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 昨夜から血圧が上がりっぱなしだ。いま自分が罹っている特発性間質性肺炎では、風邪が病態を急激に進行させるほか、結構高い確率で肺がんや肺高血圧なんて厄介な病気を併発する恐れもあって、医師から日常の体調管理が肝心と厳命されているだけに、こんなに血圧が高止まりするのは困ったことだ。しかし、人間の身体というのは正直なもので、日頃はバッチリ正常値の血圧が、ストレスがかかるとたちまち急上昇して警戒域に突入する。

 自分に残された時間を考えると、病状が悪化しないまでも、くだらないことに首を突っ込んで貴重な時間を浪費したくはない。できれば俗世間の喧噪から距離を置いて心休まる風景の中に身を置き、葉擦れと野鳥のさえずりしか聞こえない静かな森をゆっくり散策し、ときには古典文学や優しい音楽に包まれていたい(・・って、ん~、我ながら似合わないなって感もなくはないのだけれど(^_^;) )。

 しかし、昨日ブログにも書いた都知事選を巡るリベラル知識人たちの信じられないほど他愛ないほだされぶり。自分にはもはや関係ないことと捨て置けばよいものを、つい余計な発言をして、その自分の発言でますます頭に血が上り、それに合わせて血圧も上がるという困った性分なのだ。昨夜のブログは「もう寝る」と書いて締めたが、書き終えて後も興奮してアドレナリン全開、頭が冴えきって深夜まで寝付くことも出来なかった。だからもうこんな身体に悪いことは止めようと思うが、もうひと言だけ。

 そのブログを読んでくださった細川氏を支持する方から、記者会見も見ないで批判するな…とか、細川氏が発表した文書を読めとか、いろいろご助言を頂いた。で、まあ、それはそうだろうと思って記者会見の動画を拝見し、ご指摘の文書にも目を通したが、昨日のブログに書いた観点の基本的部分は変わらない。むしろ、脱原発以外のテーマで投げかけられる記者の質問にほとんどまともに応えられず、加えてしばしば言葉を噛んで弁舌が滞る様から、この人、そもそも、この年齢(76)で都知事は一期すら務めるのは無理ではないのかと案じられたほどだった。ホント、人道的観点から心配になる。ご自身も政治の世界から突然身を引かれたとき、定年は60歳と格好良く言っておられたではないか。

 まあ、それはいい。もっと強く感じたのは、細川護煕氏は天才ポピュリスト小泉純一郎が送り込んだトロイの木馬ではないかということだ。細川氏は肥後藩主であった大名の血を引く大甘のボンボンである。だいたい自分の公式ウェブサイトのフロントページに「殿」と大書できる感覚や、今回の戦いを「桶狭間」に例える歴史センスでコジローはもうこの人とはお付き合い出来そうにない感じなのだが、その独りよがりのボンボンゆえの脇の甘さがアダとなったのが東京佐川急便による1億円ヤミ献金事件だった。脱原発を訴える細川氏の言葉がウソだとは思わないが、その脇の甘さに今度は小泉がつけ込んでその気にさせたというのがコトの真相ではないか。

 小泉純一郎という人は世間の空気を読む天才であり、それを政治劇に演出して見せる職人芸的な手腕をも合わせ持っている。小泉本人が自覚しているかどうかは判らないが、今回引き起こされた事態は客観的には舛添を利するだろう。いま、この国の政治闘争最大の焦点は戦後の平和憲法体制を否定して戦前の軍国主義国家に回帰する安倍の暴走を許すかどうかの一点にある。今回の都知事選は地方選ではあれ、東京都という地方自治体独自の課題とともに安倍内閣への評価を問い、特定秘密保護法や靖国参拝を巡って暴走する安倍右翼ファシズムへの反撃を、都民の投票行動によって示す貴重な政治戦の機会だった。だが、その機会は小泉が国民の中に送り込んだ細川護煕というトロイの木馬によって、原発是非シングルイシューの人気投票に成り果て、目下の政治的対決点は決定的に疎外されて雲散霧消し失われたのだ。かつての郵政民営化同様、小泉細川連合が唱える脱原発は真の政治的対決点を誤魔化す煙幕に過ぎない。

