昨日4日夜、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が設置されたことへの対抗措置として、安倍内閣が一時帰国させていた長嶺駐韓国大使が約3か月ぶりに帰任した。もう重ね重ねだが、安倍内閣の無能ぶりというかガキぶりにはつくづく呆れ果てる。韓国側に問題がないとは言わない。だが何があったにせよ、大使を召喚するなどという、外交関係を長期に損ないかねないリスクの高い手法に訴えるのであれば、当然のことながら事態収拾への見通しや、そのための外交折衝などの目算が立っていなければならない。

 だが、この安倍晋三ボンボンとそのイエスマンだけで構成されたガキ内閣に、そんな見通しなどあったようには思えない。単に頭に血が上って、腹立ち紛れに考えられる限りで最大の強硬措置を取っただけだ。で、思うのだが、日本がこんな強硬な態度を示せば、韓国の官民は水戸黄門の印籠を見せられたごとく恐れ入って平伏するとでも思っていたのだろうか。結果は、韓国側は朴大統領の罷免をめぐる大騒ぎもあってそれどころでなく、まあ日本の駐韓国大使などいてもいなくても関係ないという身も蓋もない外交実態が明らかになっただけ。で、振り上げた拳のやり場に困り、何の成果もなくしれっと大使を戻したというのが昨日の措置だ。

 冷静な情勢分析もそれに基づく理詰めの戦略や戦術もなく、まして最悪の状況を想定しての事態収拾への考慮もなく、ただ怒りに任せて行動する。それは頭の悪さと自信のなさの表れにほかならないが、それこそが安倍晋三の実像だ。森友学園問題でそれまで拒んでいた民間人の国会への参考人招致を、鴨池氏が安倍サイドからの寄付を口にしたとたん激昂して参考人どころか証人に格上げて国会に招致したものの、その証人喚問では籠池氏を呼んで何を質すかの作戦すらなかったことが明らかになった。この策もなく激昂して行動する無能ぶり、暴支膺懲(ぼうしようちょう)といい鬼畜米英を叫んで開戦し、この国を破滅させた歴史を彷彿とさせるものがある。A級戦犯の祖父から受け継いだDNAというべきか。

 さて、歴史の話題が出たところで、久しぶりに明治維新の話の続きだ。明治維新政府は日本の資本主義化を上から急速に進める政策を推し進めていたが、その煽りで特権を失った氏族層や地租改正による「日本型原始的蓄積」により窮乏化する農村では不満が鬱積、さらにこれを顧みない政府官僚の腐敗が負け組の怨念を増幅させていた。

 このとき維新最大の功臣であった西郷隆盛は政府を去ってすでに下野していた。西郷の下野について、日本史の教科書では「征韓論に破れ」というストーリーが必ず出てくるのだが、よく誤解されるように西郷が好戦的な韓国征伐を主張し、それに反対する勢力に敗れたというのではあたらない。深入りする余裕はないのだが、先進国による植民地支配が当たり前だった当時、西欧列強に追いつこうとしていた日本として、まず隣の朝鮮半島に食指を伸ばすべしというのは西郷を含め明治政府首脳部の共通認識であり、現に西郷が下野して直後の江華島事件で朝鮮半島進出への橋頭堡を確保している。西郷の主張は、日本からの開国の呼び掛けを断る韓国攘夷派に対し自ら使者として赴き説得することにあった。だがその主張は退けられ、ではもう自分には果たすべき役割はないと西郷は鹿児島に帰ってしまったのだった。

 だが、西郷の帰郷にはもとより予定の行動という意味もあった。西郷は薩摩藩から二度にわたり島流しの憂き目に遭っているが(ただし一度目は処分に見せて藩が幕府から西郷を匿った面もある)、奄美大島での農民としての暮らしは西郷の気に入ったようで、藩からの呼び出しを受けて江戸末期の動乱に加わるため島を出る際に、用が終わればそこに戻る旨を告げている。もともと農業農民への愛着は、藩の過酷な農政に異を唱えて辞職する気骨の上司に導かれ、郡方書役助という農政末端から藩士としての歩みを始めた西郷にとり、心中深く根付く思いだった。

