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今日から早くも9月。会期末が近づくにつれ、国会では安保(戦争)法案の参院採決を巡り、きな臭い空気が漂ってきました。が、まあその話はまた次に書くとして、久しぶりに植物の話。以前、このブログに書いた記事とダブる部分もあるのですが、以下、私が所属する『紀峰山の会』の会誌に載せた文章を転載します。


 植物百話 6

   レブンアツモリソウ

 6月18日~23日、8人パーティで北海道最北の利尻島と礼文島を訪ねました。同地は例年この頃は、オホーツクから冷たい風が吹き付けて天気が安定せず、雨や霧の日が多いため、登山やトレッキングに向いているとは決していえません。にも拘らずあえてこの時期を選んだのは、「花の浮島」の異名を有するまで多彩な花が咲き誇る礼文島でも、そのシンボルというべき同島の固有種=レブンアツモリソウとレブンウスユキソウの両方に出会えるのはこの時期を措いてほかにはないからでした。

 滅多には行けない所だけに、どうせなら利尻山の登頂だけでなく、この二つの固有種にも対面したい。しかし、レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬、レブンウスユキソウは6月下旬から7月上旬と、微妙にすれ違っています。このギリギリの端境期を狙ったのが先の日程になるわけで、運が悪ければ二兎を追って両方見られない可能性もありましたが、結果としては運も天候も味方して両方とも自生している個体に出会うことができました。やはり、日頃より善行は積んでおくものです。

 今回はそのレブンアツモリソウの興味深い生活史に触れようと思うのですが、その前にまずこの植物の特徴と名前の由来について説明しておきましょう。「レブン」の地域名がつかない「アツモリソウ」は本州の低山から亜高山の草地や明るい林内に生育するラン科の多年草で、茎の先に径3~5cmの淡紅色の花を下向きにつけます。花は簡単に表現すると先が尖った長三角形の花弁が天井と(正確には背萼片)と両サイド(側花弁)を形作り、残る下部に扁平な丸い袋の形をした花弁(唇弁)が位置する構造。レブンアツモリソウの花も同じ形ですが清楚なクリーム色で一層高貴な印象を受けます。

 名前の「アツモリ」は横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)にちなんでおり、この風船のように膨らんだ唇弁を、合戦時に騎馬に乗じた敦盛が後方からの弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)という袋状の武具に見立てた名前です。ついでながら、よく似た形状のクマガイソウは、戦の常とは言いながら、一ノ谷の合戦において自分の息子と同じ17歳であった敦盛の首を、泣きながら刎ねる巡り合わせとなった源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)の同じく母衣に由来します。直実はこの事件後、募る無常感から出家して仏門に入り、長く敦盛の菩提を弔ったとのこと。そしていま、両人は高野山奥の院に寄り添うように墓標を並べて静かに眠っています。

 さて、最初に申しあげましたように、レブンアツモリソウには、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、下のイラストで紹介しているように、袋状の唇弁の上に前後二つの穴があいていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、入れるのは前の大きめの穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべに触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための精一杯の演出なのです。

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レブンアツモリソウの花の模式図、礼文観光協会のHPから

 さらに、こうして受粉し結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、種子の大部分を占める胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトル発射の際の燃料ブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの種は何をエネルギー源にして発芽するのか。実は、ある菌根菌を呼び寄せ、その菌から栄養を奪い取って発芽するのです。詳しく説明する余裕はないのですが、菌根菌とは生きている植物の根っこと共生して暮らす菌類の総称で、マツタケやシメジなど多くのキノコが菌根菌に該当します。

 ここで面白いのは、この植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという相利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種は自らをおとりにして、ハイネズという木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。

 ハイネズの菌根菌はレブンアツモリソウの種子を食べてやろうと接近し絡みつくのですが、そこで種子の側は抗菌成分を分泌し菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒されて枯れてしまいます。

 このような非常に特異な発芽方法のためか、レブンアツモリソウは発芽から成熟して花をつけるまでに7年の時間を要するということです。いま目の前に見る可憐なレブンアツモリソウも、このような試練に耐えてやっとこの極北の地に花開いたのだと思うと、さらに一層、いとおしさがこみあげてくるように思います。しかし、レブンアツモリソウはなぜ、このように複雑な生活史を選択したのでしょうか。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちています。 山は本当に素晴らしい。遠くの景色も感動的ですが、ミクロの世界にも感動できる素材はたくさんあるのですね。

