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 昨日10月30日、一般社団法人全国森林レクリエーション協会から、森林インストラクター試験の合格通知が届きました。ってことで、ここは、やっぱ、やったあ! (^O^)/ ですねえ。とりあえず、自分に拍手です!

 あとは、11月16日に東京で開かれる二次試験にパスすれば、晴れて森林インストラクターのバッジをいただくことができます。その二次試験は、樹木の説明やロープワークなど、与えられた選択肢から得意分野を選んでの模擬演技ですが、夏に開かれたあの8日間の養成講習を修了していれば免除され面接だけになりますので、まあ、よほど印象が悪くなければ大丈夫でしょう。

 この資格への挑戦を一念発起したのが今年3月1日。以来、毎朝4時から起きて学習時間を確保、植物学や生態学、林学などの書物を広く読み深めてきました。また、裏山の探索から始めて、仕事などで遠出する機会があるたび図鑑片手にその近所の関係施設に足を延ばし、大阪市立大学理学部付属植物園(大阪府交野市)や森林総研関西支所の樹木園(京都市伏見区)ほかで、実地に樹木を観察し、学んだことを体感で身につけるトレーニングを積み重ねてきました。

 そんなさなかの8月1日に特発性間質性肺炎に罹患していることが判明。動揺するようなことはありませんでしたが、自分に残された時間がどれほどかを測りかねて当惑しました。もし、それが長くないなら、森林の勉強より優先して済ませておかねばならないことが沢山あります。また、せっかく学んでもそれを活かす時間がなければ、こんな勉強なんて無意味ではないか。 と、このあたりはさすがに迷って一時は早朝学習の習慣も中断したのですが、周囲の叱咤激励もあって復帰。一度はキャンセルした8日64時間の養成講習を受講し、美濃漢方診療所で受診するため訪問したシンガポールへも学習資料一式を持参して学習を続けました。→このあたりの経過はこちら

 その結果の合格ですから、さすがに感慨深いものがあります。もともと森林の勉強が目的で、受験はそのための動機付けという考えでしたが、一発合格わずか5%という難関だけに、やはり受かれば素直に嬉しいです。森林インストラクターの資格をとったからといって、それで何をしようって目算も特にはないのですが、とりあえずは森林インストラクターの目でゆっくり森のなかを彷徨し、自然の営みに深く接してみたい。

 そうして、残された自分の人生がこの資格に伴う知識のおかげで少し豊かになり、またその知識が誰かの自然理解の助けになり、また楽しい時間を過ごす役に立つなら、これほど嬉しい事はありません。さらに、手を付け始めた市民参加の森づくりの活動や、過疎山村振興の活動に活かせたらどんなに素晴らしいでしょう。そんな新しく開けた未来の可能性をめざして、まあ、急がず、ぼちぼち自分のペースで歩んでいこうと思います。

 
 
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 10月21日、この間、またすっかりご無沙汰してしまいました。といって、別に忙しかったわけでもなく、特に話題がなくていったん書きそびれると、なかなか再開のタイミングが掴みづらいだけのことだったのですが、今日久しぶりに書く気になったのは、朝日新聞に週1回、「CM天気図」と題するコラムを連載しておられた天野祐吉さんが、間質性肺炎で亡くなったとの報に接したからです。

 天野さんは享年80歳。15日に入院しわずか5日後の20日朝に逝去されたといいますから、間質性肺炎にしてもえらく早い。とすると、入院するまでに症状は相当進行していたのではないかと思われるのですが、それまで徐々に呼吸が苦しくなるようなことはなかったのでしょうか。そもそも、間質性肺炎に罹患していることは自覚しておられたのでしょうか。

 同病ということで、そのあたりかなり気にはなるのですが、それはさておき「CM天気図」はまことに見事なコラムでした。一貫して広告批評の看板を掲げておられましたが、天野さんの批評の本質は誰もが知っているCMに素材をとった政治批判、世相批判であり、それが軽妙洒脱な文章でいやみ無く語られる点で、他の追随を許さない領域に達していました。

