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 森友学園問題はますます泥沼化、絶対多数におごり高ぶる安倍王朝とそれに連なって甘い汁を吸おうとする右翼政官民の有象無象を巻き込む一大スキャンダルの全貌が姿を現そうとしている。国民の圧倒的多数が真相解明を支持していることを追い風に、これまで萎縮していたメディアの多くも、あのNHKすら含め「みんなで渡れば怖くない」と、権力批判に遠慮がなくなってきた。だが、ことここに至っても政府はキーマンの参考人招致すら拒否し続けている。安倍内閣の支持率はなお高い。ここは少々世論を敵にしようが多数を頼みに乗り切れると踏んでいるのだろう。数で圧倒的に劣る野党側には、この多数を切り崩す仕掛けが必要ではないかと思う。

 さて、明治維新の続き。明治維新は武力を背景に開国を迫る欧米帝国主義列強の圧力に対する現実的選択として、紆余曲折はあったものの最終的には資本主義という当時最新のグローバルスタンダードを受け入れることで決着した事件だった。明治維新は典型的なブルジョア民主主義革命ではなかったものの、その最大の課題である封建制度から資本主義への移行については、少なくともそのきっかけとはなったわけだ。こうした本質から言えば、受け入れる側の政権が江戸幕府であろうが薩長同盟であろうが大した問題ではない。

 ただ、封建制から資本主義への移行には二つの前提条件がある。ひとつは一定規模の貨幣資本の集積であり、もうひとつは資本主義的生産関係のなかに組み込まれて生産力の主体を担う自由な労働者が多数存在することだ。周知のように、資本主義の祖国であるイギリスでは封建制下での家内手工業(マニュファクチャー)や重商主義政策に保護された外国貿易により蓄財した商工業者が、より大きな利潤を期待できる投資先として毛織物工業に目を付け、牧羊地を確保するため広大な農地を確保するとともに、それまでそこで働いていた農奴を締め出す囲い込み(ディスクロージャー)により、土地から切り離された農奴たちが難民となって都市に流入、労働力の他には売るものを持たないプロレタリアートとして毛織物工場の労働者に再編されることによって、資本主義的大工場が成立したのだった。経済学ではこれを資本の「本源的蓄積」とか「原始的蓄積」と呼んでいる。

 明治維新期の日本には、すでに三井、三菱、住友などの商業資本が一定の貨幣資本を蓄積していたが、急速な資本主義化には明らかに不足したため、富岡製糸場や八幡製鉄所など国家資金を投じて官営工場を建設し、後にこれを払い下げる手法を取ることで民間資本の不足を補ったことはよく知られている。しかしさらなる問題は、これらの大工場で働く大量の労働者をどう確保するかだった。これについてはいろいろ議論があるのだが、概ね間違いないところから言えば、明治維新版ディスクロージャーは身分制の廃止と廃藩置県と地租改正によってなされた。

 勃興する日本資本主義の屋台骨を支える労働者として期待されるのは、その数からいって農民以外にはない。だが、その農民は幕藩封建制度の呪縛により一生土地に縛り付けられて身動きができない。そこで明治政府は(原始的蓄積を意図していたか否かは別として)農民から労働者への階層移動の障害となる身分制を廃止、廃藩置県で藩主のものであった農地を国家に取り上げたうえで売買を解禁し、さらに地租改正による重税で農家の家計を破綻させ、食えなくなった次男三男や娘たちが工場労働者となるほか身を立てるすべがなくなる道筋を開いたのだった。

 以上により、資本主義にテイクオフする経済的な客観条件は整った。だが実はもう一つ必要なものがある。それは労働者のハートの問題だ。江戸時代までの農民は一般的に、その一生の殆ど全てをごく狭い地縁共同体に属して過していた。彼らのアイデンティティは自らがその中で生まれ、育ち、そして命を終えてゆくその地縁共同体に大きく依存していた。彼らの生活を統率するルールやモラルはそうした地縁共同体の存続やその成員の関係を律する基準として成立し、機能し、産土(うぶすな)でもある「村の鎮守の神様」ほか数多の神々によって根拠づけられ、また逆にそうした土着の神々への素朴な信仰の共有がこの地縁共同体に他の共同体と区別される集団としての一体感を醸成してきたのだった。

