7月4日、参議院の選挙戦が始まった。で、このところ、選挙のたびに思うのだけれど、どうしてマスコミは有権者がシラける方へシラける方へと、ヤブにらみな報道をするんだろう。最近の選挙でマスコミが争点としてあげたのはもっぱら政権交代で、要するにどの党が政権を握るかだけだ。

 まあ、どの党が政権を取るかが重要でないとはいわないが、自民党でも民主党でも米国と財界の嫌がることはしないって点では同じなのだから、どっちが政権につこうがやることに大差ないことは選挙の前から分かっている話なのであって、目くそ鼻くそ・・・はちょっと言い過ぎにしても、せいぜい素麺と冷や麦程度の違いでしかない。(お、我ながら巧いコトいった気がする(^o^)v) どっちが選ばれるかは、そのときのマスコミの好みと気分の問題だけだ。

 マスコミから、その素麺と冷や麦しかないなんとも貧しすぎるメニューを出されて、どっちか選べと迫られる有権者こそいい迷惑。〜んなの、有権者にはどっちだっていいのだ。それより大事なのは、いったい誰が自分たちの利益を代表しているのかを知ることだ。そうした意味では、まずなによりも米国や財界の利益が果たして自分たちの利益と一致するのか、それを解き明かすことこそが、主権者の耳目たる報道の役割ではないのか。

 今回はどうだろう、公示前の報道や本日の夕刊を一瞥したところでは、いまのところ「アベノミクスの評価」と「ねじれ解消」がどうこうなんてのが共通しているようで、やはり庶民の目線はどこにもない。いまさら書くのもはばかられるほど見え見えの話だが、アベノミクスは要するにインフレと円安で輸出大企業をもうけさせるって政策であって、庶民には貯金の目減りと物価高が押し付けられるだけで何の益もない。

 大企業が儲かれば、いずれそのおこぼれが庶民にも届くって理屈をトリクルダウン説というのだが、これまでもその伝の政策で潤った大企業はあまたあったのだけれど、儲けを内部留保としてがめつく溜め込んだだけで、賃上げで労働者に分配などしたことなど皆無、疲弊した地方や家庭には閑古鳥ってトリだけがやってクルもんで、ダウンしたのは庶民の財布と生活だけというお粗末だった。ここを突っ込まずにアベノミクスの評価なんてことが争点になるものか。

 さらに「ねじれ解消」に至っては、政策などもうどこ吹く風の風情だ。ねじれがなくなって、どんな悪法もスカスカ通るって国会がそんなにいいのか。決められる政治・・・などとエラそーにいうが、あっさり決められては大迷惑って問題も結構あって、両院大いにねじれて議論を尽くすのがそもそも国会本来の役割だって当たり前のことが、どうして考慮されないのか。

 この国のマスコミというかメディアは、選挙のたび、投票率の低さや有権者の無関心さを嘆く振りをして、その実、そうした事態を作り出す主犯の役割を果たしているのではないのか。この国の政治の最大の争点は常に、端的にいって、米国と財界の利益に無条件に奉仕するのか、それとも米国や財界の不利益になることでも国民の利益を守る立場を貫くかの、政治勢力の選択にある。この原点さえ押さえれば、報道はぐっとこの国の政治の真相に迫れるし、国民の政治的関心も高まるに違いない。だが、そもそもこの国のマスコミは自分を財界の一員と思っているから救い難いのだ。んなもん、ジャーナリズムの名に値しない。

 でもまあ、いくらマスコミにケチを付けても、政府のメガホンと化したマスコミがそう簡単に変わるとは思えない。それより、当座の選挙で一人でも多くの有権者が自分の利益になる選択ができるよう、何とかしなくちゃと思っている人から行動を始めることだ。幸い、今回の選挙からSNSを通じての選挙運動もある程度はできる。これらのツールも駆使してまず、自分たちが関心のある争点から選択の方向を示して行くことだ。

 コジローが重視する選択は、もちろん脱原発、被災地復興、護憲、反TPP、消費税撤回、京都議定書復帰、そして世界平和と民族独立だ。米国にも財界にも遠慮なくモノを言い、嘘をつかず、変節しない党、そして外国に出しても日本人として恥ずかしい思いをしなくて済む人(^_^;)を推したいと思う。

 さて、今、実は和歌山港から徳島港に向かうフェリーの中。低気圧のせいか、それとも客が少なくて船が軽いせいかいつになくよく揺れる。今夜は徳島市内に泊まって、明日は四国を横断し宇和島から大分に渡って佐伯森林組合を見学する予定だ。夜は再び宇和島に戻って大洲で宿泊、受験勉強の材料は出版されたばかりの25年版森林林業白書を持参した。政府刊行物を予約購入したのなんて初めて・・なんだけど、結構分厚いぞ、読めるかなあ。
 
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