またもご無沙汰。相変わらず忙しいということも多少はあるけれど、今はちょっと別のことに熱中していて、空いた時間のほとんどすべてをそれに充てているため、世の中の動きなど、モノ申したいことは数々あれど、なかなか文章を書くところまでいかないというのが実情です。
 もう、こんな状態のまま、これ以上更新できないようならこのブログをもう閉じようかとも思ったのですけれど、熱中していることについては、もう少し時間が経過すれば、このブログで紹介できるようになるかもしれないと考え直して、とりあえず維持することにしました。といったわけで、とりあえずは山岳会の季刊誌に書いたコラムを以下に転載します。


植物百話 7

      ナラ枯れとカシナガ

 ナラやシイの仲間など日本の森林の主役であるブナ科の大木がいま、東北から九州に至る各地の山で大量に枯れていることをご存じだろうか。「ナラ枯れ」と呼ばれる現象で多くは夏に発生し、枯れた大木の葉が赤褐色に変色するため早い紅葉と間違われることもある。原因は樹木の導管(根から吸収した水などの通り道)がナラ菌と総称されるカビの侵入をきっかけに詰まり、樹体に水が行き渡らなくなるためだ。だが、この大木枯死のメカニズムをつかさどる陰の主役というか狂言回しは別にいる。

カシナガ
 カシノナガキクイムシ略して「カシナガ」と呼ばれる全長5ミリ未満ゴマ粒大のこげ茶色の地味な昆虫がその狂言回しだ。ナラ菌に移動する能力はないが、この小さな虫がナラ菌を運び「感染」を広げている。かくしてナラ枯れの被害が蔓延しているのだが、この虫の生活史には驚くべきことが多い。(上図、右メス4.7mm、左オス4.5㎜)

 6月のある晴れた日、羽化したカシナガは日の出から数時間の間に生まれ育った樹木の幹から飛び立つ。カシナガは生涯の大半を樹木の中の暗黒で過ごす。そして、ほんのわずかしかない日の当たる世界で過ごす貴重な時間のほとんどすべてを。健気にも、子孫を残すための営みに費やすのだ。休暇の大半を山登りなどという愚にもつかない道楽に費やして浮かれてるどこかのゴクつぶしには、カシナガの爪の垢(・・があればの話だが)でも煎じて呑んでもらいたいものである。

 繁殖活動のスタートは「愛の巣」探しからだ。オスは初夏の林内を飛び回り、多くの子どもを育てられる幹の太い木を探す。そしてこれぞと思う適当な大木を見つけると、集合フェロモンを発して同じカシナガのオスを呼び集め、強力なあごで一斉にその幹に穴を掘り始める。専門用語ではこの集中攻撃を「マスアタック」というのだが、このように一本の木に多くのオスが集中するのは樹木側の反撃、例えば殺虫力のある樹液を出すなどの抵抗の威力を分散し、巣作りを確実に行うためだろうと考えられている。ある調査によれば、一本の木の幹に3千にのぼるカシナガの穿孔穴が確認されたという。樹木側の迎撃など間に合わない、まさに息もつかせぬ総攻撃ではないか。

 かくして樹木の幹に橋頭保の穴を掘ったオスは、翅の裏側と腹にあるギロ(ラテン音楽の楽器、ヒョウタンに入れた刻みを棒でこすって音を出す)のような波板をこすり合わせて音を出し、メスを呼び寄せる。一斉にラブコールを発するムコ3000人を相手に品定めするメスも目移りしてさぞ大変だろうと思うが、ともあれメスはオスが穿孔した穴の中に入って出来具合を確かめ、その穴が気に入れば交尾を許す。

 さて、面白いのはここからだ。上図でも描かれているようにメスの背にはマイカンギアと呼ばれる10個の穴があって、ここにあのナラ菌の胞子を詰め込んでいる。夫婦となったカシナガは協力して樹木の芯に向かい穴を掘り進めてゆくのだが、その過程でメスの背中が穴の壁に触れナラ菌が植えつけられる。やがてメスは一定程度掘り進んだ段階で産卵、その卵が孵化する頃にはこのナラ菌が幼虫の餌になる。つまり、カシナガを含む養菌性キクイムシと呼ばれる昆虫の一群は、自ら食料とする菌類を栽培しているわけだ。