 ひとりふるさとの土地を離れ、都市の労働者となることは、家族親族という血縁共同体だけでなく、それを含む地縁共同体から切り離されることを意味する。一方、資本主義的労働者とは本来、独立した個人として資本との間に労働力の売買契約を交わす主体である。だが、地縁共同体が張り巡らせる重層的な物心両面のネットワークに安住していた農民にとり、「独立した主体」など想像の埒外だったに違いない。命をつなぐため工場で働く以外の選択肢はなかったが、といってその意識が出身の地縁共同体のレベルに留まっている限り、いずれアイデンティティの分裂は避けられない。労働で拘束されている時間だけ上半身は都市労働者であっても、下半身が田舎の田んぼに足を取られた百姓のままというような状態をいつまでも続けられはしない。テイクオフしたばかりの資本主義を安定した成長軌道に乗せるには、どうしても地縁共同体とは異なる国民の新たなアイデンティティの拠り所が必要だった。そこで明治政府が国民に与えたのが国家神道という新興宗教だったのだ。


 ん~、ようやく本題に近づいてきた感じですが、なんか回りくどい感、否定できないですねえ。これでもかなり要約はしているつもりなんだけど。まあ、特にストーリーも決めず思いついたことを書いているのだから仕方ないですね。
 で、閑話休題。カマイユ画法といって1色(今回は褐色)の濃淡だけで描いた習作です。モチーフはやはり奥津さんのテキスト、用紙はコットマンF4です。


170315 カマイユ画法習作 (2)サイズ



 さて、ようやく明治維新の話だ。そのまえに断っておくが、自分はもちろん歴史の専門家ではないし、明治維新そのものも現代において「POST TRUTH」と呼ばれる現象がどうして起きたのかを考える素材として取り上げるに過ぎないので、叙述の飛躍や寄り道はご容喙いただきたい。

 明治維新はもちろん江戸幕藩体制が崩壊し薩長雄藩中心の官僚政権が成立するに至る事件のことだ。で、この「維新」という言葉だが、中国最古(周の時代に編纂、紀元前のこと)の詩篇とされる『詩経』から、水戸藩の藤田東吾が天保元年(1830年)に引用したというのが定説。詩経の『大雅・文王篇』に「周雖旧邦 其命維新」とあるのが初出で、「周は古い国だけれども、天の意思はこれ新たなり」といった意味だろう。命を「天の意思」と勝手に訳してみたが、運命や使命といった用例に共通する用法で、自分は漢文も素人だがまあ間違いはなかろうと思う。要するに「天の意思に従い現状を大きく変革する」といった意味と考えれば良い。

 この明治維新の評価だが、これが一筋縄ではいかない。戦前、この歴史学上の評価を巡って論争を繰り広げたのが、雑誌『労農』に結集するいわゆる労農派と岩波の研究論集『日本資本主義発達史講座』に論考を寄せた講座派だった。論争のテーマは明治維新のみならず日本資本主義の現段階をめぐる経済学、社会学、歴史学、哲学、文化学の全分野に渡って展開されたが、彼らがこの学術論争で提出した議論はいま読んでも歯ごたえ十分で、あの戦前の厳しい思想抑圧の時代に、よくぞこれだけ専門的で高度な社会批評が旺盛に展開されたものと感嘆する。間違いなく日本が誇るべき大きな歴史遺産だろう。

 ともあれ、この論争で労農派はごく簡単に言えば、明治維新を不徹底ながら「ブルジョア民主主義革命」と規定した。念のためここで「ブルジョア民主主義革命」とは、最も典型的にはフランス革命にみるごとく、国王やそれを取り巻く地主貴族ら封建領主階級の専制支配を、勃興しつつある商工業者つまりブルジョアジーが打倒して権力を握る革命のことだ。この革命の結果できあがる社会は当然のことながらブルジョアジーの利益、つまり金儲けが自由にできる資本主義社会ということになる。明治維新の結果として出来した社会はまぎれもない資本主義社会であったから、労農派はこれを理由に明治維新をブルジョア民主主義革命と規定したわけだ。