 西郷は直接島に帰ることはなかったが鹿児島に戻って私塾を開く一方、自分自身は半分隠居したような生活を送る。その塾生たちが西南戦争では西郷の軍となるのだから、結果としては武装蜂起の準備をしていたと考えることも可能なのだが、当時の青年層の教育に軍事教練は当たり前の教程だったのだから、そのあたりの評価は微妙ではないかと思う。ただ西郷が中央の政官界と完全に縁を切っていたことは事実だ。一方、朝鮮出兵が遠のいたことで特技である武術を活かしての再就職の希望が絶たれた不平士族は各地で騒乱を起こし、また重税に反発する農民の蜂起もあって、まだ安定するに至らない維新政府の足元はおぼつかなくなってきていた。(続く)



 今日の絵は「法隆寺」。後藤純男氏の日本画の模写です。用紙はウオーターフォードF6

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  今朝4月1日の朝刊で、安倍内閣が公教育の教材としての教育勅語の使用を容認することを閣議決定した旨の記事に接した。一瞬、エイプリルフールではないかと思ったが事実らしい。さらに中学校で習わせる武道の選択肢として銃剣道を導入することも決定したという。銃剣道というのは近代の白兵戦で敵を殺すことに特化した殺人技術だ、剣道も元はといえば殺人の技術ではあるけれど、長い歴史を経て高度の精神性を確立しスポーツに脱皮して久しい。同列に論じることはできないだろう。道徳の教科書でパン屋がダメで和菓子屋に書き換えた教科書検定の経緯など、これが漫画でなければ狂気の沙汰としか思えない事態が続発している。この狂気を放置すれば、教育勅語を納める奉安殿が復活し銃剣道や軍事教練のために配属将校が赴任してくる日もそう遠くはないのではあるまいか。日本の教育全体の森友化というべきだが、その一方で、こうした狂気のような教育を推進する文科省の高級官僚たちは違法の天下りであぶく銭を掴むというのだから恐れ入る。こういう最低な人間たちがそろって国民に対して徳を垂れるのである。世も末というしかない。

 さて、那須岳山麓での高校生雪崩遭難事故については、その後の報道でもこれまで自分がここに書いたことで修正すべき点はない。ただ、引率教師のうちの責任者が「雪崩の危険はないと考えていた」「絶対安全と判断して行動した」などと発言するのを聞いて、これまで引率教師らに抱いていた同情は消えた。この人は本当の冬山を知らない。恐らく、厳しい冬山登山の経験もないのだろうと思う。それなりの冬山経験がある登山者なら、あの降雪であの斜面を前にして、雪崩のリスクを感じないということは考えられない。この人に冬山のリーダーの資格はない。そんな無知に導かれて、死地に追い込まれた高校生たちは哀れというほかない。

 ついでだが、このニュースを伝えるワイドショーで解説役として野口健が登場していた。以前から多少ずれたヤツだとは思っていたが、この解説で本格的な馬鹿とわかった。録画したわけではないので以下はやや正確性を欠くが、現場の映像を見て野口いわく、「こんなところに行くのは登頂を目指していたとしか考えられない」「調子がいいんで行っちゃおうかって感じになったんでしょう」。アホかである。遭難現場の標高は1270m、那須岳の最高峰茶臼岳は1915m、標高差は650mもあるのだ。これに対し、高校生たちが訓練で登ったのはせいぜい50mに過ぎない。なんでここから「登頂を目指している」なんて超推理がでてくるのか。

