3月27日朝、那須温泉ファミリースキー場のゲレンデ付近の斜面で、栃木県高校体育連盟主催の春山登山講習でラッセル訓練中の高校生や指導教員が雪崩に巻き込まれ、28日午前時点で8人が死亡、40人が重軽傷を負う大遭難事故が発生した。

 山での遭難事件をウオッチングし続けている者として、雪山で公的機関が行う教育訓練で発生した死亡事故というと、指導教員一人が死亡した1983年の北アルプス五竜遠見尾根での雪崩事故、受講していた大学生二人が死亡した2000年の北アルプス大日岳での雪庇崩落事故をすぐに思い出す。いずれも雪の状態を読み誤ったことが遭難につながったが、今回も同じ轍を踏んだ可能性が高い。

 事故現場に近い観測点では27日1時から9時までに33cmの積雪を記録、また生還した高校生はスキー場に設置したベースキャンプで50cmほどの積雪があったと話しており、季節はずれの大雪が降ったことは間違いない。全国的に一週間ほど前から春を思わせる暖かい日が続いていたが、三日前から冬に逆戻りしたような低温となった中での大雪だった。

 こんな気象条件のときに山にいて想像するのは、気温上昇で表面が溶けた雪の斜面が再び凍るいやらしい雪質だ。積雪の深さ、斜面の向きや斜度などで状態は千差万別だが、おおむねカチカチのアイスバーンか表面だけ凍って中はフワフワに柔らかいいわゆる「モナカ雪」となる。いずれも春山の歓喜のイベントである山スキーには嬉しくない雪で警戒心が高まるが、さらにこれに新しい雪が大量に積もるとなると、心中には表層雪崩の怖さがむくむくと頭をもたげてくる。

 弱層テストといって、雪中に表層雪崩が起きる滑り面の有無を確かめる技術があるのだが、今回のような気象条件であれば、斜面に入る前にその弱層テストを欠かすことは絶対にないだろう。また、弱層テストを行うまでもなく、50cmもの大量の降雪があったとなれば、新しい雪が斜面に落ち着くまでは動かないのが冬山の常識だ。今回、このラッセル訓練では8人の教員が指導に当たっており、冬山のベテランも含まれていたという。なのに、こうした冬山の常識がなぜ顧みられなかったのだろう。

 あくまで現時点での私見だが、「ゲレンデに近い」ということが指導者たちの判断を誤らせた原因ではないか。指導者たちは、当日、本来なら予定していた那須岳への登山は賢明にも中止している。2泊3日の訓練の最終日のことだ。それまでの訓練の内容は現時点で知る由もないが、常識的に考えて恐らくアイゼン歩行やピッケルの使用法、滑落停止法の反復練習や、雪中での幕営方法、生活技術などが教示されたことだろう。那須岳への登山はそうした訓練の仕上げとなるメインイベントだったはずだ。

 それがなくなったとき、もちろんすぐに撤収して帰る選択肢もあったわけだが、リーダーは教育者であるがゆえに余った時間を生徒たちの今後のために活かそうと考えたに違いない。深雪の中に進路を拓くラッセルは冬山技術の中でも最も体力を消耗する辛い作業だが、一面、全身雪まみれになって童心に帰るような楽しさもある。せっかくの春山登山講習、メインイベントであった苦しい登高の末の那須岳登頂の喜びに代えて、苦しくも楽しいラッセルを体験させようとした指導者たちの考え方は理解できる。

 また、那須岳登頂が天候等の都合で中止となる可能性は元々かなり高いわけだから、その場合のエスケーププランとしてラッセル訓練が最初から組み込まれていたこともありそうなことだ。というか、登山計画を立てる常識から言えば当初の行動計画が不能となった際の選択肢を予め決めておくことは必須であるから、当然そうなっていなければならない。この春山登山講習は10年以上の実績があるというから、過去にも那須岳登山に代えてラッセル訓練を行ったケースがあったかもしれない。だとすれば、それも今回の遭難事故の伏線になった可能性がある。

 雪崩が起きた斜面の状況はよくわからないが、映像と地理院地図で確認できる範囲ではスキー場はすり鉢状のなだらかな谷にあって、雪崩が起きた現場はゲレンデ下部から見上げて左側(南側)奥の斜面の疎林。映像ではさらに上は木立が薄く開けているように見える。地図ではゲレンデから奥(東)には水平距離100mで標高差100mになる40度超の急峻な斜面が立ち上がっているから、映像で木立が薄く見えていたのがこの急斜面かも知れない。もちろん、この斜度であれば雪崩が起きることに何の不思議もない。ここで発生した雪崩が下部の疎林にいた高校生らを呑み込んだのだろうか。

 いずれにせよ、現場はレジャー施設であるゲレンデに隣接する、どこにでもあるたいして傾斜のない斜面だ。その斜面自体は雪崩が起きるような場所ではないし、その証拠に成木も生えている。そうした訓練場所への安易な認識が、雪崩への警戒心を緩ませてしまったのではなかったか。さらに、過去、同じ場所でラッセル訓練をしていたとすれば、その慣れから雪崩についてのあらためてのリスク評価もなおざりにされたかもしれない。自然の脅威はそうしたベテラン指導者たちの心の隙を突いたのではないか。

 幕営での寝泊りを含む訓練を指導する教員らには頭が下がる。生徒たちをたくましく育てたい熱意なしには成し得ない、単に山が好きなだけでは務まらない仕事だ。それだけに業務上過失致死傷に問われざるを得ない今回のような事故が残念でならない。本来、決してあってはならない事故だった。だがだからといって今回の指導教員らの判断ミスだけに責任を被せるのも違うと思う。少なくとも公的機関が教育として行う山岳訓練の指導者については、その実力を高めるよう援助するとともに客観的にその力量を評価するシステムが必要ではないか。過去に起きた雪山訓練中の事故ともあわせ、そのことがあらためて問われなければならない。山好きな教師の善意だけに任せる現状のままでは、再びこうした事故が起きることを防げない。文科省と高体連は、およそ登山文化とは無縁な「山岳競技」などという愚にもつかないことにいつまでも執着するのではなく、登山指導者の養成システムをこそ整備すべきなのだ。               (合掌)


 山の話題関連ということで、今回の一枚は「秋の八ヶ岳」(コットマンF4)。東方から望んだ姿で中央が赤岳になります。



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 森友学園問題では主役の籠池氏が国会の証人喚問に立ち、同学園が建設を意図した小学校の土地取得をめぐり、安倍晋三夫妻が関わっていた疑いはますます濃厚になった。昭恵夫人はフェイスブックで否定しているが、であれば何のリスクも負わないフェイスブックなどでなく、自ら籠池氏と同じ証言台に立って正面から対決すべきであろう。

