2015.08.26 夏の志賀高原
 もうかなり時間が経ってしまったのですが、私が所属する紀峰山の会の機関誌に載せた山行報告です。


       夏の志賀高原                               

 志賀高原と聞いて直ちに連想するのは冬のスキーだろう。豊富な積雪に恵まれ、広大な高原に80本を超えるリフトを縦横にかける日本最大のウインターリゾートなのだから、それは当然のことだ。しかし、実は夏の志賀も捨てたものではない。森林限界を抜くような高峰こそないが、山地帯から亜高山帯に広がる天然林に多くの池や湿原が点在し、美しい景観と多彩な花が訪れる者を魅了する。登山者がよく使用する昭文社の『山と高原地図』の一巻として「志賀高原」が採用されていることからも、それは理解されよう。

 とはいえ冬に比べればやはり、夏の志賀高原への来訪者は圧倒的に少ない。スキー宿はどことも閑古鳥で、窮余の策として東京の学習塾から小中学生の合宿セミナーを大量に受け入れてしのいでいるのが実情だ。今回の山行ではそんな塾生、「必勝」と大書したハチマキを締めた子どもたちを満載した大型バスが百数十台も連なる異様な光景を目撃して仰天した。東京の教育はこんなことになっているのか。この国はやはり病んでいるのではないのか。

 自分が過去に一度、夏の志賀高原を訪れたのは15歳の時だった。当時、長野市に単身赴任していた父が、たまには父親らしいことを…とでも考えたのか、乏しい貯えから奮発して大阪に住んでいた家族を呼び寄せ、山麓の上林温泉に宿舎をとって案内してくれたのがこの志賀高原「池めぐりコース」の一部だった。それから半世紀近くが経過し、その父は既に亡い。考えてみれば、当時の父は今の自分より20歳も若かった。その父の背を見ながら息を切らせて山道を登り、ようやく池が見えてホッとした記憶が鮮明に残っている。志賀高原を再度訪ねて、よしんばその記憶を確かめるのも今回の山行に期すささやかな思いだった。

 前置きが長くなったが、かくして8月6日、夜に臨時の仕事が入って当初の予定より大幅に遅れたが夜半に和歌山を出発、ちょうど夏山リフトが動き始める翌7日の9時前に高天原ゲレンデに到着した。早速身支度を整え9時10分にリフトに乗車。初日の今日は寺子屋峰から志賀高原の主稜線を縦走して岩菅山に登頂し、大きく周回してスタート地点に戻る計画だ。リフト終点から少し登って東館山の山頂にある高山植物園を経由して登山道に入る。同植物園には多くの高山植物が植栽展示されており、これだけでも結構楽しめる。植物園からしばらく歩くとやがて寺子屋ゲレンデに飛び出し、そこからひと登りで寺子屋峰(2125m)、さらに登って主稜線上の金山沢の頭に達したのが11時だった。2000mの気圧の低さはやはり厳しく、当初想定したより時間がかかっている。その想定もかなり余裕を見たつもりだったのだが…

 主稜線を北東へ岩菅山(2295m)を目指す。稜線上の道は右に豊かな樹林に覆われた魚野川の源流域を広く俯瞰して爽快だ。背後には快晴の空をバックに横手山もくっきりと見える。岩菅山の登路が始まるノッキリの分岐には12時半に到着。そこから岩菅山山頂までそう距離はないが、厳しい急登の道が草原を貫いているのが見えた。時計と体調を見て自重し下山を決定。15時過ぎ、高天原ゲレンデに戻って車を回収、木戸池まで走って自炊し車中泊した。

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 主稜線の道は爽快、正面にめざす岩菅山がくっきりと見えたのだが・・・

 8日は長距離の「池めぐりコース」を木戸池から全て徒歩で周る予定だったが、前日の体調を考慮してリフト利用へ計画を変更。夜明けと同時に起床後、リフトが動き出すまで時間があるので周囲を散策し、木戸池から小さな峠を越えて、田野原湿原が霧に沈む、素晴らしく幻想的な光景に出会うことができた。やはり早起きは三文の得だ。(下の写真でその絶景ぶりが伝わるだろうか)

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 前山リフトに車を回し8時10分の始発に一番で乗車。リフトの終点が前山湿原でこれを通過してひょうたん池をピストンし、さらに渋池、四十八池へと、登山道にしては広すぎる道をゆっくり登りながら、次々に池を巡ってゆく。四十八池は高層湿原で、志賀山を借景に箱庭のような美しさだ。さらに足を伸ばし小さな登りと急峻な下りを経て11時、エメラルドグリーンに輝く大沼池に達した。この池の宝石のような美しさ、特にやや高い位置から見下ろす情景は筆舌に尽くしがたい。

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  箱庭のような四十八池、背後は左が志賀山、右が裏志賀山

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  宝石のように美しい大沼池

 大沼池の周囲を巡るとやがて未舗装の林道となり、さらに塾の生徒を満載したバスが頻繁に行き交う舗装道に出たので、これを歩いて12時40分、蓮池のバス停に達した。そこで40分ほど待ってバスに乗り、前山リフトまで戻って車を回収。道草を食いながら志賀草津道路を快適に走って、万座温泉の豊国館には15時すぎに到着した。豊国館は昔ながらの湯治の宿で素朴かつリーズナブル(一泊二食でも6500円、自炊なら3500円)、しかし白濁したお湯は万座一との評判だ。その世評に間違いはなかった。