 唯一考えられる理由は、野口が映像で見える無木立の斜面のてっぺんを頂上と勘違いしていることだ。公共の電波を使って不特定多数の人々にニュースを伝えるのに、このプロ登山家なる御仁は地図も確認しないらしい。このブログでも書いたが、急斜面は標高差で120m続き、その上はいったん緩やかな斜面になる。だから、下からの仰角の映像では急斜面の終わりがあたかも頂上のように見えるのだ。野口も馬鹿だが、それを口を開けて「なるほどお」と追従するそろって間抜け顔のキャスターやゲストらはまあ素人だから仕方ないとして、番組を作っている側は無責任も甚だしいではないか。まあ、ワイドショーってのが何の取材もしなければ検証もしない、およそ「ニュース報道」などと呼ぶ価値のないヤクザな番組だってことを知ったことだけが収穫だった。

 明治維新の続きを書こうと思っていたのだけれど、前置きを書き始めたら、腹が立って腹が立って。あ、昨日からプロ野球が開幕。我が東北楽天イーグルスは延長の末、追いすがるオリックスをペゲーロの超特大2ランで突き放して勝利した。いいニュースってこれくらいだなあ。そうそうこれに関連してだが、侍ジャパンなんてこれまたいけ好かないネーミングで戦ったWBCに参加した投手たちは、いずれも各チームのエースだが誰ひとり開幕投手にはならなかった。もちろん疲れもあるだろうし、大リーグ球で投げていた感覚を修正するにも時間がかかるという。WBCはプロ選手にとり所詮は余技に過ぎない。その余技のせいで本業に万全な態勢で望めないというのはおかしい。これからもWBCに参加するというなら、公式戦の開幕を遅らせるなどの配慮が必要ではないか。

 ま、ともあれ今日はここまで。



 森友学園問題では主役の籠池氏が国会の証人喚問に立ち、同学園が建設を意図した小学校の土地取得をめぐり、安倍晋三夫妻が関わっていた疑いはますます濃厚になった。昭恵夫人はフェイスブックで否定しているが、であれば何のリスクも負わないフェイスブックなどでなく、自ら籠池氏と同じ証言台に立って正面から対決すべきであろう。

 だいたい、このフェイスブックの文章自体、同夫人の文章とは到底思えない官僚作文で、肝心なところはすべて「記憶にない」として、100万円の寄付も10万円の講演料も「なかった」ときっぱり否定することを巧みに回避していて、反論にもなっていない。というか、きっぱり否定できないのが本当のところなのであろう、関与は明らかだ。安倍はこの問題が浮上した当初、「関与していれば総理大臣も議員も辞める」と明言した。世論を舐めきっていたのであろうが綸言汗の如しである。寄付も講演料も違法ではないが、自らそう発言した限りは辞めるしかない。これ以上、見苦しく醜態を晒すのはやめにしてもらいたい。

 このスキャンダルが従来と異なるのは、この土地取引を巡る一連の格別な便宜供与について、贈収賄といった経済的動機が見当たらないことだ。教育勅語を素読させたり中国韓国を見下したりといった戦前の天皇制軍国主義の価値観を、小学校の公教育を通じて子どもたちに植え付けようという、戦後のこの国の歩みを全否定するような極右的な動きがあり、これを首相夫妻や自民党、維新の党、それに公明党まで加わる国会の多数派が支持するというグロテスクな現実があって、官僚が保身と出世の思惑からこれに迎合し忖度、官僚用語で言えばうまく運ぶよう「知恵を出した」のが恐らくはこの事件の構図である。

 贈収賄の方がマシというのも気が引けるが、金も貰わないのに極右のイデオロギーを信奉する政治家や官僚が以心伝心で、こぞって正規のルールを曲げたり特別な便宜を図ったりする事態の方が、民主主義にとってははるかに脅威ではないか。ここまで不正が明らかになったこの事件で安倍晋三を首相の座から引きずり下ろすことができなければ、この国の民主主義はいよいよ最終的に崩壊の危機に直面することになるだろう。安倍らは幕引きを図るだろうが、籠池喚問は出発点に過ぎないのであって疑惑解明はこれからだ。野党には頑張ってもらいたい、圧倒的な世論は味方なのだから。


