6月18日(木)から23日(火)まで紀峰山の会の仲間たち7人と、5泊6日をかけて利尻島と礼文島をめぐってきました。コジロー実は2年連続なのですが、前回は両島をぐるぐる歩き回っただけ。今回はなんといっても山岳会のツアーですから、もちろん利尻山登頂が最大の目的です。
 
 初日の18日午前5時半、阪和道紀ノ川サービスエリアで集合した一行は、関空から朝一番のフライトで北海道新千歳空港へ。そこでレンタカーに乗り継ぎ、ひたすら北上して稚内港を目指します。ベテラン山屋さん御一行のこととあって5泊はすべて幕営ですので、テントや寝袋、炊飯具、ガス類などの生活用具一式は事前にレンタカー屋に別送。この大きな85リットルのリュック二つにパンパンに詰め込んだ荷物を、8人の定員いっぱいが乗り込んだ車に積み込むのですから、果たしてどうなることかと思いましたが、なんとか整理がついて出発できました。道中、サロベツ湿原に立ち寄ってから稚内市内のスーパーで自炊用の食料を買いだし、稚内駅に隣接する道の駅に到着したのは18時でした。

 翌日は6時20分稚内港発のフェリーでまず礼文島香深(かふか)港へわたり、礼文島北端のスコトン岬に9時に到着しました。そこから江戸屋山道、ゴロタ岬を経由し、澄海(すかい)岬を経てレブンアツモリソウ群生地に至る岬めぐりコースを歩きます。普通に歩けば所要5時間のコースですが、コジローは昨年歩いていますし、病気の関係でみなさんと同じ速度では歩けませんので、車での送迎に徹し、あわせて歩行時間の短縮をはかりました。

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 そして達したのがこの風景、澄海岬です。ここで歩いてきたメンバーをピックアップし、レブンアツモリソウの群生地へ。

 この島の固有種として自然に咲くレブンアツモリソウに出会うのが、利尻山登山と並ぶ今回の山旅の大きな目的の一つでした。昨年は7月に来たため、すでにレブンアツモリソウの花期は過ぎていて群生地も閉鎖されていました。今回も事前に問い合わせたところでは、花期が例年より一週間ほども早まっていて、もう自生する花は終わりつつあるとのこと。気を揉みながら行ってみたところ、たしかに大半の花はすでに終わっていましたが辛うじて三株ばかり、しっかり咲いている花に出会うことができました。

 レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬。確実に見たいのなら、もう少し早い時期に来れば良さそうなものなのですが、礼文島にはもうひとつ、レブンウスユキソウという、これまた絶対に出会いたい固有種の花があって、この花期が6月下旬から7月中順になります。というわけで、一度に両方出会おうと思ったら、もちろん二兎を追って一兎も得ないリスクもあるのですけれど、この時期を選ぶしかないのです。

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 これがその憧れのレブンアツモリソウです。平家物語の話になりますが、アツモリは横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)のことで、この風船のように膨らんだ花を、敦盛が合戦時に弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)に見立てた名前です。ついでですが、よく形状の似たクマガイソウという花は、合戦の常とは言いながら、自分の息子と同じ年頃であった敦盛の首を刎ねる巡り合わせとなり、募る無常感から出家した源氏の武将熊谷直実(くまがいなおざね)に由来します。なお、熊谷直実はさらにその後、平家の落武者となった平維盛(たいらのこれもり)が高野山から紀伊半島を南下し、那智で入水するに至る逃避行に関わって平家物語に再び登場します。ということで、和歌山と縁がなくもない花なのですね。

 さて、このレブンアツモリソウ、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、写真では見えにくいのですが、袋状の花の上に前後二つの穴があいていていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、穴の中には細かく刺が出ていて、入れるのは前の穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべの柱頭に触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための仕掛けなのです。

 さらに、結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトルを打ち上げる時のブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの胚は、何をエネルギー源にして発芽しているのか。実は、菌根菌という種類の菌類を微妙なバランスで共生させることによって発芽するのです。

 ここで面白いのは、植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという双利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種はハイネズという樹木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。菌根菌はレブンアツモリソウの胚を食べようとして接近し絡みつくのですが、そこでレブンアツモリソウはある種の抗菌成分を分泌し、菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで菌を飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。

 ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒され枯れてしまいます。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちていますね。こうした特殊な発芽様式のため、レブンアツモリソウは花を付けるまで発芽から8年もの時間を要し、また自然状態での世代交代も困難が多く、環境の変化や心無い盗掘もあって、絶滅の危機に瀕しています。

