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 昨日、歴史的な…という割には盛り上がりに欠ける気もするが、参議院選挙がスタートした。焦点はなんといっても自公プラス大阪維新ら補完勢力からなる改憲派が、衆院に続き参院でも3分の2以上を占めることを国民が許すかどうかだ。「息を吐くようにウソをつく」安倍は、例によって争点は経済などととぼけているが、国民が嫌う改憲など一言も言わずに選挙をやり過ごし、それで勝てれば改憲発議に突っ走ることは目に見えている。政治に携わる者としての誠実さなどかけらもない、本当にどこまで腐った奴なんだろう。

 と、選挙の話はもちろん大事なのだが、今回はスポーツの話題。ロシアは陸上競技に続き重量挙げでも国としてリオ五輪に出場できない見通しとなった。周知のとおり陸上と同じくドーピング違反が発覚したからで、重量挙げについてはロシアだけでなくカザフスタン、ベラルーシ、それにブルガリアも同じ理由でリオ五輪から締め出されている。ロシアでは「99%の選手が行っている」との証言もあり、国を挙げてドーピングに手を染めていた疑いが濃厚だ。薬物汚染は広く浸透し闇は深い。

 さて、リオ五輪締め出しというと、少し前の事件だが、メダルが期待された日本のバドミントン選手が賭博関与を理由に処分された件を思い出す。世界ランキング2位まで登りつめていた桃田賢斗選手(21歳)と、その先輩で日本選手権6連覇の実績を持つ田児賢一選手(26歳)の二人は、共に東京・錦糸町の闇カジノに通っていたことが発覚し、バドミントン協会から桃田選手は無期限の競技会出場停止処分、田児選手は無期限の登録抹消つまり事実上の永久追放処分を受けた。この結果、二人ともリオ五輪への出場は不可能になったわけだ。

 まあ、裏社会の勢力が絡む賭場に出入りしていたわけだから、とりあえずのところ、このような処分も致し方ないか、とは思う。しかし、釈然としないのだ。競輪、競馬、競艇にパチンコ、パチスロ、さらに宝くじやロトからサッカーくじに至るまで日本はまさにギャンブル天国であって、2009年に厚労省の助成を受けた研究班が調査したところでは、日本の成人男性の9.6%、同じく女性の1.6%、全体平均で5.6%にギャンブル依存症のリスクがあった。これは同様の調査によるアメリカの0.6%、カナダケベック州の0.25%などと比較し、一桁以上高い水準であり、同年の成人人口(国勢調査推計)から計算すれば、男性は483万人、女性は76万人、合わせて559万人がギャンブル依存症のリスクを持っていることになる。

 正確な統計はおそらくないと思うが、実際に調べてみれば日本が世界一のギャンブル大国にランキングされる可能性は小さくない。そのおかげでパチンコに熱中して車中に放置した幼児が熱中症で死ぬなどこの国では普通のニュースだし、ギャンブルで家計が破たんして家族が路頭に迷ったり自殺に追い込まれたりするなど珍しくもない。(パチンコのような公然博打が隔離されることもなく生活圏で合法的に営業しているなんて日本くらいじゃないだろうか)。そんな目が血走ったギャンブル病人がゾロゾロ横行する国で、さらに公営カジノを設置しようなんて、狂気としか思えない政策が政権与党を中心に堂々とまかり通るのがこの国なのだ。

 そこで考えるのだが、仮に桃田選手らが競馬やパチンコに熱中して大金を蕩尽していたらどうだったろう。ん~、いや、考えるまでもないな、協会の処分もなければ、リオ五輪からの締め出しも絶対になかったはずだ。もちろんマスコミの攻撃もない。では、同じギャンブルに関与したのに、いったい何が違うのか。答えははっきりしている。胴元が違うのだ。競輪、競馬、競艇、それにくじ類の胴元は実質的には国か地方自治体等であり、パチンコ、パチスロは民間だが周知のとおりバックには警察権力がピッタリ張り付いている。つまり、お上が胴元ないし国家権力公認なら博打で破産しようが気が狂おうが死のうが、社会的には何の問題にもなりはしない。

