ちょっと御無沙汰でしたが、実はこの間に、シンガポールの漢方医を訪ねていました。長丁場の森林インストラクター養成研修を終えて、和歌山に戻ったのが18日の日曜日。翌月曜日の朝イチで発給されていたパスポートを受け取り、この月曜日と火曜日は久々に終日真面目に仕事をして、水曜日13時のフライトで関空からシンガポールへ向かいます。台北で乗り継いでシンガポール着は現地時間21時(日本との時差はマイナス1時間)。入国手続きなどを終えてタクシーでホテルに着いたのは22時でした。

 以前は登山や環境関連の視察、国際会議への参加などで頻繁に海外にも行ったのですが、もう行くことはないだろうと、パスポートも切れたまま放置していたのですけれど、まさかこんなことでまた使うことになろうとは。そのパスポートの発給申請をしたのが8月4日。ご存知の通り、パスポートの有効期限は5年か10年かのどちらかを選ぶようになっており、今回の件からあっさり5年を選びかけたのですが、しばらく考えて10年の方を選び直しました。戦いはこれからなのに、自分で自分の命の刻限を切ってどうする。大げさにいえば、このパスポートの有効期限くらいは生きてやる!って意思表示なのだ。・・なんて変に力んで、発給手数料が5000円余分にいりました。(^_^;)

 約束の翌朝10時に訪ねたのは、シンガポール随一の目抜き通りオーチャードロードの西端に近いタングリンのショッピングセンター5階の美濃漢方診療所。中医とも呼ばれる漢方の診療範囲は広く、同診療所も様々な症例に対応しているのですが、リンク先のホームページでもご覧の通り、特に間質性肺炎に対する治療実績で知る人ぞ知る医療機関です。ここを訪ねるまでには、ホームページから連絡を取って問診票を送り。さらにCTのフィルムも航空便で送り、メールで何度かやり取りを積み重ねてきました。劉院長と電話で話してもいます。

 間質性肺炎については現時点で東西問わず完治療法はなく、医療にできることは、いかに進行を遅らせることができるかに限られます。確定診断からの5年生存率が3割という恐ろしい病気ですから、まずこの5年の壁を突破すること、さらに10年、15年と、延命を実現できれば、医療としての効果はあったと評価できます。美濃漢方診療所の劉 文鋒(りゅう・ぶんぽう)医師は、西洋医療と中医の到達点を有効に組み合わせ活用して、そうした延命の実績を積み上げてこられました。

 間質性肺炎がなかなかの難敵であることは分かっていますが、だからといって座して死を待つというのも芸のないハナシなので、インターネットを渉猟し尽くした結果、和歌山日赤での治療と平行して、とにかく劉医師のもとを訪ねて、率直に相談してみようと思ったのでした。事前に、診療所のホームページを隅から隅までなめるように読み、大言壮語しない誠実な文章から、劉先生は信頼できる方だと思いました。一応、モノを書いたり読んだりすることをナリワイにしてきたものですから、そのあたりの感覚には多少自信があります。文は人なりなのです。先生の経歴はホームページでご確認いただくとして、美濃は先生の出身地である台湾南部の都市、高尾市内の地名だそうです。 


 実際にお会いした劉先生は、想像していた通りの方でした。(あ、ホームページの写真だけはちょっと古いかも(^_^;) ) 最初に挨拶を交わすと、CTの画像も見ながら、また私の胸に聴診器を当てながら、静かな語り口で、私の病気についての現状の評価や今後の見通しなどについて、非常に丁寧に説明をしてくださいました。先生の説明にはいい話もあれば、もちろん悪い話もあって、まったく予断が許されない状況に変わりはありませんが、自分の症状に合った漢方薬を使い、食事など生活を改善するといった戦い方が示されたのは大きい。結果はどうあれ、少なくとも、なすすべなく、さして多くは残っていないであろう時間を、いたずらに消耗するような焦燥感からは解放されます。

 こちらが用意していった質問リストも使いながら、たっぷり1時間近く対話して聞くべきことはすべて聞き、最後に生薬で1週間分、粉末で1週間分、計2週間分の漢方薬を処方していただいて、初めての診察を終えました。これからは、体温や血圧、生活リズム、咳や痰など間質性肺炎の特徴的な症状など、毎日自分の体調をチェックして記録し、それを一週間ごとにまとめて診療所に送ると、それに対応して、改めて処方された漢方薬が2週間分送られてくるシステムです。

 さて、診療を終えての劉先生との会話で、先生が和歌山への移住を熱望しておられることを知りました。先生は大阪市立大学や京都大学でも学んでおられることから、日本の地理や社会にも詳しく、5年後に予定する引退後に暮らす場所を探した結果、「和歌山は世界一いいところかも」と、和歌山県人が恥ずかしくなるくらい絶賛されます。評価の根拠は温暖な気候や豊かな山海の恵みなどにあるかと思いますが、「ちょっと時間ありますか?」と尋ねたうえ、コジローの住居をグーグルの航空写真で確認して、「うん、海近いな、いいところですね」「いい物件合ったら見に行くけど」なんて、和歌山移住が本気モードであることがよくわかりました。ん〜、これはこちらも本気で探さないと。(^_^;)  しかし、縁というのは不思議なものです。 こうした人との出会いこそ人生の醍醐味、大切にしたいですね。


 
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 8月17日、森林インストラクター養成講座の最終日を迎えました。いちどはキャンセルした講座でしたが、やはり周囲の皆さんの助言を受けて、思い直して参加してよかったです。講習の中身はもちろんですが、この8日間、家でじっとしていたって、ロクでもないこと考える以外することなかったんじゃないかなって思ったりもするからね。 自分のことを振り返って、「小人閑居して不善をなす」って、昔の人はつくづくいいことを言ったと思うよ。ウダウダ考える間もなく忙しいのはいいことです。

