このブログサービスは、一ヶ月間ブログの更新が滞ると、トップページに広告が掲載されるようになってしまいます。で、たったいまその状態に陥っているのを発見して慌てて更新。 しかし、そうかあ、もう前の記事を書いてから一ヶ月も経過してしまったのかあ… 時の過ぎるのは早いです。

 さて、25日、先週の土曜日は、大和葛城山にカタクリを見に行ってきました。

 カタクリは一年の大半を落葉広葉樹林の土中で過ごし、雪が融けると同時、まだ落葉樹の葉が開かず十分に受光できるわずかな期間に葉を展開して懸命に光合成に励み、花を付け、受粉して種を実らせると地上部は枯れ果てて、落葉樹の葉が茂り始める頃には、また長い地中での生活に戻ってしまいます。福寿草やショウジョウバカマ、多くのスミレなど、このような生活史を展開する植物のことをスプリング・エフェメラルつまり「春の儚(はかな)さ」と呼びますが、本当に春の妖精を連想させるような可憐な趣があります。

 ついでですが、エフェメラルは蜉蝣(カゲロウ)の訳語でもあります。カゲロウも羽化してからの命は一日しかありません。その間に交尾を終え慌ただしく子孫に未来を託して命を終えてゆくのです。そのため、成虫には消化器も口すらもありません。こちらも実に儚い命で、それはカタクリなどと共通していますね。でも、彼らはそれでこの厳しい自然淘汰を生き延びてきたのですから、儚いというのは、人間の勝手な思い入れに過ぎないのかもしれません。

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カタクリは、頂上西側の自然研究路から尾根筋に開かれた縦走路いわゆるダイヤモンドトレールに沿って咲いています。

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 ミツバツツジも満開でした。

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 このあたりはかつて薪炭林として盛んに利用されたあと放置された二次林で、高木層を構成する樹種はまずコナラ、次いでリョウブ、イロハカエデなどです。また低木層はミツバツツジやクロモジが中心で、林床をネザサが覆っています。つまり薪炭林時代からの人間の収奪が激しかったため土壌が痩せ、近畿の標高1000mレベルの極相林をなすブナ・スズタケ群落が回復していません。しかし、人手が入らなくなって時間が経過したため土壌の肥沃度も回復傾向にあると見えて徐々に遷移が進み始めており、こうしてブナの幼木を発見することができました。

 地球温暖化という別の人為的干渉がブナの将来に暗雲を投げかけていますが、このまま気候が安定していれば、まさに「自然」に、ここはブナ・スズタケ林に回復してゆくはずです。

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 ダイヤモンドトレールの道端で見つけたカタクリです。

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 大和葛城山の頂上は禿山です。

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 ミヤマキケマン。一応、高山植物ということになっていますが、低地でも結構見かけます。綺麗な株がなかったので撮影はしませんでしたが、同じ花の形で紫色のムラサキケマンもありました。ちなみにケマンは華鬘で、お堂の梁などからぶら下げる仏具のことです。キケマンは黄色の華鬘ということですね。ついでながら、黄色でもムラサキでもない単なる「ケマンソウ」の赤い花は、全然違うハート型をしています。
 
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 櫛羅(くじら)の滝コースを下山。頂上の南東側になりますが、この一角には立派なブナがあり、その林床をスズタケがカバーしていました。若々しい新緑が美しく、目が洗われるようです。

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 クサイチゴ。今年はイチゴの当たり年というか、とてもたくさん咲いていました。5月中旬頃に結実、酸味は強いですが美味しいです。

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 イカリソウ。杉林の林床にひと株だけ咲いていました。

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 ガマズミ。まだ咲き始めです。

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 今回、最後に見たのがウワミズザクラ。ブラシのような白い花序が特徴で、花の付く小枝(花序枝といいます)に葉があることで、よく似たイヌザクラと見分けます。ウワミズは大昔の亀甲占いで使用された溝を掘った板のことだそうです。