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 さて、話が長くなってしまいましたので先を急ぎます。この写真は赤いレブンアツモリソウ。縦走隊を待っている間に立ち寄った澄海岬の茶店で教えてもらったのですが、車道の脇にこれだけが自生していました。突然変異だそうです。
 
 それから高山植物園を見学してこの日の予定はすべて終了。「うすゆきの湯」という日帰り温泉で汗を流してから、香深井にある緑が丘キャンプ場で幕営しました。快適なキャンプ場でしたが、虫が多いのには閉口しました。

 明けて3日目の20日はまず礼文林道コースへ。香深井側の林道入口で歩くメンバーを下ろし、コジローはその林道を三分の二ほど歩いて達するレブンウスユキソウ群生地に逆方向から先行して(逆方向からであれば車で進入できるのです)、彼等を待ち受けることにしました。ところが、その群生地で目論見通り、レブンウスユキソウが咲き始めているのを確認したうえ、ぼちぼち迎えに行けば出会えるだろうと林道を逆方向に歩いていってみてびっくり。しばらく歩いたところにロープが張られ、そこから先が通行禁止になっているではありませんか。ということは、歩き始めたパーティ側の林道も、どこかで通行止めになっているはずです。で、パーティに連絡しようとしますが携帯は圏外。少々慌てましたが、しばらくして、親切なタクシーに乗せてもらったとかでレブンウスユキソウ群生地にたどり着いた一行と出会うことができ、ひと安心でした。

 合流したあとは、礼文島のハイライト、桃岩展望台コースに向かいます。隊を二手に分け、コジローら鈍足部隊は林道コースに接する桃岩登山口から入り、健脚部隊には、吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」の舞台となった分校を保存する「北のカナリアパーク」があって、このコースの終点ともなっている知床に先回りしてそこから逆に登ってもらい、途中で出会って車のキーを交換する交差縦走方式で歩きます。

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 桃岩展望台コースは見事なお花畑の連続。花は今が盛りのようで、多くの高山植物に出会いました。本州では2500m以上の高山に咲く花が、緯度が高いこの地方ではこのコースのような小高い丘陵地や平地に、まるで雑草のように平然と花をつけているのです。まずこれはレブンキンバイ。シナノキンバイとそっくりの大輪の花です。

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 桃岩展望コースは終始、海を見下ろすなだらかな丘陵にトレースされています。写真ではよくわかりませんが、緑の部分は高山植物のお花畑。下に見える小さな岩は猫岩。しゃがんだ猫が海を見つめているように見えます。

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 レブンシオガマ。本州の高山のヨツバシオガマと同じ仲間ですが、ヨツバ(四葉)ではなく5枚から8枚の葉が輪生していて、ヨツバシオガマよりかなり大きいです。

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 チシマフウロ。ハクサンフウロやグンナイフウロの仲間ですが、やはりかなり大きい。非常に株数が多く、お花畑の主役でした。

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 これがレブンウスユキソウ。有名なヨーロッパアルプスのエーデルワイスの仲間です。まだ時期が早いので、点々と見かける程度でした。

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 ネムロシオガマ。

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 エゾスカシユリ。地面から直接花が真上に立ち上がる感じが独特。後ほど、稚内から留萌に戻るオロロン街道沿いの原野で、エゾカンゾウとともに多く自生しているのを見かけました。

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 ご存知のとおりのスズランです。市販されている園芸品種の多くはドイツスズランでもっと大きいのですが、自生するスズランはこのように葉陰でひそりと花をつけていて、可憐でした。

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 「北のカナリアパーク」から望む利尻山。アイヌの言葉で「シリ」は島のこと、また「リイ」は高いことを指すそうです。つまり利尻=リイシリは高い島の意味なのですね。実は、桃岩展望コースを歩いた時、利尻島は雲に隠れてほとんど見えず、ハイキングを終えてフェリーが出るまでの時間を利用して昨日と同じ「うすゆきの湯」に入っていたら、雲がどんどん晴れて利尻山がくっきり見えてきたので慌てて湯から上がり、北のカナリアパークに全員大急ぎで舞い戻って、この映画のシーンが再現されたしたような場景に接することができたのでした。ラッキー! やはり日頃から善行は積んでおくものです。ヽ(´▽`)/