 だいたい、このフェイスブックの文章自体、同夫人の文章とは到底思えない官僚作文で、肝心なところはすべて「記憶にない」として、100万円の寄付も10万円の講演料も「なかった」ときっぱり否定することを巧みに回避していて、反論にもなっていない。というか、きっぱり否定できないのが本当のところなのであろう、関与は明らかだ。安倍はこの問題が浮上した当初、「関与していれば総理大臣も議員も辞める」と明言した。世論を舐めきっていたのであろうが綸言汗の如しである。寄付も講演料も違法ではないが、自らそう発言した限りは辞めるしかない。これ以上、見苦しく醜態を晒すのはやめにしてもらいたい。

 このスキャンダルが従来と異なるのは、この土地取引を巡る一連の格別な便宜供与について、贈収賄といった経済的動機が見当たらないことだ。教育勅語を素読させたり中国韓国を見下したりといった戦前の天皇制軍国主義の価値観を、小学校の公教育を通じて子どもたちに植え付けようという、戦後のこの国の歩みを全否定するような極右的な動きがあり、これを首相夫妻や自民党、維新の党、それに公明党まで加わる国会の多数派が支持するというグロテスクな現実があって、官僚が保身と出世の思惑からこれに迎合し忖度、官僚用語で言えばうまく運ぶよう「知恵を出した」のが恐らくはこの事件の構図である。

 贈収賄の方がマシというのも気が引けるが、金も貰わないのに極右のイデオロギーを信奉する政治家や官僚が以心伝心で、こぞって正規のルールを曲げたり特別な便宜を図ったりする事態の方が、民主主義にとってははるかに脅威ではないか。ここまで不正が明らかになったこの事件で安倍晋三を首相の座から引きずり下ろすことができなければ、この国の民主主義はいよいよ最終的に崩壊の危機に直面することになるだろう。安倍らは幕引きを図るだろうが、籠池喚問は出発点に過ぎないのであって疑惑解明はこれからだ。野党には頑張ってもらいたい、圧倒的な世論は味方なのだから。


 と、前置きのつもりがあまりに長くなってしまったが、ここでめげずに明治維新の続きだ。 前回、明治維新国家はその生成期にあたり、資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたとし、この二者つまりは臣と民との関係は本質的に敵対的であたが、その敵対的矛盾は超絶的地位に君臨する天皇とこれへの絶対的帰依を要求する国教としての国家神道によって隠蔽されていたと述べた。

 明治維新は本質的にはクーデターであり、それは要するにまた薩長を始めとする雄藩連合と江戸幕府に御三家や会津など東北の諸藩との軍事衝突であった。当初は世界の情勢から開国やむなしとしてこれを受け入れる幕府側と、長州藩など時代錯誤な尊皇攘夷派との間での国策をめぐる政治的争点もあったのだったが、攘夷などという非現実的な主張は事態の推移とともにさすがに廃れた。となると残る争点は単に幕府か天皇か、どちらを選ぶかという支配者の選択のみになる。

 といっても、幕府の方は確かに徳川将軍を頂点とする政治機構であり軍事組織であったが、かたや天皇は単に担ぎ出された神輿であったに過ぎず、その実質は薩長雄藩の軍事連合であった。明治維新のとき、天皇はまだ15歳の少年だった。その年齢もさりながら、天皇家が真に政治権力を有したのは奈良平安朝の大昔から「建武の中興」くらいまでのことで、徳川の時代はもちろん、その前の戦国時代、さらに足利時代まで遡っても政治的支配者の地位にあったことはない。たとえば豊臣秀吉にせよ織田信長にせよ、さらには足利の歴代将軍にせよ、利用価値があると功利的に判断して存続を許しただけのことであり、その気になれば天皇の血筋を絶つことなどたやすいことだった。そうした意味で「万世一系」など偶然の産物に過ぎず自慢するに値しないのであって、実際、明治維新当時はそれこそ京都に逼塞する弱小封建領主に過ぎないのが実情だった。

 ただ、戦の旗印として担いだ側には、吉田松陰ら尊皇攘夷時代の思想的リーダーたちが普及した儒教思想の影響もあって、天皇を神聖視する空気が強まっていったのは当然のことだ。だがそれは、生身の政治的実力を有する現実態としての天皇ではなく、あくまで中国古代の尭舜に擬した理念態としての天皇であった。薩長側にしてみれば、要するに担ぎやすい神輿であってくれさえすればよかったのである。

 幕府を打倒し、さらに戊辰戦争に勝利して成立した明治維新政府は、形式の上では天皇を絶対君主として戴きながら、維新戦争で功績があってそのまま政府の高官に横滑りした元武士たちが実質的に全権力を握る。しかし、こうした高官の中には突然手に入れた地位に酔って私腹を肥やす者もあったし、また情実により政務を動かす者もあって、とても清廉とは評し難かったようである。また、廃藩置県や地租改正など、主として資本主義経済の確立のために行われた措置によりそれまでの特権のみならず生活の糧まで奪われた旧武士層、重税を掛けられた農民層らに不満が鬱積していった。要するに、明治維新政府が倒幕軍時代から掲げていた儒教的倫理は題目に過ぎないことが、事実によって明らかになったのである。鬱積した不満が爆発するのは時間の問題であった。(続く)




 さて、近況報告。免疫抑制剤の自分にとっての適量について一応目星がつきましたので、24日の金曜日に退院しました。ということで、この記事は自宅で書いています。今回は23日間の入院でした。その間に、遠藤周作の『沈黙』、ドストエフスキーの長編『悪霊』などの古典や、平野啓一郎のベストセラー『マチネの終わりに』などを読了、水彩F4(33.4cm×24.3cm)を12枚、F6(40.9cm×31.8cm)を2枚描きました。ほかにこのブログも6回ばかり更新しましたので、結構忙しかったです。

