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  今朝4月1日の朝刊で、安倍内閣が公教育の教材としての教育勅語の使用を容認することを閣議決定した旨の記事に接した。一瞬、エイプリルフールではないかと思ったが事実らしい。さらに中学校で習わせる武道の選択肢として銃剣道を導入することも決定したという。銃剣道というのは近代の白兵戦で敵を殺すことに特化した殺人技術だ、剣道も元はといえば殺人の技術ではあるけれど、長い歴史を経て高度の精神性を確立しスポーツに脱皮して久しい。同列に論じることはできないだろう。道徳の教科書でパン屋がダメで和菓子屋に書き換えた教科書検定の経緯など、これが漫画でなければ狂気の沙汰としか思えない事態が続発している。この狂気を放置すれば、教育勅語を納める奉安殿が復活し銃剣道や軍事教練のために配属将校が赴任してくる日もそう遠くはないのではあるまいか。日本の教育全体の森友化というべきだが、その一方で、こうした狂気のような教育を推進する文科省の高級官僚たちは違法の天下りであぶく銭を掴むというのだから恐れ入る。こういう最低な人間たちがそろって国民に対して徳を垂れるのである。世も末というしかない。

 さて、那須岳山麓での高校生雪崩遭難事故については、その後の報道でもこれまで自分がここに書いたことで修正すべき点はない。ただ、引率教師のうちの責任者が「雪崩の危険はないと考えていた」「絶対安全と判断して行動した」などと発言するのを聞いて、これまで引率教師らに抱いていた同情は消えた。この人は本当の冬山を知らない。恐らく、厳しい冬山登山の経験もないのだろうと思う。それなりの冬山経験がある登山者なら、あの降雪であの斜面を前にして、雪崩のリスクを感じないということは考えられない。この人に冬山のリーダーの資格はない。そんな無知に導かれて、死地に追い込まれた高校生たちは哀れというほかない。

 ついでだが、このニュースを伝えるワイドショーで解説役として野口健が登場していた。以前から多少ずれたヤツだとは思っていたが、この解説で本格的な馬鹿とわかった。録画したわけではないので以下はやや正確性を欠くが、現場の映像を見て野口いわく、「こんなところに行くのは登頂を目指していたとしか考えられない」「調子がいいんで行っちゃおうかって感じになったんでしょう」。アホかである。遭難現場の標高は1270m、那須岳の最高峰茶臼岳は1915m、標高差は650mもあるのだ。これに対し、高校生たちが訓練で登ったのはせいぜい50mに過ぎない。なんでここから「登頂を目指している」なんて超推理がでてくるのか。

 唯一考えられる理由は、野口が映像で見える無木立の斜面のてっぺんを頂上と勘違いしていることだ。公共の電波を使って不特定多数の人々にニュースを伝えるのに、このプロ登山家なる御仁は地図も確認しないらしい。このブログでも書いたが、急斜面は標高差で120m続き、その上はいったん緩やかな斜面になる。だから、下からの仰角の映像では急斜面の終わりがあたかも頂上のように見えるのだ。野口も馬鹿だが、それを口を開けて「なるほどお」と追従するそろって間抜け顔のキャスターやゲストらはまあ素人だから仕方ないとして、番組を作っている側は無責任も甚だしいではないか。まあ、ワイドショーってのが何の取材もしなければ検証もしない、およそ「ニュース報道」などと呼ぶ価値のないヤクザな番組だってことを知ったことだけが収穫だった。

 明治維新の続きを書こうと思っていたのだけれど、前置きを書き始めたら、腹が立って腹が立って。あ、昨日からプロ野球が開幕。我が東北楽天イーグルスは延長の末、追いすがるオリックスをペゲーロの超特大2ランで突き放して勝利した。いいニュースってこれくらいだなあ。そうそうこれに関連してだが、侍ジャパンなんてこれまたいけ好かないネーミングで戦ったWBCに参加した投手たちは、いずれも各チームのエースだが誰ひとり開幕投手にはならなかった。もちろん疲れもあるだろうし、大リーグ球で投げていた感覚を修正するにも時間がかかるという。WBCはプロ選手にとり所詮は余技に過ぎない。その余技のせいで本業に万全な態勢で望めないというのはおかしい。これからもWBCに参加するというなら、公式戦の開幕を遅らせるなどの配慮が必要ではないか。