 この驚異の生態が初めて知られたのは19世紀中頃だが、当時これを発見した科学者は余程驚いたのだろう、この不思議な餌をギリシャ神話の神々が口にする不老不死の食べ物にちなみ「アンブロシア」と名付けたのだった。 ・・というような事情を知って、もう少し調べてみようと「アンブロシア」でインターネットを検索してみたら、なんと岩出市内の洋菓子屋が一発でヒットした。2年前の春、春日山原生林を歩いた際にこの話をしたら、メンバーの一人が知っている店だと返してくれた。彼女の話ではそこそこ美味しい店とのことなので、興味のある方はぜひ「神の食べ物」を賞味してみてほしい。

 次に面白いのはカシナガの家族関係だ。昆虫のペアは通常、交尾が終われば解消するが、カシナガは夫婦で子育てをする。それだけではなく、どういうわけか100個ほど産んだ卵のうち1個だけが先に孵化成熟し、この長男だか長女だかが坑道途中に置かれた卵を、新たに両親が掘り進めた奥の穴に移すなど、両親の作業をかいがいしく手伝うのだ。アリやハチなど膜翅目(まくしもく)と呼ばれる昆虫のグループでは、個々に役割を分担し群全体として社会生活を営むものが多いが、その他のグループでは珍しい。まして家族単位で生活を営む例は他にはまずなく、非常に興味深いところだ。

 長男以外の卵はこのように家族の手厚い保護を受けて越冬し翌春に孵化する。父母はすでに寿命を終えているが、親たちが栽培して残した遺産のナラ菌を食料として成長、数度の脱皮を繰り返し、6月のある晴れた朝、暗黒の坑道をたどって羽化し、父親が最初に掘った入り口から初夏の光り輝く希望の世界へ一斉に羽ばたくのだ。ある観察によれば、一本の木から1万頭のカシナガが羽化したという。

 とまあ、やや思い入れたっぷりに書いてきたが、食い荒らされる木の方はたまったものではない。カシナガは外来種ではなく、昔からブナ科の老成木の一部がカシナガに食害される例はあったのだが、前世紀末あたりから今に見るように爆発的な枯死被害が広がるようになった。どうしてこんな激甚被害となってしまったのか。

 気候変動の影響もあるようだが主な原因は1960年代の燃料革命にあるというのが最近の定説だ。かつてブナ科の樹木、ミズナラやコナラ、カシ類やシイ類は炭や薪として盛んに利用されていた。しかし60年代以降、エネルギーの主役は石油や電気に取って代わられ、里山は燃料の供給源としての価値を失った。その結果、以前は20年生程度で伐られ再生を繰り返していたこれらブナ科の樹木が放置され、カシナガが好む大木に成長して大発生できる環境を整えてしまったというわけだ。

 カシナガは自然が通常の状態であれば、老成木を倒し分解することで若い後継樹の成長を促し、全体として森林の若返りと新陳代謝を助ける役割を果たしていた。つまり、今のナラ枯れの惨状は、自分の必要から自然に手を加え、そして自分の都合で勝手に手を引いた人間の側に非がある。生態系は実に複雑にして玄妙な諸関係で成立しており、それを構成するすべての生き物に担うべき役割があって、カシナガのように余程注意しなければ目に止まることもない小さな生命にも、人智では計り知れない価値が潜んでいる。

 次に立ち枯れたブナ科の大木を見たら、その根元にカシナガが幹を穿孔して排出したフラスと呼ばれるおが粉を探してみてほしい。そして、もしそのフラスを確認したら、その森とカシナガと人間を巡る半世紀の物語に、謙虚に思いをはせてほしいのだ。



今日から早くも9月。会期末が近づくにつれ、国会では安保(戦争)法案の参院採決を巡り、きな臭い空気が漂ってきました。が、まあその話はまた次に書くとして、久しぶりに植物の話。以前、このブログに書いた記事とダブる部分もあるのですが、以下、私が所属する『紀峰山の会』の会誌に載せた文章を転載します。


