森友学園問題では主役の籠池氏が国会の証人喚問に立ち、同学園が建設を意図した小学校の土地取得をめぐり、安倍晋三夫妻が関わっていた疑いはますます濃厚になった。昭恵夫人はフェイスブックで否定しているが、であれば何のリスクも負わないフェイスブックなどでなく、自ら籠池氏と同じ証言台に立って正面から対決すべきであろう。

 だいたい、このフェイスブックの文章自体、同夫人の文章とは到底思えない官僚作文で、肝心なところはすべて「記憶にない」として、100万円の寄付も10万円の講演料も「なかった」ときっぱり否定することを巧みに回避していて、反論にもなっていない。というか、きっぱり否定できないのが本当のところなのであろう、関与は明らかだ。安倍はこの問題が浮上した当初、「関与していれば総理大臣も議員も辞める」と明言した。世論を舐めきっていたのであろうが綸言汗の如しである。寄付も講演料も違法ではないが、自らそう発言した限りは辞めるしかない。これ以上、見苦しく醜態を晒すのはやめにしてもらいたい。

 このスキャンダルが従来と異なるのは、この土地取引を巡る一連の格別な便宜供与について、贈収賄といった経済的動機が見当たらないことだ。教育勅語を素読させたり中国韓国を見下したりといった戦前の天皇制軍国主義の価値観を、小学校の公教育を通じて子どもたちに植え付けようという、戦後のこの国の歩みを全否定するような極右的な動きがあり、これを首相夫妻や自民党、維新の党、それに公明党まで加わる国会の多数派が支持するというグロテスクな現実があって、官僚が保身と出世の思惑からこれに迎合し忖度、官僚用語で言えばうまく運ぶよう「知恵を出した」のが恐らくはこの事件の構図である。

 贈収賄の方がマシというのも気が引けるが、金も貰わないのに極右のイデオロギーを信奉する政治家や官僚が以心伝心で、こぞって正規のルールを曲げたり特別な便宜を図ったりする事態の方が、民主主義にとってははるかに脅威ではないか。ここまで不正が明らかになったこの事件で安倍晋三を首相の座から引きずり下ろすことができなければ、この国の民主主義はいよいよ最終的に崩壊の危機に直面することになるだろう。安倍らは幕引きを図るだろうが、籠池喚問は出発点に過ぎないのであって疑惑解明はこれからだ。野党には頑張ってもらいたい、圧倒的な世論は味方なのだから。


 と、前置きのつもりがあまりに長くなってしまったが、ここでめげずに明治維新の続きだ。 前回、明治維新国家はその生成期にあたり、資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたとし、この二者つまりは臣と民との関係は本質的に敵対的であたが、その敵対的矛盾は超絶的地位に君臨する天皇とこれへの絶対的帰依を要求する国教としての国家神道によって隠蔽されていたと述べた。

 明治維新は本質的にはクーデターであり、それは要するにまた薩長を始めとする雄藩連合と江戸幕府に御三家や会津など東北の諸藩との軍事衝突であった。当初は世界の情勢から開国やむなしとしてこれを受け入れる幕府側と、長州藩など時代錯誤な尊皇攘夷派との間での国策をめぐる政治的争点もあったのだったが、攘夷などという非現実的な主張は事態の推移とともにさすがに廃れた。となると残る争点は単に幕府か天皇か、どちらを選ぶかという支配者の選択のみになる。

 といっても、幕府の方は確かに徳川将軍を頂点とする政治機構であり軍事組織であったが、かたや天皇は単に担ぎ出された神輿であったに過ぎず、その実質は薩長雄藩の軍事連合であった。明治維新のとき、天皇はまだ15歳の少年だった。その年齢もさりながら、天皇家が真に政治権力を有したのは奈良平安朝の大昔から「建武の中興」くらいまでのことで、徳川の時代はもちろん、その前の戦国時代、さらに足利時代まで遡っても政治的支配者の地位にあったことはない。たとえば豊臣秀吉にせよ織田信長にせよ、さらには足利の歴代将軍にせよ、利用価値があると功利的に判断して存続を許しただけのことであり、その気になれば天皇の血筋を絶つことなどたやすいことだった。そうした意味で「万世一系」など偶然の産物に過ぎず自慢するに値しないのであって、実際、明治維新当時はそれこそ京都に逼塞する弱小封建領主に過ぎないのが実情だった。

 ただ、戦の旗印として担いだ側には、吉田松陰ら尊皇攘夷時代の思想的リーダーたちが普及した儒教思想の影響もあって、天皇を神聖視する空気が強まっていったのは当然のことだ。だがそれは、生身の政治的実力を有する現実態としての天皇ではなく、あくまで中国古代の尭舜に擬した理念態としての天皇であった。薩長側にしてみれば、要するに担ぎやすい神輿であってくれさえすればよかったのである。

 幕府を打倒し、さらに戊辰戦争に勝利して成立した明治維新政府は、形式の上では天皇を絶対君主として戴きながら、維新戦争で功績があってそのまま政府の高官に横滑りした元武士たちが実質的に全権力を握る。しかし、こうした高官の中には突然手に入れた地位に酔って私腹を肥やす者もあったし、また情実により政務を動かす者もあって、とても清廉とは評し難かったようである。また、廃藩置県や地租改正など、主として資本主義経済の確立のために行われた措置によりそれまでの特権のみならず生活の糧まで奪われた旧武士層、重税を掛けられた農民層らに不満が鬱積していった。要するに、明治維新政府が倒幕軍時代から掲げていた儒教的倫理は題目に過ぎないことが、事実によって明らかになったのである。鬱積した不満が爆発するのは時間の問題であった。(続く)




 さて、近況報告。免疫抑制剤の自分にとっての適量について一応目星がつきましたので、24日の金曜日に退院しました。ということで、この記事は自宅で書いています。今回は23日間の入院でした。その間に、遠藤周作の『沈黙』、ドストエフスキーの長編『悪霊』などの古典や、平野啓一郎のベストセラー『マチネの終わりに』などを読了、水彩F4(33.4cm×24.3cm)を12枚、F6(40.9cm×31.8cm)を2枚描きました。ほかにこのブログも6回ばかり更新しましたので、結構忙しかったです。

 で、その水彩画から一点、今回もモチーフはテキストからで「ブルターニュの農村」(F4)です。

170304 ブルターニュの農村 (2)サイズ







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