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 新しい年が明けました。昨年1月5日朝、間質性肺炎に加えて気胸を併発し、救急搬送されて1年が経過したことになります。ほぼ一ヶ月の入院後なんとか生還はしましたが、退院時に医師から、次に気胸が再発すれば助からない可能性が高く、1年以内に再発する可能性は5割程度と言われていました。その気胸で残されていた貴重な肺機能を少なからず失い、行動の自由はさらに大きく損なわれてしまいましたが、それから1年、なにはともあれ良く生き延びたものです。正直なところ、年を越せるとは思っていませんでした。

 その後も病気は徐々に進行していると思いますが、もともと治る見込みのない病気ですし、これからできることも限られていますので昨年10月、呼吸器の専門病院である近畿中央胸部疾患センターでの受診を打ち切り、和歌山県立医大附属病院に転院もしました。近畿中央の対応に何ら不足はなかったのですが、往復3時間かかる通院時間が身体にかなり負担になってきたので、通いやすい近所に移っただけのこと、医大病院へは自宅から車でわずか10分です。

 しかし、この選択は大正解でした。この病気でつらいのはとにかく呼吸が苦しいこと。とくに咳が続くとあまりの苦しさに全身から冷汗が噴き出し、ひどいときは手足が痙攣して意識が遠のきかけます。いまさら命を失うこと自体はなんとも思わないのですが、それに至るまでのこの苦しさだけは何とかできるものならなんとかしたい。ということで、医大病院に緩和ケア科が開設されており、呼吸器内科と併せてここを受診できる事を事前にリサーチしたうえで、転院先を同病院に選んだのでした。

 (ついでの話ですが、この間に読んだ山本周五郎の代表作のひとつ『樅の木は残った』では主人公である原田甲斐が、病気で危篤となった同志を見舞うシーンがあります。その叙述はまさにこの呼吸不全の苦しい発作の状況を正確無比に描き出して実に見事。周五郎は実際にこうした発作を目撃したことがあるに違いありません。まあ、さすがは日本語の達人と感心すると同時に自分の近い将来が思われて、「やれやれ」と思ったことでした。)

緩和ケアを担当する医師はお一人だけのようですが、初診の時は1時間以上にわたり、緩和して欲しい苦しさについて詳しく話し合うことができました。こちらが提起する疑問や要求に対し、もちろん有意義な説明やご助言も頂けるのですが、わからないことがあればその場で直接関係者に電話して確かめ、苦しさの緩和に役立ちそうな薬剤や器具の確保など、看護師さんと手分けしてその場で素早く次々に手を打ってくださるのでした。そこで得た知見や処方してくださった薬剤や道具を使って、発作的な極端な呼吸困難は以前に比べれば、かなりの程度で抑えることができています。医療というもののありがたさをこれほど感じたことはありません。

 さて、もうここまで来ると、あとの命はまあオマケみたいなものです。できることは限られていますが、一番好きなスポーツであるラグビーのテレビ観戦を楽しんだり、読書に勤しんだり、さらによほど体調の良い時は絵筆をとったりもしています。ただひとつ注意しているのは、新聞にせよTVにせよ、汚いもの卑しいもの愚かなものに目を触れさせないということ。たとえば安倍晋三のバカ面とか、ヘイトにつながるお笑いとか、触れた分だけ気分が悪くなるような汚物とは付き合わないといことです。

 そんななかで、このブログで森ついて書いたコラム13本に加筆し、他のブログを立ち上げてひとつにまとめてみました。タイトルは『森の話』。リンクを張っておきますし、URLは以下のとおりですので、お時間が許せば、ぜひご訪問ください。

 https://ameblo.jp/kojinenko/



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 またもご無沙汰。前回更新してからはや1ヶ月が経過して、またトップページにコマーシャルが出だしたので、取り急ぎ、山の会の機関誌に掲載したコラムを以下に転載しました。ん~、頻繁に更新してる人は、ホント、偉いと思います。


植物百話 7
                ドングリの話

 11月5日、森林インストラクターとして依頼された仕事で田辺市龍神村の小学生たちを案内し、護摩壇山に近い森林公園を歩いてきました。同日朝、マイクロバス3台に分乗してやってきたのは同村にある4つの小学校の3~5年生の児童約40人と引率の先生方。案内する森林インストラクターは4人で、自分は5年生14人を担当しました。