 最終日の講義は、「特用林産物」が2時間、「山村と農林業」「木材の利用」がそれぞれ3時間の計8時間。今日の講師はそろってテキストとは関係ないことを講演する人で、内容は初めて聞く話も多くて興味深かったのだけど、試験対策にはなりませんでした。講師によっては、暗に出題するテーマを示唆してくださる方もおられるんだけどなあ。でもまあ、とにかくすべて終わってよかった。あ、特用林産物って、キノコとか木炭とか薪とか、要するに木材以外に森林で取れて売れるものです。

 講習会場と宿が同じって特権で、初日から最終日まで8日間、会場が開くと同時にほぼトップで入室し、毎回最前列ど真ん中の「指定席」に陣取って、すべての講義を講師に一番近い場所で集中して聴きました。総勢69人の受講生の中で、自分が最も有効に積極的にこの機会を生かしたんじゃないかな。もちろん、それでも試験をパスするのは厳しいでしょうが、合否はともかく、これで自分なりに納得して、このチャレンジを9月15日の試験で終えることができそうです。

 最後に、三浦雄一郎全国森林レクリエーション協会長名で発行された養成講習修了証と、「森林活動ガイド」の証明書とバッジを受領し、全日程を終えました。頂くまで知らなかったのですが、この講習を修了すると、とりあえず「森林活動ガイド」とかの資格が得られるそうです。ん〜、何をする人なのか、よくわかりませんが。(^_^;)

 さて、終電に間に合うかどうか気をもみながら帰るのはイヤなので、もう一晩ここに泊まってゆっくり休み、明日、和歌山に戻ります。この部屋に9泊。いやあ、長かった。同じ場所にこんなに長く続けて泊まったの、初めてだと思うよ。 でも、いくつになっても、初めて体験することがいっぱいあるっていいよね。 ではまたです。



 8月16日、講習7日目、科目は「林業」に入って、講義は「森林の保全(治山・林道)」2時間、「森林の効用」3時間、「森林の育成と管理」3時間の計8時間。コジローにとり森林インストラクターの受験科目のうちで「林業」は得意分野といってよく、今日の講義もほとんどは既知のことばかりでしたが、専門家からこんなにまとまった講義を受けるのは初めてだったので、とても刺激的な一日になりました。

 が、今日は楽天、田中投手の日本記録がかかる試合があったので、ブログよりそちらを優先。講習が午後6時15分に終了するや、そそくさと部屋に戻ってネットのパ・リーグ中継にログインして、今夜の楽天西武戦を購入(これが1試合600円、一ヶ月契約で980円という価格設定、ん〜敵もさるものだよなあ)。それからただちに1階の食堂に降りて、開口一番ビールを注文してPCの中継を呼び出し、モニターにかじりつく。試合はまだ2回の裏だった。

 で、余談だが、この講習受講中、夕食はこの食堂と近所の中華料理屋と、それからちょっと遠征して茗荷谷駅前の居酒屋をグルグルまわるパターン。食堂はここ3日は盆休みだったので、久しぶりだったが、ブッキラボーな亭主と、とびきり愛想のいいおばさんの2人で切り回していて、味も悪くない。今夜はPC持参なので、とにかく近いことが最優先で必然的にこの食堂になった。

 ビールを持ってきたおばさんが飛び切りの笑顔で注文を聞いてくれるので、持ち運びできる小さなホワイトボードの中から注文するのだけど、「悪いね、今日は市場が盆休みでさ〜」ということで、魚関係の料理は皆無。仕方がないので、主菜に「あんかけ焼そば」を注文しようと思ったが、この食堂(に限らず東日本全般か)、朝食でもとにかく量が多くて、小食のコジローなどは平らげるのに難儀する。で、念のため、「量は多いですか?」と注文する前に訊ねたら、おばさん、「お昼の定食は、このそばに一品つけて、ごはんとみそ汁ですけど」とのたまった。

 ・・ってことは、焼そばだけだったらたいしたことないって意味だよねえ。で、楽天大ピンチでの田中の投球を横目に心ここにあらずの状態で「じゃ、それお願い」と「冷や奴」とあわせ注文して、PCに熱中していたら、しばらくしておばさん、「あんかけ焼そば」がこぼれ落ちそうな大きな皿を持ってきてくださって、とびっきりの笑顔と明るい声で、「大盛りにしときましたぁ!」。(^_^;) 

 あ、僕が訊ねたの、そういうフウに受け取ってくださったのね。すんごく複雑な気持ちで、それでも顔だけは笑みをたたえつつ(ここがオトナのフンベツというものなのだ!)大皿を受け取って、それから半時間というもの、胃袋の中にもうビールを入れる余地など全然なくなるまで、ひたすら「あんかけ焼そば」をむさぼり食い続けたのでしたねえ。もちろん、おばさんのご好意に応えるべく、残らずきれいに平らげましたよ。 あ?、味は素晴らしいんですよ。が、あの、量が・・いやあ、とにかく、大変だったぁ。(^_^;)

 なんてこともありつつ、マー君、昨年から破竹の21連勝! プロ野球新記録達成だ! その瞬間を見ただけで、まあネット中継600円も、はち切れそうなおなかも、満足でいっぱいの夜になったのだ。

