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 那須岳での高校生遭難事故について昨日の記事に補足。一日たって、この遭難についての追加情報がいくつか入ってきた。そのなかであらためてここで触れておきたいのは、雪崩が発生した地点、雪崩注意報、そしてビーコンという装備についての話題だ。

 まず雪崩の発生状況については、昨日、自分がまだ乏しかった遭難現場の情報と地理院地図から見立てたとおりであることが明らかになった。ただ、より詳しく報道されたところによれば、遭難現場は昨日自分が考えていた斜面より上で尾根上の平坦地だったようだ。地図を見ればわかるが、その平坦地はゲレンデに2本あるリフトのうち、南側のリフトの終点に接して南西方向(リフトを下部から見上げて左)にあたり、その西側には顕著ではないが1277.5mの小ピークがあって、これと東から走る那須岳(より正確には茶臼岳)からの斜面の鞍部になることから、平坦な地形を形作っている。

 昨日の遭難現場の映像は斜面だったが、リフトの終点から前述の平坦地へ向かうルートには傾斜はほぼないことから、ラッセル訓練はおそらくリフトの途中から南側の斜面にからんで取り付き、事故現場の平坦地まで登っていったものと思われる。

 さて、その平坦地だが、それは昨日指摘した急斜面の直下だ。もちろん正確に測ったわけではないが、地図上から読み取り限りでは昨日も書いたように明らかに40度以上の傾斜がある。そして、雪崩は一般的に傾斜30度から45度の斜面で起きる。30度以下では雪の自重(斜面との間の摩擦力)を上回るほどの滑落の力は通常発生しないため雪崩は起きにくいし、45度を超える斜面では雪は常に滑り落ちているため雪崩になるほど深く積もることができない。これは冬山に登る者にとっては一般教養レベルの常識だ。

 問題の斜面の斜度はまさに雪崩発生の条件を備えており、さらにこれも昨日指摘したことだが大きな樹木が見当たらず空に開けていて、過去に雪崩が発生した斜面であることを示唆もしている。この急傾斜は標高差で120m上まで続いており、そこから標高差100mほどはやや緩くなるがさらにその上には標高差で200mを超えるスケールでさらに急な斜面が続いている。自分がこの斜面にもし成木が生えていないことまで見てとったなら、少なくとも大量の降雪直後に近づくようなことは絶対になかったはずだ。報道によれば降雪が続いていて雪崩の発生地点を示す破断面は確認できなかったとのことだが、この斜面で起きたことはまず間違いないだろう。指導教員たち、わけても全体のリーダーを務めたベテランは、これだけリスクの多い斜面をどうして見逃したのか。厳しいようだが、油断というしかないと思う。

 次いで雪崩注意報の話題。マスコミは「警告が出ていたのにそれを無視して登った」との論調で、無謀な行為であったというストーリーを描こうとする。お上のお触れを絶対視するのはいつものことで、これは我がマスコミの悪弊で習性に近いものだ。しかし、あえて言わせてもらえば、雪崩「注意報」程度でやめていたら雪山に登れる機会など事実上ありはしない。登山者個人としての感覚で言わせてもらうが、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」というか、お上はとにかく警告を出しておけばイザというときに言い訳ができるという感覚で、警報にならない程度のリスクであればと、とりあえず注意報を乱発するのではないか。

 雪崩注意報が出たときの登山者のあるべき行動様式は、さらに一層雪崩に警戒して登るべしに尽きる。これを「登るな」などと受け取るのは事なかれ主義の権威に拝跪し自主性を放棄した堕落であって、限りない自由をこそ求める登山行為への冒涜ではないか。ん~、とはいえ実のところ、最近はそんな素直で良い子の児童生徒のような登山者が増えている気もする。まあ、それはさておき、「注意報が出ていたのに無謀な」というプロトタイプ化したマスコミ報道には、その無知と体制迎合ぶりを嗤ってやればいいだけのことだ。

 最後にビーコンという装備についてだ。正確にはアバランチビーコンというのだが、これを60人を超えるような大パーティーが指導教員も含め一台も持っていなかったことが、けしからんといった調子で報道されている。

 ビーコンは簡単に言えば電波信号の携帯用受発信機だ。通常は発信モードにして雪山登山中は常時身につけている。雪崩が起きて埋まっても電波信号はずっと発信され続けているので、埋まらなかったメンバーは直ちにビーコンを受信モードに切り替え、埋設者のビーコンから発信される信号を頼りに埋設位置を特定し、そこを掘って救助するわけだ。もちろん、全員が埋まればビーコンがあろうがなかろうがお手上げだ。

 雪崩で埋まった遭難者の生死は救出までの時間に大きく依存する。埋設から15分以内に救出したときの生存率は90%を超えるが25分で50%に低下する。とにかく一刻を争って掘り出すほかに埋設者を救出する方法はない。つまり、雪崩遭難の埋設者救出にあっては救助隊など他の支援は当てにできない、現場にいる人間がすぐに掘り出さなければ助からないということだ。とはいっても雪原のどこを掘ればいいのか。やみくもに掘ってもいたずらに時間を浪費するだけだ。ビーコンは遭難者の埋設場所を特定することで、この時間の浪費を防ぐところに最大の使用価値がある。

 だが、言うは易くであって、ビーコンは実際にはかなり訓練を積まないと使用できない道具という一面もある。(これについては以前書いた)。また、その機能からいって、パーティーのメンバー全員が持たなければ意味がない。一部のマスコミが「1台も持っていなかった」とさも呆れたように報じていたが、まさに無知をさらけ出しているようなものだ。1台だけあったって何の役にも立たないんだよこの道具は。さらに、ビーコンは捜索範囲を狭めてくれるだけで、最後にピンポイントで埋設位置を決定するにはゾンデ(プロープともいう)棒を雪に突き刺す必要があり、掘り出すにはもちろんスコップが不可欠だ。これも全員が持参しなければならない。