 一方、講座派は論者により表現の仕方は違うが要するに「クーデター」の一種と考え、革命であるとの労農派の評価を否定した。ブルジョアジーが主体者となって行う革命が「民主主義」なる政治制度を表現する言葉を伴うのは、ブルジョアジーの最大要求たる資本主義の発達は必然的にその障害となる身分制度の廃止を求め、また政治的意思決定は一人の君主ではなく多数市民が平等な資格で参加する合議によるほかなくなることから、革命が創出する社会は必然的に民主的なものとなるからだ。しかし明治維新の結果、日本は確かに紛れもない資本主義社会にはなったが、天皇という君主が唯一の主権者として意思決定権を有していることから、到底これを民主主義社会と呼ぶことはできない。従って、明治維新をブルジョア民主主義革命と定義することはできないと講座派は主張、もちろん資本主義成立への動機となったことは否定しないが、その本質は徳川将軍から天皇とそれを取り巻く薩長官僚層へ権力が移動しただけのクーデターだったというのだ。

 そんなことどっちでもいいじゃん、とまあ、いまこれを読めば思うようなものだが、当時、当代きっての知性が束になり両派が口角泡を飛ばしつつ激しく論争を展開したにはそれだけの切実な理由があった。それは自分たちが生きているその社会をいかに変革するかという問題だ。労農派の論理によれば民主主義革命はすでに明治維新で達成されているのだから、次に社会変革の課題となるのは社会主義革命ということになる。一方、明治維新を革命と認めない講座派はまず民主主義革命から始めてその諸課題を達成し、そのうえに社会主義革命への進路も開かれると説いた。

 さて、では両派が展望する社会変革の道筋について最大の違いはどこにあるか。回答から言えば最大の焦点は天皇をどうするかだった。講座派の社会歴史認識から言えば当時の日本は半封建制的な遺制が多く残存する遅れた資本主義国であって、陸海軍という最強の暴力装置を伴い半封建制の主柱となっている天皇制を廃止することを含め、まず全般的な民主主義を実現することが最優先ということになるが、労農派が主張する社会主義革命のプログラムからは最も困難な天皇制軍国主義と闘う課題がすっぽり抜け落ちている。現在の目から見れば社会認識としてどちらが正しかったかは明らかだが、当時もそのことはやがて、当の天皇制ファシズムが論争し合う両派をまとめて厳しく弾圧し木っ端微塵に粉砕したことによって証明された。

 さて、こんな昔話を何故ここで紹介したのかというと、この明治維新の基本的な歴史的内実を知らなければ、これから話題にする西郷隆盛の心情が理解できないと思うからだ。西南戦争と呼ばれる明治10年戦争を戦うに至った西郷隆盛の心中に、自らがその主役として参画し血路を切り拓いてきた明治維新が、その結果としてもたらした現実への鬱屈たる思いがあったことは疑いない。西郷にとり明治維新は「裏切られた革命」であり、明治10年戦争は、大久保利通や伊藤博文ら洋行帰りの資本主義テクノクラートにより換骨奪胎された明治維新を本来の軌道に戻すための第二革命の武装蜂起であった。では、西郷がこの第二革命で実現しようとした社会はどのようなものであったのか、次はそれを推論してみようと思う。

 ということでこの辺で閑話休題、やはり奥津国道さんのテキストからの習作で「ソスペルの橋」。なお、ソスペルはフランスの地中海側にある町です。

170309 ソスペルの橋 (2)サイズ




 さて、前回予告したとおり明治維新と西郷隆盛のことなど書き始めようこうと思うのだが、そのまえにもう一度面倒くさいけれども教育勅語の話題だ。あろうことか稲田朋美防衛大臣が参院予算委で「好っきゃねん教育勅語」とのたもうた。

 いわく「親孝行など核の部分は取り戻すべき」「教育勅語の精神である、日本が高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すべき」。はあ、やれやれである。この人、南スーダンへの自衛隊派遣をめぐる質疑ではしどろもどろ、しばしば答弁不能に陥ったり関係ないことダラダラ垂れ流して注意されるなど無能をさらけ出しているくせ、教育勅語の話になるとやけに能弁。答弁ぶりを見るに、「これぞ得意分野」と待ってました感アリアリなのだ。

 が、冗談じゃない。教育勅語はその書き出しに「我カ臣民」とあるだけで一発アウトである。臣民とは君主に支配される人民のこと。臣なる政府高官と草とまで蔑まれた民とでは待遇に違いもあるだろうが、要するに臣民とは君主の道具であって自己決定権などありはしない。これが現行憲法の基本的人権観と両立しないことは明らかだし、自由な個人であるより臣民の方がいいと思うのは、それこそ現行憲法が定める思想良心の自由により個人の勝手だが、憲法遵守を義務づけられた国務大臣や国会議員が公の立場でそれを言うことは許されない。

