前回の投稿から二週間も経ってしまった。同じテーマで連載するのだから、一週間に2本くらいのペースで書こうと思っていたのだが、またぞろ入院する羽目になって何かと気ぜわしく、すっかり間延びしてしまった。

 今回の入院は薬を切り替えるためのもの。1月に襲われた気胸は間質性肺炎治療のため服用しているステロイドのせいで治りにくかったが、ステロイドは気胸の原因になることもあるらしい。続発性気胸はただでさえ再発率が高いところ、ステロイドのリスクまで加わるとさらにヤバいので、ステロイドは止めるか減らすに越したことはない。しかし、急に減らせば急性増悪といってこれまた生死に関わる事態を招来しかねないし、ステロイドに代えて投与する免疫抑制剤ネオーラルも個人差が大きい強い副作用がある薬なので、安全のため医師が常時管理できる状況で切り替える必要があるという。それが今回の入院の目的だ。というわけで、3月2日から再び入院生活を送っている。

 不治の病に目をつけられた病人であることに変わりはないが、だといって特に体に不調があるでなし、検査や採血もするでなし、気胸で担ぎ込まれた時に比べれば気楽だがなかなか文章を書こうという気にはなれないものだ。そこで読書と水彩で時間を潰す。読書は映画化されて話題になっている『沈黙』など遠藤周作の作品やドストエフスキーの作品でまだ読んでいないもの。水彩は病室で描く制約もありF4と小サイズだが3枚を仕上げた。でもってこの勢いで県の地球温暖化関係の定期情報誌に連載している小さなコラムを締め切りに追われて書いて、ようやくこのブログを書く元気が出てきた。

 さて、前置きが長くなったが前回からの続きである。前回紹介した山本七平の『空気の研究』は山本独特の冗長な公害反対運動へのイヤミや本筋からはどうでもいい宗教改革の弁明などが長々とあって、本題だけならたぶん三分の一くらいの分量で書けるだろう内容だが、その場の「空気」が作られるメカニズムや空気に「水を差」してこれを打ち壊す「水」の作用、そしてその水がまた新たな空気を作ってゆくメカニズムなどの説明には独創性がある。

 そこでまた森友学園の話題だが、ご承知のとおり同学園が経営していた幼稚園では園児たちが毎日教育勅語を奉読しており、これを見た安倍首相夫人はじめ右翼文化人の面々が一様に講演や談話等でこもごも強く感動した旨を述べておられる。理解力もなく抵抗する術もないいたいけな子どもたちにこんなものを暗記させ唱和させるというのは虐待にほかならず、もとよりこうした偏向が公教育で認められるはずもないがそれはさておき、どうしてこの連中は教育勅語というとかくも一様に感動するのか。

 これも空気の支配というものなのだろう。教育勅語はまさに戦前の日本を象徴するシンボルであり、その戦前の日本を「美しい国」と思い「取り返し」たいと願う少々アタマのいかれた御仁には日の丸同様神聖にして侵すべからざるものである一方、リベラルや左翼にとっては戦前のシンボルゆえ不倶戴天の敵と蛇蝎のごとく嫌われている。

この「蛇蝎のごとくに嫌われる」というところが結構重要であって、右翼ご一統にはこの嫌悪感こそ戦後教育の悪しき遺産なのだという跳躍論理も手伝い、より一層ありがたみが増すという関係にある。つまり、教育勅語は一種の踏み絵であり、この国の主流派であることの証明はこの踏み絵を有り難くおし戴くことでなされるという「空気」があるのだ、そして「蛇蝎のごとくに嫌う」のはいわば「水」であり、この水の存在ゆえに空気はより一層強固にそれを戴くものたちを強迫的に支配する構造にあるのだろう。教育勅語への愛着はお仲間であることを確認する符丁のようなものなのだ。