 と、前置きのつもりがあまりに長くなってしまったが、ここでめげずに明治維新の続きだ。 前回、明治維新国家はその生成期にあたり、資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたとし、この二者つまりは臣と民との関係は本質的に敵対的であたが、その敵対的矛盾は超絶的地位に君臨する天皇とこれへの絶対的帰依を要求する国教としての国家神道によって隠蔽されていたと述べた。

 明治維新は本質的にはクーデターであり、それは要するにまた薩長を始めとする雄藩連合と江戸幕府に御三家や会津など東北の諸藩との軍事衝突であった。当初は世界の情勢から開国やむなしとしてこれを受け入れる幕府側と、長州藩など時代錯誤な尊皇攘夷派との間での国策をめぐる政治的争点もあったのだったが、攘夷などという非現実的な主張は事態の推移とともにさすがに廃れた。となると残る争点は単に幕府か天皇か、どちらを選ぶかという支配者の選択のみになる。

 といっても、幕府の方は確かに徳川将軍を頂点とする政治機構であり軍事組織であったが、かたや天皇は単に担ぎ出された神輿であったに過ぎず、その実質は薩長雄藩の軍事連合であった。明治維新のとき、天皇はまだ15歳の少年だった。その年齢もさりながら、天皇家が真に政治権力を有したのは奈良平安朝の大昔から「建武の中興」くらいまでのことで、徳川の時代はもちろん、その前の戦国時代、さらに足利時代まで遡っても政治的支配者の地位にあったことはない。たとえば豊臣秀吉にせよ織田信長にせよ、さらには足利の歴代将軍にせよ、利用価値があると功利的に判断して存続を許しただけのことであり、その気になれば天皇の血筋を絶つことなどたやすいことだった。そうした意味で「万世一系」など偶然の産物に過ぎず自慢するに値しないのであって、実際、明治維新当時はそれこそ京都に逼塞する弱小封建領主に過ぎないのが実情だった。

 ただ、戦の旗印として担いだ側には、吉田松陰ら尊皇攘夷時代の思想的リーダーたちが普及した儒教思想の影響もあって、天皇を神聖視する空気が強まっていったのは当然のことだ。だがそれは、生身の政治的実力を有する現実態としての天皇ではなく、あくまで中国古代の尭舜に擬した理念態としての天皇であった。薩長側にしてみれば、要するに担ぎやすい神輿であってくれさえすればよかったのである。

 幕府を打倒し、さらに戊辰戦争に勝利して成立した明治維新政府は、形式の上では天皇を絶対君主として戴きながら、維新戦争で功績があってそのまま政府の高官に横滑りした元武士たちが実質的に全権力を握る。しかし、こうした高官の中には突然手に入れた地位に酔って私腹を肥やす者もあったし、また情実により政務を動かす者もあって、とても清廉とは評し難かったようである。また、廃藩置県や地租改正など、主として資本主義経済の確立のために行われた措置によりそれまでの特権のみならず生活の糧まで奪われた旧武士層、重税を掛けられた農民層らに不満が鬱積していった。要するに、明治維新政府が倒幕軍時代から掲げていた儒教的倫理は題目に過ぎないことが、事実によって明らかになったのである。鬱積した不満が爆発するのは時間の問題であった。(続く)




 さて、近況報告。免疫抑制剤の自分にとっての適量について一応目星がつきましたので、24日の金曜日に退院しました。ということで、この記事は自宅で書いています。今回は23日間の入院でした。その間に、遠藤周作の『沈黙』、ドストエフスキーの長編『悪霊』などの古典や、平野啓一郎のベストセラー『マチネの終わりに』などを読了、水彩F4(33.4cm×24.3cm)を12枚、F6(40.9cm×31.8cm)を2枚描きました。ほかにこのブログも6回ばかり更新しましたので、結構忙しかったです。