 という訳で、本日は講習の話はまあ、カット。ただひとつだけ。「森林の効用」について話された只木良也先生は非常に著名な方で、そのご著書を何冊も読んではいるが、今日の講義で話された地球温暖化の国際交渉についての説明で、その舞台をIPCC(気候変動に関する政府間パネル)とされたのは思い違いで、正確にはCOP(国連気候変動枠組条約締約国会議)とすべきところだった。これは結構重要ポイントだが、先生は何度も勘違いのIPCCを板書までされるので、ちょっと困ってしまったが、まあ、だからって、大勢の受講生の前で指摘はしにくいよねえ。この辺りの話なら、先生よりコジローの方が詳しいかもしれない。

 さて、いよいよ明日は最終日。よくここまで頑張ったものだと思う。  ・・けど、それにしても、おなかがはち切れそうに大きい。どうしよう・・・

 

 8月15日、敗戦記念日。講習会は6日目で、「企画の立て方」「ネイチャークラフト」「人を引きつける話法」「山の安全」の4講計8時間。6日目ともなると、林野会館での生活にも慣れてきて、ずっとここに住んでいるような気がしてくる。東京の空気にも慣れた、が、水はやはり頂けない。歯磨きの際のうがいだけでも、鼻の奥に突き抜けるような悪臭に辟易させられる。
 
 部屋には電気ポットが置いてあって、講習が終わって部屋に戻ると必ず満タンの湯が沸いている。初日にその湯でお茶を入れたが、やはり湧かしてもとても飲めた代物ではなかったので、ポットの熱湯を全部捨てて、コンビニで買った「富士山のおいしい水」を沸かし直して茶を飲んだ。(自分の好みとしては富士山より南アルプスの方が良かったんだけど、あ?、単に山の話ね(^o^)v )。しかし、2日目も、3日目も、捨てても捨てても、昼の受講中にルームキーパーが湯を沸かしておいてくれるので、もう面倒だし、エネルギーの無駄遣いにもなるので、コードを抜いてポットは使わないようにした。が、次の日、講習を終えて部屋に戻ってみると、やっぱチンチンに熱湯が沸いてるんだよね。(^_^;)

 さて、「企画の立て方」は基本的には全国地球温暖化防止活動推進センターで受けた研修と同様の内容。実際に企画を立てる演習では、実際にわかやま環境ネットが10月19〜20日に予定している龍神村でのイベントを想定して、企画書を書いてみた。講師曰く「お、行ってみようってタイトルを考えてください」。で、ひねり出したのが「龍神の湯と山で学ぶ市民参加の森づくり」。初日が龍神温泉の「きらり龍神」での座学と交流会(って要するに呑み会)、2日目が伐倒と搬出のトレーニングということでこのタイトルなのだが、「お、行ってみよう」と思ってもらえるかなあ。

 2時限目のネイチャークラフトは、実際に小学生でもできる程度の工作をいくつかやってみるのだが、これが発見に満ちていて実に楽しい。子ども相手のクラフトなんて・・と、多少なめた気分も実のところあったのだが、風散布種子のいくつかを模倣した工作など、作るのは簡単だが、作った種の模型が空中を優雅に舞う姿には、心底感動した。そうか、松の種子はこうして広がるのか、ラワンやニワウルシ(シンジュ)は、と、それぞれ独自の進化を遂げた植物の生活史戦略の巧みさに改めて気がつき、驚異の念に打たれる。これは、どこかで実演したいと思った。そうそう、ドングリの殻斗(かくと=お皿の部分)で鋭い音を出す笛ができるのだが、これがどうしても講師のように音が出ない。和歌山に帰り着くまでには何とかしたいと思うが。

 「山の安全」の講師は日本の女性登山家の草分けである小倉薫子(のぶこ)さん。平均年齢76歳の女性パーティを率いてブータンに行ってきたところというが、なにしろ、最初の著作を出したのが1961年というから、その登山歴たるや恐るべきものだ。当時、小倉さん28歳、コジローなんてまだ9歳だぞ。(^_^;) というわけで、小倉サン、試験と関係あるのかないのか、テキストは読まず、あちこち飛びまくる四方山話をして、最後に「青年諸君、これからだぞ、頑張って行きましょう!」と、熱いエールを送ってくださった。ま、小倉サンにしてみれば、コジローも青年の部類かもなあ。

 あ、小倉サンの話から一つだけ紹介。ちなみに講義のテーマは「山の危険」であるわけだが、最近いいものができたって山道具の紹介で、LEDのヘッドランプの話。「これは半永久的に使えます」って山道具屋で聞いて、大喜びで買って山に持って行ったら、半永久どころか点灯もしない。下山してから店に文句を言いにいったら、お店の人が「電池が入ってません」って。   そこでこの教訓から小倉サン、「あれ、電池がいるんですよ、気をつけてくださいね、みなさん」だって。    あ〜 驚いた。(^_^;)



  

 



  
 8月14日、長い養成講習も今日から後半戦に突入です。今日の講義は「野外活動基礎技術」「キャンピング」「野外活動概論および指導法」そして「森の民俗学」の4講。

 前の二つは、野外をフィールドとする環境教育の意義と可能性、さらに具体的な技術にわたる話です。厳冬のアルプスを含め四季の山を渉猟し、「野宿のプロ」を自認してきたコジローとしては、いまさらキャンプの技術もないようなものですが、これはあくまで山を歩く必要に迫られての野営であって、今回の講習のように明確な教育目的を持って組織的に実施するキャンプとは全然違います。不便な自然の中で仲間が協力し合って暮らすことにより得られる教育効果はきわめて大きく、このことに着目して実施されている欧米での教育キャンプは4週間ほどが普通だそうです。ま、そんなキャンプに参加したり、協力したりする機会が今後あろうとは思えませんが、自然の教育機能という点では学ぶところがありました。