 さて、彼らを結ぶ紐帯は基本的には国家神道というものであるはずである。国家神道とは記紀神話という創世物語を根拠に神の子孫である万世一系の天皇がこの国とそこに住む人々を統べるという非科学的な虚構だが、まあ宗教というのは国家神道に限らずすべからく基本的には非科学的虚構であるのだからして今は問わない。というか、問うても無駄である。それより問題は教育勅語だ。これは冒頭に「朕惟フニ」と語りかけ末尾に御名御璽があるからっといってもちろん明治天皇御製ではない。成立に至る細かい経過は省くが、最終的に世に出た勅語の文案を書いたのは井上毅内閣法制局長官と明治天皇側近の儒学者元田永孚(ながざね)の二人であったことが分かっている。

 井上は日本の教育制度その他に大きな足跡を残した官僚政治家だが、その思想的ルーツは儒学分けても朱子学であった。つまり、教育勅語は二人の儒学者によって書かれたのであり、その内容もまた儒教倫理そのものである。で、儒学といい儒教といい中国から伝来したものであることは言うまでもない。その中国直輸入の儒教倫理を書き記した教育勅語を天にも持ち上げてありがたがるその口で「チャンコロ」だの「シナ人」だのヘイトスピーチが出てくる脳みそというのは一体どんな構造をしているのか。滑稽極まれりというしかない。まさかとは思うが、もしかしてこのご一統、孔子が日本人だなんて思ってないだろうな。

 ついでの話だが、天皇家に仏壇はあるのだろうか。回答から言えば明治4年(1871年)までは宮中の黒戸の間に仏壇があり歴代天皇の位牌が祀られていたのである。法事も仏式で行われおり菩提寺は京都の泉涌寺だった。つまり、明治天皇を含め歴代天皇は仏教の檀家さんだったのであるが、さてそれが国家神道の教祖としての現人神と二足のわらじで両立できるものか。

 政治的無関心甚だしいのんきな国民をなにがなんでも中央集権国家に思想動員する装置として作ったのが国家神道という新興宗教だが、肝心の教祖が異教徒では話にならない。というわけで維新政府は明治6年、千年以上にわたる天皇家の仏教信仰を禁じ、仏壇や位牌は泉涌寺に引き取らせて新興宗教に改宗させたのだ。この新興宗教に軍部が悪乗りしそれからわずか70余年で日本は壊滅、昭和天皇の「人間宣言」をもって国家神道も最終的に破綻した。

 つまり、国家神道なる新興宗教の命脈はたった100年ももたなかったのだ。これが「日本の伝統」などちゃんちゃらおかしい。日本にはアニミズムと地祖霊信仰、仏教、儒教そしてキリスト教その他、多くの在来外来の宗教と文化が出会い形作られてきた長く豊穣な歴史がある。天皇のために死ねというほかは教義も定かでない怪しい明治新興宗教一色でこの国の姿を語るなど言語道断、少しは日本史を勉強してから発言してはどうかと思う。

 もうひとつついでの話、「現人神」というけれど、明治、大正、昭和の「現人神」三代にわたり、自ら「朕は神であるぞ」などと発言した例は一度たりともない。天皇は明治維新政府によって力尽くで改宗させられ、自分じゃそんなことカケラも思っちゃいないのにいつのまにか「神様」に祭り上げられ、その自分では思っても言ってもいないことの責任を取って戦後、「実はワタシ人間ですんねん」と、国民に向かって告白せざるを得なかったのだ。考えてみればまことに気の毒な話なのであって、他人のせいで赤っ恥もいいところだ。天皇陛下をかくも粗略に扱った無礼千万な国家神道こそ不敬の極みではないか。真の右翼ならこれをこそ粉砕の対象とすべきではないのか。手始めに靖国神社の解体あたりから手をつけるのが妥当かと思う。

 ん~、森友学園の話に少しでも触れると、それ自体の異常さトンデモさもさりながら、これに群がる右翼愛国者の皆さんの世にも情けない知性にひとこと言いたくて、つい横道にそれてしまうのだなあ。さらに書き進んでもいいが、あまり長くなると読んでもらえないし、安倍晋三記念小学校のせいでまことに困ったことである。とはいえ、ちょうど明治維新の話題も出たので、次はこのあたりを接ぎ穂にして西郷隆盛のことなど書いてみよう。