 ビーコン自体が高価だが、さらにゾンデとスコップを加えると安いもので揃えても5万円くらいになる。これらを登山を始めたばかりの高校生全員に、登山靴やザックや雨具といった不可欠の道具に加えて購入させるというのは非常にむつかしい。すでに冬山にガツガツ登っていた社会人登山者であった自分たちでさえ、ビーコンが世の中に出てきた当初は値段の高さ(当時は今よりもっと高かった)に即金では買えず、ビーコン積立基金を作って春から秋までメンバーから月々金を集めて冬山直前にやっと必要台数だけ購入したものだった。そんな道具を、「高校生や教師全員が持っていないのがけしからん」と報じるのは事情を知らぬにも程がある。これについて報じるなら、高体連等がビーコンを購入しそれを高校生たちに貸し出すシステムをこそ提案すべきではないか。

 ところで、ビーコンに頼らなくても完全ではないが代わりになる方法はある。登山スラングで雪崩紐と称するのだが、ビーコンが出回る前はこれが埋設者特定の道具だった。といって特別山道具の店で購入するようなものではない。荷造り用の赤いテープ紐(50m巻で100円もしないだろう)で十分、雪崩のリスクがあるところを通過するときはこの荷造り紐10mばかりを身体に結び、ずるずる引っ張って歩くのだ。まあ、あまり格好の良いものではないが、雪崩に襲われればこの紐が巻き上がり、運がよければその一部が雪の上に出てくれるだろうという期待を込めてそのカッコ悪さを耐えるのである。もしそうなれば、埋設者の探索は一発ドンピシャで、ビーコンに比べてもはるかに早いはずだ。紐も全部埋まる可能性は否定できないが、ビーコンだって埋設位置が深くなればその場所の特定は非常に困難になり万能ではない。

 しかし、今回のパーティーはこの雪崩紐も装備してはいなかった。雪崩紐は古い冬山の知恵である。若い登山者はほとんど知らないだろう。今回の遭難パーティの指導者も知らなかったかもしれない。だからこそ、こうした古い知恵も含めて、生徒たちを率いる教師やリーダーたちに継承する機会を設けるべきなのだと、昨日の結論を再度述べて結びたい。


 山の話題でもう一枚。こちらは秋の甲斐駒ケ岳(コットマンF4)です。


170305 秋の甲斐駒ケ岳 (2)サイズ



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 3月27日朝、那須温泉ファミリースキー場のゲレンデ付近の斜面で、栃木県高校体育連盟主催の春山登山講習でラッセル訓練中の高校生や指導教員が雪崩に巻き込まれ、28日午前時点で8人が死亡、40人が重軽傷を負う大遭難事故が発生した。

 山での遭難事件をウオッチングし続けている者として、雪山で公的機関が行う教育訓練で発生した死亡事故というと、指導教員一人が死亡した1983年の北アルプス五竜遠見尾根での雪崩事故、受講していた大学生二人が死亡した2000年の北アルプス大日岳での雪庇崩落事故をすぐに思い出す。いずれも雪の状態を読み誤ったことが遭難につながったが、今回も同じ轍を踏んだ可能性が高い。

 事故現場に近い観測点では27日1時から9時までに33cmの積雪を記録、また生還した高校生はスキー場に設置したベースキャンプで50cmほどの積雪があったと話しており、季節はずれの大雪が降ったことは間違いない。全国的に一週間ほど前から春を思わせる暖かい日が続いていたが、三日前から冬に逆戻りしたような低温となった中での大雪だった。

 こんな気象条件のときに山にいて想像するのは、気温上昇で表面が溶けた雪の斜面が再び凍るいやらしい雪質だ。積雪の深さ、斜面の向きや斜度などで状態は千差万別だが、おおむねカチカチのアイスバーンか表面だけ凍って中はフワフワに柔らかいいわゆる「モナカ雪」となる。いずれも春山の歓喜のイベントである山スキーには嬉しくない雪で警戒心が高まるが、さらにこれに新しい雪が大量に積もるとなると、心中には表層雪崩の怖さがむくむくと頭をもたげてくる。

 弱層テストといって、雪中に表層雪崩が起きる滑り面の有無を確かめる技術があるのだが、今回のような気象条件であれば、斜面に入る前にその弱層テストを欠かすことは絶対にないだろう。また、弱層テストを行うまでもなく、50cmもの大量の降雪があったとなれば、新しい雪が斜面に落ち着くまでは動かないのが冬山の常識だ。今回、このラッセル訓練では8人の教員が指導に当たっており、冬山のベテランも含まれていたという。なのに、こうした冬山の常識がなぜ顧みられなかったのだろう。

 あくまで現時点での私見だが、「ゲレンデに近い」ということが指導者たちの判断を誤らせた原因ではないか。指導者たちは、当日、本来なら予定していた那須岳への登山は賢明にも中止している。2泊3日の訓練の最終日のことだ。それまでの訓練の内容は現時点で知る由もないが、常識的に考えて恐らくアイゼン歩行やピッケルの使用法、滑落停止法の反復練習や、雪中での幕営方法、生活技術などが教示されたことだろう。那須岳への登山はそうした訓練の仕上げとなるメインイベントだったはずだ。

 それがなくなったとき、もちろんすぐに撤収して帰る選択肢もあったわけだが、リーダーは教育者であるがゆえに余った時間を生徒たちの今後のために活かそうと考えたに違いない。深雪の中に進路を拓くラッセルは冬山技術の中でも最も体力を消耗する辛い作業だが、一面、全身雪まみれになって童心に帰るような楽しさもある。せっかくの春山登山講習、メインイベントであった苦しい登高の末の那須岳登頂の喜びに代えて、苦しくも楽しいラッセルを体験させようとした指導者たちの考え方は理解できる。

