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  4月3日、朝4時過ぎから起きて2時間弱、ノートを取って学習したのち、速歩で裏山に登る。雨は上がっているが風が強い。山道には桜の花が散り敷き、まるで雪が降った直後のような風情だ。良いことは長続きしないことをことわざに「月に叢雲(むらくも)花に風」というが、なるほどよくいったもので、桜の盛りに合わせたように毎年、必ずといっていいほど強風の吹く日がある。

 さて、このことわざに関連して思い出すのが、晩唐の詩人「于武陵」(うぶりょう)の「勧酒(酒を勧む)」の結びの句につけた井伏鱒二の名訳だ。こんな時、ネットは本当に便利。浄土真宗のお坊さんのブログから以下のデータを早速いただいてきた。原詩は高校古典の漢文でおなじみの五言絶句。


【以下、引用】

「勧酒(酒を勧む)」(于武陵)

  勧君金屈巵

  満酌不須辞

  花発多風雨

  人生足別離


(書き下し文)

  君に勧む 金屈巵(きんくつし)
  満酌 辞するを須(もち)いず
  花発(ひら)いて風雨多し
  人生 別離足る

※金屈卮:曲がった取っ手の附いた黄金の杯
※足  :満ち足りる。多いということ。

【引用以上】


そして井伏鱒二の名訳である。

  この盃を受けてくれ
  どうぞなみなみつがしておくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  「さよなら」だけが人生だ

 いうまでもなく「花に嵐のたとえ」は「月に叢雲花に風」を指すのだが、強烈に印象に残るのはそれに続けた「さよならだけが人生だ」という、あまりにきっぱりとして、とりつく島もないような断定の一文だろう。友と親しく杯を交わす「花のとき」に嵐を思い、「人生、別離足る」とうそぶく詩人はいったい何を訴えようとしているのだろうか。原詩にも名訳にも、所詮人生なんて…といった投げやりな空気、敢えていえば厭世観のようなものが濃密に漂うが、それが真意ではあるまい。

 人は出逢い、そしていつか別れる。満開の喜びの時は永遠には続かず、いずれ必ず嵐がやってきて今朝の山道のように路上に吹き散って終わるときが来るのだ。であればこそ、杯を交わすいまこの貴重な瞬間を大切にしようではないか・・・ 唐代の詩人はそう友にも自分にも言い聞かせている気がする。 
人と出逢い、ふれ合い、花の時間を過ごすとき、人はその幸せの価値に気づくことがあまりに少ない。幸せの大きさを知るのはいつも、嵐にはかなく散り別れ、それを失ってしまった後のことなのだ。 再び出逢うことなく時は流れ、後悔はもう及ばない。

 ・・・などと、出会った人、別れた人に思いをめぐらせつつそぞろ歩いた今朝の時間は32分15秒。
 勉強の内容は林業のチャプター1をノートを取り、PCでより詳しい情報をチェックしながらの精読だが、テキストに書いてあること は本当にエッセンス中のエッセンスで、ノートにはほとんど全文を書き写すような感じだ。こんなことならテキストをそのまま覚えればいいだけの話なので、果たしてノートを取る意味があるんだろうか、と、ときどき疑問になったりもする。ま、んなこと考えても仕方ないから、機械的に先に進んじゃうんだけど。

 今日は市役所で午前午後と続けて二人、女性団体の方と待ち合わせて打ち合わせる機会があり、そのダブルデート(?)の合間の時間つぶしで近所の書店をウロウロした。今の勉強に役立つ本はないか、探すともなく探していて、まあ、面白そうな生態学の本も見つけたのだが、それより子ども本のコーナーで目が吸い付けられたのが小学館の『図鑑NEO植物』だった。分厚い表紙を開き中身を一瞥して、これこれ!この内容!これを全部理解し覚えて話せたら十分じゃん!

 で、早速購入。ん~、ずっしり重い。まだ6才か7才だったと思うが子どもの頃、はじめて『恐竜の図鑑』を買ってもらって、最初にページを開いたときの興奮がありありと蘇ってくる感じだった。あの図鑑はボロボロになるまで毎日読んで、隅から隅まで完璧に暗記していたものだ。 あの子どもの時の恐るべき記憶力が今残っていたら、受験勉強もさぞかし楽なんだろうけどなあ・・・

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