 前回にこのブログを更新してから、早くも1カ月以上もたってしまいました。この間、あちこち新緑の森をウロウロと徘徊して、書くネタは写真も含めどっさりあったのですが、ウロウロしすぎたのと仕事がまた忙しくなったのとでまったく時間が取れず、そのうちにせっかくのネタも次々に古くなって賞味期限が切れ、更新できずに来てしまいました。 毎日とはいかずとも、頻繁に更新しているブロガー、本当に大したものだと思います。

 さて、前回のブログで取り上げた大阪都構想、その是非を問う住民投票は僅差で反対派が勝ち、橋下さんは政界からの引退を表明しました。まあ、とりあえずは良かったと思いますけれど、橋下さんが知事になって以来の7年、大阪府市民はその思い付きのパフォーマンスに振り回されて貴重な時間を失いました。これ以上それが続かなかったことは不幸中の幸いというべきですが、成熟しない民主主義はときとしてこのような失敗をしてしまうのですね。今の安倍政権ももちろんしかりです。

 そんな生臭い話はまた別の機会にするとして、とりかくブログを更新するために、コジローが所属する紀峰山の会の機関誌に書いた巻末コラムを以下に転載します。 梅雨時の森で登山者を歓待してくれるアジサイの仲間に思いをはせてみました。




       植物百話 5
                          アジサイ

 岩登りや沢登りで雨は困るが、ハイキングなら雨の山もまた良しでなんら不都合はない。紀峰では最近、ハイキングでも雨で中止にする例が増えているようだが、よほどの大雨や台風ならともかく、多少の雨で山行を中止にするのはなんとももったいない、と、古い山屋は思う。爽快な展望は期せないが、雨なればこそ一層生命の輝きを増す森の宇宙に深く浸(ひた)れる貴重な機会を、なぜあたら手放してしまうのだろう。山岳自然に深く触れたいと望むなら、雨をも親しい友とするにしくはない。

 そんな雨にけぶる梅雨どきの森を歩むとき、みずみずしく花をつけて登山者を迎えてくれるのが、アジサイの仲間たちだ。

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 ガクアジサイ きみどりさんのWebsiteからお借りしました

 街で見かけるアジサイは園芸品種で、その原種はガクアジサイだろうと言われている。そのガクアジサイを含めアジサイの仲間で花びらに見える部分は実は「がく」で一般に生殖機能を持たず、「装飾花」と呼ばれている。ガクアジサイでは3~5弁の白い装飾花がそれこそ絵画の「額」のように周りを取り囲むなか、雄しべ雌しべを備え生殖機能がある「両性花」の小さな花が多数密集して咲いているが、園芸品種では両性花は退化して装飾花だけになっているものが多い。

 山で装飾花が目立つ樹種としては、アジサイの仲間のほかにはムシカリ(=オオカメノキ)やヤブデマリなどガマズミの仲間や一部のウツギ類などがある。いずれも山霧がしっとりと漂うような情景に清楚な花が映えて美しいが、この繁殖に関係のない装飾花が生まれた意味をどうとらえれば良いのだろう。

 すべての生命に共通する関心事は、少しでも多く子孫を残すため繁殖を有利に進めることだ。そうした観点からいえば、繁殖に役立たない装飾花を付けることは植物にとりエネルギーや資源の無駄遣いに思えるが、受粉を媒介する昆虫はまず装飾花にやってくるという。つまり、目立つ装飾花は昆虫を呼び寄せる標識として役立っており、その分、繁殖を担う両性花は虫を呼ぶための仕掛けを省き、作りを極限まで小さくしてたくさんの花をつけることができる。またその花の小ささのおかげで、昆虫が一度這い回るうちに多くの花が一斉に受粉することもできるらしい。かくしてトータルでみれば、無駄なように見える装飾花は植物の繁殖戦略のソロバン勘定に十分合っているというわけだ。

 アジサイはその学名をめぐる逸話でも知られる。幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放されたドイツ人医師シーボルトは有能な博物学者でもあって、帰国後に日本で魅せられたアジサイをヨーロッパに紹介。一女をもうけた事実上の妻「お滝さん」への想いを込め「otakusa」と命名したという。学名はすでに登録されていたためその名は残らなかったが、日本ではアジサイをそう呼ぶとシーボルトが説明したとの話もあり、彼がお滝さんにどれほどこだわっていたか、本当のところ定かではない。しかし、濡れそぼりつつ凛と咲くアジサイに当時20代の若者が、再びまみえることの許されぬ女性への尽きぬ想いを託したという解釈の方が、涙雨の情景に似合うことはたしかだ。