 また、那須岳登頂が天候等の都合で中止となる可能性は元々かなり高いわけだから、その場合のエスケーププランとしてラッセル訓練が最初から組み込まれていたこともありそうなことだ。というか、登山計画を立てる常識から言えば当初の行動計画が不能となった際の選択肢を予め決めておくことは必須であるから、当然そうなっていなければならない。この春山登山講習は10年以上の実績があるというから、過去にも那須岳登山に代えてラッセル訓練を行ったケースがあったかもしれない。だとすれば、それも今回の遭難事故の伏線になった可能性がある。

 雪崩が起きた斜面の状況はよくわからないが、映像と地理院地図で確認できる範囲ではスキー場はすり鉢状のなだらかな谷にあって、雪崩が起きた現場はゲレンデ下部から見上げて左側(南側)奥の斜面の疎林。映像ではさらに上は木立が薄く開けているように見える。地図ではゲレンデから奥(東)には水平距離100mで標高差100mになる40度超の急峻な斜面が立ち上がっているから、映像で木立が薄く見えていたのがこの急斜面かも知れない。もちろん、この斜度であれば雪崩が起きることに何の不思議もない。ここで発生した雪崩が下部の疎林にいた高校生らを呑み込んだのだろうか。

 いずれにせよ、現場はレジャー施設であるゲレンデに隣接する、どこにでもあるたいして傾斜のない斜面だ。その斜面自体は雪崩が起きるような場所ではないし、その証拠に成木も生えている。そうした訓練場所への安易な認識が、雪崩への警戒心を緩ませてしまったのではなかったか。さらに、過去、同じ場所でラッセル訓練をしていたとすれば、その慣れから雪崩についてのあらためてのリスク評価もなおざりにされたかもしれない。自然の脅威はそうしたベテラン指導者たちの心の隙を突いたのではないか。

 幕営での寝泊りを含む訓練を指導する教員らには頭が下がる。生徒たちをたくましく育てたい熱意なしには成し得ない、単に山が好きなだけでは務まらない仕事だ。それだけに業務上過失致死傷に問われざるを得ない今回のような事故が残念でならない。本来、決してあってはならない事故だった。だがだからといって今回の指導教員らの判断ミスだけに責任を被せるのも違うと思う。少なくとも公的機関が教育として行う山岳訓練の指導者については、その実力を高めるよう援助するとともに客観的にその力量を評価するシステムが必要ではないか。過去に起きた雪山訓練中の事故ともあわせ、そのことがあらためて問われなければならない。山好きな教師の善意だけに任せる現状のままでは、再びこうした事故が起きることを防げない。文科省と高体連は、およそ登山文化とは無縁な「山岳競技」などという愚にもつかないことにいつまでも執着するのではなく、登山指導者の養成システムをこそ整備すべきなのだ。               (合掌)


 山の話題関連ということで、今回の一枚は「秋の八ヶ岳」(コットマンF4)。東方から望んだ姿で中央が赤岳になります。



170306 八ヶ岳 (2)サイズ



 昨日15日午後、八ヶ岳を構成するピークのひとつ阿弥陀岳の頂上に近い南稜で表層雪崩が発生、登山中だった3人パーティが巻き込まれて300mを滑落、女性一人が死亡し男女各一人が重軽傷を負った。同パーティは八ヶ岳を熟知する地元の30代男性山岳ガイドが業務として60代の女性2人を引率していた。報道によれば、八ヶ岳は数日前の陽気でいったん解けた雪がこのところの冷え込みで堅く凍り、その上に新雪が積もって表層雪崩が起きやすい状況にあったらしい。

 原村から取り付く阿弥陀岳南稜にハイキングレベルの道はなく、特に稜線に出てからは夏でも厳しい岩尾根のバリエーションルートになる。まして積雪期、山のプロが初老の域にある女性客を引率して挑むからには、安全に踏破できる確証があってのことだったと思うが、どこで何を読み誤ったのだろうか。和歌山で収集可能なわずかな情報から安易な憶測は慎みたいが、雪崩に対する備えの重要性を改めて知らされる事件ではある。

 私が所属する紀峰山の会も、同じ八ヶ岳で冬の主稜縦走に挑む計画を立てていた。南八ヶ岳主稜は阿弥陀岳南稜に比べ入山者こそ多いが、冬山の経験がそうないメンバーたちにとり難度は同程度だと思う。そこで問題になった課題の一つが雪崩対策だ。自分はこのパーティのメンバーではなかったが、冬の八ヶ岳ならもう10回以上寝泊まりして大概のルートを登っているし、雪崩についての知識も経験もそこそこある。そこで老婆心ながら助言したことを、会誌『紀峰の仲間』に発表したのが以下の文章。ブログの更新がままならず恥ずかしいのだけれど、関心があれば読んでください。



     コラム  雪崩のリスクと対策を考える

 今回は、植物百話をひと休みして雪崩のリスクとその対策について書こうと思う。この間、紀峰塾が企画した南八ヶ岳主稜縦走を巡っていくつか質疑応答があり、特に冬山の大きなリスクのひとつである雪崩への対処法について、会全体で共有しておく必要を感じたからだ。

さて、冬山といえば直ちに雪崩の恐ろしさを連想されることが多いが、実際のところ雪崩による登山者の死亡事故はそれほど多いわけではない。冬山での遭難事故原因についての正確なデータが見つからないので、これまで長年、山岳遭難報道をしつこくチェックしてきた自分の印象から語るしかないのだが、冬山で一番多い死亡原因は滑落で凍死がこれに次ぐのではないかという感じだ。