 ま、ともあれ今日はここまで。



 那須岳での高校生遭難事故について昨日の記事に補足。一日たって、この遭難についての追加情報がいくつか入ってきた。そのなかであらためてここで触れておきたいのは、雪崩が発生した地点、雪崩注意報、そしてビーコンという装備についての話題だ。

 まず雪崩の発生状況については、昨日、自分がまだ乏しかった遭難現場の情報と地理院地図から見立てたとおりであることが明らかになった。ただ、より詳しく報道されたところによれば、遭難現場は昨日自分が考えていた斜面より上で尾根上の平坦地だったようだ。地図を見ればわかるが、その平坦地はゲレンデに2本あるリフトのうち、南側のリフトの終点に接して南西方向(リフトを下部から見上げて左)にあたり、その西側には顕著ではないが1277.5mの小ピークがあって、これと東から走る那須岳(より正確には茶臼岳)からの斜面の鞍部になることから、平坦な地形を形作っている。

 昨日の遭難現場の映像は斜面だったが、リフトの終点から前述の平坦地へ向かうルートには傾斜はほぼないことから、ラッセル訓練はおそらくリフトの途中から南側の斜面にからんで取り付き、事故現場の平坦地まで登っていったものと思われる。

 さて、その平坦地だが、それは昨日指摘した急斜面の直下だ。もちろん正確に測ったわけではないが、地図上から読み取り限りでは昨日も書いたように明らかに40度以上の傾斜がある。そして、雪崩は一般的に傾斜30度から45度の斜面で起きる。30度以下では雪の自重(斜面との間の摩擦力)を上回るほどの滑落の力は通常発生しないため雪崩は起きにくいし、45度を超える斜面では雪は常に滑り落ちているため雪崩になるほど深く積もることができない。これは冬山に登る者にとっては一般教養レベルの常識だ。

 問題の斜面の斜度はまさに雪崩発生の条件を備えており、さらにこれも昨日指摘したことだが大きな樹木が見当たらず空に開けていて、過去に雪崩が発生した斜面であることを示唆もしている。この急傾斜は標高差で120m上まで続いており、そこから標高差100mほどはやや緩くなるがさらにその上には標高差で200mを超えるスケールでさらに急な斜面が続いている。自分がこの斜面にもし成木が生えていないことまで見てとったなら、少なくとも大量の降雪直後に近づくようなことは絶対になかったはずだ。報道によれば降雪が続いていて雪崩の発生地点を示す破断面は確認できなかったとのことだが、この斜面で起きたことはまず間違いないだろう。指導教員たち、わけても全体のリーダーを務めたベテランは、これだけリスクの多い斜面をどうして見逃したのか。厳しいようだが、油断というしかないと思う。

 次いで雪崩注意報の話題。マスコミは「警告が出ていたのにそれを無視して登った」との論調で、無謀な行為であったというストーリーを描こうとする。お上のお触れを絶対視するのはいつものことで、これは我がマスコミの悪弊で習性に近いものだ。しかし、あえて言わせてもらえば、雪崩「注意報」程度でやめていたら雪山に登れる機会など事実上ありはしない。登山者個人としての感覚で言わせてもらうが、「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」というか、お上はとにかく警告を出しておけばイザというときに言い訳ができるという感覚で、警報にならない程度のリスクであればと、とりあえず注意報を乱発するのではないか。

 雪崩注意報が出たときの登山者のあるべき行動様式は、さらに一層雪崩に警戒して登るべしに尽きる。これを「登るな」などと受け取るのは事なかれ主義の権威に拝跪し自主性を放棄した堕落であって、限りない自由をこそ求める登山行為への冒涜ではないか。ん~、とはいえ実のところ、最近はそんな素直で良い子の児童生徒のような登山者が増えている気もする。まあ、それはさておき、「注意報が出ていたのに無謀な」というプロトタイプ化したマスコミ報道には、その無知と体制迎合ぶりを嗤ってやればいいだけのことだ。