 雨具をまとって歩くのは少々面倒だが、雨なればこそしめやかに去来する思念もある。この季節、ガクアジサイやツルアジサイの花に、生命の不思議や幕末の悲恋に思いをはせつつ山中を彷徨するのも悪くないと思うが、いかがだろうか。



 このブログサービスは、一ヶ月間ブログの更新が滞ると、トップページに広告が掲載されるようになってしまいます。で、たったいまその状態に陥っているのを発見して慌てて更新。 しかし、そうかあ、もう前の記事を書いてから一ヶ月も経過してしまったのかあ… 時の過ぎるのは早いです。

 さて、25日、先週の土曜日は、大和葛城山にカタクリを見に行ってきました。

 カタクリは一年の大半を落葉広葉樹林の土中で過ごし、雪が融けると同時、まだ落葉樹の葉が開かず十分に受光できるわずかな期間に葉を展開して懸命に光合成に励み、花を付け、受粉して種を実らせると地上部は枯れ果てて、落葉樹の葉が茂り始める頃には、また長い地中での生活に戻ってしまいます。福寿草やショウジョウバカマ、多くのスミレなど、このような生活史を展開する植物のことをスプリング・エフェメラルつまり「春の儚(はかな)さ」と呼びますが、本当に春の妖精を連想させるような可憐な趣があります。

 ついでですが、エフェメラルは蜉蝣(カゲロウ)の訳語でもあります。カゲロウも羽化してからの命は一日しかありません。その間に交尾を終え慌ただしく子孫に未来を託して命を終えてゆくのです。そのため、成虫には消化器も口すらもありません。こちらも実に儚い命で、それはカタクリなどと共通していますね。でも、彼らはそれでこの厳しい自然淘汰を生き延びてきたのですから、儚いというのは、人間の勝手な思い入れに過ぎないのかもしれません。

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カタクリは、頂上西側の自然研究路から尾根筋に開かれた縦走路いわゆるダイヤモンドトレールに沿って咲いています。

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 ミツバツツジも満開でした。

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 このあたりはかつて薪炭林として盛んに利用されたあと放置された二次林で、高木層を構成する樹種はまずコナラ、次いでリョウブ、イロハカエデなどです。また低木層はミツバツツジやクロモジが中心で、林床をネザサが覆っています。つまり薪炭林時代からの人間の収奪が激しかったため土壌が痩せ、近畿の標高1000mレベルの極相林をなすブナ・スズタケ群落が回復していません。しかし、人手が入らなくなって時間が経過したため土壌の肥沃度も回復傾向にあると見えて徐々に遷移が進み始めており、こうしてブナの幼木を発見することができました。

 地球温暖化という別の人為的干渉がブナの将来に暗雲を投げかけていますが、このまま気候が安定していれば、まさに「自然」に、ここはブナ・スズタケ林に回復してゆくはずです。

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 ダイヤモンドトレールの道端で見つけたカタクリです。

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 大和葛城山の頂上は禿山です。

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 ミヤマキケマン。一応、高山植物ということになっていますが、低地でも結構見かけます。綺麗な株がなかったので撮影はしませんでしたが、同じ花の形で紫色のムラサキケマンもありました。ちなみにケマンは華鬘で、お堂の梁などからぶら下げる仏具のことです。キケマンは黄色の華鬘ということですね。ついでながら、黄色でもムラサキでもない単なる「ケマンソウ」の赤い花は、全然違うハート型をしています。
 
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 櫛羅(くじら)の滝コースを下山。頂上の南東側になりますが、この一角には立派なブナがあり、その林床をスズタケがカバーしていました。若々しい新緑が美しく、目が洗われるようです。

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 クサイチゴ。今年はイチゴの当たり年というか、とてもたくさん咲いていました。5月中旬頃に結実、酸味は強いですが美味しいです。

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 イカリソウ。杉林の林床にひと株だけ咲いていました。

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 ガマズミ。まだ咲き始めです。

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 今回、最後に見たのがウワミズザクラ。ブラシのような白い花序が特徴で、花の付く小枝(花序枝といいます)に葉があることで、よく似たイヌザクラと見分けます。ウワミズは大昔の亀甲占いで使用された溝を掘った板のことだそうです。

