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  今年のNHK大河ドラマのヒーローは西郷隆盛だ。西郷ほど時代により毀誉褒貶(きよほうへん=ほめたりけなしたりすること)の落差が大きい人物はないが、その生涯は波乱に満ちていてドラマ化するエピソードは事欠かないし、活躍した舞台も薩摩、奄美、京、江戸など極めて広域で多彩だから絵にできるシーンにも不自由しない。そうした意味では長丁場のTVドラマの主役に、これ以上ぴったりの人物はいないだろう。

 さて、いま西郷は「毀誉褒貶の落差が大きい人物」だと書いた。西南戦争直後はもちろん逆賊だ。それから明治維新最大の功臣にして江戸を戦乱の大禍から救った国民的英雄と持ち上げられ上野に銅像も建ったが戦後は一転、明治維新の完遂に抵抗した頑迷な保守主義者として軽んじられた。それが再び評価されだしたのは明治百年がきっかけだ。明治百年とは明治元年から100年目の1968年(昭和43年)に政府が企画した祝典である。

 当時筆者は中学三年生。卒業アルバムには同じクラスの生徒たちみんなが書き連ねた文字でいっぱいの黒板の写真が収録されているが、そこに「吉田茂元首相国葬」とならび、この明治百年の文字が大書されているのが見える。中学生でも関心を持つくらいの国民的イベントだったのであり、これに対し明治維新を天まで持ち上げ100年をまとめて祝うことで戦争の過ちを忘却させ、国家主義を鼓吹する危険な動きだと革新政党や知識人陣営から鋭い批判がなされたことも覚えている。ちなみに、こうした論争の結果、官民有識者87人で作る準備会議がまとめた「明治百年を祝う5項目」のうちに「過去の過ちを反省し」の一項目が入ることで妥協が図られたのだった。いまのボンクラ2世どものアホ政権に比べ、当時の自民党政権にはそれだけの懐の深さと老獪な知恵があったということだ。

 さて、今年2018年は明治150年の節目に当たる。100年ほどキレの良い節目ではないが、これを国民の思想動員に利用してやろうという邪な意図は右翼アホ政権には当然あって、内閣官房を中心に様々なことが画策されているらしい。今回、NHKが大河ドラマで西郷を取り上げるのもその一環という気がするが、まあドラマはまだ始まったばっかりだし、評価を下すぎるに早すぎるだろう。

 たまたま、この明治100年のときに歴史作家の池波正太郎が書いた「維新の傑物・西郷隆盛」という一文を読んだ。池波は明治100年で西郷を持ち上げる社会のご都合主義を批判するとともに、国家国民に奉仕するという自らの本分を忘れて当選のためにのみ奔走する明治百年の議員たちについて、これを「もし西郷が見たら、『まだあのときの方がましでごわした』と、西郷は思うかもしれぬ。いや思うより先にびっくりして気絶してしまうであろう」と書いている。ここで「あのとき」というのはもちろん、下級武士が一気に高級官僚に出世して威張っていた明治維新のことだが、明治100年当時の今から見れば数段マシな政治でもこの評価なのだ。ましていまのボンクラ二世政権など見たら、西郷より先に池波がびっくりして気絶してしまうに違いないと思ったことであった。

 このブログでも一年ほど前、「Post Truthの時代について」とするシリーズを立ち上げ、西郷も重要なテーマとして書こうとしていたときがあったが、話題があちこち散漫に飛んでなかなか本題に行き着けないし、しつこすぎる気もしてきてなんとなく書く気が失せ、中断して現在に至っている。書きたいことはたくさんあるのだから再開すれば良さそうなものだが、もういちど文献にあたってウラを取るなどの作業はこの身体状況ではできそうにない。ということで諦めざるを得ないのだけれど、機会があれば西郷についてだけは思っていたところを書いて、けじめをつけたいと考えている。



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