 植物百話 6

   レブンアツモリソウ

 6月18日~23日、8人パーティで北海道最北の利尻島と礼文島を訪ねました。同地は例年この頃は、オホーツクから冷たい風が吹き付けて天気が安定せず、雨や霧の日が多いため、登山やトレッキングに向いているとは決していえません。にも拘らずあえてこの時期を選んだのは、「花の浮島」の異名を有するまで多彩な花が咲き誇る礼文島でも、そのシンボルというべき同島の固有種=レブンアツモリソウとレブンウスユキソウの両方に出会えるのはこの時期を措いてほかにはないからでした。

 滅多には行けない所だけに、どうせなら利尻山の登頂だけでなく、この二つの固有種にも対面したい。しかし、レブンアツモリソウの花期は6月上旬から中旬、レブンウスユキソウは6月下旬から7月上旬と、微妙にすれ違っています。このギリギリの端境期を狙ったのが先の日程になるわけで、運が悪ければ二兎を追って両方見られない可能性もありましたが、結果としては運も天候も味方して両方とも自生している個体に出会うことができました。やはり、日頃より善行は積んでおくものです。

 今回はそのレブンアツモリソウの興味深い生活史に触れようと思うのですが、その前にまずこの植物の特徴と名前の由来について説明しておきましょう。「レブン」の地域名がつかない「アツモリソウ」は本州の低山から亜高山の草地や明るい林内に生育するラン科の多年草で、茎の先に径3~5cmの淡紅色の花を下向きにつけます。花は簡単に表現すると先が尖った長三角形の花弁が天井と(正確には背萼片)と両サイド(側花弁)を形作り、残る下部に扁平な丸い袋の形をした花弁(唇弁)が位置する構造。レブンアツモリソウの花も同じ形ですが清楚なクリーム色で一層高貴な印象を受けます。

 名前の「アツモリ」は横笛の名手にして美男の誉れ高かった青年武将、平敦盛(たいらのあつもり)にちなんでおり、この風船のように膨らんだ唇弁を、合戦時に騎馬に乗じた敦盛が後方からの弓矢よけのため背にした母衣(ほろ)という袋状の武具に見立てた名前です。ついでながら、よく似た形状のクマガイソウは、戦の常とは言いながら、一ノ谷の合戦において自分の息子と同じ17歳であった敦盛の首を、泣きながら刎ねる巡り合わせとなった源氏の武将、熊谷直実(くまがいなおざね)の同じく母衣に由来します。直実はこの事件後、募る無常感から出家して仏門に入り、長く敦盛の菩提を弔ったとのこと。そしていま、両人は高野山奥の院に寄り添うように墓標を並べて静かに眠っています。

 さて、最初に申しあげましたように、レブンアツモリソウには、その生態にも興味深いことがたくさんあります。まず、下のイラストで紹介しているように、袋状の唇弁の上に前後二つの穴があいていて、ここから受粉を媒介する昆虫特にマルハナバチが出入りできるようになっています。しかし、入れるのは前の大きめの穴からだけで後ろの穴は出口としてしか使えません。なぜこういう構造になっているのかというと、自花受粉を防ぐためです。入口から入った昆虫はまず雌しべに触れたあと、奥の雄しべに触れて花粉まみれになって出口から脱出し、次のレブンアツモリソウの花に訪れたとき、その花の雌しべに触れて他花交配が果たされるわけです。こうして種内の遺伝的多様性を担保しているわけなのですね。ちなみに、レブンアツモリソウの花には蜜も匂いもありません。この白く巨大な花は、それ自体が虫を惹きつけるための精一杯の演出なのです。

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レブンアツモリソウの花の模式図、礼文観光協会のHPから

 さらに、こうして受粉し結実したレブンアツモリソウの種子には胚乳がありません。ご存知のとおり、種子のうち植物体になるのは小さな胚の部分で、種子の大部分を占める胚乳は胚が発芽するための栄養源、つまりエネルギー貯蔵庫であって、例えて言えばスペースシャトル発射の際の燃料ブースターのようなものであるわけです。では、それを持たないレブンアツモリソウの種は何をエネルギー源にして発芽するのか。実は、ある菌根菌を呼び寄せ、その菌から栄養を奪い取って発芽するのです。詳しく説明する余裕はないのですが、菌根菌とは生きている植物の根っこと共生して暮らす菌類の総称で、マツタケやシメジなど多くのキノコが菌根菌に該当します。