 本当に滴るような新緑が美しい季節です。厳しい山登りはもうできないのですが、せめてこの新緑に少しでも多く接することができるよう、機会を見つけては森に出かけようと思います。





 最近、雨の日が多いですね。 梅は終わり、桜にはまだ早い時期ですが、ようやくひと雨ごとに春めいてくるような実感があります。以下は、わが紀峰山の会の季刊誌に連載している巻末コラム。実際に書いたのは2月半ばでした。



     植物百話 4  マンサク

  「春山淡治(たんや)にして笑ふがごとし」(郭思)。

 中国の古詩から春の季語となった「山笑う」には、木々の新芽が膨らみ花が開き、冬、長く静かな眠りに落ちていた山が目覚めてゆく様が巧みに表現されている。雪解けと競うようにして次々に蘇ってくる生命との再会に、山は喜びの微笑みを見せるのだ。淡治(たんや)とはあっさりしていて艶(なまめ)かしいさま、そこはかとなく香り立つような色気を指す。
 
 このコラムを書いている2月中旬、山はもちろん町もまだ冬のさなかだが、南の地方では梅の花がほころび、春が萌(きざ)しつつあることを伝えている。梅の季節が過ぎれば、間もなく山も日々、春の気配を増してゆく。
 
 もう何年前のことになるだろうか、東北の早春、津軽の名峰「岩木山」の山頂直下から無垢無木立の広大な斜面を歓声を上げながら滑降したときのこと、傾斜が緩くなって緊張から解放され、それまでの豪快な大滑降の余韻に浸りつつなだらかに下る雪原を滑走していると、樹林帯に入る手前でたくさんの黄色い花を付けた木に出会った。マンサクだった。

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 マンサクの花は赤紫色の「がく」から黄色い紐のような4枚の花弁を伸ばして咲く。葉に先立って花だけが展開し、花の数も多いので色彩に乏しい残雪の山では非常によく目立つ。

 マンサクは春一番に咲くことから、東北の人たちが同地のお国言葉で「まんず咲く」と呼んだのがなまってこの名になったというが、植物図鑑はマンサクの分布を関東以西の太平洋側としている。おそらく、東北の人たちが接したマンサクや自分が岩木山で見たものは、現代の植物分類では「北海道南部から日本海側に分布し多雪地に適応」と説明されている「マルバマンサク」という亜種になるのだろう。…とすれば標準和名「マンサク」の由来は東北弁ではなく、たくさん花がつくことからの豊年満作への期待を込めた太平洋側の人たちの連想が語源との説のほうが正しいのかもしれない。

 マンサクは各地で「ネソ」あるいは「ネッソ」などと呼ばれている。勉強不足で和歌山の山村でどう呼ばれていたかは知らないのだが、ネソは本来、ガマズミやソヨゴ、カマツカやヤマボウシ、リョウブなど、よくしなり強靭な性質を生かして柴や薪を結束するのに用いてきた木の枝や樹皮の総称で、なかでもマンサクが特にそうした用途に適していたため、やがてはマンサクの別名として定着したものらしい。ネソに使うのは若いマンサクの幹や枝で、生のうちに樹皮ごとねじって繊維をほぐし、ときには掛矢で叩くなどで柔らかくし、長く平たい棒のような形状で使用する。

 世界遺産に指定された白川郷や五箇山の合掌造り家屋を訪ねて、釘やかすがいを一本も使わず、あの巨大な屋根を支える木組みが造られていることに驚嘆した方もおられるだろう。外観からはローブ状のもので縛った部分しか見えないが、家屋の中に入ってよく観察してみれば、その木組み、ヤナカと呼ぶ横木とクダリと呼ぶ縦木の交差部が黒光りするネソで締め上げるようにしっかり結束されていることが分かるはずだ。ネソは巻き付けられてから時間とともに結束部を強く締めつけてゆくが、それと同時に「結ぶ」という固定法の特性から、風による屋根全体の揺れにもしなやかに対応して倒壊を防いでいるという。化繊のロープや金具ではこうはいかない。昔の山里の人たちが植物の性格を熟知して、見事に活用していたことが知れるだろう。

 もちろん、山間地では稲わらの入手が困難であったことから、わら縄の代わりに使用したケースも多かったに違いない。伝えられるところでは、筏(いかだ)に使用する木材同士の結束や、古来から河川工事で使用されてきた蛇籠(じゃかご=編んだ籠の中に石を詰めて河川の護岸形成や流路の安定などを図るもの)にも利用されてきたらしい。