 最終日の9日は本白根山に登る予定だったが、同山の周辺には厳重な噴火警戒の入山規制が敷かれていて、山登りどころか駐停車も厳禁。仕方がないので木戸池に戻り、前日、出発を遅らせた関係でカットした「池めぐりコース」の残り「木戸池~蓮池」間を9時半から歩き始めた。そして、歩いてみて確信したのだが、この道こそが約半世紀前の中学三年生の夏、父の背を見ながら歩いた道だった。ガラにもなく少し感傷的な気分になりつつ次々に小さな池をめぐって11時過ぎに蓮池に到着。20分後のバスに乗って木戸池に戻り、和歌山への帰路についた。本白根山の入山規制は事前の調査不足だったが、そのおかげで追憶の道に再会することができたのだから、まあ、良かったとしよう。ともあれ、このように志賀高原は夏に訪れても見所は多い。いちいち書かなかったが出会える高山植物の種類も多彩だ。体力的な負担も小さく、山好きにはもっと歩かれて良い山域だとあらためて思った。

おまけに生物の写真を少しだけ

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  コバギボウシ、今が盛りで、池の周囲など湿っぽいところでは沢山咲いていました。

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  ウスユキソウ、これは少なかったです。ウスユキソウにもいろいろ種類があるのですが、これは接頭語が何もつかない普通のウスユキソウだと思います。

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  蓮池ではその名のとおり、ハスが満開でした。

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  やはり蓮池で咲いていたコウホネ。

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  木戸池で自炊していると小鳥が遊びに来ました。ハクセキレイだと思うのですが、鳥は自信ありません。


 6月18日(木)から23日(火)まで紀峰山の会の仲間たち7人と、5泊6日をかけて利尻島と礼文島をめぐってきました。コジロー実は2年連続なのですが、前回は両島をぐるぐる歩き回っただけ。今回はなんといっても山岳会のツアーですから、もちろん利尻山登頂が最大の目的です。
 
 初日の18日午前5時半、阪和道紀ノ川サービスエリアで集合した一行は、関空から朝一番のフライトで北海道新千歳空港へ。そこでレンタカーに乗り継ぎ、ひたすら北上して稚内港を目指します。ベテラン山屋さん御一行のこととあって5泊はすべて幕営ですので、テントや寝袋、炊飯具、ガス類などの生活用具一式は事前にレンタカー屋に別送。この大きな85リットルのリュック二つにパンパンに詰め込んだ荷物を、8人の定員いっぱいが乗り込んだ車に積み込むのですから、果たしてどうなることかと思いましたが、なんとか整理がついて出発できました。道中、サロベツ湿原に立ち寄ってから稚内市内のスーパーで自炊用の食料を買いだし、稚内駅に隣接する道の駅に到着したのは18時でした。

 翌日は6時20分稚内港発のフェリーでまず礼文島香深(かふか)港へわたり、礼文島北端のスコトン岬に9時に到着しました。そこから江戸屋山道、ゴロタ岬を経由し、澄海(すかい)岬を経てレブンアツモリソウ群生地に至る岬めぐりコースを歩きます。普通に歩けば所要5時間のコースですが、コジローは昨年歩いていますし、病気の関係でみなさんと同じ速度では歩けませんので、車での送迎に徹し、あわせて歩行時間の短縮をはかりました。

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 そして達したのがこの風景、澄海岬です。ここで歩いてきたメンバーをピックアップし、レブンアツモリソウの群生地へ。

 この島の固有種として自然に咲くレブンアツモリソウに出会うのが、利尻山登山と並ぶ今回の山旅の大きな目的の一つでした。昨年は7月に来たため、すでにレブンアツモリソウの花期は過ぎていて群生地も閉鎖されていました。今回も事前に問い合わせたところでは、花期が例年より一週間ほども早まっていて、もう自生する花は終わりつつあるとのこと。気を揉みながら行ってみたところ、たしかに大半の花はすでに終わっていましたが辛うじて三株ばかり、しっかり咲いている花に出会うことができました。

 レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬。確実に見たいのなら、もう少し早い時期に来れば良さそうなものなのですが、礼文島にはもうひとつ、レブンウスユキソウという、これまた絶対に出会いたい固有種の花があって、この花期が6月下旬から7月中順になります。というわけで、一度に両方出会おうと思ったら、もちろん二兎を追って一兎も得ないリスクもあるのですけれど、この時期を選ぶしかないのです。

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 これがその憧れのレブンアツモリソウです。平家物語の話になりますが、アツモリは横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)のことで、この風船のように膨らんだ花を、敦盛が合戦時に弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)に見立てた名前です。ついでですが、よく形状の似たクマガイソウという花は、合戦の常とは言いながら、自分の息子と同じ年頃であった敦盛の首を刎ねる巡り合わせとなり、募る無常感から出家した源氏の武将熊谷直実(くまがいなおざね)に由来します。なお、熊谷直実はさらにその後、平家の落武者となった平維盛(たいらのこれもり)が高野山から紀伊半島を南下し、那智で入水するに至る逃避行に関わって平家物語に再び登場します。ということで、和歌山と縁がなくもない花なのですね。