 本当に滴るような新緑が美しい季節です。厳しい山登りはもうできないのですが、せめてこの新緑に少しでも多く接することができるよう、機会を見つけては森に出かけようと思います。





 最近、雨の日が多いですね。 梅は終わり、桜にはまだ早い時期ですが、ようやくひと雨ごとに春めいてくるような実感があります。以下は、わが紀峰山の会の季刊誌に連載している巻末コラム。実際に書いたのは2月半ばでした。



     植物百話 4  マンサク

  「春山淡治(たんや)にして笑ふがごとし」(郭思)。

 中国の古詩から春の季語となった「山笑う」には、木々の新芽が膨らみ花が開き、冬、長く静かな眠りに落ちていた山が目覚めてゆく様が巧みに表現されている。雪解けと競うようにして次々に蘇ってくる生命との再会に、山は喜びの微笑みを見せるのだ。淡治(たんや)とはあっさりしていて艶(なまめ)かしいさま、そこはかとなく香り立つような色気を指す。
 
 このコラムを書いている2月中旬、山はもちろん町もまだ冬のさなかだが、南の地方では梅の花がほころび、春が萌(きざ)しつつあることを伝えている。梅の季節が過ぎれば、間もなく山も日々、春の気配を増してゆく。
 
 もう何年前のことになるだろうか、東北の早春、津軽の名峰「岩木山」の山頂直下から無垢無木立の広大な斜面を歓声を上げながら滑降したときのこと、傾斜が緩くなって緊張から解放され、それまでの豪快な大滑降の余韻に浸りつつなだらかに下る雪原を滑走していると、樹林帯に入る手前でたくさんの黄色い花を付けた木に出会った。マンサクだった。

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 マンサクの花は赤紫色の「がく」から黄色い紐のような4枚の花弁を伸ばして咲く。葉に先立って花だけが展開し、花の数も多いので色彩に乏しい残雪の山では非常によく目立つ。

 マンサクは春一番に咲くことから、東北の人たちが同地のお国言葉で「まんず咲く」と呼んだのがなまってこの名になったというが、植物図鑑はマンサクの分布を関東以西の太平洋側としている。おそらく、東北の人たちが接したマンサクや自分が岩木山で見たものは、現代の植物分類では「北海道南部から日本海側に分布し多雪地に適応」と説明されている「マルバマンサク」という亜種になるのだろう。…とすれば標準和名「マンサク」の由来は東北弁ではなく、たくさん花がつくことからの豊年満作への期待を込めた太平洋側の人たちの連想が語源との説のほうが正しいのかもしれない。

 マンサクは各地で「ネソ」あるいは「ネッソ」などと呼ばれている。勉強不足で和歌山の山村でどう呼ばれていたかは知らないのだが、ネソは本来、ガマズミやソヨゴ、カマツカやヤマボウシ、リョウブなど、よくしなり強靭な性質を生かして柴や薪を結束するのに用いてきた木の枝や樹皮の総称で、なかでもマンサクが特にそうした用途に適していたため、やがてはマンサクの別名として定着したものらしい。ネソに使うのは若いマンサクの幹や枝で、生のうちに樹皮ごとねじって繊維をほぐし、ときには掛矢で叩くなどで柔らかくし、長く平たい棒のような形状で使用する。

 世界遺産に指定された白川郷や五箇山の合掌造り家屋を訪ねて、釘やかすがいを一本も使わず、あの巨大な屋根を支える木組みが造られていることに驚嘆した方もおられるだろう。外観からはローブ状のもので縛った部分しか見えないが、家屋の中に入ってよく観察してみれば、その木組み、ヤナカと呼ぶ横木とクダリと呼ぶ縦木の交差部が黒光りするネソで締め上げるようにしっかり結束されていることが分かるはずだ。ネソは巻き付けられてから時間とともに結束部を強く締めつけてゆくが、それと同時に「結ぶ」という固定法の特性から、風による屋根全体の揺れにもしなやかに対応して倒壊を防いでいるという。化繊のロープや金具ではこうはいかない。昔の山里の人たちが植物の性格を熟知して、見事に活用していたことが知れるだろう。