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 北のカナリアパークから香深港に戻り、フェリーで利尻島の鴛泊(おしどまり)港に移動。すぐに利尻山の麓で日帰り温泉「利尻の湯」の近くにあるキャンプ場に幕営して、翌日の利尻山登山に備えました。和歌山から利尻山など、めったに来られるものではありません。そこで、確実に登るため21日と22日の2日間、登山できる態勢で利尻島にステイし、天候等の条件が良い日を選んで登ることにしていたのですが、この様子なら明日、バッチリ好天に恵まれそうです。

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 4日目の21日は雲ひとつない快晴の大当たり。2時過ぎに起床し車で利尻山北麓野営場まで移動して3時12分、登高を開始しました。利尻山の標高は1721m程度で日本アルプスの高峰に比べれば低いですが、登山口の標高は200mちょっとしかありませんので、標高差は約1500mになります。この標高差は上高地から奥穂高岳直下の穂高小屋までに相当しますから、これを一日で登りさらに下りてくるというのは、相当なアルバイトです。肺の機能が落ちているコジローにはとても全うできる自信がありませんので、確実に登頂できるメンバーたちに先行してもらうことにしましたが、結果としては3人が私と同行してくださり、4人ずつ2パーティに分かれての登山となりました。

 歩き始めは真夜中の3時過ぎ、とはいえ夏至に近い頃とあって、この極北の地は白夜を思わせる明るさです。夜は午後8時半まで明るく、午前3時過ぎの歩行開始時も灯りはまったく不要でした。

 写真は8合目、正面に見えているのが利尻山の頂上で、標高差はあと500m。つまり、ここまでで約1000mの標高差を登ってきたことになります。緑色に見えるのは潅木帯で、主役は矮性のミズナラ、ダケカンバ、そしてハイマツなどです。山麓の方、樹林帯の主役はエゾマツとトドマツでした。

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 オオバナノエンレイソウ。本州の高山で見かけるエンレイソウに比べ、葉が小さい割に、花が非常に大きくよく目立ちます。そうそう、すでに花期は終わっていましたが、利尻島は登山道脇だけでなく平地も含め、ザゼンソウを多く見かけました。

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 頂上に到達です。時間は10時半、7時間あまりの登高でしたがコジローもみなさんの協力のおかげで、また持参したパルスオキシメーターで血中酸素濃度測り、携帯ボンベで酸素を吸入して心肺をなだめつつ、なんとか登頂することができました。特に9合目から上はガレガレの斜面で足を踏み出すたびに崩れて非常に登りにくい上に強風が吹きつけ、なかなか手ごわかったです。

 気候が厳しいこともあり、また低丘陵地に内地の森林限界状のお花畑が広がっていた礼文島の印象から、利尻山でも森林限界はすぐに抜けるものと思い込んでいたのですが、予想に反して頂上直下まで潅木帯は続いており、おかげで強風を避けることができました。これが丸裸の山だったら、登山は随分厳しいものになると思います。

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 下山開始。風が避けられる潅木帯に入ってホッと息をつき、振り返ると、利尻山を超えてゆく雲が滝のように斜面を流れ下っていました。

 登山口に戻り付いたのは15時35分。早朝の出発から12時間あまりのハイキングでした。先行した健脚パーティは我ら鈍足パーティより3時間近く早い13時55分の下山。先にテントに帰って食事の用意をしてくれていました。やれやれ、ともあれ最高の天候にも恵まれ、コジロー含め全員が無事登頂できて予想以上の成果でした。

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 翌日、5日目の22日は利尻山登山の予備日でしたが、前日に登山は済ませましたので、利尻島を一周し、利尻名物の美味に舌鼓を打ちながら観光ポイントを一応もれなくチェックしました。天候はしっかり雨。前日、晴れてくれて本当に良かったです。

 その後、フェリーで稚内港に戻り、日本最北端の宗谷岬に立ち寄ってから居酒屋で打ち上げを盛大に催して幕営。23日、ノシャップ岬からオロロン街道をひたすら南下し、再びサロベツ原野に立ち寄ってから新千歳空港へ。写真はその道中で通過した砂浜から望む利尻です。本当に見れば見るほど美しい。あの頂点にこの身体でも立つことができたのだと繰り返し熱く思いつつ、和歌山への帰路を急いだのでした。素晴らしい山行を共にしてくださった7人の仲間たちに、心から感謝したいと思います。



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 前回にこのブログを更新してから、早くも1カ月以上もたってしまいました。この間、あちこち新緑の森をウロウロと徘徊して、書くネタは写真も含めどっさりあったのですが、ウロウロしすぎたのと仕事がまた忙しくなったのとでまったく時間が取れず、そのうちにせっかくのネタも次々に古くなって賞味期限が切れ、更新できずに来てしまいました。 毎日とはいかずとも、頻繁に更新しているブロガー、本当に大したものだと思います。