 前回の記事で、「POST TRUTH」と呼ばれるような「気持ちよい嘘」が「不都合な真実」より選好されるような世論の傾向が、世界で反理性的な選択を招き、多くの国で国民の分断を引き起こしまた国際関係を危うくしていることに触れ、これが欧米よりもむしろ日本で先行して発生してきたことを述べた。また、こうした変化が世に言われるメディアの右傾化や、日本会議やネトウヨなど草の根右翼の策動の結果ではなく、むしろそれに先立つ国民意識の変貌こそがこれら、従来は水面下に隠されていたグロテスクで偏狭な劣情が社会の表層に溢れ芽吹いてゆく温床となったのではないかと指摘した。

 では、ここにいう国民意識の変貌の本質は何か。もちろん私見だが、結論から言えばそれは端的に「共同性への渇望」ではないかと考えている。

 現代の排外主義的な社会の空気は戦前のそれによく似るという。これに関連してだが、いま巷間最も注目されるニュースは、大阪府豊中市の国有地が「瑞穂の國記念小學院」建設用地として「森友学園」(籠池泰典理事長)なる学校法人に、ほとんどタダ同然で譲られた事件だろう。

 同法人が経営する塚本幼稚園では愛国教育の名のもとに、判断力もない幼児に教育勅語の唱和や軍歌の合唱をさせるなどというとんでもない偏向刷り込み教育が行われているのだが、その一方で副園長(籠池理事長の妻)は園児の母親である韓国出身女性に読むに耐えないほどひどい差別文書を送りつけていた。報道によれば園長でもある理事長は園児たちに「差別はいけない」と訓示していたようだが、その園長も中国人、韓国・朝鮮人に対する嫌悪感をむきだしにしている。彼らの感覚では中国人や韓国人は差別してはいけない人間には入らないようなのだ。

 ことほど左様に愛国とレイシズム(人種差別主義)は親和性が高い。その媒介項は他を貶めればその分だけ自分が浮上するというなんともわかりやすくも卑しい感覚だ。また、籠池理事長は「瑞穂の國記念小學院」のホームページに掲載した挨拶で「世界で歴史・伝統・文化の一番長い國である日本」とか「その中で積み上げてきた日本人のDNAの中に「人のために役立つ」という精神が刻み込まれている」とか、歴史的科学的に明らかに誤った「ニッポンすごい」の妄言を書き連ねている。ここには、愛国、レイシズム、ニッポンすごい、というこの国における反知性的「POST TRUTH三点セット」が絵に描いたように見事に陳列されている。

 なお周知の通り、同じホームページでは理事長のこの呆れ果てた非科学的妄言の上に麗々しく、この妄言の主の「熱き思いに感銘」した(これだけで知性のほどが察せられる)という「安倍昭恵先生」が「安倍晋三内閣総理大臣夫人」の添え書きつきで名誉校長就任の挨拶を述べているし、建設募金を「安倍晋三記念小学校」で集めていたこともわかっている。全貌解明はまだこれからだが、国有財産の闇贈与ともいうべき異様な事件の背景にこうした事情が絡んでいないと思う方がどうかしているというものだろう。

 さて、話が少し横道にそれたが、この瑞穂の國記念小學院のホームページに典型的にみる愛国、レイシズム、ニッポンすごいの反知性的「POST TRUTH三点セット」は、戦前の日本であれば、滅私奉公忠君愛国の教育勅語イデオロギーと、日本を頂点とする八紘一宇の帝国主義的民族差別と、そして万世一系の神の国という歴史の検証に到底耐えない虚構との三点セットで構成されていた。

 日本はこの国民的狂気に支配されてあの無謀な戦争に突入し、そして当然のことながら完膚なく叩かれ、徹頭徹尾破壊され、蹂躙され、破滅したのだった。周知の通り、東京裁判ではその首謀者たちが戦犯として裁かれた。だが、彼らは本当に戦争の首謀者と呼ばれるほどの能動的実在だったのか。例えば東条英機その他の「平和に対する罪」を犯したとしてA級戦犯とされた人々がいなければあの戦争は回避できたのか。自分にはどうもそうとは思えない。

