また時間が無為に経過。というか、この間、またも結構長期間入院することになり、おかげでまあ、時間は有り余るほどあったのですけれど、文章をつづるような気分にはなかなか・・・  入院するくらいですから病状はあまり思わしくはないのですが、生来ほんと気楽な性分ですので、別に落ち込んでいるわけではありません。 でもねえ、文章を書くってそれなりに気力が充実していないと難しいんですよねえ。 というわけで、とりあえずはまた植物の話。 以下、 『紀峰の仲間』に連載中のコラムです。


植物百話 9

    「山眠る」季節の椿と山茶花

 歳時記に冬山を評して「山眠る」という季語が収められています。中国北宋時代(11世紀)の山水画家「郭熙(かくき)」の息子「郭思(かくし)」が、偉大な父の理論や言葉をまとめた画論集『林泉高致集』にある「冬山惨淡として眠るがごとく」が、この季語の起源といわれています。さて、ここで「惨淡」は日本語ではまず使わない言葉ですが、「薄暗い」とか「うら寂しい」といったニュアンスの漢語。しかし、まぶしく輝く白銀の山稜にも風雪が荒れ狂う尾根にも、さらには葉をすっかり落としてやたら明るくなった低山にも、「眠る」なんてイメージは全くありません。

 中国の冬山、雪こそ日本の豪雪地に比べれば少ないでしょうが、その姿が日本とそう違うようにも思えません。郭煕は先の画論集の「山水訓」の項で「自然を理解する最良の方法」について述べ、「自らこの山に遊んで観察すること、そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」としており、実際、自身山中に良く遊び、山や自然の姿やその摂理に深く通じていたと伝えられています。まあ、我らと同じ部類の山好きだったのでしょう。してみると、その山に詳しい郭熙があえて「山眠る」の言葉で表現し主張したかったのは冬山そのものの有様というよりは、冬山を筆で水墨の世界に再現して描くメソッドというか定石や心得といったものだったのではないでしょうか。

 私たち山屋が「山眠る」の言葉で思い浮かべるのは冬山自体ではなくむしろ、冬の山における生命の営みの静けさでしょう。冬山では多くの動物が姿を隠して冬眠し、植物は雪に埋まるか多くは葉を落とし、また常緑樹でさえも光合成を止めて、ほとんどの植物はまさに休眠しています。いずれも、厳しい寒気や乾燥への生命体として懸命の適応であり、その適応がやがて歓喜の春に繋がってゆくのですが、それまでを沈黙のうちに耐えしのぶ姿はまさに「眠る」の表現がぴったりです。

 さて、そんな生命感に乏しいこの時期、紀州など雪のない低山で鮮やかに開花して生命を主張するのが椿(正確にはヤブツバキ)ですが、このツバキを山茶花(サザンカ)と識別するのはなかなか難しい。いずれもツバキ科ツバキ属で赤い花も葉もそっくりです。ちなみに学名はツバキが「Camellia japonica」でサザンカが「Camellia sasanqua」。「Camellia」はツバキともサザンカとも訳されますので、直訳すれば前者が「日本のツバキ」、後者は「サザンカのツバキ」又は「サザンカのサザンカ」って訳のわからないことに。まあ、学名にも互いがそっくり似ていることが反映しているのでしょう。

 ごく常識的な話をすれば、サザンカが咲くのは10月から2月、一方ツバキは12月から4月ですので、10月から11月に見るのはサザンカ、3月以降に見るのはツバキと判定して良さそうですが、両者がダブる12月から2月は何らかの方法で識別する必要がありますし、カンツバキといって真冬に咲くツバキもあれば春に咲くサザンカの品種も出回
っていますから、開花時期だけで最終判定はできそうにありません。その園芸品種、サザンカでざっと300種、ツバキはなんと6000種に及ぶといいますから驚きです。

