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  今年のNHK大河ドラマのヒーローは西郷隆盛だ。西郷ほど時代により毀誉褒貶(きよほうへん=ほめたりけなしたりすること)の落差が大きい人物はないが、その生涯は波乱に満ちていてドラマ化するエピソードは事欠かないし、活躍した舞台も薩摩、奄美、京、江戸など極めて広域で多彩だから絵にできるシーンにも不自由しない。そうした意味では長丁場のTVドラマの主役に、これ以上ぴったりの人物はいないだろう。

 さて、いま西郷は「毀誉褒貶の落差が大きい人物」だと書いた。西南戦争直後はもちろん逆賊だ。それから明治維新最大の功臣にして江戸を戦乱の大禍から救った国民的英雄と持ち上げられ上野に銅像も建ったが戦後は一転、明治維新の完遂に抵抗した頑迷な保守主義者として軽んじられた。それが再び評価されだしたのは明治百年がきっかけだ。明治百年とは明治元年から100年目の1968年(昭和43年)に政府が企画した祝典である。

 当時筆者は中学三年生。卒業アルバムには同じクラスの生徒たちみんなが書き連ねた文字でいっぱいの黒板の写真が収録されているが、そこに「吉田茂元首相国葬」とならび、この明治百年の文字が大書されているのが見える。中学生でも関心を持つくらいの国民的イベントだったのであり、これに対し明治維新を天まで持ち上げ100年をまとめて祝うことで戦争の過ちを忘却させ、国家主義を鼓吹する危険な動きだと革新政党や知識人陣営から鋭い批判がなされたことも覚えている。ちなみに、こうした論争の結果、官民有識者87人で作る準備会議がまとめた「明治百年を祝う5項目」のうちに「過去の過ちを反省し」の一項目が入ることで妥協が図られたのだった。いまのボンクラ2世どものアホ政権に比べ、当時の自民党政権にはそれだけの懐の深さと老獪な知恵があったということだ。

 さて、今年2018年は明治150年の節目に当たる。100年ほどキレの良い節目ではないが、これを国民の思想動員に利用してやろうという邪な意図は右翼アホ政権には当然あって、内閣官房を中心に様々なことが画策されているらしい。今回、NHKが大河ドラマで西郷を取り上げるのもその一環という気がするが、まあドラマはまだ始まったばっかりだし、評価を下すぎるに早すぎるだろう。

 たまたま、この明治100年のときに歴史作家の池波正太郎が書いた「維新の傑物・西郷隆盛」という一文を読んだ。池波は明治100年で西郷を持ち上げる社会のご都合主義を批判するとともに、国家国民に奉仕するという自らの本分を忘れて当選のためにのみ奔走する明治百年の議員たちについて、これを「もし西郷が見たら、『まだあのときの方がましでごわした』と、西郷は思うかもしれぬ。いや思うより先にびっくりして気絶してしまうであろう」と書いている。ここで「あのとき」というのはもちろん、下級武士が一気に高級官僚に出世して威張っていた明治維新のことだが、明治100年当時の今から見れば数段マシな政治でもこの評価なのだ。ましていまのボンクラ二世政権など見たら、西郷より先に池波がびっくりして気絶してしまうに違いないと思ったことであった。

 このブログでも一年ほど前、「Post Truthの時代について」とするシリーズを立ち上げ、西郷も重要なテーマとして書こうとしていたときがあったが、話題があちこち散漫に飛んでなかなか本題に行き着けないし、しつこすぎる気もしてきてなんとなく書く気が失せ、中断して現在に至っている。書きたいことはたくさんあるのだから再開すれば良さそうなものだが、もういちど文献にあたってウラを取るなどの作業はこの身体状況ではできそうにない。ということで諦めざるを得ないのだけれど、機会があれば西郷についてだけは思っていたところを書いて、けじめをつけたいと考えている。



  (姉妹サイト『森の話』もご訪問ください)


 新しい年が明けました。昨年1月5日朝、間質性肺炎に加えて気胸を併発し、救急搬送されて1年が経過したことになります。ほぼ一ヶ月の入院後なんとか生還はしましたが、退院時に医師から、次に気胸が再発すれば助からない可能性が高く、1年以内に再発する可能性は5割程度と言われていました。その気胸で残されていた貴重な肺機能を少なからず失い、行動の自由はさらに大きく損なわれてしまいましたが、それから1年、なにはともあれ良く生き延びたものです。正直なところ、年を越せるとは思っていませんでした。

 その後も病気は徐々に進行していると思いますが、もともと治る見込みのない病気ですし、これからできることも限られていますので昨年10月、呼吸器の専門病院である近畿中央胸部疾患センターでの受診を打ち切り、和歌山県立医大附属病院に転院もしました。近畿中央の対応に何ら不足はなかったのですが、往復3時間かかる通院時間が身体にかなり負担になってきたので、通いやすい近所に移っただけのこと、医大病院へは自宅から車でわずか10分です。

 しかし、この選択は大正解でした。この病気でつらいのはとにかく呼吸が苦しいこと。とくに咳が続くとあまりの苦しさに全身から冷汗が噴き出し、ひどいときは手足が痙攣して意識が遠のきかけます。いまさら命を失うこと自体はなんとも思わないのですが、それに至るまでのこの苦しさだけは何とかできるものならなんとかしたい。ということで、医大病院に緩和ケア科が開設されており、呼吸器内科と併せてここを受診できる事を事前にリサーチしたうえで、転院先を同病院に選んだのでした。