 さて、このレブンアツモリソウ、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、写真では見えにくいのですが、袋状の花の上に前後二つの穴があいていていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、穴の中には細かく刺が出ていて、入れるのは前の穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべの柱頭に触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための仕掛けなのです。

 さらに、結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトルを打ち上げる時のブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの胚は、何をエネルギー源にして発芽しているのか。実は、菌根菌という種類の菌類を微妙なバランスで共生させることによって発芽するのです。

 ここで面白いのは、植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという双利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種はハイネズという樹木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。菌根菌はレブンアツモリソウの胚を食べようとして接近し絡みつくのですが、そこでレブンアツモリソウはある種の抗菌成分を分泌し、菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで菌を飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。

 ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒され枯れてしまいます。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちていますね。こうした特殊な発芽様式のため、レブンアツモリソウは花を付けるまで発芽から8年もの時間を要し、また自然状態での世代交代も困難が多く、環境の変化や心無い盗掘もあって、絶滅の危機に瀕しています。

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 さて、話が長くなってしまいましたので先を急ぎます。この写真は赤いレブンアツモリソウ。縦走隊を待っている間に立ち寄った澄海岬の茶店で教えてもらったのですが、車道の脇にこれだけが自生していました。突然変異だそうです。
 
 それから高山植物園を見学してこの日の予定はすべて終了。「うすゆきの湯」という日帰り温泉で汗を流してから、香深井にある緑が丘キャンプ場で幕営しました。快適なキャンプ場でしたが、虫が多いのには閉口しました。

 明けて3日目の20日はまず礼文林道コースへ。香深井側の林道入口で歩くメンバーを下ろし、コジローはその林道を三分の二ほど歩いて達するレブンウスユキソウ群生地に逆方向から先行して(逆方向からであれば車で進入できるのです)、彼等を待ち受けることにしました。ところが、その群生地で目論見通り、レブンウスユキソウが咲き始めているのを確認したうえ、ぼちぼち迎えに行けば出会えるだろうと林道を逆方向に歩いていってみてびっくり。しばらく歩いたところにロープが張られ、そこから先が通行禁止になっているではありませんか。ということは、歩き始めたパーティ側の林道も、どこかで通行止めになっているはずです。で、パーティに連絡しようとしますが携帯は圏外。少々慌てましたが、しばらくして、親切なタクシーに乗せてもらったとかでレブンウスユキソウ群生地にたどり着いた一行と出会うことができ、ひと安心でした。

 合流したあとは、礼文島のハイライト、桃岩展望台コースに向かいます。隊を二手に分け、コジローら鈍足部隊は林道コースに接する桃岩登山口から入り、健脚部隊には、吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」の舞台となった分校を保存する「北のカナリアパーク」があって、このコースの終点ともなっている知床に先回りしてそこから逆に登ってもらい、途中で出会って車のキーを交換する交差縦走方式で歩きます。

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 桃岩展望台コースは見事なお花畑の連続。花は今が盛りのようで、多くの高山植物に出会いました。本州では2500m以上の高山に咲く花が、緯度が高いこの地方ではこのコースのような小高い丘陵地や平地に、まるで雑草のように平然と花をつけているのです。まずこれはレブンキンバイ。シナノキンバイとそっくりの大輪の花です。

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 桃岩展望コースは終始、海を見下ろすなだらかな丘陵にトレースされています。写真ではよくわかりませんが、緑の部分は高山植物のお花畑。下に見える小さな岩は猫岩。しゃがんだ猫が海を見つめているように見えます。

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 レブンシオガマ。本州の高山のヨツバシオガマと同じ仲間ですが、ヨツバ(四葉)ではなく5枚から8枚の葉が輪生していて、ヨツバシオガマよりかなり大きいです。

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 チシマフウロ。ハクサンフウロやグンナイフウロの仲間ですが、やはりかなり大きい。非常に株数が多く、お花畑の主役でした。

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 これがレブンウスユキソウ。有名なヨーロッパアルプスのエーデルワイスの仲間です。まだ時期が早いので、点々と見かける程度でした。

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 ネムロシオガマ。

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 エゾスカシユリ。地面から直接花が真上に立ち上がる感じが独特。後ほど、稚内から留萌に戻るオロロン街道沿いの原野で、エゾカンゾウとともに多く自生しているのを見かけました。

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 ご存知のとおりのスズランです。市販されている園芸品種の多くはドイツスズランでもっと大きいのですが、自生するスズランはこのように葉陰でひそりと花をつけていて、可憐でした。

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 「北のカナリアパーク」から望む利尻山。アイヌの言葉で「シリ」は島のこと、また「リイ」は高いことを指すそうです。つまり利尻=リイシリは高い島の意味なのですね。実は、桃岩展望コースを歩いた時、利尻島は雲に隠れてほとんど見えず、ハイキングを終えてフェリーが出るまでの時間を利用して昨日と同じ「うすゆきの湯」に入っていたら、雲がどんどん晴れて利尻山がくっきり見えてきたので慌てて湯から上がり、北のカナリアパークに全員大急ぎで舞い戻って、この映画のシーンが再現されたしたような場景に接することができたのでした。ラッキー! やはり日頃から善行は積んでおくものです。ヽ(´▽`)/