 また勅語は徳目を12項ばかり列挙していて、「いいことも書いてるじゃん」などというもう何度論破されたかわからないノー天気でナンセンスな妄言(稲田くんは教育勅語に頼らなければ親孝行程度のことすら教えられないのだろうか、世の平均的な父母のレベルにすら遠く及ばないではないか)が出てくるのだが、それらの徳目はすべて「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、つまり「天皇が戦争を起こしたら、皇室が永遠に続くよう勇敢に奉仕、とは要するに命を投げ出せ」という一点に収斂するのが勅語の論理構成だ。にも拘らず当たり障りのない徳目だけ上げて「いいことも」などと言うのは、そもそも日本語を理解する能力が根本的に欠けているか、でなければ饅頭に見せて毒を食わせようという腹黒い魂胆があるかどちらかだ。

 さて、稲田が持ち出した『道義国家』とは聞きなれない言葉だが、調べてみると、いまや日本を席巻する勢いの極右団体『日本会議』の田久保忠衛会長直伝らしい。稲田は口真似をして右翼のオヤジを喜ばせる技術には長けているが、行政能力に加えて自分の言葉で思想を紡ぐ能力もないようである。それはさておき、教育勅語でもって「道義国家」とやらをめざした結果、「世界中から尊敬」どころか憎悪の対象となりボコボコにされたのが現実の歴史だった。

 そしてまさに教育勅語を体現したカルト狂信国家日本が壊滅して70余年を経た今なお、連合軍の後身である国際連合において日本などを「敵国」と規定する国連憲章第53条・第107条は生きており、「教育勅語に戻れ」などと政府高官が公言することがどれほど右翼の皆さんが大好きな「国益」を毀損するか考えてみるがいい。例えばまあ、ワタクシはそれが国益とはつゆ思わないが、安倍首相が祈念する国連常任理事国入りなど、相手にされなくなるのは確実だ。

 それにしても、こんな憲法違反の発言をして、国務大臣も国会議員も辞めなくて済むとしたら大変なことではないか。この国の立憲主義はまさに解体の危機に瀕している、つうか、戦争法の通過ですでに解体しちゃった感も強いのだけれど、それにしてもこんなムチャクチャな大臣がのうのうと居座るのを放置しておいて良いわけはない。「みっともない憲法」なんて現行憲法をとことんコケにした日本の恥、あの「みっともない首相」ともども、痛撃を与える方法はないだろうか。

 教育勅語については専門の方が多く書いておられる。そこへ素人が重ねてくどくど書く気はなかったのだけれど、腹立ち紛れに書いているうちに結構な分量になってしまった。もう寝る時間で病室も消灯されちゃったし、仕方がない、明治維新はまた次だなあ。

 最後に今回の入院で描いた水彩画を一枚。奧津国道さんという方のテキストから引っ張ったモチーフなので、どこだか正確にはわからないのだけれど、多分フランスの田舎だと思う。原画のサイズはF4です。


170308 習作 (2)サイズ



 前回の投稿から二週間も経ってしまった。同じテーマで連載するのだから、一週間に2本くらいのペースで書こうと思っていたのだが、またぞろ入院する羽目になって何かと気ぜわしく、すっかり間延びしてしまった。

 今回の入院は薬を切り替えるためのもの。1月に襲われた気胸は間質性肺炎治療のため服用しているステロイドのせいで治りにくかったが、ステロイドは気胸の原因になることもあるらしい。続発性気胸はただでさえ再発率が高いところ、ステロイドのリスクまで加わるとさらにヤバいので、ステロイドは止めるか減らすに越したことはない。しかし、急に減らせば急性増悪といってこれまた生死に関わる事態を招来しかねないし、ステロイドに代えて投与する免疫抑制剤ネオーラルも個人差が大きい強い副作用がある薬なので、安全のため医師が常時管理できる状況で切り替える必要があるという。それが今回の入院の目的だ。というわけで、3月2日から再び入院生活を送っている。