 さて、前回のブログで取り上げた大阪都構想、その是非を問う住民投票は僅差で反対派が勝ち、橋下さんは政界からの引退を表明しました。まあ、とりあえずは良かったと思いますけれど、橋下さんが知事になって以来の7年、大阪府市民はその思い付きのパフォーマンスに振り回されて貴重な時間を失いました。これ以上それが続かなかったことは不幸中の幸いというべきですが、成熟しない民主主義はときとしてこのような失敗をしてしまうのですね。今の安倍政権ももちろんしかりです。

 そんな生臭い話はまた別の機会にするとして、とりかくブログを更新するために、コジローが所属する紀峰山の会の機関誌に書いた巻末コラムを以下に転載します。 梅雨時の森で登山者を歓待してくれるアジサイの仲間に思いをはせてみました。




       植物百話 5
                          アジサイ

 岩登りや沢登りで雨は困るが、ハイキングなら雨の山もまた良しでなんら不都合はない。紀峰では最近、ハイキングでも雨で中止にする例が増えているようだが、よほどの大雨や台風ならともかく、多少の雨で山行を中止にするのはなんとももったいない、と、古い山屋は思う。爽快な展望は期せないが、雨なればこそ一層生命の輝きを増す森の宇宙に深く浸(ひた)れる貴重な機会を、なぜあたら手放してしまうのだろう。山岳自然に深く触れたいと望むなら、雨をも親しい友とするにしくはない。

 そんな雨にけぶる梅雨どきの森を歩むとき、みずみずしく花をつけて登山者を迎えてくれるのが、アジサイの仲間たちだ。

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 ガクアジサイ きみどりさんのWebsiteからお借りしました

 街で見かけるアジサイは園芸品種で、その原種はガクアジサイだろうと言われている。そのガクアジサイを含めアジサイの仲間で花びらに見える部分は実は「がく」で一般に生殖機能を持たず、「装飾花」と呼ばれている。ガクアジサイでは3~5弁の白い装飾花がそれこそ絵画の「額」のように周りを取り囲むなか、雄しべ雌しべを備え生殖機能がある「両性花」の小さな花が多数密集して咲いているが、園芸品種では両性花は退化して装飾花だけになっているものが多い。

 山で装飾花が目立つ樹種としては、アジサイの仲間のほかにはムシカリ(=オオカメノキ)やヤブデマリなどガマズミの仲間や一部のウツギ類などがある。いずれも山霧がしっとりと漂うような情景に清楚な花が映えて美しいが、この繁殖に関係のない装飾花が生まれた意味をどうとらえれば良いのだろう。

 すべての生命に共通する関心事は、少しでも多く子孫を残すため繁殖を有利に進めることだ。そうした観点からいえば、繁殖に役立たない装飾花を付けることは植物にとりエネルギーや資源の無駄遣いに思えるが、受粉を媒介する昆虫はまず装飾花にやってくるという。つまり、目立つ装飾花は昆虫を呼び寄せる標識として役立っており、その分、繁殖を担う両性花は虫を呼ぶための仕掛けを省き、作りを極限まで小さくしてたくさんの花をつけることができる。またその花の小ささのおかげで、昆虫が一度這い回るうちに多くの花が一斉に受粉することもできるらしい。かくしてトータルでみれば、無駄なように見える装飾花は植物の繁殖戦略のソロバン勘定に十分合っているというわけだ。

 アジサイはその学名をめぐる逸話でも知られる。幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放されたドイツ人医師シーボルトは有能な博物学者でもあって、帰国後に日本で魅せられたアジサイをヨーロッパに紹介。一女をもうけた事実上の妻「お滝さん」への想いを込め「otakusa」と命名したという。学名はすでに登録されていたためその名は残らなかったが、日本ではアジサイをそう呼ぶとシーボルトが説明したとの話もあり、彼がお滝さんにどれほどこだわっていたか、本当のところ定かではない。しかし、濡れそぼりつつ凛と咲くアジサイに当時20代の若者が、再びまみえることの許されぬ女性への尽きぬ想いを託したという解釈の方が、涙雨の情景に似合うことはたしかだ。

 雨具をまとって歩くのは少々面倒だが、雨なればこそしめやかに去来する思念もある。この季節、ガクアジサイやツルアジサイの花に、生命の不思議や幕末の悲恋に思いをはせつつ山中を彷徨するのも悪くないと思うが、いかがだろうか。