 歴史における個人の役割を否定するものではないし、開戦に至る局面でその決定に参画する立場にあった政治家や軍人個々の意識や主張が最終決定に影響を与える可能性はあったはずなのであって、であればこそ勝者による一方的な裁きではあれ東京裁判の判決もやむを得ないとは思う。だが、先に書いたPOST TRUTHに囚われ、暴支膺懲(ぼうしようちょう=「暴虐な支那(中国)を懲らしめよ」という意味)や鬼畜米英を叫んで熱狂し陶酔する世論に身を持って抵抗する術は、誰が指導者であれすでになかったのではないか。

 山本七平(故人)という在野の社会学者(と敢えていう)に『空気の研究』という著書がある。詳しく紹介する余裕はないが、この本の中で山本は、戦術的にはどう考えても全く無意味な戦艦大和の沖縄特攻が、戦術や海戦の素人ならぬエキスパートたちによりまったく非理性的に決定される経過などを分析し、その決定に与ってもっとも力を発揮したのが「空気」であったことを紹介している。

 ただし山本は経済や科学技術には暗くまた独特の偏見もあって首肯しかねる記述も多い。例えば同書出版当時の革新自治体による自動車の排ガス規制を非科学的な魔女裁判呼ばわりし、これが日本の自動車産業を衰退させ巷に失業者を溢れさせると説いたが、厳しい排ガス規制をクリアした日本車は山本の予想とは正反対にこの技術をバネに世界を制覇している。こうした見通しの頓珍漢さや一方的な決めつけには毎度辟易させられるのだが、それでも日中戦争や対米英戦争の開戦などという歴史の決定的局面や天皇制への狂信などについて、「空気」が果たした機能を鋭く指摘した卓見は高く評価されねばならないだろう。

 いまもその「空気」こそが問題なのだ。いまこの国を覆いつつある不寛容な空気。それはかつて戦争の破局に転落していったこの国の空気と不気味な相似形をなすように思われてならない。次は山本の見解も参照しながら、戦前から今日に至るPOST TRUTHの「空気」を考えてみたい。



 英国が国民投票の結果EUから離脱し他のEU諸国でも極右や離脱派が台頭、米国ではトランプが大統領に就任した。選挙制度の当否はとりあえず問わないとして、このように国民規模で理性的とは思えない選択が繰り返される現状について、「post truth」という言葉が引用される機会が増えている。「脱真実」とでも訳せばよいのだろうか、2016年の「今年の単語(Word of the year)」に選んだ世界最大の英語辞典であるオックスフォード英語辞典はこの言葉について、「与論形成において、客観的事実が感情や個人的信念に訴えるものより影響力を持たない状況」と説明している。

 英語と日本語ではたぶんニュアンスが違うのだと思うが、正直なところ「真実」という言葉は情緒的で好きではない。「今は昔」の話になってしまうが新聞の編集に携わっていた頃、部下の記者たちには事あるごとに「事実」のみを書けと繰り返し言ってきた。自分の感覚では「真実」という言葉には現に生起した事実に加えての何か、例えば取材した記者の思い入れ、感動であったり怒りであったりといった感情や、事実の見方に影響を与えるその他の要素が添加される印象がある。

 記事を読んで共感したり怒ったりするのは読者の権利であって、それを先走ってリードするのは越権も甚だしい。記者はただ地域を這い回って確実な事実を集め、それのみを読者に提供することにプロとして徹するべきなのだ。だが徹したとしても、報じる事実の選択で記者の意識のフィルターが掛かることは避けられない。であればこそなおさら、「真実の報道」などという気持ちの悪いナルシズムに流されぬよう、事実のみ、事実のみと念仏のごとく自分に命じていたものだった。

 そういう感覚からすれば現状は「脱事実」、「post fact」と言ってもらったほうが自分としては胸に落ちる気がする。ま、昔話はこれくらいにして、そう、「事実」より「気持ち良さ」が選択されるのが現代世界のグロテスクな特徴なのだろう。そしてこれは、英国や米国より日本ではより早く、小泉純一郎が政権についた2001年頃から露頭し、現在の第2次安倍内閣においてまさに猖獗(しょうけつ)をきわめるに至っている。