 もちろん、山間地では稲わらの入手が困難であったことから、わら縄の代わりに使用したケースも多かったに違いない。伝えられるところでは、筏(いかだ)に使用する木材同士の結束や、古来から河川工事で使用されてきた蛇籠(じゃかご=編んだ籠の中に石を詰めて河川の護岸形成や流路の安定などを図るもの)にも利用されてきたらしい。

 マンサクを結束材とするために捻(ひね)りながら曲げてほぐすことを「ねる」というのだが、このようにネソを多用した地域では、まだ未熟な者を表現するに際し「ようねそもねらんで…」といった言い回しがあったという。 ことほど左様に、マンサクを「ねる」ことは一人前の成人男子であれば必ず身につけねばならない生活技術であったのだ。

 そのマンサクが危ないという話を聞いた。花が終わり、葉が展開してしばらくすると上部の葉から褐色に変色し始め、やがてこれが全体に広がって枯死するマンサクが急速に増えているという。1998年に愛知県で初めて確認されて調査してみたところ、同じ症状の蔓延が東北から西日本に至る全域で確認されたそうだ。原因としてはある種のカビが疑われているが、まだ確証はない。

 自然と人間との関係は本当に微妙だ。人間が利用しなくなった結果、里山が自然林に回復してゆく過程でアカマツのように衰退してゆく植物もある。マンサクの病気の原因はわからないが、利用圧の変化にせよ温暖化にせよ、人為に起因するなんらかの変化が関与している可能性は高いだろう。マンサクを「ねる」技術など忘却して久しく、それを必要ともしなくなった現代人であっても、あの花を見られなくなるのは悲しい。早く原因が解明されて、適切な対策が打たれることを祈るばかりだ。そして今年も間もなく、マンサクが花期を迎える。



 もう新年も7日。今回の年末年始の休暇は9日もあったのに、なにかと気ぜわしくてブログを更新するまもなく、一昨日から仕事が始まってしまいました。
 落ち着いたら、世の中の動きなど、いろいろと書きたいことはあるのですが、そんなこと言ってるとますます更新できない。 で、一ヶ月更新しないとこのブログサイトでは広告が表示されて、ずいぶん見苦しくなってしまいます。 ということで、とりあえずはコジローが所属する山岳会の機関誌に連載しているコラムを以下に転載して、目障りな広告を消しておこうと思います。

【以下転載】

          植物百話 3

                  ブナの話題あれこれ

 登山を趣味とする者にとり、ブナは最も馴染み深い樹木のひとつだ。展望のない森林帯を黙々と歩いているときなど、独特の斑点模様を身にまとった太いブナの幹にふと気が付き、その高さを確かめようと見上げたことがある方も多いことだろう。

 その斑点模様の正体は菌類と藻類の共生体である地衣類で、これが好んでブナの幹に繁殖するのは樹皮がマツなどのように剥がれ落ちず、また雨が滑らかなブナの幹を伝い落ちる(樹幹流という)ため水分を得るのに有利だからだ。余談だが、ブナはこの樹幹流に根から吸収したカルシウムやカリウムを溶出させることで、雨水の酸性度を中和させる働きもしている。ブナは自分が頼る土壌の酸性化を自ら防いでいるわけだ。

 ブナは北海道の渡島半島の平野部から徐々に高度を上げ、鹿児島県の高隈山の頂上付近(1236m)までの各地に分布しており、紀伊半島では標高800m付近から上で見かける。しかし、同じブナでも東北地方と紀伊半島ではかなり違う印象を受ける。より正確に言えば多雪の日本海側と太平洋側の違いということになるのだが、日本海側のブナは葉が薄く大型で、白い幹が真っ直ぐ上に伸びるのに対し、太平洋側のブナは葉が肉厚小型で幹は黒っぽく、よく枝分かれしてずんぐりとした樹形になるものが多い。また、多雪地ではしばしばブナ以外はササしかない純林を見かけるが、太平洋側ではミズナラやカエデ類を伴った混交林ばかりだ。なぜ、こんな違いがあるのだろう。