 で、その水彩画から一点、今回もモチーフはテキストからで「ブルターニュの農村」(F4)です。

170304 ブルターニュの農村 (2)サイズ







 世の耳目が安倍友じゃなかった森友学園問題に集中的に吸引される一方で、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が閣議決定、残業時間を制限するという看板でその実過労死ラインを超える残業を許容する労働基準法改定で政労使が合意(これに合意した連合は労働者の敵ではないか)、その他、それこそ安倍友の加計孝太郎氏がトップの加計学園が今治市にタダで土地を提供してもらうほか公金大盤振る舞いで獣医学部新設とか、その前に淡路島の南あわじ市では加計氏関連でこれまたタダで土地を手に入れすでに大学が開設されているとか、もう次から次へ息つく間もなくトンでもないことが続発してくると、もうなんというか、怒りも対応しきれなくなって慣れという一種の無気力状態に陥りそうになる。しかし、このような無茶苦茶に慣れて黙ってしまったら民主主義は終わりだ。民主主義というのはしんどいものである。ことに、安倍晋三なんてロクでもないやつが首相になっているようなとんでもない国では。

 さて、前回の続き、マックス・ヴェーバーが言うように、資本主義の精神とは要するに合理主義である。合理主義は個人に即していえば利己主義と言って差し支えない。ここで詳しく紹介する余裕はないが、例えば資本主義経済学の始祖アダム・スミスは大要、「資本主義的人間とは自分の利益を最大限にすることを行動の原理としており、そうした個々の利益を最大化しようとする行為の集積が「神の見えざる手」が働く市場の機能を通じ、結果として社会を豊かにしてゆく」と述べている。

 だが、個々による最大利益の追求は、他の個による同様の行為と衝突するケースが当然のことながら考えられる。これを調整するルールを成文化したのが法律だ。法律はその当事者たる社会の成員あるいはその代表者が自ら作り、警察や裁判処や監獄といった司法の強制力を持って社会の成員にその順守を強要する。これが近代的法治国家というものだ。

 大久保や伊藤ら欧米を詳しく視察して帰った岩倉使節団のメンバーは、さっそくこうした法治国家の建設に着手する。しかし、法律自体や司法の体制などは欧米の真似をすればできるが、それに従う資本主義的個人などというものがそう簡単には作れるわけではない。最大利益の追求という利己主義を行動原理とし法律に従って行動する個人など、当時のエリートはともかく、農山村で暮らしていた圧倒的多数の日本人には想像を絶する存在だった。彼らが暮らす小さな血縁地縁集団では、長い集落生存のための試行錯誤の結果たどり着いた不文律のルール、まず村全体の利益を優先しそのことが結果として個人の生存を保証するという理念に基づく「習俗のルール」が、違反者に対しての村八分という制裁を伴って維持されていた。

 「結い」といいあるいは「もやい」といい、村落共同体が日本社会の基本構造をなしていた当時に行われていた田植えや道普請の共同作業が今日、温かでうるわしい人間関係として評価され、しばしば市民運動や市民の共同の取り組みに「結い」などの呼称が持ち込まれていることはご存じのとおりである。それ自体はもちろん結構なことだと思うが、かつてこうした共同作業への参加は絶対的な強制であり、それに従わない者には厳しい制裁が加えられたことも記憶しておくべきであろうとは思う。

 逆に言えばこれら「習俗のルール」に従っている限り村落共同体の人間関係は基本的に平穏であり、衣食住もそれなりに充足して、豊かとはいえないまでも、鎮守の村祭りを頂点とする多くの年中行事イベントを楽しみ、それを通じて隣人らとの間に濃厚で親密な相互理解を構築し、破たんなく暮らしてゆけたのである。ただ、そこに個人の自己決定権はなかった。プライバシーもないに等しかった。明治以降の日本近代文学最大のテーマが、こうした社会や家に没却した個の発見や脱出であったことを思い起こせば、それが当時の日本人、特に自我に目覚めた知識人にとりどれほど切実な問題であったかが理解されるだろう。

 さて、日本に資本主義が成立するためには、その担い手である労働者がそうした村落共同体の紐帯つまり「習俗のルール」から離れ、日本資本主義の「一般ルール」である法律に従うようになってもらう必要がある。とはいえ例えば「習俗のルール」では個を主張することはタブーだったのだ、まして個人の利益を最大限にするよう行動するなど人の道に反する。当時の日本はすでに初等教育の普及で世界有数の地位にあったが、徳育の軸に置かれたのは儒教思想であり、これも「習俗のルール」と親和性が高かった。

 そこで採用されたのが、天皇を親とし国民をその子とする壮大な疑似家族の虚構だった。早い話、これが国家神道という新興宗教なのである。この新興宗教の本質は、これまで農民が従っていた習俗のルール、つまり村落の維持存続を最大の目的として個が全体の利益に奉仕することを軸とする行動倫理、これをその倫理観は維持したまま国レベルまで拡張することであった。最大目的たる「村落の維持存続」は国体護持に拡張されたわけだ。その国体は神の子孫である天皇が親として日本という巨大な共同体を治めるという虚構であり、天皇の子たる臣民はこの国体を護持するために個を捨てて命がけで奉仕することとなる。まさにいまはやりの教育勅語そのものだ。たしかにこれは、合理的な人間の創造とか個の自立などといった面倒を省けるばかりか、より体制に従順で利潤の最大化に便利な労働者を生み出すのに効果的な方法であった。 

 かくして明治以降の日本には、政府中枢を占める高級官僚らテクノクラートと実際に資本主義生産を行う大企業のリーダーや投資家、財閥関係者たち、つまり資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたのである。臣民と一口に言うが、臣と民は異星人ほども異なる価値観を持っていたわけだ。この両者の価値観はもちろん本質的に敵対的である。だがそうした敵対的矛盾は天皇への帰一を全国民共有の価値観として強制する国家神道によって隠蔽されていた。こうした臣と民との国民の二層分解。その始まりにあたり、民の立場から臣に異議を唱えて蜂起したのが西郷隆盛だったのである。

 
 今回も絵のモチーフは奥津さんのテキストから引用。タイトルは「鈍色(にびいろ)の空の下・サンマルタン運河余情」だそうです。用紙はコットマンF4


170319 鈍色の空の下・サンマルタン運河余情 (2)サイズ
  森友学園問題は、籠池オジサンが23日に国会に証人として呼ばれることになり、新たな展開を迎えそうだ。自公両党はこれまで頑なに籠池氏その他の参考人招致を拒んできたのだったが、安倍晋三から同学園に対し100万円の寄付があったことを同氏が暴露したことで一転、参考人どころか偽証罪も問える証人での喚問を提案するに至った。まあ、それはいいのだが、その理由「安倍首相が侮辱されたから」ってどうよって話だ。

