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 英国が国民投票の結果EUから離脱し他のEU諸国でも極右や離脱派が台頭、米国ではトランプが大統領に就任した。選挙制度の当否はとりあえず問わないとして、このように国民規模で理性的とは思えない選択が繰り返される現状について、「post truth」という言葉が引用される機会が増えている。「脱真実」とでも訳せばよいのだろうか、2016年の「今年の単語(Word of the year)」に選んだ世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典はこの言葉について、「与論形成において、客観的事実が感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」と説明している。

 英語と日本語ではたぶんニュアンスが違うのだと思うが、正直なところ「真実」という言葉は情緒的で好きではない。「今は昔」の話になってしまうが新聞の編集に携わっていた頃、部下の記者たちには事あるごとに「事実」のみを書けと繰り返し言ってきた。自分の感覚では「真実」という言葉には現に生起した事実に加えての何か、例えば取材した記者の思い入れ、感動であったり怒りであったりといった感情や、事実の見方に影響を与えるその他の要素が添加される印象がある。

 記事を読んで共感したり怒ったりするのは読者の権利であって、それを先走ってリードするのは越権も甚だしい。記者はただ地域を這い回って確実な事実を集め、それのみを読者に提供することにプロとして徹するべきなのだ。だが徹したとしても、報じる事実の選択で記者の意識のフィルターが掛かることは避けられない。であればこそなおさら、「真実の報道」などという気持ちの悪いナルシズムに流されぬよう、事実のみ、事実のみと念仏のごとく自分に命じていたものだった。

 そういう感覚からすれば現状は「脱事実」、「post fact」と言ってもらったほうが自分としては胸に落ちる気がする。ま、昔話はこれくらいにして、そう、「事実」より「気持ち良さ」が選択されるのが現代世界のグロテスクな特徴なのだろう。そしてこれは、英国や米国より日本ではより早く、小泉純一郎が政権についた2001年頃から露頭し、現在の第2次安倍内閣においてまさに猖獗(しょうけつ)をきわめるに至っている。

 安倍晋三というある種特異なキャラクターがまるで息をするように次々に発する嘘、あの東京オリンピック招致演説で発した福島第一原発の放射能が「アンダーコントロール」にあるという、聞いて目が点になると同時に世界に赤面した超弩級の嘘を始めとして、ここに枚挙の暇もないほどの嘘が撒き散らされるにも関わらず、彼の支持率は一向に下落する気配がない。ひと昔前であれば政治家として命取りになったような嘘が容認されるばかりか、むしろ支持すらされるという現象をどう評価すればよいのだろう。

 また、南京大虐殺、従軍慰安婦、朝鮮人強制連行など、被害者数や被害内容に議論はあるにせよ、こうした事件があったこと自体は動かない歴史的事実として定着している問題についても、いまだアパホテルの元谷外志雄社長によるトンデモ本を始め、歴史修正主義の言説が聞くに堪えないヘイトな罵詈雑言を交えて絶えることなく現れ、それがトランプの顧問ケリーアン・コンウェイの迷言である「alternative fact」(オルタナティブファクト=もうひとつの事実)として、ネトウヨから広く拡散され共有されそして定着している。こうした巷間での右翼的歴史修正とヘイトの潮流は首相が上から撒き散らす嘘と共鳴する関係にあり、全体としてpost truthの社会的空気を醸成している。

 しかし、なぜこのような反理性的で馬鹿げたデマが、義務教育が普及し高学歴の人も多い高度知識社会で受け入れられまかり通るのか。ジャーナリズムが役割を果たしていないという声は多い。たしかにそれは大きな要因ではあるだろう。現政権はメディア対策を非常に重視しており、例えば高市総務相による電波停止の脅しの一方、恒例となっているメディアと首相の会食など、アメとムチを巧妙に使い分けてその支配を貫徹しているし、一方商業メディア側にはジャーナリズムに徹して貧乏くじを引くより「長いものには巻かれ」て保身を図る空気が支配的だ。

 それが国民意識に影響を与えていることはもちろんあるだろう。だが自分にはもっと深い原因があるように思われてならない。むしろメディアは、国民の中にあるpost truthの空気を敏感に反映して、これに応えようとしているのではないか。自分は絶対に視聴しないが、いまテレビで毎日のように放映される「ニッポンすごい」「ニッポン偉い」番組が高視聴率を取って隆盛するのを見るにつけ、こうした厚顔無恥と評するしかない露骨な自画自賛を多くの国民が求め支持している現状を認めざるをえないのだ。

 日本の汚点をマスキングする歴史修正と「ニッポンすごい」の自画自賛はコインの表裏の関係にある。事実より気持ちよさを選好する国民の深層意識とこれに迎合しさらに煽り立てるメディア、右傾化しデマゴギー化する政権、そしてネトウヨなど草の根の歴史修正主義とはびこるヘイト、これらが相互に影響しあい、増幅しあってこの国を反知性主義の方向に転落させつつあるのが現代という時代なのだろう。その行き着く先に何が待っているのが、想像するのもおぞましい。 が、といって自分も生きているこの国が再び破滅するのを黙って放置するわけにも行くまい。と、身動きもままならぬ病身ながら分不相応に考えてはみることはあるのだ。 といった次第でしばらく、現在社会の意識や構造について思うところを連続して書いてみたいと考えている。




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