 まず葉の違いだが、これについてはいくつも研究論文が出ている。同じ樹木でも先端の葉と下部の葉で違いはあるのだがそれはさておき、一般に日本海側のブナの葉の方が大きいのは水分条件に恵まれているためと考えられている。多雪地のブナには水不足の心配がないので、葉からの水分の蒸散など気にせず伸び伸びと葉を大きくして光合成ができる。一方、雪が積もらない太平洋側のブナは春の乾燥や夏の日照りで水不足に直面する。そのため、葉から蒸散する水分を減らそうと葉を小さくし環境に適応しているわけだ。下の図は白石さんと渡辺さんの論文から引用させてもらったものだが、ご覧の通り太平洋側のブナの葉の面積は日本海側の葉の4分の1くらいしかない。

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 が、それで終わらないのが生命の面白さだ。太平洋側の山地に雪は少ないが太陽光は雪国よりはるかに強い。そこで葉の広さで後れをとった太平洋側のブナは、葉の表側にあって光合成を担う細胞の配列を二段または三段重ねにしてこのハンディをカバーしている。光合成細胞が一段しかない日本海側のブナの葉に比べ肉厚なのはそのせいだ。

 また、樹形の違いや純林の有無もこの雪の多寡で説明できる。豪雪地ではブナ以外の高木の広葉樹は積雪に折られて生き延びることができない。また、ブナにしても斜上する幹や枝は積雪の重みで折られるため真っ直ぐに伸びる個体だけが生き残る結果、すっきりした樹形のブナばかりの純林が形成される。他方、雪がない太平洋側では曲がったブナやその枝も折れないのでずんぐりした樹形となり、また他の樹木も生えられるため高木層の樹種が多い混交林となるわけだ。ただ、なぜ雪深くなるほどブナの幹が白くなるのかだけは正確な理由がわからない。幹に付着する地衣類やコケの種類が異なるからだろうか、それとも太平洋側のブナは日焼けしてるってことなんだろうか。

 ついでだが、このように豪雪は高木には厳しい環境条件だが、これがかえって好都合という樹木もある。雪の中で気温は零度以下にはならず、そこに潜り込んでしまえば冬の厳しい寒さや季節風からも乾燥からも守られるからだ。これは冬山で登山者が雪洞に潜り込んで快適な時間を楽しむのと同じ理屈。ユキツバキ,ヒメアオキ,チャボガヤなど、雪に潜れるよう背を低くしたり雪の重みで折られないよう身体を細く柔軟にしたりして、多雪という特殊な環境条件に適応した植物群を専門用語で「日本海要素」というのだが、紀州の山で春空に高く赤く咲き誇るツバキが、雪国にきて灌木のような姿に身をやつしつつ懸命に花をつけているのを見ると、生命のすごさに襟を正したい思いにとらわれる。

 話を戻してブナの実の豊凶について触れておこう。クマが人里に出没したりすると、ブナの実の凶作が原因と説明されることがよくある。ソバに似たブナの実は人間でもアクを抜かずそのまま食べられるほどで、クマにとり重要な栄養源であることは確かだ。しかしブナには5~7年に一度しか豊作がない。クマにすればそんな気まぐれなブナを主食にするのはリスクが大きすぎる。だからクマがアテにするのはミズナラなど豊凶差が小さい他のドングリや果実類で、ブナが豊作の時は「ラッキー!」って感じなんだろうと思う。

 では、なぜブナはこんなに豊凶差が激しいのだろう。その有力な説明として「種子捕食者飽食仮説」がある。「仮説」とはいえこれを裏付ける調査報告は結構あるので当たらずとも遠からずだろう。ブナにはブナの実専門の食害昆虫がつく。主としてブナヒメシンクイなど2種の蛾で、これら昆虫の生息数がエサとなるブナの実の豊凶に支配されることは容易に推測がつくが、その食害率8~9割に達するというから大変だ。植物は懸命に光合成した成果の多くをせっせと繁殖つまり花や実づくりに投資する。その大半が食べられては子孫を残せないではないか。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。