 安倍晋三というある種特異なキャラクターがまるで息をするように次々に発する嘘、あの東京オリンピック招致演説で発した福島第一原発の放射能が「アンダーコントロール」にあるという、聞いて目が点になると同時に世界に赤面した超弩級の嘘を始めとして、ここに枚挙の暇もないほどの嘘が撒き散らされるにも関わらず、彼の支持率は一向に下落する気配がない。ひと昔前であれば政治家として命取りになったような嘘が容認されるばかりか、むしろ支持すらされるという現象をどう評価すればよいのだろう。

 また、南京大虐殺、従軍慰安婦、朝鮮人強制連行など、被害者数や被害内容に議論はあるにせよ、こうした事件があったこと自体は動かない歴史的事実として定着している問題についても、いまだアパホテルの元谷外志雄社長によるトンデモ本を始め、歴史修正主義の言説が聞くに堪えないヘイトな罵詈雑言を交えて絶えることなく現れ、それがトランプの顧問ケリーアン・コンウェイの迷言である「alternative fact」(オルタナティブファクト=もうひとつの事実)として、ネトウヨから広く拡散され共有されそして定着している。こうした巷間での右翼的歴史修正とヘイトの潮流は首相が上から撒き散らす嘘と共鳴する関係にあり、全体としてpost truthの社会的空気を醸成している。

 しかし、なぜこのような反理性的で馬鹿げたデマが、義務教育が普及し高学歴の人も多い高度知識社会で受け入れられまかり通るのか。ジャーナリズムが役割を果たしていないという声は多い。たしかにそれは大きな要因ではあるだろう。現政権はメディア対策を非常に重視しており、例えば高市総務相による電波停止の脅しの一方、恒例となっているメディアと首相の会食など、アメとムチを巧妙に使い分けてその支配を貫徹しているし、一方商業メディア側にはジャーナリズムに徹して貧乏くじを引くより「長いものには巻かれ」て保身を図る空気が支配的だ。

 それが国民意識に影響を与えていることはもちろんあるだろう。だが自分にはもっと深い原因があるように思われてならない。むしろメディアは、国民の中にあるpost truthの空気を敏感に反映して、これに応えようとしているのではないか。自分は絶対に視聴しないが、いまテレビで毎日のように放映される「ニッポンすごい」「ニッポン偉い」番組が高視聴率を取って隆盛するのを見るにつけ、こうした厚顔無恥と評するしかない露骨な自画自賛を多くの国民が求め支持している現状を認めざるをえないのだ。

 日本の汚点をマスキングする歴史修正と「ニッポンすごい」の自画自賛はコインの表裏の関係にある。事実より気持ちよさを選好する国民の深層意識とこれに迎合しさらに煽り立てるメディア、右傾化しデマゴギー化する政権、そしてネトウヨなど草の根の歴史修正主義とはびこるヘイト、これらが相互に影響しあい、増幅しあってこの国を反知性主義の方向に転落させつつあるのが現代という時代なのだろう。その行き着く先に何が待っているのが、想像するのもおぞましい。 が、といって自分も生きているこの国が再び破滅するのを黙って放置するわけにも行くまい。と、身動きもままならぬ病身ながら分不相応に考えてはみることはあるのだ。 といった次第でしばらく、現在社会の意識や構造について思うところを連続して書いてみたいと考えている。




  また前回の更新から時間が経過してしまいましたが、今回は忙しいのなんのという話ではなく大変な事態でした。

 正月三が日、体調を考え一歩も外出することなく自宅で過ごして迎えた5日朝、突然の呼吸困難に陥り、救急車で和歌山市内の日赤和歌山医療センターに搬送されました。

 とにかく息が苦しくて仕方がない。例えていえば海底で溺れて息が尽きかけているのに、体の一部が何かにひっかかって浮上できず必死でもがいている感じでしょうか。しかし意識は極めて清明で、「ああこのまま命が終わってしまうのかもしれないな」と、苦しんでいる自分を天井からもうひとりの自分が冷静に観察しているような不思議な感覚がありました。こうして自分を見つめている「超自我」とでも呼ぶべきものの存在については、講演するときなど何度も経験した感覚でしたので驚きはなかったのですが、その超自我が「命のあるなしの境界は意外に低いものなのだなあ」「この意識もその瞬間にはテレビのスイッチを切ったように一瞬で暗黒になり、そしてその暗黒を認識する自我も同時に消えて意識することすらないのだな」なんてことを考えていました。
 