 入山者の数からみて以下の大半は夏山での事故だろうが、警察庁生活安全局がまとめた『平成25年中における山岳遭難の概要』によれば、遭難(死亡事故に限らない)の原因は道迷いが41.8%でトップ、17.0%の滑落さらに14.5%の転倒がこれに次ぐ。冬は氷雪という環境が滑落や転倒のリスクを高め、夏なら道迷いで済む小さなトラブルが酷寒の冬山では凍死に直結するという差があるだけで、遭難原因自体に夏冬違いがあるわけではないだろう。ちなみに雪崩による遭難者数は全体の0.7%に過ぎない。

 にも拘わらずこの程度のリスクに不釣り合いなほど雪崩に大きな脅威を感じるのは、滑落や道迷いが登山者の注意や努力で相当程度まで回避可能と思われるのに比べ、雪崩はその多くが登山者の失策とは無関係に発生するのに加え、滑落や道迷いに比べ遭遇した際の致死率が格段に高いためだろう。

 たしかに、雪崩の予測は専門家でも難しい。自分はこれまでの長い山行生活を通じ雪崩に3回遭遇しているが、そのうち2回はやはり不意打ちの印象だった。雪崩発生のメカニズムなどひと通りは勉強し、弱層テストもしてそれなりに警戒はしていても、自然はそんな人間の事情など考慮してはくれない。条件さえ整えば斜面にビシッと亀裂が走ってその下の雪が動き始め、速度を増し、やがて斜面全体が崩れ落ちてくる。

 こうしていまコラムを書いているからには生き延びているわけだが、例えば穂高の吊り尾根直下にあるトリコニー(靴裏に打つ鋲の意味)と呼ばれる岩場を登攀している最中、背後の岳沢大滝付近で起きた底雪崩では、轟音の直後に爆風と雪煙が押し寄せ、危うくしがみついていた岩から身体が引きはがされるかと思った。大きな雪崩のパワーは本当に総身の毛がよだつほどにすさまじい。

 とはいえ、いずれの場合もパーティに危険が及ばなかったのは、ヤバそうな斜面は用心して迂回したり疎林帯を直登するとか尾根通しに歩くとか、できるだけ雪崩が起きそうな状況から距離をとるルートを意識していたからだ。雪崩自体は何の予兆もなく突然に起きたが、「危うきに近寄ら」ない君子の警戒は有効だった。ついでながら自分が遭遇した残る1回は立山の雄山直下から黒部湖へ、不安定な斜面にスキーで不用意に踏み込んだ自分が引き起こしたのだから警戒もくそもない自業自得だった。しかしこのときは幸い雪崩の頂点にいたため、波乗りのように雪崩に乗ったまま斜面を下り事なきを得た。

 だがもちろん、不幸にして雪崩に飲まれた場合のことも考慮しておかねばならない。雪崩による死亡原因の半ば以上は窒息だ。雪に埋まってからも生きているケースは多いのだが時間の経過につれ窒息のリスクが増し、生存可能性は加速度的に低下する。つまり、どれだけ早く掘り出し呼吸させるかが生死を決するのだ。もちろん状況にもよるが、おおむね半時間以内に救出できるかどうかで生死の比率は逆転するといわれている。

 だから、冬山登山や山スキー(最近はバックカントリースキーなんて言ったりもする)では、アバランチビーコン(電波信号の受発信機=埋まった人の位置を特定するのに役立つ)、ゾンデ(=プローブ=雪に突き刺して遭難者を探る棒)、そして雪スコップを「雪山の三種の神器」などと称し、持参することが推奨されている。

 だが、「三種の神器」を持ち上げすぎる昨今の風潮も疑問だ。なぜなら、これらを効果的に活用するには事前にかなり練習して使い方に習熟する必要があり、持参するだけでは「神器」も無用の長物に過ぎないこと。さらに、実際にホンモノの雪崩を掘ってみればわかることだが、道具の使い方に習熟し遭難者の埋設地点を特定できたとしても、デブリの堅く締まった雪を掘るのはとんでもない重労働で、二次遭難のリスクがない状態で人海戦術がとれる場合以外、雪崩で深く埋まった人を救うのは実際には非常に困難だということが、きちんと伝えられていないように思うからだ。

 優れた道具は命を救える可能性を高めるが決して万能ではない。自分としては、最悪の事態に備え、使い方に習熟したうえで三種の神器を持参すべきとの意見に大いに同意はするが、山スキーや冬山には、こうした雪崩遭難の過酷な現実を理解し受容したうえで行くべきで、やはり雪崩対策の基本は、あくまで天候と地形と雪質を読み尽くし、慎重にルートを選び、進退を判断し、とにかく遭遇しないことに尽きると思うのだ。

 さて、この項の最後に今回紀峰塾の冬山で話題になった「雪崩ひも」の件。自分がまだ紅顔(厚顔ではない!)の若者・・だった頃、ビーコンがまだなかった当時は、10mほどの赤い荷造りヒモや毛糸を腰に結び、尻尾のように長く延ばして行動するような不格好なことをしていた。万一雪崩に巻き込まれもみくちゃにされても、軽いヒモは風圧で飛ばされて雪面上に出る可能性が高いからだ。

 当時、雪崩ひもは小さく丸めて輪ゴムで止めておき、雪崩が起きたら輪ゴムをほどいて放り投げるのが使用法として伝えられていたが、パニックに陥ること必定の状況下、そんな悠長なことをしている余裕があるのか、またこんな方法でちゃんとヒモが伸び切って雪の上に出てくれるのか、いずれも自分としては確信が持てなかったので、やむを得ず雪崩の発生を否定しきれない斜面付近を通過しなければならないときは、紀峰のパーティ全員事前にひもを伸ばし、赤く長い尻尾を引きずって歩くようにさせていたのだった。