 (ついでの話ですが、この間に読んだ山本周五郎の代表作のひとつ『樅の木は残った』では主人公である原田甲斐が、病気で危篤となった同志を見舞うシーンがあります。その叙述はまさにこの呼吸不全の苦しい発作の状況を正確無比に描き出して実に見事。周五郎は実際にこうした発作を目撃したことがあるに違いありません。まあ、さすがは日本語の達人と感心すると同時に自分の近い将来が思われて、「やれやれ」と思ったことでした。)

緩和ケアを担当する医師はお一人だけのようですが、初診の時は1時間以上にわたり、緩和して欲しい苦しさについて詳しく話し合うことができました。こちらが提起する疑問や要求に対し、もちろん有意義な説明やご助言も頂けるのですが、わからないことがあればその場で直接関係者に電話して確かめ、苦しさの緩和に役立ちそうな薬剤や器具の確保など、看護師さんと手分けしてその場で素早く次々に手を打ってくださるのでした。そこで得た知見や処方してくださった薬剤や道具を使って、発作的な極端な呼吸困難は以前に比べれば、かなりの程度で抑えることができています。医療というもののありがたさをこれほど感じたことはありません。

 さて、もうここまで来ると、あとの命はまあオマケみたいなものです。できることは限られていますが、一番好きなスポーツであるラグビーのテレビ観戦を楽しんだり、読書に勤しんだり、さらによほど体調の良い時は絵筆をとったりもしています。ただひとつ注意しているのは、新聞にせよTVにせよ、汚いもの卑しいもの愚かなものに目を触れさせないということ。たとえば安倍晋三のバカ面とか、ヘイトにつながるお笑いとか、触れた分だけ気分が悪くなるような汚物とは付き合わないといことです。

 そんななかで、このブログで森ついて書いたコラム13本に加筆し、他のブログを立ち上げてひとつにまとめてみました。タイトルは『森の話』。リンクを張っておきますし、URLは以下のとおりですので、お時間が許せば、ぜひご訪問ください。

 https://ameblo.jp/kojinenko/



  ブログの更新、また滞っていますが、いまの低脳どもが政治の頂点に立って威張る世界にもう飽き飽きしたというか、もうバカバカしくて付き合いきれないというか、体力が落ちてきたこともあって最近は文句を言うのに疲れちゃったって感じです。まあしかし、まだ頭脳は鮮明ですしキーボードを打つことはできますので、気が向いたときは書いていこうと思います。ということで、以下、社会人山岳会紀峰山の会の機関誌『紀峰の仲間』に30年近く連載してきたコラムの最終回です。



コラム

山と美と登山を考える

 

 長く連載してきたコラムですが、いろいろ事情があり、とりあえずこの辺で一区切りつけることにしました。ということで以下、これまで私が山と登山について考え続けてきたことをまとめてみましたので、少し長くなると思いますが、どうかお付き合いください。

 

   このコラムについて

 

 本誌『紀峰の仲間』を創刊したのは私が事務局長に就任したとき、もう30年ほども昔のことになります。『紀峰の仲間』という題号には、ちょうどその頃に廃刊となった全国労山の月刊機関誌『山と仲間』(ユニ出版)の志を受け継ぐ意図を込めていました。

 

1970年代、街の書店では『山と溪谷』『岳人』と並び『山と仲間』が一般向けに販売されていたものでした。いわゆる「ヤマケイ」は登山初心者やハイキング志向者、「ガクジン」はややベテランの登山者、そして「ナカマ」は社会人山岳会や大学山岳部のリーダー層を読者に想定した編集を行っていて、それなりに棲み分けていたのです。そうそう、先鋭なバリエーション登山志向者に読者を絞った『岩と雪』というたしか隔月刊だった専門誌もありましたっけ。当時、山の主役は情熱と向上心にあふれる若者たちで、情報源としての活字が貪るように求められ、ネットなどという簡便なツールなどまだない時代でした。

 

しかし、発行元である出版社の経営体力の差から、ナカマは次第にヤマケイ他の山岳雑誌に伍することができなくなり1986年だったか、遂に廃刊に至るのです。それからどのくらいの間があって『紀峰の仲間』が誕生したかはよく覚えていませんが、ともあれこれらの経過から、『紀峰の仲間』は今年で発刊から30年くらいということになるはずです。

 

このコラムはその創刊号から、手違いで印刷漏れにしてしまった一回のみを除き、テーマを変えながらも全号の巻末に掲載し続けてきました。

 

文章を書くのを生業にしていた時期もありましたから書くこと自体は全く苦にならないのですが、書く気が湧くようなネタがないときは苦しい。山岳会の機関誌に掲載するコラムですから、ネタも山や登山に関するものでなければなりません。しかし、そう都合よくいつでも活きのいいネタがどこにでも転がっているというものではないのです。山に関係がありそうなニュースを血眼で漁ったり、登山に関するエッセイや小説などの文献を片端から再読したりして脳内のコラムセンサーがピピっと触れる瞬間を求め、触れたら直ちにそれを文章にしてなんとか締め切りに間に合わせたものでした。まあ、これは本業でもそうでしたが、いよいよ締め切りで尻に火がつくと、不思議と天から何かがフワッと下りてくるものなのですね。もちろん、それまで必死でネタを探す努力を重ねた末のことですけど。ともあれ、途絶えずにここまで続けられたのは幸運でした。

