「アホか!」 26日夕刻、たまたま通りがかった病院の待合に点いていたテレビで、安倍晋三首相が靖国神社に参拝したニュースに初めて接した瞬間、我知らず反射的にその罵声が口をついて飛び出し、周囲にいた人たちが驚いて一斉にこちらを振り返った。少々恥ずかしかったが、開いた口が塞がらないまましばし足を止めて、この愚か者の子どもじみた戯言を伝えるニュースを凝視していた。

 まったく愚かとしか評価のしようがない。その後の世界中のブーイングは当然に予想されたことだが、それを承知であえて個人の時代錯誤な懐古趣味を通したとすれば国家国民の利益を守ることが職責である首相の資格はないし、もしこうした世界の反応を予想していなかったとすればオツムの程度が疑われ、もちろん政治家の資格もない。

 しかし、この呆れ果てた愚挙に対し、例によってというかやっぱりというか、橋下徹大阪市長は基本的に迎合の構えだ。加えて噴飯物の次の発言。「侵略と認めた上で英霊を弔うと説明すれば理解される」というのだ。この人は靖国神社に行ったことがあるのだろうか。いや、行ったかどうかもさりながら、そもそも靖国神社がどのような施設なのか理解した上で発言しているのだろうか。あ、ついでだけど、三バカトリオの残り一人、石原慎太郎については論評にも値しない終わっちゃった過去の人なので省略。

 コジローは靖国神社を訪問してみて、宗教施設というより一種のテーマパークに近い施設だという強い印象を受けた。大鳥居をくぐって参道をゆくと、まず正面に陸軍の創設者である大村益次郎の銅像があり、さらに小鳥居をくぐると巨大な菊の紋章をあしらった神門があって、その左右に旧日本陸軍歩兵(と思う)装束の衛士が銃剣を装着した小銃(もちろんレプリカだろうが)を構えて睨みを利かせているのだ。

 これだけで十分気持ちが悪いが、さらにその神門をくぐると、境内には巨大な砲弾や戦闘機が陳列してあり、東京裁判判事でただ一人被告全員を無罪としたインドのパール判事の顕彰碑や軍馬軍犬に伝書鳩の像、さらには戦争未亡人の像が立ち並ぶという異様さで、要するにこの神社が1945年に終わったかつての戦争を正義なるものと捉えていることが、いやでもわかる仕掛けになっている。ちなみに、海外で靖国神社は単なる宗教施設ではなく「靖国戦争神社」と紹介されている。まあ、この境内の異様な情景からはそれも当然だろう。

 さらに、境内の一角には遊就館という施設があって、戦争にまつわる遺品等が展示されているのだが、展示の趣旨は先の戦争がアジア解放のための正義の戦争であり、また米英中蘭など周辺国からの圧迫を受けた結果、自存自衛のため、やむを得ず日本が立ち上がった戦争とする点で一貫している。つまり靖国は、先の戦争が日独伊ファシズムの先制的な軍事侵略に対する戦いであったという戦後史の出発点となる世界共有の歴史認識を、その全身で根底から否定している。従って靖国に参拝することは、現代世界が共有する歴史認識を否定することであり、日本の侵略を否定することにほかならない。よって「侵略を認めたうえで英霊を弔う云々」などという橋下市長のご高説は、論理的に成立不能で支離滅裂ないつも通りの言葉遊びないしは寝言に過ぎない。

 あらかじめ断っておくが、思想信条も歴史認識も個人には自由だ。コジローは先の戦争は侵略ではないという意見にもちろん与しないが、そんな意見も当然ありうるとは思う。東京裁判は勝者が一方的に敗者を裁いたのであり、公平性に疑問があるという意見もあるだろう。まあ、それはいいのだ。だが、首相や政治家ら公人は、先人が血みどろになって拾い集め積み上げてきた歴史認識を尊重する義務がある。