 そんな超自我を道連れに救急車に乗せられてから病院までをなんと長く感じたことか。アスファルト道路の細かい凹凸を踏むタイヤの振動がいちいち身体に応えます。救急隊員がしきりに酸素を吸入させようとしてくれるのですが、それで楽になるなんてことはなく、むしろ息苦しさが募り煩わしいだけで払い除けたりしていました。到着した病院でも同じ調子でしたが、少し落ち着いたところでレントゲンを撮り、続発性気胸であることがわかりました。

 気胸とは何らかの理由により肺にブラと呼ばれる風船状の袋ができ、そのブラが破れて肺から漏れ出した空気が胸腔内に溜まり、その空気に圧迫されて肺が縮むことにより呼吸困難を引き起こす病気です。「続発性」とは、私のように肺疾患があって、それを原因として起きる気胸を指します。

 ともあれ、呼吸困難の原因は判明しましたので、直ちに空気を抜くためのドレーン(チューブです)を胸腔に差し込む措置(胸腔ドレナージというそうです)が取られました。この朝、急患を担当しておられたのはたまたま家族が知り合いの女医さんで、冗談を言いながら手早く処置をしてくださり、その処置が終わった瞬間、まるでウソのように呼吸が楽になりました。とりあえず窮地は脱したことになります。それから一日救急病棟で経過を観察したあと、異常なしとのことで一般病棟に移動しました。

 とはいえ、とりあえず症状は落ち着きはしましたが肺には穴が空いたままですから、これを閉ざさなくてはなりません。確実なのは手術ですが、私の場合、持病の間質性肺炎があるため手術の刺激などで急性増悪を起こす恐れがあることから、できれば避けたいというのが主治医の考え方です。そこで、胸腔に差し込んだドレーンから薬剤や自己血を注入し、肺を周囲と癒着させて穴を塞ぐとともに肺がしぼまないようにする「胸膜癒着術」が第一の選択肢となりました。

 ということで6日から9日までのワンクール、まず間質性肺炎を悪化させる恐れのない穏やか目の薬剤を1日に1回注入、しかし効果がないため、10日には自己血50㏄を注入しました。血液はすぐに固まる性質を利用しようということで、要するにカサブタで肺と胸腔をくっつけるわけです。しかしこれも効果なし。

 私の場合、間質性肺炎ですでに線維化した肺が硬くて癒着しにくいことに加え、間質性肺炎の治療にステロイドを服用していることが問題でした。薬剤を注入するのは組織に人為的に炎症を起こさせて癒着させることを意図しているわけですが、一方ステロイドは炎症を抑える薬ですから、これを服用している限り薬剤の効果は減殺されてしまいます。しかし、ステロイドを直ちにやめることは、かなりの高率で急性増悪を招く恐れがあり不可能です。まあ、あちらを立てればこちらが立たず、二律背反の厄介な症状なのです。

 ワンクールで効果がなかったため、最悪は手術となることを踏まえて16日に予約を入れる一方、奇跡を信じて11日から13日の第2クールは、間質性肺炎を悪化させるリスクはありますがやや強い薬の注入を続けました。そして12日、その効果があったか空気漏れが解消し、主治医も「これはミラクルかもお!」と喜ばれたほどで、一時はその週末の退院も展望したのですが、さらに念を入れてと前回の倍量の自己血を注入した14日の夜半、空気漏れが再発し、高まっていた退院への期待は裏切られました。こうして手術が不可避となったわけです。

 16日、手術は胸腔鏡下で実施されました。とはいえ全身麻酔でしたので、手術台の上で「麻酔入れま~す、眠くなりますよ~」という声を聞いて以後、自分にはなんの記憶もありません。目覚めれば手術は終わっていて、全身チューブとコードまみれになっていたというだけのことです。手術は無事に終わったとのこと、幸い、痛みも軽度でした。なにはともあれ恐ろしい急性増悪を警戒して一晩をICU病棟で過ごし、その恐れがなくなった翌17日午後、一般病棟に戻りました。