 最後にビーコンという装備についてだ。正確にはアバランチビーコンというのだが、これを60人を超えるような大パーティーが指導教員も含め一台も持っていなかったことが、けしからんといった調子で報道されている。

 ビーコンは簡単に言えば電波信号の携帯用受発信機だ。通常は発信モードにして雪山登山中は常時身につけている。雪崩が起きて埋まっても電波信号はずっと発信され続けているので、埋まらなかったメンバーは直ちにビーコンを受信モードに切り替え、埋設者のビーコンから発信される信号を頼りに埋設位置を特定し、そこを掘って救助するわけだ。もちろん、全員が埋まればビーコンがあろうがなかろうがお手上げだ。

 雪崩で埋まった遭難者の生死は救出までの時間に大きく依存する。埋設から15分以内に救出したときの生存率は90%を超えるが25分で50%に低下する。とにかく一刻を争って掘り出すほかに埋設者を救出する方法はない。つまり、雪崩遭難の埋設者救出にあっては救助隊など他の支援は当てにできない、現場にいる人間がすぐに掘り出さなければ助からないということだ。とはいっても雪原のどこを掘ればいいのか。やみくもに掘ってもいたずらに時間を浪費するだけだ。ビーコンは遭難者の埋設場所を特定することで、この時間の浪費を防ぐところに最大の使用価値がある。

 だが、言うは易くであって、ビーコンは実際にはかなり訓練を積まないと使用できない道具という一面もある。(これについては以前書いた)。また、その機能からいって、パーティーのメンバー全員が持たなければ意味がない。一部のマスコミが「1台も持っていなかった」とさも呆れたように報じていたが、まさに無知をさらけ出しているようなものだ。1台だけあったって何の役にも立たないんだよこの道具は。さらに、ビーコンは捜索範囲を狭めてくれるだけで、最後にピンポイントで埋設位置を決定するにはゾンデ(プロープともいう)棒を雪に突き刺す必要があり、掘り出すにはもちろんスコップが不可欠だ。これも全員が持参しなければならない。

 ビーコン自体が高価だが、さらにゾンデとスコップを加えると安いもので揃えても5万円くらいになる。これらを登山を始めたばかりの高校生全員に、登山靴やザックや雨具といった不可欠の道具に加えて購入させるというのは非常にむつかしい。すでに冬山にガツガツ登っていた社会人登山者であった自分たちでさえ、ビーコンが世の中に出てきた当初は値段の高さ(当時は今よりもっと高かった)に即金では買えず、ビーコン積立基金を作って春から秋までメンバーから月々金を集めて冬山直前にやっと必要台数だけ購入したものだった。そんな道具を、「高校生や教師全員が持っていないのがけしからん」と報じるのは事情を知らぬにも程がある。これについて報じるなら、高体連等がビーコンを購入しそれを高校生たちに貸し出すシステムをこそ提案すべきではないか。

 ところで、ビーコンに頼らなくても完全ではないが代わりになる方法はある。登山スラングで雪崩紐と称するのだが、ビーコンが出回る前はこれが埋設者特定の道具だった。といって特別山道具の店で購入するようなものではない。荷造り用の赤いテープ紐(50m巻で100円もしないだろう)で十分、雪崩のリスクがあるところを通過するときはこの荷造り紐10mばかりを身体に結び、ずるずる引っ張って歩くのだ。まあ、あまり格好の良いものではないが、雪崩に襲われればこの紐が巻き上がり、運がよければその一部が雪の上に出てくれるだろうという期待を込めてそのカッコ悪さを耐えるのである。もしそうなれば、埋設者の探索は一発ドンピシャで、ビーコンに比べてもはるかに早いはずだ。紐も全部埋まる可能性は否定できないが、ビーコンだって埋設位置が深くなればその場所の特定は非常に困難になり万能ではない。

