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 例のイスラム国による二邦人の殺害予告がインターネットを通じて流されて以来一週間、かなり欝な気分に支配されている。その後、うち一人が殺害された模様であり、また当初2億ドルとされた身代金に代えて、ヨルダンに捕らえられているイスラム国に属する女性死刑囚との「捕虜交換」が24時間の期限付きで要求されているのが、日本時間1月28日昼現在でメディアを通じ我々が知り得ている状況だ。

 この事件をめぐる、「欝」としか表現のしようがないなんとも嫌な気分。このとらえどころない落ち込んだ気分の、その発生源はなんだろうと考えてみて思い当たったのは、自分がかつてイスラム圏に滞在した際の思い出だった。

 もう20年も前になるが、所属する山岳会のイベントでパキスタン北部のカラコルム山脈の周辺を訪ねたことがある。貴婦人の異名で呼ばれる端正なラカポシ峰や天才クライマー長谷川恒男の墓標となったラトック峰など、三つの7000m峰に囲まれた桃源郷=フンザや、14の8000m峰中、最も多くの犠牲を強いたことで「人喰い山」の異名を持つナンガパルバット峰のディアミール壁を望むベースキャンプなどを訪ねる山旅は、アフガニスタンとの国境に近い一帯を巡るルートを辿ってゆく。その道中、内戦状態のアフガンから脱出してきた避難民のキャンプも通過したし、ソ連製の自動小銃カラシニコフを背負った村の強面(こわもて)の男たちに、恐る恐るポーターを依頼し雇用したこともあった。

 そうした山旅で接した人々は、フンザに住むごく少数の仏教徒を除けばすべてイスラム教徒つまりムスリムだった。パキスタンの男たちはほぼ例外なく立派な髭を蓄えている。だが、いかつい髭面の男たちはタリバンにつながるゲリラたちを含め、接してみればいずれも実直で温かく、遠路訪ねてきた我々、彼らの風貌に比べればまるで少年少女のように幼い外観の日本人の一隊に、溢れるような親密な友情で接してくれたのだった。

 親しく話すようになってわかったのは、そうした彼らの親密な振る舞いが、戦後日本の歩みに起因しているということだった。いわく、日本人はウソをつかない、日本人は頭が良く日本製品は世界一、そして日本は世界の誰をも敵とせず戦争という暴力に訴えることもない。彼らは日本製のボールペンや電池を見せてそのように口を揃えるのだった。また、灰色の濁流が流れるインダス源流には日本のODAで難所に架けられた橋が何箇所もあり、インダスに沿うカラコルムハイウエイは日本と中国の援助で整備されていた。日本のODA=Official Development Assistance(政府開発援助)には毀誉褒貶(きよほうへん)があるが、少なくとも独裁政権への軍事援助や内戦への軍事介入に比べれば遥かにマシであり、これらの橋や道路が、軍事力ではなく頭脳と礼節を武器として世界に復帰した稀有な国の存在証明として、目に見える形で彼らの前に展示されていた。

 それはカラコルムの旅を終えてイスラマバードに戻り、帰国のフライトを待つだけのパキスタンで最後の一日、市内の公園に出かけたときのことだった。たまたま休日とあって多くの家族連れが食事をしているレストランで、ある父親が自分たちの席を立って我々に近づき、「日本人か」と確認したうえ、彼の子どもたちと一緒に写真に入って欲しいと申し出てきた。断る理由はないが、なぜそうしたいのか問うと、「この子どもたちも日本人のように賢く優しくなって欲しいからだ」という、こちらが赤面しそうな答えが返ってきた。

 今よりははるかに自制的だった当時の日本ですら、彼らの余りにも単純で好意的な日本観と日本の現実がかなりの程度乖離していることを私たちはもちろん自覚していた。かつてアフガニスタンでの武装解除などにあたった自称「紛争屋」の伊勢崎賢治氏も同様の印象を受けたらしく、その著書の中でこうした余りにも好意的な日本観を「美しき誤解」と呼んで紹介している。

 まさに「美しき誤解」…、だからこそ赤面もするし、なんとも居心地悪く面映い思いもしたのだが、それでも、敗戦からその時まで世界の大国の中で唯一、日本国憲法が規定する非戦国家の枠組みを維持して軍事力により他国の人を一人も殺傷することがなかった国であることは事実だったし、それゆえにパキスタンの人々が寄せる素朴な誤解も友情も、あえてかたくなには否定せず素直に受け取ることができたのだった。