 

しかし、そろそろ潮時です。病気で山に行けなくなってからは、テーマを森と植物に移して書き続けてきましたが、書くこと自体が無理になる時期がやがて訪れることを自覚せざるを得なくなりました。ということで、前置きが長くなってしまいましたが、これが私の最後のコラムになるかもです。では、ここで語る最後のテーマを何にしましょう。

 

  人はなぜ山に登るか

 

山と登山を考えるコラムの究極のテーマは、やはりこれしかないでしょう。

 

1923年、「なぜ山に登るのか」というニューヨーク・タイムズ記者の質問に答えて、当時トップクライマーだった英国人のジョージ・マロリーが「そこに山があるから」と答えたという有名なエピソードがあります。ん~、カッコ良すぎる。けど、これは誤訳だそうです。記者の質問は正確には「なぜエベレストに登りたいのか」であり、マロリーが「それがそこにあるから=Because it`s there」と答えたのが事実。つまり、未踏だった世界最高峰の「征服」を国家の威信をかけて争っていた時代、マロリーは「まだ誰も登っていないエベレストがそこにあるから俺が真っ先に登りたいのだ」と、国家などとは距離を置きつつ、ただクライマー個人としての思いを率直に語っただけなのです。かくしてエベレストに不屈の挑戦を続けたマロリーはこのインタビューの翌24年、頂上直下のセカンドステップを登る姿を目撃されたのを最期に消息を絶ちました。そして75年後の99年、8100m地点で遺体が発見され、その状況から下山時に滑落したことが明らかになりましたが、下山前に登頂したかどうかはなお永遠の謎として残されたまま現在に至っているのです。(関心のある方はルポルタージュならマロリーの遺体を発見した捜索隊の『そして謎は残った』、フィクションなら夢枕獏の『神々の山嶺』をぜひお読みください)

 

さて、ちょっと寄り道が過ぎましたが、マロリーにとっては誰よりも早く、人類の最初に世界で最も高いところに立つ、というのがエベレストに登る単純にして完璧な理由でした。しかしこれは特異な例でしょう、登山が人間の可能性を押し広げるパイオニアワークとしての意義を持つ時代は、1953年のエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイによるエベレスト登頂の瞬間に終わりましたし、今日の登山者やハイカーの誰ひとりとしてそんな「ど大層な」ことを考えてはいないでしょう。では、人はなぜ山に惹きつけられるのか。

若い頃、この問題を考えていて、『闘争する山と抱擁する山』という少し長い論考を『紀峰の仲間』に発表したことがあります。山に魔物が住むと考えて征服の対象と考えたヨーロッパ・キリスト教文化と山に神が住むと考えて信仰の対象とし自然との一体化をすら目指した日本の基層的自然信仰というかアニミズム文化を比較した論考でしたが、今思えば通俗的な日本文化特異論にかなり引っ張られた安直な発想だったと思います。キリスト教、特に新約聖書の世界観が支配した中世のキリスト教が山や自然を不当に見下したのは事実ですが、そんな時代にも山を愛したヨーロッパ人はいましたし、日本人が本当に宗教的な敬虔さを持って山や自然を大切に思っていたとしたなら、今日見るような功利的かつ守銭奴的な乱開発、公害、山河や海浜や里山の徹底的な破壊、山村の崩壊など起きなかったはずだからです。さらにいえば資本主義経済成立後の人間というものが、貨幣の魔力にひれふす愚かな存在であったことについては洋の東西を問いません。もちろん個々の人間には賢く気高い一面もあるのですが、ここではただ、人間はかくも愚かな、その本質においてかくも卑小な実在であるという自己認識だけが重要なのだと思います。

 

 人類最初の「登山」

 

狩りや放牧、伐採や燃料収集など生業のためでなく、また日本にみるような信仰の一環としてでも軍事上の必要からでもなく、ただ個人の欲求つまり楽しみのためにのみ登るという、現代に通じる形での登山を行ったのは、文書に残る記録としては恐らく、14世紀イタリアの文人ペトラルカが最初であったと言われています。ペトラルカは「今日私は、ただいちじるしく高い場所を見てみたいという欲望に駆られて、この地域の最も高い山に登りました」と書き残しています。ペトラルカが登ったのは、いま「プロバンスの巨人」と呼ばれ、自転車レース「ツール・ド・フランス」の難所としても知られるフランス南部のヴァントゥ山(1912m)で、疲労困憊しながらやっと山頂にたどり着いたペトラルカは「空気が異常に希薄で清らかなことや、雄大な光景に感動させられて、私はほとんど呆然として立っていました」と報告しています。さらに「振り返って見わたすと、雲が足の下にありました」と頂上からの絶景をひとつひとつ紹介して感嘆し、「魂がいっそう高尚に高まる」と感じていたのです。いま、登山を楽しむ私たちと、なんら変わるところはありません。

 

ペトラルカはこのように書いた直後、こうした欲望や感動はキリスト教からの逸脱だとして厳しく反省しているのですがしかし、この14世紀の人が山に登りたいと思い、それを実践し、そして頂上に立って非常な感動を覚えた事実は消えません。スポーツの語源はラテン語で「(仕事や義務とは関係なく)楽しむ、気晴らしをする」という意味の「デポルターレ」ですが、ペトラルカがただ自らの欲求のみに従ってヴァントゥ山に登った瞬間に、登山はその本来の意味での「スポーツ」となったのであり、山岳自然は木材や燃料の供給源や修業の場や交通の難所であるだけでなく、人が全身で没入して触れあい、またその「美しい」景色を見て楽しむ場として立ち現れたのです。

