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  また前回の更新から時間が経過してしまいましたが、今回は忙しいのなんのという話ではなく大変な事態でした。

 正月三が日、体調を考え一歩も外出することなく自宅で過ごして迎えた5日朝、突然の呼吸困難に陥り、救急車で和歌山市内の日赤和歌山医療センターに搬送されました。

 とにかく息が苦しくて仕方がない。例えていえば海底で溺れて息が尽きかけているのに、体の一部が何かにひっかかって浮上できず必死でもがいている感じでしょうか。しかし意識は極めて清明で、「ああこのまま命が終わってしまうのかもしれないな」と、苦しんでいる自分を天井からもうひとりの自分が冷静に観察しているような不思議な感覚がありました。こうして自分を見つめている「超自我」とでも呼ぶべきものの存在については、講演するときなど何度も経験した感覚でしたので驚きはなかったのですが、その超自我が「命のあるなしの境界は意外に低いものなのだなあ」「この意識もその瞬間にはテレビのスイッチを切ったように一瞬で暗黒になり、そしてその暗黒を認識する自我も同時に消えて意識することすらないのだな」なんてことを考えていました。
 
 そんな超自我を道連れに救急車に乗せられてから病院までをなんと長く感じたことか。アスファルト道路の細かい凹凸を踏むタイヤの振動がいちいち身体に応えます。救急隊員がしきりに酸素を吸入させようとしてくれるのですが、それで楽になるなんてことはなく、むしろ息苦しさが募り煩わしいだけで払い除けたりしていました。到着した病院でも同じ調子でしたが、少し落ち着いたところでレントゲンを撮り、続発性気胸であることがわかりました。

 気胸とは何らかの理由により肺にブラと呼ばれる風船状の袋ができ、そのブラが破れて肺から漏れ出した空気が胸腔内に溜まり、その空気に圧迫されて肺が縮むことにより呼吸困難を引き起こす病気です。「続発性」とは、私のように肺疾患があって、それを原因として起きる気胸を指します。

 ともあれ、呼吸困難の原因は判明しましたので、直ちに空気を抜くためのドレーン(チューブです)を胸腔に差し込む措置(胸腔ドレナージというそうです)が取られました。この朝、急患を担当しておられたのはたまたま家族が知り合いの女医さんで、冗談を言いながら手早く処置をしてくださり、その処置が終わった瞬間、まるでウソのように呼吸が楽になりました。とりあえず窮地は脱したことになります。それから一日救急病棟で経過を観察したあと、異常なしとのことで一般病棟に移動しました。

 とはいえ、とりあえず症状は落ち着きはしましたが肺には穴が空いたままですから、これを閉ざさなくてはなりません。確実なのは手術ですが、私の場合、持病の間質性肺炎があるため手術の刺激などで急性増悪を起こす恐れがあることから、できれば避けたいというのが主治医の考え方です。そこで、胸腔に差し込んだドレーンから薬剤や自己血を注入し、肺を周囲と癒着させて穴を塞ぐとともに肺がしぼまないようにする「胸膜癒着術」が第一の選択肢となりました。

 ということで6日から9日までのワンクール、まず間質性肺炎を悪化させる恐れのない穏やか目の薬剤を1日に1回注入、しかし効果がないため、10日には自己血50㏄を注入しました。血液はすぐに固まる性質を利用しようということで、要するにカサブタで肺と胸腔をくっつけるわけです。しかしこれも効果なし。

 私の場合、間質性肺炎ですでに線維化した肺が硬くて癒着しにくいことに加え、間質性肺炎の治療にステロイドを服用していることが問題でした。薬剤を注入するのは組織に人為的に炎症を起こさせて癒着させることを意図しているわけですが、一方ステロイドは炎症を抑える薬ですから、これを服用している限り薬剤の効果は減殺されてしまいます。しかし、ステロイドを直ちにやめることは、かなりの高率で急性増悪を招く恐れがあり不可能です。まあ、あちらを立てればこちらが立たず、二律背反の厄介な症状なのです。

 ワンクールで効果がなかったため、最悪は手術となることを踏まえて16日に予約を入れる一方、奇跡を信じて11日から13日の第2クールは、間質性肺炎を悪化させるリスクはありますがやや強い薬の注入を続けました。そして12日、その効果があったか空気漏れが解消し、主治医も「これはミラクルかもお!」と喜ばれたほどで、一時はその週末の退院も展望したのですが、さらに念を入れてと前回の倍量の自己血を注入した14日の夜半、空気漏れが再発し、高まっていた退院への期待は裏切られました。こうして手術が不可避となったわけです。

 16日、手術は胸腔鏡下で実施されました。とはいえ全身麻酔でしたので、手術台の上で「麻酔入れま~す、眠くなりますよ~」という声を聞いて以後、自分にはなんの記憶もありません。目覚めれば手術は終わっていて、全身チューブとコードまみれになっていたというだけのことです。手術は無事に終わったとのこと、幸い、痛みも軽度でした。なにはともあれ恐ろしい急性増悪を警戒して一晩をICU病棟で過ごし、その恐れがなくなった翌17日午後、一般病棟に戻りました。