 寄付という行為が侮辱という理屈はないだろう。出身の選挙区と関係ない団体への寄付など公選法にも違反しない、むしろ身銭を切って私学振興に貢献しようっていうのだから見上げた話ではないか(その滋賀区の教育内容は大問題だが)。では寄付したと暴露したことが侮辱なのか。それが事実であれば侮辱には当たらないし、事実でなければ否定すればいいだけのことで侮辱などという人格権に関わる問題ではない。要するに、思い通りに行かないことがよほど腹に据え兼ねたということなのだろう。加えて、だから国会に呼ぶという発想はいったいなんだ。安倍晋三の気に入らない発言をしたら、国会に呼んでとっちめてやるって言ってるに等しい。安倍はそんなに偉いのか。専制君主のつもりなのか。

 そんな前近代的な発想と教育勅語の親和性が高いのもむべなるかなではある。そうした専制君主にひたすら拝跪する陣笠どもが国会の圧倒的多数を占めている現状、一般社会でも安倍晋三が後ろ盾だと示せば公有地が格安で手に入る官民の忖度、それが森友学園問題の本質であり、日本の最も病んだ部分ではないのか。だれかが「安倍晋三は裸だ」と叫んで社会の目を覚まさせなければならない。

 で、この病める現在社会の空気のよって来たるところを自分なりに考えてみようというのがこの「POST TRUTHの時代」シリーズなのであるからして、寄り道はほどほどにして本題に入ろう。

 さて、現代社会学の始祖マックス・ヴェーバーの代表的な著作に『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』がある。社会学や政治学を学ぶなら真っ先に読む古典で、ヴェーバーはこの著作の中でなぜプロテスタント(それも主としてカルヴァン派)の思考法がなぜ資本主義の発展に寄与したかを論じている。書かれたのは20世紀初頭だからすでに資本主義は発展の途上にあって後づけの理屈に過ぎないし、また当時圧倒的な影響力を持っていたマルクス主義唯物史観へのアンチテーゼを提出するという意図もあって、ちょっと無理してるなあって部分もあったりするのだが、資本主義の精神の根本は合理性であるという指摘は端的にして見事である。

 同書におけるヴェーバーの論証をごくごくかいつまむとこんな感じだ。カルヴァン派のキリスト教解釈からくる禁欲と天職への没入、つまりカルヴァンにおいては神に救済される人はあらかじめ定められており、人為ではこの決定を変更することはできない。であればこそ人々は地上に神の恩寵が支配する世界を築くこと、そのために神から自らに与えられた天職に打ち込みそして成功することこそが神の意志に叶っていることの証であると考え、神による救済を確信するため生活を合理化して質素に暮らし、仕事で得た収入は享楽に費やすのではなく(合理的禁欲という)ひたすら天職に再投資したのだった。中世的な宗教規範では吝嗇や金儲けは基本的に反倫理的な行いとされてきた。だがプロテスタンティズムは金儲けを神の意志を地上に実現する行為としてむしろ賞賛したのだ。

 と、ここでヴェーバーが目の敵にするマルクスに行っちゃうのだが、マルクスは「資本とは自己増殖する価値である」と「資本」の本質についてこれまた端的にして見事な定義を行っている。プロテスタンティズムの倫理とはわかりやすく言えば徹底した合理主義に基づく拡大再生産であり、それは資本の本質そのものであったということだ。つまり、プロテスタンティズムの倫理はそのまま資本主義の精神であり、それゆえプロテスタントが資本主義発展の担い手になったということだ。プロテスタントの国である英国は産業革命から資本主義の世界を開いたが、大航海時代に覇を競い合ったカソリックのスペインやポルトガルはこと資本主義的発展の競争に関する限り、遅れを取った。

 念の為に付言しておくが、自分は資本主義の成立が宗教の影響などとは考えていないし、それはヴェーバーも同じだ。資本主義は生産力の発展を機動力としてある意味、自然発生的な過程で封建制を止揚し成立した生産関係であり、それを担った個々の初期資本家たちの信仰と直接の因果関係はない。ここではただ、プロテスタンティズムが体現する合理主義が資本主義の発展に有効に機能したことを確認しておけば十分である。

 では、もう一歩突っ込んで、この合理主義とは何であろうか。マックス・ヴェーバーにはもうひとつ『経済と社会』という重要な著作がある。『プロテスタンティズム・・』より15年ほど経って著されたもので、ひとことでいえば近代国家の本質は何かということを論じていて、私見だがこちらの方がはるかに読みどころは多い。で、超インスタント紹介になるが、ヴェーバーによれば近代国家とは合法的な支配関係であり、専門的官僚制と合理的法律を備えた「合理的国家」ということになる。資本主義はこうした合理的国家以外では成立しない。もう少しくだいて言うと、合理的国家=資本主義国家が成立するためには、法律という社会成員が合意する「一般ルール」が、村の掟や宗教の戒律や昔ながらのしきたりや慣習といった「習俗のルール」より上位になければならない。

 たとえば、ある村の地主から水田を買った他の村の農民が、田植えをしようとその村に出向いてみたら異教徒は入れないと村長が決めたので耕作を諦めたというようなことでは資本主義にならない。ん~、適切な例だったかどうかちょっと自信がないところもあるのだけれど、トランプは企業家といいながら資本主義の最も基本的な一般ルールすらもわかってないってことだ。資本主義は商品市場ならびに労働市場への自由なアクセスについて、不当な差別を禁ずるのが資本主義発展にとり最も合理的な一般ルールとして承認されている。だからまあ、建前だけでも資本主義=自由、平等、民主主義であるわけなのだ。
 
 さて、明治維新により資本主義国家を目指すこととなった日本にとり、この「習俗のルール」にまさる「一般ルール」を定めることが切実に急がれたことは言うまでもない。そのためにこそ、戊辰戦争の硝煙の匂いがまだ残る騒然たる情勢にも関わらず、大久保利通や伊藤博文ら新政府の中枢を担う幹部が大挙して明治4年11月から実に1年10ヶ月もの期間を費し、欧米の一般ルールをつぶさに視察したのだった。ついでながら、この留守中の政府首班を務めたのは西郷隆盛だった。

 ここでもう一度マックス・ヴェーバーに戻ることを許されたいが、先の『経済と社会』の超ダイジェスト紹介で、ヴェーバーが「近代国家とは合法的な支配関係である」と述べていると書いた。この「合法的な」というのは「正当性がある」と言い換えてもいい。つまりある国家による排他的な支配を成立させるためには、それに国民が合意できるだけの正当性がなければならないというのである。