 

 山岳自然と芸術の美学

 

さて、ここで私はわざと「美しい」という平凡な言葉をカッコづけで書きましたが、「美」とは一体何なのでしょう。これを突き詰めて考えるのが美学という哲学の一領域で、これにいま深く立ち入る余裕はもちろんありませんが、美学には、人間の外に元々「美しい」事物があってそれを見る人間の精神がそれを受けて美しいと思うのか、それとも美しいと感じる精神がまずあってそれが外界の事物を美しく見せているのかという、二つの哲学的見地の対立があります。前者はプラトンとアリストテレスというギリシャ哲学のふたりの巨人を源流としディドロに至る実在論美学であり、後者はデカルトからカントに至る近代観念論美学ということになるのですが、はっきり言って観念論美学はそれこそ常識にあえて反する頭の体操の如き観念の遊びに過ぎません。それを認識する人間がいようがいまいが世界は実在しており、美しいものは人間がいようがいまいがそれ自体で美しいのです。

 

プラトンはその実在する美の源泉は天上のイデアにあり、地上の美はそのうつし絵と考えました。地上の事物はイデアを分有するゆえに美しいというのです。一方アリストテレスは天上のイデアなど認めず、美は地物にもともと付与されていると考えました。私たちの常識は、アリストテレスからディドロに至るこの考え方をこそ最も素直に受け入れることができるでしょう。美しい山河は常に人の周囲に存在したものの、それを「美しい」と人間が認識できるまでには、人間がただ個人的な楽しみのみのために登山ができるほど生活の余裕が生じるまでの時間が必要だったのであり、まさにペトラルカが生きた14世紀ヨーロッパにおいて人間の生存レベルはその段階に達したのでした。これこそがスポーツとしての登山つまりアルピニズムと山岳美、自然美の黎明にほかなりません。

 

では、私たちはなぜ、頂上からのあの胸のすくような眺望を、またそこに至るまでに見る高山の花や蝶や森林や小川や滝など、総じて山岳自然をなぜ美しいと感じるのでしょう。これについてもここで深く突き詰めて検討する余裕はないのですが、アリストテレスやディドロの考え方を私なりに簡潔にまとめていえば、要するにそこにこそ「世界の本質」があるからということなのです。人は「世界の本質」に触れることで深く心を動かされ、その心を震わせる対象をこそ「美しい」と思うのです。

 

少し寄り道になりますがこの際ですので、人が優れた芸術作品を「美しい」と感じ、心を動かされるのはなぜかについても触れておきましょう。プラトンやアリストテレスはこれについても明快に説明していて、優れた芸術は世界や社会の「ミーメーシス」であるとしています。ギリシャ語の「ミーメーシス」は直訳すれば「模倣」で、現代の語感としてあまり良いイメージはないのですが、ギリシャの哲人たちは「ミーメーシス」にもう少し深い意味を込めていて、「本質の強化的再現」といった感じで使っています。

 

これをわかりやすくするために例を挙げてみましょう。たとえば写実絵画は立体的な世界を平面に再現する芸術ですが、世界の本質と関係の薄い余計な部分は捨て、また一部は補ったり誇張したり画家が作為を施すことで、目の前の現実よりもっと深く世界の本質に肉薄しようとするところに絵画美の粋があるということです。優れた絵画は、平面つまり二次元の表現でありながら立体という三次元の空間と、さらに時間すらも再現つまりミーメーシスすることに成功しています。レオナルド・ダ・ビンチが死ぬまで精魂込め筆を入れ続けた「モナリザ」がなぜ世界最高の絵画と評されるかは、こうした観点から作品に対峙してみることではじめて、その理由に多少とも接近することができるはずです。ここでは絵画を例に挙げましたが、彫刻でも音楽でも演劇でも文学でも、その実体が世界つまり自然や歴史や社会や人生といった現実のミーメーシスであるという点に違いはありません。人々はこれらの芸術表現に自らが生きる世界の本質が再現されていることを五感で受け取り、それへの共感やカタルシス(精神の浄化)を体験するのですが、私たちはこれらを総称して「感動」と呼び、その程度に応じて「美」を評価しているのです。

 

長くなりましたので、ここで一度まとめておきましょう。つまり人は自然であれ芸術作品であれ、「世界の本質」に触れたとき心が震え、それを「美しい」と感じるのですが、登山などにおいては山岳自然に直接五感で触れることによっていわば荒々しいナマの形で「世界の本質」を感じ取るのに対し、芸術は画家や音楽家や役者ら「美の専門技術者」の手によってさらに先鋭に研ぎ澄まされた形、いってみれば美の素人にも感得しやすいよう加工した表現で再現された「世界の本質」に触れ、その美しさに感動しているのです。

 

 世界の本質について

 

さて、ではその「美」の源泉たる「世界の本質」とは一体何なのでしょう。これが究極の問題です。ペトラルカそして私たちが山岳自然を「美しい」と思うのはなぜなのか。その山岳自然という世界にもとより備わっているいったいどんな本質が私たちを感動させ、つらく時には危険すら伴う労苦をもいとわせず、私たちを繰り返し強力に山に誘(いざな)うのでしょうか。回答から言えば、それは「無限性」だと私は考えています。