 術後の経過は順調で、主治医ともこのぶんなら週末にも退院できると話し合っていたところ、19日になって空気漏れが再発しました。微量なのですがこのままでは退院できません。今回もまた淡い期待はぬか喜びに終わり、また20日から23日まで薬剤の注入を再開、24日には自己血を注入、それでも空気漏れが完全にはなくならないため、さらに25日、26日は別の薬剤を注入、こうした努力の末に25日でしたか、どうやら空気漏れがなくなり、27日、ようやくドレーンを抜くことができました。やれやれです。なお異常がないか様子を見て退院は29日、救急車で運び込まれてから25日です。いやあ、長かった。

 退院してからも外出は控え、自宅に引きこもってもっぱら読書をしたり水彩画を描いたりしています。水彩画は、登山も森を歩くこともできなくなった自分にできることはないかと考え、昨年4月から半世紀ぶりに絵筆を取って手習いを始めた新しい趣味です。今回の入院でも、二回も期待を裏切られたとき、もう家に帰ることは考えず、この病院で暮らすつもりでいようと決めて病室に画材を持ち込み、3枚ばかり描きました。で、まあ、ホント下手ですけど、近いうちにこのブログにアップしようと思っています。乞うご期待です。あはは。(^_^;) 




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 ステロイドパルスの第2ラウンドを昨日終了。この治療では要するに暴走する免疫をしっかり叩いているわけなので、感染症への抵抗力が落ちているため不用意には動けず、これが回復するまでは待つしかない。というわけで、今日は連休のせいもあって空きベッドが目立つ静かな病室で、ただひたすら時間が経過するのに身を委ねている。

 こんな時、無聊を慰めるのはやはり書物だ。入院するに際して池井戸潤の本を二冊持参したほかは、全てKindleからダウンロードして読書をしてきた。その一部を以下、備忘録的に。

 まず持参して読了したのは池井戸潤の「下町ロケット」とその続編の「下町ロケット・ガウディ計画」。これが面白かったので、引き続き同じ著者の初期の作品から電子書籍をダウンロードして「空飛ぶタイヤ」上下巻と「鉄骨」、さらにTVドラマにもなった半沢直樹シリーズで知られる「俺たちバブル入行組」とその続編「俺たち花のバブル組」を続けて読んだ。

 自分の評価としては、面白さの順で言えば「空飛ぶタイヤ」が一番、次いで「下町ロケットシリーズ」と「鉄骨」が同程度で、半沢直樹シリーズは期待はずれだった。これらの作品はいずれも圧倒的な力を背景に成立している世の不条理に対する孤独な戦いがテーマだ。長々と評論する気はないが、面白さの差はその不条理を覆していわば正義(とも一概には言えないのだが)が困難な戦いを勝ち抜いて行く物語の説得力にあるように思う。

 下町ロケットシリーズではこの説得力を支える戦いの武器は町工場が持つ世界最高水準のバルブの特許で、これがあることで町工場が国策に君臨するロケットメーカーや医療機器メーカーに伍することができたのだった。また「空飛ぶタイヤ」では、業務上過失致死に問われた小さな運送会社の社長が巨大自動車メーカーの「脆弱なシャフト」という技術欠陥を突いて、そのメーカーを身売りという事実上の経営破綻に追い込むし、「鉄骨」では中堅ゼネコンの画期的なトンネル掘削技術特許が政界も絡む堅固な談合システムを崩壊に追い込む。キーワードはいずれも「技術」なのだ。

 ところが、半沢直樹シリーズにはこの説得力のある小道具が出てこない。金融業では作りようもないのだろうけれど、その代わりに出てくるのは、同じ銀行内の幹部行員たちの不正だ。半沢はそれらの不正のあおりを受けて覚えのない迫害を受けご存知の「倍返し」の復讐劇を展開するのだが、これは通常には考えられないような不正がなければ成立しない物語であって設定自体のリアリティに無理がある。しかも相手は明らかな犯罪に類する所業に手を染めているというのに、半沢の「倍返し」の復習はせいぜい、彼らを出向させたり左遷させたりの程度で済んでしまうのであり、例えば「空飛ぶタイヤ」の蟻のようなちっぽけな主人公が結果として巨像のような自動車メーカーを壊滅させてしまうのに比べ、読者はフラストレーションが募るばかりだ。

 これは、半沢自身が同じ銀行の一員として出世して行くというこの物語の規定の枠組みの限界であろう。つまり、半沢が務める銀行が潰れては物語は続かないのであるから、表に出せば社会の批判を浴び株価の時価総額が値崩れを起こすような決着のつけ方はできないのだ。この二点、説得力のある戦いの武器がリアリティを持たないこと、戦いの結果がなんとも中途半端にとどまらざるをえないこと。これが半沢シリーズを面白くなくしていると思う。テレビドラマはキャストの妙もあって大ヒットしたようだが、これは原作よりシナリオの力に負うところが多いと思った。ついでながら例の決めセリフ「倍返し」は、原作では二箇所程度しか出てこない。