 もちろん万能ではないが一部でも雪面に出ていれば、ビーコンより遥かに早く遭難者にたどり着ける優れた道具だろうと今でも思う。ちなみにかたやビーコンは一台数万円、こなた雪崩ひもは一本せいぜい5円程度、コストパフォーマンスでいえば勝負にならない圧勝だ。紀峰では三種の神器と雪崩ひも両者を併用するとともに、これらを使用しなくて済むよう、雪崩との遭遇を未然に避ける学習と経験の蓄積に努力してほしいと思う。

 繰り返すが、きちんと対処すれば雪崩のリスクは一般に思われるほど大きなものではない。実態以上に恐れず勇んで冬山に出かけようではないか。その素晴らしさ、そこで得られる感動は、雪崩のリスクなど補って余りあることは間違いないのだから。



 今年のいわゆる「シルバーウィーク」は曜日の組み合わせがよく、その後のウイークデイを2日休めば9連休になる。これを使わない手はないので、北海道の道央道東地域へ7泊8日の山旅を計画した。

 スタートは19日の土曜日、関空午後2時発のフライトで新千歳空港に飛び、車中泊も可能なワゴンタイプのレンタカーに乗り換える。天候は残念ながらしっかり雨だ。当初の予定ではまず十勝岳の登山口である十勝岳温泉に向かうところだったが、明日午前中まで雨が続くという予報なので計画をきれいにひっくり返し、最後に訪ねるはずだった釧路湿原にまずは向かうことにした。湿原を歩くだけなら雨もウエルカムだ。

 道東道は最近、釧路手前の白糠(しらぬか)まで開通しており助かるがそれでも遠い。終点の白糠インターで降りる頃には日もとっぷりと暮れ、いったいどんな所を走っているのやら、家屋など人工の灯りなどまったく見当たらず、先行する車も後続車も絶無で対向車もほとんどないメッチャ淋しい真っ暗な道を、ヘッドライトが照らし出す小さな視界に叩き付ける土砂降りの雨だけを見つめながら走り続けること2時間弱、ようやく見つけたオアシスのようなコンビニでなんとか当面の食料を調達し、ホッと一息ついたのだった。「いやあ飢え死にしなくてよかった、やっぱ北海道は広い!」とつくづく思いつつ、釧路市に近い道の駅「しらぬか恋問(こいとい)」で車中泊とした。

 明けて20日は小雨。まず釧路市立湿原展望台まで走り、7:20から1時間かけて同展望台を起点とする一周2.3kmの遊歩道を歩いた。その一角で釧路湿原を見下ろす大展望が得られるが、道はほとんどが展望の利かない森の中を縫っており期待外れ。計画ではこの周遊路からさらに3km先のビジターセンターまで歩き、路線バスに乗って展望台に戻るつもりだったのだが、「ノロッコ号」に乗車する時間の関係で割愛。その代わり、ビジターセンターに車を乗り付けてそこを起点とする3.2kmの木道を一周した。この木道はまさに湿原の中を巡っており、その広大さを実感できる。途中、タンチョウヅルのカップルを目撃し、メスのエゾシカにも二度出会った。

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湿原展望台歩道からの眺め。広大な釧路湿原を一望できるがあいにくの天気でよく見えない

 釧路駅に直行し、11:06発の釧路湿原観察特別列車ノロッコ号に乗る。同列車は武骨なジーゼル機関車が牽く5両編成。日曜日とあって指定席は満席だが自由席で十分だ。釧路駅から塘路(とうろ)駅まで、往路は立ったが帰路は特等席に座って釧路湿原の風景を楽しんだ。釧路駅に戻り付近のスーパーで食料を調達。斜里岳に登るため知床へと長い道をひた走った。

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  ノロッコ号の機関車

 この日の泊地は清里町の道の駅「パパスランドさっつる」。格安の日帰り温泉も併設の道の駅で、駐車場は車中泊族で満杯だ。晴れていれば斜里岳の端正な姿を望めそうだが、この日は頂上にしっかり雲。もう運転することはないので、地元産のジャガイモ焼酎の無料試飲を楽しんで自炊し車中泊した。

 21日は斜里岳登山。4時に起床して行動開始。道標に導かれて舗装路からダートの林道に入り、夜明け頃に登山口の清岳荘駐車場に到着した。早速身支度を整え5:50から登山開始だ。樹林帯をわずかに歩いて出た林道の先から登行が始まる。と、これがなかなか手ごわい。ルートは前日までの雨で増水した一の沢川に沿っているのだが、この道を登るのになんと13回も石飛びの渡渉を要求される。頼りの飛び石は遠いうえ水面下の石もあり、足の短い者には辛い試練だ。これをなんとかこなして6:55に下二段、8:35に熊見峠と進む。熊見峠からは「ふたこぶラクダ」の背のような斜里岳の全貌を望むことができる。さらにひと頑張りで9:30に上二段、そこからの厳しい急登をこなして10:30にようやく快晴の馬の背に着くことができた。

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 熊見峠から望む斜里岳。左側のピークが頂上で、ふたこぶの右側の鞍部が馬の背。ハイマツ帯をなだらかにたどる登山道がよく見えているが、その先から馬の背までがきつい。