 不治の病に目をつけられた病人であることに変わりはないが、だといって特に体に不調があるでなし、検査や採血もするでなし、気胸で担ぎ込まれた時に比べれば気楽だがなかなか文章を書こうという気にはなれないものだ。そこで読書と水彩で時間を潰す。読書は映画化されて話題になっている『沈黙』など遠藤周作の作品やドストエフスキーの作品でまだ読んでいないもの。水彩は病室で描く制約もありF4と小サイズだが3枚を仕上げた。でもってこの勢いで県の地球温暖化関係の定期情報誌に連載している小さなコラムを締め切りに追われて書いて、ようやくこのブログを書く元気が出てきた。

 さて、前置きが長くなったが前回からの続きである。前回紹介した山本七平の『空気の研究』は山本独特の冗長な公害反対運動へのイヤミや本筋からはどうでもいい宗教改革の弁明などが長々とあって、本題だけならたぶん三分の一くらいの分量で書けるだろう内容だが、その場の「空気」が作られるメカニズムや空気に「水を差」してこれを打ち壊す「水」の作用、そしてその水がまた新たな空気を作ってゆくメカニズムなどの説明には独創性がある。

 そこでまた森友学園の話題だが、ご承知のとおり同学園が経営していた幼稚園では園児たちが毎日教育勅語を奉読しており、これを見た安倍首相夫人はじめ右翼文化人の面々が一様に講演や談話等でこもごも強く感動した旨を述べておられる。理解力もなく抵抗する術もないいたいけな子どもたちにこんなものを暗記させ唱和させるというのは虐待にほかならず、もとよりこうした偏向が公教育で認められるはずもないがそれはさておき、どうしてこの連中は教育勅語というとかくも一様に感動するのか。

 これも空気の支配というものなのだろう。教育勅語はまさに戦前の日本を象徴するシンボルであり、その戦前の日本を「美しい国」と思い「取り返し」たいと願う少々アタマのいかれた御仁には日の丸同様神聖にして侵すべからざるものである一方、リベラルや左翼にとっては戦前のシンボルゆえ不倶戴天の敵と蛇蝎のごとく嫌われている。

この「蛇蝎のごとくに嫌われる」というところが結構重要であって、右翼ご一統にはこの嫌悪感こそ戦後教育の悪しき遺産なのだという跳躍論理も手伝い、より一層ありがたみが増すという関係にある。つまり、教育勅語は一種の踏み絵であり、この国の主流派であることの証明はこの踏み絵を有り難くおし戴くことでなされるという「空気」があるのだ、そして「蛇蝎のごとくに嫌う」のはいわば「水」であり、この水の存在ゆえに空気はより一層強固にそれを戴くものたちを強迫的に支配する構造にあるのだろう。教育勅語への愛着はお仲間であることを確認する符丁のようなものなのだ。

 さて、彼らを結ぶ紐帯は基本的には国家神道というものであるはずである。国家神道とは記紀神話という創世物語を根拠に神の子孫である万世一系の天皇がこの国とそこに住む人々を統べるという非科学的な虚構だが、まあ宗教というのは国家神道に限らずすべからく基本的には非科学的虚構であるのだからして今は問わない。というか、問うても無駄である。それより問題は教育勅語だ。これは冒頭に「朕惟フニ」と語りかけ末尾に御名御璽があるからっといってもちろん明治天皇御製ではない。成立に至る細かい経過は省くが、最終的に世に出た勅語の文案を書いたのは井上毅内閣法制局長官と明治天皇側近の儒学者元田永孚(ながざね)の二人であったことが分かっている。

 井上は日本の教育制度その他に大きな足跡を残した官僚政治家だが、その思想的ルーツは儒学分けても朱子学であった。つまり、教育勅語は二人の儒学者によって書かれたのであり、その内容もまた儒教倫理そのものである。で、儒学といい儒教といい中国から伝来したものであることは言うまでもない。その中国直輸入の儒教倫理を書き記した教育勅語を天にも持ち上げてありがたがるその口で「チャンコロ」だの「シナ人」だのヘイトスピーチが出てくる脳みそというのは一体どんな構造をしているのか。滑稽極まれりというしかない。まさかとは思うが、もしかしてこのご一統、孔子が日本人だなんて思ってないだろうな。

 ついでの話だが、天皇家に仏壇はあるのだろうか。回答から言えば明治4年(1871年)までは宮中の黒戸の間に仏壇があり歴代天皇の位牌が祀られていたのである。法事も仏式で行われおり菩提寺は京都の泉涌寺だった。つまり、明治天皇を含め歴代天皇は仏教の檀家さんだったのであるが、さてそれが国家神道の教祖としての現人神と二足のわらじで両立できるものか。

