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 昨夜から血圧が上がりっぱなしだ。いま自分が罹っている特発性間質性肺炎では、風邪が病態を急激に進行させるほか、結構高い確率で肺がんや肺高血圧なんて厄介な病気を併発する恐れもあって、医師から日常の体調管理が肝心と厳命されているだけに、こんなに血圧が高止まりするのは困ったことだ。しかし、人間の身体というのは正直なもので、日頃はバッチリ正常値の血圧が、ストレスがかかるとたちまち急上昇して警戒域に突入する。

 自分に残された時間を考えると、病状が悪化しないまでも、くだらないことに首を突っ込んで貴重な時間を浪費したくはない。できれば俗世間の喧噪から距離を置いて心休まる風景の中に身を置き、葉擦れと野鳥のさえずりしか聞こえない静かな森をゆっくり散策し、ときには古典文学や優しい音楽に包まれていたい(・・って、ん~、我ながら似合わないなって感もなくはないのだけれど(^_^;) )。

 しかし、昨日ブログにも書いた都知事選を巡るリベラル知識人たちの信じられないほど他愛ないほだされぶり。自分にはもはや関係ないことと捨て置けばよいものを、つい余計な発言をして、その自分の発言でますます頭に血が上り、それに合わせて血圧も上がるという困った性分なのだ。昨夜のブログは「もう寝る」と書いて締めたが、書き終えて後も興奮してアドレナリン全開、頭が冴えきって深夜まで寝付くことも出来なかった。だからもうこんな身体に悪いことは止めようと思うが、もうひと言だけ。

 そのブログを読んでくださった細川氏を支持する方から、記者会見も見ないで批判するな…とか、細川氏が発表した文書を読めとか、いろいろご助言を頂いた。で、まあ、それはそうだろうと思って記者会見の動画を拝見し、ご指摘の文書にも目を通したが、昨日のブログに書いた観点の基本的部分は変わらない。むしろ、脱原発以外のテーマで投げかけられる記者の質問にほとんどまともに応えられず、加えてしばしば言葉を噛んで弁舌が滞る様から、この人、そもそも、この年齢(76)で都知事は一期すら務めるのは無理ではないのかと案じられたほどだった。ホント、人道的観点から心配になる。ご自身も政治の世界から突然身を引かれたとき、定年は60歳と格好良く言っておられたではないか。

 まあ、それはいい。もっと強く感じたのは、細川護煕氏は天才ポピュリスト小泉純一郎が送り込んだトロイの木馬ではないかということだ。細川氏は肥後藩主であった大名の血を引く大甘のボンボンである。だいたい自分の公式ウェブサイトのフロントページに「殿」と大書できる感覚や、今回の戦いを「桶狭間」に例える歴史センスでコジローはもうこの人とはお付き合い出来そうにない感じなのだが、その独りよがりのボンボンゆえの脇の甘さがアダとなったのが東京佐川急便による1億円ヤミ献金事件だった。脱原発を訴える細川氏の言葉がウソだとは思わないが、その脇の甘さに今度は小泉がつけ込んでその気にさせたというのがコトの真相ではないか。

 小泉純一郎という人は世間の空気を読む天才であり、それを政治劇に演出して見せる職人芸的な手腕をも合わせ持っている。小泉本人が自覚しているかどうかは判らないが、今回引き起こされた事態は客観的には舛添を利するだろう。いま、この国の政治闘争最大の焦点は戦後の平和憲法体制を否定して戦前の軍国主義国家に回帰する安倍の暴走を許すかどうかの一点にある。今回の都知事選は地方選ではあれ、東京都という地方自治体独自の課題とともに安倍内閣への評価を問い、特定秘密保護法や靖国参拝を巡って暴走する安倍右翼ファシズムへの反撃を、都民の投票行動によって示す貴重な政治戦の機会だった。だが、その機会は小泉が国民の中に送り込んだ細川護煕というトロイの木馬によって、原発是非シングルイシューの人気投票に成り果て、目下の政治的対決点は決定的に疎外されて雲散霧消し失われたのだ。かつての郵政民営化同様、小泉細川連合が唱える脱原発は真の政治的対決点を誤魔化す煙幕に過ぎない。