 さて、ストーリーとしては面白くても、このようなストーリーだけを急いでたどる現代の物語も悪くはないのだが、自分としては今では古典となった名作の味わいも捨てがたい。特に、こんなに時間があるときには、じっくりこの国の文学作品が醸し出す豊穣な世界を再訪する好機だ。こんな時、実に便利なのがKindleでも無料で簡単にダウンロードできる青空文庫だ。入院前から多くダウンロードしておいて、まとめて以下のようなものを読んだ。

 夏目漱石  「それから」「行人」「門」
 谷崎潤一郎 「鍵」「恐怖」「三人法師」「盲目物語」「少将滋幹の母」
 中島敦   「山月記」
 中原中也  「夜汽車の食堂」「宮沢賢治の世界」
 今野大力  「宵の星」
 柳田國男  「遠野物語」
 坂口安吾  「インチキ文学ボクメツ雑談」
 太宰治   「女生徒」
 木暮理太郎 「北岳と朝日岳」

 このうち、半分くらいは青年時代に読んでいるし、山月記や遠野物語は参照する必要もあって再三読んでいると思うが、やはり全ていい。中身ももちろん味わい深いのだが、それに加えて何よりも文体が素晴らしい。特に夏目漱石や谷崎潤一郎の文体には、今の日本語が失ってしまった馥郁とした香りが漂い、それに触れるだけで気持ちが良くなる。

 漱石の文体は、いまでは惜しくももう使われることのなくなった漢語をやや多く含んだキリッとした漢字仮名交じり文で、このなんというか、背筋がしゃんと伸びた格調の高い日本語で、四季の情景と仔細な心理が見事に叙述され、深く心地よい読後感を残してくれる。また、谷崎の文体は、しっとりと潤いを含みたゆたいつつも微妙に崩れない慎みを持って、柔らかに読むものの内面に浸りこんでくるのだ。中島敦の徹頭徹尾、とんがり抜いて挑戦的な文体にもまた心から魅せられる。先人は、日本語の世界にこのような芳醇な恵みを残してくれた。無聊の床にあっても、こうした恵みに満たされた至福な時間を持ち得ることに感謝したいと思う。

 

  
 

 
 この病院でこれまでの病名診断が異なる可能性があることが指摘されたことについては昨日のブログで書きました。そうして新しく出会った慢性過敏性肺炎(CHP)とは一体いかなる病気なのか。昨日に続き極めて個人的な持病の話題ですし、もとより医療従事者ではありませんから患者として調べられた範囲に過ぎないのですけれど、職場の仲間や親しい知人にわかりやすく説明するつもりで書いておこうと思います。

 どこから説明するか迷いますが、とりあえずざっくりと一番初歩的なところから肺炎についてです。肺炎は大きく分けて、気管支から肺に至る組織いわば肺の内側が炎症を起こすものと、肺を取り巻く組織=間質つまり肺の外側が炎症を起こして壊れガス交換機能が阻害されるものの大きく二つに分かれます。ご存知のとおり肺炎は死亡原因の上位にランキングされる怖い病気ですが、風邪を拗らせてもなるくらいありふれた疾患という一面もあり、前者の場合は治癒すれば肺機能は回復し損傷を残すこともありません。一方、「間質性肺炎」と呼ばれる後者による肺機能の障害は不可逆的で、一度失われた機能が回復することはありません。

 この間質性肺炎も大きく二つに分けることができ、うちひとつは原因がはっきりしているものでわかりやすく言うとフツーの間質性肺炎、そして今ひとつは原因がわからないものでこれが特発性間質性肺炎と呼ばれます。特発性間質性肺炎はさらに6つばかりのタイプに分類されており、一番多いのが肺線維症(IPF)でこれが7割程度を占め、次いで私が診断された非特異性間質性肺炎(NSIP)が1割程度、残り2割が他のタイプになります。

 一方、原因がわかっているフツーの間質性肺炎の方ですが、こちらは原因となる要因として大きく、薬剤、膠原病、そして環境が挙げられています。薬剤では例えば抗がん剤のイレッサですが、これを投与された患者の多くがその副作用で間質性肺炎となり薬害訴訟が起こされたことは記憶に新しいところです。その他、間質性肺炎を副作用に上げている薬剤は結構あり、漢方の中にも原因となるものがあります。次に膠原病とは関節リウマチや強皮症など全身の結合組織の変性を原因に発症する病気の総称で、この病気の影響で間質性肺炎がこれら膠原病の発症の後または前に発生することがわかっています。そして最後が環境要因によるもの。問題の慢性過敏性肺炎(CHP)は、この環境要因により発症する間質性肺炎なのです。