 で、その水彩画から一点、今回もモチーフはテキストからで「ブルターニュの農村」(F4)です。

170304 ブルターニュの農村 (2)サイズ







 世の耳目が安倍友じゃなかった森友学園問題に集中的に吸引される一方で、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が閣議決定、残業時間を制限するという看板でその実過労死ラインを超える残業を許容する労働基準法改定で政労使が合意(これに合意した連合は労働者の敵ではないか)、その他、それこそ安倍友の加計孝太郎氏がトップの加計学園が今治市にタダで土地を提供してもらうほか公金大盤振る舞いで獣医学部新設とか、その前に淡路島の南あわじ市では加計氏関連でこれまたタダで土地を手に入れすでに大学が開設されているとか、もう次から次へ息つく間もなくトンでもないことが続発してくると、もうなんというか、怒りも対応しきれなくなって慣れという一種の無気力状態に陥りそうになる。しかし、このような無茶苦茶に慣れて黙ってしまったら民主主義は終わりだ。民主主義というのはしんどいものである。ことに、安倍晋三なんてロクでもないやつが首相になっているようなとんでもない国では。

 さて、前回の続き、マックス・ヴェーバーが言うように、資本主義の精神とは要するに合理主義である。合理主義は個人に即していえば利己主義と言って差し支えない。ここで詳しく紹介する余裕はないが、例えば資本主義経済学の始祖アダム・スミスは大要、「資本主義的人間とは自分の利益を最大限にすることを行動の原理としており、そうした個々の利益を最大化しようとする行為の集積が「神の見えざる手」が働く市場の機能を通じ、結果として社会を豊かにしてゆく」と述べている。

 だが、個々による最大利益の追求は、他の個による同様の行為と衝突するケースが当然のことながら考えられる。これを調整するルールを成文化したのが法律だ。法律はその当事者たる社会の成員あるいはその代表者が自ら作り、警察や裁判処や監獄といった司法の強制力を持って社会の成員にその順守を強要する。これが近代的法治国家というものだ。

 大久保や伊藤ら欧米を詳しく視察して帰った岩倉使節団のメンバーは、さっそくこうした法治国家の建設に着手する。しかし、法律自体や司法の体制などは欧米の真似をすればできるが、それに従う資本主義的個人などというものがそう簡単には作れるわけではない。最大利益の追求という利己主義を行動原理とし法律に従って行動する個人など、当時のエリートはともかく、農山村で暮らしていた圧倒的多数の日本人には想像を絶する存在だった。彼らが暮らす小さな血縁地縁集団では、長い集落生存のための試行錯誤の結果たどり着いた不文律のルール、まず村全体の利益を優先しそのことが結果として個人の生存を保証するという理念に基づく「習俗のルール」が、違反者に対しての村八分という制裁を伴って維持されていた。

 「結い」といいあるいは「もやい」といい、村落共同体が日本社会の基本構造をなしていた当時に行われていた田植えや道普請の共同作業が今日、温かでうるわしい人間関係として評価され、しばしば市民運動や市民の共同の取り組みに「結い」などの呼称が持ち込まれていることはご存じのとおりである。それ自体はもちろん結構なことだと思うが、かつてこうした共同作業への参加は絶対的な強制であり、それに従わない者には厳しい制裁が加えられたことも記憶しておくべきであろうとは思う。

 逆に言えばこれら「習俗のルール」に従っている限り村落共同体の人間関係は基本的に平穏であり、衣食住もそれなりに充足して、豊かとはいえないまでも、鎮守の村祭りを頂点とする多くの年中行事イベントを楽しみ、それを通じて隣人らとの間に濃厚で親密な相互理解を構築し、破たんなく暮らしてゆけたのである。ただ、そこに個人の自己決定権はなかった。プライバシーもないに等しかった。明治以降の日本近代文学最大のテーマが、こうした社会や家に没却した個の発見や脱出であったことを思い起こせば、それが当時の日本人、特に自我に目覚めた知識人にとりどれほど切実な問題であったかが理解されるだろう。