 反原発でこの選挙に勝ち自民党支配に打撃を与えれば、軍国主義復活路線にも打撃になるという意見も聞く。だが、会見で細川氏は特定秘密保護法についてひと言も語ってはいないし、靖国参拝はココロの問題だという。小泉氏に至ってはまごうことなき靖国派だ。こんな人が仮に都知事になったとして、どんな文脈で安倍の暴走阻止に役立つのかその理屈がサッパリ判らないが、リベラル知識人の皆さん思い込んだら百年目というか、思春期の子どもが初恋の人を過大に評価して幻想を抱くのと同じで、脱原発なら反ファシズムもって感覚なのだろう。いったい、どこまでおめでたいのか。

 特定秘密保護法や靖国参拝といった敵が高速で投げ込んでくる直球は打ち返せても、脱原発なんて「くせ球」を投じられると、あえなく釣られて三振してしまう。私が今回のリベラル知識人達の対応に心底ガッカリさせられたのは、この無邪気さというか健忘症というか、あまりに幼稚でおめでたい政治センスなのだ。小泉は「自民党をぶっ壊す」といって落ち目の自民党を復活させた。今度は「原発をぶっこわす」といって(それ自体は本気かもしれないが)舛添を勝たせ、結果として安倍ファシスト政権を延命させる役割を果たし、さらには原子力ムラを復活させる役割を果たすことになるだろう。

 小泉細川連合出馬の報に接してある反原発知識人は「これで選挙が面白くなった」とはしゃいで書いていた。それを読んだ私は反射的に芭蕉の『面白うて やがて悲しき 鵜飼かな』の句を思い出した。祭の後に、どんな結果が待ち受けているのか、細川を支持する知識人達は、オピニオンリーダーとして有権者をミスリードした責任をとる覚悟はあるのか。皆さんはお嫌いだろうが、カール・マルクスは『ルイボナパルトのブリュメール18日』で「歴史は繰り返す、一度目は悲劇として、そして二度目は喜劇として」と書いた。あの程度の芝居に一度でも情けないが、二度も小泉にダマされるのはバカだ。

 こうして書けば書くほどストレスが募って身体に悪いし、だいたいこんなブログに書いたところでろくに読まれるわけもない。「蟷螂(とうろう)の斧」にもなりゃしない…と自嘲しつつ思うのだけれど、それでも書くのは、すくなくともそれが流されずダマされなかった人間がいた記録になると思うからだ。

 自慢するワケじゃないが、あの松本サリン事件の際、警察発表を真に受け…というか先取りすらして、マスコミが一斉に河野義行さんを犯人とする報道を連日、洪水のように垂れ流していたとき、この報道はおかしいと孤立無援に異議を唱えた記者時代の経験がある。だからといってコトが動いたわけではないし、田舎の記者のささやかな発言が世論に影響を与えることもなかったが、それはおかしいと声を上げた人間がたった一人でもいると表明することは、世の人々が再びダマされないために、なにがしかの意味があるのではないかと当時も思ったからだった。

 いまこぞってトロイの木馬に群がりそれに拝跪するリベラル知識人たちは、いずれ自らの不明を恥じることになるだろう。それは、政策で選択するのではなく、勝てそうな候補に乗りたいというさもしい根性、あえて言わせてもらえば相場師のノリで、あの甚大な犠牲の代償に勝ち取った日本国憲法が保障する国民の参政権を貶めた者への当然の報いだ。もちろん、だからといって彼らを敵視するわけではなく、選挙が終わればまた共感しあう関係を復活させたいと願っているが、どこまでも融通の利かない無骨な一民主主義者であるコジローは、あくまで政策で宇都宮けんじ氏を支持し、その勝利のために全力を尽くしたいと思う。


追記:1月25日、五十嵐仁さんのブログに、この内容と同趣旨の記事が書かれていましたのでトラックバックしました。

 追記;1月26日、いのうえゆきひろさんのブログにもトラックバックしました。
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