また前回の更新から時間が経過してしまいましたが、今回は忙しいのなんのという話ではなく大変な事態でした。

 正月三が日、体調を考え一歩も外出することなく自宅で過ごして迎えた5日朝、突然の呼吸困難に陥り、救急車で和歌山市内の日赤和歌山医療センターに搬送されました。

 とにかく息が苦しくて仕方がない。例えていえば海底で溺れて息が尽きかけているのに、体の一部が何かにひっかかって浮上できず必死でもがいている感じでしょうか。しかし意識は極めて清明で、「ああこのまま命が終わってしまうのかもしれないな」と、苦しんでいる自分を天井からもうひとりの自分が冷静に観察しているような不思議な感覚がありました。こうして自分を見つめている「超自我」とでも呼ぶべきものの存在については、講演するときなど何度も経験した感覚でしたので驚きはなかったのですが、その超自我が「命のあるなしの境界は意外に低いものなのだなあ」「この意識もその瞬間にはテレビのスイッチを切ったように一瞬で暗黒になり、そしてその暗黒を認識する自我も同時に消えて意識することすらないのだな」なんてことを考えていました。
 
 そんな超自我を道連れに救急車に乗せられてから病院までをなんと長く感じたことか。アスファルト道路の細かい凹凸を踏むタイヤの振動がいちいち身体に応えます。救急隊員がしきりに酸素を吸入させようとしてくれるのですが、それで楽になるなんてことはなく、むしろ息苦しさが募り煩わしいだけで払い除けたりしていました。到着した病院でも同じ調子でしたが、少し落ち着いたところでレントゲンを撮り、続発性気胸であることがわかりました。

 気胸とは何らかの理由により肺にブラと呼ばれる風船状の袋ができ、そのブラが破れて肺から漏れ出した空気が胸腔内に溜まり、その空気に圧迫されて肺が縮むことにより呼吸困難を引き起こす病気です。「続発性」とは、私のように肺疾患があって、それを原因として起きる気胸を指します。

 ともあれ、呼吸困難の原因は判明しましたので、直ちに空気を抜くためのドレーン(チューブです)を胸腔に差し込む措置(胸腔ドレナージというそうです)が取られました。この朝、急患を担当しておられたのはたまたま家族が知り合いの女医さんで、冗談を言いながら手早く処置をしてくださり、その処置が終わった瞬間、まるでウソのように呼吸が楽になりました。とりあえず窮地は脱したことになります。それから一日救急病棟で経過を観察したあと、異常なしとのことで一般病棟に移動しました。

 とはいえ、とりあえず症状は落ち着きはしましたが肺には穴が空いたままですから、これを閉ざさなくてはなりません。確実なのは手術ですが、私の場合、持病の間質性肺炎があるため手術の刺激などで急性増悪を起こす恐れがあることから、できれば避けたいというのが主治医の考え方です。そこで、胸腔に差し込んだドレーンから薬剤や自己血を注入し、肺を周囲と癒着させて穴を塞ぐとともに肺がしぼまないようにする「胸膜癒着術」が第一の選択肢となりました。

 ということで6日から9日までのワンクール、まず間質性肺炎を悪化させる恐れのない穏やか目の薬剤を1日に1回注入、しかし効果がないため、10日には自己血50㏄を注入しました。血液はすぐに固まる性質を利用しようということで、要するにカサブタで肺と胸腔をくっつけるわけです。しかしこれも効果なし。

 私の場合、間質性肺炎ですでに線維化した肺が硬くて癒着しにくいことに加え、間質性肺炎の治療にステロイドを服用していることが問題でした。薬剤を注入するのは組織に人為的に炎症を起こさせて癒着させることを意図しているわけですが、一方ステロイドは炎症を抑える薬ですから、これを服用している限り薬剤の効果は減殺されてしまいます。しかし、ステロイドを直ちにやめることは、かなりの高率で急性増悪を招く恐れがあり不可能です。まあ、あちらを立てればこちらが立たず、二律背反の厄介な症状なのです。

 ワンクールで効果がなかったため、最悪は手術となることを踏まえて16日に予約を入れる一方、奇跡を信じて11日から13日の第2クールは、間質性肺炎を悪化させるリスクはありますがやや強い薬の注入を続けました。そして12日、その効果があったか空気漏れが解消し、主治医も「これはミラクルかもお!」と喜ばれたほどで、一時はその週末の退院も展望したのですが、さらに念を入れてと前回の倍量の自己血を注入した14日の夜半、空気漏れが再発し、高まっていた退院への期待は裏切られました。こうして手術が不可避となったわけです。

 16日、手術は胸腔鏡下で実施されました。とはいえ全身麻酔でしたので、手術台の上で「麻酔入れま~す、眠くなりますよ~」という声を聞いて以後、自分にはなんの記憶もありません。目覚めれば手術は終わっていて、全身チューブとコードまみれになっていたというだけのことです。手術は無事に終わったとのこと、幸い、痛みも軽度でした。なにはともあれ恐ろしい急性増悪を警戒して一晩をICU病棟で過ごし、その恐れがなくなった翌17日午後、一般病棟に戻りました。

 術後の経過は順調で、主治医ともこのぶんなら週末にも退院できると話し合っていたところ、19日になって空気漏れが再発しました。微量なのですがこのままでは退院できません。今回もまた淡い期待はぬか喜びに終わり、また20日から23日まで薬剤の注入を再開、24日には自己血を注入、それでも空気漏れが完全にはなくならないため、さらに25日、26日は別の薬剤を注入、こうした努力の末に25日でしたか、どうやら空気漏れがなくなり、27日、ようやくドレーンを抜くことができました。やれやれです。なお異常がないか様子を見て退院は29日、救急車で運び込まれてから25日です。いやあ、長かった。

 退院してからも外出は控え、自宅に引きこもってもっぱら読書をしたり水彩画を描いたりしています。水彩画は、登山も森を歩くこともできなくなった自分にできることはないかと考え、昨年4月から半世紀ぶりに絵筆を取って手習いを始めた新しい趣味です。今回の入院でも、二回も期待を裏切られたとき、もう家に帰ることは考えず、この病院で暮らすつもりでいようと決めて病室に画材を持ち込み、3枚ばかり描きました。で、まあ、ホント下手ですけど、近いうちにこのブログにアップしようと思っています。乞うご期待です。あはは。(^_^;) 




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