 ついでながら過敏性肺炎には慢性だけでなく、急性、亜急性のものもあるのですが、これらは気温が上がると活性化する環境中の真菌類を吸い込んで一時的に肺の機能低下を引き起こすもので、もちろん重篤に至るケースもありますが環境を変えれば症状は和らぎ、秋が深まれば概ね沈静化する病態であり、また肺の内部が損傷されるケースが大半であるためここでは説明を省きます。

 ということで、やっと焦点の慢性過敏性肺炎(CHP)です。慢性過敏性肺炎も急性と同じく環境中の同じ因子を原因として発症するのですが、暴露期間がはるかに長いこともあって、発症した時点では環境要因を除去しても必ずしも病気の進行が止まるとは限らず、間質の炎症や線維化といった病態が途切れず進行するケースが多いのです。そしてこうして進んだ病変は不可逆的で、破壊されたガス交換機能が回復することはありません。こうした病態は肺線維症(IPF)や非特異性間質性肺炎(NSIP)と酷似していることから病名の診断は非常に難しく、そのため、この病気についてはまだわからないことがたくさんあるようなのですが、2009年に厚労省の指定を受けて行われた全国調査では確定診断後の5年生存率は47%程度であり、IPSよりはマシだがNSIPよりは悪いというあたりのようです。ま、別の調査結果もありあてにはなりませんが、もちろん特発性間質性肺炎同様の難敵で楽観できるような病気ではありません。

 で、対策。難敵とはいえ、特発性と違って環境に原因があることはわかっているのですから、とにかくその要因を取り除けば進行を遅らせることができる可能性があるかもしれません。ということでその要因の特定をまず急ぎます。これまでのこの病気に関連して得られた知見では、原因となりうる環境中の物質は200種類にも及ぶと推定されていますが、圧倒的に多いのはなんと鳥。2013年に実施されたCHP全国サーベイでは222症例中134人、実に6割で鳥がアレルゲンになっていました。鳥の飼育者に多い肺疾患として「鳥飼病」は以前から知られていたとのことで、これを「鳥過敏性肺炎」という名称で他のCHPから分離して取り扱うという話もあるそうです。

 では、鳥の一体何が問題かというと排泄物。鳥類は飛行用に限界まで体重を減らそうと消化時間を減らして頻繁に排泄します。その排泄物に含まれる一部のたんぱく質が羽毛などに付着するとともに空中にも浮遊しており、これを繰り返し吸引することでアレルギー症状を起こすそうです。アレルギーを惹起するメカニズムは複雑になりすぎるので触れませんが、この鳥の排泄物を発生源とするアレルゲンを吸収しても慢性過敏性肺炎を発症するのは特異な体質の人だけで、多くの人は平気か悪くても一時的な急性過敏性肺炎に罹患するだけです。まあ、なんと不公平なこと。

 次いで、原因と目されるのが、先に急性過敏性肺炎の説明でも取り上げた真菌類を原因とするもの。これは夏型過敏性肺炎と呼ばれるもので前述のような急性もありますが慢性化するものもあります。先の全国サーベイでは33人、約15%がこれに該当しました。真菌類とは要するにカビで、汚れたエアコンや加湿器、湿ったカーペットなどが発生源と考えられています。さらにその次がこれと原因は特定できないものの、住まいの環境に問題があると考えられるもので自宅型過敏性肺炎と呼ばれ先のサーベイでは25人、約11%が該当しました。先のカビ以外の様々なハウスダストが原因物質ではないかと推定されますが、対象物質が特定されているわけでなく詳しいことはわかっていません。それ以外に、藁を扱う農業者に見られる農夫肺などもありますが、詳細にわたりすぎるのでこの辺でおきます。

 さて、では自分が仮にCHPだったとしたら原因は何なのか。やはりまず鳥との関係からう疑うべきでしょう。でもどうやって? 調べてみたところ、鳥過敏性肺炎について臨床経験が豊富な天理よろず相談所病院の論文に掲載された問診表を発見しました。設問は概略以下のような内容です。

 1、鳥を飼っていますか
 2、ご自宅の庭やベランダ、隣家の庭などに鳥が飛んでくることが
   ありますか
 3、鳥の集まるところへ行く機会がありますか 
 4、鶏糞など鳥の糞を扱うことがありますか
 5、ご自宅に鳥の剥製がありますか       
 6、次の羽毛製品の中で使っているものに丸をつけてください。
    羽毛布団、羽毛枕、羽毛の服(ダウンジャケットなど)
    その他

 1〜5の回答も6問と同様に細かく選択肢があるのですが、それはまあいいでしょう。さて、まず1、4、5は該当しません。2、自宅は瀬戸内海国立公園の一角、和歌浦の小高い山の中腹にあり周囲は照葉樹林ですから、もちろん野鳥もそれにカラスもトンビも多くやってきます。鳥の声で目覚めるのがここに住む魅力の一つだったのに、それが問題になるとは思いませんでした。3、鳥の集まるところ、さてどこでしょう。鳥は代表的な森林性生物でありその圧倒的多数の種が森林を生息域としています。そして私の生きがいはまさにその森を含む山岳自然をめぐることだったのです。そして6、羽毛布団も羽毛服もそれに羽毛のシュラフも重宝して使用していました。やはり鳥のリスクは否定できないようです。