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 北のカナリアパークから香深港に戻り、フェリーで利尻島の鴛泊(おしどまり)港に移動。すぐに利尻山の麓で日帰り温泉「利尻の湯」の近くにあるキャンプ場に幕営して、翌日の利尻山登山に備えました。和歌山から利尻山など、めったに来られるものではありません。そこで、確実に登るため21日と22日の2日間、登山できる態勢で利尻島にステイし、天候等の条件が良い日を選んで登ることにしていたのですが、この様子なら明日、バッチリ好天に恵まれそうです。

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 4日目の21日は雲ひとつない快晴の大当たり。2時過ぎに起床し車で利尻山北麓野営場まで移動して3時12分、登高を開始しました。利尻山の標高は1721m程度で日本アルプスの高峰に比べれば低いですが、登山口の標高は200mちょっとしかありませんので、標高差は約1500mになります。この標高差は上高地から奥穂高岳直下の穂高小屋までに相当しますから、これを一日で登りさらに下りてくるというのは、相当なアルバイトです。肺の機能が落ちているコジローにはとても全うできる自信がありませんので、確実に登頂できるメンバーたちに先行してもらうことにしましたが、結果としては3人が私と同行してくださり、4人ずつ2パーティに分かれての登山となりました。

 歩き始めは真夜中の3時過ぎ、とはいえ夏至に近い頃とあって、この極北の地は白夜を思わせる明るさです。夜は午後8時半まで明るく、午前3時過ぎの歩行開始時も灯りはまったく不要でした。

 写真は8合目、正面に見えているのが利尻山の頂上で、標高差はあと500m。つまり、ここまでで約1000mの標高差を登ってきたことになります。緑色に見えるのは潅木帯で、主役は矮性のミズナラ、ダケカンバ、そしてハイマツなどです。山麓の方、樹林帯の主役はエゾマツとトドマツでした。

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 オオバナノエンレイソウ。本州の高山で見かけるエンレイソウに比べ、葉が小さい割に、花が非常に大きくよく目立ちます。そうそう、すでに花期は終わっていましたが、利尻島は登山道脇だけでなく平地も含め、ザゼンソウを多く見かけました。

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 頂上に到達です。時間は10時半、7時間あまりの登高でしたがコジローもみなさんの協力のおかげで、また持参したパルスオキシメーターで血中酸素濃度測り、携帯ボンベで酸素を吸入して心肺をなだめつつ、なんとか登頂することができました。特に9合目から上はガレガレの斜面で足を踏み出すたびに崩れて非常に登りにくい上に強風が吹きつけ、なかなか手ごわかったです。

 気候が厳しいこともあり、また低丘陵地に内地の森林限界状のお花畑が広がっていた礼文島の印象から、利尻山でも森林限界はすぐに抜けるものと思い込んでいたのですが、予想に反して頂上直下まで潅木帯は続いており、おかげで強風を避けることができました。これが丸裸の山だったら、登山は随分厳しいものになると思います。

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 下山開始。風が避けられる潅木帯に入ってホッと息をつき、振り返ると、利尻山を超えてゆく雲が滝のように斜面を流れ下っていました。

 登山口に戻り付いたのは15時35分。早朝の出発から12時間あまりのハイキングでした。先行した健脚パーティは我ら鈍足パーティより3時間近く早い13時55分の下山。先にテントに帰って食事の用意をしてくれていました。やれやれ、ともあれ最高の天候にも恵まれ、コジロー含め全員が無事登頂できて予想以上の成果でした。

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 翌日、5日目の22日は利尻山登山の予備日でしたが、前日に登山は済ませましたので、利尻島を一周し、利尻名物の美味に舌鼓を打ちながら観光ポイントを一応もれなくチェックしました。天候はしっかり雨。前日、晴れてくれて本当に良かったです。

 その後、フェリーで稚内港に戻り、日本最北端の宗谷岬に立ち寄ってから居酒屋で打ち上げを盛大に催して幕営。23日、ノシャップ岬からオロロン街道をひたすら南下し、再びサロベツ原野に立ち寄ってから新千歳空港へ。写真はその道中で通過した砂浜から望む利尻です。本当に見れば見るほど美しい。あの頂点にこの身体でも立つことができたのだと繰り返し熱く思いつつ、和歌山への帰路を急いだのでした。素晴らしい山行を共にしてくださった7人の仲間たちに、心から感謝したいと思います。



 3月22日は、紀峰山の会「なでしこ班」の山行で世界遺産でもある高野山町石道(ちょういしみち)を歩いてきました。町石道は、弘法大師空海が開いた真言密教の総本山=高野山の表参道にあたる信仰の道。大師の御母公を祀る和歌山県九度山町の慈尊院を起点として、一町(109m)ごとに石柱を立てていることから、町石道と呼ばれています。ちなみに、町名にもなっている九度山は、母思いの弘法大師が月に9度も、女人禁制の高野山から現在の町石道を下り、母が暮らすふもとの政所(まんどころ=高野山の庶務をつかさどる役所で、場所は現在の慈尊院)を訪ねてきたという故事に由来するとか。

 その町石は慈尊院から高野山の中心である根本大塔まで180基、さらに根本大塔から大師が眠る奥の院まで36基建てられていて、180基を胎蔵界180尊(仏)に、36基を金剛界37尊にあててそれぞれ梵字を彫り、かつてはこの一基一基に拝礼しつつ高野山に参ったもののようです。つまり、慈尊院から根本大塔を経て奥の院まで達すれば、真言密教の世界観を示す胎蔵界、金剛界の両界曼荼羅を身をもって体得することができるというわけなのでしょう。

