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  都議選の結果が出た。小池都知事が率いる都民ファが地すべり的に圧勝し、安倍政権の国政私物化に加えハゲの恨みも買った自民党は壊滅的な敗北、政界のヌエ公明は落ち目の自民を見限り小池に擦り寄って卑しく前回同数の全員当選を果たした。一方、共産は反自民反小池の覚めた世論の受け皿となって議席を増やし存在感を示した。また消滅が懸念された民進も最終的には5議席を確保して踏み止まった。(以下の表はNHKのサイトからの転載です)

スクリーンショット 2017-07-03

  「ハゲの恨み」はまあ置くとして、この結果を招いた最大の要因が安倍自公政権の奢りと腐敗、国政私物化に対する国民的な怒りであることは明らかだ。ただ、事前に予想されたとおり、その怒りは本質的に自民党の一派閥に過ぎない都民ファにほとんど吸収されてしまい、政治的には消化不良の結果となってしまった。

 小池百合子という政治家の本性は、思想的には極右イデオロギーとレイシズムの、行動原理としてはポピュリズムとマキャベリズムのそれぞれ複合体である。詳しく紹介する余裕はないが、現行憲法への嫌悪感は強烈で改憲どころか廃憲を主張するウルトラ右翼ぶりだし、在日朝鮮人学校への公立学校並みの補助金支給を停止するなどその差別体質は際立っている。つまり思想的には安倍晋三に非常に近い。だが、安倍に比べれば頭が良い(安倍より頭が悪い人を探すというのもなかなか難しい課題だとは思うのだけれど)ので、それを女性であることもしたたかに利用して巧妙に隠しているだけだ。

 そうした意味では、こうした排外主義的右派イデオロギー勢力が日本を代表する首都東京の議会で、選挙前の自民57+公明22+都民ファ6=85(もちろんこれでも充分多いのだが)から自民23+公明23+都民ファ55=101に増え、議員総数127の実に8割近くを占めるに至ったのだから、こうした選択をした都民の圧倒的な部分は自覚していないだろうけれど、これはこれで実は大変なことなのだ。

 とはいえ、これが歴史というものなのだろう。世の中をひっくり返すコペルニクス的転回のごとく革命的な国民の政治的覚醒など、そう簡単には起こらない。我々総体としての国民はなお、ソフトイメージを振りまく小池のマヌーバーを見破るほど成熟してはいないのだ。

 だが今回、このようにメディアがこぞって煽り立てる小池旋風の暴風の中で、それに吹き飛ばされず2議席とはいえ共産党が着実に議席を伸ばしたことは実に大きい。NHKの出口調査の結果(他のメディアの出口調査も同傾向)によれば、無党派層の投票先は都民ファ40%に続き共産党が16%で、1位との差は大きいが自民党の13%を抑えて2位につけている(民進は9%で4位)。

 相変わらず腰の座らない民進のふらつきがなんとももどかしいが、これは反原発や戦争法反対のデモをきかっけに生まれ、院内外で成立した市民と野党連合の共闘が愚直に積み上げてきた行動が、変革のエネルギーとして確かな実りを上げつつある何よりの証左といえよう。前途はなお遼遠だが、その道は間違ってはいないのだ。





 今日は東京都議選の投票日、和歌山県議選と同じレベルの地方選挙のひとつに過ぎないがこれまで常に時代の空気を敏感に反映してきたこともあり、その結果が国政に与える影響は大きい。安倍自公政権の腐敗した本質がようやく広く認知されようとしているだけに、今夜の開票結果が注目されるところだ。

 さて、その安倍自公政権の乱脈腐敗ぶり。最近報じられたのは豊田真由子衆院議員の秘書に対する暴言暴行、稲田朋美防衛大臣の「防衛省、自衛隊、防衛大臣としてもお願いしたい」という都知事選での違憲違法応援演説、下村博文衆院議員・自民党東京都連会長が文科大臣当時に加計学園からヤミ献金を受け取ったとされる疑惑などなど、まさに底なしの様相だ。