 野外活動概論は、一昨年6月に国会の全会派が賛成して成立した「スポーツ基本法」などにも触れた、スポーツの本質についての話でした。日本のスポーツ界に根深くはびこる軍隊的な体罰や、全柔連に見る権威主義的な暴力体質は、この国で「体育」と称されてきたものが、本来「遊戯」と楽しみを本質とするスポーツといかにほど遠いものであったかを如実に示しているという講師の話は、まことにもっともです。ついでですが、そんなスポーツ超後進国が、厚かましくオリンピック招致など、恥ずかしくはないのかというのがコジローの意見です。

 で、最後が「森林の民俗学」。野本貫一さんの『神と自然の景観論』から説き起こし、万葉集や古事記、柳田国男や折口信夫らもひいての、日本人の信仰心を含む精神世界と森林との関係を説き起こすすごい内容の講義でしたが、2時間ではちょっと消化不良になりそう。コジローは野本貫一氏の『景観論』も柳田も折口も読み込んでいたのでなんとかついて行けましたが、初めて聞く人にはしんどかったんじゃないかな。神奈備(かんなび)とか神籬(ひもろぎ)とか、ん〜、何のことかわかるかなあ・・ そういえば寝てる人も多かったなあ。(^_^;) ともあれ、自分にはすんごく楽しい講義だったからいいんだけどね。え? 具体的な内容? とてもここに書けるものではないので、またの機会に。

 さて、今日は、プログラムの都合でいつもより1時間早い5時15分に終了。この時間に終われば、あとの行動にも余裕があります。で、中華料理屋で夕食を食べて、お風呂に入って、さっさとブログを書き上げまして、さて、これからサッカー見ながらビールタイムなんだよね。ではでは。(^o^)v 

 
 8月13日、期待と不安が相半ばする「樹木・森林の観察」実習の日を迎えました。ずっと半年前から楽しみにしていたイベントなのですから、期待については書くまでもないのですが、この体力で最後までついて行けるかどうかが不安です。電話でやり取りしているシンガポールの漢方医からも、登山やマラソンは厳禁と釘を刺されています。ま、登山というほどの激しい運動にはならないと思ってはいますが、とにかくある程度の高差を登るわけですから、肺への多少の負担は避けられません。でもまあ、出発点に戻るコースですから、ダメなら離脱して下ればいいだけのことですので、あまり深くは考えずに参加することにしました。・・というか、元々、モノゴトを深く考えるのは苦手な性分です。

 いつものように5時前に起きて、いつも通り前日の講義の復習をしたあと(前夜のうちに復習しないのは必ず酔っぱらっちゃうから(^_^;) )、身支度を整えて6時40分に宿舎を出、コンビニで食料や飲み物を仕入れて最寄りの東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅へ。お茶の水駅でJR中央線に乗り換えて高尾駅まで行き、さらに京王線に乗り換えて高尾山口。そこから5分ほどで着くケーブル乗り場が集合場所で、指定された9時20分より1時間近く早く着きましたが、すでに受講生は10人ばかり集まっていました。

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 高尾山のケーブルカー乗り場

 続々と集まってくる受講生は、若い人も多いのですが、いずれもさすがに山慣れた服装と装備で、ベテランの雰囲気を漂わせています。なかには、どこかの施設の自然観察ガイドや営林署とかのワッペンや刺繍がしてある制服でこられる方もチラホラおられたりして、やはり森林関係の専門家が受講生の中心なのだということがよくわかりました。

 9時半、点呼を済ませた後、64人の受講生を4班に分け、それぞれ引率の先生がついて出発。自分が属した1班の引率が宇都宮大学名誉教授の谷本丈夫先生だったのは超ラッキーでした。この研修、谷本先生に限らず、これまで著者名としてしか知らなかった専門家が、次から次へと登場して講演してくださるのがすごい。谷本名誉教授も高名な方ですが、小さなリュックを担いでスタスタと歩きながら、実に手際よくユーモアを交えて、樹木と土壌とそして生態系の説明をしてくださいました。終始、へえ!と思うような話の連続、大慌てでメモをするのと、坂道を遅れないよう歩くのに必死で、ケーブルカー終点に着くまでの3時間、水分を補給する余裕もありませんでした。

 この3時間で、先生が解説された樹木は約60種。これに地形や気象、植物生理、土壌、生物間相互作用や遷移の話も混じりますから、さすがにその道のトップというのはたいしたものです。ん〜、できたら、今日の倍の時間かけてゆっくり聞きたかった! しかし、それにしても先生、歩くのが速い! 説明するときはもちろん止まっていますが、まあ、時間に限りがあることもあって、次の説明ポイントまでは大股でぐいぐい登ってゆかれます。こちらも必死でついて行くのですが、息切れして肺にダメージを与えないよう自重するペースでは、すぐに先生との間に差が開いてしまいます。自分が遅れることは最初から分かっているので、説明が終わり次第、必ずトップで歩き出すようにしていたのですけれど、次々に後続の受講生に抜かれてしまいました。 ん〜、これでも山屋サンなんですけどぉ、なんという情けなさ。 でもまあ、なんとか、正午過ぎ、脱落せずに終了地点までたどり着くことができました。

 この観察の内容について書き出すとエラい分量になるので省きますが、実に楽しく、得るところ大でした。やっぱ、参加して良かった。本来は、この後、山頂に近い広場で午後の講習の予定だったのですが、昨日、時間雨量100ミリを超えるゲリラ豪雨と落雷がここであって、ケーブルカーが止まってしまうトラブルとなっており、今日もその恐れがあるということで早々とケーブルで下山。ふもとの林野庁の施設で3本のレクチャーを受けました。ついでながら、このケーブルの最大斜度31度は、日本一とのこと。その崖のような急傾斜を下って行くケーブルで外の景色を眺めながら、「ああ、この状態でも、これだけは登ったんだ」と、まあ、少し感慨めいたものがありました。

