に大いに同意はするが、山スキーや冬山には、こうした雪崩遭難の過酷な現実を理解し受容したうえで行くべきで、やはり雪崩対策の基本は、あくまで天候と地形と雪質を読み尽くし、慎重にルートを選び、進退を判断し、とにかく遭遇しないことに尽きると思うのだ。

 さて、この項の最後に今回紀峰塾の冬山で話題になった「雪崩ひも」の件。自分がまだ紅顔(厚顔ではない!)の若者・・だった頃、ビーコンがまだなかった当時は、10mほどの赤い荷造りヒモや毛糸を腰に結び、尻尾のように長く延ばして行動するような不格好なことをしていた。万一雪崩に巻き込まれもみくちゃにされても、軽いヒモは風圧で飛ばされて雪面上に出る可能性が高いからだ。

 当時、雪崩ひもは小さく丸めて輪ゴムで止めておき、雪崩が起きたら輪ゴムをほどいて放り投げるのが使用法として伝えられていたが、パニックに陥ること必定の状況下、そんな悠長なことをしている余裕があるのか、またこんな方法でちゃんとヒモが伸び切って雪の上に出てくれるのか、いずれも自分としては確信が持てなかったので、やむを得ず雪崩の発生を否定しきれない斜面付近を通過しなければならないときは、紀峰のパーティ全員事前にひもを伸ばし、赤く長い尻尾を引きずって歩くようにさせていたのだった。

 もちろん万能ではないが一部でも雪面に出ていれば、ビーコンより遥かに早く遭難者にたどり着ける優れた道具だろうと今でも思う。ちなみにかたやビーコンは一台数万円、こなた雪崩ひもは一本せいぜい5円程度、コストパフォーマンスでいえば勝負にならない圧勝だ。紀峰では三種の神器と雪崩ひも両者を併用するとともに、これらを使用しなくて済むよう、雪崩との遭遇を未然に避ける学習と経験の蓄積に努力してほしいと思う。

 繰り返すが、きちんと対処すれば雪崩のリスクは一般に思われるほど大きなものではない。実態以上に恐れず勇んで冬山に出かけようではないか。その素晴らしさ、そこで得られる感動は、雪崩のリスクなど補って余りあることは間違いないのだから。



 今年のいわゆる「シルバーウィーク」は曜日の組み合わせがよく、その後のウイークデイを2日休めば9連休になる。これを使わない手はないので、北海道の道央道東地域へ7泊8日の山旅を計画した。

 スタートは19日の土曜日、関空午後2時発のフライトで新千歳空港に飛び、車中泊も可能なワゴンタイプのレンタカーに乗り換える。天候は残念ながらしっかり雨だ。当初の予定ではまず十勝岳の登山口である十勝岳温泉に向かうところだったが、明日午前中まで雨が続くという予報なので計画をきれいにひっくり返し、最後に訪ねるはずだった釧路湿原にまずは向かうことにした。湿原を歩くだけなら雨もウエルカムだ。

 道東道は最近、釧路手前の白糠(しらぬか)まで開通しており助かるがそれでも遠い。終点の白糠インターで降りる頃には日もとっぷりと暮れ、いったいどんな所を走っているのやら、家屋など人工の灯りなどまったく見当たらず、先行する車も後続車も絶無で対向車もほとんどないメッチャ淋しい真っ暗な道を、ヘッドライトが照らし出す小さな視界に叩き付ける土砂降りの雨だけを見つめながら走り続けること2時間弱、ようやく見つけたオアシスのようなコンビニでなんとか当面の食料を調達し、ホッと一息ついたのだった。「いやあ飢え死にしなくてよかった、やっぱ北海道は広い!」とつくづく思いつつ、釧路市に近い道の駅「しらぬか恋問(こいとい)」で車中泊とした。

 明けて20日は小雨。まず釧路市立湿原展望台まで走り、7:20から1時間かけて同展望台を起点とする一周2.3kmの遊歩道を歩いた。その一角で釧路湿原を見下ろす大展望が得られるが、道はほとんどが展望の利かない森の中を縫っており期待外れ。計画ではこの周遊路からさらに3km先のビジターセンターまで歩き、路線バスに乗って展望台に戻るつもりだったのだが、「ノロッコ号」に乗車する時間の関係で割愛。その代わり、ビジターセンターに車を乗り付けてそこを起点とする3.2kmの木道を一周した。この木道はまさに湿原の中を巡っており、その広大さを実感できる。途中、タンチョウヅルのカップルを目撃し、メスのエゾシカにも二度出会った。