 ことに過去の罪を認めるのは辛い作業だ。時としてそれは、その過去に関わった人々の名誉を著しく傷つけることにもなる。アジアへの侵略戦争と認めた村山談話や従軍慰安婦への軍の関与を認めた河野談話は、内容的にはなお不十分かもしれないが、そうした辛い作業を経てなんとか日本がその時点で到達できた努力の結晶だった。さらに遡れば、300万の日本人と2000万の外国人を死に至らしめた戦争の責任から、日本はポツダム宣言を受け入れ、軍備と戦争を放棄する憲法を採択することで、国際社会に復帰することを許された。これが戦後史の原点であり、村山談話や河野談話はその発展線上にある。

 韓国や中国が歴史認識をめぐって日本に注文をつけるたび、「いつまで謝ったらいいのか」と苛立つ声を聞くことがある。そうではないのだ。せっかく村山談話や河野談話の線まで積み上げてようやく周辺諸国との和解が深まろうとしているのに、いつまでも大人になれにない駄々っ子のような知能程度の低い日本の政治家が、侵略や従軍慰安婦を否定する乱暴な発言をしてちゃぶ台をひっくり返すから、また元の木阿弥で謝り直さなくちゃならない事態を引き起こしているだけだ。苛立って当たるのなら、相手は中国や韓国じゃなく、この程度の低い日本の政治家どもなのだ。

 今回の安倍首相の靖国参拝もレベルは同じだ。冷え込んでいた日中日韓関係をなんとか修復しようとしていた民間の営々たる努力も、このちゃぶ台返しで全部吹き飛んだ。かつての戦争を正義とすることは、日本に侵略されたアジア各国だけでなく、その戦争で鬼畜米英などと呼ばれた国々の感情をも著しく害するのは当然で、米国に続きロシアもEUも抗議の声を上げた。今のところ、ご近所さんで声を上げていないのは北朝鮮くらいじゃないかなあ。まあ、あちらさんにしてみれば、安倍首相の独裁的な振る舞いにそこそこ親近感を覚えていたりして… ともあれ、安倍首相率いる日本は戦前に回帰しつつある危険な国と世界に認識されたことは間違いない。

 それは、韓国の朴首相のかたくなな反日姿勢に道理を与え、中国の大国主義的な対外膨張路線に格好の説明材料を与えた。安倍首相が招いた世界的な孤立は、ロシアとの領土交渉でも、北朝鮮との拉致被害者交渉でも、日本を不利な立場に置くことになるだろう。首相の個人的な趣味のおかげで被った日本の被害は甚大だ。

 秘密保護法の採決強行以来、仲井真知事の公約違反の普天間基地辺野古移設容認、そしてこの突然の靖国参拝と、安倍内閣が推進する軍国主義復活の動きは暴走と呼ぶしかない速度で進んでいる。しかし、それを進める安倍首相の頭脳の程度は、今回の世界の反応を予測できないほど凡庸で、「日本を取り返す」で直ちに「美しい国」だった戦前を夢想するほど幼い。だが、だからこそ余計危ないとも言えるのだ。彼がいま手にしている強大な権力は「なんとかに刃物」と同じだ。

 かくも愚かなリーダーをいただく国民は不幸だが選んだのも国民だ。選挙に行かなかった人は、選ばなかったのではなく選ぶことすらサボタージュして今日の事態を招いたのであり、その罪は積極的に選んだものより大きいかもしれない。そうした人々も巻き込んで、愚かなリーダーを辞めさせる歴史的な戦いが、いま痛切に求められている



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 今朝未明は猛烈な風でした。びゅうびゅうと地鳴りのような風音がひっきりなしに続き、先ほどのNHKお天気情報によれば和歌山市内で3時半頃に瞬間最大風速33m余を記録したとか。家中の窓がビシビシ唸るはずです。そのお天気情報で天気図を見れば急速に発達した低気圧が日本海と列島南岸を併走して東進、まさに気象学の教科書にでも出てきそうに典型的な「二つ玉低気圧」でした。

 二つ玉低気圧は、冬山に挑む登山者にとりこれ以上ない厄介な相手で、邪悪で凶暴な本性を微笑で隠した悪魔のような存在(って安倍晋三とかに似てるかも^^;)。 もちろん今朝のような強風が、山では威力を倍加して猛烈に吹くのですから恐ろしいのは当然ですが、それに加えて二つ玉低気圧が危険な理由はもうひとつあって、二つの低気圧にはさまれた地域では、両者が影響を打ち消しあい一時的に好天が訪れる事で、これが先に「微笑」と評したわけです。

