さて、前回予告したとおり明治維新と西郷隆盛のことなど書き始めようこうと思うのだが、そのまえにもう一度面倒くさいけれども教育勅語の話題だ。あろうことか稲田朋美防衛大臣が参院予算委で「好っきゃねん教育勅語」とのたもうた。

 いわく「親孝行など核の部分は取り戻すべき」「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すべき」。はあ、やれやれである。この人、南スーダンへの自衛隊派遣をめぐる質疑ではしどろもどろ、しばしば答弁不能に陥ったり関係ないことダラダラ垂れ流して注意されるなど無能をさらけ出しているくせ、教育勅語の話になるとやけに能弁。答弁ぶりを見るに、「これぞ得意分野」と待ってました感アリアリなのだ。

 が、冗談じゃない。教育勅語はその書き出しに「我カ臣民」とあるだけで一発アウトである。臣民とは君主に支配される人民のこと。臣なる政府高官と草とまで蔑まれた民とでは待遇に違いもあるだろうが、要するに臣民とは君主の道具であって自己決定権などありはしない。これが現行憲法の基本的人権観と両立しないことは明らかだし、自由な個人であるより臣民の方がいいと思うのは、それこそ現行憲法が定める思想良心の自由により個人の勝手だが、憲法遵守を義務づけられた国務大臣や国会議員が公の立場でそれを言うことは許されない。

 また勅語は徳目を12項ばかり列挙していて、「いいことも書いてるじゃん」などというもう何度論破されたかわからないノー天気でナンセンスな妄言(稲田くんは教育勅語に頼らなければ親孝行程度のことすら教えられないのだろうか、世の平均的な父母のレベルにすら遠く及ばないではないか)が出てくるのだが、それらの徳目はすべて「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「天皇が戦争を起こしたら、皇室が永遠に続くよう勇敢に奉仕、とは要するに命を投げ出せ」という一点に収斂するのが勅語の論理構成だ。にも拘らず当たり障りのない徳目だけ上げて「いいことも」などと言うのは、そもそも日本語を理解する能力が根本的に欠けているか、でなければ饅頭に見せて毒を食わせようという腹黒い魂胆があるかどちらかだ。

 さて、稲田が持ち出した『道義国家』とは聞きなれない言葉だが、調べてみると、いまや日本を席巻する勢いの極右団体『日本会議』の田久保忠衛会長直伝らしい。稲田は口真似をして右翼のオヤジを喜ばせる技術には長けているが、行政能力に加えて自分の言葉で思想を紡ぐ能力もないようである。それはさておき、教育勅語でもって「道義国家」とやらをめざした結果、「世界中から尊敬」どころか憎悪の対象となりボコボコにされたのが現実の歴史だった。

 そしてまさに教育勅語を体現したカルト狂信国家日本が壊滅して70余年を経た今なお、連合軍の後身である国際連合において日本などを「敵国」と規定する国連憲章第53条・第107条は生きており、「教育勅語に戻れ」などと政府高官が公言することがどれほど右翼の皆さんが大好きな「国益」を毀損するか考えてみるがいい。例えばまあ、ワタクシはそれが国益とはつゆ思わないが、安倍首相が祈念する国連常任理事国入りなど、相手にされなくなるのは確実だ。

 それにしても、こんな憲法違反の発言をして、国務大臣も国会議員も辞めなくて済むとしたら大変なことではないか。この国の立憲主義はまさに解体の危機に瀕している、つうか、戦争法の通過ですでに解体しちゃった感も強いのだけれど、それにしてもこんなムチャクチャな大臣がのうのうと居座るのを放置しておいて良いわけはない。「みっともない憲法」なんて現行憲法をとことんコケにした日本の恥、あの「みっともない首相」ともども、痛撃を与える方法はないだろうか。

 教育勅語については専門の方が多く書いておられる。そこへ素人が重ねてくどくど書く気はなかったのだけれど、腹立ち紛れに書いているうちに結構な分量になってしまった。もう寝る時間で病室も消灯されちゃったし、仕方がない、明治維新はまた次だなあ。

 最後に今回の入院で描いた水彩画を一枚。奧津国道さんという方のテキストから引っ張ったモチーフなので、どこだか正確にはわからないのだけれど、多分フランスの田舎だと思う。原画のサイズはF4です。


170308 習作 (2)サイズ



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