 んな国で、たまたまお上公認でない賭博に手を染めたからと言って、このギャンブル天国のマスコミだの政治家だの協会のオッサンだのが居丈高に二人の若者を叩きまくる図には心底げっそりさせられた。ええ? お前ら、そんなエラソーなことが言えた立場か? これよりしばらく前には、プロ野球での賭け事の横行がやり玉に挙がった。巨人のように試合結果を賭けネタにしていたのは八百長に直結する行為だから、これはもちろん厳重に処罰しなければならない。しかし、その余波で複数球団が、試合前の景気づけに軽いノリでやっていた声出し担当選手への報償金の賭けなど、まあ決して感心はしないし止めたほうが良いとは思うのだけれど、あれほど目くじらを立てて騒ぐようなことか。

 聖書のヨハネによる福音書に「汝らのうち、罪なき者まず石をなげうて」というイエスの有名な言葉がある。あるとき、イエスと対立するパリサイ人や律法学者らが不倫を犯した女を引き立て、「(イエスが信奉する)モーセの律法に従ってこの女を石で撃ち殺さねばならない」と言うのに対し、イエスがこの言葉を返したというのだ。そして、誰一人として石を投げることができた者はいなかった。本件のテーマに即していえば、「汝らのうち、競馬もパチンコも賭けマージャンもしたことがなく、宝くじも買ったことがないもの、まず石を投げうて」ということだ。コジローは競輪競馬はもちろんパチンコすらしたことはないが、宝くじは何度か買っているので石を投げる資格はないと思う。

 永久追放された田児選手は、バトミントンが国技であるマレーシアで、これまでの経歴を生かせる新たな生き方を模索しているらしい。一方、桃田選手も国内での練習を再開したそうだ。彼らのこれからの生き方はもちろん自由だが、もしコジローの希望を言わせてもらえば桃田選手も、それまでの手放しの評価から手のひらを返したように無分別なバッシングに殺到するこんな国などさっさと飛び出して、どこか別の国で次の五輪(あえて「東京」とは言わない)なり世界選手権なりを目指してみてはどうだろう。そこで日本代表をコテンパンにやっつければ、自分のことは棚上げして若者たちの小さなミスにひたすら厳しいこの国の厚かましい面々にも、少しは薬になるのではないかと思うのだが。




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 またいやなものを見せられた。
 昨日朝、舛添要一東京都知事が辞意を表明。これで、これまで氏の「みみっちい」金の使途を巡り繰り広げられていた狂騒は一段落、メディアは次の都知事候補に目される顔ぶれをあげて、またぞろお祭り騒ぎの準備に怠りない。

 で、その映像では都民がインタビューに答えて小池某だの蓮舫某だの果てはアイドルのオヤジ殿だの橋下某だの、喜々として挙げているのだから呆れ果てる。もちろん編集する側の意図が働いて作られた映像に違いないのだけれど、過去の選挙結果や繰り返し安倍の支持率にびっくりさせられる世論調査の結果等に照らして、まあ、これがいわゆる我が主権者たちの平均像とそう遠くないことは認めざるを得ない。

 舛添氏の体たらくはお粗末の限りで弁解の余地はないし、辞任もやむなしとは思うがしかし、ここに至るまでの国を挙げての連日のバッシングぶりはどうだ。あえて「たかが」と言わせてもらうが、舛添問題とは要するに政治資金で趣味の絵画を買ったとか漫画本の「クレヨンしんちゃん」を買ったとか、別荘に公用車で行ったとか、正月に家族連れで泊まったスパランドで会議をしたとかしないとか、もちろん放置はできない腐敗ではあるものの、それで首都の政治経済福祉等に何か大問題が起きたというものでもない。まして、日本国レベルで何か不都合が起きるものではない。え?、リオ・オリンピック? んなもの、ブラジルでは一言も報道されちゃいないそうだ。五輪旗の受け取りなんて、誰が行ったっていいんだよ。(コジローは「ウソと汚いカネにまみれた東京オリンピックは返上」が正道と思うが、それはここでは置く)