 とはいえ、標高1000mを超える高所のこと、この時期だともう紅葉には遅い・・どころか、針葉樹のモミやツガを除けば葉っぱ自体ほとんどありません。そこで、児童たちに落ち葉の中からドングリを拾ってもらい、それをテーマに話すことにしました。幸い、今年はブナが大豊作で、ミズナラとともにたくさん拾うことができました。

 子どもたちが拾ったミズナラのドングリを手に、そもそもドングリとは何かということから話し始めます。「さて、ドングリは種ですかそれとも実ですか?」と尋ねてみました。さて、紀峰の仲間諸兄のご回答や如何? 答えを先に言えばドングリはれっきとした実、より正確には果実なのです。 と、子どもたちにも正解を示したうえで、すかさず次の質問を畳みかけます。「じゃ、種はどこにあるんだろう?」

 現代の系統分類での「植物」には、厳密には緑藻やコケの仲間など種子を作らないものも含まれますが、我々が一般に「植物」の名称でイメージする草木類はすべて種子を作ります。さらに植物のうち、すべての被子植物(広葉樹と理解してもらっておおむね間違いありません)は種子を包む果実を作ります。いってみれば種子は植物の卵のようなもので、これがなければ次の世代は生まれないわけですから、種子が植物の存続に不可欠なことは自明です。しかし、果実の役割は一様ではありません。

 一番わかりやすいのは食べてもらうためにできた果実です。自分で動くことができない植物の一部はジューシーな果肉を持つ果実を作り、それが鳥や動物に種子ごと食べられ、堅い種子が消化されず糞と一緒に排泄されることで、動けない植物も遠く離れた場所に種子を散布して勢力範囲を広げることができます。動物らの食料となる果肉部分は種子を散布してもらうための報酬なのですね。このような果肉に富む果実を専門用語で「液果」(えきか)といい、さらに人間の食料となるものは「果物」(くだもの)と呼ばれます。

 一方、ドングリのように堅い皮で覆われた果実を専門用語で「堅果」(けんか)というのですが、こうした堅果にはモモやカキのような果肉はないように見えます。しかし、果肉はちゃんとあるのです。ドングリの仲間であるクリを思い出してみてください。クリは他のドングリの仲間と同様、堅い皮に包まれていてこれを鬼皮と呼んでいます。その鬼皮をむくとその下に渋皮に包まれた可食部が現れます。あの渋皮は実は種を包む皮つまり種皮でその渋皮で包まれた部分全体が種子、そして渋皮と鬼皮に挟まれた狭い部分が果肉なのですね。こんどクリを召し上がる機会にぜひご自分の目で確認してほしいのですが、鬼皮の裏にびっしり張り付いている繊維質がクリの果肉なのです。

 ついでにいえば、堅果はクリも含めすべて頭がとんがっていて、種の部分が二つに割れる特徴があります。とんがっている部分は根が出る所、そして割れる二片は発芽した時に二枚の子葉になるのです。堅果類は無胚乳種子といって発芽の際のエネルギー源としての胚乳がないのですが、大きな子葉に栄養を貯めて発芽に利用しています。

 すこし横道にそれましたが、つまり私たちはクリの果肉を捨てて種子を食べているのです。ドングリもモモやカキなどの液果と違い大切な種子を動物たちに食べられてしまうのですから大変、これでは報酬をタダ取りされるだけでは・・と思われますがそんな心配は無用、そこは動物を巧みに操る植物のこと、さらなる深慮遠謀があるのです。

 リスやネズミ、それに鳥のカケスらはドングリが主食で、紅葉の頃には越冬に備え大量のドングリを蓄える習性があります。逆に言えば、だからこそ樹木はこの時期を狙って一斉にドングリを実らせているのです。リスたちは行動範囲のいたる所で土に埋めてドングリを貯蔵し、厳しい冬の間これを掘り出して命をつなぐのですが、なかには余る場合もありますし掘り忘れるケースもありそうです。ドングリは地上で乾燥するとすぐに発芽能力を失うところ、湿った土に埋められることで春に発芽することができるのです。つまり、ドングリをつける植物は、少数の種子を広域に散布して確実に発芽させるために、多数の種子を報酬として動物たちに与えるという繁殖戦略をとっているわけです。

