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 新しい年が明けました。と、書き出すとお手紙調ですね。このブログ、まああまり活発に更新できているわけではありませんが、「ですます調」の記事と「である調」の記事が混在しています。「である調」は何かで頭にきている時だったり腹立たしいテーマを扱っていて昔の癖の論説調になりがちです。「ですます調」はその逆で比較的落ち着いている時や気楽なテーマを扱っている時で、自分では近況報告のお手紙を書くような感じです。昨今の世相から、最近「である調」になることが多いのですが、新年早々怒り心頭というのも芸の無い話ですから、元日くらいは心静かに・・

 とはいえしかし、世相もプライベートも「おめでとう」と言うのがはばかられる気持ちもあります。今年は初めて、一通も年賀状を出しませんでした。これまでも「おめでとう」や正月を賀し頌(しょう)する言葉は使わず、最も没価値的な新年の用語を探し「迎春」で通してきたのですが、昨年来、儀礼とはいえそれにも心理的な抵抗を感じるような状況となって、年賀状を書くことができなかったのです。が、といって、わざわざこのような気分を説明して欠礼をあらかじめ伝えるのもエラソーだし。ということで、いつもどおり年賀状を寄越してくださる方に対し、お返事の文面のみ用意して年を超えたのでした。

 さて、いま安倍自公連立内閣が推める軍国主義復活路線は、ますます暴走の度を強めています。年末に相次いだ国家秘密法強行や靖国神社参拝はもちろん、消費税増税、TPP交渉参加、原発再稼働、普天間基地の辺野古移設など、国民の多数が反対しても制止しても国会における圧倒的多数を背景に、その多数を得た選挙での公約を次々に反故にしてすらやりたい放題に突っ走る。それどころか、矢も盾もたまらず国会に集結して国家秘密法反対の声を上げる人々をテロリスト呼ばわりするに至っては、そのあまりの増長ぶりに、戦前の日本帝国にタイムスリップしたような一種既視感めいた感慨すら抱いてしまいます。その当時の人々も、こんな空気の中であの破滅的な戦争に突入していったのでしょうか。

 日本の政治はどうしてこんな世界でも最低の情けない状況に陥ってしまったのか。私見ではそれは、この国の政治家やオピニオンリーダーの多くが理想や夢を語ることをやめ、また学校でも社会でも同じく青臭い理想や夢を語ることがダサくカッコ悪いこととして排除されてきたことにあると考えています。ここでいう理想や夢というのは、個人の生活レベルの願望ではなく、現代社会の矛盾や悲惨さを視野に入れた上でのあるべき世界への思いや望みといったものです。

 日本の戦後史は、日本国憲法が掲げる理想と日米安保条約が掲げる現実主義との相克によって綴られてきました。その戦後史で政権を担った政党政治家は一貫して現実主義の名のもとに、憲法の理想を実現することを怠ってきました。例えば、憲法が定める軍備と交戦権の放棄はまさに恒久平和という人類の理想を実現するための手段ですが、その理想はいわゆる極東の軍事的緊張関係を理由とする現実的な対応によりずっと棚上げされてきました。こうした対応は社会福祉についても、国民の自由や権利でも、日本社会の全ての分野にわたっていますが、いずれも財政の不足など現実の困難を理由に憲法の理想は否定されてきたのです。

 4年前の秋に成立した民主党政権は、その現実路線を走る自公麻生政権のあまりのひどさお粗末さに対する国民の怒りの産物でしたが、3代にわたる民主党政権のやることなすこと自公政権と大差ないどころか、輪をかけて悪い面もあって次の選挙で惨敗、再び下野することになりました。実は、民主党が圧勝した選挙で掲げたマニュフェストと呼ばれた政策は、理想と呼べるほど高邁なものでも、新たな世界を切り拓くような体系的なものでもなく、せいぜい自公政権の手直し程度の代物でしたが、それでもよりマシと有権者は民主党に政権を託し、そして見事に裏切られたのです。

 二大政党とは言いますが、自民党も民主党も米国追随と財界奉仕という基本政策では大差なく、要するにこれこそが現実路線なのです。この現実路線の同じコップの中で自公民に加え維新だの「みんな」だの自民補完の現実主義政党を選択しようが結果は同じです。戦後日本の政治が一貫してその実行をサボタージュしてきた憲法の理想を実現すること。その選択なしにこの国の閉塞状況を打開することは絶対にできません。しかし、一見現実離れして見える憲法の理想を国民の多数が勇気をもって選択できるか。ただこの一点にこの国の未来はかかっています。

 これまで続いてきた事実の継続を前提として憲法が掲げる平和原則や脱原発の理想を非現実的として退け、またそれらの主張を青臭く幼い夢想として知ったかぶりに馬鹿にする悪しき習慣を打破しなければなりません。理想とはもともと大なり小なり現実から遊離したものです。しかし、いま目の前の現実からは遠くともそうした理想なしに、醜く悲惨な現実を否定し止揚することはできません。理想を否定することは、変革の可能性を否定するのと同じです。昨年亡くなったネルソン・マンデラも、長らく獄中にあった間、彼の理想は南アフリカの現実とは相容れないものでしたが、不屈にその理想を貫くことで理想を現実に引き寄せたのです。夢や理想を馬鹿にする一見大人びたニヒリズムは人間の知性と可能性に対する冒涜であり、学校教育を含め日本社会に蔓延するその病弊の摘出はこの国の社会進歩へ避けることのできない大きな課題です。

 先の総選挙それに続く参院選の2つの選挙で自民党は決して大量に得票を得て勝ったわけではなく、民主党の裏切りに絶望した有権者の多くが棄権した結果、相対的な多数を得て小選挙区制のトリックにより圧倒的な議席を制したに過ぎません。先にも書いたように政権は驕り高ぶっていますが、その政治的基盤はきわめて脆弱です。この間の選挙で棄権した有権者が投票に足を運び、また現実路線のコップの中での選択しか念頭になかった有権者の一定部分が、先に述べたような青臭い理想をまじめに支持すれば力関係は逆転します。

 そうした意味で、今年は理想や夢をあらためて真剣に語り、広げる年にしたいものだと考えています。世界と日本の現実を真面目に考える気風を広げること。そのことによって憲法の理想を復権させ、どうせダメだという諦めや政治からの逃避を克服すること。ことに深く考えることなく現実政治を選択した人々や棄権した多くの人々に対し、理想の側から力強く接近する年にしたいと思うのです。



 

 

 

 

 
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