 それを支えていたのは、平和や憲法、人権等についての揺るぎない世界観であり、権力におもねらず庶民の目線に立つジャーナリスト精神でした。16日に掲載された最後の「CM天気図」では、近頃のスーパーの野菜売り場で作り手の名前と写真を掲載する「CM」を評したうえ、最後に「反グローバリズムのCMだったりして」と茶目っ気たっぷりに結んでいるところなど、まさにその真骨頂といったところでしょう。

 そんな「CM天気図」が無くなった朝日新聞、さて、どこを読もうかなあ…ってくらいの喪失感なのですが、80才なあ… ともあれ合掌です。

 それ以外の話題も取り急ぎ。まず自分自身の特発性間質性肺炎の話ですが、16日に呼吸器内科を受診し、最終的にNSIPの繊維化型との診断を受けました。このタイプの場合、一般に知られるところで10年生存率が30%といったところですから、まあ、あらためて聞いたところであまり嬉しい話ではないし、その程度のことなら肺生研前の高解像度CTの病理診断でも示唆されていたことです。

 で、この診断結果を受けて医師からは「効くかどうかは判りませんが、ステロイドを処方してみましょうか?」との話。これが、西洋医学の現時点での限界なんだよねえ。深刻な副作用がそこそこあるステロイドを、効くかどうかも判らないのにそう簡単にやるとは言えませんので、次の診察まで返事を保留しました。その診察は12月9日。さて、どうしたもんかなあ~ このあたりは、美濃漢方診療所の劉先生からの助言も受けて考えようと思っています。

 それとは別に、胸腔鏡下肺生研の術後の経過ですが、手術から1ヵ月を経過しても肋間神経痛がどうにもならない。痛みは間欠的で、気にならない程度のときもあるのですが、痛むときなどまっすぐ立っていられないほどです。処方された鎮痛剤もあまり効きません。特に湿気ると悪いようで昨日など雨の日は酷く痛みます。原因はもちろん、肺生研で肋間神経を傷つけたことにあるわけですが、肋骨の間から胸腔鏡を通したりドレーンを入れたりするからには、そこに走る肋間神経を多少傷つけることは避けられないでしょう。

 肺炎に伴う苦しさや痛みなど今はなく、ただこの検査手術に起因して長く続く痛みに難儀をしている状態です。で、そうした大きな犠牲を強いる検査で得た回答が、先に書いた「効くか効かないか判らないけどぉ…」って、あんまりじゃないかって思いませんか? しかし、コジローの年齢、健康状態の場合、肺生研を受けなければ将来、症状が悪化しても難病指定すらしてもらえないのがこの国の決まりだそうです。

 ということで、医療側は肺生研は疑問を差し挟む余地もない当たり前のプロセスと思っていて、これを受けないのであれば医療行為として何もすることはないから、早々にお引き取りくださいという態度でした。つまり、西洋医学に頼る限り、肺生研をしないって選択肢は事実上ないのです。ですからあんなに簡単にマニュアルに従って勧めるのでしょうけど、彼らには術後のこんな痛みに患者が耐えていることなど、全然念頭にないんだろうと思います。もちろんそうではない方もおられることを知らないわけではありませんが、多くの医師は生きている患者なんて眼中にはないのですね。彼らが見ているのは病気に関わる肉体の一部だけです。そのことが実によくわかりました。

 ただ、んなこと今更判ったって痛みがマシになるわけではありませんので、先の美濃漢方診療所の劉先生に相談したところ、ヘルペスの痛みに効果があるというカプセルを頂きました。このカプセル、飲むのじゃなくて中の黒い粉を取り出し、ごま油で溶いて患部に塗るのだそうです。で、早速、塗ってみたところ、痛かった部分が猛烈にかゆくなり、そのかゆみが引くと痛みも引いていました。完治はしませんし、昨日のような雨で猛烈に痛いときは限界もありますが、少なくとも西洋医学の鎮痛剤よりは遙かに効果があります。

 で、この粉ですが、主原料はなんと「ムカデ」なんだって。(^^;) カプセルを入れた袋に手書きで「百足粉」と書いてありました。ムカデには二度ばかり痛い目にあったことがあり、コジローにとり天敵ともいうべきヤツだったのですが、これに助けられるとは思ってもみませんでした。ともあれ、さすがというか、恐らくは試行錯誤の積み重ねだったのでしょうけれど、漢方はなんでも巧みに薬効を見つけちゃうんですね。しばらくはムカデに感謝しつつお世話になりながら、この痛みに付き合っていきたいと思います。
 10月5日、昨日は午前中に呼吸器外科の診察があり、ドレーン挿入孔の抜糸が済んで主治医の許可も出たので、午後からほぼ三週間ぶりに仕事に復帰しました。