 というわけで町石道は、ふもとの慈尊院にある180番目の町石からカウントダウンしつつ一町石ごとに高野山に近づき、ついに根本大塔まで登りつめる点にこそ信仰上の価値があるのですが、コジローは厳しい登りはドクターストップですので、今回はゴールの根本大塔から慈尊院に下る計画を立てました。参加してくださったのは4人。南海高野線九度山駅7時7分発の電車に乗車すべく5時40分に和歌山を出発しましたが、想定外に早く着いたので予定より一本早い6時42分の電車に乗ることができました。

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 レトロ感いっぱいの九度山駅。無人ですが券売機があり自動改札になっています。

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 終点極楽橋駅から高野山駅まではケーブルカーに乗り継ぎます。で、このケーブルカーの傾斜がハンパじゃない。最後は30度という壁のような斜面を這い上がるようにして高野山駅に到着です。写真はすれ違った下りの車両。電車もケーブルカーも、お客は我々5人以外は、南海電鉄の職員と思しき女性が二人だけでした。
 
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 快晴に映える根本大塔。高野山駅からはバスに乗り継いで千手院橋バス停で下車、10分ほど歩けば根本大塔です。いよいよ出発。スタート時間は7時50分でした。

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 壇上伽藍を出て大門に向う道すがら、間もなく進行方向右手に最初(本来のコースなら最後)の町石があります。町石はすべてこのような五輪塔で、標準的な高さは3mくらい。五輪が意味するのは上から空、風、火、水、土で、それぞれ人間の身体でいえば頭、顔、胸、腹、下半身にあたるそうです。

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 しばらく車道を歩くと大門です。これは何度見てもすごい。前景の人物からその巨大さが推し量れますね。

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 大門からしばらくは、スギやヒノキの針葉樹林を下ってゆきます。といっても、巨木が多いので飽きません。このスギも相当な迫力でしたが、写真でそれが伝わるでしょうか。

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 町石は大体こんな感じで立っています。

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 町石のほかにも、慈尊院からの距離を示す里石やこのように古い道標もあります。右慈尊院と彫られているのは読めますが、左はなんと彫られているのでしょう。かろうじて「山楼」と読めるように思いますが、楼は楼門、つまり大門のことでしょうか。

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 これが100町石。ちょうどキリがいいので記念撮影しました。

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 神田(こうだ)地蔵堂。神田はこのあたりの地名ですが、昔からこの場所にはお堂があって、参詣者はここで休憩を取ったそうです。私たちものどかな山里の風景を楽しみつつ、ここで昼食にしました。

 もうひとつ、このお堂には悲恋伝説があります。平安時代、平清盛に仕えた斎藤時頼という武士は、清盛が主宰した宴で建礼門院に仕えていた横笛という美貌の女性の舞を見て一目ぼれし、恋文を送ります。横笛は多くの男たちから交際を求められていましたが、時頼の無骨だけれど真情にあふれた恋文からその人柄を見抜いてこれに応えようとします。しかし、時頼の父は身分違いの恋を許さなかったため、失意の時頼は横笛に告げず出家して仏門修行に入り、修業した寺の名を借りて滝口入道と自称するようになります。

 その後、二人の間でいろいろいきさつはあったのですけれど、最終的に滝口入道=時頼は女人禁制の高野山に入り横笛への思いを断ち切ろうとします。横笛は滝口入道を慕って後を追うのですが女人結界に阻まれ、この地蔵堂でいつか町石道を降りてくるかもしれない滝口入道を、来る日も来る日も待ち続けて人生を終えたのです(入水自殺したという説もあります)。それを知った滝口入道は悲しみを振り捨てるようにますます一心不乱に修業に励み高野聖となって別格本山の住職を務め、後に紀伊勝浦での平維盛(これもり)の入水に立ち会っています。なお、維盛の逃避行の事績については以前、小辺路の山行報告で少し書きましたので、ご参照ください。

 以上が平家物語が伝える一段なのですが、ん~、ま、滝口入道の立場も分からなくはないけれど、これは絶対的に横笛の肩を持ちたくなるよねえ。「身分がなんぼのもんじゃ!」「滝口入道の意気地なし!」・・・と、当時の庶民も思ったようで、この町石道に近い天野の里の一角には、横笛の悲しい生涯を哀れんだ村人たちが建てたという「横笛の墓」があって、いつ訪ねても花が絶えることがありません。ともあれ、この神田地蔵堂で112町石を数えます。

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 さらに120町石付近、全行程の三分の二を歩いたところで二つ鳥居に出会います。この鳥居は先の話でも出てきた天野の里に鎮座する丹生都比売(にゅうつひめ)神社の神域を示すもので、一つは高野明神を、さらに一つは丹生明神を示すといわれています。

 空海は高野山の開創に際し、丹生都比売という女神からその神領であった地を譲り受けたという伝説があり、このとき空海を高野山に案内したのが丹生都比売の息子で、黒と白の犬を伴う狩人に化身した狩場明神(高野明神)でした。ということで神仏習合的ですが、高野山にはまずこの神社に参ってから町石道を登るのが慣習化されていたそうです。なお、丹は朱砂(しゅしゃ)=辰砂(しんしゃ)の鉱石から採取され水銀の原料ともなる朱を意味し、丹生はその鉱脈があったところに残る地名で、全国に数ある丹生神社や丹生都比売を祀る神社の総本山がこの天野の丹生都比売神社なのです。

