上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 世の耳目が安倍友じゃなかった森友学園問題に集中的に吸引される一方で、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が閣議決定、残業時間を制限するという看板でその実過労死ラインを超える残業を許容する労働基準法改定で政労使が合意(これに合意した連合は労働者の敵ではないか)、その他、それこそ安倍友の加計孝太郎氏がトップの加計学園が今治市にタダで土地を提供してもらうほか公金大盤振る舞いで獣医学部新設とか、その前に淡路島の南あわじ市では加計氏関連でこれまたタダで土地を手に入れすでに大学が開設されているとか、もう次から次へ息つく間もなくトンでもないことが続発してくると、もうなんというか、怒りも対応しきれなくなって慣れという一種の無気力状態に陥りそうになる。しかし、このような無茶苦茶に慣れて黙ってしまったら民主主義は終わりだ。民主主義というのはしんどいものである。ことに、安倍晋三なんてロクでもないやつが首相になっているようなとんでもない国では。

 さて、前回の続き、マックス・ヴェーバーが言うように、資本主義の精神とは要するに合理主義である。合理主義は個人に即していえば利己主義と言って差し支えない。ここで詳しく紹介する余裕はないが、例えば資本主義経済学の始祖アダム・スミスは大要、「資本主義的人間とは自分の利益を最大限にすることを行動の原理としており、そうした個々の利益を最大化しようとする行為の集積が「神の見えざる手」が働く市場の機能を通じ、結果として社会を豊かにしてゆく」と述べている。

 だが、個々による最大利益の追求は、他の個による同様の行為と衝突するケースが当然のことながら考えられる。これを調整するルールを成文化したのが法律だ。法律はその当事者たる社会の成員あるいはその代表者が自ら作り、警察や裁判処や監獄といった司法の強制力を持って社会の成員にその順守を強要する。これが近代的法治国家というものだ。

 大久保や伊藤ら欧米を詳しく視察して帰った岩倉使節団のメンバーは、さっそくこうした法治国家の建設に着手する。しかし、法律自体や司法の体制などは欧米の真似をすればできるが、それに従う資本主義的個人などというものがそう簡単には作れるわけではない。最大利益の追求という利己主義を行動原理とし法律に従って行動する個人など、当時のエリートはともかく、農山村で暮らしていた圧倒的多数の日本人には想像を絶する存在だった。彼らが暮らす小さな血縁地縁集団では、長い集落生存のための試行錯誤の結果たどり着いた不文律のルール、まず村全体の利益を優先しそのことが結果として個人の生存を保証するという理念に基づく「習俗のルール」が、違反者に対しての村八分という制裁を伴って維持されていた。

 「結い」といいあるいは「もやい」といい、村落共同体が日本社会の基本構造をなしていた当時に行われていた田植えや道普請の共同作業が今日、温かでうるわしい人間関係として評価され、しばしば市民運動や市民の共同の取り組みに「結い」などの呼称が持ち込まれていることはご存じのとおりである。それ自体はもちろん結構なことだと思うが、かつてこうした共同作業への参加は絶対的な強制であり、それに従わない者には厳しい制裁が加えられたことも記憶しておくべきであろうとは思う。

 逆に言えばこれら「習俗のルール」に従っている限り村落共同体の人間関係は基本的に平穏であり、衣食住もそれなりに充足して、豊かとはいえないまでも、鎮守の村祭りを頂点とする多くの年中行事イベントを楽しみ、それを通じて隣人らとの間に濃厚で親密な相互理解を構築し、破たんなく暮らしてゆけたのである。ただ、そこに個人の自己決定権はなかった。プライバシーもないに等しかった。明治以降の日本近代文学最大のテーマが、こうした社会や家に没却した個の発見や脱出であったことを思い起こせば、それが当時の日本人、特に自我に目覚めた知識人にとりどれほど切実な問題であったかが理解されるだろう。

 さて、日本に資本主義が成立するためには、その担い手である労働者がそうした村落共同体の紐帯つまり「習俗のルール」から離れ、日本資本主義の「一般ルール」である法律に従うようになってもらう必要がある。とはいえ例えば「習俗のルール」では個を主張することはタブーだったのだ、まして個人の利益を最大限にするよう行動するなど人の道に反する。当時の日本はすでに初等教育の普及で世界有数の地位にあったが、徳育の軸に置かれたのは儒教思想であり、これも「習俗のルール」と親和性が高かった。

 そこで採用されたのが、天皇を親とし国民をその子とする壮大な疑似家族の虚構だった。早い話、これが国家神道という新興宗教なのである。この新興宗教の本質は、これまで農民が従っていた習俗のルール、つまり村落の維持存続を最大の目的として個が全体の利益に奉仕することを軸とする行動倫理、これをその倫理観は維持したまま国レベルまで拡張することであった。最大目的たる「村落の維持存続」は国体護持に拡張されたわけだ。その国体は神の子孫である天皇が親として日本という巨大な共同体を治めるという虚構であり、天皇の子たる臣民はこの国体を護持するために個を捨てて命がけで奉仕することとなる。まさにいまはやりの教育勅語そのものだ。たしかにこれは、合理的な人間の創造とか個の自立などといった面倒を省けるばかりか、より体制に従順で利潤の最大化に便利な労働者を生み出すのに効果的な方法であった。 

 かくして明治以降の日本には、政府中枢を占める高級官僚らテクノクラートと実際に資本主義生産を行う大企業のリーダーや投資家、財閥関係者たち、つまり資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたのである。臣民と一口に言うが、臣と民は異星人ほども異なる価値観を持っていたわけだ。この両者の価値観はもちろん本質的に敵対的である。だがそうした敵対的矛盾は天皇への帰一を全国民共有の価値観として強制する国家神道によって隠蔽されていた。こうした臣と民との国民の二層分解。その始まりにあたり、民の立場から臣に異議を唱えて蜂起したのが西郷隆盛だったのである。

 
 今回も絵のモチーフは奥津さんのテキストから引用。タイトルは「鈍色(にびいろ)の空の下・サンマルタン運河余情」だそうです。用紙はコットマンF4


170319 鈍色の空の下・サンマルタン運河余情 (2)サイズ
関連記事
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://yamatomori.blog.fc2.com/tb.php/182-6ab85bed
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。