 これらのエピソード、コトの重大さからランキングすればなんといっても自衛隊を私兵視していたとしか思えない稲田防衛相の発言がダントツに重大で、加計学園と安倍内閣の癒着を重ねて裏書した下村元文科相のヤミ献金疑惑がこれに続き、豊田議員の発言はこれらに比べれば被害が小さく、要するに個人の資質の問題に過ぎないと等閑視されそうなものだが、都議選への影響という点から見ればこれがもっとも大きいのではないかという。

 豊田議員の暴言は確かに衝撃的だ。自分自身、相当長い人生を生きてきたのだけれども、あのように聞いて胸が悪くなるほどの汚く下品な罵倒の言葉を、ヤクザ映画や漫画などのフィクションではなくリアル社会の言葉として聞いたのは初めての体験だった。「おぞましい」の一語に尽きる。報道によれば、子どもたちがこの罵声を真似ているそうだ。陰湿なイジメの語彙を増やしたかもしれない。まことに罪深いことだと思う。

 このエピソードが東京都の有権者の意識に最も大きな影響を与えているとすれば、それはこの暴言暴行が他のエピソードに比べはるかに分かりやすい「悪」であることと、あまりに一般社会の常識を超えるある種の凄さが要因だろう。稲田の嘘つきや馬鹿さ加減は周知のことだし、下村のヤミ献金と加計学園への優遇もありそうなことだ。これらは要するに常識の範囲内だが、豊田の暴言暴行は遥かにブッ飛んでいる。マスコミが繰り返しあの聞くに耐えない暴言のテープを流すのは、珍奇性で視聴率を稼ぐ業態としては当然のことだ。

 さて、豊田の暴言に貫かれている思想は自らを選ばれたエリートと考える一種の選民思想である。秘書などはエリートの使い捨ての道具、もう少しましに表現しても自らに奉仕する奴隷に過ぎない。極度に肥大化した自己像、他者認識の欠如ないしは蔑視、そこから派生する全体としての非人間性。だが、これは豊田個人の資質的欠陥によるものだろうか。もちろんそうではない。これこそが安倍政治なのだ。

 特権階級たる安倍とその取り巻きたちは超法規的存在であって、法を犯そうが行政を歪めて国家財政を食いものにしようが、さらにはあろうことか強姦に及ぼうが咎められることはなく、逆にそれを諌めようとする籠池氏や前川元次官は御用メディアや検察権力を動員して攻撃する。検察警察権力が政府の道具である実態を見慣れている稲田が、その粗雑な脳みそで自衛隊を自民党の道具と認識することに何の不思議もないし、下村が身内の加計学園に便宜を図る見返りにカネを貰うのになんら痛痒を感じないのも当たり前のことになる。まして、秘書の人格など何ほどのものか。

 要するに、豊田真由子の暴言暴力は、いわば安倍政治の本質を誰の目にも見える形でわかりやすく示したエピソードなのだ。東京都の有権者がこれに最も敏感に反応したとすれば、それは有権者の感性の健全さを示したものと言えるだろう。一方、小池都知事と都民ファーストなる会派が自民党の別働隊に過ぎないことを見破るのは遥かにむつかしい。ともあれ、今夜の結果を待ちたい。




 あのトランプ氏が米国大統領に選出された。もちろんトランプなんてホラ吹きのレイシストなどが好きなわけはない。ヒラリーも好きではないがまああのギャグ漫画みたいなトランプに比べればまだマシ、というか政治家としてははるかにマトモだから、この結果は甚だ面白くない。しかし、驚天動地とか世紀の番狂わせとかいうけれど、何度も繰り返された大メディアの世論調査も出口調査もしたり顔の専門家とかの情勢評価も、ことごとく外れたのはむしろ小気味いいほどだ。

 今回の大統領選で考えさせられたのは、事ほどさように「何が起こるかわからん」民主主義という制度について。

 それについて書く前にひとつだけ確認、得票で優ったヒラリーだったが、独特の選挙制度のせいで当選したのは得票数で劣るトランプだった。これは米国の制度が民主主義のシステムとして大きな欠陥があることを示している。だがこの点については、選挙区による一票の価値の大きな格差や3割の得票で7割の議席を掠め取る日本の選挙制度はもっとひどい。そうした意味で、民主主義はこの両国において制度面でなお実現していないのだが、この問題は今回のテーマではないのでここまで。