 政治的無関心甚だしいのんきな国民をなにがなんでも中央集権国家に思想動員する装置として作ったのが国家神道という新興宗教だが、肝心の教祖が異教徒では話にならない。というわけで維新政府は明治6年、千年以上にわたる天皇家の仏教信仰を禁じ、仏壇や位牌は泉涌寺に引き取らせて新興宗教に改宗させたのだ。この新興宗教に軍部が悪乗りしそれからわずか70余年で日本は壊滅、昭和天皇の「人間宣言」をもって国家神道も最終的に破綻した。

 つまり、国家神道なる新興宗教の命脈はたった100年ももたなかったのだ。これが「日本の伝統」などちゃんちゃらおかしい。日本にはアニミズムと地祖霊信仰、仏教、儒教そしてキリスト教その他、多くの在来外来の宗教と文化が出会い形作られてきた長く豊穣な歴史がある。天皇のために死ねというほかは教義も定かでない怪しい明治新興宗教一色でこの国の姿を語るなど言語道断、少しは日本史を勉強してから発言してはどうかと思う。

 もうひとつついでの話、「現人神」というけれど、明治、大正、昭和の「現人神」三代にわたり、自ら「朕は神であるぞ」などと発言した例は一度たりともない。天皇は明治維新政府によって力尽くで改宗させられ、自分じゃそんなことカケラも思っちゃいないのにいつのまにか「神様」に祭り上げられ、その自分では思っても言ってもいないことの責任を取って戦後、「実はワタシ人間ですんねん」と、国民に向かって告白せざるを得なかったのだ。考えてみればまことに気の毒な話なのであって、他人のせいで赤っ恥もいいところだ。天皇陛下をかくも粗略に扱った無礼千万な国家神道こそ不敬の極みではないか。真の右翼ならこれをこそ粉砕の対象とすべきではないのか。手始めに靖国神社の解体あたりから手をつけるのが妥当かと思う。

 ん~、森友学園の話に少しでも触れると、それ自体の異常さトンデモさもさりながら、これに群がる右翼愛国者の皆さんの世にも情けない知性にひとこと言いたくて、つい横道にそれてしまうのだなあ。さらに書き進んでもいいが、あまり長くなると読んでもらえないし、安倍晋三記念小学校のせいでまことに困ったことである。とはいえ、ちょうど明治維新の話題も出たので、次はこのあたりを接ぎ穂にして西郷隆盛のことなど書いてみよう。




 前回の記事で、「POST TRUTH」と呼ばれるような「気持ちよい嘘」が「不都合な真実」より選好されるような世論の傾向が、世界で反理性的な選択を招き、多くの国で国民の分断を引き起こしまた国際関係を危うくしていることに触れ、これが欧米よりもむしろ日本で先行して発生してきたことを述べた。また、こうした変化が世に言われるメディアの右傾化や、日本会議やネトウヨなど草の根右翼の策動の結果ではなく、むしろそれに先立つ国民意識の変貌こそがこれら、従来は水面下に隠されていたグロテスクで偏狭な劣情が社会の表層に溢れ芽吹いてゆく温床となったのではないかと指摘した。

 では、ここにいう国民意識の変貌の本質は何か。もちろん私見だが、結論から言えばそれは端的に「共同性への渇望」ではないかと考えている。

 現代の排外主義的な社会の空気は戦前のそれによく似るという。これに関連してだが、いま巷間最も注目されるニュースは、大阪府豊中市の国有地が「瑞穂の國記念小學院」建設用地として「森友学園」(籠池泰典理事長)なる学校法人に、ほとんどタダ同然で譲られた事件だろう。

 同法人が経営する塚本幼稚園では愛国教育の名のもとに、判断力もない幼児に教育勅語の唱和や軍歌の合唱をさせるなどというとんでもない偏向刷り込み教育が行われているのだが、その一方で副園長(籠池理事長の妻)は園児の母親である韓国出身女性に読むに耐えないほどひどい差別文書を送りつけていた。報道によれば園長でもある理事長は園児たちに「差別はいけない」と訓示していたようだが、その園長も中国人、韓国・朝鮮人に対する嫌悪感をむきだしにしている。彼らの感覚では中国人や韓国人は差別してはいけない人間には入らないようなのだ。