 登山の世界では「擬似晴天」と呼ぶのですが、それまで下り坂だった天気が勢いを盛り返して、風も弱まり雲が切れて青空さえ見えてくる。過去には、これに騙されて行動を開始し、その後の急激で猛烈な天候悪化で遭難した例が多くあります。昨夜の和歌山でも一時的な天気回復が認められました。避難場所が近くにある街では気象の読みを誤っても大過はないでしょうが、山では致命傷。山行前に天気図をしっかり読む癖をつけたいものです。

 さて、昨日は二ヶ月ぶりの呼吸器内科の診察でした。レントゲン撮影や血液検査の結果では症状は横ばい。ま、良くなることはない病気ですから、横ばいなら十分なのですが、困っているのはさて、ステロイド治療を始めるかどうか。二ヶ月前の診察では判断を保留、今回は半ば以上、その気で受診したのですが、医師と話し合った結果、今回も判断を留保しました。次の診察は来年2月10日です。

 迷うのは、効くか効かないかわからないのに、一度始めれば、量は減っても一生ステロイドを飲み続けなければならない可能性が大きく、それに伴い骨粗鬆症や糖尿病、感染症、高血圧などの結構重篤な副作用を発症する恐れがあるからです。加えて下手に服用を中断すれば、その反動で急性増悪(ぞうあく)を起こし、症状が急速に進んで致命的な状況に陥る可能性だってあります。

 何度も医師に問いましたが、自分のような繊維化型NSIPの場合、効くか効かないかはやってみなければわからない。奏効する確率を示すデータもない。ただ、やるなら早い方がいいかもしれない。もし効けば症状の進行が抑えられるだけでなく、壊れた肺の機能を一部は修復させることもできる可能性がある。が、もちろんリスクも…の堂々めぐりになってしまうのですね。 

 ということで、ん~、このあたり非常に悩ましくて判断に迷うのですけれど、一度やり始めたら後戻りはできないというのがどうにも。…ということで、今回も判断を留保しました。ま、いまのところ体調はそこそこ良く、手術の後遺症である肋間神経痛の痛みは残っていますが、最近は早朝に1時間弱の速歩を再開、落ち葉を拾っては街路樹などを同定しながら機嫌よく歩いています。ずっとこの調子が維持できれば良いのですが。
 12月6日、森林インストラクター資格試験合格の通知と登録資格証明書が届きました。森林インストラクターは、一般社団法人全国森林レクリエーション協会に登録されて初めて正式に認められ、名前等を公示されるとともに、登録証と証明書、それにバッジが付与されます。ということで、たったいま、申請に必要な書類を書き上げました。

 さて、この間、世の中の方ではなんといっても、特定秘密保護法をめぐる攻防が大きなニュースでした。読売産経など札付きの一部提灯メディアと政府の干渉で最近右傾化が目立つNHKを除く報道機関の多数、映画人ら文化人、ノーベル賞受賞者を含む科学者ら、反対や慎重審議を求める声が全国で澎湃(ほうはい)と沸きあがり、多数のデモと怒号が国会を包囲する中で、自公連立与党はこの稀代の悪法と称すべき弾圧立法の採決を強行、数にモノを言わせて成立させました。

 この法律の危険性については、すでによく報じられていますので繰り返しませんが、その内容もさりながら、担当大臣すら中身を理解しておらず答弁が二転三転したり、採決も間近になってから第三者「的」機関と称するものが粗製濫造されたり(「名ばかり機関」というそうです)、土台、法案としての体をなしていないものを、生煮え状態で上げてしまいました。

 さらに、これに先立ち自公は、業績上なんの瑕疵もない野党の参院委員長にいきなりヤクザまがいのインネンをつけて、手駒の女性議員たちに口汚い罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせさせて解任、議席数に応じて委員長ポストを割り振る院の慣例も踏みにじる問答無用の独裁体制を敷き、また、参院委員会では議事録に「聴取不能」とあるだけで採決した証拠はどこにも残っていないのに、これも数の威力で委員会を通ったことにしてしまいました。