 しかし、今回のパーティーはこの雪崩紐も装備してはいなかった。雪崩紐は古い冬山の知恵である。若い登山者はほとんど知らないだろう。今回の遭難パーティの指導者も知らなかったかもしれない。だからこそ、こうした古い知恵も含めて、生徒たちを率いる教師やリーダーたちに継承する機会を設けるべきなのだと、昨日の結論を再度述べて結びたい。


 山の話題でもう一枚。こちらは秋の甲斐駒ケ岳(コットマンF4)です。


170305 秋の甲斐駒ケ岳 (2)サイズ



 3月27日朝、那須温泉ファミリースキー場のゲレンデ付近の斜面で、栃木県高校体育連盟主催の春山登山講習でラッセル訓練中の高校生や指導教員が雪崩に巻き込まれ、28日午前時点で8人が死亡、40人が重軽傷を負う大遭難事故が発生した。

 山での遭難事件をウオッチングし続けている者として、雪山で公的機関が行う教育訓練で発生した死亡事故というと、指導教員一人が死亡した1983年の北アルプス五竜遠見尾根での雪崩事故、受講していた大学生二人が死亡した2000年の北アルプス大日岳での雪庇崩落事故をすぐに思い出す。いずれも雪の状態を読み誤ったことが遭難につながったが、今回も同じ轍を踏んだ可能性が高い。

 事故現場に近い観測点では27日1時から9時までに33cmの積雪を記録、また生還した高校生はスキー場に設置したベースキャンプで50cmほどの積雪があったと話しており、季節はずれの大雪が降ったことは間違いない。全国的に一週間ほど前から春を思わせる暖かい日が続いていたが、三日前から冬に逆戻りしたような低温となった中での大雪だった。

 こんな気象条件のときに山にいて想像するのは、気温上昇で表面が溶けた雪の斜面が再び凍るいやらしい雪質だ。積雪の深さ、斜面の向きや斜度などで状態は千差万別だが、おおむねカチカチのアイスバーンか表面だけ凍って中はフワフワに柔らかいいわゆる「モナカ雪」となる。いずれも春山の歓喜のイベントである山スキーには嬉しくない雪で警戒心が高まるが、さらにこれに新しい雪が大量に積もるとなると、心中には表層雪崩の怖さがむくむくと頭をもたげてくる。

 弱層テストといって、雪中に表層雪崩が起きる滑り面の有無を確かめる技術があるのだが、今回のような気象条件であれば、斜面に入る前にその弱層テストを欠かすことは絶対にないだろう。また、弱層テストを行うまでもなく、50cmもの大量の降雪があったとなれば、新しい雪が斜面に落ち着くまでは動かないのが冬山の常識だ。今回、このラッセル訓練では8人の教員が指導に当たっており、冬山のベテランも含まれていたという。なのに、こうした冬山の常識がなぜ顧みられなかったのだろう。

 あくまで現時点での私見だが、「ゲレンデに近い」ということが指導者たちの判断を誤らせた原因ではないか。指導者たちは、当日、本来なら予定していた那須岳への登山は賢明にも中止している。2泊3日の訓練の最終日のことだ。それまでの訓練の内容は現時点で知る由もないが、常識的に考えて恐らくアイゼン歩行やピッケルの使用法、滑落停止法の反復練習や、雪中での幕営方法、生活技術などが教示されたことだろう。那須岳への登山はそうした訓練の仕上げとなるメインイベントだったはずだ。

 それがなくなったとき、もちろんすぐに撤収して帰る選択肢もあったわけだが、リーダーは教育者であるがゆえに余った時間を生徒たちの今後のために活かそうと考えたに違いない。深雪の中に進路を拓くラッセルは冬山技術の中でも最も体力を消耗する辛い作業だが、一面、全身雪まみれになって童心に帰るような楽しさもある。せっかくの春山登山講習、メインイベントであった苦しい登高の末の那須岳登頂の喜びに代えて、苦しくも楽しいラッセルを体験させようとした指導者たちの考え方は理解できる。