 そこでブナは考えた。不作や凶作を続ければ食害昆虫は減ってゆく。で、減り切った頃を見計らって一気に結実させれば、さすがの貪欲な捕食者どもも食べきれず多くの実が生き残るに違いない。それを地域のブナが同調して行えば風媒花であるブナの受粉確率が格段に高まる効果もある(受粉効率仮説)。つまり、数年は実質的に繁殖をあきらめても、一回爆発的に種子を散布できれば勘定は合うという戦略なのだ。それにしてもこのサイクルにすべてのブナが歩調を合わせるとは・・ 自然はつくづく驚異に満ちている。

 樹林帯の主役ブナだけに話題は尽きないが紙幅も尽きたので今回はここまで。読者諸兄が次にブナに接したとき、その生存戦略への敬意をもって見上げていただければと思う。

                                          【転載以上】

最後までお読みくださりありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。
 足が衰えないようにすることと、心肺に適度な刺激を与えて鍛錬することを兼ねて、できるだけ毎朝4時半ごろから1時間程度、近所の方男波海岸を歩いているのですが、最近は夜明け前の東の空には冬の夜空のシンボルであるオリオンが大きく輝くようになってきました。どうやら今年の夏は、カッと強い日差しが照りつける日がほとんどないまま過ぎようとしているようです。

 そうした異常な気象下で起きた広島での土砂崩れ惨事。同時多発的にというか、豪雨による災害は遠く日本北端の礼文島でも起きています。個々の気象災害の原因は様々ですが、これらの背景に地球温暖化が大きく横たわっていることはおおむね、間違いないでしょう。

 地球温暖化自体は現在進行中の現象であって、止めることはできませんが、せめて人類や生態系に致命的なダメージを与えない範囲ということで世界が合意していた目標、地球の平均気温を産業革命から2度未満に抑えるという目標は、CO2など温室効果ガスの排出量が増え続ける中で、実現の可能性をほぼ失いました。このまま推移すれば、今世紀半ばにはその2度を超え、世界中で今に倍する気象災害が頻発する恐れがあります。ホント、国益とか、まして集団的自衛権とか、アホなことやってるヒマはないんだけどねぇ。

 それはまた別の機会に書くとして、以下はコジローが所属する紀峰山の会の会誌『紀峰の仲間』の巻末連載コラムとして出稿した文書です。ちょっと長いかもですが、路傍に咲く小さなスミレの見事な生活史戦略について書きました。



クマの毒舌コラム 植物百話2

スミレの見事な生活史戦略

 スミレは山で最も多く見かけるありふれた花のひとつだ。群生し株数が多いということはもちろんあるが、成熟した森林の林床や丈の高い草原など日光が入らない所は苦手で、もっぱら、樹林帯であっても薄日が差す登山道の脇や、木道が設けられた明るい湿原の周辺などに生育するため、登山者の目に触れやすいといった面もあるだろう。

すみれ

 このようになじみ深い路傍の花なのだが同定は容易ではない。スミレ科は15から20属に分かれ、そのうち最大のスミレ属だけでざっと200種、「スミレ王国」と呼ばれる日本にはそのうち約50種が分布するうえ、スミレの仲間はいま最も急速な進化の最前線にある植物グループのひとつで、亜種や変種、色変わり形変わりが次々に発見されているというから、なかなか素人の手におえるものではないのだ。

 さて、スミレの仲間はいずれも小さく可憐な姿をしているが、その生活史戦略はなかなかたくましくも巧みで、知れば知るほど深く感心させられる。

 早春、雪が融けまだ落葉樹が葉を出す前にスミレはいち早く花をつける。この時期であれば他の植物はまだ眠っているため受粉の媒介者である昆虫を巡っての競合が少なく、受粉を有利に進められるからだ。