 ヴェーバーによればその正当性の根拠は次の三つだ。第一は伝統の権威である。昔からそうだった、あるいは現在の国家を樹立するに至る経過から継続しているなどのケース、第二はカリスマの権威で、傑出したカリスマ性を持つ指導者が登場し、多数の国民がこれを熱狂的に支持するケース、そして第三は合法性で、たとえば民主主義国家では合法的な選挙で示された民意を代表する国家は、たとえ政府首班が低脳かつ無能でも一応は正当である。残念ながら。

 明治維新政府にとり、欧米に習い「一般ルール」を定めることとならび、新国家の正当性を何によって主張するかも問題だったが、これは天皇を担いで徳川政権を打倒した経過からヴェーバーがいう「伝統の権威」以外に選択の余地はなかった。だが、政府はそれでよくても、下々の民衆が正当性を認めるかどうかは別問題だ。都市で商工業に従事していた人々の中には世情に詳しいものもいただろうが、農村で狭い村の掟に縛られ生涯土地から離れることもなく閉ざされた狭い世界で暮らしていた農民たちは、支配者として自分の藩の殿様くらいは知っていただろうが、その殿様のうえに君臨する徳川将軍の存在すらほとんど知らず、まして京都に逼塞していた弱小封建領主である天皇など知る由もなかった。まあ、長らく続いた徳川太平の時代、衣食住不自由せず親族近所仲良くやっていければそれで十分充足して国家などどうでもよかったのだから、無理もない話ではある。

 前回、土地に縛り付けられた農民のアイデンティティを工場労働者らしく加工するために編み出されたのが国家神道だと書いたが、本質的には徳川政権を武力で打倒し成立したクーデター政権の正当性を主張するためにも国家神道という虚構が動員されたわけだ。かくも重宝な国家神道ではあったのだが、そこには重大な陥穽が隠れていた。次は、この国家神道に併存する功罪のパラドックスについて考えてみようと思う。


 ということで、今日の一枚。やはり奧津氏テキストからの習作で、京都東山、八坂の街角風景です。コットマンF4。


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 森友学園問題はますます泥沼化、絶対多数におごり高ぶる安倍王朝とそれに連なって甘い汁を吸おうとする右翼政官民の有象無象を巻き込む一大スキャンダルの全貌が姿を現そうとしている。国民の圧倒的多数が真相解明を支持していることを追い風に、これまで萎縮していたメディアの多くも、あのNHKすら含め「みんなで渡れば怖くない」と、権力批判に遠慮がなくなってきた。だが、ことここに至っても政府はキーマンの参考人招致すら拒否し続けている。安倍内閣の支持率はなお高い。ここは少々世論を敵にしようが多数を頼みに乗り切れると踏んでいるのだろう。数で圧倒的に劣る野党側には、この多数を切り崩す仕掛けが必要ではないかと思う。

 さて、明治維新の続き。明治維新は武力を背景に開国を迫る欧米帝国主義列強の圧力に対する現実的選択として、紆余曲折はあったものの最終的には資本主義という当時最新のグローバルスタンダードを受け入れることで決着した事件だった。明治維新は典型的なブルジョア民主主義革命ではなかったものの、その最大の課題である封建制度から資本主義への移行については、少なくともそのきっかけとはなったわけだ。こうした本質から言えば、受け入れる側の政権が江戸幕府であろうが薩長同盟であろうが大した問題ではない。

 ただ、封建制から資本主義への移行には二つの前提条件がある。ひとつは一定規模の貨幣資本の集積であり、もうひとつは資本主義的生産関係のなかに組み込まれて生産力の主体を担う自由な労働者が多数存在することだ。周知のように、資本主義の祖国であるイギリスでは封建制下での家内手工業(マニュファクチャー)や重商主義政策に保護された外国貿易により蓄財した商工業者が、より大きな利潤を期待できる投資先として毛織物工業に目を付け、牧羊地を確保するため広大な農地を確保するとともに、それまでそこで働いていた農奴を締め出す囲い込み(ディスクロージャー)により、土地から切り離された農奴たちが難民となって都市に流入、労働力の他には売るものを持たないプロレタリアートとして毛織物工場の労働者に再編されることによって、資本主義的大工場が成立したのだった。経済学ではこれを資本の「本源的蓄積」とか「原始的蓄積」と呼んでいる。

 明治維新期の日本には、すでに三井、三菱、住友などの商業資本が一定の貨幣資本を蓄積していたが、急速な資本主義化には明らかに不足したため、富岡製糸場や八幡製鉄所など国家資金を投じて官営工場を建設し、後にこれを払い下げる手法を取ることで民間資本の不足を補ったことはよく知られている。しかしさらなる問題は、これらの大工場で働く大量の労働者をどう確保するかだった。これについてはいろいろ議論があるのだが、概ね間違いないところから言えば、明治維新版ディスクロージャーは身分制の廃止と廃藩置県と地租改正によってなされた。

 勃興する日本資本主義の屋台骨を支える労働者として期待されるのは、その数からいって農民以外にはない。だが、その農民は幕藩封建制度の呪縛により一生土地に縛り付けられて身動きができない。そこで明治政府は(原始的蓄積を意図していたか否かは別として)農民から労働者への階層移動の障害となる身分制を廃止、廃藩置県で藩主のものであった農地を国家に取り上げたうえで売買を解禁し、さらに地租改正による重税で農家の家計を破綻させ、食えなくなった次男三男や娘たちが工場労働者となるほか身を立てるすべがなくなる道筋を開いたのだった。

 以上により、資本主義にテイクオフする経済的な客観条件は整った。だが実はもう一つ必要なものがある。それは労働者のハートの問題だ。江戸時代までの農民は一般的に、その一生の殆ど全てをごく狭い地縁共同体に属して過していた。彼らのアイデンティティは自らがその中で生まれ、育ち、そして命を終えてゆくその地縁共同体に大きく依存していた。彼らの生活を統率するルールやモラルはそうした地縁共同体の存続やその成員の関係を律する基準として成立し、機能し、産土(うぶすな)でもある「村の鎮守の神様」ほか数多の神々によって根拠づけられ、また逆にそうした土着の神々への素朴な信仰の共有がこの地縁共同体に他の共同体と区別される集団としての一体感を醸成してきたのだった。