 手術後の傷口の痛みはもうほとんどありませんが、左胸全体が神経過敏になったような感覚で、衣類に触れるたびピリピリとした尖った痛みがあります。じっとしている分には感じないのですけど、少し歩くだけでも衣服と擦れて痛みが走り、なかなか普通には歩けません。それを訴えると、主治医は大きく頷き、「ああ、そうですか、やはりね、肋間神経痛ですねえ」と話されました。胸腔鏡は肋間神経が走る胸膜を貫いて入るので、こうした肋間神経痛をきたしその痛みが結構長期間、ときには半年以上も残るケースがあるそうです。

 胸腔鏡下肺生検は全身麻酔下で行う一人前の手術ではありますが、がん病巣の摘出などと違い、確定診断のための単なる検査に過ぎず、これをしたからといって何の治療になっているわけでもありません。にも関わらずこの身体的負担はなかなかつらいものがあります。入院してから仕事に復帰するまで3週間というのも、現役の労働者にはかなりの負担です。高解像度のCTも開発されていることだし、もう少しなんとかならないものでしょうか。

 それはさておき、その診察でこの度の肺生検についての病理組織診の結果が示されました。肺生検では左肺の上葉と下葉から、それぞれ2cmほど肺の組織を切り取っており、それらの組織を顕微鏡等で詳細に観察検討するのですが、その結果、病理専門医はコジローの病変をNSIPとする所見を報告しておられました。それにしても、左肺下葉の組織切片について「正常細胞含まず」とのきっぱりした報告には、改めて冷厳な現実を突きつけられたような気がしました。

 ここで、間質性肺炎の診断についてあまり立ち入った話をするつもりはないのですが、そのNSIPを理解してもらう上で最低限の基本的な点に絞って少し書きます。まず、特発性間質性肺炎は、(Ideopathic Interstitial Pneumoniti)の頭文字をとってIIPs(アイアイピーズ)と略称されています。最後に複数を示す小文字の「s」が付いているのは、ひとくちに特発性間質性肺炎といっても一様ではなく、異なったタイプが複数あることからで、2002年にヨーロッパと米国の学会はこれを7つのタイプに整理、日本の厚生労働省も基本的にこれに準拠したガイドラインを定めています。

 この7つのタイプのうちで最も多い疾患は特発性肺線維症で、(Idiopathic Pulmonary Fibrosis)を略してIPF と呼びます。IPFは病理組織型からは通常型間質性肺炎といい、 (Usual Interstitial Pneumonia)を略してUIPと呼ばれることもあります。このIPF/UIPは特発性間質性肺炎の症例のうち約3分の2を占めるからこそ「通常型」と呼ばれるのであり、ひとくちに「間質性肺炎」といえば、このタイプを指すことが多いのですが、一般的には確定診断後の5年生存率が3~4割、10年生存率が1割といわれる恐ろしい病気です。現代の医学では完治は望めず、いくつかの新薬に期待が寄せられていますが、これまでのところ延命効果がすべての症例について有効と証明された薬も治療法もありません。ただ、個人差も大きいようで、ここで示された5年生存率などはあまりあてにはならないという話もあります。

 さて、そのIPF/UPIに次いで多いのが、特発性間質性肺炎の症例のうち約1割を占める非特異性間質性肺炎で、(NonSpecific Interstitial Pneumonia)を略してNSIP と呼んでいます。つまり、コジローはこのNSIPと診断されたわけです。NSIPにもさらに「線維化型(fibrosing)=f型」と「細胞型(cellular)=c型」の2つのタイプがあり、コジローがどちらのタイプかは現時点で不明なのですが、出現頻度はf型が圧倒的に多いようですので、恐らくはこちらだと思います。

