6月26日、夜半からしっかり雨だ。シトシトと長く降り続き、ようやく梅雨らしくなってきた。じめじめして鬱陶しいが、庭木に水をやらなくて済むのは助かる。

 受験勉強は通信添削が先週ですべて終わり、この週末から過去問に突入。過去5年間の試験問題を解いてゆくのだが、手強さを再認識させられる。通信添削の演習は全13回、ほぼ満点で終始したが、これはテキストの範囲内で出題されるから可能なのであって、範囲が限定されない本番の試験では通用しない。 過去問では初めて聞く専門用語や知らない鳥やキノコの名前がばんばん出てきて面食らった。それに加えて、問題の論述だ。

 例えば森林の科目では11問から12問の問題のうち4問が論述で、それぞれ平均300字で題意に沿った論旨の回答を書かねばならない。それ以外にも、100字程度の短文で答える問題もある。これを80分でこなすのだから、文章を書き慣れていない人には手に負えないだろう。

 とはいえ、何年分も解いてくると、段々要領がつかめてくる。いまは、森林と林業各5回分を解き終えて、今朝から野外活動の一年目に入ったところだが、解き方としては、まず最初の2~3分で問題を全体に見渡して、論述課題をざっと頭に入れておく。そのうえで8題ほどある選択問題や穴埋め問題に取りかかり、これを20分程度でやっつける。この選択や穴埋めではできるだけ満点近く、最低でも8割は得点したい。それから論述問題に取り組み、1題を10分で片付けてゆくと、全体が65分程度で終了するので、あとの15分を回答の見直しや論述の推敲に充てる。だいたいこのやりかたでこなせることが判った。

 「300字以内で」とか、字数の指定があるので、この字数に合わせるのが大変だろうと思っていたが、実際に書いてみるとわりとぴったりに収まる。これは、記者稼業で鍛えた作文感覚が効いているのかもしれない。字数は少々オーバーしても良いみたいだから、この方面については気にしないことにした。それより、とにかく知識の幅を広げることがやはり大事だ。それと、手書きできるよう漢字をしっかり覚えることと・・・

 世の中の動きではこの日曜日、参院選の前哨戦といわれる都議選があった。結果は自民公明の圧勝と民主維新の惨敗、そして共産の久々の躍進だ。投票率が大幅に下がって共産も票を減らしていることから、同党の一貫した反自民の主張が支持されたとは言い切れず、むしろ民主と維新が乱立して共倒れした結果、共産が漁夫の利を得た面が強いが、民主に代わって反自民の受け皿として印象づけられたことは確かだろう。これは、極端な右傾化に突進しようとするこの国の政治に対し、ブレーキがあることを示した点で貴重な成果だと思う。問題は次の参院選だ。




 
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引き続き橋下クンの話題。この人は、なんでこうもはしたなくも判りやすいのか。要するに人間が薄っぺらと言うことなのだろうな。そういえば村上龍の出世作に『限りなく透明に近いブルー』という作品があったが、あれが芥川賞を受賞したのが1973年、ピノチェトの軍隊がアジェンデ大統領を殺害したチリクーデターの年だった。時間の経過の早さが改めて身に染みるけれど、それはさておき、橋下クンには「限りなく空虚に近いピエロ」という称号を贈りたいと思う。

 今日の共同通信が、米サンフランシスコ市が橋本市長訪問に文書で拒絶の通告をしていたことを報じている。大阪市とサンフランシスコ市は姉妹都市の協定を結んでいる。その姉妹市が相手市市長の訪問を拒否するなど前代未聞だ。

 文書は「サンフランシスコ市役所のスタンス」として「橋下市長が個人的に来ることは妨げられない」と記載しながら(そりゃそうだろう)、「公式訪問としては扱わない」「表敬訪問も受けない」と拒絶する内容の文書を大阪市に送っていたことが10日、大阪市関係者への取材で分かったという。

 文書を送ったのは、訪問計画の交渉窓口となっていたサンフランシスコ市幹部。大阪市は5月22日に受け取り、翻訳を同日中に橋下氏に示したが公表していなかった。市長が姉妹都市の市役所に押しかけてあえなく門前払いの図だ。これでは行けるはずがない。で、焦って米国への点数稼ぎに出てきたのが、八尾飛行場にオスプレイ誘致という噴飯ものの、見ていてこれ以上恥ずかしい出し物はない下品な政治的パフォーマンスだった。

 が、これも不発、どころか、八尾市長に拒否されるだけならともかく、当の米軍からも口にはださね、アホかという冷めた反応で空振りに終わった。セスナと小型ヘリの発着しか利用を想定していない八尾空港が、どうしたらオスプレイのように大きな軍事ヘリの訓練に使えるのか。セスナとは異なるオスプレイの燃料施設を作る余地もオスプレイの格納庫を新たに作る余地も八尾飛行場にはない。それこそ、戦争直後の沖縄のように、ブルドーザーと完全武装の憲兵を動員して周辺の民家を押し倒し土地を強奪するしかないのだ。ん~、もしかして、空虚なピエロならマジでやりかねないかもなぁ。