 といった次第で甚だ欠陥の大きい不十分な選挙制度ではあるのだけれど、ともあれその選挙制度が定めるルールに従ってトランプは大統領に選出された。それで思ったことが二つ。民主主義とはなんと危険なシステムであることか。そして民主主義とはなんと偉大なシステムであることか。

 まず、先にも書いたように大方の予想、あえていえば期待も含めた米国そして世界の想定を、米国の有権者は見事に裏切った。当初は泡沫と思われていたガサツで見るもおぞましい風体の成金のオッサンが、あれよあれよという間に大統領になってしまうのだ。だが、このまったく望まれなかった結果を誰も覆すことができない。王様や教祖が出てきて結果を否定することもなければ、軍がクーデーターを起こして選挙結果をチャラにするミャンマーのようことも起きそうにないし、ウオール街の支配者とかユダヤの闇の政府とか、陰謀論好みのシナリオが威力を発揮した形跡もない。巷に渦巻く無数無名の人々が形作る巨大な意思が最終決定となるのだ。よくよく考えてみれば、これは凄いことではないだろうか。たとえ結果がどうであろうと、ともあれ民衆が最終決定を下しそれが覆らないという民主主義のシステムはやはり偉大だと思う。

 次いで民主主義の危うさ、「たとえ結果がどうであろうと」という点についてだ。ぶっちゃけ、トランプなどという人はそもそも民主主義と相容れない思想のキャラクターなのであって、少なくとも民主国家の首長などになってはいけない欠格者ではないか。参政権の平等はもちろん民主主義の大原則で誰が大統領になろうが自由なはずなのだけれど、それはまあタテマエというものであって、例えば女性を蔑視したり他民族や異教徒や移民を差別したり、民主主義の因って立つ思想を敵視し民主主義を破壊するような人物は民主国家の代表にふさわしくないから、本来、選ばれるようなことがあってはならないのだ。

 しかし、自らを葬る選択も許してしまうのが民主主義というものなのだなあ。そういえばヒトラーだって当時最も民主的と言われたワイマール憲法下で民主的に実施された選挙で権力を握り、民主主義を葬り去った。翻って日本では、安倍晋三や石原慎太郎や橋下徹なんて民主主義の敵を国や地方自治体のリーダーとして民主的に選んでいる。今回のトランプショックは、それと同じことが米国でも起きたに過ぎないんだよなあ。ん~、なんつうか、今回のトランプの件、民主主義を本当に人類の幸福に役立つシステムにするには、まだまだ時間がかかりそうな気がした事件ではあった。もちろん、ガッカリばかりしてるわけじゃないのだけれどね。



 またいやなものを見せられた。
 昨日朝、舛添要一東京都知事が辞意を表明。これで、これまで氏の「みみっちい」金の使途を巡り繰り広げられていた狂騒は一段落、メディアは次の都知事候補に目される顔ぶれをあげて、またぞろお祭り騒ぎの準備に怠りない。

 で、その映像では都民がインタビューに答えて小池某だの蓮舫某だの果てはアイドルのオヤジ殿だの橋下某だの、喜々として挙げているのだから呆れ果てる。もちろん編集する側の意図が働いて作られた映像に違いないのだけれど、過去の選挙結果や繰り返し安倍の支持率にびっくりさせられる世論調査の結果等に照らして、まあ、これがいわゆる我が主権者たちの平均像とそう遠くないことは認めざるを得ない。

 舛添氏の体たらくはお粗末の限りで弁解の余地はないし、辞任もやむなしとは思うがしかし、ここに至るまでの国を挙げての連日のバッシングぶりはどうだ。あえて「たかが」と言わせてもらうが、舛添問題とは要するに政治資金で趣味の絵画を買ったとか漫画本の「クレヨンしんちゃん」を買ったとか、別荘に公用車で行ったとか、正月に家族連れで泊まったスパランドで会議をしたとかしないとか、もちろん放置はできない腐敗ではあるものの、それで首都の政治経済福祉等に何か大問題が起きたというものでもない。まして、日本国レベルで何か不都合が起きるものではない。え?、リオ・オリンピック? んなもの、ブラジルでは一言も報道されちゃいないそうだ。五輪旗の受け取りなんて、誰が行ったっていいんだよ。(コジローは「ウソと汚いカネにまみれた東京オリンピックは返上」が正道と思うが、それはここでは置く)