 術後の経過は順調で、主治医ともこのぶんなら週末にも退院できると話し合っていたところ、19日になって空気漏れが再発しました。微量なのですがこのままでは退院できません。今回もまた淡い期待はぬか喜びに終わり、また20日から23日まで薬剤の注入を再開、24日には自己血を注入、それでも空気漏れが完全にはなくならないため、さらに25日、26日は別の薬剤を注入、こうした努力の末に25日でしたか、どうやら空気漏れがなくなり、27日、ようやくドレーンを抜くことができました。やれやれです。なお異常がないか様子を見て退院は29日、救急車で運び込まれてから25日です。いやあ、長かった。

 退院してからも外出は控え、自宅に引きこもってもっぱら読書をしたり水彩画を描いたりしています。水彩画は、登山も森を歩くこともできなくなった自分にできることはないかと考え、昨年4月から半世紀ぶりに絵筆を取って手習いを始めた新しい趣味です。今回の入院でも、二回も期待を裏切られたとき、もう家に帰ることは考えず、この病院で暮らすつもりでいようと決めて病室に画材を持ち込み、3枚ばかり描きました。で、まあ、ホント下手ですけど、近いうちにこのブログにアップしようと思っています。乞うご期待です。あはは。(^_^;) 




 また時間が無為に経過。というか、この間、またも結構長期間入院することになり、おかげでまあ、時間は有り余るほどあったのですけれど、文章をつづるような気分にはなかなか・・・  入院するくらいですから病状はあまり思わしくはないのですが、生来ほんと気楽な性分ですので、別に落ち込んでいるわけではありません。 でもねえ、文章を書くってそれなりに気力が充実していないと難しいんですよねえ。 というわけで、とりあえずはまた植物の話。 以下、 『紀峰の仲間』に連載中のコラムです。


植物百話 9

    「山眠る」季節の椿と山茶花

 歳時記に冬山を評して「山眠る」という季語が収められています。中国北宋時代(11世紀)の山水画家「郭熙(かくき)」の息子「郭思(かくし)」が、偉大な父の理論や言葉をまとめた画論集『林泉高致集』にある「冬山惨淡として眠るがごとく」が、この季語の起源といわれています。さて、ここで「惨淡」は日本語ではまず使わない言葉ですが、「薄暗い」とか「うら寂しい」といったニュアンスの漢語。しかし、まぶしく輝く白銀の山稜にも風雪が荒れ狂う尾根にも、さらには葉をすっかり落としてやたら明るくなった低山にも、「眠る」なんてイメージは全くありません。

 中国の冬山、雪こそ日本の豪雪地に比べれば少ないでしょうが、その姿が日本とそう違うようにも思えません。郭煕は先の画論集の「山水訓」の項で「自然を理解する最良の方法」について述べ、「自らこの山に遊んで観察すること、そうすれば山水の姿がありありと胸中に展開する」としており、実際、自身山中に良く遊び、山や自然の姿やその摂理に深く通じていたと伝えられています。まあ、我らと同じ部類の山好きだったのでしょう。してみると、その山に詳しい郭熙があえて「山眠る」の言葉で表現し主張したかったのは冬山そのものの有様というよりは、冬山を筆で水墨の世界に再現して描くメソッドというか定石や心得といったものだったのではないでしょうか。

 私たち山屋が「山眠る」の言葉で思い浮かべるのは冬山自体ではなくむしろ、冬の山における生命の営みの静けさでしょう。冬山では多くの動物が姿を隠して冬眠し、植物は雪に埋まるか多くは葉を落とし、また常緑樹でさえも光合成を止めて、ほとんどの植物はまさに休眠しています。いずれも、厳しい寒気や乾燥への生命体として懸命の適応であり、その適応がやがて歓喜の春に繋がってゆくのですが、それまでを沈黙のうちに耐えしのぶ姿はまさに「眠る」の表現がぴったりです。