 さて、日本に資本主義が成立するためには、その担い手である労働者がそうした村落共同体の紐帯つまり「習俗のルール」から離れ、日本資本主義の「一般ルール」である法律に従うようになってもらう必要がある。とはいえ例えば「習俗のルール」では個を主張することはタブーだったのだ、まして個人の利益を最大限にするよう行動するなど人の道に反する。当時の日本はすでに初等教育の普及で世界有数の地位にあったが、徳育の軸に置かれたのは儒教思想であり、これも「習俗のルール」と親和性が高かった。

 そこで採用されたのが、天皇を親とし国民をその子とする壮大な疑似家族の虚構だった。早い話、これが国家神道という新興宗教なのである。この新興宗教の本質は、これまで農民が従っていた習俗のルール、つまり村落の維持存続を最大の目的として個が全体の利益に奉仕することを軸とする行動倫理、これをその倫理観は維持したまま国レベルまで拡張することであった。最大目的たる「村落の維持存続」は国体護持に拡張されたわけだ。その国体は神の子孫である天皇が親として日本という巨大な共同体を治めるという虚構であり、天皇の子たる臣民はこの国体を護持するために個を捨てて命がけで奉仕することとなる。まさにいまはやりの教育勅語そのものだ。たしかにこれは、合理的な人間の創造とか個の自立などといった面倒を省けるばかりか、より体制に従順で利潤の最大化に便利な労働者を生み出すのに効果的な方法であった。 

 かくして明治以降の日本には、政府中枢を占める高級官僚らテクノクラートと実際に資本主義生産を行う大企業のリーダーや投資家、財閥関係者たち、つまり資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたのである。臣民と一口に言うが、臣と民は異星人ほども異なる価値観を持っていたわけだ。この両者の価値観はもちろん本質的に敵対的である。だがそうした敵対的矛盾は天皇への帰一を全国民共有の価値観として強制する国家神道によって隠蔽されていた。こうした臣と民との国民の二層分解。その始まりにあたり、民の立場から臣に異議を唱えて蜂起したのが西郷隆盛だったのである。

 
 今回も絵のモチーフは奥津さんのテキストから引用。タイトルは「鈍色(にびいろ)の空の下・サンマルタン運河余情」だそうです。用紙はコットマンF4


170319 鈍色の空の下・サンマルタン運河余情 (2)サイズ
  森友学園問題は、籠池オジサンが23日に国会に証人として呼ばれることになり、新たな展開を迎えそうだ。自公両党はこれまで頑なに籠池氏その他の参考人招致を拒んできたのだったが、安倍晋三から同学園に対し100万円の寄付があったことを同氏が暴露したことで一転、参考人どころか偽証罪も問える証人での喚問を提案するに至った。まあ、それはいいのだが、その理由「安倍首相が侮辱されたから」ってどうよって話だ。

 寄付という行為が侮辱という理屈はないだろう。出身の選挙区と関係ない団体への寄付など公選法にも違反しない、むしろ身銭を切って私学振興に貢献しようっていうのだから見上げた話ではないか(その滋賀区の教育内容は大問題だが)。では寄付したと暴露したことが侮辱なのか。それが事実であれば侮辱には当たらないし、事実でなければ否定すればいいだけのことで侮辱などという人格権に関わる問題ではない。要するに、思い通りに行かないことがよほど腹に据え兼ねたということなのだろう。加えて、だから国会に呼ぶという発想はいったいなんだ。安倍晋三の気に入らない発言をしたら、国会に呼んでとっちめてやるって言ってるに等しい。安倍はそんなに偉いのか。専制君主のつもりなのか。