 とはいえ、よく似た花もよく観察すれば違いがあります。ひとつは雄しべのつき方で、ツバキの雄しべが根元で合着しているのに対し、サザンカのそれは分離しています。もっと詳しく調べるとツバキの子房は無毛ですが、サザンカの子房には毛が生えていることがわかります。従って子房が成熟してできる実も同様、ツバキは無毛でサザンカには毛が生えています。またツバキは花がひとまとめにボトッと落ちるのに対しサザンカは花びらが一枚一枚散ってゆきます。ですから、花さえ落ちていれば識別は簡単です。

 さらに次の手段として葉に注目。ツバキの葉はサザンカより一回り大きく、肉厚で光沢があります。ツバキの語源は「厚葉木」(アツバキ)とか「艶葉木」(ツヤバキ)いわれるほどです。またサザンカの葉は鋸歯(葉の周りのギザギザ)が鋭く、葉の付け根や若枝には毛が密生しています。さらに太陽にかざしてみると、ツバキの葉脈が黒く見えるのに対しサザンカは白く見えます。花より葉のほうが識別は容易かもしれませんね。ついでながらサザンカの語源は、中国で山で生える茶の木を意味した山茶花をサンサカと読むべきところ、次第に「ン」と後の「サ」が倒置して発音されていった結果だそうです。

 そして最後の識別ポイントが匂い。サザンカの花の香りは甘く強烈ですが、ツバキの花はほとんど匂いません。さて、なぜでしょうか。サザンカの咲く時期、昆虫はまだ活動していて、足早に迫る厳しい季節を前に越冬準備に余念がありません。多くの花が受粉を終えて競争相手が減った森で、遅れて咲くサザンカはそうした昆虫に真っ赤な花と芳香を放ち、花粉を媒介してくれる昆虫たちを呼び寄せているのです。

 しかしツバキが咲く頃にはもう、受粉を任せられるほど昆虫はいません。そこでツバキは昆虫を頼りにすることをやめ、花粉の媒介を冬鳥に頼ることにしたのです。鳥類にも嗅覚はありますが、しかし何と言っても鳥類の最有力の感覚器官は視力です。例えば猛禽類の視力ですが、東京から富士山を見れば山小屋まで識別できるほどとか。彼らはこの驚異的な視力を武器に遥か上空から地上の小さな獲物を発見しているのです。となれば、真紅の色で花があることを示せば十分、重ねて匂いまでサービスする必要はないというのがツバキの考え方なのですね。その代わりツバキは、昆虫より重い鳥が留まっても壊れないよう、根元でしっかり合着した大きな花をつけるのでしょう。
 
 全部が全部というわけでもありませんが、生物の生き方や姿にはだいたい、そうなるだけの理由があります。サザンカが他の花が絶えた時期に開花するのもツバキが匂いのない花をつけるのも、長い進化の過程で獲得した独特の生存戦略であり、それが有効であったればこそ両者は今日の繁栄に至ることができたのです。そう思って見直してみると、身近な周囲の自然にも多くの驚異が潜んでいることを発見できるはず、そんな不思議の宝庫である山を、ただ一心不乱に登るだけではもったいないとは思いませんか?



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 ぼんやりしているうちにオリンピックは終わり、夏も過ぎようとしています。というのに、ブログは放ったらかしでまたトップに無断でコマーシャルが掲載されるようになってしまいました。(一カ月更新しないとCMが掲載されるのです)。
 というわけで、とりあえずまたも山の会の機関誌に連載しているコラムを転載。今回はイチョウの話です。


植物百話 8

     イチョウと失われた世界

 3年前に挑んだ森林インストラクター資格試験では、木の葉を見て樹木の名前を言えることが、森の専門家として最も基礎的な素養のひとつとされていました。そこで受験対策として、図鑑片手に近所の森や植物園に出かけては木の葉の特徴を観察し記憶するのに励んだわけですが、こんなことせずとも最初から同定できたのがイチョウでした。まあ自分に限らず、スギとヒノキの区別すらつかない素人でもイチョウの葉を間違う人はないでしょう。こんなになじみ深いイチョウですが、調べてみると色々面白いことがあります。