 また、那須岳登頂が天候等の都合で中止となる可能性は元々かなり高いわけだから、その場合のエスケーププランとしてラッセル訓練が最初から組み込まれていたこともありそうなことだ。というか、登山計画を立てる常識から言えば当初の行動計画が不能となった際の選択肢を予め決めておくことは必須であるから、当然そうなっていなければならない。この春山登山講習は10年以上の実績があるというから、過去にも那須岳登山に代えてラッセル訓練を行ったケースがあったかもしれない。だとすれば、それも今回の遭難事故の伏線になった可能性がある。

 雪崩が起きた斜面の状況はよくわからないが、映像と地理院地図で確認できる範囲ではスキー場はすり鉢状のなだらかな谷にあって、雪崩が起きた現場はゲレンデ下部から見上げて左側(南側)奥の斜面の疎林。映像ではさらに上は木立が薄く開けているように見える。地図ではゲレンデから奥(東)には水平距離100mで標高差100mになる40度超の急峻な斜面が立ち上がっているから、映像で木立が薄く見えていたのがこの急斜面かも知れない。もちろん、この斜度であれば雪崩が起きることに何の不思議もない。ここで発生した雪崩が下部の疎林にいた高校生らを呑み込んだのだろうか。

 いずれにせよ、現場はレジャー施設であるゲレンデに隣接する、どこにでもあるたいして傾斜のない斜面だ。その斜面自体は雪崩が起きるような場所ではないし、その証拠に成木も生えている。そうした訓練場所への安易な認識が、雪崩への警戒心を緩ませてしまったのではなかったか。さらに、過去、同じ場所でラッセル訓練をしていたとすれば、その慣れから雪崩についてのあらためてのリスク評価もなおざりにされたかもしれない。自然の脅威はそうしたベテラン指導者たちの心の隙を突いたのではないか。

 幕営での寝泊りを含む訓練を指導する教員らには頭が下がる。生徒たちをたくましく育てたい熱意なしには成し得ない、単に山が好きなだけでは務まらない仕事だ。それだけに業務上過失致死傷に問われざるを得ない今回のような事故が残念でならない。本来、決してあってはならない事故だった。だがだからといって今回の指導教員らの判断ミスだけに責任を被せるのも違うと思う。少なくとも公的機関が教育として行う山岳訓練の指導者については、その実力を高めるよう援助するとともに客観的にその力量を評価するシステムが必要ではないか。過去に起きた雪山訓練中の事故ともあわせ、そのことがあらためて問われなければならない。山好きな教師の善意だけに任せる現状のままでは、再びこうした事故が起きることを防げない。文科省と高体連は、およそ登山文化とは無縁な「山岳競技」などという愚にもつかないことにいつまでも執着するのではなく、登山指導者の養成システムをこそ整備すべきなのだ。               (合掌)


 山の話題関連ということで、今回の一枚は「秋の八ヶ岳」(コットマンF4)。東方から望んだ姿で中央が赤岳になります。



170306 八ヶ岳 (2)サイズ



 森友学園問題では主役の籠池氏が国会の証人喚問に立ち、同学園が建設を意図した小学校の土地取得をめぐり、安倍晋三夫妻が関わっていた疑いはますます濃厚になった。昭恵夫人はフェイスブックで否定しているが、であれば何のリスクも負わないフェイスブックなどでなく、自ら籠池氏と同じ証言台に立って正面から対決すべきであろう。

 だいたい、このフェイスブックの文章自体、同夫人の文章とは到底思えない官僚作文で、肝心なところはすべて「記憶にない」として、100万円の寄付も10万円の講演料も「なかった」ときっぱり否定することを巧みに回避していて、反論にもなっていない。というか、きっぱり否定できないのが本当のところなのであろう、関与は明らかだ。安倍はこの問題が浮上した当初、「関与していれば総理大臣も議員も辞める」と明言した。世論を舐めきっていたのであろうが綸言汗の如しである。寄付も講演料も違法ではないが、自らそう発言した限りは辞めるしかない。これ以上、見苦しく醜態を晒すのはやめにしてもらいたい。