 主治医からは私が退院する前にダウン製品をすべて処分すること、以後も鳥類や羽毛製品との接触を出来る限り避けること、止むを得ず森林自然の中に出かけるときは必ずマスクを着用することを求められました。はあ、もしかしたらこれまで足繁く山や森を跋扈渉猟してきたことが、この病気の原因なのかもしれないのですねえ。なんだか、一生をかけて命がけで惚れ抜いた女性に、最後の最後、思い切り振られたような感じですよ。・・・でもまあ、それで生命を落とすならいいじゃん、これこそ本望という気もしないではないんだよねえ。なんというか、不思議に納得です。

 次いで自宅の真菌つまりカビやハウスダスト類の対策。主治医はやはり私が退院する前に、自宅を全面的にハウスクリーニングにかけるよう求められました。なんだか帰宅後は無菌室で生活するような感じです。このように長期に入院させる理由は今回の場合ステロイドパルス治療の必要が第一ですが、場合によってはアレルゲンとなっている可能性がある自宅から隔離するために入院させることもあるようです。これで好転した肺機能が、帰宅してアレルゲンにさらされた場合、急性増悪を起こす可能性があるため、入院中にそれを除去してしまおうというわけです。

 こうした帰宅後の対策を立てながら、今はステロイドパルスの第二ラウンドにチャレンジしているわけです。これで症状の急激な進行をなんとか食い止め、安全な環境に戻って慎重に対策を重ねながら、定期的な検査で病状を評価しつつ大好きな登山とは縁を切った新たな生活を穏やかに模索してゆく。もちろんうまくいく保証はありませんが、ともあれこれが私の病気に対する基本的な方針というわけです。なんかなあ、これまでめっちゃ突っぱりまくって賑やかにやってきた人生だったもんなあ、人が変わったみたいになるんじゃないかなあ・・ ま、それもいいか。 実際、どうなるかわかりませんけどね。


 

 

 実はいま、東京新宿付近のある病院に入院しています。入院したのは7月5日でしたから今日でちょうど10日、主治医によれば退院まで、まだこれから一週間ほどかかるとのことです。

 自分が特発性間質性肺炎(のうちのNSIP=非特異性間質性肺炎)に罹患していることはこのブログのプロフィールにも記していますし、それを発見した経緯や胸腔鏡下肺生検の経過についてはこのブログに書いてもきました。完治が望めない難病で、タイプにもよりますが予後は一般に不良。目覚ましい成果を上げている現代医学をもってしても、肺の線維化を遅らせる薬や免疫抑制剤などの助けを借りてできるだけ延命を図るのが精一杯という、一生付き合い続けるほかない厄介な相手です。

 この病気に罹患していることが判明したのは3年前の8月1日。以来、2年余にわたって特に治療は行わず経過を観察してきましたが、肺の炎症を示す幾つかの血液マーカーはいずれも徐々に高くなり、その一方で肺活量などの肺機能は測定するたびに低下し続けてきました。中学時代から6年間ある程度本格的に金管楽器を吹いていて腹式呼吸に慣れ、長距離走の成績も上位であったことから、自分の心肺機能にはいささか自負するところがあったのですが、この病気に罹患していることが分かった時点での肺活量は、自分と同じ年齢、同じ体格の標準値のすでに7割しかありませんでした。

 ただそれまで、肺機能が落ちていることについての自覚が全くなかったわけではありません。自分の生涯をかけての生き甲斐は登山であり、最も熱中していた時期はすべての休暇という休暇を山に費やし、ヒマラヤやカラコルムまで足を伸ばして年間140日を山で過ごしたほど半ば狂気に近い打ち込みぶりでした。30代半ばで新聞記者稼業を営みながらのこの無茶苦茶。こんな社員をクビにしなかった会社は偉かったのかボンクラだったのか、今更ながらありがたいことではありました。ま、バブル全盛の人手不足、加えてモノを書ける労働者などほとんど皆無の地方都市ならではの蜃気楼だったかもしれません。

 ともあれ、手足が短い分、岩登りでの華麗なムーブでは長身のクライマーに遅れをとるものの、重荷を担いで坂道をかけ上がったり、腰まで埋める雪の中に進路を開くラッセルでは無類の強さを自慢にしていたのですが、それが7〜8年前から徐々に思い通りにいかなくなり始めていたのです。とにかく息が無茶苦茶に苦しくって仕方がない。最初はトシのせいともトレーニング不足のせいとも思い、あらためて毎朝のジョギングなども始めたのですが、状況は一向に改善されない。それどころか、やがては見るからにビギナーの高齢登山者にも次々に追い抜かれるに至り、これはさすがにおかしいと受診した結果が、先の病気でした。