 ドングリは動物の一種である人間にとっても重要な食料でした。ドングリをつけるのはブナ科の樹木ですが、ブナ科の多くは高木で日本の森の主役を務めています。東北地方など涼しい地方ではブナやミズナラが、また暖かい地方ではシイやカシがその代表です。考古学では、縄文時代の人口分布は圧倒的な東高西低で総人口の9割以上が関東から東北で暮らしていたとされており、涼しい地方のほうが縄文時代の主食であるドングリが豊富であるためと説明されています。しかし最近、ブナ・ミズナラ林とシイ・カシ林の生産力を実際に比較してみたところシイ・カシ林に軍配が上がる結果が出ており、先の説明にも疑問符がついているのですがそれはさておき、青森の三内丸山縄文遺跡では周辺にクリが植えられていたことが分かっています。長年の観察でクリの実から栗の木が発生することに気付いた縄文人が、効率的にクリの実を得ようと植えたのでしょう。これはまさに農業の芽生えです。人間は奪うばかりかと思いきや、栗の木は美味しい種子を報酬とする代わり、栽培させることで人間すらもその繁殖戦略に利用していたということができそうです。

 クリだけでなく、ブナ、シイ、そしてイチイガシなどのドングリは、あく抜きをしなくても生でさえも食べることができます。龍神村の子どもたちには、ブナのドングリを縄文人になったつもりで味わってもらいました。フライパンで炒ったり、レンジでチンすればなお香ばしく美味しくなります。晩秋の山、ちょっと余分に時間と装備を用意して、自然の恵みを味わってみてはいかがでしょうか。味は好みがわかれるかもしれませんが、少なくともキノコに比べれば安全ですもんね。



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 7月27日(日)の午後、雨上がりの立山室堂です。
 お花畑の向こうに見えるのは富士の折立から真砂岳に至る立山連峰の主稜線。

 その前々日の7月25日から三日間、とやま森林インストラクター会に案内をお願いして一日に一つずつ、同会が訪問を勧める三つの森をめぐってきました。

 初日の25日は富山県砺波市の頼成(らんじょう)の森。いまから45年ほど前にここで全国植樹祭が開かれたことを記念して整備された総面積115ヘクタールに及ぶ森林公園で、富山県の林業を代表する立山杉、ボカ杉、増山杉の三種の杉の標本園が整備され、日本一を自称する花菖蒲園が整備されているほかは、基本的に里山の風情を残すことを意識して整備された森です。

 案内してくださったのはとやま森林インストラクター会代表のTさん。9時に待ち合わせて、まず園内の森林科学館で館長さんから頼成の森の概略について説明を受けたあと、午後2時過ぎまで森の中をゆっくり歩きながら丁寧な解説を伺いました。
 
 最高点でも標高200mに満たない平地の森であり、雪国らしい特徴もありはしますが、基本的な植生は和歌山の森とあまり差はないことを、興味深く観察しました。しかし、そうした植生もさりながら、驚いたのはキノコの多さ。菌類であるキノコは生存に必要な栄養を植物など他の有機物に頼っているため、光合成が最も盛んな今の時期は菌類も元気でキノコ発生の一つのピークになるのですが、それにしても多い。一歩ごとに新しいキノコが見つかるところもあるほどで、森の中を一巡するだけで30種以上のキノコを見つけることができました。

 ですが、植物を覚えるだけで精一杯の駆け出し森林インストラクターとしては、キノコまでは手が回りかね、同定など思いもよらない。だいたい、キノコの種数は植物よりはるかに多く、いまだに名前すら付いていないものもどっさりあるというのですから、現状では手も足も出ません。で、まあ、見つけたキノコの数だけ撮った写真のうちからいくつか紹介。もし、名前をご存知の方がおられましたら、ご教示くださるとありがたいです。

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 すわ!、猛毒のカエンタケでは… と思いましたが、あれはたしか真っ赤でしたよね。まあ、その仲間だと思いますが。

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 こちらは、欧米で「死の天使」(Destroying Angel)の異名で呼ばれる猛毒No1のドクツルタケか、もしくはそれに似るというタマゴテングタケでは? と思ったのですが、それにしてはちょっと巨大すぎるような。ご覧のとおり、傘はカレー皿くらいありました。