 馬の背は斜里岳(1536m)頂上直下の鞍部で、西にはカムイシュ島を浮かべた摩周湖が、また北西には知床連山の山並みとさらに海を隔ててすぐそこに国後島をくっきりと望むことができる。頂上まではあとわずかだが、ここまで標準タイム3時間10分の登りに4時間40分を要した自分の体力と、帰路に再びあの厄介な13回の石飛び渡渉が待ち構えることを考慮して自重。その場に寝転んでたっぷり高山の空気を吸い、その雰囲気を楽しんでから11:25に下山を開始し、14:25清岳荘に帰り着いた。朝登ったダートの林道を下り、途中通過する「パパスランドさっつる」の温泉で昨日に続き再び汗を流してから、長駆して日暮れ前に津別町の「道の駅あいおい」に到着した。

 22日は3時に起きて、真夜中の道を雌阿寒岳の登山口となる野中温泉へ走る。途中、立派な角を持つオスのエゾシカやキタキツネに出会った。野中温泉着は4時半、準備を整えて5:20に登行を開始。ヒグマ除けの鈴を鳴らしてゆくが、夜明けにその日のトップでヒグマの領域に侵入するのはさすがに気味が悪い。しかし、すぐにキノコ狩りの老夫婦が追い越してくれたので、気が楽になった。

 登り始めはエゾマツとトドマツの針葉樹林だが、6:20に到着した三合目が早くも森林限界で、そこから上はハイマツ帯となり展望も開ける。五合目には7:00に到着。天気は快晴、やがて眼下にオンネトー湖が見え、また人工物一つない広大な樹海が果てしなく広がっていて実に豪快な眺めだ。7:20に七合目。雌阿寒岳(1499m)は活火山で登頂が規制されており、いま登れるのはここまで。ということで、いささか消化不良気味ながらこれで登頂とするほかない。8:00に下山を開始し、9:40に登山口の野中温泉に帰着した。その途中、ハイマツ帯でマツタケを採取している夫婦(朝の夫婦とは別)と遭遇。ちょうど奥さんが密生するハイマツの奥に潜り込んでマツタケを見つけたところで、巨大なマツタケを3本収穫している最中だった。男性の横に座っていた犬はふもとの温泉のムクという飼い犬で、ここまで勝手について登ってきたそうだ。

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噴火警戒のため、雌阿寒岳で登れるのはここまで。登山道がロープで閉鎖されている。

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 ハイマツにもマツタケが生えると初めて知った。なかなか立派なマツタケだが、傘が開ききっていて匂いはイマイチだった

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  登山口の温泉宿から夫婦についてきた「迷犬」ムク。かなりのご高齢だ。

 まだ時間は早いが、尋ねてみると入れそうなので温泉で汗を流すことにする。温泉は野中温泉別館と今は宿泊を受け付けていない元ユースホステル、さらにやや登った景福旅館にもあるが、パッと見た感じ、一番景色のよさそうな元ユースホステルに入れてもらった。ここは格安の200円。脱衣所にも籠しかない素朴な湯だが、白濁した湯が素晴らしく、秘湯の雰囲気もたっぷりで楽しませてもらった。

 そこから次の登山口へ移動する手もあったのだが、オンネトー湖から見上げる雌阿寒岳と阿寒富士の姿があまりに美しくて立ち去りがたく、湖に接するオンネトー国設野営場で幕営することにした。野営場から雌阿寒岳は望めないのだが、快晴の昼下がり、湯上りでサッパリした身体に木漏れ日を浴びながら、早くもビールを流し込んでしばしまどろむ、自称「野宿のプロ」には幸せいっぱいの贅沢な時間だった。

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  オンネトー湖から望む雌阿寒岳(左)と阿寒富士。

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  オンネトー国設野営場に張ったテント。

 23日、3時半に起きてテントを撤収し4時前に野営場を後にする。ナビに入力すると次の目的地層雲峡へは180㎞もある。もっと近いと思っていたのでこれは誤算だった。慌てて未明の国道を疾走する。ところどころ霧が出て視界が遮られるが、幸い先行車は皆無で信号もほとんどなく、ロープウエイの始発時間ちょうどに層雲峡に到着することができた。

 ロープウエイとリフトを乗り継いで7:25、七合目から登行開始。大勢の登山者や観光客に次々に抜かれながら、急登の道を自分のペースでゆっくり登ってゆく。8:10に八合目、そして9:20に大雪山黒岳(1984m)の頂上に達した。この日も快晴、緩やかに大地がうねる広大な御鉢平とそれを取りまく外輪山、そして草紅葉が織りなす大観はまさに絶景というに尽きる。お茶を沸かしこの絶景を豪華な副食にゆっくりフランスパンの朝食をとった。黒岳石室に向かう道を半ばまで歩いて撮影してから折り返し、黒岳頂上に戻って11:00から下山、11:50にリフト終点の七合目に戻った。

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黒岳頂上

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  黒岳山頂からの展望。なだらかに丘陵がうねるような天上の別天地だ。中央の歩道を下るとすぐに黒岳石室の小さな小屋が見えてくる。

 層雲峡温泉の日帰り湯を使ってから再び車に乗って旭岳をめざし、日暮れ直前に旭岳ロープウエイ山麓駅に近い東川町青少年野営場に到着。それまでの道中、アーベンロートに燃える旭岳が美しかった。さて、幕営は可能だが日が暮れた今からテントを張るのは面倒だし、管理人が「たまにクマも出る」ともいうしで車中泊とした。

 24日、4時半に起きてロープウエイ山麓駅に移動。朝食を作って食べながら始発のロープウエイを待って搭乗し、6:45に姿見の駅から歩きだした。紅葉は今が盛りで、正面に北海道最高峰の旭岳(2291m)の重厚な山容を望んでいたく登行意欲をそそられたが、前日黒岳を登った際の体調を考えて自重。姿見の池などを見て回る2㎞足らずの散策路を周遊して満足することにした。というわけで、チョーゆっくり休み休み周遊。途中、お茶を沸かしたり、冬支度に忙しいエゾシマリスを映像に収めたりしながら、実に4時間も旭岳を中心とする風景を見つめて過ごした。この日、旭岳と最も長い時間対峙したのは、間違いなく自分であったと思う。