 話は戻りますが、経過を観察している2年の間に、肺活量はさらに落ちて昨年10月の時点では標準値の6割にまで低下しました。一方、ちょうどその頃、肺の線維化を遅らせるオフェブという新薬が承認されたため、これを服用して様子を見ることになりました。要するにやっと経過観察ではなく「治療」が始まったわけです。しかし、肺の炎症を示すマーカーに変化はなく、肺機能の低下にもストップはかかりませんでした。そんな中でこの6月、無謀なことをしてしまいました。

 こんな肺の状態で「登山」はもう無理ですが、長年鍛えた足腰は頑強なので肺に負担がかからない「下山」なら大丈夫だろうと、病気が判明して以後も、登りがないか少ない山を歩き続けていました。富士山五合目から精進湖への「下山」や利尻岳始め北海道の山々の踏破記録はこのブログで紹介した通りです。その一環で6月11〜12日、大台ケ原から宮川ダムまで大杉谷を下る山行を計画したのでした。パーティを宮川ダムから登る部隊と大台ケ原から下る部隊の二つに分け、途中一泊する桃ノ木小屋でランデブーして車のキーを交換するいわゆる交差登山、もちろん自分は下山組です。

 このルートは懸崖を際どくへつるようにたどるリスキーなコースで転落死亡事故も度々起きていますが、自分はこれまでに3回トレースしたことがあり、いずれも鼻歌交じりで気楽に歩いた記憶しかありませんでしたので、非常に気楽に考えてました。ところが、これが病人には大違い。大台から桃ノ木小屋まで標高差1200mの基本はもちろん下りなのですが、その中にも登りはそこそこあり、これに肺が耐えられずへとへとに疲れ切り、コースタイムを大幅にオーバーして登山組が待つ桃ノ木小屋に息も絶えだえで倒れるように転がり込む結果になってしまいました。

 さらに翌日、桃ノ木小屋から宮川ダムまでは標高差わずか200m、どうにでもなるだろうと歩きだしてみれば予想に反して厳しいアップダウンの連続です。あとで調べてみれば、800m登って1000m下っての標高差200mというわけで、これも肺が破裂しそうになりながら、仲間に荷物を全て持ってもらい、空荷になってなんとか倒れる寸前で宮川ダムにたどり着いたというところでした。正直、最悪の場合、この途中で終わっちゃう可能性もあったと思います。新聞ダネにならなくてホント良かった。しかし、この厳しい登りが3回のトレースの記憶に一切ないとは・・・ 元気だった当時と今の自分との落差に呆然としたものでした。ともあれ、自分の登山はこれで全て終わりました。

 なんとか生還はしましたが、この登山は肺にかなり大きなダメージを与えました。日常生活での息苦しさが強くなり、咳が切れません。職場の階段を上るのも難渋するに至り、このままでは本格的にヤバい、治すのはどのみち無理にしても、せめてこの咳だけでもなんとか制御しなければ仕事も普通の生活もできない。というわけで、「息苦しさの緩和」をキーワードに、久しぶりにこの病気についてマジに調べ直してみました。そこでヒットしたのが今入院している病院というわけです。その病院はT先生を中心に呼吸器疾患について多くの経験を蓄積しており、「息苦しさの緩和」で一定の成果を上げておられるようでした。現状ではどうしようもありませんから、試しに早速連絡を取ったところ「T先生はもう新患は受けておられない」との説明でしたが、まあこれはダメ元ということで、とりあえずT先生が外来を担当しておられる6月24日に予約を入れて上京したのでした。

 紹介状もないいきなりの外来で、しかもできればT先生にと受付でお願いしたところ、「T先生は新患は受けない」と電話時と同じ説明で「それは約束できない」とのこと、それに加え「待っていただくことになります」とのお返事でした。でも、結果として、待ちはしましたが、病院側のご配慮でT先生にお会いすることができました。診察室に入ると、T先生は自分が持参したデータをご覧になりながら非常に難しい表情です。しばらく問診を行われた上でT先生、難しい表情のまま腕を組んで自分の方に向き直り、「病名からして違っているって言ったら貴方、どうします?」と尋ねられたのでした。

 「え〜!?」だよねぇ。病名を確定するためにあの辛い肺生検も耐えたのに、それが違うってどうよ。何とリアクションしていいかわからない自分に対し、T先生は「オフェブは全然効いてませんね」と断じた上、画像を示してNSIP(非特異性間質性肺炎)ではない可能性についての説明をしてくださいます。しかし、では何という病気なのか。そう尋ねた自分に先生は、手元のメモ用紙を引っ張り出して「慢性過敏性肺炎」と書いてくださいました。これは最初に和歌山市内のCT専門医で「間質性肺炎」と書いたメモを渡された時とそっくり同じシチュエーションで既視感がありました。T先生、そのメモをトントンと指先で叩きながら、「でもね、ま、違うかもしれんけどね」とくすっと笑っておっしゃいました。実際、病名を特定することは非常に難しいそうです。「ま、それはもっと調べたらわかるかもしれませんし、それは別としても、あなたの場合は打つ手があると思います」