 まずイチョウは針葉樹の仲間か広葉樹の仲間か。「針葉」から受けるイメージはマツのように細く尖がった葉です。イチョウの葉はそんなイメージとは似ても似つかず、外観は広葉樹っぽいのですが実は針葉樹の仲間なのです。ポイントは葉脈で、広葉樹の葉脈が網状に枝分かれして葉の末端に達しているのに対し、針葉樹では葉脈が平行に並んでまっすぐ葉の末端に至ります。イチョウの葉脈は末広がりになっている点でマツなどとは異なりますが、葉脈が分枝しない点で針葉樹の仲間と同じなのです。

 そんなわけでイチョウは他の針葉樹と同じ裸子植物門に分類され、以下イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属と分類されてゆくのですが、実はこの分類に属するたった一種の樹木なのです。「網」という大きな分類レベルですら一種のみというのは大変なことで、世界広しといえどもイチョウには裸子植物門レベル、つまりマツやスギなんてイチョウとは似ても似つかない植物に至るまで、特徴を共有できるようなお仲間の種がないということなのですね。これに対し例えば「ヒト」は脊索動物門哺乳綱サル目ヒト科ヒト属ということで、ヒト属レベルでチンパンジー、ヒト科レベルではオランウータンなどの仲間に恵まれ、さらにサル目まで広げれば仲間に不自由はしません。こう比較してみると、イチョウという種はまるでこの地球上の生命進化からかけ離れた孤島のようです。

 どうしてイチョウだけがこんな特異な位置にあるのか。それはイチョウがかつて繁栄した種族の唯一の生き残りであり「生ける化石」と呼ぶべき植物だからです。これまでに発掘された多くの化石からイチョウの仲間が繁栄したのは中生代(2億5000万年~6500万年前)から新生代にかけての時代で、その後の氷河期に唯一現存するイチョウを残して他の仲間はすべて絶滅したと考えられています。

 厳しい氷河期が終わったとき、イチョウ一族はそのほとんどすべてが死に絶え、現在私たちが見るイチョウのみが、中国安徽(あんねい)省で細々と生き延びていました。それが日本はじめ世界各地に人為的に広げられて現在に至っているわけですが、日本名の「イチョウ」は中国語でアヒルの足を意味する「イアチァオ」に由来するといいます。これはもちろん、イチョウの葉の形からアヒルの水かきのある足を連想した名前だったのでしょう。またイチョウの実を表す日本語の「ギンナン」は「銀杏」の唐の発音「ギン・アン」が語源、いずれも生き延びた土地の言語と文化をその名前に伝えているのですね。

 さてその銀杏、私たちが食用にするのは正確には銀杏の実ではなく、実の中にある種子の堅い殻を割って得る仁という部分なのですが、あの美しいエメラルドグリーンの実(仁)のモチモチした食感は茶わん蒸しに欠かせませんし、フライパンでさっと炒めて小塩を振れば酒のアテにも絶好ということで、その季節の山行のアプローチで黄葉したイチョウを見つけると、少々到着が遅れるのも承知でメンバー全員、その後のテントでの酒宴の予感に舌なめずりしつつ銀杏拾いに精を出したことが何度もあります。しかしその際、あの強烈な匂いにはいつも閉口させられました。この悪臭は果肉となっている外皮にあり、落果して間もないときは気になりませんが、熟したりつぶれたりすると強烈な悪臭を放ちます。

イチョウは日本の街路樹で断然トップの樹種ですが、日本からこれを輸入し街路樹にしたドイツはこの悪臭に困り果て、実をつける雌株の使用を禁止したほどです。・・といった悪臭のため大概の動物はギンナンを餌には選びません。鳥類がついばみに訪れることもないし、ニホンザルやネズミほかの哺乳類も全く近づきません。最近の研究ではアライグマだけは例外的に食べるようですが、喜んで食べているのかどうか。