 反原発でこの選挙に勝ち自民党支配に打撃を与えれば、軍国主義復活路線にも打撃になるという意見も聞く。だが、会見で細川氏は特定秘密保護法についてひと言も語ってはいないし、靖国参拝はココロの問題だという。小泉氏に至ってはまごうことなき靖国派だ。こんな人が仮に都知事になったとして、どんな文脈で安倍の暴走阻止に役立つのかその理屈がサッパリ判らないが、リベラル知識人の皆さん思い込んだら百年目というか、思春期の子どもが初恋の人を過大に評価して幻想を抱くのと同じで、脱原発なら反ファシズムもって感覚なのだろう。いったい、どこまでおめでたいのか。

 特定秘密保護法や靖国参拝といった敵が高速で投げ込んでくる直球は打ち返せても、脱原発なんて「くせ球」を投じられると、あえなく釣られて三振してしまう。私が今回のリベラル知識人達の対応に心底ガッカリさせられたのは、この無邪気さというか健忘症というか、あまりに幼稚でおめでたい政治センスなのだ。小泉は「自民党をぶっ壊す」といって落ち目の自民党を復活させた。今度は「原発をぶっこわす」といって(それ自体は本気かもしれないが)舛添を勝たせ、結果として安倍ファシスト政権を延命させる役割を果たし、さらには原子力ムラを復活させる役割を果たすことになるだろう。

 小泉細川連合出馬の報に接してある反原発知識人は「これで選挙が面白くなった」とはしゃいで書いていた。それを読んだ私は反射的に芭蕉の『面白うて やがて悲しき 鵜飼かな』の句を思い出した。祭の後に、どんな結果が待ち受けているのか、細川を支持する知識人達は、オピニオンリーダーとして有権者をミスリードした責任をとる覚悟はあるのか。皆さんはお嫌いだろうが、カール・マルクスは『ルイボナパルトのブリュメール18日』で「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、そして二度目は喜劇として」と書いた。あの程度の芝居に一度でも情けないが、二度も小泉にダマされるのはバカだ。

 こうして書けば書くほどストレスが募って身体に悪いし、だいたいこんなブログに書いたところでろくに読まれるわけもない。「蟷螂(とうろう)の斧」にもなりゃしない…と自嘲しつつ思うのだけれど、それでも書くのは、すくなくともそれが流されずダマされなかった人間がいた記録になると思うからだ。

 自慢するワケじゃないが、あの松本サリン事件の際、警察発表を真に受け…というか先取りすらして、マスコミが一斉に河野義行さんを犯人とする報道を連日、洪水のように垂れ流していたとき、この報道はおかしいと孤立無援に異議を唱えた記者時代の経験がある。だからといってコトが動いたわけではないし、田舎の記者のささやかな発言が世論に影響を与えることもなかったが、それはおかしいと声を上げた人間がたった一人でもいると表明することは、世の人々が再びダマされないために、なにがしかの意味があるのではないかと当時も思ったからだった。

 いまこぞってトロイの木馬に群がりそれに拝跪するリベラル知識人たちは、いずれ自らの不明を恥じることになるだろう。それは、政策で選択するのではなく、勝てそうな候補に乗りたいというさもしい根性、あえて言わせてもらえば相場師のノリで、あの甚大な犠牲の代償に勝ち取った日本国憲法が保障する国民の参政権を貶めた者への当然の報いだ。もちろん、だからといって彼らを敵視するわけではなく、選挙が終わればまた共感しあう関係を復活させたいと願っているが、どこまでも融通の利かない無骨な一民主主義者であるコジローは、あくまで政策で宇都宮けんじ氏を支持し、その勝利のために全力を尽くしたいと思う。


追記:1月25日、五十嵐仁さんのブログに、この内容と同趣旨の記事が書かれていましたのでトラックバックしました。

 追記;1月26日、いのうえゆきひろさんのブログにもトラックバックしました。
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今日はとっても腹立たしくも情けないことがあって、めずらしくツイートを連発。さらにフェイスブックにもそのツイートをもとにしたコメントを書きました。ブログを書いてからツイッターなどにそれを報告しているいつもとは逆ですが、以下その内容です。


都知事選、例によって後出しジャンケンの細川護煕氏が出馬表明。この細川氏を支持するというリベラル知識人のナイーブさには、心底ゲッソリさせられた。こんな腰の座らない日和見根性では、狂気を伴った凶暴な安倍アナクロファシズムと戦えない。

細川氏の公式ウエブサイトには「殿、出番です!」と大書されているが、公開討論会には「殿、出ないんです!」ばっかじゃないか。結局、告示前の出馬予定者による政策討論の機会は全てこの人の都合で消えた。得体の知れない小泉人気だけで選挙を戦おうということなのだろう、政策論争を逃げる者に候補者の資格はない。

その政策を語らない候補者、小泉人気があるから勝てそうだという雰囲気で推すなら、AKB48(って、実のところよく知らなんだけど)の総選挙と大差ない。それに乗っかって国民の数少ない政治参加の機会を人気投票に貶めて恥じないリベラル知識人って、一体なんだ?