 そんな前近代的な発想と教育勅語の親和性が高いのもむべなるかなではある。そうした専制君主にひたすら拝跪する陣笠どもが国会の圧倒的多数を占めている現状、一般社会でも安倍晋三が後ろ盾だと示せば公有地が格安で手に入る官民の忖度、それが森友学園問題の本質であり、日本の最も病んだ部分ではないのか。だれかが「安倍晋三は裸だ」と叫んで社会の目を覚まさせなければならない。

 で、この病める現在社会の空気のよって来たるところを自分なりに考えてみようというのがこの「POST TRUTHの時代」シリーズなのであるからして、寄り道はほどほどにして本題に入ろう。

 さて、現代社会学の始祖マックス・ヴェーバーの代表的な著作に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がある。社会学や政治学を学ぶなら真っ先に読む古典で、ヴェーバーはこの著作の中でなぜプロテスタント(それも主としてカルヴァン派)の思考法がなぜ資本主義の発展に寄与したかを論じている。書かれたのは20世紀初頭だからすでに資本主義は発展の途上にあって後づけの理屈に過ぎないし、また当時圧倒的な影響力を持っていたマルクス主義唯物史観へのアンチテーゼを提出するという意図もあって、ちょっと無理してるなあって部分もあったりするのだが、資本主義の精神の根本は合理性であるという指摘は端的にして見事である。

 同書におけるヴェーバーの論証をごくごくかいつまむとこんな感じだ。カルヴァン派のキリスト教解釈からくる禁欲と天職への没入、つまりカルヴァンにおいては神に救済される人はあらかじめ定められており、人為ではこの決定を変更することはできない。であればこそ人々は地上に神の恩寵が支配する世界を築くこと、そのために神から自らに与えられた天職に打ち込みそして成功することこそが神の意志に叶っていることの証であると考え、神による救済を確信するため生活を合理化して質素に暮らし、仕事で得た収入は享楽に費やすのではなく(合理的禁欲という)ひたすら天職に再投資したのだった。中世的な宗教規範では吝嗇や金儲けは基本的に反倫理的な行いとされてきた。だがプロテスタンティズムは金儲けを神の意志を地上に実現する行為としてむしろ賞賛したのだ。

 と、ここでヴェーバーが目の敵にするマルクスに行っちゃうのだが、マルクスは「資本とは自己増殖する価値である」と「資本」の本質についてこれまた端的にして見事な定義を行っている。プロテスタンティズムの倫理とはわかりやすく言えば徹底した合理主義に基づく拡大再生産であり、それは資本の本質そのものであったということだ。つまり、プロテスタンティズムの倫理はそのまま資本主義の精神であり、それゆえプロテスタントが資本主義発展の担い手になったということだ。プロテスタントの国である英国は産業革命から資本主義の世界を開いたが、大航海時代に覇を競い合ったカソリックのスペインやポルトガルはこと資本主義的発展の競争に関する限り、遅れを取った。

 念の為に付言しておくが、自分は資本主義の成立が宗教の影響などとは考えていないし、それはヴェーバーも同じだ。資本主義は生産力の発展を機動力としてある意味、自然発生的な過程で封建制を止揚し成立した生産関係であり、それを担った個々の初期資本家たちの信仰と直接の因果関係はない。ここではただ、プロテスタンティズムが体現する合理主義が資本主義の発展に有効に機能したことを確認しておけば十分である。

 では、もう一歩突っ込んで、この合理主義とは何であろうか。マックス・ヴェーバーにはもうひとつ『経済と社会』という重要な著作がある。『プロテスタンティズム・・』より15年ほど経って著されたもので、ひとことでいえば近代国家の本質は何かということを論じていて、私見だがこちらの方がはるかに読みどころは多い。で、超インスタント紹介になるが、ヴェーバーによれば近代国家とは合法的な支配関係であり、専門的官僚制と合理的法律を備えた「合理的国家」ということになる。資本主義はこうした合理的国家以外では成立しない。もう少しくだいて言うと、合理的国家=資本主義国家が成立するためには、法律という社会成員が合意する「一般ルール」が、村の掟や宗教の戒律や昔ながらのしきたりや慣習といった「習俗のルール」より上位になければならない。