 ここで面白いのは、この植物の根にからみつく菌根菌と多くの植物との共生は、植物側からはデンプンなど光合成物質を菌根菌に与え、その代わりに菌根菌側は植物体に土壌中の水やミネラルをかき集めて供給するという相利型なのですが、レブンアツモリソウと菌根菌との関係は、食うか食われるかの緊張関係によって維持されていることです。まだ分かっていないことも多いのですが、レブンアツモリソウの種は自らをおとりにして、ハイネズという木の根に共生する菌根菌を呼び寄せるようです。

 ハイネズの菌根菌はレブンアツモリソウの種子を食べてやろうと接近し絡みつくのですが、そこで種子の側は抗菌成分を分泌し菌があまり強大になりすぎないよう適度にコントロールしつつ、自分の周りに「生かさず殺さず」の微妙なバランスで飼い慣らし、そこから一方的に栄養を収奪して発芽しているようなのです。ただ、この関係は微妙で、成熟したレブンアツモリソウでも、何らかの理由で抗菌成分の分泌が衰えれば力関係が逆転し、菌に圧倒されて枯れてしまいます。

 このような非常に特異な発芽方法のためか、レブンアツモリソウは発芽から成熟して花をつけるまでに7年の時間を要するということです。いま目の前に見る可憐なレブンアツモリソウも、このような試練に耐えてやっとこの極北の地に花開いたのだと思うと、さらに一層、いとおしさがこみあげてくるように思います。しかし、レブンアツモリソウはなぜ、このように複雑な生活史を選択したのでしょうか。ほんと、自然の世界は、知れば知るほど驚異に満ちています。 山は本当に素晴らしい。遠くの景色も感動的ですが、ミクロの世界にも感動できる素材はたくさんあるのですね。

 前回にこのブログを更新してから、早くも1カ月以上もたってしまいました。この間、あちこち新緑の森をウロウロと徘徊して、書くネタは写真も含めどっさりあったのですが、ウロウロしすぎたのと仕事がまた忙しくなったのとでまったく時間が取れず、そのうちにせっかくのネタも次々に古くなって賞味期限が切れ、更新できずに来てしまいました。 毎日とはいかずとも、頻繁に更新しているブロガー、本当に大したものだと思います。

 さて、前回のブログで取り上げた大阪都構想、その是非を問う住民投票は僅差で反対派が勝ち、橋下さんは政界からの引退を表明しました。まあ、とりあえずは良かったと思いますけれど、橋下さんが知事になって以来の7年、大阪府市民はその思い付きのパフォーマンスに振り回されて貴重な時間を失いました。これ以上それが続かなかったことは不幸中の幸いというべきですが、成熟しない民主主義はときとしてこのような失敗をしてしまうのですね。今の安倍政権ももちろんしかりです。

 そんな生臭い話はまた別の機会にするとして、とりかくブログを更新するために、コジローが所属する紀峰山の会の機関誌に書いた巻末コラムを以下に転載します。 梅雨時の森で登山者を歓待してくれるアジサイの仲間に思いをはせてみました。




       植物百話 5
                          アジサイ

 岩登りや沢登りで雨は困るが、ハイキングなら雨の山もまた良しでなんら不都合はない。紀峰では最近、ハイキングでも雨で中止にする例が増えているようだが、よほどの大雨や台風ならともかく、多少の雨で山行を中止にするのはなんとももったいない、と、古い山屋は思う。爽快な展望は期せないが、雨なればこそ一層生命の輝きを増す森の宇宙に深く浸(ひた)れる貴重な機会を、なぜあたら手放してしまうのだろう。山岳自然に深く触れたいと望むなら、雨をも親しい友とするにしくはない。

 そんな雨にけぶる梅雨どきの森を歩むとき、みずみずしく花をつけて登山者を迎えてくれるのが、アジサイの仲間たちだ。

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 ガクアジサイ きみどりさんのWebsiteからお借りしました