 というわけで、次に繰り出した策がアントニオ猪木担ぎ出し。はあ、落ちれば落ちるというか、これにも笑わせてもらった。猪木氏、政界を引退して18年の過去の人だ。いまさらそんな人を担ぎ出さねばならない所が、維新と橋下の凋落をはしなくも雄弁に物語っているということだろう。が、まあ、受ける方も受ける方なんだけどね…

 といった次第で、トドメがご存じハレンチ東国原英夫代議士の発言だ。同代議士、都議選の維新候補応援演説で窮地の橋下クンを援護射撃すべく、「橋下さんは風俗についての発言で逆風」「自分も98年の風俗事件で逆風を受けた」といった趣旨の発言をしたそうだが、代議士先生が一種被害者風にのたまう風俗事件は16才の少女に対する淫行だった。まあ、維新というのは揃いに揃って人間のクズばっか、エラソーに天下国家など語る資格はない。

 といったなか、松井一郎大阪府知事が渡米、今夜にもサンフランシスコ市に行って、前代未聞の門前払いを食った橋下クンの代わりに慰安婦問題で釈明するそうだ。はあ、大阪府知事って、とことんヒマなんだねえ。・・ってか、これこそ絵に描いたような「恥の上塗り」って、その歳になっても理解できないような御仁に知事が務まるものなのだろうか。あ、もちろん市長もだけど、同程度にヒマで無能だと思われかねない全国の知事さん市長さんはもっと怒るべきではないのか。

 それにしても、維新の面々が何か言ったり動いたりする度に、連中が恥の感覚を持ち合わせていないだけに、こちらが赤面するハメになる。下品でお粗末な出し物に、観客はもう飽き飽きしているのだが、維新のダメさ加減が目立ち過ぎるおかげで、なんとかミクスなんて庶民に百害あって一利無しの愚作を強行するもっと大きな災厄が見えにくくなっているのも困るのだ。
 相変わらず受験勉強に集中しているが、この辺で何か書いておかないとブログの継続が覚束なくなりそうなので、とりあえず近況報告も交えて…

 受験勉強が忙しくなっているのは、通信添削が始まったため。3月中旬から始めていた基礎演習は回答例を参照しながら自分で添削しつつ進んで、4月末には全てを終了。5月連休明けから応用問題を解いては回答を送り、添削して返してもらっている。

 インストラクター試験は森林、林業、野外活動、教育安全の4科目あり、これに合わせて森林6、林業3、野外活動と安全教育それぞれ2の計13の演習問題が、基礎と応用の2ランクで用意されている。いまは、森林と林業が終わり、野外活動の最初の応用演習に取り組んでいるところだ。

 200~400字で記述する問題が多く結構時間がかるが、出題範囲をほぼ網羅しているので、この添削が全て終わったら同じ問題をすべて200字に短縮整理し、それを何度も実際に手で書いて頭にたたき込もうと考えている。200字に整理しておけば、似たテーマの問題が出題されたら即座に叙述のキーワードを並べ、300字が要求されたら記憶した叙述に100字増し、400字なら200字増しすることで対応はできると思うからだ。字数を減らすのは大変だが、元新聞記者にとり増やすことはたやすい。

 森林インストラクター試験受験者の経験を読んでみると、とにかく記述の時間が足りず最後の問題までたどり着けなかったという感想が圧倒的に多い。つまり、問題を見た瞬間に回答が浮かび直ちに書き始められるようでなければ到底時間が足りないということだ。対応するには、良く出る傾向のテーマ、例えば森林なら遷移とか生物間相互作用など、林業なら間伐や燃料革命などについて、あらかじめ実際に何度も書いて記憶しておくことだ。これは勉強というよりは、脳と手を使ったフィジカルトレーニングに近い。

 ま、受験勉強とは元々そのようなものでや、受かろうと思えばフィジカルトレーニングもやむを得ないが、それでも演習問題に取り組むにつれ、知識が広がり深まり、記憶に残ってゆくのは楽しい。もちろん、しばらく使わないと知らない間に風化しちゃうこともあるんだけど… 「稼ぎに追いつく貧乏なし」っていうし、次々に知識を仕入れていくしかないな。

 さて、書き始めたついでに他の話題。大阪市長の橋下クンが今度は、八尾飛行場をオスプレイの訓練に提供したいと言い出した。慰安婦発言でおぞましいほど低劣な人権感覚をさらけ出して世界の怒りと軽蔑と失笑を買い、言い訳に渡米しようとしても相手にされなかったため、米軍にこびを売って米側の評価点数を挽回しようって薄汚い底意が見え透いてまたも笑える。人間というのは、ここまで下劣になれるものなのか。

 受験勉強の話ついでで思ったのだが、この人は典型的な偏差値秀才の受験オタクであって、司法試験もフィジカルトレーニングでクリアしてきたのじゃないか。その間、社会の問題を自分の生き方と照らし合わせて真剣に考えるなんて体験は一度もなかったのだろう。だから思想や世界観なんて高級なものは元々持ち合わせておらず中身はとことん空っぽで、原発政策でも体罰の評価でも軸が定まらず右往左往するのだが、その自覚すらなくその場その場の言説で機転を利かせれば、適当に言い逃れができると世間をなめきっているフシが濃厚だ。

 この恐るべき空虚。「日本の恥部」と評するしかないお粗末な人間で触れたくもないがその害悪は巨大で、無視もしかねるのが悩ましい。