特定秘密保護法に反対したり、安倍晋三の靖国参拝を厳しく批判した同じ人物が、同じ靖国派の小泉細川連合を支持できる思想構造というか、その変節を自分に納得させる論理が自分にはどうしても理解できない。みなさん、ご自分が背後霊のように小泉が貼り付く細川護煕と投票用紙に書くのに抵抗がないのだろうか。現状では自分には絶対に不可能。

脱原発というが、核といえば、ブッシュの戦争を支持して劣化ウラン弾をイラクでばら撒く手伝いをした小泉を、私はどうしても許せない。もちろん格差貧困も靖国参拝もだ。脱原発というなら、せめて劣化ウラン弾をばらまいたイラク戦争は誤りだったと認めるのが、最低限の礼儀ではないのか。

小泉細川連合を支持するということは、そんな小泉を支持し、過去を免罪するのと同じだ。そんな最低の嫌いな候補者でも支持できない政策でも、脱原発実現の大道に立って支持するというのは聞こえはいいが、だったら格差貧困や特定秘密保護法や靖国はどうでもいいのか。こんなのは詭弁だ。

わけのわからない小泉人気ゆえに、もしかしたら勝てそうかもと、詭弁を弄して乗っかってゆくリベラル知識人たちのさもしくも貧しい心性がとことん情けないのだ。ああ、あの人もこの程度だったかと、その思想の程度を図るリトマス試験紙になったとは思うが、このナルシシズム連合が仕掛けるストーリーに引っかかる人が多いことに心底がっかりしたというわけだ。この程度では、安倍ファシズムがこれから本格的に仕掛けるフレームアップなどの罠にいとも簡単に引っかかってしまうだろう。

大事な都知事選を人気投票にする目論見にまんまと乗せられるこの国のリベラル知識人の情けない姿をたくさん見て、あいた口がふさがらなくて疲れたので寝る。


 細川護煕元首相がやはり元首相だった小泉純一郎氏の支援を受けて、都知事選に立候補する。お二人の接着剤は「脱原発」で、これでひと騒動起こしてやろうと意気投合したらしい。

 一地方の首長を決める都知事選で原発は争点にふさわしくないとの意見もあるが、エネルギーは町づくりを構想するうえで最もベースになるインフラのひとつだ。特に日本の首都がそのエネルギーに何を選択するかが争点のひとつとして取り上げられることが、著しく不当だとは思わない。

 脱原発を主張するならそれに基づく町づくりは無闇な膨張を抑え都市機能を集約させた省エネ型のコンパクトシティを志向することとなるだろう。逆に原発に依存するなら、従来の延長線上の膨張型巨大消費都市をめざすことになる。ちなみに、先に出馬表明した宇都宮健児氏も東京五輪の軽装化などの政策と併せて脱原発を政策の一つに掲げている。

 一般にはよく知られていないと思うが、巨大火力発電所も重厚長大工場もない東京都のエネルギー起源CO2排出量は意外に低く、省エネ法に基づき年間のCO2排出量の報告が義務づけられた大規模事業者が出すCO2の量で比較すれば、実はコジローが暮らす和歌山県の方が東京都より1.4倍も多い。これは、公害や放射能など汚いモノやリスクを地方に押しつけ、そこから得られる金とベネフィットのみ中央に吸引してきた日本的経済システムがもたらした歪みであり、原発の立地がその典型であったことは言うまでもない。

 ともあれ、東京は人口が和歌山県の10倍以上あり公共交通機関も良く発達しているので、結果として現状でも住民1人あたりのエネルギー起源CO2排出量は日本一低い。つまり東京都は原発に依存しない地域社会、また21世紀の人類史的課題である低炭素社会の建設に最も近い都市ということも言えるのだ。東京都が脱原発低炭素の町に接近することは他のどの都市より可能であり、これが与えるインパクトは決して小さくない。

 ということで、以前から隠れなき脱原発派であり、また低炭素社会建設を目標とする仕事に従事もしているコジローとしては、それを旗印に掲げる候補は歓迎したいところなのだが、このたびの細川・小泉コンビにはどうにもザラッとした肌触りの悪さを感じて仕方がない。