 このスキャンダルが従来と異なるのは、この土地取引を巡る一連の格別な便宜供与について、贈収賄といった経済的動機が見当たらないことだ。教育勅語を素読させたり中国韓国を見下したりといった戦前の天皇制軍国主義の価値観を、小学校の公教育を通じて子どもたちに植え付けようという、戦後のこの国の歩みを全否定するような極右的な動きがあり、これを首相夫妻や自民党、維新の党、それに公明党まで加わる国会の多数派が支持するというグロテスクな現実があって、官僚が保身と出世の思惑からこれに迎合し忖度、官僚用語で言えばうまく運ぶよう「知恵を出した」のが恐らくはこの事件の構図である。

 贈収賄の方がマシというのも気が引けるが、金も貰わないのに極右のイデオロギーを信奉する政治家や官僚が以心伝心で、こぞって正規のルールを曲げたり特別な便宜を図ったりする事態の方が、民主主義にとってははるかに脅威ではないか。ここまで不正が明らかになったこの事件で安倍晋三を首相の座から引きずり下ろすことができなければ、この国の民主主義はいよいよ最終的に崩壊の危機に直面することになるだろう。安倍らは幕引きを図るだろうが、籠池喚問は出発点に過ぎないのであって疑惑解明はこれからだ。野党には頑張ってもらいたい、圧倒的な世論は味方なのだから。


 と、前置きのつもりがあまりに長くなってしまったが、ここでめげずに明治維新の続きだ。 前回、明治維新国家はその生成期にあたり、資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたとし、この二者つまりは臣と民との関係は本質的に敵対的であたが、その敵対的矛盾は超絶的地位に君臨する天皇とこれへの絶対的帰依を要求する国教としての国家神道によって隠蔽されていたと述べた。

 明治維新は本質的にはクーデターであり、それは要するにまた薩長を始めとする雄藩連合と江戸幕府に御三家や会津など東北の諸藩との軍事衝突であった。当初は世界の情勢から開国やむなしとしてこれを受け入れる幕府側と、長州藩など時代錯誤な尊皇攘夷派との間での国策をめぐる政治的争点もあったのだったが、攘夷などという非現実的な主張は事態の推移とともにさすがに廃れた。となると残る争点は単に幕府か天皇か、どちらを選ぶかという支配者の選択のみになる。

 といっても、幕府の方は確かに徳川将軍を頂点とする政治機構であり軍事組織であったが、かたや天皇は単に担ぎ出された神輿であったに過ぎず、その実質は薩長雄藩の軍事連合であった。明治維新のとき、天皇はまだ15歳の少年だった。その年齢もさりながら、天皇家が真に政治権力を有したのは奈良平安朝の大昔から「建武の中興」くらいまでのことで、徳川の時代はもちろん、その前の戦国時代、さらに足利時代まで遡っても政治的支配者の地位にあったことはない。たとえば豊臣秀吉にせよ織田信長にせよ、さらには足利の歴代将軍にせよ、利用価値があると功利的に判断して存続を許しただけのことであり、その気になれば天皇の血筋を絶つことなどたやすいことだった。そうした意味で「万世一系」など偶然の産物に過ぎず自慢するに値しないのであって、実際、明治維新当時はそれこそ京都に逼塞する弱小封建領主に過ぎないのが実情だった。

 ただ、戦の旗印として担いだ側には、吉田松陰ら尊皇攘夷時代の思想的リーダーたちが普及した儒教思想の影響もあって、天皇を神聖視する空気が強まっていったのは当然のことだ。だがそれは、生身の政治的実力を有する現実態としての天皇ではなく、あくまで中国古代の尭舜に擬した理念態としての天皇であった。薩長側にしてみれば、要するに担ぎやすい神輿であってくれさえすればよかったのである。