 都知事の無駄遣いや腐敗といえば、あのアナクロ石頭じゃなかったアナクロ石原の方がはるかにひどかったという。石原は都庁に出勤することすらめったになくヘイト発言で老害をまき散らすばかりだったのだ。といった次第でその性根の悪さの程度で言えば、舛添などハダシで逃げ出すほどなのだが、メディアも都民も石原を叩くことなど一切なかった。要するに、相手次第なのだ。どこからかサインが出るのか、それとも空気を読んでの自然発生なのかはよくわからないが、叩いても許されるとなれば一気に多数を頼んでとことん徹底的なバッシングの嵐になる。で、これに都民も国民も大喜びで追随してお祭り騒ぎになるのだ。このメディアと国民とが共鳴しあっての付和雷同ほど不気味で恐ろしいものはない。冒頭に「またいやなものを見せられた」と書いたのは、この国に暮らす普通の人々の間に根強くはびこる軽薄さと一種の狂気をまたもまざまざと再確認させられたからだ。   

 今更いわずもがなかもしれないが、政治とカネの問題なら、甘利明経産大臣TPP担当相やその秘書が業者からUR(都市再生機構)の道路用地買収の補償問題で「口利き」を依頼され、金品を受け取った疑惑の方がはるかに重大だ。こちらは、「クレヨンしんちゃん」どうこうなどという牧歌的な話ではなく、それによって特定業者が得る利益の一部を還元させる代償に、大臣ないしは有力政治家の立場を利用して国家行政をゆがめたという問題なのだ。こんな手合いを無傷で放置しておいて民主政治が機能するはずはない。

 その甘利は野党の追及に耐え切れなくなって今年1月末に大臣を辞したのち、2月16日に「睡眠障害で一カ月の自宅療養が必要」というなんともうらやましくも都合のいい診断書を提出して逃亡、一カ月過ぎると「さらに2カ月自宅療養」の好都合診断書を再び出して隠れ、その2カ月たった5月16日以降は診断書なしの「ずる休み」を続け、6月1日、野党が疑惑を追及できる国会が閉会したのを見届けて同月6日、突如復帰宣言をして政界に戻ってきたのだ。

 検察はあっせん利得処罰法での立件を見送ったが(これ自体おかしい、まもなく始まる検察審査会での審査に注目だ)、政治的道義的責任はまぬかれない。だが、国会閉会中も開催可能な政治倫理審査会は25委員中18人を自公が占めており、よほど世論が盛り上がらなければ開催される見込みはないが、メディアは一言も報じない。ついでにいえば、政倫審は疑惑をもたれた政治家が自らの潔白を証明するために開催を求めることもできるのだが、甘利がそんなことやるはずはないだろう。

 一方、舛添の方も、問題は結局うやむやのままで真相は依然闇の中(例えば正月に会議をした出版社社長とは誰か)なのだが、これを解明するうえで議会の宝刀となるべき百条委員会設置の提案は自公の反対で葬り去られた。だが、メディアはこうした事実もほとんど伝えない。では、これまであれほど追及してきたマスゾエ疑惑報道とは一体何だったのだ。付和雷同世論と一緒になって首さえ取れれば、それで祭りは終わりなのか。

 コジロー同様、今回の舛添騒動を冷めた目で見ている人も少なくはないと思う。舛添を推した「製造者責任」に頬かむりする自公に対し、参院一人区同様、市民主導で統一候補を模索する動きもある。まもなく参院選挙、そしてまたぞろ都知事選。それがこの国の正気と狂気の程度を図る指標となりそうな気がする。 