 この何とも言えない気持ち悪さの正体が何か考えあぐねていたところ、知人から熊本日々新聞のコラム「新生面」を紹介していただいて思わず膝を打った。同紙は細川氏が知事を務めた熊本県の県紙であり、他のどのメディアより良く細川護煕という人物を知り抜いている。その知り抜いた熊日のコラム子が見事に喝破した気持ち悪さの正体は「ナルシシズム」だ。以下にそのコラムを転載する。

熊本日々新聞 コラム「新生面」(2014年1月11日)

 「自分がどう感じるかということよりも、自分がどう見えるかということに関心を持つ」。米国の精神科医A・ローウェンが「ナルシシズムという病い」に書いている。むろん、ナルシシストについての定義だ
 ▼このタイプの人は自分の感情よりも「自分がこのように見えているだろう」というイメージを大事にするという。多少なりとも誰にでもある傾向だが、政治家や芸能人に目立つ
 ▼細川護熙氏が東京都知事選に立つという。熊本には縁が深い方だが、「見せ方」「見え方」にこだわりが強いようにも感じる。その決断には何度も驚かされてきた。熊本県知事や首相への去就、任期途中での衆院議員辞職、陶芸家への転身など
 ▼細川さんからすれば、イメージの創造に成功したのかも。その際の「決めぜりふ」も忘れがたい。県知事引退の時は「権不十年」、衆院議員の引退時は「60歳で政界引退を決めていた」「今後は晴耕雨読」
 ▼格好はいいのだが、すべてが後講釈で、いつしかほごになりがちなのがちょっと残念だ。「60歳引退は選挙の時に言うべきでは」と聞いたこともあるが、納得できる説明はなかった
 ▼今回の立候補の動機には反原発があるという。小泉純一郎元首相も唱えている。こちらもなかなか「見せ方」を知る人。言葉の使い方もうまい。もし細川氏を支援すれば、風を起こそうとするだろう
 ▼ただし、衆院選を郵政民営化だけで戦うような劇場型選挙はごめんだ。そのツケは大きい。細川さんも晴耕雨読で学ばれたことだろう。


 そうなのだ。この人たちには、自分がどうかっこよく見えるかということしか念頭にない。かっこよく見られたいために、緑の芝に閣僚を集めてワインで乾杯してみたり、ペンで記者を指名してみたり、落ち目だった自民党を「ぶっ壊す」と言ってみたり、このコラムも言うように郵政民営化などというまあ日本社会にとってそれほど重要ではない問題をシングルイシューにした劇場型選挙で主役を演じてみたり・・ 要するに中身はカラッポで自分の見え方のみを基準に振る舞うのが彼らが共有する行動原理であり、国民にとってこれ以上なく迷惑な連中なのだ。それが今度は都知事選を「脱原発」をシングルイシューとする舞台に変えて、格好良く「義憤の士」を演じようと目論んでいる。その底意の見え透いたヘタな芝居に付き合いさせられそうな予感が、コジローが感じた気持ち悪さの本質だった。

 だが、この熊本日々新聞の冷徹なコラム子を例外とする無邪気なメディアはこぞってまたも、ナルシシスト連合が仕組んだストーリーに先を争って易々と乗せられてしまう公算が大きい。今朝の朝日はやはり「桝添vs細川」一色だった。特に確認はしていないがどうせ他も同様だろう。いつまでも、こんなに他愛なくナルシシストのお先棒を担がされるようなことを繰り返していていいのか。いいかげん大人になったらどうなのか。都知事選は、都民の良識とともにメディアの成熟度を計る指標になるに違いない。


 新しいエネルギー基本計画について、コジローが政府に送ったパブリックコメントは以下のような内容です。

 昨日のブログにも書きましたが、このパブリックコメントは明後日の6日が締切。こんなにダラダラと長い文章にする必要はありませんので(もちろん長くてもいいですけど)、とにかく主権者としての意見を提出しましょう。

 改めて、送付先を掲載しておきます。氏名と意見を記入するだけでいいです。

 新しい「エネルギー基本計画」策定に向けた御意見の募集について]
 募集要項、意見提出様式 ↓
 http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620213015&Mode=0


【コジローのパブリックコメント】

 経産省の審議会がまとめた意見も福島原発事故にまつわる深刻な現状を叙述し、またこれを招いたいわゆる「安全神話」への反省の必要について触れているにもかかわらず、原発回帰に舵をきるという結論は、矛盾と自己撞着に満ちており、そもそも論理的に破綻しています。