 街で見かけるアジサイは園芸品種で、その原種はガクアジサイだろうと言われている。そのガクアジサイを含めアジサイの仲間で花びらに見える部分は実は「がく」で一般に生殖機能を持たず、「装飾花」と呼ばれている。ガクアジサイでは3~5弁の白い装飾花がそれこそ絵画の「額」のように周りを取り囲むなか、雄しべ雌しべを備え生殖機能がある「両性花」の小さな花が多数密集して咲いているが、園芸品種では両性花は退化して装飾花だけになっているものが多い。

 山で装飾花が目立つ樹種としては、アジサイの仲間のほかにはムシカリ(=オオカメノキ)やヤブデマリなどガマズミの仲間や一部のウツギ類などがある。いずれも山霧がしっとりと漂うような情景に清楚な花が映えて美しいが、この繁殖に関係のない装飾花が生まれた意味をどうとらえれば良いのだろう。

 すべての生命に共通する関心事は、少しでも多く子孫を残すため繁殖を有利に進めることだ。そうした観点からいえば、繁殖に役立たない装飾花を付けることは植物にとりエネルギーや資源の無駄遣いに思えるが、受粉を媒介する昆虫はまず装飾花にやってくるという。つまり、目立つ装飾花は昆虫を呼び寄せる標識として役立っており、その分、繁殖を担う両性花は虫を呼ぶための仕掛けを省き、作りを極限まで小さくしてたくさんの花をつけることができる。またその花の小ささのおかげで、昆虫が一度這い回るうちに多くの花が一斉に受粉することもできるらしい。かくしてトータルでみれば、無駄なように見える装飾花は植物の繁殖戦略のソロバン勘定に十分合っているというわけだ。

 アジサイはその学名をめぐる逸話でも知られる。幕府禁制の日本地図を持ち出そうとして国外追放されたドイツ人医師シーボルトは有能な博物学者でもあって、帰国後に日本で魅せられたアジサイをヨーロッパに紹介。一女をもうけた事実上の妻「お滝さん」への想いを込め「otakusa」と命名したという。学名はすでに登録されていたためその名は残らなかったが、日本ではアジサイをそう呼ぶとシーボルトが説明したとの話もあり、彼がお滝さんにどれほどこだわっていたか、本当のところ定かではない。しかし、濡れそぼりつつ凛と咲くアジサイに当時20代の若者が、再びまみえることの許されぬ女性への尽きぬ想いを託したという解釈の方が、涙雨の情景に似合うことはたしかだ。

 雨具をまとって歩くのは少々面倒だが、雨なればこそしめやかに去来する思念もある。この季節、ガクアジサイやツルアジサイの花に、生命の不思議や幕末の悲恋に思いをはせつつ山中を彷徨するのも悪くないと思うが、いかがだろうか。



 このブログサービスは、一ヶ月間ブログの更新が滞ると、トップページに広告が掲載されるようになってしまいます。で、たったいまその状態に陥っているのを発見して慌てて更新。 しかし、そうかあ、もう前の記事を書いてから一ヶ月も経過してしまったのかあ… 時の過ぎるのは早いです。

 さて、25日、先週の土曜日は、大和葛城山にカタクリを見に行ってきました。

 カタクリは一年の大半を落葉広葉樹林の土中で過ごし、雪が融けると同時、まだ落葉樹の葉が開かず十分に受光できるわずかな期間に葉を展開して懸命に光合成に励み、花を付け、受粉して種を実らせると地上部は枯れ果てて、落葉樹の葉が茂り始める頃には、また長い地中での生活に戻ってしまいます。福寿草やショウジョウバカマ、多くのスミレなど、このような生活史を展開する植物のことをスプリング・エフェメラルつまり「春の儚(はかな)さ」と呼びますが、本当に春の妖精を連想させるような可憐な趣があります。

 ついでですが、エフェメラルは蜉蝣(カゲロウ)の訳語でもあります。カゲロウも羽化してからの命は一日しかありません。その間に交尾を終え慌ただしく子孫に未来を託して命を終えてゆくのです。そのため、成虫には消化器も口すらもありません。こちらも実に儚い命で、それはカタクリなどと共通していますね。でも、彼らはそれでこの厳しい自然淘汰を生き延びてきたのですから、儚いというのは、人間の勝手な思い入れに過ぎないのかもしれません。