 さて、そもそも植物が実をつけるのは、動物にそれを報酬として与える代わりに実の中の種子も飲み込ませ、肥料となる排泄物と一緒に広く散布してもらうためです。さらに言えば、匂いはその動物を実に呼び寄せるための撒き餌だったはずです。なのにその匂いが嫌われ、肝心の実が見向きもされないようなことでは、銀杏を作るのはイチョウにとって資源の浪費というか徒労にしかならないことになってしまう。唯一例外のアライグマは北米原産で日本にも原産地の中国にもいません。では、イチョウはいったい誰を種子散布の担い手と期待して銀杏の実をつけてきたのでしょうか。

 ここからはワタクシの想像たくましく・・といった話になるのですけれど、イチョウが種子を運んでもらおうと頼りにしたのは今は亡き恐竜だったのではないか・・ 先に書いたようにイチョウ一族が繁栄したのは中生代という地質時代ですが、これをさらに詳しく分けると三畳紀、ジュラ紀、白亜紀と呼ばれる時代区分になり、これはこの地上に恐竜たちが誕生し、繁栄し、そして滅亡していった時期とぴったり一致するのです。

 この想像を裏付ける傍証もあります。動物の嗅覚の良し悪しは脳のうち嗅覚をつかさどる嗅球(きゅうきゅう)と呼ばれる脳の部位が脳全体に占める比率で測れるのですが、最近カナダの科学者たちは、恐竜のそれが現在の鳩程度に優れていることを解明しました。つまり、当時の植物にとり、匂いは種子を運んでもらう相手つまり恐竜を引き付ける有力な道具として使えたということです。

 我々には猛烈な悪臭でも、恐竜たちには得も言われぬ芳香だったのかもしれません。多くの恐竜たちのうちの一群はあの強烈な匂いに引き寄せられて銀杏を食べ、糞と一緒にイチョウ族の種子を散布してその繁栄に貢献したことでしょう。しかし、そんなイチョウの生存戦略上不可欠だったパートナーも今はもういません。ですが今日に至るまで6500万年もの間、イチョウはくる年もくる年もひたすらパートナー好みの匂いの実を作り、ただその再訪を待ち続けてきたのです。これはもう、プッチーニの蝶々夫人もテレサテン(古いか?!)が繰り返し歌った「待つ恋」も真っ青の飛びっ切りの悲恋ではありませんか。

 イチョウは別名「公孫樹」ともいいます。「公」は祖父のこと、おじいさんが植え孫の代でやっと実をつける樹という意味です。そのイチョウの種子も他の樹木同様、親の近くでは育てませんから、遠くへ運んでくれる動物がいない今は人の手で植えてもらう以外に子孫を残す手段がありません。もし山でイチョウを見かけたら、それはどんな山奥であっても間違いなく人が植えたものであり、かつてそこに人の暮らしがあったことを示しています。

 絶滅して久しい恐竜たちの時代、そして過疎からやがて崩壊した山村の暮らし、
イチョウの樹はいずれも失われた世界の記憶を内に秘めつつ、秋ごとに見事な黄金色に染まっては、無心に銀杏の実をつけているのです。



  またもご無沙汰。相変わらず忙しいということも多少はあるけれど、今はちょっと別のことに熱中していて、空いた時間のほとんどすべてをそれに充てているため、世の中の動きなど、モノ申したいことは数々あれど、なかなか文章を書くところまでいかないというのが実情です。
 もう、こんな状態のまま、これ以上更新できないようならこのブログをもう閉じようかとも思ったのですけれど、熱中していることについては、もう少し時間が経過すれば、このブログで紹介できるようになるかもしれないと考え直して、とりあえず維持することにしました。といったわけで、とりあえずは山岳会の季刊誌に書いたコラムを以下に転載します。


植物百話 7

      ナラ枯れとカシナガ

 ナラやシイの仲間など日本の森林の主役であるブナ科の大木がいま、東北から九州に至る各地の山で大量に枯れていることをご存じだろうか。「ナラ枯れ」と呼ばれる現象で多くは夏に発生し、枯れた大木の葉が赤褐色に変色するため早い紅葉と間違われることもある。原因は樹木の導管(根から吸収した水などの通り道)がナラ菌と総称されるカビの侵入をきっかけに詰まり、樹体に水が行き渡らなくなるためだ。だが、この大木枯死のメカニズムをつかさどる陰の主役というか狂言回しは別にいる。