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湿原展望台歩道からの眺め。広大な釧路湿原を一望できるがあいにくの天気でよく見えない

 釧路駅に直行し、11:06発の釧路湿原観察特別列車ノロッコ号に乗る。同列車は武骨なジーゼル機関車が牽く5両編成。日曜日とあって指定席は満席だが自由席で十分だ。釧路駅から塘路(とうろ)駅まで、往路は立ったが帰路は特等席に座って釧路湿原の風景を楽しんだ。釧路駅に戻り付近のスーパーで食料を調達。斜里岳に登るため知床へと長い道をひた走った。

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  ノロッコ号の機関車

 この日の泊地は清里町の道の駅「パパスランドさっつる」。格安の日帰り温泉も併設の道の駅で、駐車場は車中泊族で満杯だ。晴れていれば斜里岳の端正な姿を望めそうだが、この日は頂上にしっかり雲。もう運転することはないので、地元産のジャガイモ焼酎の無料試飲を楽しんで自炊し車中泊した。

 21日は斜里岳登山。4時に起床して行動開始。道標に導かれて舗装路からダートの林道に入り、夜明け頃に登山口の清岳荘駐車場に到着した。早速身支度を整え5:50から登山開始だ。樹林帯をわずかに歩いて出た林道の先から登行が始まる。と、これがなかなか手ごわい。ルートは前日までの雨で増水した一の沢川に沿っているのだが、この道を登るのになんと13回も石飛びの渡渉を要求される。頼りの飛び石は遠いうえ水面下の石もあり、足の短い者には辛い試練だ。これをなんとかこなして6:55に下二段、8:35に熊見峠と進む。熊見峠からは「ふたこぶラクダ」の背のような斜里岳の全貌を望むことができる。さらにひと頑張りで9:30に上二段、そこからの厳しい急登をこなして10:30にようやく快晴の馬の背に着くことができた。

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 熊見峠から望む斜里岳。左側のピークが頂上で、ふたこぶの右側の鞍部が馬の背。ハイマツ帯をなだらかにたどる登山道がよく見えているが、その先から馬の背までがきつい。

 馬の背は斜里岳(1536m)頂上直下の鞍部で、西にはカムイシュ島を浮かべた摩周湖が、また北西には知床連山の山並みとさらに海を隔ててすぐそこに国後島をくっきりと望むことができる。頂上まではあとわずかだが、ここまで標準タイム3時間10分の登りに4時間40分を要した自分の体力と、帰路に再びあの厄介な13回の石飛び渡渉が待ち構えることを考慮して自重。その場に寝転んでたっぷり高山の空気を吸い、その雰囲気を楽しんでから11:25に下山を開始し、14:25清岳荘に帰り着いた。朝登ったダートの林道を下り、途中通過する「パパスランドさっつる」の温泉で昨日に続き再び汗を流してから、長駆して日暮れ前に津別町の「道の駅あいおい」に到着した。

 22日は3時に起きて、真夜中の道を雌阿寒岳の登山口となる野中温泉へ走る。途中、立派な角を持つオスのエゾシカやキタキツネに出会った。野中温泉着は4時半、準備を整えて5:20に登行を開始。ヒグマ除けの鈴を鳴らしてゆくが、夜明けにその日のトップでヒグマの領域に侵入するのはさすがに気味が悪い。しかし、すぐにキノコ狩りの老夫婦が追い越してくれたので、気が楽になった。

 登り始めはエゾマツとトドマツの針葉樹林だが、6:20に到着した三合目が早くも森林限界で、そこから上はハイマツ帯となり展望も開ける。五合目には7:00に到着。天気は快晴、やがて眼下にオンネトー湖が見え、また人工物一つない広大な樹海が果てしなく広がっていて実に豪快な眺めだ。7:20に七合目。雌阿寒岳(1499m)は活火山で登頂が規制されており、いま登れるのはここまで。ということで、いささか消化不良気味ながらこれで登頂とするほかない。8:00に下山を開始し、9:40に登山口の野中温泉に帰着した。その途中、ハイマツ帯でマツタケを採取している夫婦(朝の夫婦とは別)と遭遇。ちょうど奥さんが密生するハイマツの奥に潜り込んでマツタケを見つけたところで、巨大なマツタケを3本収穫している最中だった。男性の横に座っていた犬はふもとの温泉のムクという飼い犬で、ここまで勝手について登ってきたそうだ。