 だが、そうした「美しき誤解」は急速に瓦解しつつある。安倍晋三を首班とする自公連立政権は集団的自衛権の容認や歴史の修正から始めて平和憲法とそれが規定する国の形を投げ捨て、国内的には戦前の軍国日本に回帰する一方、対外的には世界最悪のテロ国家米国の手下として世界に軍事大国として介入しようとしている。こうした「日本を取り戻す」一連の動きに安倍政権が前のめりに暴走するなかで生起したのが今回の人質事件だった。

 もとより、人質を奪って金品や政治的取り引きを要求する卑劣な行為に弁護の余地はないし、イスラム国という組織の性格からして、日本が右へ行こうが左へ行こうが現地に入った日本人が拉致された可能性ももちろんある。だが、「美しき誤解」ではあれこれまでイスラム世界を含む全世界に流通していた「平和日本」のブランド力が損なわれれば損なわれるほど、他の大国と同様、貧困と果てしのない暴力に苦しむ地域の人々から、憎悪の対象とされる機会は増えるだろう。

 今回の人質事件について安倍政権に批判的なツイートを流すと、人質の生命尊重を理由に批判的なリプライが飛んでくる。国政に責任を負う政治家ならともかく、市井の名もない一庶民のつぶやきがどのような回路で人質の生命に影響するのか理解不能だが、こうした声は日本が戦争を始めれば前線の兵士への連帯(またしても「絆」という言葉が使われそうなイヤな予感がする)を理由に挙国一致を求め、戦争に反対する人たちを非国民と排除する論理に容易に転化するだろう。この国はいつのまに、あの「美しき誤解」からいかに遠い所まで来てしまったのだろうか。この国がすべきことは逆に、「誤解」を「正解」にすべく、その落差を粘り強く埋める努力であったはずなのだが。


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 もう新年も7日。今回の年末年始の休暇は9日もあったのに、なにかと気ぜわしくてブログを更新するまもなく、一昨日から仕事が始まってしまいました。
 落ち着いたら、世の中の動きなど、いろいろと書きたいことはあるのですが、そんなこと言ってるとますます更新できない。 で、一ヶ月更新しないとこのブログサイトでは広告が表示されて、ずいぶん見苦しくなってしまいます。 ということで、とりあえずはコジローが所属する山岳会の機関誌に連載しているコラムを以下に転載して、目障りな広告を消しておこうと思います。

【以下転載】

          植物百話 3

                  ブナの話題あれこれ

 登山を趣味とする者にとり、ブナは最も馴染み深い樹木のひとつだ。展望のない森林帯を黙々と歩いているときなど、独特の斑点模様を身にまとった太いブナの幹にふと気が付き、その高さを確かめようと見上げたことがある方も多いことだろう。

 その斑点模様の正体は菌類と藻類の共生体である地衣類で、これが好んでブナの幹に繁殖するのは樹皮がマツなどのように剥がれ落ちず、また雨が滑らかなブナの幹を伝い落ちる(樹幹流という)ため水分を得るのに有利だからだ。余談だが、ブナはこの樹幹流に根から吸収したカルシウムやカリウムを溶出させることで、雨水の酸性度を中和させる働きもしている。ブナは自分が頼る土壌の酸性化を自ら防いでいるわけだ。

 ブナは北海道の渡島半島の平野部から徐々に高度を上げ、鹿児島県の高隈山の頂上付近(1236m)までの各地に分布しており、紀伊半島では標高800m付近から上で見かける。しかし、同じブナでも東北地方と紀伊半島ではかなり違う印象を受ける。より正確に言えば多雪の日本海側と太平洋側の違いということになるのだが、日本海側のブナは葉が薄く大型で、白い幹が真っ直ぐ上に伸びるのに対し、太平洋側のブナは葉が肉厚小型で幹は黒っぽく、よく枝分かれしてずんぐりとした樹形になるものが多い。また、多雪地ではしばしばブナ以外はササしかない純林を見かけるが、太平洋側ではミズナラやカエデ類を伴った混交林ばかりだ。なぜ、こんな違いがあるのだろう。

 まず葉の違いだが、これについてはいくつも研究論文が出ている。同じ樹木でも先端の葉と下部の葉で違いはあるのだがそれはさておき、一般に日本海側のブナの葉の方が大きいのは水分条件に恵まれているためと考えられている。多雪地のブナには水不足の心配がないので、葉からの水分の蒸散など気にせず伸び伸びと葉を大きくして光合成ができる。一方、雪が積もらない太平洋側のブナは春の乾燥や夏の日照りで水不足に直面する。そのため、葉から蒸散する水分を減らそうと葉を小さくし環境に適応しているわけだ。下の図は白石さんと渡辺さんの論文から引用させてもらったものだが、ご覧の通り太平洋側のブナの葉の面積は日本海側の葉の4分の1くらいしかない。