 「どうします」って、今のままではオフェブは結局ダメだったし、あとは咳をしながら座して衰弱するのを待つしかない身なのですから、「打つ手がある」なら試してみたいですよね。そう答えると、T先生は対策を行うなら早いほうがいいと翌週の火曜日(6月28日)からの入院を手配されました。しかし、入院中に行う検査で準備できないものがあるとのことで、診察を終えて待っている時に再度診察室に呼ばれ、先生から一週間順延しての入院を指示されました。つまり7月5日です。その日で入院の手続きをして病院を出、折角上京したのだからと新国立近代美術館で開催中のルノワール展に立ち寄って和歌山に帰りました。ルノワール展はとても充実しており満足しましたが、人ごみもあってすっかり疲れました。今の体調では展覧会にすら行けない。そんな印象も受けての帰路でした。

 和歌山に戻った翌日、改めて紹介状を書いてもらうため主治医を訪ねました。紹介状は今更だったのですが、この間に蓄積した検査データがどうしても欲しかったこと、それに5日はちょうどこの主治医の診察日に当たっているため、それを延期してもらう相談もあってこのとでしたが、事情を説明したところ、「では、こちらでの診療は終わりになります」とあっさり破門(?)されてしまいました。ま、この病院では他にすることはありませんので、これはこれでいいでしょう。円満に協議離婚といったところだと思います。また、まだ使えそうな山の道具はすべて、「紀峰山の会」の中で比較的先鋭な山行を志向する同人グループである「紀峰塾」のメンバーたちで分けてもらうよう手配もしました。これで私の登山は「卒業」です。

 かくして7月5日、夜行バスで前夜に和歌山を発ち、この病院にやってきました。入院の手続きを終えると間もなく主治医となる若いS先生が自己紹介にやってこられ、T先生にもバックアップしていただきながら治療して行く旨、説明がなされました。また日中、幾つかの検査を終えた上で夜、再び訪問されたS先生はミーティングルームで、これまでに得られたデータも参照しながら私の病気そのものについてや今後の方針について、詳しく説明してくださいました。

 6日、7日は追加しての検査、そして8日が最初の山場である気管支鏡検査でした。いわば胃カメラの肺臓版で、鉛筆大の太さの管を気管支から肺組織に差し込む検査、目的は肺細胞を少量採取して診断をつけること、そして生理食塩水で肺の一部を洗浄したうえ細胞成分を回収して治療の方向性を決めること。ただ、自分の場合はすでに2年前の肺生検で細胞の採取を行いその結果NSIPと診断はついているので(それが正しいかどうかは別として)、今回は二つ目の目的がメインとのことです。これにより、どんな薬剤が有効かが推定できるとのことでした。

 小さな異物でも激しい咳で排出しようとする気管支にチューブを入れようというのですから、非常に苦しい検査が想定されましたが、案ずるより産むが易しというか、それほどの苦痛はなく終えることができました。特に気管支鏡から麻酔液を吹き出す際(計8回)、必ず咳き込むのは仕方がないのですが耐えられる程度です。あとで話をしたT先生は、「それがうちのウリですから」と微笑んでおられました。「と言って、特別なことをしているわけではないんですよ、とにかく丁寧に慎重にやっているというだけのことです」

 その8日夕からステロイドパルスが始まりました。ステロイドパルス療法は、ソル・メドロールというステロイド薬剤を連続6回にわたり集中投与するもので、腎臓病の治療で多用されるほか、間質性肺炎では一般に急性増悪とよぶ非常事態への対策として救命治療に用いられていますが、一般的な治療で使用されることはあまりないように思います。しかし、慢性過敏性肺炎が疑われる私の場合は、効果がある可能性があるということで選択されました。静注自体は1時間程度で終わります。これを8日夕から始めて、9日朝夕、10日朝夕、11日朝まで繰り返しました。

 まあ、プラシボ効果ということもあるのかもしれません。静注が終わった後は、なんとなく息がしやすい気がするのですね。それで最初の静注が終わった8日の夜、たまたま病棟にやってこられたT先生に調子を尋ねられたので、「気のせいか、空気を爽やかに感じます」と話しところ、先生にっこり笑って、「そうですか、それは気のせいでしょう」と言われました。はあ、やっぱね。

 こうしてステロイドパルスをワンクール終了、効果を見極めて第二弾に行くかどうか判断するわけですが、プラシーボ効果を除けば自分で呼吸が楽になった感覚はあまりありません。しかし悩んでいた咳はほぼ収まりましたので、これだけでも大助かりです。肺活量も治療前に比べわずかながら改善しました。ただこれは、数値自体誤差の範囲といった程度ですし、咳が少なくなった効果が反映されているだけかもしれず、評価が難しいところです。一方、聴診の結果は改善されているとのこと。全体としては要するに、呼吸機能の急速な低下をかろうじて食い止めることができたかどうかって段階ではないかと思います。