スミレの花

 そのスミレの花は5弁からなり、上部の左右二枚が上弁、下部の左右二枚が側弁、さらに下部中央の長い花弁が唇弁(しんべん)と呼ばれ、その唇弁の奥に距(きょ)と呼ばれる袋状の突起がある構造をしている。この距こそがスミレ属の特徴で、この形を大工道具の墨壺つまり「墨入れ」に見立てて「スミレ」と名付けられたという説もあるのだが、ともあれ、ここには受粉の媒介者(ポリネーター)を呼ぶための蜜が蓄えられている。

 この蜜を吸うには、下向きに咲いたスミレの花に対し逆立ちで中空にホバリングしながら頭を突っ込み、さらに距まで長く舌を伸ばさねばならない。こんな芸当ができるのは昆虫の中でもハナバチの仲間だけだ。ついでの話だがハナバチは最初に訪れた花と同じ種の花を繰り返し訪れる性質がある。他の花に浮気されなければ効率の良い受粉が期待できるわけなので、スミレのようにポリネーターをハナバチ専属にした植物は少なくない。

 さて、スミレの花の距は、ハナバチが花の奥まで雄しべや雌しべをかき分けてギリギリに頭を突っ込み、一杯に伸ばした舌がやっと蜜に届く絶妙な間隔で設けられていて、蜜を吸おうとすればハナバチの全身が花粉まみれになったり雌しべに触れたりする仕組みになっている。ただし、ハナバチが花粉まみれになる花では雌しべは未熟なため自家受粉することはなく、次にハナバチが雌しべの成熟した花(その花では雄しべは花粉を出し終わっている=「雄性先熟」)に訪れた際に他家受粉が成立し、こうして遺伝的な多様性が図られている。

 しかし、夏になると上空には落葉樹が茂り、他の草本類も繁茂してきて受光条件が悪化するとともに、花も多く咲いてポリネーターをめぐる他の植物との競争も激しくなる。こうなるとスミレは戦術を転換、まずできるだけ茎を伸ばすとともに薄く広い葉を展開し乏しい日光を可能な限り確保して光合成を維持するとともに、地面近くに「閉鎖花」といってつぼみだけの花をつけ、この閉鎖花の中で雄しべと雌しべが同時に成熟して自家受粉を敢行するのだ。

 自家受粉ならポリネーターへの報酬である蜜も花弁も必要ないし花粉も少なくて済む。生まれる次世代は親のクローンであって遺伝的な多様性こそ望めないが、乏しい光合成産物でも可能な、極力コストを抑えた繁殖方法で種族の維持を図る見事な戦略なのだ。

スミレの果実


 受粉した雌しべは子房が膨らみ果実となって垂れ下がり、熟すに従ってそれが上向きになって、やがて三菱のマークのように裂開。さらに乾燥が進むと裂開したボートのようなさやの皮が収縮し、その圧力で種子は果実からはじき出される。こうした種子散布の方法を「自然散布」というが、飛散距離は最大5m以上にも達するという。

 さらに重ねてのスミレの工夫。その種子には脂肪酸やアミノ酸からなるエライオソームと呼ばれる付属体がついている。これが好物であるアリは、懸命にそれを種子から引きはがそうとするのだけれど、双方強固にくっついて離れない。そこでアリたちは、やむを得ず種子ごとエライオソームを巣まで運んで食料にするのだが、種子は食べられないため巣の外に運び出して捨てるわけだ。かくして条件が良ければ種子はそこで発芽する。スミレはここまで見通してアリを巧みに利用し、分布域をじわじわと広げてゆく。

 スミレの種類により、自然散布だけ行うもの、アリ散布だけ行うもの、その両方を併用するものがあるが、日本のスミレは大半が併用派だそうだ。

 スミレは山でももちろん見かけるが、町にも多い。交通量の多い道路の片隅やビルの裾など、コンクリートのわずかな隙間から顔を出しているスミレの花は、このようなアリを利用した種子散布戦略の成果とみて間違いない。たかがスミレ、しかし、知れば知るほど、まことに見事な生活史戦略を備えた偉大な生命体なのだ。次に山で可憐なスミレを見かけたら、ぜひ、その巧みにも健気な生き方に思いを馳せていただきたいと思う。