 さらにさらに振り返れば、自公の選挙公約のどこにも「特定秘密保護法」の「と」の字すらなく、安倍首相の所信表明演説でもひとことも触れていなかったにもかかわらず、突然上程して遮二無二(しゃにむに)数を頼んだ突撃で、反対世論が沸騰する前に火事場泥棒的に成立させてしまう。これはまさに国権の最高機関であり言論の府である国会へのテロであり、麻生が好きなナチスのドイツ国会放火事件に匹敵する陰謀クーデターではありませんか。

 これに対し、自公に輪をかけたアナクロ右翼の維新、自分を与党に高く売ること以外関心がない無能な党首をいただく「みんな」が、与党になびくことは目に見えていましたが、最大野党の民主党もぜ~んぜん頼むに足りない。

 ま、はじめから分かっていたといえばそれっきりですが、だいたいまともな綱領もないこの党は本質的には政党というより選挙互助会のようなものであって、特定秘密保護法に基本的には賛成って議員も結構混じっているのだから、世論を気にして今回は反対のポーズをとったものの、それを貫けるはずもなく、参院本会議の採決では、あろうことか、自公のあまりの暴挙を目前にさすがに賛成はしかねて逃げ出す維新や「みんな」の尻について、自分たちもゾロゾロ退席するという信じられない行為に及んだうえ、またぞろ議場に戻ってくるという醜態を演じました。ま、戻ってこないよりはよかったんだけど、この腰の座らなさ、不定見にもほどがあると呆れます。

 そうした、これが我が国における選良の府なのかと嘆かわしい醜態が次々に演じられたなかで、日本共産党の仁比壮平議員の反対演説は、かの伝説的な斉藤隆夫の反軍演説(1940年2月)もかくやと想起させる、内容と迫力のあるものでした。これが最後にあって、民主国家日本における言論の府は、なんとか体裁を保ったというべきかもしれません。仁比の訴えは斎藤の1時間には及ばない10分ほどの小演説ですが、ユーチューブで確認できますので、ぜひご覧いただきたいと思います。

 とりあえず成立はしましたが、闘いはこれからだと、多くの人たちが発言しています。この法律はどこから見ても現憲法の諸原則とことごとく衝突しますから、成立したからといって諦めて放置することはできないからでしょう。ここで反対の声が途切れれば、次は武器輸出が解禁され、解釈改憲で集団的自衛という名の戦争ができる体制が整い、国軍が原発と歩調を合わせて復活し、さらには明文改憲、徴兵制、翼賛議会、国民総動員、そして戦争へと突っ走るおそれが小さくはないからです。

 ま、戦後70年近く、戦争を放棄した日本国憲法に守られ、戦場で一人の外国人や敵兵を殺さず、一人の自衛隊員も死ななかったこの国のこと、フツーの政治家が首相であれば、そこまでの心配は不要かもしれませんが、安倍晋三の常軌を逸した頭の悪さというか、いまを100年近く遡る化石ぶりは石原慎太郎なみで、これに公明、維新に渡辺一族(「みんな」は解体秒読みです)がついて行こうとしていますから、何が起きるかわからない。彼らの目を覚まさせるような国民的な規模の闘いがなければ、マジで危ないと思います。

 しかし、国会内の力関係からみれば、その戦いの前途は容易ではありません。結局、次の国政選挙で自公を敗北させるまで、国会内外の闘いを連携して持続できるかが日本の将来を決すると思うのですが、しかし、その選挙でいかにして、デモや集会への参加など思いもよらず、テレビや新聞のニュースすら滅多に接することがない膨大な人々に、どのようにすればこの状況を自らの危機として実感してもらうことができるのか。それが大問題です。選挙の帰趨は、結局のところ、こうした膨大な人々が決するのですから。

 自らデモに参加したり、ソーシャルメディアで意見を表明したりももちろん重要なのですけれど、そこから滲(にじ)み出すように、水面に落とした墨の一滴が静かに広がってゆくように、大海のような人々に向かって、働きかけてゆく方法を真剣に考えたいものです。