 ひとりふるさとの土地を離れ、都市の労働者となることは、家族親族という血縁共同体だけでなく、それを含む地縁共同体から切り離されることを意味する。一方、資本主義的労働者とは本来、独立した個人として資本との間に労働力の売買契約を交わす主体である。だが、地縁共同体が張り巡らせる重層的な物心両面のネットワークに安住していた農民にとり、「独立した主体」など想像の埒外だったに違いない。命をつなぐため工場で働く以外の選択肢はなかったが、といってその意識が出身の地縁共同体のレベルに留まっている限り、いずれアイデンティティの分裂は避けられない。労働で拘束されている時間だけ上半身は都市労働者であっても、下半身が田舎の田んぼに足を取られた百姓のままというような状態をいつまでも続けられはしない。テイクオフしたばかりの資本主義を安定した成長軌道に乗せるには、どうしても地縁共同体とは異なる国民の新たなアイデンティティの拠り所が必要だった。そこで明治政府が国民に与えたのが国家神道という新興宗教だったのだ。


 ん~、ようやく本題に近づいてきた感じですが、なんか回りくどい感、否定できないですねえ。これでもかなり要約はしているつもりなんだけど。まあ、特にストーリーも決めず思いついたことを書いているのだから仕方ないですね。
 で、閑話休題。カマイユ画法といって1色(今回は褐色)の濃淡だけで描いた習作です。モチーフはやはり奥津さんのテキスト、用紙はコットマンF4です。


170315 カマイユ画法習作 (2)サイズ



 さて、ようやく明治維新の話だ。そのまえに断っておくが、自分はもちろん歴史の専門家ではないし、明治維新そのものも現代において「POST TRUTH」と呼ばれる現象がどうして起きたのかを考える素材として取り上げるに過ぎないので、叙述の飛躍や寄り道はご容喙いただきたい。

 明治維新はもちろん江戸幕藩体制が崩壊し薩長雄藩中心の官僚政権が成立するに至る事件のことだ。で、この「維新」という言葉だが、中国最古(周の時代に編纂、紀元前のこと)の詩篇とされる『詩経』から、水戸藩の藤田東吾が天保元年(1830年)に引用したというのが定説。詩経の『大雅・文王篇』に「周雖旧邦 其命維新」とあるのが初出で、「周は古い国だけれども、天の意思はこれ新たなり」といった意味だろう。命を「天の意思」と勝手に訳してみたが、運命や使命といった用例に共通する用法で、自分は漢文も素人だがまあ間違いはなかろうと思う。要するに「天の意思に従い現状を大きく変革する」といった意味と考えれば良い。

 この明治維新の評価だが、これが一筋縄ではいかない。戦前、この歴史学上の評価を巡って論争を繰り広げたのが、雑誌『労農』に結集するいわゆる労農派と岩波の研究論集『日本資本主義発達史講座』に論考を寄せた講座派だった。論争のテーマは明治維新のみならず日本資本主義の現段階をめぐる経済学、社会学、歴史学、哲学、文化学の全分野に渡って展開されたが、彼らがこの学術論争で提出した議論はいま読んでも歯ごたえ十分で、あの戦前の厳しい思想抑圧の時代に、よくぞこれだけ専門的で高度な社会批評が旺盛に展開されたものと感嘆する。間違いなく日本が誇るべき大きな歴史遺産だろう。

 ともあれ、この論争で労農派はごく簡単に言えば、明治維新を不徹底ながら「ブルジョア民主主義革命」と規定した。念のためここで「ブルジョア民主主義革命」とは、最も典型的にはフランス革命にみるごとく、国王やそれを取り巻く地主貴族ら封建領主階級の専制支配を、勃興しつつある商工業者つまりブルジョアジーが打倒して権力を握る革命のことだ。この革命の結果できあがる社会は当然のことながらブルジョアジーの利益、つまり金儲けが自由にできる資本主義社会ということになる。明治維新の結果として出来した社会はまぎれもない資本主義社会であったから、労農派はこれを理由に明治維新をブルジョア民主主義革命と規定したわけだ。

 一方、講座派は論者により表現の仕方は違うが要するに「クーデター」の一種と考え、革命であるとの労農派の評価を否定した。ブルジョアジーが主体者となって行う革命が「民主主義」なる政治制度を表現する言葉を伴うのは、ブルジョアジーの最大要求たる資本主義の発達は必然的にその障害となる身分制度の廃止を求め、また政治的意思決定は一人の君主ではなく多数市民が平等な資格で参加する合議によるほかなくなることから、革命が創出する社会は必然的に民主的なものとなるからだ。しかし明治維新の結果、日本は確かに紛れもない資本主義社会にはなったが、天皇という君主が唯一の主権者として意思決定権を有していることから、到底これを民主主義社会と呼ぶことはできない。従って、明治維新をブルジョア民主主義革命と定義することはできないと講座派は主張、もちろん資本主義成立への動機となったことは否定しないが、その本質は徳川将軍から天皇とそれを取り巻く薩長官僚層へ権力が移動しただけのクーデターだったというのだ。

 そんなことどっちでもいいじゃん、とまあ、いまこれを読めば思うようなものだが、当時、当代きっての知性が束になり両派が口角泡を飛ばしつつ激しく論争を展開したにはそれだけの切実な理由があった。それは自分たちが生きているその社会をいかに変革するかという問題だ。労農派の論理によれば民主主義革命はすでに明治維新で達成されているのだから、次に社会変革の課題となるのは社会主義革命ということになる。一方、明治維新を革命と認めない講座派はまず民主主義革命から始めてその諸課題を達成し、そのうえに社会主義革命への進路も開かれると説いた。

 さて、では両派が展望する社会変革の道筋について最大の違いはどこにあるか。回答から言えば最大の焦点は天皇をどうするかだった。講座派の社会歴史認識から言えば当時の日本は半封建制的な遺制が多く残存する遅れた資本主義国であって、陸海軍という最強の暴力装置を伴い半封建制の主柱となっている天皇制を廃止することを含め、まず全般的な民主主義を実現することが最優先ということになるが、労農派が主張する社会主義革命のプログラムからは最も困難な天皇制軍国主義と闘う課題がすっぽり抜け落ちている。現在の目から見れば社会認識としてどちらが正しかったかは明らかだが、当時もそのことはやがて、当の天皇制ファシズムが論争し合う両派をまとめて厳しく弾圧し木っ端微塵に粉砕したことによって証明された。