カシナガ
 カシノナガキクイムシ略して「カシナガ」と呼ばれる全長5ミリ未満ゴマ粒大のこげ茶色の地味な昆虫がその狂言回しだ。ナラ菌に移動する能力はないが、この小さな虫がナラ菌を運び「感染」を広げている。かくしてナラ枯れの被害が蔓延しているのだが、この虫の生活史には驚くべきことが多い。(上図、右メス4.7mm、左オス4.5㎜)

 6月のある晴れた日、羽化したカシナガは日の出から数時間の間に生まれ育った樹木の幹から飛び立つ。カシナガは生涯の大半を樹木の中の暗黒で過ごす。そして、ほんのわずかしかない日の当たる世界で過ごす貴重な時間のほとんどすべてを。健気にも、子孫を残すための営みに費やすのだ。休暇の大半を山登りなどという愚にもつかない道楽に費やして浮かれてるどこかのゴクつぶしには、カシナガの爪の垢(・・があればの話だが)でも煎じて呑んでもらいたいものである。

 繁殖活動のスタートは「愛の巣」探しからだ。オスは初夏の林内を飛び回り、多くの子どもを育てられる幹の太い木を探す。そしてこれぞと思う適当な大木を見つけると、集合フェロモンを発して同じカシナガのオスを呼び集め、強力なあごで一斉にその幹に穴を掘り始める。専門用語ではこの集中攻撃を「マスアタック」というのだが、このように一本の木に多くのオスが集中するのは樹木側の反撃、例えば殺虫力のある樹液を出すなどの抵抗の威力を分散し、巣作りを確実に行うためだろうと考えられている。ある調査によれば、一本の木の幹に3千にのぼるカシナガの穿孔穴が確認されたという。樹木側の迎撃など間に合わない、まさに息もつかせぬ総攻撃ではないか。

 かくして樹木の幹に橋頭保の穴を掘ったオスは、翅の裏側と腹にあるギロ(ラテン音楽の楽器、ヒョウタンに入れた刻みを棒でこすって音を出す)のような波板をこすり合わせて音を出し、メスを呼び寄せる。一斉にラブコールを発するムコ3000人を相手に品定めするメスも目移りしてさぞ大変だろうと思うが、ともあれメスはオスが穿孔した穴の中に入って出来具合を確かめ、その穴が気に入れば交尾を許す。

 さて、面白いのはここからだ。上図でも描かれているようにメスの背にはマイカンギアと呼ばれる10個の穴があって、ここにあのナラ菌の胞子を詰め込んでいる。夫婦となったカシナガは協力して樹木の芯に向かい穴を掘り進めてゆくのだが、その過程でメスの背中が穴の壁に触れナラ菌が植えつけられる。やがてメスは一定程度掘り進んだ段階で産卵、その卵が孵化する頃にはこのナラ菌が幼虫の餌になる。つまり、カシナガを含む養菌性キクイムシと呼ばれる昆虫の一群は、自ら食料とする菌類を栽培しているわけだ。

 この驚異の生態が初めて知られたのは19世紀中頃だが、当時これを発見した科学者は余程驚いたのだろう、この不思議な餌をギリシャ神話の神々が口にする不老不死の食べ物にちなみ「アンブロシア」と名付けたのだった。 ・・というような事情を知って、もう少し調べてみようと「アンブロシア」でインターネットを検索してみたら、なんと岩出市内の洋菓子屋が一発でヒットした。2年前の春、春日山原生林を歩いた際にこの話をしたら、メンバーの一人が知っている店だと返してくれた。彼女の話ではそこそこ美味しい店とのことなので、興味のある方はぜひ「神の食べ物」を賞味してみてほしい。