 さて、そんな生命感に乏しいこの時期、紀州など雪のない低山で鮮やかに開花して生命を主張するのが椿(正確にはヤブツバキ)ですが、このツバキを山茶花(サザンカ)と識別するのはなかなか難しい。いずれもツバキ科ツバキ属で赤い花も葉もそっくりです。ちなみに学名はツバキが「Camellia japonica」でサザンカが「Camellia sasanqua」。「Camellia」はツバキともサザンカとも訳されますので、直訳すれば前者が「日本のツバキ」、後者は「サザンカのツバキ」又は「サザンカのサザンカ」って訳のわからないことに。まあ、学名にも互いがそっくり似ていることが反映しているのでしょう。

 ごく常識的な話をすれば、サザンカが咲くのは10月から2月、一方ツバキは12月から4月ですので、10月から11月に見るのはサザンカ、3月以降に見るのはツバキと判定して良さそうですが、両者がダブる12月から2月は何らかの方法で識別する必要がありますし、カンツバキといって真冬に咲くツバキもあれば春に咲くサザンカの品種も出回
っていますから、開花時期だけで最終判定はできそうにありません。その園芸品種、サザンカでざっと300種、ツバキはなんと6000種に及ぶといいますから驚きです。

 とはいえ、よく似た花もよく観察すれば違いがあります。ひとつは雄しべのつき方で、ツバキの雄しべが根元で合着しているのに対し、サザンカのそれは分離しています。もっと詳しく調べるとツバキの子房は無毛ですが、サザンカの子房には毛が生えていることがわかります。従って子房が成熟してできる実も同様、ツバキは無毛でサザンカには毛が生えています。またツバキは花がひとまとめにボトッと落ちるのに対しサザンカは花びらが一枚一枚散ってゆきます。ですから、花さえ落ちていれば識別は簡単です。

 さらに次の手段として葉に注目。ツバキの葉はサザンカより一回り大きく、肉厚で光沢があります。ツバキの語源は「厚葉木」(アツバキ)とか「艶葉木」(ツヤバキ)いわれるほどです。またサザンカの葉は鋸歯(葉の周りのギザギザ)が鋭く、葉の付け根や若枝には毛が密生しています。さらに太陽にかざしてみると、ツバキの葉脈が黒く見えるのに対しサザンカは白く見えます。花より葉のほうが識別は容易かもしれませんね。ついでながらサザンカの語源は、中国で山で生える茶の木を意味した山茶花をサンサカと読むべきところ、次第に「ン」と後の「サ」が倒置して発音されていった結果だそうです。

 そして最後の識別ポイントが匂い。サザンカの花の香りは甘く強烈ですが、ツバキの花はほとんど匂いません。さて、なぜでしょうか。サザンカの咲く時期、昆虫はまだ活動していて、足早に迫る厳しい季節を前に越冬準備に余念がありません。多くの花が受粉を終えて競争相手が減った森で、遅れて咲くサザンカはそうした昆虫に真っ赤な花と芳香を放ち、花粉を媒介してくれる昆虫たちを呼び寄せているのです。

 しかしツバキが咲く頃にはもう、受粉を任せられるほど昆虫はいません。そこでツバキは昆虫を頼りにすることをやめ、花粉の媒介を冬鳥に頼ることにしたのです。鳥類にも嗅覚はありますが、しかし何と言っても鳥類の最有力の感覚器官は視力です。例えば猛禽類の視力ですが、東京から富士山を見れば山小屋まで識別できるほどとか。彼らはこの驚異的な視力を武器に遥か上空から地上の小さな獲物を発見しているのです。となれば、真紅の色で花があることを示せば十分、重ねて匂いまでサービスする必要はないというのがツバキの考え方なのですね。その代わりツバキは、昆虫より重い鳥が留まっても壊れないよう、根元でしっかり合着した大きな花をつけるのでしょう。
 
 全部が全部というわけでもありませんが、生物の生き方や姿にはだいたい、そうなるだけの理由があります。サザンカが他の花が絶えた時期に開花するのもツバキが匂いのない花をつけるのも、長い進化の過程で獲得した独特の生存戦略であり、それが有効であったればこそ両者は今日の繁栄に至ることができたのです。そう思って見直してみると、身近な周囲の自然にも多くの驚異が潜んでいることを発見できるはず、そんな不思議の宝庫である山を、ただ一心不乱に登るだけではもったいないとは思いませんか?