 さて、こんな昔話を何故ここで紹介したのかというと、この明治維新の基本的な歴史的内実を知らなければ、これから話題にする西郷隆盛の心情が理解できないと思うからだ。西南戦争と呼ばれる明治10年戦争を戦うに至った西郷隆盛の心中に、自らがその主役として参画し血路を切り拓いてきた明治維新が、その結果としてもたらした現実への鬱屈たる思いがあったことは疑いない。西郷にとり明治維新は「裏切られた革命」であり、明治10年戦争は、大久保利通や伊藤博文ら洋行帰りの資本主義テクノクラートにより換骨奪胎された明治維新を本来の軌道に戻すための第二革命の武装蜂起であった。では、西郷がこの第二革命で実現しようとした社会はどのようなものであったのか、次はそれを推論してみようと思う。

 ということでこの辺で閑話休題、やはり奥津国道さんのテキストからの習作で「ソスペルの橋」。なお、ソスペルはフランスの地中海側にある町です。

170309 ソスペルの橋 (2)サイズ




 さて、前回予告したとおり明治維新と西郷隆盛のことなど書き始めようこうと思うのだが、そのまえにもう一度面倒くさいけれども教育勅語の話題だ。あろうことか稲田朋美防衛大臣が参院予算委で「好っきゃねん教育勅語」とのたもうた。

 いわく「親孝行など核の部分は取り戻すべき」「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すべき」。はあ、やれやれである。この人、南スーダンへの自衛隊派遣をめぐる質疑ではしどろもどろ、しばしば答弁不能に陥ったり関係ないことダラダラ垂れ流して注意されるなど無能をさらけ出しているくせ、教育勅語の話になるとやけに能弁。答弁ぶりを見るに、「これぞ得意分野」と待ってました感アリアリなのだ。

 が、冗談じゃない。教育勅語はその書き出しに「我カ臣民」とあるだけで一発アウトである。臣民とは君主に支配される人民のこと。臣なる政府高官と草とまで蔑まれた民とでは待遇に違いもあるだろうが、要するに臣民とは君主の道具であって自己決定権などありはしない。これが現行憲法の基本的人権観と両立しないことは明らかだし、自由な個人であるより臣民の方がいいと思うのは、それこそ現行憲法が定める思想良心の自由により個人の勝手だが、憲法遵守を義務づけられた国務大臣や国会議員が公の立場でそれを言うことは許されない。

 また勅語は徳目を12項ばかり列挙していて、「いいことも書いてるじゃん」などというもう何度論破されたかわからないノー天気でナンセンスな妄言(稲田くんは教育勅語に頼らなければ親孝行程度のことすら教えられないのだろうか、世の平均的な父母のレベルにすら遠く及ばないではないか)が出てくるのだが、それらの徳目はすべて「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「天皇が戦争を起こしたら、皇室が永遠に続くよう勇敢に奉仕、とは要するに命を投げ出せ」という一点に収斂するのが勅語の論理構成だ。にも拘らず当たり障りのない徳目だけ上げて「いいことも」などと言うのは、そもそも日本語を理解する能力が根本的に欠けているか、でなければ饅頭に見せて毒を食わせようという腹黒い魂胆があるかどちらかだ。

 さて、稲田が持ち出した『道義国家』とは聞きなれない言葉だが、調べてみると、いまや日本を席巻する勢いの極右団体『日本会議』の田久保忠衛会長直伝らしい。稲田は口真似をして右翼のオヤジを喜ばせる技術には長けているが、行政能力に加えて自分の言葉で思想を紡ぐ能力もないようである。それはさておき、教育勅語でもって「道義国家」とやらをめざした結果、「世界中から尊敬」どころか憎悪の対象となりボコボコにされたのが現実の歴史だった。

 そしてまさに教育勅語を体現したカルト狂信国家日本が壊滅して70余年を経た今なお、連合軍の後身である国際連合において日本などを「敵国」と規定する国連憲章第53条・第107条は生きており、「教育勅語に戻れ」などと政府高官が公言することがどれほど右翼の皆さんが大好きな「国益」を毀損するか考えてみるがいい。例えばまあ、ワタクシはそれが国益とはつゆ思わないが、安倍首相が祈念する国連常任理事国入りなど、相手にされなくなるのは確実だ。

 それにしても、こんな憲法違反の発言をして、国務大臣も国会議員も辞めなくて済むとしたら大変なことではないか。この国の立憲主義はまさに解体の危機に瀕している、つうか、戦争法の通過ですでに解体しちゃった感も強いのだけれど、それにしてもこんなムチャクチャな大臣がのうのうと居座るのを放置しておいて良いわけはない。「みっともない憲法」なんて現行憲法をとことんコケにした日本の恥、あの「みっともない首相」ともども、痛撃を与える方法はないだろうか。

 教育勅語については専門の方が多く書いておられる。そこへ素人が重ねてくどくど書く気はなかったのだけれど、腹立ち紛れに書いているうちに結構な分量になってしまった。もう寝る時間で病室も消灯されちゃったし、仕方がない、明治維新はまた次だなあ。

 最後に今回の入院で描いた水彩画を一枚。奧津国道さんという方のテキストから引っ張ったモチーフなので、どこだか正確にはわからないのだけれど、多分フランスの田舎だと思う。原画のサイズはF4です。


170308 習作 (2)サイズ



 前回の投稿から二週間も経ってしまった。同じテーマで連載するのだから、一週間に2本くらいのペースで書こうと思っていたのだが、またぞろ入院する羽目になって何かと気ぜわしく、すっかり間延びしてしまった。

 今回の入院は薬を切り替えるためのもの。1月に襲われた気胸は間質性肺炎治療のため服用しているステロイドのせいで治りにくかったが、ステロイドは気胸の原因になることもあるらしい。続発性気胸はただでさえ再発率が高いところ、ステロイドのリスクまで加わるとさらにヤバいので、ステロイドは止めるか減らすに越したことはない。しかし、急に減らせば急性増悪といってこれまた生死に関わる事態を招来しかねないし、ステロイドに代えて投与する免疫抑制剤ネオーラルも個人差が大きい強い副作用がある薬なので、安全のため医師が常時管理できる状況で切り替える必要があるという。それが今回の入院の目的だ。というわけで、3月2日から再び入院生活を送っている。

 不治の病に目をつけられた病人であることに変わりはないが、だといって特に体に不調があるでなし、検査や採血もするでなし、気胸で担ぎ込まれた時に比べれば気楽だがなかなか文章を書こうという気にはなれないものだ。そこで読書と水彩で時間を潰す。読書は映画化されて話題になっている『沈黙』など遠藤周作の作品やドストエフスキーの作品でまだ読んでいないもの。水彩は病室で描く制約もありF4と小サイズだが3枚を仕上げた。でもってこの勢いで県の地球温暖化関係の定期情報誌に連載している小さなコラムを締め切りに追われて書いて、ようやくこのブログを書く元気が出てきた。