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  姿見の池と大雪山旭岳、重厚で雄大な山容だ。

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  登山道わきで見かけたチングルマの大群落の紅葉。

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  冬支度に余念のないエゾシマリス。ひっきりなしに餌(恐らくハイマツの種子)を拾って口いっぱいに含んで運んでいた。どこかに貯めて越冬に備えるのだろうと思う。

 下山して十勝岳へ。まず登山口の少し下のカミホロ荘で入浴してから、登山口の駐車場に車を上げて車中泊とする。単なる駐車場だがトイレも完備していて野宿者には快適な所だ。食事の準備をしていると、ヒゲのオジサンが下山してきたので山の様子を聞いてみた。オジサンによると、十勝岳は火山のため火山礫の斜面ばかりで紅葉する樹木もなく面白くないとのこと。今の時期、紅葉を楽しむなら富良野岳にすべしと強く勧められたので、それに従うことにして寝る。

 25日、4時前に起きて準備を始めるが、やはりヒグマの山をトップで歩くのは気味が悪いのでダラダラ準備を引き延ばし、同じ頃から準備を始めた隣のカップルがスタートするのを待って5:30、こちらも動き始めた。最初は車も通れそうな整備された道を行く。やがて荒涼とした安政火口を左手に見て谷を渡り、ナナカマドの紅葉が美しい灌木帯の道を上がって7:00にカミホロ分岐に達した。十勝岳へはここを左折するが富良野岳へは直進。そこからダラダラとした上り下りを経て8:40に富良野岳分岐へ、さらに急登をこなして9:30、富良野岳(1912m)の頂上に立った。

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  安政火口付近、荒々しい火口壁を背景に紅葉が見事だ。


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  端正な山容の十勝岳

 頂上からは胸のすくような大展望だ。北には旭岳や黒岳、さらにトムラウシまでも見渡せる。反対の南側には幌尻岳以下の日高山脈の山々、さらにその右手に夕張岳や芦別岳までが同定できた。わけても十勝岳の頂を天に突き上げたピラミダルな山容がひときわ目を引く。なるほど、十勝岳に登っていればこの絶景は望めなかったわけで、前日のオジサンの助言に改めて感謝しつつ、絶景を望んでの贅沢な朝食。まさに登山できる喜びをかみしめる瞬間だ。いやあ、登ってよかったあ。

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富良野岳。山頂は雲海の上、結構風があって寒かった。

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  富良野岳山頂からの眺め。まさに絶景。

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  ちょっと引くとこんな感じ、左奥に大雪山系北部、旭岳などの山並みが見えている。

 10:00に下山開始。盛りの紅葉に後ろ髪をひかれ、キタキツネに出会ったり、たびたび立ち止まって風景を記憶に焼き付けたりしながらゆっくり歩いて13:15、登山口に帰着した。すぐに登山口に隣接する十勝岳温泉凌雲閣で汗を流す。料金は800円と高いが、露天風呂からの展望がこれまた紅葉を眼前に臨む超絶景。料金だけのことはあると納得した次第だった。ちょうど恐らく旅番組と思われるテレビの取材が入っていて、風呂場に出入りするスタッフたちが邪魔だったが、テレビで紹介するだけの値打ちのある温泉ではあった。その夜も同じ駐車場で寝る。

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  しばらく私の周辺をウロウロしていたキタキツネ。人を恐れる様子はまったくない。

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  日本離れした素晴らしい山岳景観・・・

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  前の写真と同じ位置から、引いてみるとこんな感じ。 実は露天風呂から撮影していたのでした。

 最後の26日は予備日だが、登頂はできなくても山の予定はすべて滞りなくやり遂げたので、特になすべきことはない。で、何をして遊ぶか考えた結果、近くの旭山動物園に立ち寄ることにし、それを楽しんでから(これはホント、楽しかったです)新千歳空港に戻り18:35のフライトで20:45関空へ。予定通り21:30ごろ、自宅に無事帰還した。

 長丁場の山旅。登山は携帯用の酸素ボンベに頼りながらで、今回対象とした5座のうち2座は登頂すらできなかったが、ともあれ今の自分にできる範囲で登山者としての最善は尽くしたと思う。長期の野宿でさすがに多少疲れはしたが、釧路湿原以外は連日快晴にも恵まれ、充実した8日間だった。




2015.08.26 夏の志賀高原
 もうかなり時間が経ってしまったのですが、私が所属する紀峰山の会の機関誌に載せた山行報告です。


       夏の志賀高原                               

 志賀高原と聞いて直ちに連想するのは冬のスキーだろう。豊富な積雪に恵まれ、広大な高原に80本を超えるリフトを縦横にかける日本最大のウインターリゾートなのだから、それは当然のことだ。しかし、実は夏の志賀も捨てたものではない。森林限界を抜くような高峰こそないが、山地帯から亜高山帯に広がる天然林に多くの池や湿原が点在し、美しい景観と多彩な花が訪れる者を魅了する。登山者がよく使用する昭文社の『山と高原地図』の一巻として「志賀高原」が採用されていることからも、それは理解されよう。

 とはいえ冬に比べればやはり、夏の志賀高原への来訪者は圧倒的に少ない。スキー宿はどことも閑古鳥で、窮余の策として東京の学習塾から小中学生の合宿セミナーを大量に受け入れてしのいでいるのが実情だ。今回の山行ではそんな塾生、「必勝」と大書したハチマキを締めた子どもたちを満載した大型バスが百数十台も連なる異様な光景を目撃して仰天した。東京の教育はこんなことになっているのか。この国はやはり病んでいるのではないのか。