 次に面白いのはカシナガの家族関係だ。昆虫のペアは通常、交尾が終われば解消するが、カシナガは夫婦で子育てをする。それだけではなく、どういうわけか100個ほど産んだ卵のうち1個だけが先に孵化成熟し、この長男だか長女だかが坑道途中に置かれた卵を、新たに両親が掘り進めた奥の穴に移すなど、両親の作業をかいがいしく手伝うのだ。アリやハチなど膜翅目(まくしもく)と呼ばれる昆虫のグループでは、個々に役割を分担し群全体として社会生活を営むものが多いが、その他のグループでは珍しい。まして家族単位で生活を営む例は他にはまずなく、非常に興味深いところだ。

 長男以外の卵はこのように家族の手厚い保護を受けて越冬し翌春に孵化する。父母はすでに寿命を終えているが、親たちが栽培して残した遺産のナラ菌を食料として成長、数度の脱皮を繰り返し、6月のある晴れた朝、暗黒の坑道をたどって羽化し、父親が最初に掘った入り口から初夏の光り輝く希望の世界へ一斉に羽ばたくのだ。ある観察によれば、一本の木から1万頭のカシナガが羽化したという。

 とまあ、やや思い入れたっぷりに書いてきたが、食い荒らされる木の方はたまったものではない。カシナガは外来種ではなく、昔からブナ科の老成木の一部がカシナガに食害される例はあったのだが、前世紀末あたりから今に見るように爆発的な枯死被害が広がるようになった。どうしてこんな激甚被害となってしまったのか。

 気候変動の影響もあるようだが主な原因は1960年代の燃料革命にあるというのが最近の定説だ。かつてブナ科の樹木、ミズナラやコナラ、カシ類やシイ類は炭や薪として盛んに利用されていた。しかし60年代以降、エネルギーの主役は石油や電気に取って代わられ、里山は燃料の供給源としての価値を失った。その結果、以前は20年生程度で伐られ再生を繰り返していたこれらブナ科の樹木が放置され、カシナガが好む大木に成長して大発生できる環境を整えてしまったというわけだ。

 カシナガは自然が通常の状態であれば、老成木を倒し分解することで若い後継樹の成長を促し、全体として森林の若返りと新陳代謝を助ける役割を果たしていた。つまり、今のナラ枯れの惨状は、自分の必要から自然に手を加え、そして自分の都合で勝手に手を引いた人間の側に非がある。生態系は実に複雑にして玄妙な諸関係で成立しており、それを構成するすべての生き物に担うべき役割があって、カシナガのように余程注意しなければ目に止まることもない小さな生命にも、人智では計り知れない価値が潜んでいる。

 次に立ち枯れたブナ科の大木を見たら、その根元にカシナガが幹を穿孔して排出したフラスと呼ばれるおが粉を探してみてほしい。そして、もしそのフラスを確認したら、その森とカシナガと人間を巡る半世紀の物語に、謙虚に思いをはせてほしいのだ。



今日から早くも9月。会期末が近づくにつれ、国会では安保(戦争)法案の参院採決を巡り、きな臭い空気が漂ってきました。が、まあその話はまた次に書くとして、久しぶりに植物の話。以前、このブログに書いた記事とダブる部分もあるのですが、以下、私が所属する『紀峰山の会』の会誌に載せた文章を転載します。


 植物百話 6

   レブンアツモリソウ

 6月18日~23日、8人パーティで北海道最北の利尻島と礼文島を訪ねました。同地は例年この頃は、オホーツクから冷たい風が吹き付けて天気が安定せず、雨や霧の日が多いため、登山やトレッキングに向いているとは決していえません。にも拘らずあえてこの時期を選んだのは、「花の浮島」の異名を有するまで多彩な花が咲き誇る礼文島でも、そのシンボルというべき同島の固有種=レブンアツモリソウとレブンウスユキソウの両方に出会えるのはこの時期を措いてほかにはないからでした。

 滅多には行けない所だけに、どうせなら利尻山の登頂だけでなく、この二つの固有種にも対面したい。しかし、レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬、レブンウスユキソウは6月下旬から7月上旬と、微妙にすれ違っています。このギリギリの端境期を狙ったのが先の日程になるわけで、運が悪ければ二兎を追って両方見られない可能性もありましたが、結果としては運も天候も味方して両方とも自生している個体に出会うことができました。やはり、日頃より善行は積んでおくものです。