 さて、前置きが長くなったが前回からの続きである。前回紹介した山本七平の『空気の研究』は山本独特の冗長な公害反対運動へのイヤミや本筋からはどうでもいい宗教改革の弁明などが長々とあって、本題だけならたぶん三分の一くらいの分量で書けるだろう内容だが、その場の「空気」が作られるメカニズムや空気に「水を差」してこれを打ち壊す「水」の作用、そしてその水がまた新たな空気を作ってゆくメカニズムなどの説明には独創性がある。

 そこでまた森友学園の話題だが、ご承知のとおり同学園が経営していた幼稚園では園児たちが毎日教育勅語を奉読しており、これを見た安倍首相夫人はじめ右翼文化人の面々が一様に講演や談話等でこもごも強く感動した旨を述べておられる。理解力もなく抵抗する術もないいたいけな子どもたちにこんなものを暗記させ唱和させるというのは虐待にほかならず、もとよりこうした偏向が公教育で認められるはずもないがそれはさておき、どうしてこの連中は教育勅語というとかくも一様に感動するのか。

 これも空気の支配というものなのだろう。教育勅語はまさに戦前の日本を象徴するシンボルであり、その戦前の日本を「美しい国」と思い「取り返し」たいと願う少々アタマのいかれた御仁には日の丸同様神聖にして侵すべからざるものである一方、リベラルや左翼にとっては戦前のシンボルゆえ不倶戴天の敵と蛇蝎のごとく嫌われている。

この「蛇蝎のごとくに嫌われる」というところが結構重要であって、右翼ご一統にはこの嫌悪感こそ戦後教育の悪しき遺産なのだという跳躍論理も手伝い、より一層ありがたみが増すという関係にある。つまり、教育勅語は一種の踏み絵であり、この国の主流派であることの証明はこの踏み絵を有り難くおし戴くことでなされるという「空気」があるのだ、そして「蛇蝎のごとくに嫌う」のはいわば「水」であり、この水の存在ゆえに空気はより一層強固にそれを戴くものたちを強迫的に支配する構造にあるのだろう。教育勅語への愛着はお仲間であることを確認する符丁のようなものなのだ。

 さて、彼らを結ぶ紐帯は基本的には国家神道というものであるはずである。国家神道とは記紀神話という創世物語を根拠に神の子孫である万世一系の天皇がこの国とそこに住む人々を統べるという非科学的な虚構だが、まあ宗教というのは国家神道に限らずすべからく基本的には非科学的虚構であるのだからして今は問わない。というか、問うても無駄である。それより問題は教育勅語だ。これは冒頭に「朕惟フニ」と語りかけ末尾に御名御璽があるからっといってもちろん明治天皇御製ではない。成立に至る細かい経過は省くが、最終的に世に出た勅語の文案を書いたのは井上毅内閣法制局長官と明治天皇側近の儒学者元田永孚(ながざね)の二人であったことが分かっている。

 井上は日本の教育制度その他に大きな足跡を残した官僚政治家だが、その思想的ルーツは儒学分けても朱子学であった。つまり、教育勅語は二人の儒学者によって書かれたのであり、その内容もまた儒教倫理そのものである。で、儒学といい儒教といい中国から伝来したものであることは言うまでもない。その中国直輸入の儒教倫理を書き記した教育勅語を天にも持ち上げてありがたがるその口で「チャンコロ」だの「シナ人」だのヘイトスピーチが出てくる脳みそというのは一体どんな構造をしているのか。滑稽極まれりというしかない。まさかとは思うが、もしかしてこのご一統、孔子が日本人だなんて思ってないだろうな。

 ついでの話だが、天皇家に仏壇はあるのだろうか。回答から言えば明治4年(1871年)までは宮中の黒戸の間に仏壇があり歴代天皇の位牌が祀られていたのである。法事も仏式で行われおり菩提寺は京都の泉涌寺だった。つまり、明治天皇を含め歴代天皇は仏教の檀家さんだったのであるが、さてそれが国家神道の教祖としての現人神と二足のわらじで両立できるものか。

 政治的無関心甚だしいのんきな国民をなにがなんでも中央集権国家に思想動員する装置として作ったのが国家神道という新興宗教だが、肝心の教祖が異教徒では話にならない。というわけで維新政府は明治6年、千年以上にわたる天皇家の仏教信仰を禁じ、仏壇や位牌は泉涌寺に引き取らせて新興宗教に改宗させたのだ。この新興宗教に軍部が悪乗りしそれからわずか70余年で日本は壊滅、昭和天皇の「人間宣言」をもって国家神道も最終的に破綻した。

 つまり、国家神道なる新興宗教の命脈はたった100年ももたなかったのだ。これが「日本の伝統」などちゃんちゃらおかしい。日本にはアニミズムと地祖霊信仰、仏教、儒教そしてキリスト教その他、多くの在来外来の宗教と文化が出会い形作られてきた長く豊穣な歴史がある。天皇のために死ねというほかは教義も定かでない怪しい明治新興宗教一色でこの国の姿を語るなど言語道断、少しは日本史を勉強してから発言してはどうかと思う。

 もうひとつついでの話、「現人神」というけれど、明治、大正、昭和の「現人神」三代にわたり、自ら「朕は神であるぞ」などと発言した例は一度たりともない。天皇は明治維新政府によって力尽くで改宗させられ、自分じゃそんなことカケラも思っちゃいないのにいつのまにか「神様」に祭り上げられ、その自分では思っても言ってもいないことの責任を取って戦後、「実はワタシ人間ですんねん」と、国民に向かって告白せざるを得なかったのだ。考えてみればまことに気の毒な話なのであって、他人のせいで赤っ恥もいいところだ。天皇陛下をかくも粗略に扱った無礼千万な国家神道こそ不敬の極みではないか。真の右翼ならこれをこそ粉砕の対象とすべきではないのか。手始めに靖国神社の解体あたりから手をつけるのが妥当かと思う。

 ん~、森友学園の話に少しでも触れると、それ自体の異常さトンデモさもさりながら、これに群がる右翼愛国者の皆さんの世にも情けない知性にひとこと言いたくて、つい横道にそれてしまうのだなあ。さらに書き進んでもいいが、あまり長くなると読んでもらえないし、安倍晋三記念小学校のせいでまことに困ったことである。とはいえ、ちょうど明治維新の話題も出たので、次はこのあたりを接ぎ穂にして西郷隆盛のことなど書いてみよう。