 自分が過去に一度、夏の志賀高原を訪れたのは15歳の時だった。当時、長野市に単身赴任していた父が、たまには父親らしいことを…とでも考えたのか、乏しい貯えから奮発して大阪に住んでいた家族を呼び寄せ、山麓の上林温泉に宿舎をとって案内してくれたのがこの志賀高原「池めぐりコース」の一部だった。それから半世紀近くが経過し、その父は既に亡い。考えてみれば、当時の父は今の自分より20歳も若かった。その父の背を見ながら息を切らせて山道を登り、ようやく池が見えてホッとした記憶が鮮明に残っている。志賀高原を再度訪ねて、よしんばその記憶を確かめるのも今回の山行に期すささやかな思いだった。

 前置きが長くなったが、かくして8月6日、夜に臨時の仕事が入って当初の予定より大幅に遅れたが夜半に和歌山を出発、ちょうど夏山リフトが動き始める翌7日の9時前に高天原ゲレンデに到着した。早速身支度を整え9時10分にリフトに乗車。初日の今日は寺子屋峰から志賀高原の主稜線を縦走して岩菅山に登頂し、大きく周回してスタート地点に戻る計画だ。リフト終点から少し登って東館山の山頂にある高山植物園を経由して登山道に入る。同植物園には多くの高山植物が植栽展示されており、これだけでも結構楽しめる。植物園からしばらく歩くとやがて寺子屋ゲレンデに飛び出し、そこからひと登りで寺子屋峰(2125m)、さらに登って主稜線上の金山沢の頭に達したのが11時だった。2000mの気圧の低さはやはり厳しく、当初想定したより時間がかかっている。その想定もかなり余裕を見たつもりだったのだが…

 主稜線を北東へ岩菅山(2295m)を目指す。稜線上の道は右に豊かな樹林に覆われた魚野川の源流域を広く俯瞰して爽快だ。背後には快晴の空をバックに横手山もくっきりと見える。岩菅山の登路が始まるノッキリの分岐には12時半に到着。そこから岩菅山山頂までそう距離はないが、厳しい急登の道が草原を貫いているのが見えた。時計と体調を見て自重し下山を決定。15時過ぎ、高天原ゲレンデに戻って車を回収、木戸池まで走って自炊し車中泊した。

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 主稜線の道は爽快、正面にめざす岩菅山がくっきりと見えたのだが・・・

 8日は長距離の「池めぐりコース」を木戸池から全て徒歩で周る予定だったが、前日の体調を考慮してリフト利用へ計画を変更。夜明けと同時に起床後、リフトが動き出すまで時間があるので周囲を散策し、木戸池から小さな峠を越えて、田野原湿原が霧に沈む、素晴らしく幻想的な光景に出会うことができた。やはり早起きは三文の得だ。(下の写真でその絶景ぶりが伝わるだろうか)

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 前山リフトに車を回し8時10分の始発に一番で乗車。リフトの終点が前山湿原でこれを通過してひょうたん池をピストンし、さらに渋池、四十八池へと、登山道にしては広すぎる道をゆっくり登りながら、次々に池を巡ってゆく。四十八池は高層湿原で、志賀山を借景に箱庭のような美しさだ。さらに足を伸ばし小さな登りと急峻な下りを経て11時、エメラルドグリーンに輝く大沼池に達した。この池の宝石のような美しさ、特にやや高い位置から見下ろす情景は筆舌に尽くしがたい。

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  箱庭のような四十八池、背後は左が志賀山、右が裏志賀山

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  宝石のように美しい大沼池

 大沼池の周囲を巡るとやがて未舗装の林道となり、さらに塾の生徒を満載したバスが頻繁に行き交う舗装道に出たので、これを歩いて12時40分、蓮池のバス停に達した。そこで40分ほど待ってバスに乗り、前山リフトまで戻って車を回収。道草を食いながら志賀草津道路を快適に走って、万座温泉の豊国館には15時すぎに到着した。豊国館は昔ながらの湯治の宿で素朴かつリーズナブル(一泊二食でも6500円、自炊なら3500円)、しかし白濁したお湯は万座一との評判だ。その世評に間違いはなかった。

 最終日の9日は本白根山に登る予定だったが、同山の周辺には厳重な噴火警戒の入山規制が敷かれていて、山登りどころか駐停車も厳禁。仕方がないので木戸池に戻り、前日、出発を遅らせた関係でカットした「池めぐりコース」の残り「木戸池~蓮池」間を9時半から歩き始めた。そして、歩いてみて確信したのだが、この道こそが約半世紀前の中学三年生の夏、父の背を見ながら歩いた道だった。ガラにもなく少し感傷的な気分になりつつ次々に小さな池をめぐって11時過ぎに蓮池に到着。20分後のバスに乗って木戸池に戻り、和歌山への帰路についた。本白根山の入山規制は事前の調査不足だったが、そのおかげで追憶の道に再会することができたのだから、まあ、良かったとしよう。ともあれ、このように志賀高原は夏に訪れても見所は多い。いちいち書かなかったが出会える高山植物の種類も多彩だ。体力的な負担も小さく、山好きにはもっと歩かれて良い山域だとあらためて思った。

おまけに生物の写真を少しだけ

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  コバギボウシ、今が盛りで、池の周囲など湿っぽいところでは沢山咲いていました。

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  ウスユキソウ、これは少なかったです。ウスユキソウにもいろいろ種類があるのですが、これは接頭語が何もつかない普通のウスユキソウだと思います。

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  蓮池ではその名のとおり、ハスが満開でした。

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  やはり蓮池で咲いていたコウホネ。

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  木戸池で自炊していると小鳥が遊びに来ました。ハクセキレイだと思うのですが、鳥は自信ありません。


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