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噴火警戒のため、雌阿寒岳で登れるのはここまで。登山道がロープで閉鎖されている。

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 ハイマツにもマツタケが生えると初めて知った。なかなか立派なマツタケだが、傘が開ききっていて匂いはイマイチだった

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  登山口の温泉宿から夫婦についてきた「迷犬」ムク。かなりのご高齢だ。

 まだ時間は早いが、尋ねてみると入れそうなので温泉で汗を流すことにする。温泉は野中温泉別館と今は宿泊を受け付けていない元ユースホステル、さらにやや登った景福旅館にもあるが、パッと見た感じ、一番景色のよさそうな元ユースホステルに入れてもらった。ここは格安の200円。脱衣所にも籠しかない素朴な湯だが、白濁した湯が素晴らしく、秘湯の雰囲気もたっぷりで楽しませてもらった。

 そこから次の登山口へ移動する手もあったのだが、オンネトー湖から見上げる雌阿寒岳と阿寒富士の姿があまりに美しくて立ち去りがたく、湖に接するオンネトー国設野営場で幕営することにした。野営場から雌阿寒岳は望めないのだが、快晴の昼下がり、湯上りでサッパリした身体に木漏れ日を浴びながら、早くもビールを流し込んでしばしまどろむ、自称「野宿のプロ」には幸せいっぱいの贅沢な時間だった。

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  オンネトー湖から望む雌阿寒岳(左)と阿寒富士。

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  オンネトー国設野営場に張ったテント。

 23日、3時半に起きてテントを撤収し4時前に野営場を後にする。ナビに入力すると次の目的地層雲峡へは180㎞もある。もっと近いと思っていたのでこれは誤算だった。慌てて未明の国道を疾走する。ところどころ霧が出て視界が遮られるが、幸い先行車は皆無で信号もほとんどなく、ロープウエイの始発時間ちょうどに層雲峡に到着することができた。

 ロープウエイとリフトを乗り継いで7:25、七合目から登行開始。大勢の登山者や観光客に次々に抜かれながら、急登の道を自分のペースでゆっくり登ってゆく。8:10に八合目、そして9:20に大雪山黒岳(1984m)の頂上に達した。この日も快晴、緩やかに大地がうねる広大な御鉢平とそれを取りまく外輪山、そして草紅葉が織りなす大観はまさに絶景というに尽きる。お茶を沸かしこの絶景を豪華な副食にゆっくりフランスパンの朝食をとった。黒岳石室に向かう道を半ばまで歩いて撮影してから折り返し、黒岳頂上に戻って11:00から下山、11:50にリフト終点の七合目に戻った。

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黒岳頂上

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  黒岳山頂からの展望。なだらかに丘陵がうねるような天上の別天地だ。中央の歩道を下るとすぐに黒岳石室の小さな小屋が見えてくる。

 層雲峡温泉の日帰り湯を使ってから再び車に乗って旭岳をめざし、日暮れ直前に旭岳ロープウエイ山麓駅に近い東川町青少年野営場に到着。それまでの道中、アーベンロートに燃える旭岳が美しかった。さて、幕営は可能だが日が暮れた今からテントを張るのは面倒だし、管理人が「たまにクマも出る」ともいうしで車中泊とした。

 24日、4時半に起きてロープウエイ山麓駅に移動。朝食を作って食べながら始発のロープウエイを待って搭乗し、6:45に姿見の駅から歩きだした。紅葉は今が盛りで、正面に北海道最高峰の旭岳(2291m)の重厚な山容を望んでいたく登行意欲をそそられたが、前日黒岳を登った際の体調を考えて自重。姿見の池などを見て回る2㎞足らずの散策路を周遊して満足することにした。というわけで、チョーゆっくり休み休み周遊。途中、お茶を沸かしたり、冬支度に忙しいエゾシマリスを映像に収めたりしながら、実に4時間も旭岳を中心とする風景を見つめて過ごした。この日、旭岳と最も長い時間対峙したのは、間違いなく自分であったと思う。