 さて、下山してからのレクチャーのひとつに、葉っぱだけを見て、樹木を当てる演習がありました。受講生の手元にまわされた葉は15種類、講師から一言だけヒントがあって、それぞれ何という樹木の葉と判断したかを所定の用紙に記入するのですが、コジローどうしても3点は講師のヒントを聞いても分からず、外してしまいました。答え合わせが終わって、「やれやれ、まだまだだな」と思っていたところ、講師が「10問以上正解だった方」といって手を挙げるよう求められましたので、ふらっと手を挙げるとなんと5人ほどしかいない。結局、12問正解だった自分ともう一人若い女性の受講生が2人同点トップの成績で、講師からお褒めの言葉を頂き、受講生の皆さんからは盛大な拍手を受けました。

 ちなみに、コジローが外したのは、エゴノキ、ヒイラギ、チドリノキの3点。エゴノキは「川魚を捕る毒として使った」という講師のヒントでも分からず、ヒイラギはあのトゲトゲの葉なら間違うはずはないのですが老齢の全縁(ふちが丸い)の葉でだまされ、チドリノキに至っては名前を聞くのも初めて(^_^;)って完敗状態でした。一方、正解したのは、カヤ、コナラ、エノキ、ケヤキ、ムクノキ、スダジイ、ヤマグワ、アカマツ、シラカシ、イチョウ、クスノキ、サワラの12点。まあ、最高点になったのはたまたまですが、半年前にこの勉強を始める以前であれば、イチョウ以外は何一つ判別できなかったと思います。やはり、学習って偉大ですよ!! 努力は人を裏切りませんね。(^o^)v
  




 8月12日、今日は「森林と人と自然保護」が2時間、日赤の「救命・応急手当」の講習と実技が3コマ計4時間、それに「野外ゲーム」が2時間での講習でした。最初の講義は日本の林政批判を含む熱の入った講義で、共感できる点は実に多かったのですが、力を込めて力説された内容はどうやら試験とは全然関係ないらしい。(^_^;)

 民主党政権時に例の事業仕分けのノリで策定された「森林・林業再生プラン」は机上の空論というか、現場の状況を知らない妄想の産物ともいうべき代物で、それ以前の自民党政権時代の林政も褒められたものではなかったのだけれど、それにもまして評価にすら値しない!・・なんて声を、林業の現場でもよく聞くのでしたが、ん〜、さすがに、東京でもそうなのかぁ。・・とは思ったのですけれど、この際、試験に関係ないことで盛り上がられてもなぁ・・

 日赤救急法は、これまでも労山の遭難対策のイベントなどで何度か経験はしているのですが、3人の講師による4時間の集中講義はさすがに中身が濃く、何度もタイムトライアルでチャレンジさせられた三角巾の基本的な使い方など、かなり身に付いた気がします。ま、こんな救命技術、使わずに済むよう準備することこそが重要なのですが。

 最後の「野外ゲーム」は、ん〜、まあ、なんつうかなあ。どうしてもあんまし関心が持てないんだよねえ。講師は有名なNPO国際自然学校の校長先生で、実践しておられる環境教育にはもちろん頭が下がるのですけれど、自分としては、子どもの面倒など見る気も、そんな時間もないし、熱弁の講師には申し訳ないけど、やっぱりあまり関心を持っては聞けなかったです。

 さて、明日は待望のフィールドワーク。東京近郊のハイキング入門の山として有名な高尾山で、自然観察の実習です。ガイドしてくださる先生は宇都宮大学の谷本丈夫名誉教授。初日に植物の識別方法を軽妙な話し振りで講義してくれた先生で、期待満々です。

 が、この肺で落後せずについて行けるかなあ。高尾山は標高わずか599mの藪山です。和歌山の生石山どころか生駒山より低い。地図をつぶさに眺めても、登りの落差はせいぜい350m、それを樹木の観察もしながら、ゆっくり登るのですが、今の状態では盤石の自信が持てません。まあ、なんとかなるかなあ。ワタクシ、一応、いまでも和歌山で最も活発な社会人山岳会の会長なんですが、なんとも情けないですねぇ。

 ハナシのついでですが、実は山屋としてのその情けなさもあって、8月8日、私が会長を務める「紀峰山の会」の運営委員会で、病気について簡単に報告するとともに、会長職の交代についても検討してくださるようお願いしました。ま、看板でいいなら(ずいぶん薄汚れた看板で申し訳ない)続けますが、もう会員をリードすることなんて絶対にできない身分なので、そのうち居心地が悪くなるんじゃないかなあ。ま、皆さんに決めてもらえばいいことですが。

 ともあれ、明日は行けるところまでいってみようと思います。

 話は変わりますが、東京は夕方から猛烈な雨と落雷。まるで熱帯のスコールで、建物の外に出ることなど考えることもできないほどです。地球温暖化、気候変動の兆候は、日々、誰の目にも見える形で顕在化しています。人間の生存基盤が根底から崩れようとしているとき、東証の動きに一喜一憂したり、TPPにうつつを抜かしたり、低次元のナショナリズムで盛り上がったり、ほんと、この国の政府そして右翼政治家の面々は救いがたいと思います。


 8月11日、2日目の講義も無事終了、生ビールがうまい! (^o^)v
 本日の講義は、森林の法令、森林の動物(ほ乳類)、森林の動物(鳥)、森林の土壌と水、森林の動物(昆虫)の5講で各1時間半、いずれもその道の専門家の講義で、聞き応えは十分でした。わずか1時間半では導入以上の話は無理ですが、それでも新しい知識をたくさん得られて十分興奮しました。実際に森林に入って学んだことを確かめ、しっかり自分のものにして、誰かに伝えたいと強く思いますが・・・