 

「無限性」についてくどくど書くより、例を挙げたほうがわかりやすいでしょう。話がえらく飛ぶようですが、「ハッブル・ウルトラ・ディープ・フィールド」というものをご存じでしょうか。ハッブルは地上600kmの宇宙空間に浮かぶ望遠鏡のことです。地上の望遠鏡はいくら高性能でも曇りガラスのような大気を通してしか宇宙を望めませんが、ハッブル宇宙望遠鏡は大気に邪魔されないため、はるかにクリアに宇宙の姿を望むことができます。宇宙はどれくらい広いのか。それを知るために2004年、地上の望遠鏡ではいくら解像度を上げても暗黒でしかない宇宙のある領域、広さでいえば満月の100分の1ほどの極小の範囲をハッブル宇宙望遠鏡で探査し撮影してみたところ、なんと約1万の銀河が確認できたのでした。いまなら、ネットで簡単にこの美しい画像を見ることができますので、ぜひアクセスしてみてください。

 

銀河には大小ありますが、平均してひとつの銀河に2000億個も太陽のような恒星が含まれるといいます。つまり地上のどの望遠鏡からも何もないようにしか見えないこの暗黒の極小領域に、現在のハッブル宇宙望遠鏡の能力で確認可能なものだけに限っても2京個の恒星があるというのです。では、全宇宙には一体どれほどの恒星が、さらにはその恒星を周回する地球のような惑星や、月のような衛星が総数でどれくらいあるのでしょう。

 アンドロメダ銀河サイズ

(地球から最も近いアンドロメダ銀河は大きい方、1兆個の恒星が含まれる)

 

考えるだけで気が遠くなります。ある程度山に親しんだ皆さんならこれまでの山行で一度は、満天降るような圧倒的な星空に感動したことがあることでしょう。見上げる宇宙にある星の数は正確な意味で「無限」ではないかもしれませんが、有限な人間の認知力をはるかに超えており、そうした点でまさに無限といって良いものです。そして、地上の山岳自然はこうしたまさに無限なる宇宙の構成部分にほかなりません。ただし、無限だからといって不動の安定した存在というのではなく、そこに含まれる岩や川のような無生物も草木や動物などの生命体も、むしろ生成、発展、消滅のダイナミックな運動の渦中にありながら自己を統一的に再生して恒常性を維持する存在として無限なのです。

 

一方、これに対峙する私たち人間個人は、生命を限られた非常に非常に小さな存在に過ぎません。種としての人間は本来自然の一部であり、繁殖によって種としての恒常性を維持する点で他の生物種と違いはないのですが、「私」という自我を持った人間は一世代限りで、その経験や意識が個人を超えて維持されたり再生されたりすることはありません。逆に言えば自意識を持つことによって人間は種の集団から個別に自立し、無限なる宇宙や自然の一部でありつつも個である「私」としてそれに対峙する有限な存在となったのです。

 

 無限性と人間

 

「人はなぜ山に登るのか」。この問にようやく私なりの答を提示できるときが来たようです。もし「あなたはなぜ山に登るのか」と問われたら、その答えは登山者ごとに千差万別でしょう。そしてもちろんそれで何の問題もありません。しかし、人々が山に登る行為の根底というか核心部分には共通して「美しい山岳自然に近づきたい」という欲求が間違いなくあります。そしてその山岳自然を「美しい」と思う感覚は実は山岳自然という宇宙の無限性に由来しているのであり、その無限性を観想できるまでの人類の発展段階を前提とするという意味で、登山は人類史の今日的産物でもあるのです。人はいま、それを明確に自覚することはないにせよ、人類史の現段階を担う有限な存在として、宇宙の無限性、自らが望んでも決して得られない無限性に少しでも触れようと山に登り、そして登った山で実際にその大いなる無限性から心震えるような深い感動を得ているのです。

 

さらにいえば、人間はこの無限世界に属する存在であるという点も見ておく必要があります。私たちが対峙する山も川も森林もそして私たちの肉体も、それを作り上げている根源的な素材としての原子は同じであり、生命の輪廻を通しまた日々の新陳代謝を通じ、私たちは常に外界と原子を交換しています。命を失った肉体は最終的に原子にまで分解され、まずは気体や水やミネラルとなったあと、例えば土や岩やさらには草木や動物など新たな生命を担う物体の材料となったりもするでしょう。そうした意味で、個人は無限なる宇宙の一部分であり、目の前に眺める山岳自然は自らの母胎でもあるのです。それと対峙するとき、人々は大いなる無限性への畏敬とともに、懐かしい生まれ故郷に帰ったような安らぎ、または優しい母に抱かれたように満ち足りた心地よさも感じているはずです。

 

登山はこうした意味で世界にとり非常に重要な行為だと思います。なぜなら大いにして母なる無限な存在に対峙し、そしてそれに圧倒されまた安らぎを感じたとき、人は真に等身大の自画像に向き合い、真実に目覚め、そして心から謙虚になれるからです。

 

 地球環境のいまと登山

 

この1113日、184ヵ国15364人の科学者が共同で「世界の科学者による人類への警告」という声明を発表しました。1992年の「憂慮する科学者同盟」声明の更新版で、当時に比べても地球温暖化や人口爆発、生物種の大量絶滅など、「地球が抱える問題の大半がはるかに悪化」したと警告し、対応への時間切れが迫りつつあると訴えています。