 で、気になるf-NSIPの確定診断後の予後ですが、5年生存率が9割、10年生存率が3割強といったところのようです。生存者が5割を切るのは8年目くらい。間質性肺炎と診断されたときはまずIPF/UIPであることを前提に調べ、先に示した5年生存率や、コジローの年齢での平均余命が2年半なんてデータに接して覚悟を決め、腹をくくり、残された時間を測り、動けるわずかの時間のうちに何をするかを真剣に考えていました。

 それからみれば、抵抗できる時間はどうやら数年ほど延びる可能性があるようですが、執行猶予状態であることに本質的な違いはありません。でもまあ、なんだかんだいっても、生きられる時間が若干は増えたらしいことは素直に嬉しいです。やり残したことも、それから逝っちゃう前に後始末を付けなくてはならないことも、まだまだたくさんありますからねえ。

 たった一度の人生、時間って本当に大切ですよ。一期一会、光陰矢のごとし、二度と帰らぬ今この瞬間を、悔いなく、有効に使いたいものだとつくづく思います。



 10月1日、退院して4日目、次の診察と抜糸を予定している4日(金)まではドクターストップなのですが、毎月初日に処理しなくてはならない業務があるため、家族に送ってもらって、ちょうど2週間ぶりに事務所に顔を出しました。

 痛みはまだありますが、痛むところは変化しています。手術直後は胸腔内に残置されたドレーンが神経に触る感じの鈍く重い痛さでしたが、それが治まると切開した部分の傷のピリピリとした尖った痛みに変わり、さらにそれがほぼ治まった今は左肺の上下二箇所、組織の切片を摘出した部分が身体の奥深くで時折ズキンと痛むような感じです。さらに、左肺部分にあたる肌がやけに敏感になっていて、動くと衣服に触れる部分がチリチリと痛む感覚もあります。

 そんな状態なので、バス停まで歩くのは無理だしまだ運転もできませんから誰かに移動を手伝ってもらうしかないのですが、やはり仕事場はいいですね。久しぶりに立ち上げたPCは、どっさりたまったメールを受信するのに手間取ったせいか動作が遅く、予定していた単純な仕事に予想外の時間を費やしましたが、なんとか1時間ほどで切り上げて、入院中から気になっていたことがひとつ解決しました。

 でも、そんなことよりやはり、スタッフの顔を見て話ができるのがいい。真正面に穏やかな和歌浦湾を望む眺望が自慢の我がオフィスには私とともに働く5人のスタッフがいて、その全員と声を交わすことが出来ました。あまり時間はなかったのですが、留守中の経過を聞いたり、これから先の仕事について少し意見交換を行ったり、それがいつものように冗談交じりでテキパキできると、いつの間にか痛みも忘れて元気になってきます。金曜日には戻れるかなあ・・

 さて、その他、この間に感じたことを2件。まず、大阪府堺市の市長選はご存知のような結果となりました。大阪都構想が焦点の選挙でしたが、堺市民はそれを明確に拒否したことになります。…というか、大阪都っていったい何ですか? よくよく聞いてみると中身は提案者の橋下くんと同様に徹頭徹尾カラッポじゃないですか。

 要するに橋下という人は、その場その場でちょっと人を驚かせるような思いつきを発言して反応を伺い、それがウケたら後から理屈をつけるって手法でずっとやってきたのであって、大阪都も原発も学校教育も果ては慰安婦問題も、どれもこれもマスコミ受けしているうちはそれに乗ったお祭り騒ぎを演出し、それに浮かれる程度の有権者から支持もそこそこ集まるけれど、今回のように、さてと真剣に考えられると底の浅さがたちまち露呈してしまうってシロモノに過ぎません。まだ油断はできませんが、こんな幼稚だけれど危険なファシズムが息を吹き返さないよう、これからも徹底して叩くことが必要だと思います。

 それともうひとつ、楽天イーグルス、あの感動の優勝の翌日から3連敗。それも、連続完封負けと引き分けで、優勝を決めたあのジョーンズの3点タイムリーヒットから、なんと32回連続で点が入っていない。もしかして、ビールかけの酔いがまだ残ってるんと違うか。このままでは、せっかくリーグ優勝したのに、クライマックスシリーズで競り負ける可能性大だ。 ということで、今夜の日本ハム戦、先発は田中将大だし、これは、気合を入れて応援しないと。
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