150107 buna

 が、それで終わらないのが生命の面白さだ。太平洋側の山地に雪は少ないが太陽光は雪国よりはるかに強い。そこで葉の広さで後れをとった太平洋側のブナは、葉の表側にあって光合成を担う細胞の配列を二段または三段重ねにしてこのハンディをカバーしている。光合成細胞が一段しかない日本海側のブナの葉に比べ肉厚なのはそのせいだ。

 また、樹形の違いや純林の有無もこの雪の多寡で説明できる。豪雪地ではブナ以外の高木の広葉樹は積雪に折られて生き延びることができない。また、ブナにしても斜上する幹や枝は積雪の重みで折られるため真っ直ぐに伸びる個体だけが生き残る結果、すっきりした樹形のブナばかりの純林が形成される。他方、雪がない太平洋側では曲がったブナやその枝も折れないのでずんぐりした樹形となり、また他の樹木も生えられるため高木層の樹種が多い混交林となるわけだ。ただ、なぜ雪深くなるほどブナの幹が白くなるのかだけは正確な理由がわからない。幹に付着する地衣類やコケの種類が異なるからだろうか、それとも太平洋側のブナは日焼けしてるってことなんだろうか。

 ついでだが、このように豪雪は高木には厳しい環境条件だが、これがかえって好都合という樹木もある。雪の中で気温は零度以下にはならず、そこに潜り込んでしまえば冬の厳しい寒さや季節風からも乾燥からも守られるからだ。これは冬山で登山者が雪洞に潜り込んで快適な時間を楽しむのと同じ理屈。ユキツバキ,ヒメアオキ,チャボガヤなど、雪に潜れるよう背を低くしたり雪の重みで折られないよう身体を細く柔軟にしたりして、多雪という特殊な環境条件に適応した植物群を専門用語で「日本海要素」というのだが、紀州の山で春空に高く赤く咲き誇るツバキが、雪国にきて灌木のような姿に身をやつしつつ懸命に花をつけているのを見ると、生命のすごさに襟を正したい思いにとらわれる。

 話を戻してブナの実の豊凶について触れておこう。クマが人里に出没したりすると、ブナの実の凶作が原因と説明されることがよくある。ソバに似たブナの実は人間でもアクを抜かずそのまま食べられるほどで、クマにとり重要な栄養源であることは確かだ。しかしブナには5~7年に一度しか豊作がない。クマにすればそんな気まぐれなブナを主食にするのはリスクが大きすぎる。だからクマがアテにするのはミズナラなど豊凶差が小さい他のドングリや果実類で、ブナが豊作の時は「ラッキー!」って感じなんだろうと思う。

 では、なぜブナはこんなに豊凶差が激しいのだろう。その有力な説明として「種子捕食者飽食仮説」がある。「仮説」とはいえこれを裏付ける調査報告は結構あるので当たらずとも遠からずだろう。ブナにはブナの実専門の食害昆虫がつく。主としてブナヒメシンクイなど2種の蛾で、これら昆虫の生息数がエサとなるブナの実の豊凶に支配されることは容易に推測がつくが、その食害率8~9割に達するというから大変だ。植物は懸命に光合成した成果の多くをせっせと繁殖つまり花や実づくりに投資する。その大半が食べられては子孫を残せないではないか。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。

 そこでブナは考えた。不作や凶作を続ければ食害昆虫は減ってゆく。で、減り切った頃を見計らって一気に結実させれば、さすがの貪欲な捕食者どもも食べきれず多くの実が生き残るに違いない。それを地域のブナが同調して行えば風媒花であるブナの受粉確率が格段に高まる効果もある(受粉効率仮説)。つまり、数年は実質的に繁殖をあきらめても、一回爆発的に種子を散布できれば勘定は合うという戦略なのだ。それにしてもこのサイクルにすべてのブナが歩調を合わせるとは・・ 自然はつくづく驚異に満ちている。

 樹林帯の主役ブナだけに話題は尽きないが紙幅も尽きたので今回はここまで。読者諸兄が次にブナに接したとき、その生存戦略への敬意をもって見上げていただければと思う。

                                          【転載以上】

最後までお読みくださりありがとうございました。
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