 

1972年にローマクラブが発表した「成長の限界」以来、こうした科学者からの警告は幾度もなされているのですが、半生を通じ環境問題に関わってきた私の目には、これら科学者の警告ですら楽観的に思えます。世界の知性はこのように繰り返し世界と人類破滅の危機を訴えてきたものの、目の前の富と武力以外に関心を持たない政治がそれに応えたことはなく、またそんな下劣な政治を支持し続けている平均的な人間の愚かさが簡単に変わるとも思えないからです。愚かな人間が選択した産業革命以来の資本主義という制度が地獄のフタを開くテコでしかなかったことはもはや明らかです。今すぐこれを捨てない限り、宇宙の大いなる無限のシステムから逸脱して暴走を続ける人類は遅かれ早かれ、地球環境を徹底的に破壊し多くの生物種を絶滅に追い込んだ挙句、自らをも滅ぼすでしょう。

 

決してコケ脅しでいうのではありません、地球と人類の行いの現状を客観的科学的に評価する限り破滅は不可避です。危機は深く静かにそして着実に加速度的に進行しています。先進国の人々の暮らしを脅かすまでには至っていないため気づきにくいのですが、気づいたときにはもう手遅れになっているはずです。

 

さて、そろそろ結論です。まず、ここまで長く理屈っぽい文章に付き合ってくださったことに感謝します。最後に私が皆さんに伝えたいのは、山に登り、その美しい景観や自然に対峙し感動することは、個人的な喜びであるだけにとどまらず、地球上で人類が本来あるべき姿に気付くという点で地球環境の維持存続に貢献する意義を秘めているということです。自らがそこから生まれ、また命果てたのちに還りゆく無限の世界への敬虔な畏(おそ)れと母胎に抱かれるような深い帰属意識のみが、現代人類によるその無限世界への傲慢で無謀な破壊行為を止めさせる力となりうるからです。それが差し迫る危機を克服するかすかな可能性につながるかどうかはわかりません。しかし、現代の登山には実は、そうした深い意味もあることを伝えたいと強く思うのです。ということで紙幅も尽きたようですね。

 

紀峰山の会の仲間の皆さん、会の未来は皆さんのものです。

もっともっと仲間を増やし、さらなる高みへと登り続けようではありませんか。

 安倍晋三がモリカケ疑惑の追求から逃れ保身を図るだけが目的の総選挙が終わり、安倍の思惑通り自公が勝って終わった。野党の態勢が整わない中での解散だったが、前回の参院選と同様の野党と市民の共闘を急ぎ構築すれば、安倍の卑劣な目論見を粉砕できる条件はあった。だが小池百合子の野望とこれを持ち上げるメディア、次いでこれに幻惑された前原誠司の愚かな裏切りと、さらに信じられないことだがこの裏切りを満場一致で認めた野党第一党の解党で、その可能性は公示前に事実上葬られてしまった。

 小池の思い上がりと前原の愚かさが誰の目にも明らかになる中で、いわゆるリベラルの受け皿として立憲民主党が形成され、それが一定の地歩を占めたことはせめてもの救いだが、我々の前に広がっているのは基本的に、戦後民主主義が思想としてはほぼ影響力を失って立ち枯れ、それゆえ制度としては完全に擬制となって空洞化し、それどころかむしろ専制や特権が自らを正当化する粉飾の道具として利用されるような、焼け跡にも似た惨憺たる情景である。

 内田樹氏はツイッターで「端的に言って、戦後日本社会は「民主主義教育」に失敗した、ということだと思います。それがどれほど「よきもの」であっても、自力で獲得したものではない政治制度を着床させることがどれほど困難か、改めて感じます。」とツイートしている。まさにそこが核心なのだと思う。

 いまさら述べるまでもないが、西欧の民主主義は古代ギリシア、ペリクレス時代のアテネポリスの奇跡的な直接民主主義に淵源を持ちつつ、その後の専制王権や特権貴族制に対する民衆の長い戦いを経て獲得されてきたものだ。その核心は自分の運命は他者から強制されるのではなく自分自身が選択するという人民一人ひとりの自己決定権にある。利益や意見が対立する多くの人間で構成される社会を円滑に運営するには、社会横断的なルールとそれを強制する装置による支配の秩序が欠かせない。社会の成員は基本的に誰であれこの支配の秩序に服する被支配者なのであるが、そのルールを決める際に社会の全構成員が等しい資格で参加するのが民主主義のシステムである。従って、この個人の自己決定の思想と自覚なしに民主主義は機能しない。

 西欧の民衆たちは決して大げさではなく、血で血を洗うような戦いを繰り返し積み重ねてこの自己決定の権利を獲得してきた。もちろん、かくして出来上がった西欧の民主主義が人間社会の統治システムとして完成したものであるなどというつもりはない。ヒトラーの独裁は当時最も民主的と言われたワイマール憲法が定める手続きによって成立した。今日における西欧先進各国の選挙結果やそれによって打ち立てられた民主権力が民衆の利益に反することなど日常茶飯事だし、古代ギリシアの民主主義は多数決でソクラテスを殺した。