 猛毒の核廃棄物という負の遺産を将来世代に負荷させる原子力発電は倫理的に許されるものでないという点、その核廃棄物の処分方法すら決まりそうにないという点、また一度大事故が起これば甚大にして回復不能な惨状が避けられない点、さらには廃炉費用や原発災害時のコストなどを考慮すれば経済面でも安価とはえいない点等々、原子力を将来に渡る基幹エネルギーとする選択肢はありえません。

 原発の電気が安いというのが様々なコスト計算のトリックによる虚構であることは、すでに多くの論者が証明しています。また全原発停止後の化石燃料輸入コストの高騰と電力値上げは、いわゆるアベノミクスによる円安誘導策に起因する部分も大きく、国民を脅して原発容認にリードする意図があったとまではいいませんが、過剰に演出された疑いが拭えません。

 さらに地球温暖化対策として原発が必要などという言い分はそれこそ噴飯もので、日本の温暖化対策は原発に依存した結果、再生可能エネルギーの導入で遅れをとって世界の後塵を拝するに至ったのであり、また原発を補完する電源として石炭火力を著しく増強した結果、実態としてエネルギー部門のCO2排出が激増、要するに原発推進は地球温暖化防止に逆効果だったことがすでに明らかになっています。

むしろこれ以上、温暖化対策と称して時代遅れの原発に依存することは、低炭素社会に向かって大きく転換しようとする世界において日本経済をガラパゴス化し、これまで日本の技術者たちが築き上げてきた先進的な省エネ技術や再生可能エネルギー技術でのアドバンテージをあたら無に帰し、世界をリードするチャンスを決定的に喪失させる愚策中の愚策というべきです。

 こうした点はすでに福島の惨禍を体験し目撃した国民の共通認識となっており、何度世論調査を行っても脱原発が多数派である結果は共通しています。また、2012年夏、民主党政権下で行われたエネルギー政策をめぐる壮大な「国民的議論」でも、寄せられたパブリックコメント約89000件のうち圧倒的多数が即時原発ゼロを選択、当初は原発維持の方針で望んだ当時の民主党政権も、原発ゼロを採用せざるを得なくなったのです。
 
 「世界一安全な安全対策」となだめても「電気代が上がる」「産業が逃げる」と脅しても、なお一貫して脱原発を支持し続けるこの圧倒的な国民の声を、政府特に経産省はいったいどう考えているのですか。3.11の悲劇を転換点として、国民意識は変わったのです。であればこそ、国民は政府が訴えた節電の呼びかけにも、大規模に健気に応えて一昨年夏の電力危機を乗り切ったのです。こうした主権者国民の意見に従わない政府が国民を代表していると言えますか。あれだけの規模で展開した「国民的議論」の結果を、いったいどんな手続きを踏んで無視しようというのですか。今回、この国のエネルギー政策の決定に際して、こうした何度も繰り返し疑う余地なく明確に確認された国民の意思を、いったいどういう資格、どういう理由で無視できるとお考えなのですか。

 国民の明白な意思に反して経産省の審議会がまとめたような原発回帰の方針を採択するとすれば、それは政府が自らこの国を民主国家ではないと宣言するに等しいのではありませんか。

 以上により、論理的に破綻しているうえ、将来の日本経済にも暗雲を投げかける原発回帰の方針は放棄し、本格的な省エネと再生可能エネルギーの抜本的導入、さらには吸収源である日本の森林自然の整備を中心とするエネルギー政策を採択されますよう、要望します。



 フェイスブックに以下の記事を掲載しました。急ぎの訴えですので、ブログにも転載します。


【政府にエネルギー基本計画にパブリックコメントを、6日まで】

 ご存知かもですが、経済産業省は先月13日、今後のエネルギー政策を検討する審議会を開いて意見を取りまとめ、原子力発電については「基盤となる重要なベース電源」と明記、原発の再稼働に前向きな姿勢を鮮明にしました。

 政府は新年早々にも新しい「エネルギー基本計画」を閣議決定する予定で、この経産省の審議会(総合資源エネルギー調査会基本政策分科会)の意見が、大筋のシナリオとなる見込みです。なお、この「エネルギー基本計画」は、今後10年程度の日本のエネルギー政策の大枠を決めるもので、もちろん国の地球温暖化対策にも深く関わってきます。

 ついては、同基本計画について国民からの意見(パブリックコメント)が、この日曜日1月6日締切で募集されています。

 2012年夏の「国民的議論」のときには、総数8万9000件以上のパブリックコメントが出され、うち圧倒的多数の9割近くが「原発ゼロ」を選択した結果、当初は原発維持を目論んだ当時の民主党政権も、原発ゼロの方針を示さざるを得なくなりました。