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 余裕があればその丹生都比売神社に立ち寄りたかったのですが、時間が押していたので先を急ぎ、136町石付近で六本杉峠に到着します。
 
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 160町石を過ぎると柿畑の中の道となり、下界の展望がぐっと開けて蛇行する紀ノ川が目に飛び込んできます。気持ちの良い所ですが、堅い舗装路がすでに18kmを歩いてきた足に結構こたえます。

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 かくして、ようやくゴールの180町石に到着して記念撮影。よく頑張りました。がまだ、朝一番に車を置いた九度山駅付近まで、1.5kmほど舗装路を歩かなくてはなりません。
 
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 180町石から階段を下ると慈尊院です。冒頭にも書きましたように、弘法大師の御母公がお住まいになった所で女人高野とも呼ばれ、女性の両乳房を造形した「乳房型(ちちがた)」が多く奉納されている女性のお寺です。
 
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 まだ花の季節には早く、あまり見るべきものはありませんでした。これは先々週の「春日山」でも見たシキミの花。シキミはミカン科で、葉をちぎるとみかん独特の香りがして、明瞭にそれとわかります。

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 シロバナショウジョウバカマ。 ショウジョウは猩々(しょうじょう)と呼ばれる大酒のみで真っ赤な顔をした猿に似た架空の動物のことで、能では真っ赤な長い頭髪を振り回す姿で演じられています。ショウジョウバカマの花の多くは真っ赤なためこの名がついたのですが、白花では猩々を連想させるのは無理ですね。またハカマは和装の袴のこと。この植物の葉がロゼッタと言って、地面に広がって張り付く様子を袴に例えたのです。このショウジョウバカマについては、その生態に面白いことがいくつかあるのですが、それについてはまた別の機会に。

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 シロバナショウジョウバカマの花のクローズアップ。花は先に雌しべが伸び、そののち時間差をおいて雄しべが伸びてきます。この花は雄しべが十分伸長しているので、成熟した状態であることがわかります。

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 ホトケノザ。 同じシソ科で外来種のヒメオドリコソウと間違えやすいのですが、ホトケノザはこの写真のように葉の上に花がつくのに対し、ヒメオドリコソウは葉と葉の間に花がつきます。なお、春の七草に数えられるホトケノザはコオニタビラコというキク科の植物のこと、ホントややこしいです。
 
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 ホトケノザの花のクローズアップ。「踊り子」の名は譲りますが、ヒメオドリコソウや在来種のオドリコソウ(以前のブログに写真を掲載しています)とそっくりの花の形で、阿波踊りや佐渡おけさを踊る女性のようです。本当に自然の造形というのはつくづく驚異に満ちています。

 さて、慈尊院から車道をテクテク歩き、途中の道の駅で柿の葉寿司を買ったりして駐車場に戻ったのは16時半。根本大塔からの全行程に8時間40分を要したことになります。ガイドでは登りでも標準タイムが7時間ですので、まあ6時間もあればなんとか・・・と思ったのは甘かった。ワタクシの講釈時間が長かったのか、それともゆっくり歩きすぎたのかよくわかりませんが、丸一日たっぷり歩いて活動量計を確認したところ、39185歩で23.9kmの歩行量。まあ、疲れるはずです。ともあれ全員無事ゴールインできてやれやれです。帰りの車では運転手のワタクシ以外、みなさんそろって大爆睡でした。(^_^;)



  3月7日、紀峰の会「なでしこ班」の企画山行で奈良の「春日山原始林」に行ってきました。この程度の高低差ならなんとかご案内できるだろうと考えてのコジローの提案。女性ばかり4人の会員が参加してくださって実現しました。ちなみに紀峰山の会では6つある班ごとに今年3月から来年2月までの年間山行計画を作成しており、我が「なでしこ班」は約60の山行を企画。この春日山原始林が年度最初の山行になります。

 春日山は春日大社の神域で、同社が成立した平城京の時代・・・ということは、いまから1400年前から厳しく狩猟伐採を禁じ保護してきたということで、まさに「原始」の森が残されている国の特別天然記念物。また、「古都奈良の文化財」を構成する8つの文化要素の一つとして世界文化遺産にも指定されています。植生としては基本的には暖帯性の照葉樹林なのですが、より南方系の植物要素も見られるようです。

 7時前に和歌山を出発して、春日大社の駐車場に8時15分に到着。身支度を整えて8時半から春日山遊歩道を北入口から歩き始めました。

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 遊歩道の入口にある石標。ゆるやかに登ってゆく道路はよく整備されていて、左右の植物を観察しながら歩くのに最適です。いまは冬なので落葉樹が葉を落としていているため林内は明るい。葉をつけていてよく目に付くのは、スダジイやコジイ(ツブラジイ)、ツクバネガシ、ウラジロガシ、アセビ、カゴノキ、モミ、スギなど。落葉樹では、ケヤキ、ムクノキ、各種のカエデ類、それから巨大なフジも見かけました。伐採されていないだけに、見事な大木も多いのですが、残念ながら写真にはなりにくい・・(^_^;)

