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 4月21日月曜日、朝のうちは昨日来の雨も残っていましたが午後から曇り。
 土曜日は和歌山県の斡旋を受けてパナソニックが田辺市龍神村に設けた「企業の森」の植樹活動のサブイベントで、初めて森林をガイドしました。

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結構急峻な斜面での植林作業です

 この日、参加した同社の社員は約180人。これだけの大人数が結構な急斜面にひしめきながらの植林体験が終わると、三つ用意されたサブイベントのうち森林学習を希望した約100人が、9班に分かれてそれぞれ担当の森林インストラクターからガイドを受けました。

 コジローはそのうちの一班を担当。植林に想定以上に時間がかかったため当初予定した時間を大幅に削っての慌ただしいガイドでしたが、林道から植林したばかりの斜面を登って尾根に達し、集合地点に下るまでの約40分で見かけた約20種の樹木を、名前に様々なエピソードを添えて紹介することができました。ガイドを終えて班を解散する際、盛大な拍手に添えて「すごく楽しかった」「来年も来るからぜひ案内してほしい」とお褒めの言葉もいただきましたので、まあ、デビュー戦としてはまずまず良くできた方ではないかと思います。

 せっかく龍神まで来たので、少し足を伸ばして久しぶりに本宮の山小屋に立ち寄ってきました。15年ほど前に『木の国熊野からの発信』(中公新書)という本を書いた時に、その取材の縁から購入した森の一角にまことにささやかなログハウスを建てており、近所の山に登った際などそこに泊まることもあります。

 いまこの森は、知り合いのNPOが林業体験ができる所を探しているというのでそれに提供していて、そのNPOのメンバーや学生が集まっては間伐をしたり、丸太コンロを作ったりしているようで、小屋の前には目の前の森から切り出したばかりの間伐材で作ったベンチやテーブルも設えられていました。

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ささやかな小屋とNPOが立てた看板

また、小屋の周りにはキツネノチャブクロというキノコがたくさん生えていました。キツネノチャブクロは植物の遺骸などを分解して栄養を得る腐生菌の一種で、ホコリタケの別名でも知られるように、棒などでつつくと中央に空いた穴からホコリ状というか煙のようにまとまって胞子が飛び出します。自然状態では雨滴の直撃を受けて胞子を飛ばします。食用になりますが、食べられるのは胞子を出すようになる前の若い個体で、写真のように成熟して胞子をだくと、胞子臭くて食べられないそうです。

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キツネノチャブクロ、つつくと中央の穴から煙状の胞子が飛び出します

 さて、別の話題。昨日20日の朝日新聞から夏目漱石の代表作『こころ』の連載が始まりました。ちょうど100年前の4月20日に朝日で連載が始まったのにちなんでのことらしいのですが、これに「時代の精神」というキーワードで漱石が生きた明治と戦後の時代を語る大江健三郎さんのインタビューが添えられていて、この内容に大きく共感するところがありました。これについては、また機会を改めて書きたいと思います。 



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 4月18日、金曜日、雨。
 好事魔多しと同じ意味合いで「月に叢雲(むらくも)花に風」などというが、今年の花の時期は長く晴天が続いていたから、久方ぶりのよいお湿りといったところだ。

 久方ぶりといえば、このブログもそうなのだが、なにかと気ぜわしいことばかり多く、落ち着いて文章を書く時間がなかなか取れない。世の中では、安倍政権のやることなすこと、とにかく腹が立つことばかり多くて、その都度、黙っていてはいけない、せめて腹立ち紛れのボヤキでも書かねばとは思うのだけれど、悪事のテンポが速すぎてとても書くのが追い付かず、そのうち時期を失ってしまう。

 特定秘密保護法、大企業の法人税減税と引き換えの消費税増税と社会保障の切り下げ、公約違反のTPPと日豪EPA、原発回帰を鮮明にしたエネルギー基本計画、憲法解釈変更による集団的自衛権行使、日銀からNHK会長・理事、内閣法制局長官に至るお粗末極まりない人物で埋め尽くされた安倍式右翼偏向お友達人事etc、etc、etc・・・ まったく呆れ果てた国民不在の独りよがりだが、こうして、この国が日に日にくだらない、恥ずかしい国に転落してゆくのを目撃するのは、あまり精神衛生に良いことではない。