 幕府を打倒し、さらに戊辰戦争に勝利して成立した明治維新政府は、形式の上では天皇を絶対君主として戴きながら、維新戦争で功績があってそのまま政府の高官に横滑りした元武士たちが実質的に全権力を握る。しかし、こうした高官の中には突然手に入れた地位に酔って私腹を肥やす者もあったし、また情実により政務を動かす者もあって、とても清廉とは評し難かったようである。また、廃藩置県や地租改正など、主として資本主義経済の確立のために行われた措置によりそれまでの特権のみならず生活の糧まで奪われた旧武士層、重税を掛けられた農民層らに不満が鬱積していった。要するに、明治維新政府が倒幕軍時代から掲げていた儒教的倫理は題目に過ぎないことが、事実によって明らかになったのである。鬱積した不満が爆発するのは時間の問題であった。(続く)




 さて、近況報告。免疫抑制剤の自分にとっての適量について一応目星がつきましたので、24日の金曜日に退院しました。ということで、この記事は自宅で書いています。今回は23日間の入院でした。その間に、遠藤周作の『沈黙』、ドストエフスキーの長編『悪霊』などの古典や、平野啓一郎のベストセラー『マチネの終わりに』などを読了、水彩F4(33.4cm×24.3cm)を12枚、F6(40.9cm×31.8cm)を2枚描きました。ほかにこのブログも6回ばかり更新しましたので、結構忙しかったです。

 で、その水彩画から一点、今回もモチーフはテキストからで「ブルターニュの農村」(F4)です。

170304 ブルターニュの農村 (2)サイズ







 世の耳目が安倍友じゃなかった森友学園問題に集中的に吸引される一方で、共謀罪を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が閣議決定、残業時間を制限するという看板でその実過労死ラインを超える残業を許容する労働基準法改定で政労使が合意(これに合意した連合は労働者の敵ではないか)、その他、それこそ安倍友の加計孝太郎氏がトップの加計学園が今治市にタダで土地を提供してもらうほか公金大盤振る舞いで獣医学部新設とか、その前に淡路島の南あわじ市では加計氏関連でこれまたタダで土地を手に入れすでに大学が開設されているとか、もう次から次へ息つく間もなくトンでもないことが続発してくると、もうなんというか、怒りも対応しきれなくなって慣れという一種の無気力状態に陥りそうになる。しかし、このような無茶苦茶に慣れて黙ってしまったら民主主義は終わりだ。民主主義というのはしんどいものである。ことに、安倍晋三なんてロクでもないやつが首相になっているようなとんでもない国では。

 さて、前回の続き、マックス・ヴェーバーが言うように、資本主義の精神とは要するに合理主義である。合理主義は個人に即していえば利己主義と言って差し支えない。ここで詳しく紹介する余裕はないが、例えば資本主義経済学の始祖アダム・スミスは大要、「資本主義的人間とは自分の利益を最大限にすることを行動の原理としており、そうした個々の利益を最大化しようとする行為の集積が「神の見えざる手」が働く市場の機能を通じ、結果として社会を豊かにしてゆく」と述べている。

 だが、個々による最大利益の追求は、他の個による同様の行為と衝突するケースが当然のことながら考えられる。これを調整するルールを成文化したのが法律だ。法律はその当事者たる社会の成員あるいはその代表者が自ら作り、警察や裁判処や監獄といった司法の強制力を持って社会の成員にその順守を強要する。これが近代的法治国家というものだ。

 大久保や伊藤ら欧米を詳しく視察して帰った岩倉使節団のメンバーは、さっそくこうした法治国家の建設に着手する。しかし、法律自体や司法の体制などは欧米の真似をすればできるが、それに従う資本主義的個人などというものがそう簡単には作れるわけではない。最大利益の追求という利己主義を行動原理とし法律に従って行動する個人など、当時のエリートはともかく、農山村で暮らしていた圧倒的多数の日本人には想像を絶する存在だった。彼らが暮らす小さな血縁地縁集団では、長い集落生存のための試行錯誤の結果たどり着いた不文律のルール、まず村全体の利益を優先しそのことが結果として個人の生存を保証するという理念に基づく「習俗のルール」が、違反者に対しての村八分という制裁を伴って維持されていた。