 だがそれでも、ひとりの人間、一部の特権集団に自らの生殺与奪に関わる全権力を委ねるよりは、社会全体の意思を集める方が、極端な誤りを侵す恐れは少ないだろうというのが民主主義を採用する意味である。であればこそ自分も、自分なりの意見を持って社会が求める決定に参加しなければならない。少なくともこの程度のことは、長い民主主義獲得の歴史を通じ形成された大人の常識として、西欧民主主義国の主権者意識に共有されているのではないだろうか。

 だが、日本にはそのような民主主義をめぐる本格的な闘争の歴史はなかった。いや、なかったと決め付けると言い過ぎになるが、少なくとも戦後民主主義は占領軍によって与えられたものであり、自ら血を流して勝ち取ったものではなかった。明治維新以来、民主主義の実現を目指す闘争は確かに存在したし、それに命を捧げる先駆者も少なからずおりはしたが、それがこの国に暮らすすべての人々の自意識に及ぶほどの影響力を持って展開されるまでには至らなかった。

 制度としての民主主義は与えられた。だが、それを成立させる思想としての民主主義、つまり自己決定の明確な自覚は、日本の民衆が自らのうちに育てるしかない。西欧の民衆が長年にわたる血まみれの戦いで打ち立てたその主権者意識を、「民主教育」によって育てようとしたのが日本の戦後民主主義だったといえるだろう。

 民主主義を希求する闘争の歴史がない所にその思想を育てようというこの試みは、戦後25年くらいまでの間、一定程度の成功を収めたと言えるかもしれない。それには学校での民主教育と相まって、ベトナム反戦運動や沖縄返還をめぐる市民運動、公害反対運動、労働組合の賃上げ闘争、全国の大学を吹き荒れた学園紛争など、西欧における民主主義獲得をめぐる闘争を疑似体験させるような機会が多くあったことも寄与しただろう。だが、日の丸君が代の強制など教育の反動化、労働組合の右傾化、そして小選挙区制の採用がこうした国民的な民主主義思想の育成を決定的に妨げる。

 政治意識をめぐる世論調査で共通しているのは、左派リベラルの支持率が最も高いのはまだ健全だった民主教育と世界にプロテストを提出する機会に恵まれ60代以上であり、若年層になるほど自民党や安倍内閣への支持率が高いことだ。これは教育の反動化の進行と見事に呼応している。左派やリベラルを支持するのがエライなどと言うつもりはないのだが、少なくともそれは現状に対する異議の提出であり、そうした意味でそれは政策への評価との同調を意味しており主権者の自己決定意識を反映していると言えるが、いっぽう自民党や安倍内閣への支持は、その政策や行状に同意はできないにも関わらず支持していることが明らかであり、それはつまり現状をあるがまま是認するという立場の表明にほかならない。これは殿様が何をしようが仕方がないという封建時代の農奴の感覚、ないしはなにはともあれ多数派に入れば安心という処世術の感覚に近い。

 今回の選挙で、何人か若い人たちの意見を聞く機会があった。今まで一度も投票に行ったことがないと笑う女性もいたし、わからないからみんなが入れるところに合わせるという青年もいた。でも、強調しておくが、彼も彼女も実に「いい人」なのだ。本当に世の中は「いい人」ばかりだと思う。だが、腐りきった政治に文句を言わない「いい人」たちによって民主主義は空洞化し、やがて「いい人」たちは自らの無自覚が招いた悪政のために、それを自らが招いたとは自覚することなく、大きな犠牲を支払わせられることになるかもしれない。内田樹氏がいうように「自力で獲得したものではない」民主主義を、この日本という土壌に定着させることは、事ほど作用に困難なのだというしかない。日本人というのは、自らが属する社会を自ら設計し運営するには到底力が及ばない発達段階に留まっているということなのだろう。戦後70年を過ぎての、まさに無残な光景である。



 絵は「山の晩鐘」。架空の岩壁でビバークの用意をしている情景です。 ホワイトワトソン F10

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 昨日10日、総選挙が公示された。小池百合子は自らの人品のいやしさが招いた希望の党の失速を見て出馬せず、その日和見ぶりをあらためて示した。また、有権者のヤジに怯える安倍晋三は福島県の田んぼで、厳重警戒のなか動員した身内の自民党員だけを相手に第一声を発し、その臆病ぶりをまたもさらけ出した。森友・加計問題の追求が怖くて国会を解散し、やじが怖くて遊説日程を隠す卑劣な腰抜けが「国難」などとよく言ったものである。安倍を批判する市民たちが掲げた「国難はお前だ」というパネルにも、「ステルス首相」の遊説先が判明したことを知らせる「A(安倍)アラート」というツイートのハッシュタグにも吹いた。有権者はお前たちが期待するほどバカばかりではない。

 さて、生臭い話はこのくらいにして、以下は『紀峰山の会』の機関誌『紀峰の仲間』の秋号に掲載した巻末コラム。今回はギンリョウソウについて書きました。



植物百話
           ギンリョウソウと世紀の大発見

 山を良く歩く方であれば、ギンリョウソウ(銀竜草)という一風変わった植物を一度は見たことがあるでしょう。4月半ばから6月ごろにかけ薄暗い森を歩いていると、しっとりと湿った林床の枯葉に紛れて、透き通るように白い15cmほどの茎の上に下向きの壺型の花をつけた群生に出会うことがあります。「銀竜」の名はウロコが覆うように見える茎を竜の首に、また花を頭部に見立てたものですが、咲く環境の暗さに加え不気味な雰囲気もあることから、ユウレイタケとかシビトバナなどの別名で呼ばれることもあります。(下=自作イラスト参照)