 さて、難病の話、8月1日の「肺の日」の採血と肺機能検査の結果が出るというので、8日、再び呼吸器科を訪れました。まず、診察の前にレントゲンとCTを撮影、今回は予約を取っての受診ですのでほとんど待つこともなく順調に進み、医師の話を聞きました。再度撮影したCT画像を見ながら、医師は「特発性間質性肺炎」と診断しました。特発性とは、要するに原因が分からないということです。間質性肺炎には膠原病や薬の副作用、アスベスト吸引など原因が明確なものも一定割合であるのですが、原因不明の方が圧倒的に多くそれを総称して「特発性」としています。で、原因が明確なら、その原因を除けばとりあえず進行が止まることを期待できるのですが、原因不明では手のうちようがない。ま、特発性とはそういう意味です。

 さて、しかし一口に特発性といっても、原因が分からない訳ですから、症状にもいろいろあって、ざっと6種類くらいのタイプに分類されているようです。そのなかには、まさに数ヶ月といった超特急で手の施しようもなく死に至る悪性のものもありますが、私の検査データやCT画像をつぶさに検討した上で医師は、「最悪のものではない可能性がある」と、慎重な言葉遣いで話され、そのタイプを見極めるための生検、つまり肺の組織からサンプルを摘出する検査をするよう勧められました。もし、ステロイドが効くタイプなら、いま分かれば対処のしようがあるかもしれないといいます。「いますぐに決める必要はありませんが、1年は待てないと思います」というのが医師の話です。ん〜、1年たったら、どうなっちゃうんだろう… (^_^;)

 まあ、あまり愉快な話ではないですが、なってしまったものは仕方がないので、こちらとしては可能な限り最善を尽くすだけです。27日に呼吸器外科で生検に向けた事前の検査を行うことにして、この件についての医師との問答を終えました。それから、日常生活で気をつけることなど、いろいろ話したのですが、医師は登山やランニングなど激しい運動を避けるほかは、とりあえず何も変える必要はないといいます。確認してみたところ、お酒も特に制限はないんだって。で、さらに突っ込んでちょっと冗談めいたやり取りもしていたのですが、その最後に医師から、「ですが、これは死に至る病です」「あなたは、この病気で命を落とす可能性が高いのです」と、しっかり釘を刺されました。ま、そう思ってますけど、どうしても冗談にしちゃうんだよね、困った性格です。

 しかし、座して命が尽きるのを待つっていうのも芸のないハナシなので、この専門医が携わる西洋医学の路線とは別に、ネットで調べまくって行き当たったシンガポールの漢方医と連絡を取り合っています。これについては、また別の機会に。
 
こんばんは。いま8月10日午後7時5分。たったいま世界陸上で女子マラソンがスタートしたところ。野口みずき、福士加代子、木崎良子、3人娘の健闘を祈りたいですね。順位はともかく、自分で納得がゆく走りで完走してもらいたいです。

 そういえば、自分も2年前までは、山のトレーニングを兼ねてそこそこ走っていたのでした。もちろん世界陸上で思い出すだけでもおこがましいというものですが、連日少なくても6km、時間が許すときは20kmを走っていましたが、今思えば、すでに壊れかけていた肺でよくやったものだと思います。口熊野マラソンでのハーフでしたが、とにかく制限時間内にゴールした自分を、今更ながらほめてやりたい気持ちです。(^o^)v

 さて、森林インストラクター養成講座の初日が終わりました。第一講が「森林の生態」で3時間、第二講が「森林の植物・樹木」で3時間、第3講が「きのこ」で2時間、合計8時間の講習がびっしり短い休みを挟んで続きました。これだけ集中して勉強するって、いったい何年ぶりだろう。受講生は60人あまり。例によって厚かましく最前列中央の特等席に座り、集中して受講しましたが、さすがに疲れました。

 それにしても、東京って、どうしてこんなに空気が悪いのか。まあ、一番暑い時期ってこともあるのかもしれないが、とにかく埃っぽくて喉が終止いがらっぽいんだよね。病気で敏感になっているからよけい感じるのかな。それと、水道水がすごくカルキ臭くて、とても飲めた代物ではない。これはナマでもお湯でも同じで、部屋のポットで沸かしてくれていた湯でお茶を入れましたが、一口すすって捨て、直ちに表のコンビニで水を買ってきました。

 空気と水って、生き物にとって一番大事なものだと思うが、それがこんなお粗末な状態では情けない。東京の人はきっとこれに慣れて何とも思わないのだろうけど、きれいな空気と水が当たり前の紀州人には耐えられたものではないです。

 さて、次はまた明日です。
 8月9日午後、いま、東京に向かう列車の中で、この記事を書いています。どんな用事で上京するかはおいおい説明するとして、まずは昨日の記事の続編です。

 さて、このブログをお読みの皆さん、8月1日が「肺の日」だってご存知ですか? まあ、たんなる語呂合わせだと思いますけど、呼吸器関連の医師団体ほかが、禁煙キャンペーンなどを展開しておられるようです。

 「画像診断が趣味」の院長さんから「早く専門医に診てもらうように」との助言を頂いた翌日の、その「肺の日」、早速つてを頼って、和歌山県内最大の医療機関である和歌山赤十字医療センターにレントゲンとCTの画像を持参し、呼吸器内科で専門医の話を聞く機会を得ることができました。