 今回の自公政権の動きは、この国民的議論の結果も覆し、あの福島原発事故以前の状態に公然と回帰することを目指すものであり、到底容認できません。いまの安倍政権の独裁的な暴走ぶりから考えて、私たちの意見が採用される見込みなどまずありませんが、だからといって手をこまぬいて黙っていることは、その暴走を黙認しさらには増長させるだけです。一言でいいですから、原発事故などなかったかのような振る舞いに、多くの異議の声を上げましょう。


 コメントは以下からできますので、お知らせします。

新しい「エネルギー基本計画」策定に向けた御意見の募集について]
募集要項、意見提出様式 ↓
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=620213015&Mode=0

 なお、冒頭に書きました経産省の「エネルギー基本計画への意見」は63ページほどあって、一読するのに2時間ほどかかりますが、現在の政府の考え方が良く整理されていますので、時間のある方は、一読されることをお勧めします。

 しかし、パブリックコメントはエネルギー基本計画に対する意見であって、
もちろん、経産省の意見を読まなくても自分の意見は出せます。「原発反対」のひと言でも良いと思います。少しの時間を使って、ぜひコメントしてください。

 それから、私たちの仲間のCASAが以下の意見をコメントしていますので、参考まで、リンクを載せておきます。

http://www.bnet.jp/casa/teigen/131217opinion.pdf



今回の記事は、以前から時間があったら書こうと思っていた漢方生薬の煎じ方。ということで、大半の皆さんには関係のない話なのですが、実は一部リクエストもありましたので私のやり方を紹介してみます。関係ない方も、もしお暇がありましたら、小話のネタにでもと思って読んでみてください。

 コジローがお世話になっている美濃漢方診療所の劉先生からは、こちらから症状報告書(毎日の体調に関するデータを一週間分、患者自身が記録したもの)を2回分送るつど、その報告の内容や投薬期間等に応じて処方された2週間分の漢方薬が送られてきます。生薬と粉末があり選択できるのですが、自分は仕事やプライベートで遠出する機会が多いため、そんなときには粉末で対応できるよう半分ずつにしてもらっています。が、薬効という点では、生薬を煎じる方がやはり確かなようです。…ま、そりゃそうでしょうね。でなけりゃこんな面倒なこと、誰もしませんもんね。

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 さて、国際郵便で送られてきた生薬は、このように一日分ずつポリ袋に小分け包装されています。処方により中身も量も異なりますが、結構ボリュームがあります。

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 これを2回煮詰めて煎じるわけですが、火にかけた鍋でやるとなるとかなり厄介です。2回煎じるには2時間近くを要しますから付きっきりというわけにもいかず、まあ、お節料理の黒豆を煮るようなものですけれど、お節なんて年に一度だから集中できるのであって、自分のまったく集中力が続かない散文的な性格を考えると、いずれ煮詰めているのを忘れて焦げ付かせたりすること必定。というわけで、ここは文明の利器に頼ることにして、「文火楽々」と書いて「とろびらんらん」と読ませる象印製の漢方煎じ器を直ちに購入しました。

 上の写真は、その煎じ器の容器に生薬を入れてひたひたに浸かる程度の水を加え、さらに重しにマグカップを乗せた状態。これで30分から1時間、生薬が水をしっかり吸うまで置いておくよう指示されているのですが、朝イチで煎じることにしている身にはこの時間がなかなか… 先にも書きましたように煎じるのに計2時間かかりますから、早く煎じ始めないと出勤時間になってしまうので、それに合わせてこの浸漬時間も見込んで作業を始めるのですが、漬け込んで待つ間に森林関係の勉強など他の事をやりだすと、ついそれに熱中して漬け込んだことをすっかり忘れ、気づいた時点で煎じる時間が足りなくなることがしばしば。なので、最近は前夜、寝る前に漬け込むことにしました。こうしておけば、翌朝起きた時に直ちにスイッチを入れれば間違いなく煎じることができます。

 それから水の量も結構微妙なところがあります。生薬を二度、いずれも200cc程度になるまで煎じるよう求められるのですが、なんせ生薬が入っていますので、どのくらい水位が下がったら残りの実質水量が200ccになるかというのがわからない。これは鍋でも同じだと思います。また、煎じ器の場合はこれに加えて加熱時間をどのくらいに設定するかによっても、最初に入れる水の量が変わってきます。といって、煎じる量に応じて時間を調整するというのも難しい。