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 さて、ここで「植物」とあっさり書きましたが、我々がふつう植物というのは葉で光合成を行い自活できる独立栄養生物のことです。しかし、ギンリョウソウの葉は退化して茎のウロコになり葉緑素もありません。実は植物の定義というのは結構むつかしい。深入りするとこのコラムの紙幅では帰ってこられなくなりますのでほどほどにしておきますが、このギンリョウソウが植物であるのならば、少なくとも光合成とか葉緑素を持つとかは、「植物」に必須の要素ではないことになります。では、光合成をしない植物ギンリョウソウはどのようにして栄養を得て生きているのでしょう。

 葉緑素を持たない植物はギンリョウソウの他にもランの仲間など結構あるのですが、これらの植物グループはかつて「腐生植物」と呼ばれ、動植物の遺骸やこれが分解した腐食から栄養を得ていると考えられていました。しかしこれは誤りで、実は菌類から栄養を得ていたのです。そこでいまは、植物でありながら動物(従属栄養生物)などと同様、他に栄養を依存することから、このグループを「従属栄養植物」と呼んでいます。

 菌類とは簡単に言えばキノコの仲間です。前回、このコラムで、マツが荒地でも生き延びられるのは、長い歴史を通じ多くの菌類の助けを得ることに成功したからだと書きました。このようにマツは別格なのですが、マツに限らず植物の大半は菌類と共生関係にあり、光合成能力を持たない菌類に光合成で作った栄養を与える代わり、菌が広く張り巡らせた菌糸で土壌中からかき集めた養分や水分を得ています。病原菌に対するケアもしてもらっているようで、まあ、持ちつ持たれつの関係なのですね。

 余談ですが、食物連鎖などの一知半解の浅はかな理解をもとに「弱肉強食が野生の掟」などという人がいますがこれは皮相に過ぎます。食い食われる関係があることは事実ですが、自然のバランスは食う側が食う量に比べ食われる側が食われない量が圧倒的に多いことで維持されていますし、また多様な生命が「持ちつ持たれつ」相互に依存し助け合う共生ネットワークの営みは、食物連鎖が演じられるケースの万倍の頻度と広がりと深さで自然界を支えています。白人至上主義など選民思想の多くが「弱肉強食・優勝劣敗の自然の進化法則を社会に適用」するとする社会ダーウィニズムの優生思想を信奉しますが笑止千万、自然の本当の摂理に無知な誤りは明白です。しかしヒトラーの犯罪、トランプの愚劣、高須クリニックや「みぞゆう」麻生その他レイシストどもお調子バカの放言、反中・嫌韓を煽るメディアの流行、さらにいえば「ニッポン凄い日本エライ」と選民意識をくすぐる低俗テレビをヘラヘラ喜んで観ている・・なんて最近の空気、ちょっと問題ではないかとも思います。

 さて、話を戻して、ギンリョウソウはベニタケ菌という日本の山野ではありふれた菌類から栄養をもらっているのですが、前述のように菌類は植物から栄養をもらっていますので、本当はベニタケ菌を介して間接的にそのベニタケ菌と共生する植物から栄養を得ていることになります。で、その代わりベニタケ菌などに何を返しているのかというと、これが今のところはわからない。もちろん、一方的にもらうばかりで何も返さない「寄生」という関係もありなのですが、これについてはなお今後の研究課題ということだそうです。

 といったギンリョウソウについてこの7月、驚くべき新発見が報告されました。その種子を散布してくれる共生生物が見つかったのです。我々が見かけるギンリョウソウは花ですから当然、あの壷型の花の中に雄しべと雌しべがあって受粉もすれば結実もします。受粉はマルハナバチが手伝っているようですが、これまで種子散布をどうしているのかは不明でした。これを発見したのが熊本大学の杉浦直人准教授。2年間計1259時間にわたりギンリョウソウを見つめ続けて、その種子散布を助けているのがなんとゴキブリ(正確にはモリチャバネゴキブリ)であることを突き止めたのでした。

 昆虫は受粉では大きな役割を果たしますが、生き物による種子散布では主役は鳥類、次いで哺乳類です。このコラムでも取り上げたカタクリやスミレの種を運ぶアリを例外として、昆虫が種子散布に協力する事が確認されたのは世界広しといえどもこれまで2例のみでほぼ皆無だったのです。ですから3例目というだけでも大発見なのですが、飛翔する昆虫としては世界初とのこと。まさに世紀の大発見ではありませんか。

 ゴキブリは人間の迫害に追われる一方でギンリョウソウのかけがえのない共生者として、果実を頂く代わりに遠くまで飛翔して糞と一緒に種子を散布し、人知れずか弱い生命が生き延びるお手伝いをしていたのですね。といったゴキブリのけなげな働きぶりを思えば、あの女性たちの冷酷な白眼視と問答無用の金切り声つき殺戮行為、多少とも手心を加える気になってはもらえないものかと思うのです。 が、ん~、ならないだろうね。やっぱり。


 最後に最近描いた絵です。タイトルは『翡翠』(かわせみ)、「渓流の宝石」と呼ばれる美しい野鳥です。 今回はウオーターフォードのF8号の用紙に不透明水彩で描きました。

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