 長い待ち時間の後、ようやく呼ばれて診察室に入って見せられたのは、持参した画像、そして自分がこれまでにこの医療機関で受診した機会に撮ってきたレントゲン写真の数枚でした。多忙さにかまけて健康診断も滅多に受けていなかったのですが、コンピュータはずいぶん過去のデータからも私の写真を抽出して、現在の状況との比較を可能にしてくれるのです。毎年まじめに健康診断を受けていれば、もっと詳細な変化が読み取れたでしょう。

 ともあれ、とりあえず一番新しい6年前の写真を食い入るように見つめながら、医師は、「もしかしたら、この頃から発症していたかもしれませんねえ」と話されました。そう思って視なければわからない程度ですが、そういわれてみれば、左肺の下にかすかに白いものが見えます。そして現在の写真、それは両肺の下部に不気味に広がっており、CTの画像もそれをさらに裏付けています。残念ながら、間質性肺炎であることは間違いないようでしたが、この日は医師からそれ以上の詳しい説明はなく、医師から指示された通り採血と肺機能検査をして、午後2時頃、病院を出ました。

 この難病に罹患していることが確実ということであれば、なにはともあれ、最悪の事態を想定した上での対応策を急がねばなりません。そこで、事務所に戻るなりスタッフに集まってもらい、これまでにわかっている範囲で状況を説明、いつ自分が抜けても仕事に大穴が開くことがないよう手を打って行くので、協力してくれるようお願いしました。

 和歌山市毛見の浜の宮海水浴場に面した風光明媚な事務所は「和歌山有機認証協会」と「わかやま環境ネットワーク」という二つのNPOがシェアしており、自分はこれらNPOの創設者であると同時に現在に至るまで事実上の責任者を務めています。スタッフは私を除き5人。いつまでも自分が居座っては組織の発展は望めませんので、世代交代の準備をボチボチ進めているところではあったのですが、こうなれば悠長なことでは間に合いません。とにかく急がないと!

 頼りにしているスタッフたちは、神妙な面持ちで私の説明を聞き、さすがにやや重苦しい感じの空気の中で質疑が少しあって、無言のうちに私の提起を了承してくれました。といって、まあ、そうする以外の選択肢ってないんだけど・・・(^_^;)

 こうしてこの瞬間から、自分がいなくても仕事が滞らないよう、打てる手を打っておくことと、それからインターネットを通じての間質性肺炎に関する情報の収集に没頭。その一方で、対応策に苦慮したのが森林インストラクターの養成講習と試験をどうするか。ことに養成講習はもう目の前に迫っていました。

 森林インストラクターの資格はまあ、もともとどうでもよくって、自分としては森林生態系や林業のことを集中して勉強するのに、なにか外的強制がないと長続きしないと思い、この資格取得を目標に位置づけることで勉強のテコにしようと考えていただけです。しかし、大学受験と同様この手の資格試験をパスするには独特のテクニックが必要あって、知識の蓄積ももちろん重要ですが、それとともに出題者が望む回答を要領よく書く能力を鍛えなければなりません。

 森林インストラクター試験に即していえば、題意に沿う300字程度の作文5本ほどを、1本10分くらいの時間配分でいわば条件反射的機械的に書き出す能力ですが、これは勉強というより脳と手が連携したフィジカルトレーニングに近いものです。まあ、健康で時間が十分ある身ならそんなトレーニングもたまにはいいかもしれませんけど、自分にどれだけ時間が残されているかわからない状況で、そんな無味乾燥なことに時間を浪費したくはない。また、仮に奇跡的に試験に受かったとしたって、その資格を活かせる時間などないんじゃないか。ということで、散々迷った挙げ句、とりあえず直前に迫った8日間通しの養成講習と、そのために予約していた宿をキャンセルしました。

 が、この判断を伝えると、家族ほか近しい人たちが皆さんそろって、「何を弱気な!」「お前さんらしくもない!」と、オール厳しい叱咤のご意見。・・・てか、みんな、親身になって応援してくださって本当にありがとうございます。これに応えなければオトコがスタるかもってハナシなのであって、まあ、試験に受かるための「フィジカルトレーニング」はやめにするけど、講習だけはとにかく受けてこようと思い直し、慌てて主催者にメールを送っていったんは取り消した受講申し込みを復活、あわせて一度キャンセルした宿を再確保しようとしたんだけれど、これがなかなか・・・(^_^;)

 全課程8日間の講習会の会場は東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅近くの全林野会館で、この全林野会館は宿泊もできます。つまり、ここに泊まれば、極端なはなし、スリッパ履きでも講習に通えるってわけなので、3月の時点で早々と講習会前夜から8泊通しでの予約を入れていたのでした。それをキャンセルして再び取りに行ったのですけれど、ん〜、さすが東京都心、わずか二日ほどの間にすでに一部の日は満室となっていて全部はとれませんでした。が、宿を転々とするなんてヤだもんねえ、ここで諦めず連日電話してキャンセル状況を確認、開いたところを次々に埋め、最後にはなんとか全日程、部屋が変わる可能性はありますがとにかく、ずっと全林野会館で過ごせることになりました。 なんつうか、優柔不断はやっぱ、あとで損するね。 今更だけど。

 といった次第で、いま、新幹線に乗って東京に向かっている訳です。
  (いま名古屋を過ぎたところ)
 明日からは、この講習会の模様にも触れながら、書いて行きたいと思います。