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 二日目の26日は、有峰湖周辺の森。ご案内くださったのは、この森や有峰林道の管理にあたっておられたというIさん。Iさんはもちろん森林インストラクターなのですが、蝶の専門家でもあって、植物よりどちらかというとこちらの説明の方が力が入ります。標高1200mほどの山地帯の森をゆっくり歩きながら、遠くからめざとく蝶を見つけては解説してくださいました。素人には目にも止まらないはずですが、やはり専門家というのは違うものですね。森の中にこんなに多くの蝶が潜んでいることを知ったのは、得難い経験でした。

 が、蝶はなんたって動きますので、なかなか写真が…(^_^;) ちょっとピンボケ気味ですが、やっとのことで一枚だけ撮れたのが上の写真。ヒョウモンチョウの一種、ミドリヒョウモンだと思います。

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 宿舎は気楽な車中泊。この日は有峰湖畔をめぐる林道が岐阜県側に抜けてゆく(ただし現状は通行禁止)大多和峠に車を停めて一夜を過ごしました。気持ちのいい芝生が広がり、真正面に重厚な山容の薬師岳を望みます。

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 その薬師岳を赤く染めるアーベンロート(夕焼けを受けた輝き)
 芝生の上にマットを広げ、ウイスキーの水割りを飲みながら、山が染まり、空が染まり、そして夜の帳(とばり)が降りて満天の星が輝くまで、飽きず眺め続けていました。

 明けて三日目の27日は、初日に頼成の森をご案内くださったTさんが代表を務めるNPOの定例行事に便乗させてもらって、貸切バスで立山美女平の森と室堂の高山植物観察です。 …が、夜明け頃から大雨。立山杉の巨木をめぐる美女平の森歩きはバケツをひっくり返したような土砂降りの中となって、立山杉の巨木林は確かに圧巻ではあったのですが、とても写真どころではありませんでした。

 美女平の森林観察を終えて全員ずぶ濡れでチャーターバスに再び乗り込んだものの、雨と濃霧の中のドライブとなって、楽しみにしていた車窓からの大日岳や劔岳の勇姿など望むべくもなく、もしや標高2400mの室堂まで行けば雲を突き抜けるかも…との期待も裏切られて室堂もやはりガスと雨。 やむを得ずしばらく立山自然保護センターで時間を潰して、小雨になった室堂平に出てゆきました。メンバーは総勢16人だったかな。

 しかし、室堂はいつになく花が少ない。これには頻繁に室堂を歩いている案内役のKさんも戸惑い気味です。というわけで、高山植物の観察もあまりパッとはしなかったのですけれど、とりあえず何枚かは撮影しました。

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 ヨツバシオガマの単花のクローズアップ。シオガマの仲間の花は二唇形といって、上下二枚の花弁で構成されているのですがそのうち上唇がこの形、鶴の嘴のように下向きに尖っているのがヨツバシオガマの特徴です。

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 マクロレンズでクローズアップを撮るのは楽しいのですが、困るのは全体像がわからないので、ときどき後で何を撮影したのかわからなくなること。(^_^;) 
 これは、たぶん、ミヤマコウゾリナのクローズアップだと思うのですが… ちなみにコウゾリナは顔剃り菜からで、茎に毛が密生してザラザラしていることをカミソリに例えたものです。カンチコウゾリナという類似種とは、葉のつき方で区別することができます。

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 ウサギギク。なぜこの名前が付いたのか、諸説あるのですが、舌状花(花弁に見える部分)の先端が割れているところをうさぎの耳に例えたというのが、最も説得力があるのではないかと、個人的には思っています。

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 シナノキンバイ。キンバイは金の盃からです。高山のお花畑でひときわ目立つ見事な大輪の花です。

 …と、乏しい高山植物を同定しながら歩いていると、いつのまにか霧も晴れて、青空が覗いてきましたが、無常にもここで時間切れ。
 後ろ髪を引かれるような…とは、このことですが仕方がありません。バスに乗り込む前に慌てて冒頭の写真や以下の写真を撮って下山しました。 ま、山は逃げませんから、また天気の良い時に出直したいと思います。

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 濃紺の空が広がり、雲間から顔を覗かせた立山の主峰、雄山です。


 二日目は、一週間前に訪ねた管山寺を再び同じコースで訪問です。たった一週間の違いで山の新緑はますます鮮やかになる一方、イカリソウはもう受粉を終えたのか、すっかり姿を消していました。