 ということで12日、所定のインターバルを置いてステロイドパルスの第2ラウンドを実施することが決まりました。13日、14日はそのインターバルによる待機。そして今朝、15日朝から第2ラウンドが始まりました。

 以上がこれまでの経過です。あまりに個人的な内容で書くかどうか迷ったのですが、後で振り返る際に役立つこともあろうと考えて、ここに記録しておくことにしました。その後の経過、入院生活に伴うその他のことなど、また機会があれば書いてゆきたいと思います。



 
  
 

 
  
 
 実に久しぶりに病気の話題。今日は京都の診療所でセカンドオピニオンの受診をしました。メインの地元の病院は3カ月に1回、この京都の診療所では半年に1回、病気の進行状況をチェックしてもらっています。

 いやあ、しかし、病気の話に入る前に一言。 「京都って、めっちゃ暑いっすねえ!」 緯度は私が住む和歌山の方が南ですが、夏の日の最高気温はだいたい京都の方が3~4度高く、さらに蒸し暑さも加わって非常に厳しい。このジト~っとした蒸し暑い空気が肌にまとわりつく感じは、これまでに3度行ったインドのデリーと同じです。

 和歌山も暑いことは暑いのですが、海に近いため海風山風が常に吹き、空気が頻繁に入れ替わるせいか、ジト~っとした感じはありません。これがさらに紀伊半島を南下して潮岬あたりまでいくと、さらに気温も下がりますし爽やかさも増して、ずいぶん過ごしやすくなります。そういえば、日本の最高気温の記録は熊谷や多治見や山形や、いずれも内陸部で記録されています。緯度だけで単純に寒暖は決まらないのですね。

 そんな京都、烏丸の高倉通りを炎天下、陰から次の陰へ飛び渡るようにして診療所を訪ねました(んな忍者みたいな歩き方より日傘さすべきだよね)。診療所にはこの病気=特発性間質性肺炎の臨床研究で大きな実績をお持ちの、自分よりやや年上の女医さんがおられ、レントゲンやCT、特殊肺機能検査、6分間歩行しての血中酸素濃度測定など、毎回一連の検査を行ったうえで、そのデータをもとに助言してくださいます。

 自分の場合、明らかに病気とわかるのはやはり肺機能の低下で、肺活量が同年齢同体格での平均値の6割程度しかありません。また、その残った肺の機能、簡単に言えばO2⇔CO2のガス交換能力も低下していて、普通にしているぶんには生活で困ることはないのですが、重い荷物を持つとか、階段を登るとか、そんな心肺に負荷のかかることを少しでもすると、すぐに血中酸素濃度がど~んと低下し息が苦しくなってしまうのです。

 治る病気ではありませんので、今までに失った肺の機能回復は望めません。ただ、進行を止めることができれば延命につながりますから、定期的な診察は、病勢が前回の診察時から進んだかどうかのチェックが中心です。もし、急速に進み始めていたら、その兆候をつかんだ段階で、これを止める可能性がある薬の処方を検討することになるわけです。

 しかし、現在、自分の病気に処方可能な薬には重篤な副作用があります。まあ、数えてみれば随分たくさん副作用がある薬なのですけれど、その中でも最も気になるのが光過敏症。日光を浴びると皮膚がんになるリスクが高くなるという、非常に難儀な副作用です。この副作用を避けるためには、夏でも全身を覆う服を着用してサングラスをして日焼け止めをたっぷり塗って、さらに、日中はできるだけ外を出歩かな…といった対応が求められます。

 ・・が、んなことになったら、山も森も行けたモノではありません。まあ、自分はたしかに病人ではありますけれど、今の時間を闘病のために生きているわけではない。人生はそれを楽しむためにこそあるのです。今の私の暮らしから山や森を取ったら、あとはまあ、「抜け殻」とまでは言いませんが、相当程度スカスカの空虚な人生になってしまう。そんな「余生」はゴメンですから、実は薬を勧められても断る覚悟でいるのです。

 というわけで、毎回、その薬を勧められるほど病勢が進行しているかどうかが非常に気になるのですが、先生の診断、今回も検査の結果から診る限りでは前回からほとんど進行はしておらず、これまで通りの暮らし方でよいとのご託宣を得ました。はあ~、やれやれです。

 ということで、別れ際、先生がにこやかに送り出してくださった時の言葉、「これからも、しんどい事をしたり、登山したりしないで、普通に暮らしてくださいね」。もちろん、「は~い」と元気よく返事して(^_^;)、雲ひとつなく熱せられ、相変わらずうだるような京都高倉通りをしっかり日に焼けながら歩いて帰ったのでした。さあ、この週末は山に行くぞお!



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