 これだけひどい目にあわされても国民は何も感じていないのか、それともあきらめきっているのか、さもなくば消極的にでも了解しているのか、いじめられたり耐えたりするのが好きなのか、安倍内閣の支持率は暴落する気配もなく、当の安倍内閣は、のうのうと次々にとんでもない民主主義破壊と憲法違反の暴挙の実績を着々と積み上げている。でも、国民の大多数はやっぱり、ごく一部のマトモで自覚的な人たちを除き、ぜ~んぜん、怒らないのだ。

 これはいったいなにゆえかと思って読んだのが、ドキュメンタリー映画監督の想田和弘さんが書いた『日本人は民主主義を捨てたがっているのか』(岩波ブックレット)と、安富歩東大准教授が書いた『ジャパン・イズ・バック』(明石書店)の二冊だった。

 「日本人はー」は想田氏が雑誌『世界』に掲載した文に加筆したもので、タイトルの通り、コジローと同じ疑問と焦燥を感じた想田氏が、安倍を支持する層を「熱狂なきファシズム」と規定、それに抵抗する方法を模索している。

 また「ジャパンー」は安倍晋三首相が米国で行った講演のタイトルで、本人は「日本は戻ってきた」の意味で使ったようだが、まあ、普通に読めば「日本は遅れている」とか「日本は後退した」の意味にとれる。安富氏はそれを言い得て妙というか、安倍が実際に行っていることの象徴として著書のタイトルにとった。

 安富氏は日本および日本人の意識や行動を長年支配した原理は「立場主義」にあると規定したうえで、現在の状況を、立場主義が通じなくなった世界に対し、超立場主義者の安倍がドン・キホーテのように突進する図ととらえていて、それなりに説得力がある。ようするに「トンでもレベル」の時代錯誤なのだが、それに救いや郷愁を感じる多数日本人の心性が、この「トンでも」を支えているという。

 両書の詳しい説明はまた機会があれば書くが、いずれにしても、安倍内閣のお粗末で無茶苦茶な暴走に、これほどまで国民が無関心でいられる今の日本の状況はコジローには不可解極まりない。

 と、まあ、腹立たしいことはいったん忘れて、明日は龍神の森に行く。和歌山県が進める「企業の森」で、ある企業が植樹を行うに際し、その付属イベントとして森林インストラクターが分担して参加者に森の案内をするのだが、コジローもその案内人のひとりとして参加する。植樹に参加するのは200人弱、一人のガイドが担当するのは20人ほどになるらしい。さて、森林インストラクターとして初めての出番だ。ぶっつけ本番で、その森にどんな植物が生えているかも、行ってみないと分からないのだけれど、大丈夫かなあ・・
 4月1日、火曜日、快晴。
 今日から新年度。昨日も書いたロクでもない消費税増税初日のいまいましい日でしたが、快晴の空にほぼ満開となった桜が映えこれぞニッポンの春という趣の一日で、事務所が面する浜の宮海岸も春爛漫。引き潮でそこここに砂地の海底が露出した「ひねもすのたり」の海が、惰眠を貪っているような風情で横たわっていました。

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  干潮の浜ノ宮海岸、背景は和歌浦から雑賀崎の海岸線、遠景にうっすらと淡路島

 さて、その海に少し関わりのある話題。オランダの国際司法裁判所は昨日、オーストラリア政府が「調査捕鯨の名を借りて違法な商業捕鯨を行っている」として日本を提訴していた問題でオーストラリア政府の訴えを全面的に認め、「科学目的とは言えない」と認定して南氷洋における日本の調査捕鯨を禁止する判決を下した。