 みなさん、ごぶさたをいたしております。

 前回、大日岳の記事をアップしてからちょうど10日ですが、私には、この10日で世界が一変してしまいました。

 ブログには書きませんでしたが、大日岳は非常に辛い登山でした。とにかく一歩登るごとに窒息しそうに息が苦しくて、ペースがまったく上がらない。

 今年冬の乗鞍や5月連休の立山でもそうだったのですが、最近は登るのがとにかく辛くてしかたがない。そんな山行が続いていました。

 ほんの数年前までは頑強な体が自慢で、競うように早足でガツガツ登っていたのがウソのようですが、これもトシのせいか、それとも鍛錬が足りないせいかと思っていました。そこで、毎朝裏山や近所の海岸を駆け回ったり(年間1500km走りました)、市民マラソンに参加したり、自分なりにトレーニングに励んだのですけど、やはり登りの辛さは変わらず、息苦しさに加えて最近は腰痛や背筋痛も併発するありさまで、もう自分には厳しい登山を行う体力はないことを認めざるを得ない状況に追い込まれていました。

 そこで、山麓でも楽しめるように…と思いついたのが、このブログのサブテーマにもしている森林インストラクター受験をめざす森林生態系や林業の勉強だったのです。

 今年3月1日から、毎朝4時に起きて2時間、昼休みに職場で1時間、夜も2時間、そして週末は山に行くのを止めて早朝から晩まで勉強に集中してきました。しかし、最高の夏山シーズンを丸々棒に振るのはさすがに勿体ないので、ひとつだけ、それも登りが楽な山を気楽に登ろう…ということで選んだのが大日岳だったのでした。立山室堂からの実質的な登りは500mにも足りません。なのに、登ってみると、息も絶えだえの苦しさだったのでした。

 和歌山に戻った翌日の7月29日(月)朝、あの苦しさは風邪をこじらせていたせいかと思い、薬でも処方してもらおうと近所のかかりつけのお医者さんを訪ねました。小太りのいつも快活な女医さんで、この日も笑顔でテキパキと診てくださったのですが、途中から出した聴診器で私の胸の音を聴くときの目は、いつもと違い笑っていませんでした。膝の上に聴診器を置き、ややあって、「今日は時間あります?」「レントゲンを撮っておきましょう」「すぐ準備しますから」と静かに話されました。

 で、レントゲンの用意が出来るまで暫く待ったのですが、やがて「ごめ~ん、こないだ修理したんやけど、直ってなかったみたい」(^^;) 。レントゲンは結局壊れていて使えず(このあたりがなんとも和歌山的)、「よそで撮ってきてもらってもいいかな?」「そっちの方が専門やからよう診るしぃ」…ということで、その場で予約を取ってくださいました。結局、期待していた咳止めの薬は処方されず、「喘息になったかな、気管支炎かな」…と思って帰宅したのでした。

 7月31日(水)夜、女医さんに紹介して頂いた和歌山市内中心部の放射線クリニックを訪ねました。ホームページでは院長さんの趣味の第1番に「画像診断」とありました。きっと愉快な方なのでしょうね。待つこともなく、すぐにレントゲン撮影。しばらくするとその「画像診断」が趣味の院長さんの部屋に呼ばれましたが、表情はぜんぜん愉快そうではありません。「悪いと思います」「良くないです」…と、写真を見ながらブツブツ呟かれたあと、「すぐにCTを撮った方が良いと思いますが、時間は大丈夫ですか?」。

 さすがにこうなると、いくらノー天気な自分でも、なにか尋常でないことが起きているらしいことはわかります。院長の指示に従い、早速別の部屋でCTを撮影。上着を着たらすぐにまた、院長の部屋に呼ばれました。院長先生はこちらを見ずに、CT画像を見つめながら「やはり…、良くない」と呟くように言われます。「何か病気ですか?」と尋ねると、ややあって「カンシツセイハイエン」と、やはりこちらを見ず、ボソっとした調子で応えられました。

 カンシツって?「乾湿?」 わからないので、「どんな字を書くのですか?」と尋ねると、院長先生、手元のノートにボールペンで「間質性肺炎」と楷書で書き、それを引きちぎって、このときだけは私の方をしっかり見ながら手渡してくださいました。これがこの難病との出会いでした。またCT画像に目を移した院長先生は、「早く専門のお医者さんに診てもらってください」と2度、呟くように言い、これで先生の話は終わりました。

 先生の部屋を出て、料金の計算が行われている間、待合室のソファに座り、手元のスマートフォンで「間質性肺炎」を検索し、最初にヒットしたのがウィキペディアで、初めの方の叙述に美空ひばりがこれで死んだとあります。ざっと読んだところではそう深刻な印象は受けませんでしたが、もっと調べようとしているうちに会計から声がかかり、支払いを終えてその放射線クリニックを後にしました。

 帰宅してから、インターネットを検索しまくった結果、間質とは肺胞の間の組織であること。間質性肺炎はこの間質が徐々に繊維化するなどで肺胞が硬くなって壊れ、やがて肺全体が機能を失う病気であること。10万人に数人程度が発症する珍しい病気で、発見からの5年生存率が50%、10年生存率が20%と、予後が非常に悪いこと、そして現代の医学では治療することはもちろん、進行を食い止めるのも困難であること。…なんて、まあ、調べれば調べるほど、ロクでもないことがわかってしまいました。
 たとえばこちら→http://www.masa.go.jp/res/files/resQnA/IP11.html

 間質性肺炎にもいろいろ種類があって一概には言えないと思うのですが、あるデータによれば、私の年齢では確定診断からの平均余命は2年半から3年でした。ん~、なら、確定診断なんてして欲しくないな。知らぬが仏っていうしぃ…って、一瞬思ったけど、診断してもしなくても病気は病気なんだよな(^_^;) 。

ともあれ最悪のケースの場合、残された時間は余りに短い。さて、じゃあこれからどうするか。これからこの難問を、このブログでボチボチ考えていこうと思います。鬱陶しいハナシにはしないつもりですので、よろしければおつきあいください。