 (上記スミレの花はフリー素材から、花の構造図は「あれこれ・それなりクラブ」の、またスミレの果実の画像は「オモシロ自然観察」のサイトから、それぞれ借用して加工したものです。)

 6月22日の日曜日は、和歌山県森林インストラクター会が運営する「わかやま森づくり塾」の行事で、和歌山県すさみ町にある江須崎に行ってきました。同塾は毎年10月から翌年9月まで1年に渡り、月にそれぞれ1回ずつの机上講習とフィールドワークを通じ、森林や林業について全面的に学ぶ趣旨の講座で、今回が6期目です。自分は森林インストラクターになって初めて知ったので途中から参加、来期は最初からお手伝いさせてもらおうと思っています。

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  江須崎の全景、左手に鳥居が見えます

 江須「崎」とはいいますが本来は島で、小さな橋で陸地とつながっていて一応は半島ということになっています。全周約2km。亜熱帯植物圏の北限に位置し、神域として保護されてきたため、スダジイやイヌマキ、ハマセンダンなど暖地性樹種の大木が見られるほか、シマサルナシやハマカズラなどのつる植物が縦横に生えており、いかにも亜熱帯らしい雰囲気を醸し出しています。…のですが、これらはいずれも写真になりにくい(^_^;) 

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  ヘクソカズラ

 漢字で書けば屁糞葛です。ご存知のとおり独特の悪臭があるからですが、ん~、もうちょっとマシな名前をつけてやればいいのに。…と思う人は少なからずいるらしく、この花の形がお灸の跡に似ているというのでヤイトバナとか、この時期に花をつけることからサオトメバナなんて素敵な名前も付けられたそうですが、あまり広くは普及していないようです。

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  ビャクシン

 別名イブキ、盆栽になるとキシュウシンパクということで、和歌山とは縁深い針葉樹です。庭木としてよく植えられるカイヅカイブキはこの園芸品種。

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 上がビャクシンの普通の葉でヒノキに似た鱗片葉ですが、なんらかのストレスがかかると不思議なことに、下の写真のようにスギの葉に似た形になります。案内してくださったインストラクターによると、「先祖返り」とか。

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  シイノトモシビタケ

 これが江須崎にやってきた目的、せいぜい高さ2cmくらいの小さな小さなきのこで、シイなどの朽木に生える木材腐朽菌なのですが、これが夜の帳に包まれた森の中で、青白いというか、緑がかった白く淡い光を放つのです。といっても弱い弱い儚(はかな)い光ですので、日がすっかり暮れなければ見えません。そこで、海岸でバーベキューを楽しみながら夏至の翌日の長い日がすっかり落ちるのを待って、江須崎の森に入りました。

 森の中では、期待通り、幻想的な光が点々と見えて心から感動したのですが、これを写真にするのは非常にむつかしい。上は昼間に撮影したもので、夜の撮影には、しっかりした三脚となによりもテクニックが必要でした。ということで、他の方が撮影されたこの写真をリンクしておきます。


 このきのこは最初八丈島で発見され、その時点では固有種とされたのですが、十数年前にこの江須崎でも発見され、その後、紀伊勝浦など各地で確認されるに至っています。その江須崎での発見は、今回の引率者であるインストラクターさんを含む和歌山のきのこ研究グループの探索の成果。八丈島ではフェニックスに生えていたことから、もしかしたら紀南地域の国道沿いに点々と植えられているフェニックスにも生えているんじゃないかとグループで探索してはみたものの空振りに終わり、あきらめて海岸でバーベキューをしていたところ、同行していた子どもたちが江須崎に遊びに行ってたまたま発見したとのことでした。こんな逸話に触れることができるのも、フィールドワークの醍醐味。ともあれ、好奇心旺盛な子どもたちを連れていてよかったですね。