 判事の圧倒的多数を反捕鯨国が占めているなどとして不公平感を訴えるメディアもあるが、ん~、常識に沿ったまともな判断ではないだろうか。調査に基づく研究論文も発表しているとはいうが、捕獲した鯨は一頭残らず屠殺して食肉処理し、「調査副産物」の鯨肉は公然と国内の流通に回されている。日本のメンツというか、もう少し上品に言って国策絡みで公金が投入されているため、「商業」として採算があっているかどうかは怪しいが、「調査捕鯨」が商業捕鯨全面禁止環境で鯨肉を確保するための苦肉の策に掲げたタテマエの看板であることくらい、オーストラリアに指摘されるまでもなく公然の秘密ではないか。

 朝日新聞はこの日本全面敗訴関連で、「鯨の町『食文化』失う」と見出しを打った記事を載せている。取り上げられているのは山口県下関市だが、同市では鯨を「市の動物」と定め、学校給食にも積極的にくじら料理を取り入れるなど普及啓発に努めてきたそうだ。また別のメディアは鯨肉の流通拠点として整備されつつあった途上でのこの結果に、経済効果の喪失を懸念する下関市長のコメントを掲載していた。

 ・・ってことは、要するに南氷洋の調査捕鯨は「食文化の維持」や「経済効果」に貢献するものと考慮され現にそうした役割を果たしていたということであって、オーストラリア政府が主張するごとく「調査」は商業捕鯨の隠れ蓑ってことを裏付けていることにならないか。さらに朝日は「冷凍肉の在庫がなくなれば(学校給食に)地元の新たな産物を提供することも検討しなければ」と影響を嘆く市教委のコメントを掲載している。

 下関市の関係者の皆さんには申し訳ないが、それでいいじゃん、と、コジローは思うのだな。なにも地球の裏側から世界のヒンシュクを浴びつつさして旨くもないクジラを冷凍にして運んでこなくても、下関なら地産池消で美味しくて新鮮な食材がいくらでも手に入るだろう。クジラが「市の動物」って、その感覚の方がどうかしてはいないか? ここは地元の食材と自然を見直したほうが、よほど教育的ではないかとコジローは思うのだ。

 鯨肉の消費量は減り続けており、調査捕鯨で許された頭数すら流通させることはできないで冷凍倉庫に在庫が積み上がっていた。そんな消費状況では、たとえ商業捕鯨が再開されたとしても高額の初期投資を要する捕鯨事業に参入する企業は皆無であり、現在操業している唯一の捕鯨会社すら実質的には国営企業だ。その会社が有する旧式の捕鯨母船は間もなく寿命が尽きるが、といって新船を建造する見込みもない。ということで日本政府は「食文化」を盾に虚勢を張っているが、船団を組んでの遠洋捕鯨に未来はなく、今回の判決にむしろほっとしているのが実情ではないのか。この辺りの事情は勝川俊雄氏のブログ「我々日本人が捕鯨について議論すべきこと」に詳しいので、一読をお勧めする。

 さてもそれはさておき「食文化」なあ~  鯨肉といえば、コジローのような世代の人間には確かに郷愁がなくもない。幼いころ、日本も我が家も貧しくて牛肉や豚肉は高嶺の花、焼肉といえばパサパサとした食感の鯨肉しかなかった。ま、本当に高級な鯨肉というのは食べたことがないから断言はしないが、当時は鯨肉しかなかったから旨いと思ったのであって、選択肢が豊富な今ならあえて鯨肉を選ぶとは思えない。それは食料ことに動物性タンパクが極端に不足したあの時代に、敗戦国が食することを許された代用食だったのであり、それを「食文化」と称するのが果たして正しい用語法なのか。食べたことがない若い世代であればなおさらで、鯨肉食を日本の食文化といわれてもシラけるだけだろう。

 先の判決も沿岸捕鯨まで禁止してはいないのだから、どうしても食べたい方には食べる道も残されている。ここは食文化などという荒唐無稽な看板をさっさと下ろし、おとなしく判決に従っておくべきところだろうと思う。

 


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