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  姿見の池と大雪山旭岳、重厚で雄大な山容だ。

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  登山道わきで見かけたチングルマの大群落の紅葉。

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  冬支度に余念のないエゾシマリス。ひっきりなしに餌(恐らくハイマツの種子)を拾って口いっぱいに含んで運んでいた。どこかに貯めて越冬に備えるのだろうと思う。

 下山して十勝岳へ。まず登山口の少し下のカミホロ荘で入浴してから、登山口の駐車場に車を上げて車中泊とする。単なる駐車場だがトイレも完備していて野宿者には快適な所だ。食事の準備をしていると、ヒゲのオジサンが下山してきたので山の様子を聞いてみた。オジサンによると、十勝岳は火山のため火山礫の斜面ばかりで紅葉する樹木もなく面白くないとのこと。今の時期、紅葉を楽しむなら富良野岳にすべしと強く勧められたので、それに従うことにして寝る。

 25日、4時前に起きて準備を始めるが、やはりヒグマの山をトップで歩くのは気味が悪いのでダラダラ準備を引き延ばし、同じ頃から準備を始めた隣のカップルがスタートするのを待って5:30、こちらも動き始めた。最初は車も通れそうな整備された道を行く。やがて荒涼とした安政火口を左手に見て谷を渡り、ナナカマドの紅葉が美しい灌木帯の道を上がって7:00にカミホロ分岐に達した。十勝岳へはここを左折するが富良野岳へは直進。そこからダラダラとした上り下りを経て8:40に富良野岳分岐へ、さらに急登をこなして9:30、富良野岳(1912m)の頂上に立った。

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  安政火口付近、荒々しい火口壁を背景に紅葉が見事だ。


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  端正な山容の十勝岳

 頂上からは胸のすくような大展望だ。北には旭岳や黒岳、さらにトムラウシまでも見渡せる。反対の南側には幌尻岳以下の日高山脈の山々、さらにその右手に夕張岳や芦別岳までが同定できた。わけても十勝岳の頂を天に突き上げたピラミダルな山容がひときわ目を引く。なるほど、十勝岳に登っていればこの絶景は望めなかったわけで、前日のオジサンの助言に改めて感謝しつつ、絶景を望んでの贅沢な朝食。まさに登山できる喜びをかみしめる瞬間だ。いやあ、登ってよかったあ。

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富良野岳。山頂は雲海の上、結構風があって寒かった。

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  富良野岳山頂からの眺め。まさに絶景。

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  ちょっと引くとこんな感じ、左奥に大雪山系北部、旭岳などの山並みが見えている。

 10:00に下山開始。盛りの紅葉に後ろ髪をひかれ、キタキツネに出会ったり、たびたび立ち止まって風景を記憶に焼き付けたりしながらゆっくり歩いて13:15、登山口に帰着した。すぐに登山口に隣接する十勝岳温泉凌雲閣で汗を流す。料金は800円と高いが、露天風呂からの展望がこれまた紅葉を眼前に臨む超絶景。料金だけのことはあると納得した次第だった。ちょうど恐らく旅番組と思われるテレビの取材が入っていて、風呂場に出入りするスタッフたちが邪魔だったが、テレビで紹介するだけの値打ちのある温泉ではあった。その夜も同じ駐車場で寝る。

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  しばらく私の周辺をウロウロしていたキタキツネ。人を恐れる様子はまったくない。

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  日本離れした素晴らしい山岳景観・・・

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  前の写真と同じ位置から、引いてみるとこんな感じ。 実は露天風呂から撮影していたのでした。

 最後の26日は予備日だが、登頂はできなくても山の予定はすべて滞りなくやり遂げたので、特になすべきことはない。で、何をして遊ぶか考えた結果、近くの旭山動物園に立ち寄ることにし、それを楽しんでから(これはホント、楽しかったです)新千歳空港に戻り18:35のフライトで20:45関空へ。予定通り21:30ごろ、自宅に無事帰還した。

 長丁場の山旅。登山は携帯用の酸素ボンベに頼りながらで、今回対象とした5座のうち2座は登頂すらできなかったが、ともあれ今の自分にできる範囲で登山者としての最善は尽くしたと思う。長期の野宿でさすがに多少疲れはしたが、釧路湿原以外は連日快晴にも恵まれ、充実した8日間だった。