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カタクリは、頂上西側の自然研究路から尾根筋に開かれた縦走路いわゆるダイヤモンドトレールに沿って咲いています。

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 ミツバツツジも満開でした。

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 このあたりはかつて薪炭林として盛んに利用されたあと放置された二次林で、高木層を構成する樹種はまずコナラ、次いでリョウブ、イロハカエデなどです。また低木層はミツバツツジやクロモジが中心で、林床をネザサが覆っています。つまり薪炭林時代からの人間の収奪が激しかったため土壌が痩せ、近畿の標高1000mレベルの極相林をなすブナ・スズタケ群落が回復していません。しかし、人手が入らなくなって時間が経過したため土壌の肥沃度も回復傾向にあると見えて徐々に遷移が進み始めており、こうしてブナの幼木を発見することができました。

 地球温暖化という別の人為的干渉がブナの将来に暗雲を投げかけていますが、このまま気候が安定していれば、まさに「自然」に、ここはブナ・スズタケ林に回復してゆくはずです。

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 ダイヤモンドトレールの道端で見つけたカタクリです。

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 大和葛城山の頂上は禿山です。

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 ミヤマキケマン。一応、高山植物ということになっていますが、低地でも結構見かけます。綺麗な株がなかったので撮影はしませんでしたが、同じ花の形で紫色のムラサキケマンもありました。ちなみにケマンは華鬘で、お堂の梁などからぶら下げる仏具のことです。キケマンは黄色の華鬘ということですね。ついでながら、黄色でもムラサキでもない単なる「ケマンソウ」の赤い花は、全然違うハート型をしています。
 
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 櫛羅(くじら)の滝コースを下山。頂上の南東側になりますが、この一角には立派なブナがあり、その林床をスズタケがカバーしていました。若々しい新緑が美しく、目が洗われるようです。

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 クサイチゴ。今年はイチゴの当たり年というか、とてもたくさん咲いていました。5月中旬頃に結実、酸味は強いですが美味しいです。

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 イカリソウ。杉林の林床にひと株だけ咲いていました。

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 ガマズミ。まだ咲き始めです。

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 今回、最後に見たのがウワミズザクラ。ブラシのような白い花序が特徴で、花の付く小枝(花序枝といいます)に葉があることで、よく似たイヌザクラと見分けます。ウワミズは大昔の亀甲占いで使用された溝を掘った板のことだそうです。

 本当に滴るような新緑が美しい季節です。厳しい山登りはもうできないのですが、せめてこの新緑に少しでも多く接することができるよう、機会を見つけては森に出かけようと思います。





 最近、雨の日が多いですね。 梅は終わり、桜にはまだ早い時期ですが、ようやくひと雨ごとに春めいてくるような実感があります。以下は、わが紀峰山の会の季刊誌に連載している巻末コラム。実際に書いたのは2月半ばでした。



     植物百話 4  マンサク

  「春山淡治(たんや)にして笑ふがごとし」(郭思)。

 中国の古詩から春の季語となった「山笑う」には、木々の新芽が膨らみ花が開き、冬、長く静かな眠りに落ちていた山が目覚めてゆく様が巧みに表現されている。雪解けと競うようにして次々に蘇ってくる生命との再会に、山は喜びの微笑みを見せるのだ。淡治(たんや)とはあっさりしていて艶(なまめ)かしいさま、そこはかとなく香り立つような色気を指す。
 
 このコラムを書いている2月中旬、山はもちろん町もまだ冬のさなかだが、南の地方では梅の花がほころび、春が萌(きざ)しつつあることを伝えている。梅の季節が過ぎれば、間もなく山も日々、春の気配を増してゆく。
 
 もう何年前のことになるだろうか、東北の早春、津軽の名峰「岩木山」の山頂直下から無垢無木立の広大な斜面を歓声を上げながら滑降したときのこと、傾斜が緩くなって緊張から解放され、それまでの豪快な大滑降の余韻に浸りつつなだらかに下る雪原を滑走していると、樹林帯に入る手前でたくさんの黄色い花を付けた木に出会った。マンサクだった。