 ことほど左様に愛国とレイシズム(人種差別主義)は親和性が高い。その媒介項は他を貶めればその分だけ自分が浮上するというなんともわかりやすくも卑しい感覚だ。また、籠池理事長は「瑞穂の國記念小學院」のホームページに掲載した挨拶で「世界で歴史・伝統・文化の一番長い國である日本」とか「その中で積み上げてきた日本人のDNAの中に「人のために役立つ」という精神が刻み込まれている」とか、歴史的科学的に明らかに誤った「ニッポンすごい」の妄言を書き連ねている。ここには、愛国、レイシズム、ニッポンすごい、というこの国における反知性的「POST TRUTH三点セット」が絵に描いたように見事に陳列されている。

 なお周知の通り、同じホームページでは理事長のこの呆れ果てた非科学的妄言の上に麗々しく、この妄言の主の「熱き思いに感銘」した(これだけで知性のほどが察せられる)という「安倍昭恵先生」が「安倍晋三内閣総理大臣夫人」の添え書きつきで名誉校長就任の挨拶を述べているし、建設募金を「安倍晋三記念小学校」で集めていたこともわかっている。全貌解明はまだこれからだが、国有財産の闇贈与ともいうべき異様な事件の背景にこうした事情が絡んでいないと思う方がどうかしているというものだろう。

 さて、話が少し横道にそれたが、この瑞穂の國記念小學院のホームページに典型的にみる愛国、レイシズム、ニッポンすごいの反知性的「POST TRUTH三点セット」は、戦前の日本であれば、滅私奉公忠君愛国の教育勅語イデオロギーと、日本を頂点とする八紘一宇の帝国主義的民族差別と、そして万世一系の神の国という歴史の検証に到底耐えない虚構との三点セットで構成されていた。

 日本はこの国民的狂気に支配されてあの無謀な戦争に突入し、そして当然のことながら完膚なく叩かれ、徹頭徹尾破壊され、蹂躙され、破滅したのだった。周知の通り、東京裁判ではその首謀者たちが戦犯として裁かれた。だが、彼らは本当に戦争の首謀者と呼ばれるほどの能動的実在だったのか。例えば東条英機その他の「平和に対する罪」を犯したとしてA級戦犯とされた人々がいなければあの戦争は回避できたのか。自分にはどうもそうとは思えない。

 歴史における個人の役割を否定するものではないし、開戦に至る局面でその決定に参画する立場にあった政治家や軍人個々の意識や主張が最終決定に影響を与える可能性はあったはずなのであって、であればこそ勝者による一方的な裁きではあれ東京裁判の判決もやむを得ないとは思う。だが、先に書いたPOST TRUTHに囚われ、暴支膺懲(ぼうしようちょう=「暴虐な支那(中国)を懲らしめよ」という意味)や鬼畜米英を叫んで熱狂し陶酔する世論に身を持って抵抗する術は、誰が指導者であれすでになかったのではないか。

 山本七平(故人)という在野の社会学者(と敢えていう)に『空気の研究』という著書がある。詳しく紹介する余裕はないが、この本の中で山本は、戦術的にはどう考えても全く無意味な戦艦大和の沖縄特攻が、戦術や海戦の素人ならぬエキスパートたちによりまったく非理性的に決定される経過などを分析し、その決定に与ってもっとも力を発揮したのが「空気」であったことを紹介している。

 ただし山本は経済や科学技術には暗くまた独特の偏見もあって首肯しかねる記述も多い。例えば同書出版当時の革新自治体による自動車の排ガス規制を非科学的な魔女裁判呼ばわりし、これが日本の自動車産業を衰退させ巷に失業者を溢れさせると説いたが、厳しい排ガス規制をクリアした日本車は山本の予想とは正反対にこの技術をバネに世界を制覇している。こうした見通しの頓珍漢さや一方的な決めつけには毎度辟易させられるのだが、それでも日中戦争や対米英戦争の開戦などという歴史の決定的局面や天皇制への狂信などについて、「空気」が果たした機能を鋭く指摘した卓見は高く評価されねばならないだろう。

 いまもその「空気」こそが問題なのだ。いまこの国を覆いつつある不寛容な空気。それはかつて戦争の破局に転落していったこの国の空気と不気味な相似形をなすように思われてならない。次は山本の見解も参照しながら、戦前から今日に至るPOST TRUTHの「空気」を考えてみたい。



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