 マンサクを結束材とするために捻(ひね)りながら曲げてほぐすことを「ねる」というのだが、このようにネソを多用した地域では、まだ未熟な者を表現するに際し「ようねそもねらんで…」といった言い回しがあったという。 ことほど左様に、マンサクを「ねる」ことは一人前の成人男子であれば必ず身につけねばならない生活技術であったのだ。

 そのマンサクが危ないという話を聞いた。花が終わり、葉が展開してしばらくすると上部の葉から褐色に変色し始め、やがてこれが全体に広がって枯死するマンサクが急速に増えているという。1998年に愛知県で初めて確認されて調査してみたところ、同じ症状の蔓延が東北から西日本に至る全域で確認されたそうだ。原因としてはある種のカビが疑われているが、まだ確証はない。

 自然と人間との関係は本当に微妙だ。人間が利用しなくなった結果、里山が自然林に回復してゆく過程でアカマツのように衰退してゆく植物もある。マンサクの病気の原因はわからないが、利用圧の変化にせよ温暖化にせよ、人為に起因するなんらかの変化が関与している可能性は高いだろう。マンサクを「ねる」技術など忘却して久しく、それを必要ともしなくなった現代人であっても、あの花を見られなくなるのは悲しい。早く原因が解明されて、適切な対策が打たれることを祈るばかりだ。そして今年も間もなく、マンサクが花期を迎える。



 もう新年も7日。今回の年末年始の休暇は9日もあったのに、なにかと気ぜわしくてブログを更新するまもなく、一昨日から仕事が始まってしまいました。
 落ち着いたら、世の中の動きなど、いろいろと書きたいことはあるのですが、そんなこと言ってるとますます更新できない。 で、一ヶ月更新しないとこのブログサイトでは広告が表示されて、ずいぶん見苦しくなってしまいます。 ということで、とりあえずはコジローが所属する山岳会の機関誌に連載しているコラムを以下に転載して、目障りな広告を消しておこうと思います。

【以下転載】

          植物百話 3

                  ブナの話題あれこれ

 登山を趣味とする者にとり、ブナは最も馴染み深い樹木のひとつだ。展望のない森林帯を黙々と歩いているときなど、独特の斑点模様を身にまとった太いブナの幹にふと気が付き、その高さを確かめようと見上げたことがある方も多いことだろう。

 その斑点模様の正体は菌類と藻類の共生体である地衣類で、これが好んでブナの幹に繁殖するのは樹皮がマツなどのように剥がれ落ちず、また雨が滑らかなブナの幹を伝い落ちる(樹幹流という)ため水分を得るのに有利だからだ。余談だが、ブナはこの樹幹流に根から吸収したカルシウムやカリウムを溶出させることで、雨水の酸性度を中和させる働きもしている。ブナは自分が頼る土壌の酸性化を自ら防いでいるわけだ。

 ブナは北海道の渡島半島の平野部から徐々に高度を上げ、鹿児島県の高隈山の頂上付近(1236m)までの各地に分布しており、紀伊半島では標高800m付近から上で見かける。しかし、同じブナでも東北地方と紀伊半島ではかなり違う印象を受ける。より正確に言えば多雪の日本海側と太平洋側の違いということになるのだが、日本海側のブナは葉が薄く大型で、白い幹が真っ直ぐ上に伸びるのに対し、太平洋側のブナは葉が肉厚小型で幹は黒っぽく、よく枝分かれしてずんぐりとした樹形になるものが多い。また、多雪地ではしばしばブナ以外はササしかない純林を見かけるが、太平洋側ではミズナラやカエデ類を伴った混交林ばかりだ。なぜ、こんな違いがあるのだろう。

 まず葉の違いだが、これについてはいくつも研究論文が出ている。同じ樹木でも先端の葉と下部の葉で違いはあるのだがそれはさておき、一般に日本海側のブナの葉の方が大きいのは水分条件に恵まれているためと考えられている。多雪地のブナには水不足の心配がないので、葉からの水分の蒸散など気にせず伸び伸びと葉を大きくして光合成ができる。一方、雪が積もらない太平洋側のブナは春の乾燥や夏の日照りで水不足に直面する。そのため、葉から蒸散する水分を減らそうと葉を小さくし環境に適応しているわけだ。下の図は白石さんと渡辺さんの論文から引用させてもらったものだが、ご覧の通り太平洋側のブナの葉の面積は日本海側の葉の4分の1くらいしかない。

