また時間が無為に経過。というか、この間、またも結構長期間入院することになり、おかげでまあ、時間は有り余るほどあったのですけれど、文章をつづるような気分にはなかなか・・・  入院するくらいですから病状はあまり思わしくはないのですが、生来ほんと気楽な性分ですので、別に落ち込んでいるわけではありません。 でもねえ、文章を書くってそれなりに気力が充実していないと難しいんですよねえ。 というわけで、とりあえずはまた植物の話。 以下、 『紀峰の仲間』に連載中のコラムです。


植物百話 9

    「山眠る」季節の椿と山茶花

 歳時記に冬山を評して「山眠る」という季語が収められています。中国北宋時代(11世紀)の山水画家「郭熙(かくき)」の息子「郭思(かくし)」が、偉大な父の理論や言葉をまとめた画論集『林泉高致集』にある「冬山惨淡として眠るがごとく」が、この季語の起源といわれています。さて、ここで「惨淡」は日本語ではまず使わない言葉ですが、「薄暗い」とか「うら寂しい」といったニュアンスの漢語。しかし、まぶしく輝く白銀の山稜にも風雪が荒れ狂う尾根にも、さらには葉をすっかり落としてやたら明るくなった低山にも、「眠る」なんてイメージは全くありません。

 中国の冬山、雪こそ日本の豪雪地に比べれば少ないでしょうが、その姿が日本とそう違うようにも思えません。郭煕は先の画論集の「山水訓」の項で「自然を理解する最良の方法」について述べ、「自らこの山に遊んで観察すること、そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」としており、実際、自身山中に良く遊び、山や自然の姿やその摂理に深く通じていたと伝えられています。まあ、我らと同じ部類の山好きだったのでしょう。してみると、その山に詳しい郭熙があえて「山眠る」の言葉で表現し主張したかったのは冬山そのものの有様というよりは、冬山を筆で水墨の世界に再現して描くメソッドというか定石や心得といったものだったのではないでしょうか。

 私たち山屋が「山眠る」の言葉で思い浮かべるのは冬山自体ではなくむしろ、冬の山における生命の営みの静けさでしょう。冬山では多くの動物が姿を隠して冬眠し、植物は雪に埋まるか多くは葉を落とし、また常緑樹でさえも光合成を止めて、ほとんどの植物はまさに休眠しています。いずれも、厳しい寒気や乾燥への生命体として懸命の適応であり、その適応がやがて歓喜の春に繋がってゆくのですが、それまでを沈黙のうちに耐えしのぶ姿はまさに「眠る」の表現がぴったりです。

 さて、そんな生命感に乏しいこの時期、紀州など雪のない低山で鮮やかに開花して生命を主張するのが椿(正確にはヤブツバキ)ですが、このツバキを山茶花(サザンカ)と識別するのはなかなか難しい。いずれもツバキ科ツバキ属で赤い花も葉もそっくりです。ちなみに学名はツバキが「Camellia japonica」でサザンカが「Camellia sasanqua」。「Camellia」はツバキともサザンカとも訳されますので、直訳すれば前者が「日本のツバキ」、後者は「サザンカのツバキ」又は「サザンカのサザンカ」って訳のわからないことに。まあ、学名にも互いがそっくり似ていることが反映しているのでしょう。

 ごく常識的な話をすれば、サザンカが咲くのは10月から2月、一方ツバキは12月から4月ですので、10月から11月に見るのはサザンカ、3月以降に見るのはツバキと判定して良さそうですが、両者がダブる12月から2月は何らかの方法で識別する必要がありますし、カンツバキといって真冬に咲くツバキもあれば春に咲くサザンカの品種も出回
っていますから、開花時期だけで最終判定はできそうにありません。その園芸品種、サザンカでざっと300種、ツバキはなんと6000種に及ぶといいますから驚きです。

 とはいえ、よく似た花もよく観察すれば違いがあります。ひとつは雄しべのつき方で、ツバキの雄しべが根元で合着しているのに対し、サザンカのそれは分離しています。もっと詳しく調べるとツバキの子房は無毛ですが、サザンカの子房には毛が生えていることがわかります。従って子房が成熟してできる実も同様、ツバキは無毛でサザンカには毛が生えています。またツバキは花がひとまとめにボトッと落ちるのに対しサザンカは花びらが一枚一枚散ってゆきます。ですから、花さえ落ちていれば識別は簡単です。

 さらに次の手段として葉に注目。ツバキの葉はサザンカより一回り大きく、肉厚で光沢があります。ツバキの語源は「厚葉木」(アツバキ)とか「艶葉木」(ツヤバキ)いわれるほどです。またサザンカの葉は鋸歯(葉の周りのギザギザ)が鋭く、葉の付け根や若枝には毛が密生しています。さらに太陽にかざしてみると、ツバキの葉脈が黒く見えるのに対しサザンカは白く見えます。花より葉のほうが識別は容易かもしれませんね。ついでながらサザンカの語源は、中国で山で生える茶の木を意味した山茶花をサンサカと読むべきところ、次第に「ン」と後の「サ」が倒置して発音されていった結果だそうです。

 そして最後の識別ポイントが匂い。サザンカの花の香りは甘く強烈ですが、ツバキの花はほとんど匂いません。さて、なぜでしょうか。サザンカの咲く時期、昆虫はまだ活動していて、足早に迫る厳しい季節を前に越冬準備に余念がありません。多くの花が受粉を終えて競争相手が減った森で、遅れて咲くサザンカはそうした昆虫に真っ赤な花と芳香を放ち、花粉を媒介してくれる昆虫たちを呼び寄せているのです。

 しかしツバキが咲く頃にはもう、受粉を任せられるほど昆虫はいません。そこでツバキは昆虫を頼りにすることをやめ、花粉の媒介を冬鳥に頼ることにしたのです。鳥類にも嗅覚はありますが、しかし何と言っても鳥類の最有力の感覚器官は視力です。例えば猛禽類の視力ですが、東京から富士山を見れば山小屋まで識別できるほどとか。彼らはこの驚異的な視力を武器に遥か上空から地上の小さな獲物を発見しているのです。となれば、真紅の色で花があることを示せば十分、重ねて匂いまでサービスする必要はないというのがツバキの考え方なのですね。その代わりツバキは、昆虫より重い鳥が留まっても壊れないよう、根元でしっかり合着した大きな花をつけるのでしょう。
 
 全部が全部というわけでもありませんが、生物の生き方や姿にはだいたい、そうなるだけの理由があります。サザンカが他の花が絶えた時期に開花するのもツバキが匂いのない花をつけるのも、長い進化の過程で獲得した独特の生存戦略であり、それが有効であったればこそ両者は今日の繁栄に至ることができたのです。そう思って見直してみると、身近な周囲の自然にも多くの驚異が潜んでいることを発見できるはず、そんな不思議の宝庫である山を、ただ一心不乱に登るだけではもったいないとは思いませんか?



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