 今回はそのレブンアツモリソウの興味深い生活史に触れようと思うのですが、その前にまずこの植物の特徴と名前の由来について説明しておきましょう。「レブン」の地域名がつかない「アツモリソウ」は本州の低山から亜高山の草地や明るい林内に生育するラン科の多年草で、茎の先に径3~5cmの淡紅色の花を下向きにつけます。花は簡単に表現すると先が尖った長三角形の花弁が天井と(正確には背萼片)と両サイド(側花弁)を形作り、残る下部に扁平な丸い袋の形をした花弁(唇弁)が位置する構造。レブンアツモリソウの花も同じ形ですが清楚なクリーム色で一層高貴な印象を受けます。

 名前の「アツモリ」は横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)にちなんでおり、この風船のように膨らんだ唇弁を、合戦時に騎馬に乗じた敦盛が後方からの弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)という袋状の武具に見立てた名前です。ついでながら、よく似た形状のクマガイソウは、戦の常とは言いながら、一ノ谷の合戦において自分の息子と同じ17歳であった敦盛の首を、泣きながら刎ねる巡り合わせとなった源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)の同じく母衣に由来します。直実はこの事件後、募る無常感から出家して仏門に入り、長く敦盛の菩提を弔ったとのこと。そしていま、両人は高野山奥の院に寄り添うように墓標を並べて静かに眠っています。

 さて、最初に申しあげましたように、レブンアツモリソウには、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、下のイラストで紹介しているように、袋状の唇弁の上に前後二つの穴があいていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、入れるのは前の大きめの穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべに触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための精一杯の演出なのです。

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レブンアツモリソウの花の模式図、礼文観光協会のHPから

 さらに、こうして受粉し結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、種子の大部分を占める胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトル発射の際の燃料ブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの種は何をエネルギー源にして発芽するのか。実は、ある菌根菌を呼び寄せ、その菌から栄養を奪い取って発芽するのです。詳しく説明する余裕はないのですが、菌根菌とは生きている植物の根っこと共生して暮らす菌類の総称で、マツタケやシメジなど多くのキノコが菌根菌に該当します。

 ここで面白いのは、この植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという相利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種は自らをおとりにして、ハイネズという木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。

 ハイネズの菌根菌はレブンアツモリソウの種子を食べてやろうと接近し絡みつくのですが、そこで種子の側は抗菌成分を分泌し菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒されて枯れてしまいます。

 このような非常に特異な発芽方法のためか、レブンアツモリソウは発芽から成熟して花をつけるまでに7年の時間を要するということです。いま目の前に見る可憐なレブンアツモリソウも、このような試練に耐えてやっとこの極北の地に花開いたのだと思うと、さらに一層、いとおしさがこみあげてくるように思います。しかし、レブンアツモリソウはなぜ、このように複雑な生活史を選択したのでしょうか。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちています。 山は本当に素晴らしい。遠くの景色も感動的ですが、ミクロの世界にも感動できる素材はたくさんあるのですね。

 前回にこのブログを更新してから、早くも1カ月以上もたってしまいました。この間、あちこち新緑の森をウロウロと徘徊して、書くネタは写真も含めどっさりあったのですが、ウロウロしすぎたのと仕事がまた忙しくなったのとでまったく時間が取れず、そのうちにせっかくのネタも次々に古くなって賞味期限が切れ、更新できずに来てしまいました。 毎日とはいかずとも、頻繁に更新しているブロガー、本当に大したものだと思います。

 さて、前回のブログで取り上げた大阪都構想、その是非を問う住民投票は僅差で反対派が勝ち、橋下さんは政界からの引退を表明しました。まあ、とりあえずは良かったと思いますけれど、橋下さんが知事になって以来の7年、大阪府市民はその思い付きのパフォーマンスに振り回されて貴重な時間を失いました。これ以上それが続かなかったことは不幸中の幸いというべきですが、成熟しない民主主義はときとしてこのような失敗をしてしまうのですね。今の安倍政権ももちろんしかりです。