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 樹木などの解説も交えながら、ゆっくり歩いて9時50分には三笠山(=若草山)山頂(342m)に到達。曇っていましたがなかなかの見晴らしで、左手に金剛山がゆったりと聳えていました。また、この付近だけ、アセビが多くの花をつけていました。日当たりが良い分、林内の個体より早く咲くのでしょうか。

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 奈良公園といえば、やはりこの子たちを外すわけにはいかないでしょう。若草山周辺にも多くいましたが、春日大社におわす神様の使いです。

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 若草山から遊歩道は春日山ドライブウエイと合流します。が、ドライブウエイといっても舗装しているわけじゃなく、広い地道が続くだけで、車もほとんど通らないので感覚としては歩道と同じです。その途中で見かけた山桜の巨木。・・・なんですが、やっぱ、私の写真技術ではスケール感が出ませんねえ。

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 若草山からゆっくり歩いて一時間ほどで、大原橋の分岐点に出ます。そこにあった石標。世界遺産であることが刻まれています。ここから鶯の滝への道が分岐しているのですが、まあこの水量、この山の深さから考えて、そんなに立派な滝があるはずもないので立ち寄らず、先へ進みました。そうそう、この橋のそばに東屋があって、大きな「鹿威し」(ししおどし)が時折、静かな山中に甲高い音を響かせていました。

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 さらに半時間弱の登りでこのコースの最高標高点である芳山交番(394m)に達し、そこから少し下ると首切り地蔵です。11時25分着。なお、交番といいますが警察関係の施設ではなくハイウエイのチェックポイントのことです。

 首切り地蔵はその名のとおり首のところで切れた跡がありますが、これは荒木又兵衛が試し切りしたためとか。まあ、ありそうもない話ですけどね。それから、この写真では小さく見えますが、この地蔵さん、人の身長を上回る高さがあります。となりの小さなのが標準サイズ(?)の地蔵さんですので、比較してみてください。

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 首切り地蔵のそばにはこのような東屋とトイレが整備されています。ここで昼食としましたが、いやあ寒かった。

 ここから、再び遊歩道に戻ったのですが、トイレの横から小川沿いに不明瞭に分岐している東海自然歩道の方を歩いたほうが、良かったかもしれません。下山してからわかったのですが、岩に刻んだ何体かの石仏は、東海自然歩道からしか見られないからです。

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 まだ山は冬の眠りの中といった感じで、今回の山行中、見かけた花は、本文にも書きましたが、若草山周辺のアセビ、ところどころでポツンポツンと咲いていたヤブツバキ、それからこのシキミくらいでした。

 シキミの透明感のある白い花は可憐ですが、そのシキミは「毒物及び劇物取締法」で規制されている唯一の植物として知られるほどの毒性があり、幹や枝も葉も根も含め株全体が劇物なのです。中でも実は毒性が強く、それゆえ「悪しき実」と呼ばれたことがシキミの語源と言われる程です。

 そうした性質を昔の人はよく知っていて、土葬した死体を山犬らが掘り返すのを防ぐためこの木で墓地を覆ったとか、まだ埋める前の死者の死臭を消すためにこの枝葉が焼かれ、これが抹香の元となったとも言われます。それで、関西地方ではいまも、葬式でシキミを立てる風習が残っているのですね。

 そんな人間側の思いとは関係なく、まだ色彩に乏しい早春の森でシキミはひとり、さかんに春の訪れを告げていました。

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 最後にもう一枚。これはカゴノキの樹肌です。カゴノキは「鹿子の木」で、ようするにこの斑点模様が鹿の子の肌模様に似ていることから、この名が付いたのです。一般にはあまり見かけない木なのですけど、この原始林にはたくさん生えていて、何回も間近に見ることができました。案内したメンバーたちも、この「鹿の子模様」だけはしっかり記憶してくださって、次の機会には簡単にカゴノキを識別できることと思います。

 春日山遊歩道をぐりっとめぐって南入口に達し、さらに春日大社境内の歩道を少し歩いて駐車場に戻ったのは13時半。戻ったのを待ちかねたように、それまで薄暗かった空から大粒の雨がこぼれ落ちてきました。これはラッキー、やはり日頃より善行は積んでおくものです。その後、時間が余ったので興福寺の宝物殿でも見ていこうかと立ち寄ったのですが、駐車場が満杯で入れないほどの人だかりでしたので諦め、和歌山へ直行。15時ちょうどに無事集合地点に帰着し、パーティを解散しました。

 ま、山行とも呼べないほどの遊歩道ですが、日本でも第一級の原生の森にこんなに近くで接することができるのはすごいことです。今回は落葉樹も花もなくて寂しかったので、また機会を改めて再訪したいと思います。



 10月11日からの三連休、台風19号の接近に気をもみつつ、東北の名峰、栗駒山に登ってきました。栗駒山は宮城、岩手、秋田の3県境に位置する独立峰で、夏の花も冬の雪景色もいいのですが、なんといっても特筆すべきは紅葉で、その見事さは日本一とも言われています。

 計画を入れたのは8月はじめ、過去数年の紅葉情報を綿密に調べてベストな日程を選んだだけあって、2ヶ月も前なのに周囲の有名な温泉宿はすでにほとんど満室。ん~、みなさん流石というか、良くご存知なんですねえ。そうしたなかでも、八方手を尽くしてなんとか温泉宿を二泊分確保し、フライトを手配してずっと楽しみにしてきたのでした。