 たとえば、ある村の地主から水田を買った他の村の農民が、田植えをしようとその村に出向いてみたら異教徒は入れないと村長が決めたので耕作を諦めたというようなことでは資本主義にならない。ん~、適切な例だったかどうかちょっと自信がないところもあるのだけれど、トランプは企業家といいながら資本主義の最も基本的な一般ルールすらもわかってないってことだ。資本主義は商品市場ならびに労働市場への自由なアクセスについて、不当な差別を禁ずるのが資本主義発展にとり最も合理的な一般ルールとして承認されている。だからまあ、建前だけでも資本主義=自由、平等、民主主義であるわけなのだ。
 
 さて、明治維新により資本主義国家を目指すこととなった日本にとり、この「習俗のルール」にまさる「一般ルール」を定めることが切実に急がれたことは言うまでもない。そのためにこそ、戊辰戦争の硝煙の匂いがまだ残る騒然たる情勢にも関わらず、大久保利通や伊藤博文ら新政府の中枢を担う幹部が大挙して明治4年11月から実に1年10ヶ月もの期間を費し、欧米の一般ルールをつぶさに視察したのだった。ついでながら、この留守中の政府首班を務めたのは西郷隆盛だった。

 ここでもう一度マックス・ヴェーバーに戻ることを許されたいが、先の『経済と社会』の超ダイジェスト紹介で、ヴェーバーが「近代国家とは合法的な支配関係である」と述べていると書いた。この「合法的な」というのは「正当性がある」と言い換えてもいい。つまりある国家による排他的な支配を成立させるためには、それに国民が合意できるだけの正当性がなければならないというのである。

 ヴェーバーによればその正当性の根拠は次の三つだ。第一は伝統の権威である。昔からそうだった、あるいは現在の国家を樹立するに至る経過から継続しているなどのケース、第二はカリスマの権威で、傑出したカリスマ性を持つ指導者が登場し、多数の国民がこれを熱狂的に支持するケース、そして第三は合法性で、たとえば民主主義国家では合法的な選挙で示された民意を代表する国家は、たとえ政府首班が低脳かつ無能でも一応は正当である。残念ながら。

 明治維新政府にとり、欧米に習い「一般ルール」を定めることとならび、新国家の正当性を何によって主張するかも問題だったが、これは天皇を担いで徳川政権を打倒した経過からヴェーバーがいう「伝統の権威」以外に選択の余地はなかった。だが、政府はそれでよくても、下々の民衆が正当性を認めるかどうかは別問題だ。都市で商工業に従事していた人々の中には世情に詳しいものもいただろうが、農村で狭い村の掟に縛られ生涯土地から離れることもなく閉ざされた狭い世界で暮らしていた農民たちは、支配者として自分の藩の殿様くらいは知っていただろうが、その殿様のうえに君臨する徳川将軍の存在すらほとんど知らず、まして京都に逼塞していた弱小封建領主である天皇など知る由もなかった。まあ、長らく続いた徳川太平の時代、衣食住不自由せず親族近所仲良くやっていければそれで十分充足して国家などどうでもよかったのだから、無理もない話ではある。

 前回、土地に縛り付けられた農民のアイデンティティを工場労働者らしく加工するために編み出されたのが国家神道だと書いたが、本質的には徳川政権を武力で打倒し成立したクーデター政権の正当性を主張するためにも国家神道という虚構が動員されたわけだ。かくも重宝な国家神道ではあったのだが、そこには重大な陥穽が隠れていた。次は、この国家神道に併存する功罪のパラドックスについて考えてみようと思う。


 ということで、今日の一枚。やはり奧津氏テキストからの習作で、京都東山、八坂の街角風景です。コットマンF4。


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