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 が、それで終わらないのが生命の面白さだ。太平洋側の山地に雪は少ないが太陽光は雪国よりはるかに強い。そこで葉の広さで後れをとった太平洋側のブナは、葉の表側にあって光合成を担う細胞の配列を二段または三段重ねにしてこのハンディをカバーしている。光合成細胞が一段しかない日本海側のブナの葉に比べ肉厚なのはそのせいだ。

 また、樹形の違いや純林の有無もこの雪の多寡で説明できる。豪雪地ではブナ以外の高木の広葉樹は積雪に折られて生き延びることができない。また、ブナにしても斜上する幹や枝は積雪の重みで折られるため真っ直ぐに伸びる個体だけが生き残る結果、すっきりした樹形のブナばかりの純林が形成される。他方、雪がない太平洋側では曲がったブナやその枝も折れないのでずんぐりした樹形となり、また他の樹木も生えられるため高木層の樹種が多い混交林となるわけだ。ただ、なぜ雪深くなるほどブナの幹が白くなるのかだけは正確な理由がわからない。幹に付着する地衣類やコケの種類が異なるからだろうか、それとも太平洋側のブナは日焼けしてるってことなんだろうか。

 ついでだが、このように豪雪は高木には厳しい環境条件だが、これがかえって好都合という樹木もある。雪の中で気温は零度以下にはならず、そこに潜り込んでしまえば冬の厳しい寒さや季節風からも乾燥からも守られるからだ。これは冬山で登山者が雪洞に潜り込んで快適な時間を楽しむのと同じ理屈。ユキツバキ,ヒメアオキ,チャボガヤなど、雪に潜れるよう背を低くしたり雪の重みで折られないよう身体を細く柔軟にしたりして、多雪という特殊な環境条件に適応した植物群を専門用語で「日本海要素」というのだが、紀州の山で春空に高く赤く咲き誇るツバキが、雪国にきて灌木のような姿に身をやつしつつ懸命に花をつけているのを見ると、生命のすごさに襟を正したい思いにとらわれる。

 話を戻してブナの実の豊凶について触れておこう。クマが人里に出没したりすると、ブナの実の凶作が原因と説明されることがよくある。ソバに似たブナの実は人間でもアクを抜かずそのまま食べられるほどで、クマにとり重要な栄養源であることは確かだ。しかしブナには5~7年に一度しか豊作がない。クマにすればそんな気まぐれなブナを主食にするのはリスクが大きすぎる。だからクマがアテにするのはミズナラなど豊凶差が小さい他のドングリや果実類で、ブナが豊作の時は「ラッキー!」って感じなんだろうと思う。

 では、なぜブナはこんなに豊凶差が激しいのだろう。その有力な説明として「種子捕食者飽食仮説」がある。「仮説」とはいえこれを裏付ける調査報告は結構あるので当たらずとも遠からずだろう。ブナにはブナの実専門の食害昆虫がつく。主としてブナヒメシンクイなど2種の蛾で、これら昆虫の生息数がエサとなるブナの実の豊凶に支配されることは容易に推測がつくが、その食害率8~9割に達するというから大変だ。植物は懸命に光合成した成果の多くをせっせと繁殖つまり花や実づくりに投資する。その大半が食べられては子孫を残せないではないか。骨折り損のくたびれ儲けとはこのことだ。

 そこでブナは考えた。不作や凶作を続ければ食害昆虫は減ってゆく。で、減り切った頃を見計らって一気に結実させれば、さすがの貪欲な捕食者どもも食べきれず多くの実が生き残るに違いない。それを地域のブナが同調して行えば風媒花であるブナの受粉確率が格段に高まる効果もある(受粉効率仮説)。つまり、数年は実質的に繁殖をあきらめても、一回爆発的に種子を散布できれば勘定は合うという戦略なのだ。それにしてもこのサイクルにすべてのブナが歩調を合わせるとは・・ 自然はつくづく驚異に満ちている。

 樹林帯の主役ブナだけに話題は尽きないが紙幅も尽きたので今回はここまで。読者諸兄が次にブナに接したとき、その生存戦略への敬意をもって見上げていただければと思う。

                                          【転載以上】

最後までお読みくださりありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。
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