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 その登山道で最初に見かけたのがこのヤブデマリ。ガマズミの仲間で渓流のそばなど湿ったところに良く生えます。園芸品種としてよく知られるコデマリは、このヤブデマリでまりを改良して作出したものです。

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 アズキナシの葉。平凡な葉で見分けにくいのですが、写真のように短枝に何年も葉がつくためその跡が積み重なって、象の足を思わせるシワになっているのがポイントです。その短枝からはだいた3枚ずつ葉が出ますが、同様の葉の出方はウラジロノキくらいしかなく、葉裏を見ればウラジロノキのように白くないことで識別できます。種名は、小豆のように小さくて梨に似た実をつけることから。

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 ユキザサ。この可憐な花が雪のように美しいことからの命名で、必ずしも雪国固有の笹という意味ではありません。だいたい、属するのもユリ科であってササですらありませんが、葉の形が笹に似るため、このような名前になったようです。

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 下山の途中で見つけたもの。切り株の上に食べたアカマツの球果の残りカスがありました。わざわざこんな切り株の上に持ち上げて食べるとは、ねずみなどに邪魔されることを嫌ったためでしょうか。興味は尽きませんが、このレストランで晩餐を楽しむリスたちの姿が目に見えるようでした。

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 一週間ぶりに再訪した管山寺の山門。前回とは一転して快晴の空のもと、一対の巨大ケヤキは今日も押し黙ったまま、訪れるものたちを見守っていました。


 少し遅くなりましたが、5月10日と11日の両日、滋賀県北部の森林文化交流センター=ウッディパル余呉で近畿2府4県から50人の森林インストラクターと関係者を集めて開かれた研修会に参加した報告です。

 研修会といっても机上の講習はなく、二つの森林を歩いての観察と、雪深いこの地方の里山で長らく伝えられてきたイタヤカエデを使ったカゴ作りや、シナノキを利用した綱作りの技術を見学するアクティブな内容。和歌山から森林インストラクターを目指す人たちと貸切のマイクロバスに乗り合わせて参加しました。

 初日はトチノキの巨木の森を訪問。北から琵琶湖に注ぐ高時川の源流にあって、東北から日本海に沿って南下し連なるブナ林の最南西端に位置する森です。そこに成立していた小原という山村集落が薪炭材や生活用材、緑肥等の採取で活発に利用していた里山ですが、トチノキは実を採集する意図があって伐採を免れ、今日に至るまで大木が残されたようです。滋賀県が地権者と契約を交わして保存することとした巨木は118本。通常は山火事や盗伐を防ぐため入山が規制されていますが、今回は森林インストラクターの研修とあって特別に認められた入山でした。

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 トチの巨木までは標高差200mばかりを登らなくてはなりません。その最初に見かけたのがこのホウチャクソウ。先に「雄島の森」で紹介したナルコユリに似ていますが、ナルコユリが規則正しく列状に花をつけるのに対し、こちらは2~3個が束生していますので、花さえ咲いていれば同定は容易です。ホウチャクは「宝鐸」、つまり花を寺院建造物の屋根の四隅に吊り下げられた飾りに見立てての命名です。

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 ツノハシバミの葉。ツノハシバミはヘーゼルナッツの親戚筋で、秋にナッツとして食べられる角が生えた独特の実を付けます。その若葉には写真のようにシミのような模様が現れることが多く、これが種の同定を大いに助けてくれます。

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 ヤブレガサ。モミジガサと並んで薄暗い林床でよく見かける多年草で、名前はその姿から。覚えやすくていいけど、もう少しいい名前はなかったのでしょうか。

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 クマイチゴ。クマが出るような所に生えるという意味での命名ですが、実際には林道の脇程度のところでも見かけます。もう5月も半ばを過ぎましたから、まもなく食べられる実がなるはずです。

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 到達したトチの巨樹の森。この木は目通しの幹周りが4m超。ずっしりとした存在感があります。クマが実を取りに来たのでしょうか。幹には熊の爪跡が残っていました。

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 私の撮影技術ではなかなかスケールが表現できないのですが、先の木と同じくらいのトチノキの巨木が点在しています。鮮やかな新緑、ふんだんに光が差し込む爽快な5月の落葉広葉樹の森です。




 このあたりで、このブログに載せられる一回辺りのデータ量を超えたようなので、続きは次回に回します。