 ということで、このあたりは試行錯誤で経験を積み自分のやり方を確立するほかないのですが、これまで4カ月あまりコジローが経験してきたところでは、生薬がひたひたというレベルに水を入れ、煎じる時間を常に35分として200ccの結果を得るには、乾燥した生薬に水を入れる1回目は450cc程度、生薬がたっぷり水を含んだ2回目は350cc程度を基本として、生薬の量に応じ水の量を多少加減するのが、ほぼ間違いない結果が得られそうな感触です。

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 煎じ器にかけてスイッチを入れると、しばらくして泡が立ち、10分ほどで沸騰してタイマーが動き出します。この写真では見えにくいかもですが、生薬全体がしっかり漬かって薬効成分を無駄なく抽出できるよう、マグカップを入れたまま煎じています。 

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 煎じ器の操作面。シンプルなものですが、35分はあくまで煎じる時間で沸騰しなければこのタイマーは動き始めません。その前に沸騰するまで10分程度の時間がありますので、一回の所要時間はあわせて45分程度ということになります。さらに2回目もほぼ同じだけの時間が掛かり(水量が少なく生薬が温まっている分、沸騰するまでの時間はやや短くなりますが)、さらに煎じる前の浸漬時間を30分以上取るとすると、合計の煎じ時間は2時間以上ということにまります。

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 煎じ終わったら、蓋を開けて熱くなったマグカップをトングで取り出し、再び蓋をして茶こしで漉しながら別の容器に注いで冷まします。このとき、アルミやプラスチックの容器は使用不可。陶器やガラス、ステンレスなど、容器の成分が熱などで溶出しないものに限ります。

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 できあがりはこんな感じ。今回は1回目も2回目もピッタリ200ccでした。大成功!(^O^)v 
 
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 冷めたら保存用の容器に入れて、冷蔵庫で保存します。これを少し温めて朝昼晩、三回に分け服用しています。美濃漢方の指示書では朝夕2回とあるのですが、粉末は日に3回の処方ですので、生薬と粉末をミックスした二週間分を日数通りに使い切るには、生薬も三回で飲んでいったほうが間違いがなく合理的だと思うからです。なお、「良薬は口に苦し」などと言いますが飲み口はそう悪くありません。もちろん生薬の処方により味は少しずつ異なりますが、むしろ結構いける感じで、慣れてくると美味しく感じたりもするほどです。なお、生薬を処方されている間は、カフェインを含む飲料、柑橘類、揚げ物類は控えるようにとのことです。

 コジロー流の煎じ方は以上です。もし、間違っているところがあれば、ご指摘くださると嬉しいです。ではまた。 

 
 新しい年が明けました。と、書き出すとお手紙調ですね。このブログ、まああまり活発に更新できているわけではありませんが、「ですます調」の記事と「である調」の記事が混在しています。「である調」は何かで頭にきている時だったり腹立たしいテーマを扱っていて昔の癖の論説調になりがちです。「ですます調」はその逆で比較的落ち着いている時や気楽なテーマを扱っている時で、自分では近況報告のお手紙を書くような感じです。昨今の世相から、最近「である調」になることが多いのですが、新年早々怒り心頭というのも芸の無い話ですから、元日くらいは心静かに・・

 とはいえしかし、世相もプライベートも「おめでとう」と言うのがはばかられる気持ちもあります。今年は初めて、一通も年賀状を出しませんでした。これまでも「おめでとう」や正月を賀し頌(しょう)する言葉は使わず、最も没価値的な新年の用語を探し「迎春」で通してきたのですが、昨年来、儀礼とはいえそれにも心理的な抵抗を感じるような状況となって、年賀状を書くことができなかったのです。が、といって、わざわざこのような気分を説明して欠礼をあらかじめ伝えるのもエラソーだし。ということで、いつもどおり年賀状を寄越してくださる方に対し、お返事の文面のみ用意して年を超えたのでした。

 さて、いま安倍自公連立内閣が推める軍国主義復活路線は、ますます暴走の度を強めています。年末に相次いだ国家秘密法強行や靖国神社参拝はもちろん、消費税増税、TPP交渉参加、原発再稼働、普天間基地の辺野古移設など、国民の多数が反対しても制止しても国会における圧倒的多数を背景に、その多数を得た選挙での公約を次々に反故にしてすらやりたい放題に突っ走る。それどころか、矢も盾もたまらず国会に集結して国家秘密法反対の声を上げる人々をテロリスト呼ばわりするに至っては、そのあまりの増長ぶりに、戦前の日本帝国にタイムスリップしたような一種既視感めいた感慨すら抱いてしまいます。その当時の人々も、こんな空気の中であの破滅的な戦争に突入していったのでしょうか。