 都知事の無駄遣いや腐敗といえば、あのアナクロ石頭じゃなかったアナクロ石原の方がはるかにひどかったという。石原は都庁に出勤することすらめったになくヘイト発言で老害をまき散らすばかりだったのだ。といった次第でその性根の悪さの程度で言えば、舛添などハダシで逃げ出すほどなのだが、メディアも都民も石原を叩くことなど一切なかった。要するに、相手次第なのだ。どこからかサインが出るのか、それとも空気を読んでの自然発生なのかはよくわからないが、叩いても許されるとなれば一気に多数を頼んでとことん徹底的なバッシングの嵐になる。で、これに都民も国民も大喜びで追随してお祭り騒ぎになるのだ。このメディアと国民とが共鳴しあっての付和雷同ほど不気味で恐ろしいものはない。冒頭に「またいやなものを見せられた」と書いたのは、この国に暮らす普通の人々の間に根強くはびこる軽薄さと一種の狂気をまたもまざまざと再確認させられたからだ。   

 今更いわずもがなかもしれないが、政治とカネの問題なら、甘利明経産大臣TPP担当相やその秘書が業者からUR(都市再生機構)の道路用地買収の補償問題で「口利き」を依頼され、金品を受け取った疑惑の方がはるかに重大だ。こちらは、「クレヨンしんちゃん」どうこうなどという牧歌的な話ではなく、それによって特定業者が得る利益の一部を還元させる代償に、大臣ないしは有力政治家の立場を利用して国家行政をゆがめたという問題なのだ。こんな手合いを無傷で放置しておいて民主政治が機能するはずはない。

 その甘利は野党の追及に耐え切れなくなって今年1月末に大臣を辞したのち、2月16日に「睡眠障害で一カ月の自宅療養が必要」というなんともうらやましくも都合のいい診断書を提出して逃亡、一カ月過ぎると「さらに2カ月自宅療養」の好都合診断書を再び出して隠れ、その2カ月たった5月16日以降は診断書なしの「ずる休み」を続け、6月1日、野党が疑惑を追及できる国会が閉会したのを見届けて同月6日、突如復帰宣言をして政界に戻ってきたのだ。

 検察はあっせん利得処罰法での立件を見送ったが(これ自体おかしい、まもなく始まる検察審査会での審査に注目だ)、政治的道義的責任はまぬかれない。だが、国会閉会中も開催可能な政治倫理審査会は25委員中18人を自公が占めており、よほど世論が盛り上がらなければ開催される見込みはないが、メディアは一言も報じない。ついでにいえば、政倫審は疑惑をもたれた政治家が自らの潔白を証明するために開催を求めることもできるのだが、甘利がそんなことやるはずはないだろう。

 一方、舛添の方も、問題は結局うやむやのままで真相は依然闇の中(例えば正月に会議をした出版社社長とは誰か)なのだが、これを解明するうえで議会の宝刀となるべき百条委員会設置の提案は自公の反対で葬り去られた。だが、メディアはこうした事実もほとんど伝えない。では、これまであれほど追及してきたマスゾエ疑惑報道とは一体何だったのだ。付和雷同世論と一緒になって首さえ取れれば、それで祭りは終わりなのか。

 コジロー同様、今回の舛添騒動を冷めた目で見ている人も少なくはないと思う。舛添を推した「製造者責任」に頬かむりする自公に対し、参院一人区同様、市民主導で統一候補を模索する動きもある。まもなく参院選挙、そしてまたぞろ都知事選。それがこの国の正気と狂気の程度を図る指標となりそうな気がする。 



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