 そんな生臭い話はまた別の機会にするとして、とりかくブログを更新するために、コジローが所属する紀峰山の会の機関誌に書いた巻末コラムを以下に転載します。 梅雨時の森で登山者を歓待してくれるアジサイの仲間に思いをはせてみました。




       植物百話 5
                          アジサイ

 岩登りや沢登りで雨は困るが、ハイキングなら雨の山もまた良しでなんら不都合はない。紀峰では最近、ハイキングでも雨で中止にする例が増えているようだが、よほどの大雨や台風ならともかく、多少の雨で山行を中止にするのはなんとももったいない、と、古い山屋は思う。爽快な展望は期せないが、雨なればこそ一層生命の輝きを増す森の宇宙に深く浸(ひた)れる貴重な機会を、なぜあたら手放してしまうのだろう。山岳自然に深く触れたいと望むなら、雨をも親しい友とするにしくはない。

 そんな雨にけぶる梅雨どきの森を歩むとき、みずみずしく花をつけて登山者を迎えてくれるのが、アジサイの仲間たちだ。

ajisai.png
 ガクアジサイ きみどりさんのWebsiteからお借りしました

 街で見かけるアジサイは園芸品種で、その原種はガクアジサイだろうと言われている。そのガクアジサイを含めアジサイの仲間で花びらに見える部分は実は「がく」で一般に生殖機能を持たず、「装飾花」と呼ばれている。ガクアジサイでは3~5弁の白い装飾花がそれこそ絵画の「額」のように周りを取り囲むなか、雄しべ雌しべを備え生殖機能がある「両性花」の小さな花が多数密集して咲いているが、園芸品種では両性花は退化して装飾花だけになっているものが多い。

 山で装飾花が目立つ樹種としては、アジサイの仲間のほかにはムシカリ(=オオカメノキ)やヤブデマリなどガマズミの仲間や一部のウツギ類などがある。いずれも山霧がしっとりと漂うような情景に清楚な花が映えて美しいが、この繁殖に関係のない装飾花が生まれた意味をどうとらえれば良いのだろう。

 すべての生命に共通する関心事は、少しでも多く子孫を残すため繁殖を有利に進めることだ。そうした観点からいえば、繁殖に役立たない装飾花を付けることは植物にとりエネルギーや資源の無駄遣いに思えるが、受粉を媒介する昆虫はまず装飾花にやってくるという。つまり、目立つ装飾花は昆虫を呼び寄せる標識として役立っており、その分、繁殖を担う両性花は虫を呼ぶための仕掛けを省き、作りを極限まで小さくしてたくさんの花をつけることができる。またその花の小ささのおかげで、昆虫が一度這い回るうちに多くの花が一斉に受粉することもできるらしい。かくしてトータルでみれば、無駄なように見える装飾花は植物の繁殖戦略のソロバン勘定に十分合っているというわけだ。

 アジサイはその学名をめぐる逸話でも知られる。幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放されたドイツ人医師シーボルトは有能な博物学者でもあって、帰国後に日本で魅せられたアジサイをヨーロッパに紹介。一女をもうけた事実上の妻「お滝さん」への想いを込め「otakusa」と命名したという。学名はすでに登録されていたためその名は残らなかったが、日本ではアジサイをそう呼ぶとシーボルトが説明したとの話もあり、彼がお滝さんにどれほどこだわっていたか、本当のところ定かではない。しかし、濡れそぼりつつ凛と咲くアジサイに当時20代の若者が、再びまみえることの許されぬ女性への尽きぬ想いを託したという解釈の方が、涙雨の情景に似合うことはたしかだ。

 雨具をまとって歩くのは少々面倒だが、雨なればこそしめやかに去来する思念もある。この季節、ガクアジサイやツルアジサイの花に、生命の不思議や幕末の悲恋に思いをはせつつ山中を彷徨するのも悪くないと思うが、いかがだろうか。