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 マンサクの花は赤紫色の「がく」から黄色い紐のような4枚の花弁を伸ばして咲く。葉に先立って花だけが展開し、花の数も多いので色彩に乏しい残雪の山では非常によく目立つ。

 マンサクは春一番に咲くことから、東北の人たちが同地のお国言葉で「まんず咲く」と呼んだのがなまってこの名になったというが、植物図鑑はマンサクの分布を関東以西の太平洋側としている。おそらく、東北の人たちが接したマンサクや自分が岩木山で見たものは、現代の植物分類では「北海道南部から日本海側に分布し多雪地に適応」と説明されている「マルバマンサク」という亜種になるのだろう。…とすれば標準和名「マンサク」の由来は東北弁ではなく、たくさん花がつくことからの豊年満作への期待を込めた太平洋側の人たちの連想が語源との説のほうが正しいのかもしれない。

 マンサクは各地で「ネソ」あるいは「ネッソ」などと呼ばれている。勉強不足で和歌山の山村でどう呼ばれていたかは知らないのだが、ネソは本来、ガマズミやソヨゴ、カマツカやヤマボウシ、リョウブなど、よくしなり強靭な性質を生かして柴や薪を結束するのに用いてきた木の枝や樹皮の総称で、なかでもマンサクが特にそうした用途に適していたため、やがてはマンサクの別名として定着したものらしい。ネソに使うのは若いマンサクの幹や枝で、生のうちに樹皮ごとねじって繊維をほぐし、ときには掛矢で叩くなどで柔らかくし、長く平たい棒のような形状で使用する。

 世界遺産に指定された白川郷や五箇山の合掌造り家屋を訪ねて、釘やかすがいを一本も使わず、あの巨大な屋根を支える木組みが造られていることに驚嘆した方もおられるだろう。外観からはローブ状のもので縛った部分しか見えないが、家屋の中に入ってよく観察してみれば、その木組み、ヤナカと呼ぶ横木とクダリと呼ぶ縦木の交差部が黒光りするネソで締め上げるようにしっかり結束されていることが分かるはずだ。ネソは巻き付けられてから時間とともに結束部を強く締めつけてゆくが、それと同時に「結ぶ」という固定法の特性から、風による屋根全体の揺れにもしなやかに対応して倒壊を防いでいるという。化繊のロープや金具ではこうはいかない。昔の山里の人たちが植物の性格を熟知して、見事に活用していたことが知れるだろう。

 もちろん、山間地では稲わらの入手が困難であったことから、わら縄の代わりに使用したケースも多かったに違いない。伝えられるところでは、筏(いかだ)に使用する木材同士の結束や、古来から河川工事で使用されてきた蛇籠(じゃかご=編んだ籠の中に石を詰めて河川の護岸形成や流路の安定などを図るもの)にも利用されてきたらしい。

 マンサクを結束材とするために捻(ひね)りながら曲げてほぐすことを「ねる」というのだが、このようにネソを多用した地域では、まだ未熟な者を表現するに際し「ようねそもねらんで…」といった言い回しがあったという。 ことほど左様に、マンサクを「ねる」ことは一人前の成人男子であれば必ず身につけねばならない生活技術であったのだ。

 そのマンサクが危ないという話を聞いた。花が終わり、葉が展開してしばらくすると上部の葉から褐色に変色し始め、やがてこれが全体に広がって枯死するマンサクが急速に増えているという。1998年に愛知県で初めて確認されて調査してみたところ、同じ症状の蔓延が東北から西日本に至る全域で確認されたそうだ。原因としてはある種のカビが疑われているが、まだ確証はない。

 自然と人間との関係は本当に微妙だ。人間が利用しなくなった結果、里山が自然林に回復してゆく過程でアカマツのように衰退してゆく植物もある。マンサクの病気の原因はわからないが、利用圧の変化にせよ温暖化にせよ、人為に起因するなんらかの変化が関与している可能性は高いだろう。マンサクを「ねる」技術など忘却して久しく、それを必要ともしなくなった現代人であっても、あの花を見られなくなるのは悲しい。早く原因が解明されて、適切な対策が打たれることを祈るばかりだ。そして今年も間もなく、マンサクが花期を迎える。