 そこへ、意地悪な台風接近です。帰路はフライトがキャンセルになる恐れが強かったのですけれど、ピーチアビエーションの基本プランではお客の都合でのキャンセルは一切返金なし。ということであればこれは、雨が降ろうがヤリが降ろうが行くっきゃないということで計画通り強行。メンバーのうち一人は、旅程の延長が不可能な仕事の都合で残念ながら断念したのですが、残る4人は11日関空7時40分発のフライトで仙台空港へ。そこでレンタカーの乗り継いでまず、こちらも紅葉の名所として知られる蔵王へと向かいました。

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 蔵王の通称「お釜」。御嶽山であの恐ろしい惨事があって、「蔵王も火山だったよなぁ…」と思っていたら、この前日、テレビで「蔵王の火山活動が活発化」とのニュース。お釜の水が一部変色し、山体も少し膨らんでいるとか… 台風に加えて噴火かぁ…でしたが、他に行くところもないのでこれも予定通り決行。行ってみれば、ニュースを気にしない人も多いようで結構な人だかり。とはいえ噴火情報のおかげでやや人が減ったおかげか、紅葉シーズンのピークにも関わらず、たいして待つこともなく頂上の駐車場に入ることができました。空は胸がすくような快晴でしたが風が強く、非常に冷えました。

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 コマクサ平付近から見た蔵王。すごい青空でした。

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 翌12日は、宿舎(ハイルザーム栗駒)を8時前に出て、車で登山口のイワカガミ平まで登ろうとすると、途中で通行規制。イワカガミ平の駐車場は早くも満車だそうで、そこからシャトルバスで登山口まで送ってもらいました。途中、登りの車窓から眺める紅葉は最高調。平年より紅葉の進行が早く、頂上付近の紅葉はもう終わってしまったそうですが、山麓がこれだけ凄ければ大満足です。 イワカガミ平らに着いて登山開始は8時半、この日は東栗駒コースを登って中央コースを下山するプランで、写真は東栗駒コースの入口です。

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 紅葉の主役はドウダンツツジ。黄葉の主役は登山道下部ではシラカバ、上部ではダケカンバでした。ドウダンツツジは紀州のそう高くない山でも見かけるのですが、結構寒いところにも適応しているのですね。もしかすると、高地にまれに見るというベニサラサドウダンかもしれませんが、花がない時期の識別は難しいそうです。 

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 森林限界を抜けると広々としたハイマツの高原に出ます。その緑の原を前景に、そして蒼空を背に、あくまで伸びやかでたおやかな栗駒山が美しい。栗駒山も火山で、噴火口と思われる窪地が登山道からいくつも見られました。

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 東栗駒山(1433.8m)。風もなく、のどかな雰囲気です。

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 つきました。11時15分。栗駒山(1626.5m)山頂です。
 山頂はものすごい人だかり。東栗駒コースは登山者も少なく、のんびりした雰囲気でしたが、山頂直前で観光客のような人も大量に歩く中央コースが合流し、さらに頂上では岩手秋田県側の須川コースから登ってくる登山者も相当数あって大変な混雑です。ま、今がピークだから仕方ないのですけれど、なんとか岩手県側に場所を見つけてそそくさと昼食をとり、大急ぎで中央コースを駆け下りて、13時過ぎにイワカガミ平に帰着。シャトルバスからレンタカーに乗り継いで下山しました。

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 下山してからさらに「帰りがけの駄賃」ということで世界谷地(せかいやち)へ。なんか大層な名前ですが、「世界」は「広い」を意味する程度のことらしい、谷地はもちろん湿地です。その世界谷地へは駐車場から約15分。紅葉の美しい広い道をたどります。ここでの紅葉の主役はヤマモミジでした。

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 世界谷地からはるかに栗駒山(右奥)を望む。中央やや左手前の山は大地森(1154.9m)です。

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 最終日の13日。朝3時半にふと目が覚めたのでチェックしてみると、予想通りフライトは台風のため欠航になっていました。こうなれば新幹線が動いているうちに陸路でできるだけ和歌山の近くまで帰るしかない。当初の計画ではこの日は岩手・秋田県境の須川温泉から再び栗駒山に登るはずだったのですが、それはもちろん中止、…だけど、宿(やびつ温泉瑞泉閣)の朝食を済ませなければ出られない。ということで、「朝飯前」に須川温泉までドライブしてみることにしました。

 その途上の紅葉の見事だったこと。台風の影響で昨日までの快晴は望むべくもなく、光線が不足していたのが残念ですが、実にあっぱれな紅葉でした。写真は須川温泉から秋田県側へ少し下ったところにある湿地で撮影。ダケカンバの倒影が印象的です。

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 さて、そろそろ帰ろうか…というときに出会ったのがこの情景。ん~、光線不足がほんと残念ですが、いまが盛りの紅葉と雲海に浮かぶ峰々。本当にうっとりと見とれてしまうような絶景で、すぐに宿に戻るのが惜しく、ここでコーヒーを沸かしてしっかりこの光景を目に焼き付け、これで満足して和歌山への遠くも難儀な帰路についたのでした。