ステロイドパルスの第2ラウンドを昨日終了。この治療では要するに暴走する免疫をしっかり叩いているわけなので、感染症への抵抗力が落ちているため不用意には動けず、これが回復するまでは待つしかない。というわけで、今日は連休のせいもあって空きベッドが目立つ静かな病室で、ただひたすら時間が経過するのに身を委ねている。

 こんな時、無聊を慰めるのはやはり書物だ。入院するに際して池井戸潤の本を二冊持参したほかは、全てKindleからダウンロードして読書をしてきた。その一部を以下、備忘録的に。

 まず持参して読了したのは池井戸潤の「下町ロケット」とその続編の「下町ロケット・ガウディ計画」。これが面白かったので、引き続き同じ著者の初期の作品から電子書籍をダウンロードして「空飛ぶタイヤ」上下巻と「鉄骨」、さらにTVドラマにもなった半沢直樹シリーズで知られる「俺たちバブル入行組」とその続編「俺たち花のバブル組」を続けて読んだ。

 自分の評価としては、面白さの順で言えば「空飛ぶタイヤ」が一番、次いで「下町ロケットシリーズ」と「鉄骨」が同程度で、半沢直樹シリーズは期待はずれだった。これらの作品はいずれも圧倒的な力を背景に成立している世の不条理に対する孤独な戦いがテーマだ。長々と評論する気はないが、面白さの差はその不条理を覆していわば正義(とも一概には言えないのだが)が困難な戦いを勝ち抜いて行く物語の説得力にあるように思う。

 下町ロケットシリーズではこの説得力を支える戦いの武器は町工場が持つ世界最高水準のバルブの特許で、これがあることで町工場が国策に君臨するロケットメーカーや医療機器メーカーに伍することができたのだった。また「空飛ぶタイヤ」では、業務上過失致死に問われた小さな運送会社の社長が巨大自動車メーカーの「脆弱なシャフト」という技術欠陥を突いて、そのメーカーを身売りという事実上の経営破綻に追い込むし、「鉄骨」では中堅ゼネコンの画期的なトンネル掘削技術特許が政界も絡む堅固な談合システムを崩壊に追い込む。キーワードはいずれも「技術」なのだ。

 ところが、半沢直樹シリーズにはこの説得力のある小道具が出てこない。金融業では作りようもないのだろうけれど、その代わりに出てくるのは、同じ銀行内の幹部行員たちの不正だ。半沢はそれらの不正のあおりを受けて覚えのない迫害を受けご存知の「倍返し」の復讐劇を展開するのだが、これは通常には考えられないような不正がなければ成立しない物語であって設定自体のリアリティに無理がある。しかも相手は明らかな犯罪に類する所業に手を染めているというのに、半沢の「倍返し」の復習はせいぜい、彼らを出向させたり左遷させたりの程度で済んでしまうのであり、例えば「空飛ぶタイヤ」の蟻のようなちっぽけな主人公が結果として巨像のような自動車メーカーを壊滅させてしまうのに比べ、読者はフラストレーションが募るばかりだ。

 これは、半沢自身が同じ銀行の一員として出世して行くというこの物語の規定の枠組みの限界であろう。つまり、半沢が務める銀行が潰れては物語は続かないのであるから、表に出せば社会の批判を浴び株価の時価総額が値崩れを起こすような決着のつけ方はできないのだ。この二点、説得力のある戦いの武器がリアリティを持たないこと、戦いの結果がなんとも中途半端にとどまらざるをえないこと。これが半沢シリーズを面白くなくしていると思う。テレビドラマはキャストの妙もあって大ヒットしたようだが、これは原作よりシナリオの力に負うところが多いと思った。ついでながら例の決めセリフ「倍返し」は、原作では二箇所程度しか出てこない。

 さて、ストーリーとしては面白くても、このようなストーリーだけを急いでたどる現代の物語も悪くはないのだが、自分としては今では古典となった名作の味わいも捨てがたい。特に、こんなに時間があるときには、じっくりこの国の文学作品が醸し出す豊穣な世界を再訪する好機だ。こんな時、実に便利なのがKindleでも無料で簡単にダウンロードできる青空文庫だ。入院前から多くダウンロードしておいて、まとめて以下のようなものを読んだ。

 夏目漱石  「それから」「行人」「門」
 谷崎潤一郎 「鍵」「恐怖」「三人法師」「盲目物語」「少将滋幹の母」
 中島敦   「山月記」
 中原中也  「夜汽車の食堂」「宮沢賢治の世界」
 今野大力  「宵の星」
 柳田國男  「遠野物語」
 坂口安吾  「インチキ文学ボクメツ雑談」
 太宰治   「女生徒」
 木暮理太郎 「北岳と朝日岳」

 このうち、半分くらいは青年時代に読んでいるし、山月記や遠野物語は参照する必要もあって再三読んでいると思うが、やはり全ていい。中身ももちろん味わい深いのだが、それに加えて何よりも文体が素晴らしい。特に夏目漱石や谷崎潤一郎の文体には、今の日本語が失ってしまった馥郁とした香りが漂い、それに触れるだけで気持ちが良くなる。

 漱石の文体は、いまでは惜しくももう使われることのなくなった漢語をやや多く含んだキリッとした漢字仮名交じり文で、このなんというか、背筋がしゃんと伸びた格調の高い日本語で、四季の情景と仔細な心理が見事に叙述され、深く心地よい読後感を残してくれる。また、谷崎の文体は、しっとりと潤いを含みたゆたいつつも微妙に崩れない慎みを持って、柔らかに読むものの内面に浸りこんでくるのだ。中島敦の徹頭徹尾、とんがり抜いて挑戦的な文体にもまた心から魅せられる。先人は、日本語の世界にこのような芳醇な恵みを残してくれた。無聊の床にあっても、こうした恵みに満たされた至福な時間を持ち得ることに感謝したいと思う。

 

  
 

 
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