 日本の政治はどうしてこんな世界でも最低の情けない状況に陥ってしまったのか。私見ではそれは、この国の政治家やオピニオンリーダーの多くが理想や夢を語ることをやめ、また学校でも社会でも同じく青臭い理想や夢を語ることがダサくカッコ悪いこととして排除されてきたことにあると考えています。ここでいう理想や夢というのは、個人の生活レベルの願望ではなく、現代社会の矛盾や悲惨さを視野に入れた上でのあるべき世界への思いや望みといったものです。

 日本の戦後史は、日本国憲法が掲げる理想と日米安保条約が掲げる現実主義との相克によって綴られてきました。その戦後史で政権を担った政党政治家は一貫して現実主義の名のもとに、憲法の理想を実現することを怠ってきました。例えば、憲法が定める軍備と交戦権の放棄はまさに恒久平和という人類の理想を実現するための手段ですが、その理想はいわゆる極東の軍事的緊張関係を理由とする現実的な対応によりずっと棚上げされてきました。こうした対応は社会福祉についても、国民の自由や権利でも、日本社会の全ての分野にわたっていますが、いずれも財政の不足など現実の困難を理由に憲法の理想は否定されてきたのです。

 4年前の秋に成立した民主党政権は、その現実路線を走る自公麻生政権のあまりのひどさお粗末さに対する国民の怒りの産物でしたが、3代にわたる民主党政権のやることなすこと自公政権と大差ないどころか、輪をかけて悪い面もあって次の選挙で惨敗、再び下野することになりました。実は、民主党が圧勝した選挙で掲げたマニュフェストと呼ばれた政策は、理想と呼べるほど高邁なものでも、新たな世界を切り拓くような体系的なものでもなく、せいぜい自公政権の手直し程度の代物でしたが、それでもよりマシと有権者は民主党に政権を託し、そして見事に裏切られたのです。

 二大政党とは言いますが、自民党も民主党も米国追随と財界奉仕という基本政策では大差なく、要するにこれこそが現実路線なのです。この現実路線の同じコップの中で自公民に加え維新だの「みんな」だの自民補完の現実主義政党を選択しようが結果は同じです。戦後日本の政治が一貫してその実行をサボタージュしてきた憲法の理想を実現すること。その選択なしにこの国の閉塞状況を打開することは絶対にできません。しかし、一見現実離れして見える憲法の理想を国民の多数が勇気をもって選択できるか。ただこの一点にこの国の未来はかかっています。

 これまで続いてきた事実の継続を前提として憲法が掲げる平和原則や脱原発の理想を非現実的として退け、またそれらの主張を青臭く幼い夢想として知ったかぶりに馬鹿にする悪しき習慣を打破しなければなりません。理想とはもともと大なり小なり現実から遊離したものです。しかし、いま目の前の現実からは遠くともそうした理想なしに、醜く悲惨な現実を否定し止揚することはできません。理想を否定することは、変革の可能性を否定するのと同じです。昨年亡くなったネルソン・マンデラも、長らく獄中にあった間、彼の理想は南アフリカの現実とは相容れないものでしたが、不屈にその理想を貫くことで理想を現実に引き寄せたのです。夢や理想を馬鹿にする一見大人びたニヒリズムは人間の知性と可能性に対する冒涜であり、学校教育を含め日本社会に蔓延するその病弊の摘出はこの国の社会進歩へ避けることのできない大きな課題です。

 先の総選挙それに続く参院選の2つの選挙で自民党は決して大量に得票を得て勝ったわけではなく、民主党の裏切りに絶望した有権者の多くが棄権した結果、相対的な多数を得て小選挙区制のトリックにより圧倒的な議席を制したに過ぎません。先にも書いたように政権は驕り高ぶっていますが、その政治的基盤はきわめて脆弱です。この間の選挙で棄権した有権者が投票に足を運び、また現実路線のコップの中での選択しか念頭になかった有権者の一定部分が、先に述べたような青臭い理想をまじめに支持すれば力関係は逆転します。

 そうした意味で、今年は理想や夢をあらためて真剣に語り、広げる年にしたいものだと考えています。世界と日本の現実を真面目に考える気風を広げること。そのことによって憲法の理想を復権させ、どうせダメだという諦めや政治からの逃避を克服すること。ことに深く考えることなく現実政治を選択した人々や棄権した多くの人々に対し、理想の側から力強く接近する年にしたいと思うのです。



 

 

 

 

 
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