 「結い」といいあるいは「もやい」といい、村落共同体が日本社会の基本構造をなしていた当時に行われていた田植えや道普請の共同作業が今日、温かでうるわしい人間関係として評価され、しばしば市民運動や市民の共同の取り組みに「結い」などの呼称が持ち込まれていることはご存じのとおりである。それ自体はもちろん結構なことだと思うが、かつてこうした共同作業への参加は絶対的な強制であり、それに従わない者には厳しい制裁が加えられたことも記憶しておくべきであろうとは思う。

 逆に言えばこれら「習俗のルール」に従っている限り村落共同体の人間関係は基本的に平穏であり、衣食住もそれなりに充足して、豊かとはいえないまでも、鎮守の村祭りを頂点とする多くの年中行事イベントを楽しみ、それを通じて隣人らとの間に濃厚で親密な相互理解を構築し、破たんなく暮らしてゆけたのである。ただ、そこに個人の自己決定権はなかった。プライバシーもないに等しかった。明治以降の日本近代文学最大のテーマが、こうした社会や家に没却した個の発見や脱出であったことを思い起こせば、それが当時の日本人、特に自我に目覚めた知識人にとりどれほど切実な問題であったかが理解されるだろう。

 さて、日本に資本主義が成立するためには、その担い手である労働者がそうした村落共同体の紐帯つまり「習俗のルール」から離れ、日本資本主義の「一般ルール」である法律に従うようになってもらう必要がある。とはいえ例えば「習俗のルール」では個を主張することはタブーだったのだ、まして個人の利益を最大限にするよう行動するなど人の道に反する。当時の日本はすでに初等教育の普及で世界有数の地位にあったが、徳育の軸に置かれたのは儒教思想であり、これも「習俗のルール」と親和性が高かった。

 そこで採用されたのが、天皇を親とし国民をその子とする壮大な疑似家族の虚構だった。早い話、これが国家神道という新興宗教なのである。この新興宗教の本質は、これまで農民が従っていた習俗のルール、つまり村落の維持存続を最大の目的として個が全体の利益に奉仕することを軸とする行動倫理、これをその倫理観は維持したまま国レベルまで拡張することであった。最大目的たる「村落の維持存続」は国体護持に拡張されたわけだ。その国体は神の子孫である天皇が親として日本という巨大な共同体を治めるという虚構であり、天皇の子たる臣民はこの国体を護持するために個を捨てて命がけで奉仕することとなる。まさにいまはやりの教育勅語そのものだ。たしかにこれは、合理的な人間の創造とか個の自立などといった面倒を省けるばかりか、より体制に従順で利潤の最大化に便利な労働者を生み出すのに効果的な方法であった。 

 かくして明治以降の日本には、政府中枢を占める高級官僚らテクノクラートと実際に資本主義生産を行う大企業のリーダーや投資家、財閥関係者たち、つまり資本主義の精神を完全に理解し実践する少数のエリートと、天皇を親とする国家神道に洗脳されることで本質的に村落共同体時代と変わらぬ意識構造のまま資本主義的生産関係に組み込まれた圧倒的多数の労働者大衆という、二層の人間集団が作られたのである。臣民と一口に言うが、臣と民は異星人ほども異なる価値観を持っていたわけだ。この両者の価値観はもちろん本質的に敵対的である。だがそうした敵対的矛盾は天皇への帰一を全国民共有の価値観として強制する国家神道によって隠蔽されていた。こうした臣と民との国民の二層分解。その始まりにあたり、民の立場から臣に異議を唱えて蜂起したのが西郷隆盛だったのである。

 
 今回も絵のモチーフは奥津さんのテキストから引用。タイトルは「鈍色(にびいろ)の空の下・サンマルタン運河余情」だそうです。用紙はコットマンF4


170319 鈍色の空の下・サンマルタン運河余情 (2)サイズ
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