 「綸言(りんげん)汗のごとし」という古代中国由来の格言がある。綸は太い糸、帝王が発する言葉は細い糸のように些細なものでも、重大な効果を及ぼすことから綸にたとえられ、それゆえいったん口にした以上、かいてしまった汗のように元に戻すことはできないという意味だ。 ひるがえって、およそ人の上に立つ者、言ってしまったことは取り返しがつかないことを肝に銘じ、十分その結果を熟慮して言葉を発しなければならないとの戒めも込めている。

 今更ながらだが、我が首相の言葉はあまりにも軽すぎる。軽いどころか、品のないヤジもあれば周囲が赤面するような傲岸不遜な自慢もあり、さらにウソも平気でつくという調子だから、糸ならすでにちぎれて用をなさない程度の代物だ。そんな首相の軽口の中でも今回のG7における「リーマン危機前夜」という妄想発言にはさすがに恐れ入った。こんな人物をいつまでも首相にしておいていいのか。

 誰もが知っていることだが、これは公約であった消費税増税を回避せざるを得なくなった言い訳を、自らの失政による日本経済低迷を棚に上げて外部環境に求めるための下手な芝居にほかならない。ドイツのメルケル首相はじめ他の首脳らはさすがに同調せず、猿芝居は不興を買うだけだったが、三文役者はへこたれないのであって、「危機感を共有した」とまたしも平気でうそをつく。

 問題はいくつもあるが、まず、この安倍首相の経済情勢認識は安倍内閣のそれとは正反対ということだ。安倍内閣はこのトンデモ発言のわずか3日前の24日、経済関係閣僚会議で現下の経済情勢について「全体としては緩やかに回復している。先行きについては、緩やかな回復が続くことが期待される」としている。それから何の調査も手続きもなしに、その内閣の責任者の口から「危機前夜」という警報が出るのだ。今の内閣の閣僚の面々、これだけコケにされてなんで怒らないのかわからない。ま、言葉の軽さについては同程度だから、怒るって感覚もないのかもしれないけど。

 次いで、では安倍がG7の首脳たちに得意満面で回した資料についてだ。第一次産品の下落率など、リーマンショック前に類似したデータをつまみ食いしてまとめたもので、不動産バブルの崩壊というリーマンショックの本質とは何の関係もない紙屑だが、こんなもので世界の首脳たちをけむに巻けるとマジで思っているらしいこの男の脳みその程度が、日本国民としては本当に顔から火が出るほど恥ずかしい。

 しかも、これはびっくり仰天もいいとこなのだが、この資料を作ったの誰かが外務省も内閣府もわからないらしい。正式の外交交渉で国の代表が使用する資料を、それを支える事務方が一切知らないって、ええ?、そんなことが現代の外交でありえるのか? ってことは、「リーマンショック前夜」って言えるデータをかき集めることを目的に、誰かが作成した怪文書じゃないか。そんないい加減な怪文書まがいの図表類を、世界の首脳たちの前に得意そうに晒すバカをどうすればいいのだ。

 それから、もし万一、G7の閣僚たちが例えば苦境に立つ安倍君に対する惻隠の情から、「危機感を共有」したとしたらどうなったか。世界経済を引っ張る経済大国の責任者がそろって「リーマンショック前夜だあ!」と叫んだ情景を想像してみてほしい。世界の株式市況、原油相場、金融界、投機筋はどのように反応したか。彼らにとっては、首脳たちの発言が真実かどうかは二の次で、ともかくそれが呼び起こす波動に乗っかって儲けられさえすればよいのだ。利ざや目的の空売りが空売りを呼び、市場が大混乱する可能性は非常に大きい。下手すれば、ウソから出たマコトで、リーマンショック並みの金融市場暴落が起きてもおかしくはなかった。生き馬の目を抜く市場に限っては、現代も首脳たちの言葉は「綸言」に近い重みがある。慎重のうえにも慎重でなければならないのだ。

 はあ、もう書けば書くだけ嫌になるし情けなくもなる。なんで我々は、こんな自分のことしか考えられない史上最低の人物を内閣総理大臣にしてしまったのだろう。なにがなんでも、次の選挙で痛い目に合わせなければならない。



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